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2011年08月 アーカイブ


2011年08月31日

本箱の整理  | 一考   

 阪神淡路大震災の折、本箱が天井を突き破ったと書いた。突き破ったのは天井だけでなく、壁は半分が崩れ落ちた。鏡花の初版本が家出して外のドブに落っこちていた。要するに、日本橋が崩落して二つ折りになって溝のなかに鎮座していたのである。
 それを思えば、今回の地震(3.11)はちょっとした搖れに止まった。しかし本箱は十糎ほどずれた。以前は六糎の角材を五十糎間隔で本箱の上部に組み付けていた。ところがそれら角材は全てが折れ、三寸釘も抜け落ちた。爾来、地震対策は止めた。用をなさないからである。
 廃業してまず片付けなければならないのは本箱を正常な位置に置き直すことだった。そのためには本を一旦書庫から出さなければならない。考えただけでも気が遠くなる作業である。某女子の協力を得て先週片づけが済んだが、慎に申し訳なく思っている。

 年内は三郷にいることにした。年内一杯は体重を絞りながら体力の回復を試みる。体重を五十七キロ、ウェストを七十糎まで落としたい。そしてうまくいけば腎移植を済ませたく思う。相手あってのことゆえどうなるか分からないが、北里病院での打ち合わせは二日の午前である。


2011年08月30日

ジーンズ  | 一考   

 体重が減り続けている最中にジーンズもないものだが、手持ちのサイズが大きくなったので買いに行った。最大36インチを履いていたが、現在は31インチ。まだまだ瘠せそうだが、取敢えず
購入。32インチが一本、手持ちがあるが、いつごろ履いていたものか分からない。
 太りだしたのは三十五歳を過ぎてからだが、車の免許証を取るまではジーパンなるものを履かなかった。オートバイに乗り出してからやむなく履くようになった、四十代半ばのことである。
 車の整備には希硫酸を使う。普通のズボンなら一日でボロボロになる。なによりも裾がはためくのが恰好悪い。オートバイにはやはりジーンズが似合う。余談だが、最終日の帰途、ワンピースでアメリカンに乗っているひとを見た。露わになった太腿を被いもせず、アクセルをふかしている。あれはなんだろうかと思いつつ、気になって仕方がなかった。
 三十五歳までは女性とズボンを共有していた。インチで云えば26か27であろうか。取敢えず、29インチで止めようかと思っている。体重は減少するも、体調は良い。しかし体力は心細い限りである。


2011年08月27日

挨拶回り  | 一考   

 保健所の他、手続きを済ませるために都内を回る。銀行を巡った後、田村書店へ挨拶に。昨今のデフレは古書に止まらず、原稿や尺牘にまで至っていると聞く。明治古典界で二百万円の値がついた某作家の原稿が三十万円とか。奥平さんから割烹料理を誘われるも、今のわたしには食べられない。
 腎移植について北里病院へ行くも、ゆっくり話しましょうと云うことで日を改める。それやこれやで月始めまで忙しい。歯医者の予約もキャンセル、三日ぐらいから通常の生活に戻られそう。

 薔薇一輪と一緒に雑司ヶ谷紅谷のみみずく干菓子を頂戴した。大泉さんに感謝しているが、それにしても考えたものである。干菓子なら水分はゼロ、甘いが塩気はまったくない。これで甘さが控え目なら云うことなしだが、それでは干菓子になるまい。
 日経新聞の泉宣道さんが来店、掲示板をご覧になられたようである。気をつかって十五分ほどで帰られたが、今回執行役員になられたとか、慶賀すべきことである。泉さんは西明石時代からのお客で、明石の割烹「魚作」と共にですぺらを愛してくださった。十五年を越えるお付き合いに感謝したい。


2011年08月26日

超音波検査  | 一考   

 急速に体重が減少、やむなくカレーを造った。カレーなら食べるだろうとの魂胆。今年は汗とのはじめての格闘だった。夏場は一リットルから二リットルの汗をかくという。体重をグラム単位で管理しようと思うと汗を正確に計量しなければならない。
 水分が過剰になると血圧があがり心胸比もあがる。透析すなわち除水によって血液中の水分を減らし、血圧や心胸比を正常に保つ。余分な水分(食事を含める)を摂取すると除水率が上がり、血圧の急速な低下を招く。そこの兼ね合いが難しい。
 隣の婆さん(あちらに云わせればわたしは爺さんだろうが)が透析のたびに血圧の低下で苦しんでいる。血圧が低下したときは頭の位置を身体より低くするのだが、そうなるとそうなったで足がつり痙攣を起こす。こちらも兼ね合いが難しい。他人事ながら同情を禁じ得ない。

 定例のエコー検査で、腎結石の確認のつもりが甲状腺、副甲状腺、前立腺、胆嚢のポリープの推移など、腹部全体をを調べた。結果、その後の変化なしの一言で仕舞い。検査が続いたために食事を十分に摂る時間がなく、体重は下がりっぱなし。悪循環である。


2011年08月21日

栗林幸吉さん  | 一考   

 酒席を先に退席するのは非礼であって、過去経験がない。そのために酒を殺して飲む術を身につけてきた。いくら飲んでも泥酔しないのを常としてきた。ところが昨夜はおっきーさんと増田さんを置き去りにしてしまった。不眠で透析を受けるとどうなるかが分かっていたからである。お二人には申し訳ないことをした。透析のない日なら朝までお付き合いしたのだが。

 土曜日は田中屋の栗林幸吉さんが来店なさった。嬉しい賓である。長時間の酒談義に有頂天外になる。ワインやモルトウィスキーから焼酎に至るまで、彼ほどアナログに酒に浸ってきた人は珍しい。何時も稀酒を馳走になっているので、わたしの方からはカルバドスを賞味していただいた。彼の人となりについては幹郎さんが書いていらっしゃる。雑誌「嗜み」連載の一齣であり、是非お読みいただきたい。
 熟成されたウィスキーには光陰がもたらす深いなれが、やんちゃな酒には蒸留所の稟質が烽火のごとく立ちのぼる。それら総体を引っくるめて酒の個性がある。問題はその個性が好きか嫌いかである。一切の理屈は通らない、酒の世界にバーチャルはない、悉くがアナログである。言い換えれば抽象はなく、カスクがもたらす一樽ごとの香りが揺蕩う。概念の分析は意味をなさず、嗅ぐ飲むから生じる内的体験がすべてをなす。そして、酒の好き嫌いに関して彼と意見を異にしたことはない。そのような例は滅多にあるものでない。過去催された七十二次に及ぶモルト会は彼の手を煩わしている。ですぺらは栗林さんがあってはじめて自在にはためくことができたのである。


2011年08月18日

遺伝  | 一考   

 心胸比が上がっている。透析をはじめた頃は37から39だったが、今は46.5。それに応じて血圧も上がっている。前収縮期血圧が160、前拡張期血圧が97平均。180を超えれば降圧剤を服用するように云われているが、もっかのところ160で落ち着いている。前収縮期血圧が100から160までが透析患者の正常値である。長く低血圧に悩まされてきたので、体調は良い。
 薬効あらたかで血液検査は万全である。何時ものことだが、尿素窒素が56でやや低い。尿素窒素は60から100が正常値だが、56以上に上がったことがない。食欲がないのだからこればかりはどうにもならない。
 ドライウェイトを一挙に1.5キロ減らされたのは参ったが、最近は徐々に減少している。今日から500グラム減らされることになったが、除水は100グラムから300グラムの間で安定している。従って500グラムの体重減なら納得がゆく。
 血便、血尿で常に検査を繰り返される。血便は憩室、血尿は結石だと思っているが、結石はともかく、憩室には最大限の注意を払っている。主たる死因になる可能性が高いからである。
 本日の医師は泌尿器科である。結石はどうなっているかと訊かれたが、わたしには応えようがない。透析に至ってから結石とはおさらばしている。医師からエコー検査を受けるように云われた。二十四日の予約だそうである。その後の腎臓がどうなっているのか、知るのも一興。

 歯科医師から電話があって、病院へ出頭。四回にわたって麻酔をかけての歯石除去は歯の根っ子の掃除(ルートプレーニング)だったと聞かされる。どうりで痛い筈である。残る一本の虫歯の治療に取りかかる。内部でかなり雑菌が繁殖していて、ちょいと面倒そう。それにしても巧い医師である。
 歯石には個体差があって、おっきーさんは半年に一度。わたしの場合は三箇月ごとだと一日で済むらしい。いずれにせよ、血中カルシウムが理由らしく、遺伝する可能性が高いと聞く。腎結石が遺伝するのをわたしは畏れている。


2011年08月17日

営業日  | 一考   

 来週の二十二(月)、二十三(火)は営業日、どうかよろしく。

 書きたいことがあるものの、書きたくない。ただ、当店はショットバーであって談笑屋や団欒亭ではないとだけ書いておく。二十三日までのわたしの願いです。それ以降は気が済むまでごゆるりとなさって下さい。


大衆  | 一考   

 北海道長万部町のゆるキャラ「まんべくん」のツイッターでの発言をめぐって同町に苦情が殺到、炎上するとのニュースがあった。「明日は終戦記念日だから、まんべくん戦争の勉強をするねッ」と書き込んだ上、「日本の犠牲者三百十万人。日本がアジア諸国民に与えた被害者数二千万人」「どう見ても日本の侵略戦争が全てのはじまりです」との発言内容だった。
 書かれた内容は事実であって、まんべくんの文言のどこに無理があると云うのか。ブログが炎上に至った理由が分からない。
 中国の高速鉄道の死者数は三十五人となっている。河南平頂山の炭鉱事故の死者も三十五人、重慶の大雨による死者も三十五人、雲南の大雨による死者も全省で三十五人だった。死者が三十六人を超えると市共産党委員会の書記長が免職になるからだそうである。中国では三という数字は「多数」を意味する。従って南京大虐殺の死者三十万人、抗日戦争の中国側の死傷者数を三千五百万人というのも同じ論理である。
 そのような中国発表の数値をそのまま引用したのならいざ知らず、二千万人というのは日本国家が認めた人数である。太平洋戦争の引き金になったのは支那事変である。中国からの撤兵を拒否したがゆえのABCD包囲陣だった。さまざまな意見があるだろうが、軍部で日米開戦をのぞんでいた者はいなかった。大衆がはたまたマスコミが戦争を讃美し煽ったのである。大衆は常に国家をも在らぬ方向へ引きずってゆく。長万部町の謝罪文が掲げられていたが、自治体が謝る必要がどこにあるのか、ネットも同じ大衆であって多数はほとんどの場合間違いを犯す。

追記
 野田佳彦財務相が「A級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない」との立場を再確認したことに韓国政府が反発している。総体としての日本国民が戦争犯罪人だったと云いたいが、それでは裁判が成り立たない。彼等は国民の代表として裁かれたのである。市井の臣ならいざ知らず、国家の代表者たる大臣が云うべきことではないだろう。


2011年08月16日

七月十二日  | 一考   

 大泉女史来店、付き合いは四十年を越える。親友ならぬ心友。無理をしてウィスキーを三杯飲んでいたが、寿命を縮めることにならねばよいが。貴方は酒は断ったのと訊かれたが、この一年まったく飲んでいない。飲まずに生きてゆかれないでしょうとの問い掛けである。十代、二十代の頃の友はみんな人生を抛げていた。擲身そのものが文学だった。六十を過ぎても基本はなにひとつ変わらない。素面ではとても生きてゆかれない、四六時中杯を傾けていた。
 血管の硬化によって穿刺が不可能になり、次回の癌の摘出手術はできない。今生の別れを告げられたが、お互い癌で死ぬのかもしれぬ。共に医師から余命を宣告されながら生き延びている。
 彼女が大手術をしたとき、為事の残務処理を頼まれた。「とまる身も消えしも同じ露の世に心おくらむほどぞはかなき」後に残された身も亡き者も同じ、露の世に心を残すのは儚く虚しいとおもわばこそ引き受けた。
 二年を経て今度はわたしがよくもって二週間と劃られた。限定本を拵えてきたその為事に相応しい劃り方と思ったが、死ななかった。二十歳のときからの死に損ない、そうは簡単に死なせてくれないのかもしれぬ。
 贈られた一輪の薔薇、初対面からのこころの郷愁はいまなお消えず、いやさ深まるばかり。


2011年08月15日

アードベッグ  | 一考   

 3月8日に「 ショットの値段 」を書いた。アードベッグの一部分の値を載げたが、60年代、70年代のアードベッグが2000円から5000円までで飲まれる。ちなみにボトルの値段は7万円から20万円である。まったくの赤字なのだが、飲んで頂きたいがゆえの遊びだった。応じてくださったのは幹郎さんとおっきーだけだった。それもあと一週間、それ以降はショットで5万円になるやもしれず。高級酒は二度と扱わない。


ジュレ  | 一考   

 ポン酢と柚子胡椒のジュレが流行っている。柚子胡椒のジュレ(ユズリッチ)は合鴨に合うので以前から使っているが、ポン酢のジュレについて一言。
 ジュレを用いるのは基本的に冷菜が多い、そして冷たい料理は味覚を狂わせる。生ぬるいコーラを飲みにくいのと同じで、冷やせば冷やすほど味覚は鈍感になる。香りを楽しむウィスキーにわたしは氷やソーダを用いないが、その理由も同じである。
 調味料はいかに少量を用いるかに料理の本懐がある。素材本来の味わいが分からなくなるからである。ソースを楽しむフランス料理と素材を楽しむ割烹調理との違いでもある。
 冷菜にジュレだと、使用量は普段の二、三倍になる。メーカーの狙いはポン酢の消費量を増やすことにある、従ってメーカーの勝利である。わたしは腎不全なので、醤油の替わりにポン酢を使っているが、量が増えれば同じである。
 昨今の拉麺や牛丼など、味わいは際限なく濃厚になっている。ポン酢のジュレの好評に伴い、醤油をはじめさまざまな調味料がジュレ化するに違いない。益々もって日本人の味覚は狂ってゆく。


2011年08月13日

歯科医師  | 一考   

 右側下部の歯石除去、次回からは歯の根っ子の歯石除去のようである。あまり気が進まないが、捨て置くと歯周病〈歯槽膿漏〉になるようである。医学用語で云えば、スケーリングが済んでこれからはルートプレーニングになる。しかし、歯周病になるまでわたしは生きていない。
 それよりも、驚かされたのはわたしの歯石は過去体験した治療のなかでもっとも硬かったそうである。そして歯石の硬いひとは身体に石が出来やすいらしく、医師から胆石のはなしを何度も聞かされた。透析治療を受けていることは最初に伝えたが、透析に至った理由は述べていない。通常だと糖尿を思い浮かべる筈である。腎結石が腎不全の理由だと応えたところ、歯を触れば諒解できると一言。
 腎結石に関しては十数度の体外衝撃波治療を受けたが石は割れず、流れもしなかった。よほど堅牢な石だったようである。 この衝撃波は本来は潜水艦攻撃の兵器として考案されたが実用化に至らず、医療機器に応用され成功したもの。
 昨夜、偶然歯科医師がいらした。貧乏作家や編輯者を多く治療している、その世界では識られた医師である。ちらと見ただけで、一考さんの歯は頑健だと云われた。歯が丈夫かどうかはそのひとの体躯と大きく関係する、頑丈そうな骨組みであると。
 病人を掴まえて頑健もないものだが、透析に至った理由のひとつが氷解した。


2011年08月08日

牛丼  | 一考   

 三度連続でドライウェイトを切った。口腔が痛くて食事どころでない、歯茎の内側の歯石を取るに麻酔を用いている。あと右側下部で終了の予定。長く捨て置いたので歯石ががちがちに固く締っている。歯と歯の間に爪楊枝が這入るぐらいの隙が生じ、やっと健康体の歯になってきた。もっとも身体は健康からはほど遠いが。
 食事のせいで尿素窒素は下がり続けているが、他の項目に異常は見られない。何時も書いていることだが、尿素窒素と除水率が少ないので看護師は食事を勧める、しかし食事を摂ればリンやカリウムが増える。リン、カリウムは共に最高値に張り付いたまま、迂闊に食べられない。
 体重を静止させるのは難儀である。通常の食事一食分あれば十分である。されば一食分を二回か三回に分けて食べることになる。外食が出来なくなった最大の理由はここにある。
 牛丼屋は庶民の味方とわたしは思っているが、並盛りの三分の一はさすがに註文できない。牛丼で思い出したが、通常、焼肉屋で用いる肉はA3かA4である。ちなみにA4の卸値が五割から六割引きである。豚肉よりもはるかに安くなった。値がつかなくなった魚について前記したが、牛肉がそれを追っている。
 牛丼屋が用いる肉はB級、もっとも高価なY家の肉がB3、適正利潤はともかく、三百円であれば成り立つ。牛肉より飯の方が原価が掛かっているように思われる。もっとも現状は体力勝負、存続を賭けての値引き合戦になっている。庶民に気遣いは無用、他人の戦争を横目に、十円でも安い牛丼を楽しめばよい。わたしのように牛丼すら食べられない身体になるとお仕舞いである。


ノース・ポートについて  | 一考   

 モルト会の変更、ノース・ポートの解説です。

00 ノース・ポート '79(レア・モルト)
 20年もの、61.2度のカスク・ストレングス。
 ライトでドライな飲み口、程良くシェリーが効く。香りは鼈甲飴とグレープシード。味はとろっとした甘さとペッパーのスパイシーがバランス良く共存。洋梨のような余韻、グレネスクと似ている。
 アンガス地方のもっとも古い町のひとつブレチンの蒸留所。1823年にブリーキン蒸留所となり、1839年にノースポートと改められる。1983年に突然閉鎖され、建物は取り壊された。ディアジオ社の生産調整によるもので、1983年から1985年までの三年間で実に21もの蒸溜所が閉鎖に追い込まれた。現在ブレチンに残る蒸留所はグレンカダムのみ。共にディスティラリー・ボトルのシングル・モルトは一度も頒布されていなかったが、蒸留所閉鎖後、ディアジオ社からブリーキンの名で28年ものカスクストレングスがボトリングされている。ブリーキン(ブレチン)は蒸留所があった町の名前。
 ゴ−ドン&マクファイル社とセスタンテ社から加水タイプが、ケイデンヘッド社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社、マキロップ社、シグナトリー社、リンブルグ・ウィスキー・フェスティバルからカスク・ストレングスが頒布されている。


2011年08月06日

レアモルト出現  | 一考   

 レアモルト「ノース・ポート」が拙宅から出てきた。在庫は他にもあると思うのだが、地震以降散らばったままで何がどこにあるのかが分からない。いずれにせよ、モルト会の解説は書き直す。アードベッグとノース・ポートを差し替える。
 モルト会はお陰で満席となった。有り難うございました。


「澤」特集永田耕衣  | 一考   

 「澤」の特集永田耕衣が上梓された。特集のみで二百四十七頁の大冊である。高橋睦郎と小澤實の対談を巻頭に安井浩司、仁平勝、鳴戸奈菜、橋本真理と並んで耕衣の云う「絶景」がここにもある。カラー四十頁に及ぶ耕衣書簡、遺墨は圧巻、よくぞこれだけのエッセイを蒐索、誌面を編まれたものと感心する。文中、間村俊一が「梅が笑う」と題してわたしのことを書いてくださっている。過日、装訂した「耕衣百句」と「しゃがむとまがり」についてのエッセイ、ありがたいことである。
 耕衣の作品は非凡だったが、日常は三鬼のようにもしくは橋本真理のように非凡なものでなかった。そこのところを橋本真理がどのように料理するのかがわたしの着目点だった。趣味で対象を撰ぶ、言い換えれば偏愛といった要素を突き放し、彼女はそれに真向から応えてくださった。四十年前と比して彼女の立ち位置は不動、論法は冴え渡っている。蓬勃たる気に充ちている。耕衣はまた傑れた読み手を得た。
 土肥あき子「遠くて近き」とのエッセイと同じ土肥あき子編になる「鹿火屋」石鼎選耕衣俳句一覧との労作が掲げられている。耕衣から幾度となく石鼎のはなしは聞かされている。興味津々、このような書誌学は大賛成である。大冊ゆえ、これから時間をかけた彷書三昧になる。〈文中敬称略〉

住所 東京都調布市深大寺東町8-17-4 原方 澤俳句会


2011年08月05日

歯石除去  | 一考   

 尋常な方策で取られず、麻酔をかけて二ブロックの歯石除去がはじまった。取敢えず、上顎の右半分である。力任せに削るので後々響くだろうなと思いつつ清掃は済んだが、口腔全体が痛い。夜になって痛みはさらにひどくなる。食事などまったくできない。相澤さんが来られたが、満足な会話もかわせない。
 夜が明けて早朝から透析である。ドライウェイトを切っているので看護師は「除水はゼロですね」と念を押す。「ですから加水してください」と冗談を云う。冗談を云える看護師と云えない看護師がいる。その見極めが難しく、たまに悶着を起こしている。特にドライウェイトの変更に関しては、口煩い看護師がいる。このようなことは医師か当人が決めることなのに。体重を増やせば血圧が上がる。それを心配してのことなのだが、わたしは透析がはじまってから降圧剤を飲んでいない。180を超えれば飲むようにいわれているが、超える心配はない。
 今日は上顎の左半分、いささかうんざりだが、医師はわたしの歯を思ってのこと。適宜処置していただくしかない。

 相澤さんとはこのところ俳句のはなしばかり。江戸三百年の間、和歌は惰眠を貪っていただけ。その点、俳句はとんでもない言語空間の探検を繰り返している。なにはともあれ、蕪村をはじめとする現代詩の基盤を生んでいる。それが理由かどうかは分からないが、相澤さんから肉筆の句集を頂戴した。収録句は二百句を超える。彼は詩人であり歌人だが、やはり俳句も書かれていた。活字にはしないとの句集を手に、読まれる嬉しさと遺稿集を頂戴したような複雑な心持ちである。


2011年08月03日

始業時間  | 一考   

 明日から営業時間を一時間早く19時15分始業にする。駐車場の夜の部が19時からになったからである。しかも午前8時まで300円で打ち止めという超安値である。ちなみに、昼の部は1200円の打ち止め。終日駐車しても1500円である。東京中でもっとも安いのでないだろうか。ただしオープニング・キャンペーンであって、早晩値上がりする。

あれこれ
 モルト会解説に若干の書きミスがあってもっか修正中。モルト会ご参加の電話に恐縮、あと二日で満席の予定。会費は二、三割は値引きしている。レアモルトのうち三本は新規開栓、別途サービスも考えている。


2011年08月02日

ですぺらモルト会  | 一考   

8月13日(土曜日)の19時半からですぺらモルト会を催します。
通算72回目、2010年7月以来だから恰度一年になります。内容は前項の通り。
最後ゆえ、癖の強いモルト会と思いましたが、結局レアモルトに落ち着きました。
会費は15000円の予定。
フードは造らないので、事前に食事を済ませてください。
前項で書きましたが、ブローラは五人分しか在庫がなく、飛び込みはお断り致します。
必ず連絡してください。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


ですぺらモルト会解説(レアモルトを飲む)  | 一考   

 レア・モルト・セレクションは花と動物シリーズの好評に気をよくしたユナイテッド・ディスティラーズ(U.D)社がすでに閉鎖された蒸留所や稀少なモルト・ウィスキーを樽出しにて94年よりボトリング。より高価、よりレアなコレクションとして愛飲家に大いなる刺激と満足感を与えたが、既に廃止された。
 熟成に用いたカスクはシェリー樽が多いが、アメリカンオークやヨーロピアンオークのリフィールカスクが主として用いられている。
 知る限りではインチガワー、オルトモーア、カードゥ、カリラ、クライヌリッシュ、クレイゲラヒ、グレン・オード、グレンダラン、グレンモール、グレンユーリー・ロイヤル、グレンロッキー、コールバーン、コンバルモア、セント・マグデラン、ダフタウン、ダラス・ドゥー、ダルユーイン、ティーニニック、ノース・ポート、バルミニック、バンフ、ヒルサイド、ブレア・アソール、ブラッドノック、ブローラ、ベンリネス、ベンローマック、ポート・エレン、マノックモア、ミルバーン、モートラック、リンクウッド、ローズバンク、ロイヤル・ブラックラ、ロイヤル・ロッホナガーが頒布されている。
 その内、ブレア・アソール、グレンモール、ミルバーン、リンクウッド、ベンリネス、オスロスク、コンバルモア、バンフ等の在庫が僅少だがまだある。2001年のリリースにブラッドノックがあって、もっとも新しいボトルでないかと思われる。他ではグレンモア〈バーボン〉がボトリングされている。
 忘れられないのが、花と動物シリーズのカスク・ストレングスで逸品揃い。アバフェルディ、オルトモーア、カリラ、クライヌリッシュ、ダルユーイン、ブレア・アソール、モートラック、リンクウッド、ローズバンクが出ている。96年から97年にかけてレアモルトと並行してボトリングされたが、値以外レアモルトとの違いがどこにあるのか分からない。ただし、香味がまったく異なるのは云うまでもない。

01 カリラ '75(レア・モルト)
 21年もの、61.3度のカスク・ストレングス。
 他に74年蒸留の20年ものと77年蒸留の21年ものあり。
 酒質は軽く色は淡いが、うがい薬や消毒液の錯綜した臭い、スモーキーかつシャープな辛口。しかし、バランスのなさとでも云うべき蒸留所の特徴がU.Dにかかると薄らぐ。カスクのせいだが、ピリピリ感がなくまろやか、より繊細にしてしたたかな味わいに化ける。花と動物の加水タイプはそれが顕著で、とても飲まれたものでない。比較だが、花と動物のカスクストレングスがもっとも、蒸留所の個性を出している。レアモルトはあまりに旨すぎる。バランスのよさで一歩抽(ぬき)んでていると云えば聴こえは良いが、アイラモルトに求めるものでないだろう。

02 クレイゲラヒ '73(レア・モルト)
 22年もの、60.2度のカスク・ストレングス。
 創設は1888年。株主のひとりピーター・マッケーが1890年にブレンデッド・ウィスキーのホワイト・ホースを発売。爾来ホワイト・ホースのメイン原酒となった。現在ではデュワーズのメイン・モルト。
 1998年、ギネス社とグランドメトロポリタン社が合併してディアジオ社が誕生、傘下のUDV社とIDV社も一つにまとまった。しかし、合併は独占禁止法に抵触。デュワーズ社と傘下の四つの蒸溜所をバカルディ社に売却、以降のバカルディ社のニュー・ボトルはアバフェルディのみ。
 ディスティラリー・ボトルは同じU.D社の花と動物シリーズだったが、それと比して遙かにリッチ。アイリッシュ・クリームの香り、オレンジやナッツの風味、長く濃密なフィニッシュ。最良の食後酒のひとつ。元々はオスロスクやダフタウンに似て、心地よいが幾分ショートなフィニッシュが特徴だが、本品のフィニッシュはロング。そのあたりがレアモルトの真骨頂。

03 マノックモア '74(レア・モルト)
 22年もの、60.1度のカスク・ストレングス。
 グレンロッシーとは兄弟蒸留所。共にヘイグとディンプルの重要な原酒モルト。蒸留所の近辺には多くの丘や森が点在し、野鳥の宝庫として識られる。リンクウッドと共に花と動物シリーズのラベルがよく似合う。
 1989年に操業再開。樽の内側の焦がし方が尋常でなく、ウィスキーの色合いを濃厚にする要因となっている。
 フレッシュでクリーン、絶妙の軽み。青い果実、シリアル系の香り。フィニッシュにシナモンの香、暖かみのある切れ上がりを経て、心地よいラスト・ノート。
 ロッホ・デューと名付けられたブラックウィスキーを造っている。内側を極端に焦がしたオーク樽を熟成に用いる。ナッツの香りと太いボディ。滑らかにして濃厚な飲み口と口腔に残る苦みが特徴。わたしの趣味ではないが。

04 モートラック '78(レア・モルト)
 20年もの、62.2度のカスク・ストレングス。
 ダフタウン最古の創業、スペイサイドのよさをすべて備えたメローな食後酒。ジョニー・ウォーカーの原酒モルトのひとつ。六基のポット・スティルはすべて形状が異なり、蒸留作業は煩雑を極めるという。幸いにして、その工程がモートラックの豊かなこくを生み出す要因になっている。
 チョコレート、ダーク・ラム、シェリー酒等の深い甘味、豊かなフルーツ香とペカンの実の香り、僅かに青林檎のキャラクター、充実のフル・ボディ。甘さとピート香のバランスに優れる。どこまでもまろやかにして濃厚、穣々たるフィニッシュ。

05 ヒルサイド '71(レア・モルト)
 25年もの、62.0度のカスク・ストレングス。ボトリングは97年。
 VAT69の核をなす原酒だったが、1985年に閉鎖。モルト・ウィスキーの生産は休止したままである。今後、入手が困難になることは必定。
 モルトの生産は停止されたままだが、麦芽製造部門はフル稼動。アバフェルディをはじめとするU.D社傘下の蒸留所に麦芽を供給し続けている。
 ライトでドライな飲み口だが、若干アルコール臭がある。フィニッシュは長く、スパイシーななかに甘味が残る。
 蒸留所名が幾度となく変わっているが、グレネスクと改名された1980年までの名称はヒルサイド。ケイデンヘッド社とゴ−ドン&マクファイル社から加水タイプが、ケイデンヘッド社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社からカスク・ストレングスが頒布されている。なお、ヒルサイド名義のボトルは本品のみ。

06 グレンユーリー・ロイヤル '70(レア・モルト)
 28年もの、58.4度のカスク・ストレングス。
 同じヴィンテージの29年ものもある。
 アーモンドの香りに、蜂蜜、ピスタチオ、アンゼリカ、ミントの味わい。ライト・ボディだが、酒質は堅く、しっかりしている。緑葉もしくは樹皮を噛んだようなフィニッシュは長く、シナモンの華やかな芳香が残る。
 アロマティックなウィスキーを代表する、東ハイランドの隠れた美酒。宅地開発のため、1985年に蒸留所は閉鎖、ライセンスは92年に取り下げられた。
 他ではカスク・ストレングスがシグナトリー社、ダンカン・テイラー社から頒されている。本品は例によってオロロソ・シェリーのアロマが顕著。そのユナイテッド・ディスティラーズ社から1953年蒸留のの50年ものがボトリングされている。1953年はDCL社(現在のUDV社)がオーナーになった年。

07 ティーニニック '73(レア・モルト)
 23年もの、57.1度のカスク・ストレングス。
 同じヴィンテージの27年ものあり。
 ヒースの花のエキスを用いたウィスキー・リキュール「ドラムブイ」の原酒モルトとして有名。
 生産量は多いが、大半がブレンド用。ケント州の独立瓶詰業者ザ・マスター・オブ・モルト社の17年ものしか手に入らなかったが、1992年から花と動物シリーズが出回るようになった。
 ゴードン&マクファイル社、サマローリ社、ヘッジス&バトラー社、ベリー・ブラザーズ&ラッド社、イアン・マクロード社、ムーン・インポート社から加水タイプが、キングスバリー社、ダグラス・レイン社、イアン・マキロップ社からカスク・ストレングスが頒布されている。

08 ブローラ '77(レア・モルト)
 21年もの、56.9度のカスク・ストレングス。
 ナッツのオイリーな風味と熟した果実の甘さ。煤の臭い、焦げたオークのスモーキーなキャラクター、噛みごたえのあるタンニンを伴うスパイシーなフィニッシュ。クライヌリッシュと比してドライ、また極めてスモーキー。
 残僅少につき足りないときはご勘弁。
 1967〜8年に新築された蒸留所がクライヌリッシュと名付けられるまでは、旧蒸留所がクライヌリッシュと呼ばれていた。そして、その旧蒸留所がブローラと改名されたのである。従って、ブローラ蒸留所名義で造られたモルト・ウィスキーは69年から83年までの14年間のみ。69年以前に蒸留されたクライヌリッシュはブローラと同じものである。現在、跡地はクライヌリッシュの熟成庫とヴィジター・センターになっている。
 アイラのポート・エレン、ローランドのセント・マグデラン同様、ストックが尽きた段階で飲めなくなるモルト。強烈な個性を味わえるのは今を除いてない。

09 セント・マグデラン '79(レア・モルト)
 19年もの、63.8度のカスク・ストレングス。
 蒸留所が建てられたのは1765年、しかしアダム・ドーソンによって蒸留がはじめられたのは1797年とされる。1914年、ローランドの五つの蒸留所が吸収合併してできたSMD(スコティッシュ・モルト・ティスティラリーズ)に参加。リトルミルやローズバンク等と共に最古参の蒸留所だったが、1983年に閉鎖。建物は外観はそのまま、高級アパートになった。ストックが尽きた段階で永久に飲めなくなるモルト・ウィスキー。地名のリンリスゴー名義のボトルもある。
 ローランドの特徴であるソフトでスムースな飲み口、ニートが似合うミディアム・ボディ。フィニッシュは程良く、スイートからドライへ。後口にごく僅かな苦み。
 ローランドの銘酒キンクレイスの生産終了が75年、レディバーンが76年、ついで「幻の酒」と化すのがセント・マグデランである。ディスティラリー・ボトルは頒されていない。かつてのボトル70年蒸留のレア・モルトは極めて入手困難。

10 アードベッグ '67(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。ダーク・シェリー樽の32年もの、47.5度のカスク・ストレングス。限定185本のシングル・カスク。
 レアモルトを十本揃えるつもりが足らなくなった。そこでレアモルトのコンディションに近いものから本品を撰んだ。ダブルマチュアードと異なり、32年間シェリー樽で熟成されたモルトである。いささかカスク由来の渋味が強いが、珍品であるに違いない。
 似たボトルがシグナトリー社からもボトリング。67年蒸留、ダーク・オロロソの樽による30年もの、49.8度のカスク・ストレングス。香味はこちらに軍配が上がる。


2011年08月01日

レアモルト  | 一考   

 駐車場を探しに六時に赤坂へ出てくる。かなり手広く宮城から新宿通一円を探すも、隣ほど安いところはなく諦める。最安値がやはり一時間六百円といったところ。明日からは知己の紹介で麹町の駐車場が使えるやもしれず。その具合によって営業時間を決める。

 十三日のモルト会の原稿が進まない。最後なので気を入れているのだが、思うに任せず。レアモルトだけのモルト会ははじめてだが、レアモルトがどれだけのボトルを出しているのかがよく分からない。西明石開店当時は二、三万円のボトルばかりで、高くて買えなかった。今では三万円など普通になったが。要するに馴染みのないボトルが多くて全貌が掴めない。同じ作るのならレアモルト一覧を拵えたいと思っている。

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