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2011年12月 アーカイブ


2011年12月30日

よいお年をお迎へください。  | 高遠弘美   

一考さん。しばらくお目にかかつてをりませんが、いつもこちらのサイトでご消息を確かめてをります。
先日は拙訳プルースト第二巻について、この上ないお言葉を賜り、いつものことながら忝く存じます。
病院とご自宅の行き来はさぞかしお辛いと思ひますが、くれぐれも御身大切にお過ごしくださいますやうに祈念申し上げます。
プルーストはまだまだ先があります。一考さんにお見せするのが私の一番の願ひです。私も健康に気をつけますが、一考さんもお体をおいとひください。
どうかお元気で、穏やかな新年をお迎へくださいますやうに。


透析患者の体操  | 一考   

 はなしを進める前にシャントについて一言。人工透析を行うに際し、短時間で大量の血液を浄化するための太い血管が必要になる。前腕の動脈と静脈をバイパスさせることによって、静脈血管は次第に怒張し、200ml/min程度の体外循環血流量の確保が可能になる。用いる針も16ゲージ程度の太い針を毎回穿刺しなくてはならない。もともと存在する血管を作為的に吻合するため、血管の炎症や閉塞など副作用を併発することもあり、心疾患を合併する患者には心臓への負担が大きい。

 アクセスログ一覧によると、このところシャント体操なるアクセスが多い。シャント体操が意味するところが分からないが、ふたつあると思う。ひとつはシャントを延いては血管を鍛えるための体操で、早い話が握力である。リストカール、リバース・リストカール、ハンドグリップ等がそれで、シャントを造った後、半年ぐらいは励む必要がある。
 いまひとつはシャントを造った後、身体が萎えてゆくのを防ぐための体操である。こちらはいささか複雑な問題を抱える。透析患者にとってシャントは命そのものであり、絶対に傷付けてはならない大切なものである。にもかかわらず、動脈硬化症を防ぐための最低限の運動はしないといけない、その兼ね合いが難しいのである。
 シャントを拵えたとき、腕にものを掛けない、重量物を持たない、手枕をしない、シャント側を下にして寝ない、腕時計やブレスレットを用いない等々の注意をうるさく受ける。例えば、腕立て伏せにしても自己責任であって、医師は決して奨めない。自転車やオートバイに乗るひともいるが、皮膚一枚を隔てて動脈が走っている。顛倒で動脈を傷付けると二、三十秒ほどで失血死する等々。
 運動は緊張と弛緩の連続、そしてその緊張と弛緩の均衡を喪うのが病である。さらに血管の状態が個々に異なる。糖尿の場合、特に血管は脆い。糖尿でない場合は可能な運動が、糖尿だと不可能とのケースが多い。要するに透析患者の体操に一般論はない。個々の患者の血管の状況に応じて個別に選択するしかない。問われるのは主体性であって、宛行扶持の体操では役に立たない。
 わたしは血管が比較的丈夫である。そして除水が2000までの部類に属しているので、透析後のダメージが少ない。従って透析後、病人特有の廃用症候群(生活不活発病)を防ぐために自転車に乗っている。だからと云って他人に奨められるものではないが。


2011年12月28日

ローカリズム  | 一考   

 五百年ほど昔、大航海時代にはじまったグローバリズムが植民地主義や帝国主義の苗床となった。振り返るに、最初のTPPとでも云うべき衝撃の出会いはフランシスコ・デ・ザビエルであり、ルイス・フロイスだったに違いない。
 グローバリズムの対義語はローカリズムだろうが、リージョナリズム、セパレーティズム等と複雑に絡み合い、単純に片付けるわけには行かない。わたしなどは地域主義の典型は鎖国だろうと思っている。1639年(寛永16年)から1854年(嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を「鎖国」と呼ぶようである。
 はなしを面白くするために、1866年の坂本龍馬が計った薩長同盟や1868年の新撰組局長近藤勇処刑によって日本のローカリズムは息の根を断たれる。近藤勇がローカリズムの守護神であり、坂本龍馬がその逆との図式になる。坂本龍馬ほど節操のない人間も珍しかろうが、亀山社中は日本最古のグローバル企業だった。
 TPPへの賛否が囂しいが、維新以降の日本は一貫して植民地主義、帝国主義の道を歩んできた。戦後、帝国主義の衣は脱ぎすてたものの、本質はなにひとつ変わっていない。海援隊以降、企業のグローバル化は止まるところを知らず、日米の二箇国で世界の七割(計算方式によってまったく異なる)を占める。日本が進出していないのは飲食関係ぐらいなもの。
 ローカリズムだが、日常生活の場でパソコンを用い、携帯電話を必需品とするような現代人にいまさら鎖国時代の生活が営めるのであろうか。海外交通はおろか、近隣の旅すらが禁止され、外交、貿易が制限された時代である。水平でなく、鉄道や国道を廃し、文化を川単位すなわち過去の垂直のそれに変更しなければならない。「日本の橋」の含意をこころの旅の本意とする、言い換えれば、ブータンの国民総幸福量に顕著なスローライフへの回帰である。
 さて、わたしはTPPに諸手を挙げて賛成だが、民意が反対ならそれでも佳いと思っている。それでなくとも、維新それ自体に否定的だし、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」「坂の上の雲」などの司馬史観と呼ばれる歴史観に違和感を覚えている。私事で恐縮だが、二箇月前から米国由来の遺伝子組み換え医薬品によって命脈を保っている。そうした最新の医療技術を棄てる覚悟は端から出来ている。欧州では七十歳を境にして、透析にせよ、癌にせよ、一切の延命治療は断たれる。決して飛躍はしていない、ひとの命の問題も間違いなく一種のローカリズムである。
 もっともTPPへの参加を決めるのは米国であって、永田町の傀儡政権ではないが。


2011年12月25日

病理学検査  | 一考   

 二十三日の昼頃から拙宅のネット環境は不通だった。たかだか二日なので、どうと云うこともないのだが、回線が切れているのを知ったのは明石の女房からの連絡だった。メールを送ったらしいのだが、返事がないがゆえの電話だった。
 掲示板を運用してい、頻繁に見る方だと思うのだが、書き込まなければ一週間ほどパソコンを立ち上げないときもある。大体が、ムーンさんはじめ関西在の方に用事があれば電話を用いる。

 ところで、ポリープ生検の病理学的検査が出た。検査結果は顕微鏡検査で中程度の異型を伴う腺腫で、グループ3の診断だった。グループ3は良性ポリープで癌ではない。大きさはふたつは10ミリを超えていたが、医師はこの大きさなら癌かもねと云っていた。良性のポリープと癌とのあいだには、明瞭な境界線はが引かれない。子供が成長して徐々に大人になるように、良性のポリープは徐々に悪性度を増して癌になる。中間病変の場合は、判定する医師によって良性か悪性かの判断が異なる場合すらある。

 グループ1 正常粘膜、および異型(細胞や腺管の形態が正常から離れること)のみられない炎症性あるいは過形成性粘膜
 グループ2 炎症性あるいは再生性変化、および軽度異型を示す過形成性ポリープ
 グループ3 軽度〜中等度異型を示す腺腫
 グループ4 高度異型腺腫、良悪性境界病変、きわめて分化のよい高分化腺癌
 グループ5 明らかに癌と診断しうる病変

さらに分かりやすく説明すると、

 グループ1  完全な良性
 グループ2  まあ良性
 グループ3  要注意の良性
 グループ4  癌とはいえないがかなり癌に近い
 グループ5  完全な癌

 術後の病理検査でグループ5すなわち癌の結果が出なければ、良性とまでは云えなくとも、すべてポリープである。癌とポリープの差は大きさと聞いていたが、例外もあるらしい。
 この四、五年のあいだに摘出手術を受けた知己に検査結果を聞いたが、全員が1から3の診断、なかには転移なしと応えた方がいる。これは癌でないとの強調型と思われるが、意味は不明である。
 わたしのポリープは肛門から五十五センチの位置。大腸癌の原因は肉食であって、魚肉は安全である。さて、前述のメールだが届いていない。彼女にはメールの送付はまだ無理のようである。


2011年12月23日

サイクリングロード  | 一考 

 江戸川の東岸を松戸野田関宿自転車道路(41キロ)、西岸を三郷幸手自転車道路が、その先は茨城県となって利根川、渡良瀬川へ、サイクリングロードは古河岩井自転車道路へと繋がる。その先はどこまで続くのか、手持ちの地図では定かでない。
 三郷幸手自転車道路は総距離35,950メートル、通称江戸川自転車道と呼ばれてい、路面状況は東岸のそれよりも勝る。拙宅から往復で72キロ、丁度淡路島一週(155キロ)の半分である。起伏もなく、リハビリには最適。往路と復路を川の東西に切り換えると楽しい。
 淡路島はよく走ったが、南岸エリアは起伏が多く、ブラインドコーナーも多い。わたしは大事故を起こしているが、それと比して江戸川は事故の起きよう心配もない。公園もよいが、たまにはちょっとした遠出をしようかと思う。

 http://park20.wakwak.com/~toukatsu/toukatsucycling.htm
 http://park20.wakwak.com/~toukatsu/

東葛一円のサイクリングコースが紹介されている。


2011年12月22日

 |  一考

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 ユリカモメやカルガモの群れに混じって穢い鳥がいる。体長は六十センチほど、黒褐色乃至真っ黒で図図しく回りを睥睨している。見様によってはダンガリー、ドンゴロス、頭陀袋のようにも見える。最初、この鴉の親分のような鳥はなんだろうなと思っていたが、ペリカンのような大きく尖った嘴に記憶がある、鵜である。カワウかヒメウかは分からないが、鵜であるに違いない。
 それにしても、鵜が一羽で水元公園でなにをしているのかしら。鵜飼いでしか知らなかったが、単独行するものかしら。不忍池にコロニーがあると聞いたことがあるが、浅草から飛んできたのかしら。二日連続で流れの真ん中の杭に止まっている。
 小浜市の鵜の瀬では、天平の昔、白黒の二羽の鵜が岩から飛び出し、留まった樹の跡から甘水が湧き出し、香水が満ち溢れたのが湧水のはじまりという記録が残っている。三次の鵜飼いには一部白い鵜が使われているが、あの鵜は中国四川省雅安市から贈られしもの。
 猫の白いのは気味が悪いが、逆に鳥の黒いのは落ち着かない。水元の鵜も白ければよかったのにと思う。
 写真はユリカモメと戯れる子供。


2011年12月21日

禁煙3  | 一考   

 東葛クリニック本院の栄養士からヨーグルトを奨められて食べはじめた。いろいろ種類があって良く分からない。今流行のダノン・ビオは甘くて水っぽい、森永乳業が販売しているギリシャのパルテノは美味いが値も高い、地元だがちばらく(千葉酪農農業協同組合)のヨーグルトがもっかのところ一番口に合うが酸味が足りない。牛乳は駄目だがヨーグルトは構わないとの根拠が良く分からないままに食している。おそらくオリゴ糖と思うのだが。
 穿刺者にヨーグルトのはなしを洩らしたところ、さっそく東葛クリニック根本の栄養士が駆けつけた。迅速な反応に愕いたが、粗方は予想通り。コレステロールに異常はないので、現状ではヨーグルトを食べる必要はなさそうである。仮に食べるにしても、三日に一度かもしくはヤクルトの方がよいのでは、いずれにせよ血中のリンと相談しながら慎重にとのことだった。

 禁煙だが、三日目が大変とか、一週間辛抱できたら止められるとか諸説紛々だが、ちょっと異なるようである。昔、種村さんから横で煙草を旨そうに咽むなと叱られた。俺は嫌で止めたのでないからと泣き言を仰有っていたのを想い起こす。要するに禁煙というものは止めた、止めないとの単純なことではない。酒と同じで、半年経とうが、一年経とうが、日々煩悶がつづくのである。取敢えず、明年の四月までは止める。しかし、移植が終わった後はふたたび煙を燻らすつもりである。
 先週の土曜日はドライウェイトを五百グラム取り置いた。禁煙が軌道に乗るまでは体重の管理が乱れるのも仕方がない。それにしても、禁煙が食欲増進と対になっていたとは。


2011年12月19日

セーリング  | 一考   

 みさと公園でヨットを走らせている老人と会った。八十センチほどあろうか、玩具としてはかなり大型のヨットである。型式は小型クルーザーといったところか。季節柄少々風があるにもかかわらず、風下へ向かって回頭している。この人は真物のヨットは未経験だなと思いながらも、楽しく見物させていただいた。
 推進器にエンジンもしくは電動モーターを積んだリモコンの船は良く見るのだが、あれは五月蝿いばかりで興味はない。風任せというか、風頼みのこのようなヨットははじめての経験であって実に結構、ずっと座り込んで眺めていた。
 ラダー(舵)とセール(帆)が無線で動く仕掛けになっている。タッキングを繰り返していたが、回頭の度にひっくり返りそうになる。なんとか持ちこたえていたが、おそらくそういう構造になっている、もしくは顛覆しない構造になっているのであろう。ひとしきり遊んだ後、キールを見せてもらったが、三十センチほどある。艇長から推して異常に深いキールである。しかも突端に重しが付いている。これで横羽を付ければまるで競技用ヨットのウィングキールである。聴けばこれも競技用のヨットだそうで、と云うことは競技会もあるのだろう。ある種、完成された玩具だった。


2011年12月18日

空包と実包  | 一考   

 東葛クリニックでの主治医は秋山和宏さんだったが、ネット上で随分と発言なさっているし、著書もお持ちである。通常クリニックは毎回医師の回診がある。そして回診する医師の多くはアルバイトである。従って落ち着いてはなしもできないのが実状である。ところが秋山医師の診察は鄭重である。具体的には書かないが、感謝している。今回も月曜日に診察、火曜日に入院手術、水曜日に予後確認、木曜日朝退院とまさに緊急措置を取っていただいた。

 内視鏡を差し込むと、一緒に多量の空気も腸管へ這入る。それが理由で術後、頻繁に放屁がつづく。いわば空包で、三、四日便秘が続くのは了解事項である。
 最初の便に出血があれば大変だが、なければ一安心である。そして実包が出てくればそろそろ風呂が可能になるはずである。そうして徐々に日常を取り戻してゆく。とはいえ、金曜日に一度便通があったのみ、いささか気にはしている。
 自転車での散歩、買い物を引っくるめて今回の入院は生活になんらの影響も与えなかった。畏るべし内視鏡。画質を維持するためにこれ以上ファイバースコープを細くできないというが、それとて時間の問題である。上部消化管から下部消化管、胸腔から腹腔、膀胱から関節、脊椎から血管へと内視鏡の活躍範囲は拡がりつづけている。日本の医療器具の独擅場である。


2011年12月17日

曜日  | 一考   

 わたしは火、木、土と透析治療を受けている。と云うことは月、水、金のグループがある。曜日は面白いもので、前者と後者または朝の部、準夜の部、夜の部と患者の相貌がまったく異なる。人気は月、水、金の朝の部に集中している、そして重篤な患者が多い。半分は車椅子である。正反対なのが火、木、土の準夜と夜の部で、働いている方が比較的多い。
 本院で透析を受けたのははじめてだが、ぴくりとも動かれない方が数人いた。ベッドに乗せて運び、ベッドで去ってゆく。まるでグラックかジャコメッティーのごとく、十代の時の暗さをそのままに生きている。
 治療と云い、治療食という。治療とは病気やけがをなおすことであり、治療食も疾病の軽減、健康回復のための食事となっている。ところが、世の中には癒らない病がある。肝硬変などもそうだが、不可逆な病は多い。治療と称しているがそれは名ばかり、死に向かっての行進で、前述の暗さはそこに由来する。ちなみに、東葛クリニックで昨年一年間に亡くなられた患者数は八十五名。ほぼ四日に一人、櫛の歯を挽くように仲間は喪われてゆく。さまざまな事情があってそれ以上のことは書かれない。黙祷。

追記
 今日からいつもの透析部屋へ戻った。相変わらずの修羅場である。命懸けの透析が繰り返されている。他人事ながら涙が落ちる。それ故、口癖のように死にたいと洩らす女性をわたしは憎悪する。死にたいなら死ねばよい、なにを遠慮することがあろうか。死との概念を玩具にすることをわたしは許せない、許さない。


2011年12月16日

植物のざわめき  |  一考

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 水元公園の蘭鋳である。三十年前なら二十万円はする金魚、今なら幾らぐらいするのかわたしには分からない。やや小振りなのが難点だが、尾が太く真っ直ぐで親として用いるに最適、見惚れる蘭鋳である。金魚の守護神はユイスマンスとプルースト。

 水元公園、みさと公園はどこにいても水の音が聞こえる。シラカバ、ニセカンバ、ミズナラ等、木々の命の音をはじめて聞いたのは北海道のキャンプ場だった。地中深くから水を吸い上げるゴーッ、ゴーという音ほど逞しくはないが、人間のお腹からはとろとろもしくはぽくぽくと水の流れる音がする。このぽくぽくはわたしが手にした聴診器であって、機器が変われば音も変わるのかも知れない。
 ひとの身体はとんでもないざわめきを秘めている。このざわめきを音楽にしたアバンギャルドな表現者もいたが、ざわめきを言葉に綴った鏡花やプルーストのような作家もいる。間違いなくラルボーも同種の書き手であろう。プルーストが「失われた時を求めて」に着手したのは09年秋、翌年、騒音や外気を遮断するために部屋をコルク張りにする。遮断によってざわめきは醇化され、さらに明瞭な形を取ったに違いない。
 高遠弘美さんの「スワン家のほうへ2」が上梓された。プルーストは岩波書店からも刊されているが、読むべきは光文社の高遠訳。ざわめきと静謐さとの鬩ぎ合い、プルーストの息遣いが聞こえてくる歴史に残る名訳である。


禁煙2  | 一考   

 禁煙は口が淋しくなる、と云うことは自動的に食欲が増える。煙草を止めると太るとよく云う。他方、摂取量は押さえなければならない。そこに問題があって解決策はない。
 そもそも、止めようとの積極的な意志を持たずに、何となくはじめた禁煙である。東葛クリニックの栄養士はあなたなら意志力がありそうなので止められると云う、しかしわたしに意志力はない。
 某医院の女医が喘息らしく喫煙者の横に行くと発作が起きそうになると云う。また免疫上問題があって禁煙しないと移植手術は行わないともいう。前者は医師の我が儘だし、後者は移植を担保にとった恫喝でないかと思う。わたしは他人から脅されて行動の制約を受けるのは不愉快である。禁煙が要請であればともかく、命令であればいっそ移植を諦めても良いとすら思う。
 そのようなことを書いているのも、苛ついている証拠である。わたしが見事だと思うのは木村さんである。彼はある日突然ではなく、徐々に、消え入るように止めてしまった。禁煙の理想形だと思っている。


2011年12月15日

美女  | 一考   

 さきほど退院となった。看護師が打ち揃っての見送り、このような経験ははじめてである。東葛クリニック本院は美人が多い、これだと入院が長引いても嬉しかったのだが。
 約束通り、朝食に二百グラムの重湯を馳走になった。二、三日は五分粥を食して欲しいと云われたが、そのような心配は無用、雑炊にして食べると云ったところ、野菜がどうの、植物繊維がとはなしになった。分かっていることだが、若い女性と話しているのが愉しくて黙って相槌をうつ。暫くの間だが、根菜、蕈、麺麭のようなぱさつくもの、固いもの、香辛料を含む刺激物は遠慮したほうがよろしかろう。
 天気が良いので自転車で水元公園へ出掛けた。ゆっくりと日向ぼっこしながら、ソフトクリームを食べたく思った。スジャータのソフトクリームなので専ら観光地向け、決して旨くはないのだが。割烹料理を頂くときは五月蝿いが、牛丼や天丼、トンカツやコロッケ、寿司や蕎麦、饅頭やアイス等々、下世話なものを頂戴するときはなにも云わない。

 http://www.sujahta.co.jp/tomi/flavor.html


AO虚空  | 一考   

 東京へきてから四度目、明石を入れると五度目の内視鏡検査である。経口腸管洗浄剤が随分と飲みやすくなったように感じられる。何時もは少し残すのだが、今回は時間通りに飲み干した。大腸の方は術後の出血もなく、うまく片づいたようである。硬く縛った箇所は一箇月以内に千切れて便と一緒に流れるそうな。
 今は十三日の深夜だが、冷えた茶が滅法旨い。明日は九時二十分からヘパリンを替えての透析治療である。

 今回がはじめてではないが、内視鏡による施術は便利になったものである。喉頭から食道、胃、そして盲腸、結腸、直腸、肛門管に区分される大腸、要するに小腸を除く消化器官のごく一部の手術が開腹せずに可能になった。
 内視鏡はAO虚空に止まらない。棹の先から内視鏡を突っ込んで、尿管にバイパスを拵える術も明石時代に受けた。十九世紀なら考えられない科学の進歩である。
 内視鏡と共に注射針も細くなっている。注射針のサイズはゲージ(太さ)だが、通常使われる針が24から20ゲージ。管の内径は皮下注射用は0.6〜0.7ミリ、筋肉、静脈注射用は0.8〜0.9ミリ、輸血用には1ミリ前後のものが用いられる。病院で真っ先に穿刺される血液検査には22ゲージが使われている。一番細いのがインシュリンに用いる33ゲージで、これは日本にしか存在しない。ゲージ数が少なくなるほど太くなる。注射針を作る技術は日本が世界一で、どんどん細くかつ硬質なプラスチックに置き換えられている。ただし、血量を求める透析用は細くはできない。透析には17、16、15ゲージを用いる。20番台の針とはまるで異なり、直径が1.5ミリを軽く超える。刺すときのインパクトは大きく全身が硬直する、痛み止めがなければどうにもならない。20ゲージまでの注射針で痛がるのは赤子だが、16ゲージでも痛くないというのは変態、どうにもならないマゾヒストである。


2011年12月13日

禁食  | 一考   

 昨日の夜から禁食に這入った。木曜日の朝までなにも食べられない。出血がなければ重湯が木曜日に出るらしく、重湯が出れば退院である。
 この手の禁食には馴らされている。飴かチョコレートが欲しいところだが、今回は完全禁食を守ろうか。

 前項で百四十グラムと書いたが、困るのは汁物である。スープや味噌汁の類いだが、腎不全用のカレーは百グラム、スープは百四十グラムである。小さな茶碗で六分目ぐらいなのだが、量はともかく、副食が一杯の汁物でお仕舞いというのはいささか切ない。同じ食べるなら固形物を食べたい。元々好きな汁物だったが、めっきり食べなくなってしまった。
 十三歳から二十五歳までは体重が五十キロだった。当時は寂滅思想に魅せられてい、食べるということに羞じらい乃至嫌悪感を抱いていた。


2011年12月12日

久しぶりの入院  | 一考   

 除去する癌は四つ、他は現状では除去する必要のないポリープ。ときとうクリニックでポリープの癌化は四年ほど後のはなしと聞かされたのが九年十月、思いの外早まったようである。
 明日入院手術、予定だと木曜日の退院である。今晩から明日一杯は絶食である。ときとうクリニックの方が腕は達者だろうが、透析が必要なので東葛クリニック本院四階へ入院する。病室を見てきたが、患者は透析治療を受けている高齢者ばかりで、食事を自分で摂られない方ばかり、うんざりである。
 ヘパリンを投与しているので、医師は出血に気をつかっている。特に手術による穿孔が怖いと云う。出血が続いた場合は入院が長引くこともあるそうな。
 火曜日の透析日を本日の準夜に急遽変更する。本院と東葛クリニック根本との間で何度も遣り取りがあった、透析日の変更は大事で申し訳なく思う。


日乾し  | 一考   

 血液検査に異常なしなどと繰り返し書いているが、実は至難の業である。透析患者で異常がないのは百人か二百人にひとりだろうか。とんでもない食事制限を試みているのである。
 透析患者の楽しみは飲食に収斂される。例えば旅をしたいと云っても、行った先で腹一杯飲んで喰ってが結句となる。水分が何ミリリットルと常に計算しながらの飲食がどれほどの苦痛を伴うかは経験した者にしか分からない。透析生活が数年に及ぶと一日の飲食の総量が一リットルから一、五リットルに制限される。その場合、水として飲まれるのは二百ミリリットルを切る。食事の度に二十、三十と計算しながら口を湿らせることになる。結果、身体は潤いを失い小さくなって乾涸らびてゆく。
 除水は一日置き、四時間で最大三、二リットルまでである。そして摂取量を一日一リットルで収めるのは現実的でない、おそらく不可能である。健康なひとは一日二リットル以上の水を飲み、同量の食事をしている。二日で八リットルである。
 ドライウェイト(除水後の体重)を決めるのは心胸比と血圧である。血中水分が増えれば血圧が上がり、心胸比が高くなる。心胸比が高まれば肺水腫になり、呼吸不全や心不全に陥る。健康であれば尿の排泄によって余分な水分を除去し、翻っては血圧を低く保つ。その尿の排泄がまったくできなくなるのが慢性腎不全である。
 素人には難しいことが分からないのでドライウェイトを基準に考えるしかない。除水が過ぎれば血圧の急激な低下を招き、全身の痙攣や失神に至る。それを防ごうと思えば自分の身体に適した除水率を守るしかない。わたしの場合は二リットル以下である。逆算すれば一日一リットルとなる。
 一日一リットルだと小振りの弁当一食分と水を五百ミリ(わたしは食事を削って水の量を増やしている)である。その一食分の食事を二回に振り分けて食べている。肉じゃが、おでん、すき焼き、なにを食べようが一日百四十グラムまでである。パンならマーガリンを塗るので五十グラムにしている。かてて加えてリン、カリウム、ナトリウム、カルシウムと五月蝿い条件が付帯する。
 わたしは自力で五百ほどの尿がまだ出ている。従って除水は二日で一リットルで済んでいるが、こちらは時間の問題である。たまにもう少し食べたいと思うこともある。肉一切れ、豆腐ひと欠けと思うが、そこへ足を踏み入れると際限がなくなる。そのような時は多量の煙草で誤魔化してきた。その煙草を止めろと云われてもっか困惑しているのである。


2011年12月11日

パソコン  | 一考   

 女房からパソコンの使い方について質問があった。パソコンの使い方と云うよりも、アプリケーションの使い方と云ったほうが正しい。彼女はイラストレーターを使いたいようだが、そうであればイラストレーターの入門書を買うのが手っ取り早い。わたしなどは非常に偏った使い方しかしていないので、教えるような知識はなにもない。
 彼女はワープロの経験があるので両手打ちができる。わたしは未だに右手の中指一本である。それでも本職のキーパンチャーとほぼ変わらない速度で打てる。それは漢字変換の速度が違うからである。必要があって日夏耿之介の文章を打ち込んだことがあったが、キーパンチャーとわたしは同時に終わった。要するに、難しい漢字が多いほどわたしには有利になる。
 当掲示板はブログ用のソフトを掲示板用に書き換えていただいた。おっきーさんにお願いしたのだが、プログラミング言語はわたしには珍糞漢糞である。エクセルのセルの入れ方もひろさんに教わった。遡れば、文字の打ち込み方はムーンさんに教わっている。すべて他人から教わったことばかりだが、分かったような顔をして使っている。
 それにしても、教えることができると云うのは素晴らしいことである。理解していなければ教えることなんぞ出来ないからである。問い掛けに対して五月蝿いとか面倒だと思うひとは問い掛けの内容を理解していないのであって、いくら訊いても無駄である。
 彼女にプレゼントしたパソコンはわたしが使っているのと同じ型式のレガシーマックだが、二十万字の漢字と熟語を追加登録している。そちらに関しては最新のパソコンと比しても遙かに勝る性能を持っている。
 パソコンはどこまで行っても道具であって智慧とは縁のない存在である。論語以上の智慧を現代人は持っていないと書いたのは小林秀雄だが、彼は同時に智慧が科学を批判する必要性を説いている。何時もの繰り返しになって恐縮だが、道具は進化するが人の心に深化はあっても進化はない。


2011年12月10日

海泡石  | 一考   

 幹郎さんから為事を止めて身体の調子はどうかと訊かれた。この言葉にはいろんな意味が内包されているが、わたしは刺激がなくなったので掲示板に書くことがなにもないと応えた。思うに日々、店でさまざまな方の意見を伺う、それに託つけての書き込みだった。要は客を罵っていたようなものだが、個々の方にそれとなく分かるように仕掛けているので、罪は浅いだろう。
 他人からの刺激がなくなれば自分を喧ればよさそうなものだが、それが結構難しい。翻ってクリニック乃至病に関する書き込みが増える。腎臓を病んでからわたしの人生は病と共にある。命にかかわる病気なので仕方がないと云えばそれまでだが、闘病そのものが人生となった。

 その幹郎さんから連絡があって、海泡石(かいほうせき)のパイプ並びに喫煙具一式の嫁入りが決まった。ものがものだけに行き先に困っていた。幹郎さんなら持ち主として相応しい。十二日の月曜日に入院の日取りが決まれば早速お会いして手渡すつもり。


2011年12月09日

メシャム  | 一考   

 禁煙の已むなきに至ったので、拙宅の葉巻、シガーを片端から咽んでいる。結構な量があって、あと六、七十本ぐらい。喫煙具も多数あって、竹中工務店の元電算室長から吉田一穂がらみで頂戴したタンザニア産海泡石のパイプがある。多田智満子さんがキリマンジャロから持ち帰ったタンザナイトの原石同様、親しみを覚えている。その海泡石のパイプは幹郎さんに貰っていただきたいのだが、彼はパイプを嗜まない。さて、どうしようか。(海泡石のパイプについては掲示板1.0で書いた記憶があるのだが出てこない)

 書肆山田の大泉史世さんから酒をよく止められましたねと云われたが、酒が止められたのだから煙草もうまく行くと信じている。もっとも、今では酒は凄まじい胃痛と吐き気をもたらす、脂汗を滴らせながら酒を飲む図はいただけない。
 ニコチン中毒とアルコール中毒だが、わたしは生活環境から云って後者の方が近しい。アルコール中毒は強迫的な精神疾患であってニコチン中毒とは種を異にする。2003年度の「アルコール使用による精神及び行動の障害」による精神病院入院患者数は2,751人、ちなみに死亡率は四十パーセントである。覚醒剤中毒に準じ、禁断症状には目を背けたくなるものがある。覚醒剤同様の妄想や振戦譫妄、全身の痙攣発作(アルコール誘発性癲癇)、または幻覚症状が頻繁に現れる。神戸の福原時代、身の回りに常に五、六人はいた。ですぺらには軽度の依存症患者が二名いらしたが、「山型飲酒サイクル」にまでは移行していない。そのうちの一人は上記の方であり、いまひとりは装訂家として著名な方である。
 禁煙ニコチンガム、禁煙パイプ、電子タバコなどニコチン依存症向けの禁煙グッズが多く売られている。なんぞ見繕ってこようか。


橋下徹のこと2  | 一考   

 大腸癌の摘出について、今月の十二日に消化器外科の医師とはなしあう。わたしにとって癌の摘出手術は前座であって真打でない。年内に処理したいので時間がなく、無理を押し通す。いつものことながら、看護師に迷惑をおかけし申し訳なく思う。

 先日書いた橋下徹のことだが、被差別部落の問題に反論したのは読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」のみ。やしきたかじんの他、辛坊治郎、桂ざこば、三宅久之、宮崎哲弥、勝谷誠彦たちがかかわる。関西では圧倒的な支持を得る人気番組である。
 石原慎太郎や野中広務が突如橋下支持を打ち出したのも文春、新潮の差別発言に反撥したのが理由である。思うに、野中広務の出身も同じでなかったか。詳細は書かないが、両誌もしくはウィキペディアでも検索していただきたい。
 前述したように、わたしは必ずしも橋下支持ではなかったが、新潮、文春の問題発言を読んで橋下支持に変わった。聞くところによると、横浜市長だった中田宏、元改革派官僚の古賀茂明をブレーンに迎えるようである。そちらは結構な人選だが、両誌が展開した論旨に対しては糾弾に乗り出すべきと信じる。断じて看過してはならない。


2011年12月08日

尿量低下  | 一考   

 前回の血液検査の結果によると、低カルシウム血症、高カリウム血症は元に戻り、肝機能障害を除いて正常に戻ったようである。肝機能は一箇月に一回の検査なので、次回の血液検査(本日)を待たなければならない。貧血は若干の改善が見られたが、エポジンの投与はは当分続きそうである。
 穿刺の担当者は二週間のあいだ毎回異なる。そういうローテーションが組まれている。看護師は前回の記録を見ながら、あなたが2000を超えるなんて珍しいと云う。次いで、鍋物を食べた折、ご飯はどうしたと質問された。飯は食べていないと応えたところ、鍋物だけだと水分の摂りすぎになって血圧に悪影響を与える、副食は押さえてご飯は必ず食べるようにとの忠告を受けた。分かっているのだが、体重を増やしたくないので飯を食べなかった。結果はまったくよろしくなかったが。 
 それよりも、このところ急速に尿量が減ってきた。水分制限が冬期にはじまったのは不幸中のさいわいと云うべきか。

追記
 最新の血液検査はきれいなものだった。久しぶりに異常はなにもない。コレステロール、血糖、リン、カリウムは正常値に。肝機能も戻った。ヘマトクリットがやっと上昇、遺伝子組み換えの医薬品はさすがによく効く。上述したように、念の為にエポジンは続ける。


馬鹿な奴  | 一考   

 このところアダルトサイトを紹介する書き込みがつづく。まず云っておきたいのは当掲示板の主人は慢性腎不全である。従って性的能力はまったくない。インポテンツ相手にアダルトサイトを奨めるその真意はどこにあるのだろうか。少なくともわたしは性的なことにいささかの興味も持たない。持たないどころか不愉快ですらある。面識があれば張り倒すところだが、それができないのが残念。世の中には馬鹿な奴がいる。


禁煙  | 一考   

 入院患者のうち、ふたりが昨日戻ってきた。当然なのだが、透析患者は常に死と隣り合わせである。回りの患者が次から次へと倒れてゆく。過剰な除水で血圧が降下し、下呂を吐き、痙攣を起こし、気を失う。
 今日は戸田中央からの用事があって女房を連れて東葛クリニックへ行った。ちょうど朝の部と準夜の部の入れ替え時でごった返していた。半分が車椅子、半分は跛を引きながら列をなす。異所性石灰化によって、透析患者はまず脚の自由を喪う。惨憺たる状況に彼女は愕いて口をあんぐり。一度この光景を見、記憶に残してほしかった。彼女にはちょいと酷すぎたかもしれない。

 戸田中央の検査入院が明年一月十二日から二週間と決まった。彼女は十九日から一週間。移植手術は三月上旬、一箇月の入院である。共に入院なので誓約書が必要。書面には支払い責任者と連帯保証人双方の書名押捺が必要である。幹郎さんにお願いするつもりだが、支払い責任者を頼むとさすがの幹郎さんも怒るであろう。よって連帯保証人を依頼する予定。連帯ゆえ、結果は同じことなのだが。
 十二月中に大腸の癌ならびにポリープ(違いは大きさだけである)の除去と憩室の洗浄を済ませるようにと云われた。その手術が可能かどうかを確かめに東葛クリニックへ行ったのである。わたしの予定は二日の入院、無理を承知のはなしだが、なんとかなりそうである。
 さらに重大なはなしがあって、煙草を止めなければならない。頻繁にニコチン検査があるそうで、禁煙が叶わない場合は移植を諦める、どちらかを選択してくれと強く云われた。禁酒はなんとかなったが、禁煙はきつい。しかし守るほかなさそうである。


2011年12月06日

バイオ食品  | 一考   

 遺伝子組換え作物とは遺伝子組換え技術を用いた遺伝的性質の改変によって品種改良等が行われた作物のこと。ゴールデンライスやプランピー・サップは特に知られる栄養強化食品で、国連世界食糧計画(WFP)の主力となっている。他に栄養強化された植物油、ビスケット、ブレンド粉(大豆とトウモロコシの粉にビタミンやミネラルを添加したもの)などの食糧が全世界で配給されている。
 プランピー・サップというピーナッツペースト状の食品は五歳未満の栄養不良の子供たちの栄養補給に使うために開発され、ビタミン、ミネラルなどの栄養素が豊富に含まれる。世界で一億人以上の子供がビタミンA欠乏の影響を受け、毎年二百万が死に、五十万が失明している。
 開発途上国の人だけが食するからと言って、遺伝子組換え作物の安全性をおろそかにしてはいけない。そして、ヨーロッパや日本のような豊かな国の人々による組換え食品、作物に対する科学的理由を越えた過度な懸念や警戒心が、途上国の人々の利益を損ねることがあってはならない。
 現在では醤油や味噌、食用油など大豆(または脱脂加工大豆)の加工品は、ほとんどが遺伝子組み換え品種で占められている。また、外食産業などによって、より大量の遺伝子組み換え食品を摂食している。サプリメントや医薬品を入れれば膨大な量になる。世界でもっとも遺伝子組み換え作物の輸入量が多く、おそらく世界でもっとも遺伝子組み換え農産物を口にしている日本であるにもかかわらず、自国での生産は手つかずである。
 栄養強化の逆になるが、特定のミネラルを除去した食品もしくは肥料三要素と云われる窒素、リン、カリウムを低減した作物なら簡単にできると聞く。低蛋白作物も同様である。病人向けの農作物や食品にはバイオテクノロジーがどうあっても必要である。

 遺伝子組換えに賛成であれ、反対であれ、取敢えず対象そのものについて知らねばならない。普段飲む炭酸飲料やダイエット飲料など六千種類以上の製品に遺伝子組み換え補助食品が使われている。

 http://www.h5.dion.ne.jp/~allinone/natureland/pandora/index.html
 http://www2.odn.ne.jp/~cdu37690/index.htm
 http://pumipom.jugem.jp/?eid=559


2011年12月05日

橋下徹圧勝  | 一考   

 大阪の選挙が終わったが、今回ほど非道い選挙も珍しい。自、民、共の三党とマスコミが結託しての妨害工作だった。橋下徹の改名、出自、家族、部落、同和、暴力団、父の自死等々、プライベートな事案をここまでと云うぐらい暴きたてての選挙戦だった。
 特に「新潮45」「週刊新潮」「週刊文春」は三流誌としての実体を存分にさらけ出した。違法性を帯びた社会的な事件ではないのに家族のプライバシーを徹底的に侵害し、「新潮45」では少年期に補導されたことまで明かしていた。当然、真偽を確かめての記事だろうが、だとすれば法務省からの漏洩がなければならない。未成年者の犯罪は法務省以外に資料はない。国家権力とマスコミとの結託は最近では小沢一郎に次いで二度目だが、今回は政治資金規正法違反などの脱法行為はなにもない。このような誹謗中傷は東京だったら効果があったかもしれないが、大阪の若者を中心にした勝手連には通用しなかったようである。
 私は橋下の政治行動を全面支持するものでない。福田和也、西部邁、城内実、池坊保子、櫻井よしこ、小林よしのり、野田佳彦などと同じく橋下は核武装論者である。アメリカが認める筈のない政策や理念など、わが国では笑い話にもならない。
 既存の構造を維持しようとする既得権益勢力は、大阪維新の会を封殺しようとした。この既得権益利権複合体の一角を占めるメディアも、橋下に対して激しい集中攻撃を浴びせた。集中攻撃と云うよりは狂気の形相と云った方が相応しい。政治理念を闘わせるならまだしも、部落問題を書き立てるなど以ての外、差別意識が総身に沁み込んだ魂の欠けたジャーナリズムである。大阪維新の会が圧勝したが、このことが示唆するものは計り知れない。

追記
 上記雑誌で触れていることなので構わないであろう。江藤は江頭すなわち穢多頭であり、橋下はハシシタに決まっている。そのような名字は百を超える、名字については殊更に書くようなことでない。上記雑誌の編輯者は恥を知れと云いたい。

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