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2007年12月 アーカイブ


2007年12月31日

うまざけ  | 一考   

 二十時までが千八百円、それ以降が五百円との破格の駐車場が近くで見付かった。その金数すら工面できないのでバイク通勤に変わりはないのだが、今日だけは別。運転の面倒を見てくださるひとが現れたので、車で行く。これで酒を嗜むことができる、よい甘酒であってほしい。


2007年12月25日

わさび菜  | 一考   

 書き忘れたが、大晦日のパーティは七時の九時になる。それ以降は例年通り、酒を喰らって豊川稲荷行きとなる。お付き合いくださる方がいらっしゃれば幸いに思う。
 蕎麦の替わりに蕎麦雑炊を食する予定、こちらの出汁を作るのに一時間ほどの猶予が欲しい。レシピ通りに作ると不味いので、かなり薄めの饂飩の出汁を拵えるつもり。蕎麦雑炊は一人前は作られない、一人前だと鶏卵の量が多すぎて具入りの玉子スープになってしまう。

 わさび菜と称するものを買ってきたが、わさびの葉の部分ではなく、「ダイコン葉に似た大きな欠刻がある葉形で、葉面がちりめん状に縮む丸茎のからし菜」だそうである。鼻に抜けるような辛みがほとんどなく、サラダ、漬物、お浸しにとある。また「独特の形状と風味からレタス、パセリに代わる生食、装飾野菜としても好適」と書いてある。
 真物のわさび菜と同じ食べ方を試みたが不味い。もったいないので縮緬と鰹節をまぶして食べているが、実に紛らわしい食品である。わさび菜の醤油漬けと蕎麦の実の浅漬は蕎麦と相性がよく、信州や山形ではいつも食している。商品名を変えるべきでないだろうか。


其他の寡多録  | 一考   

 ビール、焼酎、ワインは最低限のものを蔵した、日本酒は置かない。ブランディー、ブレンド・ウィスキー、アイリッシュ、バーボン、ジン、ウオッカ、ラム、テキーラ、フォーティファイド・ワインその他は僅かづつだが置いている。
 ブランディーの在庫は十一種だが、今後はアーリー・ランテッドとグラン・シャンパーニュのみ増やす。ブレンド・ウィスキー五種とアイリッシュは三種だがこちらは廃止。バーボンは十九種類だが、ハーパーやローゼスなどコンビニやスーパー向けの月並なブランドは廃し、スモールバッチもしくはシングル・バレルのみ置く。
 ジンはピムリコとプリマスをメインに、ボトラーが扱う特種な商品のみに限定。ウオッカは今の在庫がなくなればスミルノフの黒ラベルのみ置く。テキーラは廃止。ラムは結構な在庫があるが、それがなくなればケイデンヘッドのヴィンテージものに統一。フォーティファイド・ワインは以前の店で懲りたので、若干の在庫はあるが店には置かない。
 さて、問題のワインだが、こちらは在庫を小出しにする。高級品は売却し、大した量ではないが、それでも三、四十本はある。私事ながら、ワインでは松友さんの世話になりかつ甚大なご協力を得た、感謝したく思う。

 モルト・ウィスキーの在庫寡多録がほぼ出来上った、これで店と自宅との照合が可能になる。在庫は約五百本、店との重複は百本ほどである。先日の「新規ボトル」へダグラス・レイン社のオスロスクとオーバンをはじめ、数種を加えたい。
 現在、モルト・ウィスキー以外の寡多録を作っている。こちらは四頁ほどにしかならない。店が小さくなったので特化するしかない。モルト・ウィスキーも既に全蒸留所は揃えていない。揃える必要を覚えないからである。特化とは他にはない自己主張の強いモルトの意。思うに、嗜好とは物事に対する心得乃至は覚悟を意味する。好き嫌いなどという小事をのみ示唆するにとどまらない。


2007年12月23日

 | 一考   

 昨夜はありがとうございました。お手伝いさんがいらっしゃる日には道産品を用いてちょっとした料理を作りたく思う。今後ともどうかよろしく。

 岡田夏彦さん絡みの出版記念会は大晦日になりそうである。大晦日とは面白い、というのが催しの理由。十名の宴会になる。これで大つごもりの売上は確保された。
 東北地方では、この夜をミタマノメシという。握り飯十二個に箸を立てて箕に入れ、仏壇や神棚に供える。大晦日が迎春であると同時に祖霊祭であったことを示唆している。現在では「大みそか」は女性の晩婚化の隠語として用いられる。されば、「新年」の伴侶は亭主でなくて仕事であろうか。
 気仙沼の出版社は芸術生活の編集長だった丸山(漢字が正しいかどうか不明)さんが営んでおられるとの由。其の上、芸術生活では山本六三さんをはじめとしていろいろと厄介を掛けた。七十年代のはなしである。再会を楽しみにしている。


2007年12月22日

磯の香  |  おきやま

今日のですぺらは、モルトバー 兼 磯の幸屋になっています。
北と西の潮の香が交叉する、鯛の子,海螺,錦松の図。

雨が雪に変わりそうな東京にて。

TodaysDespera.png


海螺貝其の参  | 一考   

海螺貝入手、序でに他の刺身も購入。また、鯛の子の煮付けもこれから作ります 。今日はお手伝いさんがいらっしゃるので大丈夫。久しぶりに厨房始動致します。
それにしても、昨日痛打した膝が傷む。よって、店主も酒を飲みます。


2007年12月21日

海螺貝其の貳  | 一考   

 明日の海螺貝がどうなったのか訊こうと思って魚屋へ行く途中、危うく接触事故を起こすところだった。自転車相手に道路交通法を説いても詮ないはなしで、弱者云々でこちらが一方的に悪者にされる。双方に怪我がなかったのがせめてもの救いであった。
 一昨日、帰りの川越街道でスポーツカーとバイクの事故があった。バイクは車の下敷きになって大破、乗っていた方はどうしたのであろうか。スポーツカーは中央分離帯へ激突して停車、フロントはふたつに折れ曲がり、エンジンは剥き出しになっていた。
 それかあらぬか、バイクのときは不必要なほど安全運転を心掛けている。すり抜けは言うに及ばず、信号などで停車中の四輪の横を抜けるときは十キロ以下に速度を落とす。そして左側の車線は原則走らない。タクシーは客をしか見ていないので急停車は日常であり、白ナンバーは曲がり始めてからウインカーを出す。またトラックからバイクは見えない。追い越し車線を車の流れに乗って走るのが無難である。
 前述の件だが、接触しそうになると私はバイクを意志して顛倒させる。左への顛倒は得意だが、右へのそれはぎこちない。今日は自転車の位置関係で右への顛倒だった。従って、右のウインカーを飛ばし、前輪の泥除けをひん曲げ、サイドバックを傷だらけにした。左脚の膝をしたたか打ったが、ズボンの下に膝当てをしていたので事なきを得た。冬場は身体が固くなっているので要注意である。それにしても、相手が俊敏な若者だったので助かった。衝突までの距離は二、三十センチ、甚く恐縮する彼の名前も住所も聞かずに別れたが、心から感謝する。
 ちなみに、海螺貝はそれきりである。明日もう一度出掛けるつもり。


2007年12月20日

新規ボトル  | 一考   

 野島さんから頼まれたリストだが、こちらへ掲げておく。開店に際し、自宅から持ち込んだ六十余本の新規ボトルである。解説は全文を端折った。
 新規ボトルとしてあと四十本を予定しているが、現状では棚に入らない。みなさん、飲みに来てくださいな。

タリスカー '79(スコッチ・モルト・セールス)
  ディスティラリー・コレクションの一本。フィノ・シェリーの21年もの、58.0度のカスク・ストレングス。
レダイグ・シェリー(ディスティラリー・エディション)
  ミレニアム記念の限定エディション。シェリー・フィニッシュにして、42度。
レダイグ '92(クライズデール)
  熟成は6年11箇月、63.4度のカスク・ストレングス。限定300本のシングル・カスク。
スモークヘッド(イアン・マクロード)
  43度。中身はアードベッグ。
アードベッグ '91(ゴードン&マクファイル)
  スピリッツ・オブ・スコットランドの一本。13年もの、52.6度のカスク・ストレングス。318本のリミテッド・エディション。
アードベッグ '91(スコッチ・モルト・セールス)
  ディスティラリー・コレクションの一本。バーボン樽の10年もの、60.1度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。ボトリングはグラスゴーのマルコム・プライド社。
アードベッグ '00(インプレッシブ)
  6年もの、62.7度のカスク・ストレングス。
アードベッグ '93(ダグラス・レイン)
  オールド・モルト・カスクの一本。10年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。限定348本のシングル・カスク。
カリラ '00(キングスバリー)
  ザ・セレクションの一本。ホグスヘッドの6年もの、43度、1397本のリミテッド・エディション。
カリラ・カスク・ストレングス(ディスティラリー・エディション)
  55.0度。ディスティラリー・ボトルのカスク・ストレングス。
カリラ 18年(ディスティラリー・エディション)
  43度のディスティラリー・ボトル。
ボウモア '91(イアン・マクロード゙)
  チーフテンズの一本。バーボン・ホグスヘッドの10年もの、43度。2樽、798本のリミテッド・エディション。
ボウモア12年(ディスティラリー・エディション)
  40度のディスティラリー・ボトル。
ボウモア・ダスク(ディスティラリー・エディション)
  クラレットの14年もの、50度のディスティラリー・ボトル。
ボウモア '89(ディスティラリー・エディション)
  16年もののディスティラリー・ボトル。51.8度のカスク・ストレングス。
ボウモア '82(ダンカン・テイラー)
  ピアレス・シリーズの一本。オーク・カスクの24年もの、51.5度のカスク・ストレングス。165本のリミテッド・エディション。
アイラ・ストーム12年(ジェームズ&ソンズ)
  40.0度。中味はラガヴーリン。
アイラ・ストーム・カスクストレングス(ジェームズ&ソンズ)
  58.0度のカスク・ストレングス。中味は10年ものと思われるラガヴーリン。
シングル・アイラ・モルト '98(グレン・スコマ)
  オーク・カスクの5年もの、46度、420本のシングル・カスク。中味はラガヴーリン。
ローハン・ソラン '90(スコッチ・モルト・セールス)
  ケルティック・クロスの一本。オーク・ホグスヘッドの11年もの、46度のシングル・カスク。中味はラガヴーリン。
アイラ '90(シールダイグ)
  シールダイグの一本。12年もの、55.0度のカスク・ストレングス。2樽583本のリミテッド・エディション。中味はラガヴーリン。
ラガヴーリン・ペドロヒメネス '79(ユナイテッド・ディスティラーズ)
  ザ・ディスティラーズ・エディションの一本。本品はフィニッシュに甘口シェリー・カスクを用う。43度。
ファラン・イーラ '91(イアン・マクロード)
  バーボン・カスクの12年もの、56.7度のカスク・ストレングス。318本のリミテッド・エディション。中味はラガヴーリン。
ラフロイグ・クオーターカスク(ディスティラリー・エディション)
  48度のプリファード・ストレングス。正規ボトル。
ラフロイグ10年(ディスティラリー・エディション)
  43度のディスティラリー・ボトル。旧ボトル。
ラフロイグ '90(シグナトリー)
  アンチルフィルタード・コレクションの一本。ポート・フィニッシュの12年もの、46度。
ラフロイグ '96(インプレッシヴ)
  インプレッシヴの一本。10年もの、56.6度のカスク・ストレングス。
グレン・スコシア12年(ディスティラリー・エディション)
  40度のディスティラリー・ボトル。
グレン・スコシア '92(キングスバリー)
  14年もの、46度のリミテッド・エディション。カスクはBRL、オロロソ・シェリーである。
スプリングバンク・ファウンダーズ・リザーヴ(ロッホデール)
  46度のミディアムボディ。ファースト・リリースは1800本のリミテッド・エディション。
スプリングバンク '97(ディスティラリー・エディション)
  10年もの、55.2度のカスク・ストレングス。
スプリングバンク '67(シグナトリー)
  32年ものにして49.1度のカスク・ストレングス。限定225本のシングル・カスク。
ヘーゼルバーン '98(アルシェミスト)
  オーク・カスクの8年もの、46度。2007年のボトリング。
ロングロウ '89(ディスティラリー・エディション)
  シェリー・バットの13年もの、53.2度のカスク・ストレングス。テキスト・ラベル2350本のリミテッド・エディション。
アベラワー10年(ディスティラリー・エディション)
  43度のディスティラリー・ボトル。
アベラワー15年(ディスティラリー・エディション)
  40度のディスティラリー・ボトル。
インペリアル22年(ロッホデール)
  オーク・カスクの22年もの、45.1度のリミテッド・エディション。
オスロスク '89(ケイデンヘッド)
  オーセンティック・コレクションの一本。シェリー・バッドの15年もの、59.5度のカスク・ストレングス。限定636本。
クレイゲラヒ '81(シグナトリー)
  オーク樽による16年もの、43度、限定410本のシングル・カスク。
グレンダラン8年(ディスティラリー・エディション)
  40度のディスティラリー・ボトル。
グレントファース '90(ウィスキー・ガロア)
  12年もの、46度。
グレン・マレイ・シャルドネ(ディスティラリー・エディション)
  40度のディスティラリー・ボトル。ノン・エイジだが7〜8年熟成のモルト。
グレンロッシー '89(マクギボン)
  プロヴァナンスの一本。10年もの、43度。
ノッカンドオ '87(ディスティラリー・エディション)
  12年もの、40度のディスティラリー・ボトル。
バルヴィニー '91(ディスティラリー・エディション)
  15年もの、47.8度のディスティラリー・ボトルにしてシングル・バレル。
ピティヴェアック '86(イアン・マクロード)
  チーフテンズの一本。バーボン・ホグスヘッドの14年もの、43度。4樽、1074本のリミテッド・エディション。
ピティヴェアック '93(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの一本。14年もの、43度。
ベンリアック '91(ドナート)
  ダン・イーディアンの一本。10年もの、46度。295本のリミテッド・エディション。
マッカラン12年(ディスティラリー・エディション)
  シェリー樽熟成の12年もの、40度のニュー・ボトル。
マッカラン12年(ディスティラリー・エディション)
  並行輸入の12年もの、43度の旧ボトル。
マッカラン・グラン・レゼルヴァ12年(ディスティラリー・エディション)
  45.6度のディスティラリー・ボトル。
マッカラン '73(マーレイ・マクデヴィッド)
  リフィール・シェリーの26年もの、46度のシングル・カスク。
ロングモーン '96(キングスバリー)
  ザ・セレクションの一本。ホグスヘッドの10年もの、43度。1110本のリミテッド・エディション。
ロングモーン '90(ウィスキー・ガロア)
  バーボン・カスクの12年もの、46度。
ロングモーン12年(ゴードン&マクファイル)
  40度。
アードモア '90(ドナート)
  ダン・イーディアンの一本。12年もの、46度。375本のリミテッド・エディション。
エドラダワー '76(ジェームズ・マッカーサー)
  オールド・マスターズの一本。25年もの、49.0度のカスク・ストレングス。
エドラダワー '76(シグナトリー)
  オーク・カスクの23年もの、53.1度のカスク・ストレングス。限定260本のシングル・カスク。
エドラダワー10年(ディスティラリー・エディション)
  10年ものの旧ボトル。43度のディスティラリー・ボトル。
グレンドロナック '90(ドナート)
  ダン・イーディアンの一本。13年もの、46度のリミテッド・エディション。
グレンモーレンジ10年(ディスティラリー・エディション)
  43度のディスティラリー・ボトル。
グレンモーレンジ・シェリー(ディスティラリー・エディション)
  43度のディスティラリー・ボトル。
ノックドゥー21年(ディスティラリー・エディション)
  オーク・カスクのミディアムボディ、57.5度のカスク・ストレングスにしてリミテッド・エディション。


2007年12月19日

大晦日  | 一考   

 ですぺらには年末も正月もなにもない。二十五日か二十六日に岡田夏彦さんが店の営業に牴触しない時間帯で出版記念会を催してくださる。気仙沼の出版社とかで、おそらく唯一の忘年会になる。
 大晦日は平日なので営業する。例によって蕎麦か饂飩でも喰って豊川稲荷へゆく。意味もなく、徒に初詣でを繰り返している。明石に居た折は恵方参りをしたが、東京では近場で間に合わせている。護符、破魔矢、だるま、それと御神籤などは買ったことがない。阪神淡路大震災に遭遇してからというもの、災厄から身を守るのはお笑いぐさとなった。
 今年は酒を飲む算段をしている、何時まで続くか分からぬ店なれば、偶には店で店主が酔っ払うのもよいことである。正月は四日からの営業だが、この間に寡多録の文章の手直しと在庫するウィスキーの寡多録を作る。ところで、大晦日も駐車監視員は活躍なさるのであろうか。

追記。
 二十二日の海螺貝だが、年末ゆえ、正月用品の販売に追われるのでどうなるか分からないと魚屋からいわれた。入手不可能なときは日を改めて。


噫、肉体は悲し  | 一考   

 押しがけのバイクが池袋で故障、追い越し車線でのエンジンストップだったので周章てる。無事に追突を避けて歩道へ、押しがけを繰り返すもなんの反応もなし。交番を訪ねるが近隣にバイク屋はなし、さりとて工具の持ち合わせもない。近所の車屋を片端から交渉して歩き、親切なところを見付ける。ここまでで一時間半が経過。
 点火プラグが乾いていたので、ガソリンの供給がストップしたものと思われる。キャブは掃除してから間がなく、コックからもガソリンは吹き出ている。ガソリンタンク、コック、ホース、キャブレター、エンジンというシンプルな構造なので、ガス欠の理由は解らずじまい。車のバッテリーを拝借してエンジン始動、しかし始動に不必要なほど時間がかかる。その足で行き着けの戸田のバイク屋へ戻り、コックを注文。そのまま自宅へ戻って工具一式をバイクへ積んで赤坂へ。以上が九時出勤の言訳なのだが、この間に店へ来られた方がいらっしゃれば申し訳なく思う。
 それにしても、なにが理由なのだろうか。キャブは問題なし、とすればコック上部のプラスチックのフィルターの目詰まりしか考えられない。その目詰まりの理由はなんなのか。それでなくとも古いバイクなのでリザーバーは使わない。タンク底部の水が錆をもたらす、これはヤマハにはよく見られる症状であるが、ホンダやカワサキではあまり聞かない。そして、乗っていなかった間はひとまずタンクを空にしてから満タンにした。錆がひどかったのはスプロケットとチェーンの方である。
 一九八〇年代のバイク(CBX125)なので、時の経過は予期せぬ事態をもたらす。私の肉体同様、使い古すと因果関係の分からないトラブルが続発する。「生心を伴わないこと」と言ったのはかかる事態、すなわち肉体の悲しみを指すのであって、他意はない。


2007年12月17日

押しがけ  | 一考   

 気温が十度を下がるとバイクのエンジンがかからなくなる。昔のバイクはストロークが長いので排気量に関係なく、始動性がよろしくない。もっとも、現在乗っているのは小型バイクなので、押しがけは苦にならない。速度が二十キロほどになるまで車を押してクラッチを入れるとエンジンはかかる。この場合、ギアはサードへ入れておく。従って、押しがけはキャブレター方式かつマニュアルトランスミッションを搭載した車両に限られる。
 日々、行きしなと帰りにはこの儀式を繰り返している。これが大排気量だとそうはいかない。まず二十キロでは始動しない、三十キロは必要である。それとクラッチミートの際に後輪がロックしそうになるのを振り切るだけの力が必要となる。BMWやハーレーを押しがけするには相応の体力が必要とされる。この体力が歳と共に衰えてくる。勝井隆則さんではないが、「青息、吐息、風の息」ならぬ虫の息となる。
 歳には触れたくないのだが、このところ生心を伴わないことが多くなってきた。今年は寒さが意気を消沈させる。そのような時は部屋を暖めればよいのだが、布団を被ってくぐもっているばかりである。


2007年12月15日

モルト・ウィスキーと肴  | 一考   

 山葵と酢の物はワインに合わないと思っている。山葵菜と山葵大根は別で、私が言っているのは下ろした山葵である。酢の物は土佐酢に限られる、牡蠣酢のような二杯酢は合わない。ワインは食中に飲むものなのだが、刺激の強いものは合わない。とりわけ酢はダメで、ヴィンテージがさっぱり判らなくなる。従って、鮨屋でのワインは鬼門である。同じ醸造酒なのだが、日本酒との違いがここにある。理由は過去に書いたので繰り返さない。
 天ぷらが白ワインと相性がよい。その理由は天つゆの甘さにある。鱧や白鱚の天ぷらなどは最高、こちらは日本酒も同様である。此の伝だと羊羹も合うかもしれない。もともと羊羹は酒の肴として開発された。
 店を営んでいると、モルト・ウィスキーに合う肴をとよく訊ねられる。しかし、ウィスキーは食事をしながら飲む酒ではない。グレンアラヒ、グレンダラン、グレン・マレイ、フェッターケアンなどの食前酒を除き、ほとんどのモルト・ウィスキーは食後酒である。とりわけ、ハイランド・パーク、ラガヴーリン、アベラワー、インチガワー、クレイゲラヒ、グレンファークラス、ベンリネス、マッカランなどはその典型だろう。
 わが邦特有の水割りという飲み方ならともかく、カスク・ストレングスに相応しい食い物などあるわけがない。ですぺらの強烈なスモークは最初からあったのではない、アードベッグとラフロイグを傍らに試行錯誤を重ねるなかから生れた。既存の食品ではおそらく鮭トバ、それも宇登呂のものだけと私は思う。
 インポーターが試飲会でバゲットを薄く切って供している。あれとミネラル・ウォーターは必須と心得る。これはワインも同じである。口を変えるにあれほど便利なものはあるまい。やはりパンとチーズとスモークかしらん。


海螺貝  | 一考   

 先日、海螺貝(つぶ)について触れた。早速リクエストがあったので二十二日の土曜日に六人前に限って取り寄せる。旧ですぺら閉店間際のモルト会でも出したのでみなさんご存じである。
 「室内を海風がよぎり、海藻の香がほのかに漂う。微かなヨード臭とわずかな苦み、斜里で、網走で、紋別で、さらには浜頓別で知った「Briny」な匂い。小さな皿の向こうにオホーツクが拡がる。穏やかな日のオホーツクの微波、清漣な塩味、韃靼を渡っていった蝶々・・・」
 かつて海螺貝について書いた。その潮味を堪能していただきたい。


2007年12月14日

グレン・スコシアのニュー・ボトル  | 一考   

 ときを同じくして、キングスバリー社からグレン・スコシアの十四年ものがボトリングされた。四十六度のシングル・カスク、樽はBRL。
 グレン・スコシア蒸留所は一九九四年に操業中止。蒸留所は前世紀末にロッホ・ローモンド・ディスティラリーが買収。スプリングバンクと共にキャンベルタウンに残された僅か二つの蒸留所の一だったが、スプリングバンクの援助を得て操業を再開。特徴のないラベルと月並なブランドで損をしているが、一本筋の通った貴重な味わいと絶妙のバランスを内に秘めたモルト。陽にかざすと骨まで透ける干鰈のごときデリケートなこく、フレッシュな味わい。スプリングバンクの持つ押しの強さはないが、微かなスモーキー・フレーバーと芯のある甘味が心地よい余韻をもたらす。
 十四年ものディスティラリー・エディションがなくなり、かつての十二年ものに戻った。ボトルとラベルはロッホ・ローモンド・ディスティラリーのリトル・ミルと同一。なお、ディスティラリー・エディションよりキングスバリーのボトルが数段美味。


キングスバリーのザ・セレクション  | 一考   

 キングスバリー社から「ザ・セレクション」が発売された。ロングモーン、カリラ、グレン・グラント、マッカランの四種である。ロングモーンは十年ものホグスヘッドの三樽、カリラは六年ものホグスヘッドの三樽、グレン・グラントは十一年ものホグスヘッドの三樽、マッカランは八年ものBRLの四樽である。度数は四十三度、頒価は三千二百円ほど、マクレランズと共にもっとも安いモルト・ウィスキーである。ちなみに、マクレランズのアイラはカリラ、スペイサイドはオスロスク、ハイランドはダルモア、ローランドはグレン・キンチー。オスロスクはシェリー・カスクだが、カスク・コンディションがよく、ケイデンヘッド社のそれと比して遜色ない。また、ダルモアとグレン・キンチーはディスティラリー・エディションにまさるとも劣らない。かかる安価なモルト・ウィスキーが増えるのは嬉しい。
 キングスバリー社のマッカランはオロロソ・シェリーだが、グレン・グラントにもシェリー香が強く感じられる。ですぺらでは取り敢えずロングモーンを開栓する。ロングモーンとカリラを私はまだ味見していない。どなたかとご一緒できるのを娯しみにしている。


道産いと少しを  | 一考   

 昨日は三時間の予約。手伝いがいらしたので、厨房へ籠ることができた。油が使われないので、煮物ばかりのコースだったが、最後にお好み焼きも焼いた。この次はいつ作られるか分からない。それにしても、食べ物が予約制ではどうにもならないのだが。
 専門と言っては烏滸がましいが、魚を捌くのは得意である。カサゴのことを関西ではガシラという。そのガシラからオコゼ、鯤、鱧、太刀魚、十種ほどの鰈や河豚など、瀬戸内で捕れる魚ならなんでもこいである。もっとも東京では魚が高いので煮物に専心している。こちらは関西風で、東京のひとには物足らない味付けだと思う。しかし、肉じゃがから烏賊と蒟蒻の煮付けに至るまで、妥協する気はまったくない。私には私の調法があって、気に入らなければ食さなければよいのである。
 煮付けはことごとくが濃口醤油と薄口醤油が一対一に味醂が二の同割である。濃口はキッコーマン、薄口はヒガシマル、味醂はタカラの本醸造を用いる。これは料理人の基本で、ややこしいものは滅多に使わない。ややこしいものとは饂飩や蕎麦の出汁に東京でよく使う溜醤油である。溜は中部地方ではさまざまな料理に活用されているが、関西では主に刺身醤油として用いられる。
 味醂には小細工を施す。焼き味醂がそれで、甘味を調整して天つゆと湯豆腐の出汁を作り分ける。天つゆは甘く、湯豆腐の出汁は辛くである。辛いで思い出したが、上述の烏賊と蒟蒻の煮付けには鷹の爪が必需品である。蒟蒻が入る料理にはほとんどと言ってよいほど鷹の爪を用いる。従って、筑前煮の隠し味にも使う。
 少量の鷹の爪は結構だが、朝鮮料理のそれは遠慮したい。キムチから冷麺に至るまで、あればかりはご勘弁願いたい。モルト・ウィスキーはおろか、日本酒の香味もなにも分からなくなる。やはり、朝鮮料理には甲種の焼酎しか合わないのであろうか。そういえば、中華料理もタイ料理もモルト・ウィスキーには合わない。モルト・ウィスキーには積丹の生海胆かエゾ・アワビの肝、海螺貝、イバラ蟹の内子、牡丹海老、サロマ湖の北海シマ海老、宇登呂の鮭トバなどがよく似合う。一度、道産の海産物をごく少量取り合わせてモルト会を催したいと思っている。


2007年12月12日

寡多録  | 一考   

 モルト・ウィスキーのカタログが出来上った。あとは文章の手直しだが、そちらは順次書き直してゆく。「肴あったりなかったり」の方は店に鎮座する壊れた冷凍庫が処理されなければどうにもならない。で、その処理だが、明年の二月か三月になりそうである。
 スモーク盛り合わせ、焼き豚、ウィンナ、ビーフジャーキー、チョコレート、干し葡萄、ナッツ、田舎饂飩、蕎麦雑炊、梅しらすのチャーハンが現在可能なフードである。焼きそばや焼きうどんも出来るのだが、このところモヤシを三袋ほど棄てている。同様に、蕎麦雑炊も椎茸、三つ葉など野菜類の日持ちが悪い、従って三、四日を期限にあったりなかったりを繰り返している。
 上記フードは可能とは言え、二、三人前の用意しかない。他店で腹拵えをなさってからの来店を望みたく思う。

 一月からモルト会を催す。例によって第四土曜日だが、この日は貸切とする。もっか思案中だが、ちょいと面白い企画を考えている。モルト会もそうだが、原点に戻って簡単なおつまみだけを提供する。繰り返すが、事前に食事を済まされてからの飲み会であってほしい。もしくは飲み終えてからどこぞで旨いものをたらふく喰っていただきたい。


2007年12月06日

ザ・カスク・オブ・ヤマザキ1993  | 一考   

 過日、紹介した山崎のヘヴィリー・ピーテッド・モルトが入荷した。題してザ・カスク・オブ・ヤマザキ一九九三。ホワイト・オークのパンチョン樽で熟成された十四年もの、五百三十九本のリミテッド・エディション、六十二度のカスク・ストレングスである。ホワイト・オークとはアメリカン・オークを指す。
 業務店のみの販売で、当店は三本購入、一般には頒布しない。それとマッカランのグラン・レゼルヴァ十二年が先月末から販売されている。こちらはどなたでも購入可能。
 オロロソ・シェリー樽熟成のグラン・レゼルヴァがボトリングされたのは一九九九年が最後と記憶する。蒸留は一九八〇年の十八年もの、当時の価格は一万六千五百九十円だった。従って、八年ぶりの復活になる。十八年ものが主流だったが、十二年の方がオロロソ特有の苦みが少なく、私には好ましく思われる。購入価格は五千七百八十円、こちらもこなれた価格だと思う。十八年ものは今では三万円を超える。コレクターズ・アイテムには手を出さないのが賢明、現在手に入るボトルを楽しむのが愛飲家の智慧というもの。


蔵の中  | 一考   

 さくら さくら さくらが咲いた くらい くらい お蔵に咲いた

 暗い蔵のなかいっぱいに桜の花が咲く、これは戦慄である。そして詩とはなにかを伝えようとするなら、「くらい くらい お蔵に咲いた」と詩うしか手立てはない。相澤さんと話していて上記の歌に至った。曰く、詩人は自分にしか判らない暗号を以て、誰かに伝えようとして書き綴る。同じ暗号を解する、どこかに居るであろう見知らぬ友へ向けて。
 詩人の原風景とは、かくまで冷たく凍りついたものかと思い知る。エロディヤードを口吟んでいた十代の頃を想い起こす。「息めよ。ただわが前に鏡を支へよ」の一節である。冷え冷えとくまなく澄んでいた遠い遠いあの日、憶いだすことすら拒否したくなる日々。恐怖で、蔵のなかを覗くことすらかなわなかった。闇のなかで花開いた狂気、真っ白な狂気が漆黒を填める、満開のさくら。
 それにしても、相澤さんの詩を誰が読み解くのか。彼の失意の深さを知る。


汝の敵  | 一考   

 「ボア付きの長靴」と書けば恰好良いが、値は千八百円である。普通のゴム長であって、バタイユの「長いぶわぶわのゴム長」を想い起こす。ゴム長は長いものであって、殊更に強調する要はまったくない。かててくわえて、ぶわぶわ等という副詞は原文には含まれない。しまりなく、ぶかっこうにふくらんだ翻訳である。評論はともかく、バタイユの小説の翻訳は読まれるものがない。おそらく、なにひとつないのではなかろうか。バタイユに限らない、ブルトンやマンディアルグについても同様のことが言える。しかし、そのことは掘り下げない、掘り下げて書けば身の回りが敵だらけになるに違いない。
 さて、この場合の敵とはなんだろうか。家に寇する敵とは鏡花の言い種であり、ギュネイは内面の葛藤を家族、とりわけ女房とのあつれきに求める。家の外であれ内であれ、そのようなことはどうでもよい。対象を自己の外側に求めるのは非合理的である。仮に他に求めたとして、敵は抽象的な存在である。抽象的とは固有名詞を持たない、特定の個人ではないということ。
 「アイラ・ストーム2」で「驚いたのは偏見のなさについてである・・・意見の持ち合わせはない、なければこそ、個別の香味のみではなしをする。そしてその意見は大旨正しい」と著した。憖な意見というが、意見とはことごとくが軽率であり中途半端なものである。極論すれば、意見を持つとは先入主や僻見を持つに他ならない。「無以先入之語為主」と言われるがごとく、偏見は思考の自由を妨げる。しかし、そのいい加減さには利点もある。なぜなら、いい加減であればこそ、付け入る隙きをひとに与える。隙きがなければ世間話は成り立たない。
 意見の持ち合わせがなければどうなるのか。黙して語らず、一途にひとの意見に耳を傾ける、まるで吸取紙のように。ただし、ここには下心が垣間見られる。さらなるディメンションへ至るまでのステップの無料盗用である。もっとも、それは次元解析を心得たひとに限られる。未知の関係式を推定するなど、生半なひとでは不可能事である。されば、黙して語らずとは単に己が無知を曝け出すに過ぎない。真っ正直か、もしくは世間話を拒否する方便かもしれない。
 意見の持ち合わせがあろうとなかろうと大した違いは見受けられない。せいぜいが世間話の是非にとどまる。しかるに、敵とはそうしたものである、世間向の敵など高が知れている。怖いのは自分の内にひそむ敵である。群れたがる自分、慢心する自分、選民意識を振りかざす自分、無知を曝け出すのを恥辱と思う自分、自己解体の繰り返しを拒む自分、自分の内にひそむ敵はその勢力圏を拡げようとして虎視眈眈と窺っている。気を緩めるわけにはいかない、間断なき闘いが必要である。


2007年12月04日

色は匂へど  | 一考   

 店のパソコンはネットに繋いでいない。しかし、辞書は積んでいる。辞書で諸行無常を引き、いろは歌が出てきた。面白いので引用する。
 諸行無常は(色は匂へど散りぬるを)、是生滅法は(我が世たれぞ常ならむ)、生滅滅已は(有為の奥山今日越えて)、寂滅為楽は(浅き夢見じ酔ひもせず)となる。
 諸行無常とは三法印の一であると同時に念仏の大事を説く、ここにもアナロジーがある。法則と概念を重んじれば、さまざまな法則と概念は同化してゆく。この同化という言葉を類推の意で用いている。法則や概念は変わりにくいが、自らが変わることによって概念の色合いは自在に変わる。言い換えれば、解釈ひとつでどのようにもなる。
 言うまでもないが、諸行無常は諦観ではない。諸行無常が諦観になった理由は上述のいろは歌にある。繰り返すが、諸行無常は恒常的な世界の否定ではなく、むしろ、変化し生滅してとどまらない世界を積極的に捉えた言葉である。いろは歌では困る。なぜなら無常が、日々消え去ってゆく過去への咏嘆としてのみ捉えられるからである。つまり、諦観は諦感に、諸行無常は諸行無情になってしまう。
 かつて部派仏教について書いたが、「つくられたもの」と「つくられないもの」とを峻別し、無常の構造を縦横に考究しなければならない。ここでの考究とは「諸行」そのものへの問い掛けを意味する。
 もはやない過去といまだない未来との狭間に今があり、とは屡々言われることだが、だからこそ「今」は刻々変化し、さまざまな相貌をひとに招来する。ひとはその対応に追われる。対応に追われるとは、個々の生滅を自ら解析し消化し、そして昇華させるに他ならない。耕衣句の「少年や六十年後の春のごとし」にはその昇華すなわち抽象化の過程がつぶさに描かれている。
 そして問いは繰り返されなければならない。繰り返しのなかにこそ実証主義がある、コモン・センスがある。万古不易という概念がもしあるとすれば、その問い掛け自体を指す。

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