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2007年05月 アーカイブ


2007年05月31日

感謝  | 一考   

 会費が会費ですから、九日は十名ちょっとしかいらっしゃらないと思います。それを意図しての値付けでした。次の店のお客さんに繋げる意味もございます。
 上條さんにカウンターの中をお願いしました。カウンターにはもう一名必要ですが、まだあてはありません。ホールと受付はりきさんと松友さんにお願いしようと思っていました。最後になりましたが、お気遣いありがとうございます。


2007年05月30日

お手伝いの件  | りき   

九日の会、料理や飲み物を運ぶお手伝い程度ならできるとおもいます。ただ当日は仕事なので少し遅くなります。


菊水作戦  | 一考   

 昨夜も松本さんの世話になった。有り金をはたいてモルト・ウィスキーを買ってしまい、実は帰りのガソリン代がなかったのである。戦艦大和の心意気で、最悪の場合は始発電車で帰るつもりだった。
 トラックの運転手をしていたため、手持ちのガソリン・カードは宇佐見のみ。安いかわりに、都心部では滅茶不便である。松本さんが五桁のワインを飲まれたので無事に帰宅、もっか泥酔状態にある。

 松本さんが飲まれたのがドメーヌ・ニエロ・エ・パンションのコンドリューである。これで在庫はルイ・メテロのムスカデ・キュベ・ワンとジャック・ルムニシェのサン・ペレのみになった。
 横須賀さんがですぺらへいらした時、数あるモンラッシェのなかでフォンテーヌ・ガニャールの86、87、89年を蔵していることに愕いていらしたのを思い出す。たしか松本さんはバタールを飲まれたと記憶するが、そのバタールはシャサーニュ共々、各十本ずつ神戸から持ってきた。松本さんが飲まれた一本を除いて、他の在庫はすべて銀座の酒屋と内幸町のホテルに売価のままで引き取られて行った。いささか悔しい気もするのだが、東京のお客さんにワインのプロはひとりもいなかった。銘柄を理解してもヴィンテージまで解する客に恵まれなかったのである。次の店ではワインと日本酒と焼酎は置くのをやめようと思っている。

 ここまで書いて寐てしまったようである。昨日、某酒屋で赤坂のですぺらさんでしょうと訊かれた。雑誌で見たとかで、ウィスキー・ワールドの読者層の厚さを知った。次の店の準備をかねて今日もこれから酒屋を覗くつもり。


(以下略)  | 一考   

 閉店が決まったので、書きたいことを書いている。キルケゴールの人生行路かボヤキの人生航路か、そんなことは一向に構わない。相方という重しがなくなったがゆえの魚説法(舌鋒)である。
 ですぺらは引き裂かれていた。チョイスを楽しまれる客と自称文化好きのふたつのグループに分離されていたように思う。分離どころか乖離していたようにすら思う。その結合点がモルトウィスキーであった筈なのだが、まったく機能しなかった。
 プロの書き手はごく少数を除いて、モルトウィスキーに興味を持たれ深入りなさった。問題は芸能レポーターのような意見を書物に対して抱いているアマチュアの方々である。昔は文壇雀と言っていたが、それを私は新時代に相応しく舌禍の一群と名付けた。僅か四、五人にすぎないが、喧しいばかりで中身はなにもない。第一に本なんぞ、なにも読んでいないではないか。素人衆のなかで一頭地を抜くからと言って、なんぼのもんじゃいと言いたくなる。
 編集者はコミケにも出入りしているし、これというブログにも目を光らせている。全国区の雑誌から原稿依頼がないのは書く内容の陳腐さを証明している。そして、なにも書かないひとはなにも読んでいないに等しい。前項で記したように、文学コンプレックスに陥るのは本人の勝手だが、人前でマスを掻き浅薄な知識を排泄するなど愚の骨頂である。恥じを知れと言いたくなる。
 明石の店には教師から警察官、ライダーから空手家、中年のアベックから女子大生、独逸文学者、英文学者、俳人、歌人、詩人、書家、絵描きとじつに多彩なひとびとが集っていた。そして話題は常に酒と魚介類を中心とする肴だった。バーというものは、店主が単数であれば引き裂かれるようなことなどあってはならない。ところが、赤坂では放逸無慚な為体であった。
 一ッ木通りの店はこのままで押し通す。しかし、同じ轍は踏むまい。況して次の店はキャパシティが半分になる。我(が)にとらわれない「偏食家」でない方のみご来店いただきたいと冀求している。


2007年05月29日

チョイス  | 一考   

 七日以降、サービスの低下を鑑みてテーブルチャージは付けないできた。しかし一箇月の粗利が二万円では私は霞を喰うしかない。モルトウィスキーの値を二割引にしているので、テーブルチャージを復活してもさしたる問題は生じないと思う。
 当店はもともとチャージを五百円とお通しを五百円の合わせて千円を頂戴してきた。私がよく行く新宿の店は千五百円から三千五百円をテーブルチャージとして徴収している。ちなみに、もっとも安い千五百円にお通しはつかない。お通しは別料金になっている。それを私は安いと思っている。
 バーは喫茶店ではないしコミュニティでもない。あくまで私的にチョイスを愉しむためのものである。子供の偏食ではあるまいに、何々しか飲まないというのは自ら味覚の幅を狭めている。なんでもいいと言うのも困りものである。酒の味が分からないひとに文学のなにが分かるというのか、甚だしく疑問に思っている。(以下略)
 明日から前述のテーブルチャージを復活する。残日は寡なく、例外は設けない。ご理解のほど、どうかよろしくお願い致します。


ラフロイグ  | 一考   

 ラフロイグのクオーターカスクが先行販売されたときの値は7000円を越えていた。やがて、4980円で推移するが、サントリー扱いの正規品は3480円になった。この間の香味の違いを私は確認していない。具体的に言うと、ジャパン・イン・ポートやスリー・リバー扱いのクオーターカスクは飲んでいるが、サントリーのそれはまだ飲んでいないのである。
 従って、最初に入荷したクオーターカスクとサントリー扱いのクオーターカスクの両方を店へ持ち込んだ。売値はどちらも700円にする。舌と鼻に自信のある方のチャレンジを待つ。


名前  | 一考   

 先日、見知らぬひとが来店。女性のひとり客は珍しくないが、紹介者がどなたなのか分からない。例え常連さんであろうと、名前を覚える気がまったくない。そちらも相方にすべてを委ねていた。
 客に限らない、友人や連れ添いの名前を忘れることもしばしばである。はじめての公演を催してくださった「さくら」の馬場さんの名前も忘れていた。相方にしてからが、西明石の開店前に大掃除を手伝ってもらっている。その後も何度かmoonさんと連れ立ってきているのだが、いざ二人きりになると名前が思い出せない。それはひどすぎると叱られたが、思い出せないものは仕方がない。実はモルト会のメンバーの名前すら覚えていないのである。
 その逆もあって、二人目の連れ添いは興奮すると決まってひとの名を叫びつづける。当然男の名前である。どういう関係だったかは知るよしもないが、私はただ面白がって聴いている。
 その彼が私であろうが、私がその彼であろうが、そのような瑣末なことはどうでもよい。たかが名前である。そのようなことよりも、エクスタシーの場にあって、かかる弁証法的ないしは倒錯的言葉が飛び交う彼女の知的回路に深く興味があった。


アードベッグ再入荷  | 一考   

 支払いと振込を済ませて今月は二万円ちょっとの粗利が出た。久しぶりに酒屋へ走り、インプレッシヴ・カスク・シリーズのアードベッグを二本と独逸麦酒を十三本仕入れた。そしてつぶ貝である。
 麦酒は定番のビットブルガーとサルバトーレ、それと黒麦酒のエルディンガー・ヴァイスの三種。プヒプヒさんを意識しての仕入れである。
 それとマニア向けに英国のヴィンテージ麦酒トーマス・ハーディの90年と91年を入手した。麦酒史上最高価格を誇るプレミアムビールで、飲み頃である。


ほぞ  | 一考   

 ですぺらがひとりバーになったのが七日、昨日で四週目に入った。情緒にいくぶんの安定が見受けられるが、肉体は逆で、疲れは頂点に達している。捨て置けば新宿へ籠って酒浸りになる。それを踏みとどまらせているのがですぺらとそのお客さんである。
 過日、愛子さんとカウンターへ入っていて、すれ違うたびに私の腹が触れると言われた。この三週間、体重は減り続けている。とりわけ、洋袴のベルトの留位置は急速に変化している。にもかかわらず触れるのは、よほど腹が突き出ていたものと思われる。
 そこで思い出したのが出臍のことである。私の出臍は単なる出臍ではない。開放感に浸ると薫香ゆたかな屁を放るときがある。放屁と包皮についてはかつて書いたので繰り返さない。しかし、出臍については失念していた。
 昔、種村さんと赴いた岡山の温泉地で屁をこいた。先生は臍のあまりもの巨大さに目を丸くしていた、そこまではよかったのだが、あまりに見詰めるものだから臍がサービス精神を発揮し、ついに湯のなかでぷくぷく、ぶくぶくと媚態を演じてしまったのである。ヘーゼルナッツや完熟林檎、香草を食むような膨よかな香り、竹の根がけぶれるような繊細な趣は先ほどしこたま飲んだ御前酒の吟醸香が昇天したものと思われた。
 出臍は多くの逸話を抱えている。しかし、昨夜レイハルさんから十八禁は控えるようにとの要請があった。従って、ここから先は裏掲示板へ場を移す。
 「もしかしたらあの日こそが絶望に出逢った日だったのかもしれない」と愛子さんが書かれていたが、なにを隠そう、あの絶望はかの出臍との不意の会遇にあった。


断碑  | 一考   

 相手がなんぴとであれ、またそれが義務であれ権利であれ、なにごとによらず強いるのはよろしくない。力関係を無力にしなければ個は成立しない。力関係を無力にするとは集団や類型の拒否である。そして、書き物は個のはかなごとであって、結社や同人に属するひとは文学とはついに無縁である。
 すぐれた表現者は個として存立するが、そのファンクラブが結社や同人を構成する。言い換えれば、寺銭を払って創始者の権威や権力におもねているだけである。そのような有象無象を相手にする時間は同じ結社もしくは同人の他、なんぴとにも与えられていない。

 個の成立がみずからの意見や考えを披陳することだと思うなら、とんでもない思い違いをしている。
 披陳にあっては常に意見が意見としての体をなさず、考えが考えとしての纏まりを欠く。店での経験なのだが、彼等が披陳する知識にはもっとも大事な読み解くという行為が含まれていない。「私も若い頃はずいぶんと本を読んだものだが」との言葉に示唆されるように、読書家の多くは一季半季の徒である。
 披陳でことが片づくのなら著すとの行為はなにを意味するのか、ちょいと考えれば済むことである。
 幹郎さんはそのあたりの消息を文学コンプレックスと名付けている。そして、私は精神分析医ではない、強い情緒的反応を押しつけられても傍迷惑なだけである。ですぺらの勘定にはそれに該当するサービス料は加算されていない。困ったちゃんにはご退場いただくしかない。
 繰り返す。書物やその意味内容は著すものであって、喋るものではない。書くとの行為のなかには反芻があるが、お喋りは無責任な排泄でしかない。この消息は活字とウエブサイトの関係と類似する。
 駄洒落なら知らず、思いつきで喋るひとは無知曚昧に過ぎない。そして、お喋りとは思いつきでしかない。さらに、読み散乱した書冊から得た知識の断片を肴にしようとするなら、それは酒への冒涜になる。とは言え、お喋りほど安酒を飲む。文学という我(が)にとらわれた意識が他の知識(この場合は酒)をないがしろにする。前述の「無知」とはこのことである。

 読書はある日とつぜんにはじまり、そして突然に打ち切られる。従って、知識はどこまで行こうが生半可なものである。それを整理整頓するためにひとは文章を綴る、さらなる混乱が待ち受けているのを知らずに。
 他方、乱れはひとつのバランスであり、ひとは不必要なものに囲まれて生きている。必要なものなど、どこにもないと言ったほうが実体に近い。
 ひとは新陳代謝であり、存在することになんらの意味も意義もないと、掲示板で書き継いできた。恋愛とか子育てなどは仮装ないしは仮想の最たるものであろう。
 舞踊にためという言葉があるが、こころに思うことと書き表すまでの距離がこの「ため」に相当する。披陳は論外として、著すためには思案しなければならない。その時間差、謂わば「ため」の内側から畏れが湧いてくる。
 書けば書くほどに、書き込めば書き込むほどに、先達への畏れは助長され深化し、傷口は拡げられてゆく。要するに、力関係と畏れとはまったくの別物なのである。
 畏れはつねに相対するひとの智力に向けられている。智力とははたらきであり行為であって、静止したものではない。然様ならば、みずからも揺れ動いていなければ畏れを抱くことはかなわない。畏れを解さないひとは文学とはついに無縁である。プロの書き手と対峙するときは命懸けでなければならない。

 で、プロとアマとのあいだに境界線は存在しない。しかし、その見極めの目をあなたは既に持っている。この場合のあなたとはTさんである。ですぺらにはTさんが多く、匿名性が高いので便利である。沈思黙考の若者とでも言っておこうか。
 先日、久しぶりにそのTさんがやってきた。沙石集に「ヨシナキ世間ノ文字ヨミテ、妄慮ヲマサムヨリハ、同ハ経巻ヲミルベシ」とあるが、意味する「真実の言葉」すら私は信じられないで困惑している。
 さて、これで繰言になったかしら。


2007年05月28日

はてさて  | 一考   

 幹郎さんから繰言を書けば物数奇が現れるかも、とのご教示を得た。「蓼食ふ虫は不物好きの謗となれり」の意であって、言い出したのはホワイエのマスターである。
 先日高遠さんと入れ違いにその佐山さんが来店。一考はちょい悪ではなく大悪(おおわる)であって、正真の不良である。そのような男には必ずやコアな物好きが現れるものである。逃げられたからと言って落ち込む要はない、連れ添いはすぐに見つかる、との声援を残して立ち去った。この手の励ましは嘘であっても嬉しいもので、ひとをその気にさせるから不思議である。
 泣き言や甘言で女を釣っては沽券にかかわるなどと言っているあいだは未熟で、五十路を超えるとと見境がなくなるらしい。もっとも、私にはのっけから分別の持ち合わせがない。従って、物心がついてから地上ことごとくの女性が眷顧の対象になっている。自信があるわけではない、自信喪失がもたらす博愛なのである。犬も歩けばなんとやらを想定していただきたい。
 ただし、なにごとにも例外はあるもので、私でなくっちゃあといった「私」に憑かれたひとだけはご遠慮いただいている。その理由は連れ添いになる当方にも「私」を拵えることが強いられるからである。

 とまあ、こんなことを書いているあいだは誰からも相手にされないのは必定、幹郎さんの忠告を受け容れるのが重宝というものである。しかし、肝腎の泣き言の書き方が私には判らない。私はマゾヒストなので螺子を巻かれるのは好きなのだが、どこがしどけなくだらけているのかは、いまもって見当すらつかない。判然としないものを書き綴るのは至難である。そして、ぼやきは笑いを誘うが愚痴は同情を強いる。この「強いる」との文言が気に入らない。


2007年05月27日

モルト会終了  | 一考   

 昨夜はありがとうございました。無事にモルト会を終了できました、みなさまのご協力の賜物です。松本さんには後片付から車への積み込みまで万般のお世話になりました、深く感謝します。
 初回が二〇〇一年十一月でしたから五年半になります。昨年からはじめた蒸留所別のモルト会までは五千円という破格値で続けました。東京で横行する数万円のモルト会に対する造反のつもりではじめたのですが、松本さんとふたりきりの時が何度かあったように記憶します。
 彼はもと川崎のオートバイのデザイナーで、西明石のですぺらで催していた地酒試飲会へ出席なさったのが最初でなかったかと思います。もともと下戸だったはずなのですが、最近ではワインを二本、ぺろりと飲み干していらっしゃいます。
 昨夜ご参加の九名さまは次のですぺらオープニングの前夜祭に招待させていただきます。もっとも、店が無事に開店できればのはなしですが。


2007年05月26日

千秋楽追記  | 一考   

 二十四日の書き込みについて誤解が生じたようです。千秋楽は六月九日の十九時から二十三時です。いつものようにワインとビールも用意しますが、一部のモルト・ウィスキーも供します。
 「モルト会へ複数回ご参加いただいた方、もしくは常にモルト・ウィスキーを飲まれていらっしゃる方のみの晤語」と書いたのは、新しいですぺらの商品構成についてのご意見を三十分ほど伺いたいと思ったまでで、別に九日である必要はございません。またの機会に致しましょう。
 このところ、私の肉体が悲鳴を上げはじめました。従って、なにがあろうとも二十三時で打ち切らせていただきます。ご協力のほど、よろしくお願い致します。


モルト会追記の追記  | 一考   

 本来は冬のものだが、いま銚子でびんちょうが大量に水揚げされている。モルト会で使えないものか交渉したところ、朝指定された時間に起きられるかどうかに論点は移行した。思案中である。
 モルト会は九名のご参加を得た。忝なく思います。生鮪にさらに色を付けたいと狙っているものがあります。ご期待ください。
 びんちょうの交渉途次、閉店までに一度料理らしいものを作りたくなった。ひとりでかなう筈もないのだが、五人前ならなんとかなるのではないかと自分に言い聞かせようとする、悪い癖である。
 矢川澄子さんから依頼があって懐石のまねごとをしてから何年経ったろうか。あの時は百三十枚の皿を家から搬んだ。地震を掻い潜ってきた食器なので揃ってはいない。しかし、全国の窯元を巡った記憶の染みついた食器である。「単なる蒐集にさしたる意味のあろう筈がなく、つまるところ蒐集は手段にすぎぬ。要はそれらの物を通して養う眼であり、ものそのものへの見方乃至接し方であろう。蒐集された物の価値によってではなく、その物を選んだこと自体が、取りも直さず己が立場の闡明になる、かかる蒐集を心掛けたいものである」とどこかで書いた。基本はいまも同じである。


2007年05月24日

報告  | 一考   

 土曜日のモルト会の解説がさきほど出来上ったが、ローモンド・スティルについて調べていて下記サイトを知った。ウィスキーファンはぜひ訪ねていただきたい。
 http://www.ballantines.ne.jp/enjoy/inatomi/index.html

 ところで、同じ赤坂のみすじ通りで六坪の店が見付かった。これから条件の交渉がはじまるので、予断は許されないが、六月中には契約をまとめたいと思っている。改装に二、三箇月は掛かるので、うまく話がまとまった場合でも、八月末の開店になると予想される。その間は生活のために、おそらく東京を離れることになる。私にできる仕事は運転手しかないからである。
 ですぺらをデザインしていただいた建築家の西郷さんと話し合っているが、次の店舗もですぺらの雰囲気を踏襲したものになる。六坪だとバックバーの格納能力は最大七百本ほどになる。とりあえず、五百本の新規モルト・ウィスキーを拙宅から運び入れ、完全に専門店化したいと思う。
 そのこともあって、昨夜から食欲が湧いてきた。ひできさんに留守番を頼みサンドウィッチを買いに走った。

 ですぺらの千秋楽ですが、時間は十九時から二十三時までにさせていただきます。
 九日は店主ひとりですので午前中からの仕込みになります。私が倒れてしまっては催しそのものが成り立ちません。また遠くからご参加のモルトファンもいらっしゃいます。そこで暫しの休息を得て、十二時以降はこの七年間に通過していった約二千種類のモルト・ウィスキーの総括をしたいのです。従って、モルト会へ複数回ご参加いただいた方、もしくは常にモルト・ウィスキーを飲まれていらっしゃる方のみの晤語になります。それが私にとっては最大の関心事で、六十を超えるボトラーに対する覆蔵のない意見をお聞かせいただきたく思います。短時間で済ませますので、ご協力のほどよろしくお願い致します。


2007年05月22日

モルト会追記  | 一考   

 週末のですぺらモルト会でテイスティング予定のグレンロッシー '80(ブラックアダー)が売り切れてしまいました。従ってインタートレード社のグレンロッシー '79に差し替えます。オーク・カスクの18年もの、43度のフル・ボディで、ディスティラリー・エディションと比してより長くクリーミーなフィニッシュが特徴です。
 インタートレード社のオーナーはナディ・フィオリ。イタリア・リミニ市の酒商にして同国のインデペンデント・ボトラーの先駆け。継続的にボトリングはしていないが、斬新なラベルとクオリティーの高さは特筆もの。生産量の少なさとカリスマ性によって、大半はコレクターズ・アイテムとなっている。同社は樽ごとに飲み頃を見極めた上でボトリングを行う。従ってコンディションは頗るよろしく、サマローリ社同様、檻が多いのが特徴となっている。
 なお、モルト会へのご参加は二名増えてもっか四名です。


遅刻  | 一考   

 本日は不動産会社との打ち合わせがあり、店へ出るのが六時四十分になります。悪しからず。


2007年05月21日

週末のモルト会について  | 一考   

毎回メールでご案内を差し上げてきたのですが、そのアドレスが分かりません。
従って、こちらでの書き込みのみになります。
木村さんと樋川さんがご参加いただけるそうです。
参加希望の方がいらっしゃいましたら、メールでも電話でも結構ですからご連絡ください。
アドレスと電話番号はホームページに記載しています。


2007年05月20日

ですぺら終焉  | 一考   

 六月九日を一応の千秋楽にしたいと思います。楽日にはモルト・ウィスキーを提供しますので、会費は八千円。飲まれない方は三千円に致します。この日は私は厨房に籠りっきりになると思います。従って、受付とカウンターを引き受けてくださる有志を募りたく思います。どうかよろしくお願い致します。

 一応と書いたのは複雑な心境で、西明石のですぺらでは「尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず」をモットーにしていました。従って「当店は酒は提供しますが話題は一切提供致しません。他者の生き方に何等の興味なく、況や人生訓など聴きたくもないのです。会話、談話の悉くを拒否させて頂きます。巷の叫喚ならびに喧噪の店内持ち込みを禁じます」との貼り紙をしていました。
 赤坂におけるですぺらはモルト・ウィスキーの専門店でした。それ故、モルトとお通しのみの営業は可能なかぎり続けたいと思っています。安価なウィスキーは置きません。拙宅から秘蔵のウィスキーを供出します。最後の一週間はモルト・ウィスキーの話題だけでですぺらを填めたいと思っているのです。それが私のですぺらへの唯一の御礼であり別れの辞なのです。


フードについて  | 一考   

 昨夜、お手伝いしていただいた方の具合が悪くなった。久しぶりの立ち仕事が理由だと思う。世田谷は不案内のため、車で送り届けるに際しずいぶんと時間が掛かった。済まないことをしました。
 帰りに近所を走ってみた。かつて豪徳寺にはWさん、経堂にはTさん、羽根木にはNさん、松原にはIさん、下北沢にはKさん、宮坂にはSさん、赤堤にはYさんが住んでいた。東松原の寿司屋でよく待ち合わせて酒を飲んだ、互いの家を往き来もした。とりわけ、豪徳寺と赤堤には繁く泊まり込んだ。しかし、徒歩と車では風景が異なる、なにひとつ確認することはかなわなかった。機会があれば昼間にでも出掛けてみようかと思う。帰路、環七の豊玉を左へ入り道に迷った、この道は何度も迷っている。

 ところで、フードは在庫を売り切って冷凍庫を空にしないといけない。それは分かっているのだが、四、五人を超えるお客さんになると現実には作られない。乾きものと中華饅頭やウインナのように温めるだけのものは問題ない。その他ではピーマン炒めやチャーハンのように五分以内にできるものは別にして、揚げ物、炒めもの、焼き物は手を離せない。その間、二十分はカウンターが無人になる。出し巻きやオムレツ、烏賊焼きは既に寡多録から外したが、お好み焼きもひとりだけのときにしていただきたい。ただし、三日前に注文をお聞きして前日に作り置きできるものなら五月中に限って応じます。以上、わがままを申して恐縮ですが、ご協力をお願い致したく思います。


2007年05月19日

贅沢三昧  | 一考   

 本日はひできさん主宰のシャンパンパーティーです。三鞭酒はもっか拙宅にて急速冷蔵中です。
 オードブルのひとつ、雪花菜はより淡泊な味付けを施し、食感を考慮して具材を工夫してみました。久しぶりの自信作です。
 季節柄、苺ソースを作りたかったのですが、こちらは夕方の仕入れ次第になります。

 昨夜はちょっとした贅沢をしました。上記の具材購入の途次、露西亞産の大きなつぶ貝を見付けたのです。このところ自宅へ帰るに気が重く、なにかしら妙案はないかと思っていました。好物の刺身があれば、刺身を作らなければならないとしたら、少しは足取りも軽くなるのではないかと考えたのです。
 ごったがえした卓子の隅に穴が開きました。室内を海風がよぎり、海藻の香がほのかに漂います。微かなヨード臭とわずかな苦み、斜里で、網走で、紋別で、さらには浜頓別で知った「Briny」な匂いです。小さな穴の向こうにオホーツクが拡がります。いまの私にはそこまでで充分です。
 アボリジニーは意識され経験される時間とは別に夢見という時間の概念を持ちます。穏やかな日のオホーツクの微波、清漣な塩味、韃靼を渡っていった夢見鳥、それらが待ち焦がれ、恋いこがれた私の夢そのものでなかったか。


ですぺらモルト会  | 一考   

 5月26日(土)の夕7時から10時にかけて最後のですぺらモルト会を催します。
会費は12000円、オードブルは簡略に済ませます。ウィスキーのメニューは以下のごとし。
詳しい解説は当日お渡し致します。
参加ご希望の方は事前にお知らせ下さい。今回は飛び込み参加は不可能です。
店主も飲みますので、一応貸し切りということでお願い致します。

ですぺらモルト会(スペイサイドを飲む 第三回)

01 アベラワー '90(ブラックアダー)
 ロウ・カスクの一本。シェリー・ホグスヘッドの11年もの、61度のカスク・ストレングス。限定283本のシングル・カスク。
02 シングルトン10年(DB)
 43度の旧ディスティラリー・ボトル。
03 クレイゲラヒ '73(レア・モルト)
 ユナイテッド・ディスティラーズ社のレア・モルト・セレクションの一本にして22年もの、60.2度のカスク・ストレングス。
04 グレンアラヒ '85(シグナトリー)
 オーク樽による11年もの、43度。3樽、872本の限定品。
05 グレンキース '76(ジェームズ・マッカーサー)
 スコッチ・ウィスキー500周年記念ボトル。22年もの、51.2度のカスク・ストレングス。
06 グレンファークラス '88(メーラー・ベッセ)
 フレンチ・シェリー・バットの46度。熟成期間は記されていないが、12〜3年もの。
07 グレン・マレイ '89(シグナトリー)
 シェリー・バットの9年もの、59.5度のカスク・ストレングス。限定640本のシングル・カスク。
08 グレンロセス '89(ジェームズ・マッカーサー)
 オールド・マスターズの一本。バーボン・カスクの11年もの、64.7度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
09 グレンロッシー '80(ブラックアダー)
 オーク・カスクの16年もの、64.5度のカスク・ストレングス。160本のリミテッド・エディション。
10 ストラスアイラ '72(ゴードン&マクファイル)
 22年もの、61.8度のカスク・ストレングス。4樽のリミテッド・エディション。
11 ストラスミル '85(シグナトリー)
  オーク樽による12年もの、43度、限定503本のシングル・カスク。
12 リンクウッド25年(ゴードン&マクファイル)
 40度。
参考品 モストウィー '75(ゴードン&マクファイル)
 18年もの、40度。

ですぺら
東京都港区赤坂3-18-10 サンエム赤坂3F
03-3584-4566


2007年05月18日

無題  | 一考   

 「思い出はぜんぶ、記憶の中だけに留めておくのが好きなのよ」は鈎括弧で閉じられているように私の言葉ではありません。過日読んだ小説からの盗用です。
 たしか、四年前に一年経てば彼女の死について掲示板で語り合ってくださいと書きました。そして掲示板を閉鎖しました。その後書き込みはございません。
 あの日、来店なさったのはあなたのみ。それを忘却と言わずになんといえばよろしいのでしょうか。彼女の死の直後の掲示板の惨状を舌禍の一群と言わずしてなんと例えればよろしいのでしょうか。
 忘却への献杯はあなたに向けられたものではありません。忘れ去ることを受容した不特定多数に対する皮肉を籠めての献杯です。あなたが憎悪を込めるのと同様、私にとってはアイロニーに充ちた杯だとおもっています。

 私の気質のようなものが皆目伝わっていないことを悲しく思います。


2007年05月17日

一孝様  | 愛子   

一孝様
この名前で書き込みをするのはずいぶん久しぶりです。かなりくりあがってしまいましたが下の書き込みへのお返事です。時の経過を優しいと言えるようにはやっぱりまだなれません。烏は烏、まだ黒いままです。だから、忘却への献杯は拒否いたします。でも、やがて失われていくものだけは、なぜかとても愛おしく感じます。忘却しないと誓ったことすら忘却させられてしまうのだとしたら、それには憎悪を込めながらの乾杯です。お互いに残されている時間にも。はじめて一孝さんのお店に足を踏み入れた日は、たしかほかのひとは誰もいなかった。お店の名前が名前だけに、もしかしたらあの日こそが絶望に出逢った日だったのかもしれない、と今では思うのでした。


訣れ  | 一考   

 引越が済み、相方は神戸へ去って過去となった。ブリッケなごたくさは流れ、ふたたび彼女と見えることはない。ブロイエルの療法を擬えたのはフロイトだが、彼のエディプス・コンプレックスへの解釈に私は組みしない。さらなる幼年期に素因があると思っているからである。それ以上、是々のごたくさや顛末の解析の要はなく、委しく話す必要もない。万象は徒に流れ去るのみである。
 伊勢集には徒寝を含む数首が選されている。だからと言って引用する気はない。ひとの言葉に自らの思いを託さないのが私の作法である。で、ひとりになるのは慣れているはずなのだが、何度経験しても淋しい。読書百遍而義自見と言うが、恋愛の意味内容だけは未だにかいもく見当がつかない。抱月や辻潤によると、廓寥を捨て置くとひとはますますデスペレートになってゆくらしい。それを避けようとして、このところ同居アドレナリンが上がりっぱなしである。
 前述したように、恨みつらみを述べ立ててもなにもはじまらない。喋るほどに自らがばかばかしく思われるだけである。そういうときは酒を飲むにかぎる。ところが、移動手段が車なので新宿へは飲みに行かれない。慣れるのに二、三週間は掛かるであろう家での独酌から切なさを払拭する手立てはないものか、そこから生じる同居アドレナリンなのである。
 恋愛にはいささかの執心もない。執着というよりは、恋愛そのものに未練未酌がないといったほうが正しい。恋愛結婚という概念を持ち込んだのは団塊の世代だが、自己開示や相互依存的な関係に重きを置く世代ならではの愚挙でなかったかと私は思っている。
 ただ、生きている以上、ひとには生活が待ち受けている。この生活と恋愛との関係はパトスとロゴスとの関係同様、おそろしく未分化なまま捨て置かれている。趣味を自らの人格の表明手段と思っているようなひとが情念を否定するなど、あってはならないことである。その心得違いは読み解く必要がある。

 「二人暮らしたアパートを 一人一人で出て行くの」との唄があった。ひとりだけ取り残されるから嘆かわしいのであって、共にあらぬ方へ遁走すればよいのである。あらぬと言えばアラヌスを想い起こす。ダンテの「神曲」誕生の素とされる「アンティクラウディアヌス」の作者である。そのようなことをなぜに書くかと言えば、遁走に先立って書物をはじめとする玩具を処分しなければならないからである。私の身の回りにはものが多すぎる。かつての蒐書は散書に切り替えなければならない。アラヌスを再評価したクルツィウスやベンヤミンの他、四、五十冊の詩歌集があれば余生には充分である。玩具ことごとくの処分の決心がやっとついた。


2007年05月13日

最後のモルト会  | 一考   

 これから客層が変わる。常連さんで足の遠のくひとがあれば、あまりいらっしゃらなかったひとで来店が繁くなるひともいる。この一月は興味深い。
 店の所在地が変われば、なおさらお客さんの新陳代謝は激しくなる。そして店の相方と自宅の同居人を平行して捜さなければならない。二階の四室が開いたままではどうにもならない。店が優先するが、同居人が見つからなければ住居もやがて転居になるかもしれない。住居付きのバーが高円寺にあったが、選択枝に入れなければならなくなった。いずれにせよ、不動産屋を回る時間的ゆとりを奪われたのが口惜しい。
 ですぺらはみすじ通りへ引っ越す予定だったが、振り出しに戻った。ひとりになるのは想定外で、さらに小さな店を探さなければならなくなった。笹目さん、佐藤さんと話し合ったのだが、店の方は演劇・舞踏関係のひとの助けを乞うことになりそうである。とりわけ、佐藤さんの動向は今後の私の生活に大きな影響を与えそうな気がしてならない。
 さて、二十六日(土曜日)のモルト会である。どなたかの協力が得られれば可能だが、ひとりでの開催は覚束ない。しかし、最後のモルト会なので、貸し切り状態にしてでも催したいと願っている。従って、もっか問い合わせ中である。ご参加くださる方々に迷惑をお掛けするのは承知、その上で開くか開かないかはぎりぎりまでお待ちいただきたい。


2007年05月12日

感謝  | 一考   

 即日、まなさんと松友さんが快諾なされた。ご協力忝なく思います。ここに記して深甚の謝意を表したく思う。

 moonさんと話していて西明石で店をはじめた頃を思い起こした。九時起床で十時から昼編の魚を入札しに漁港へ、一時からスーパー巡りで四時から仕込み、六時から深夜二時までが営業で閉店後飲み歩く、五時に帰宅してまた九時に起床の繰り返しであった。旧掲示板にも書いたが食事は朝の海苔弁当のみ、休日を設けなかったのでかなりハードな生活だった。当時付き合っていた女子大生の口癖は「あなたといると死んでしまう」
 今回も似た生活になるのではないかと思っている。この五日間食事は朝飯のみ、明石と異なるのは自宅周辺に飲み屋がないことである。従って二、三時間ほどの晩酌となる。久しく忘れていた空腹の開放感に浸っている。喰わないとこれほど酒が美味いものかと感心させられる。ウィスキーの香味が痛いほどよく分かる。書物を読み解く、エンジンの音を読み解く、ウィスキーの香味を読み解く、それら思いの行程はおどろくほど似ている。生活が安定し、こころが平穏になるとなにもかもが読み解かれなくなる。当たり前のことが、いまさらのように痛感させられる。


2007年05月11日

ご協力願います  | 一考   

 前項で書いたように、駐車違反の取り締まりがきつくなったで、閉店の準備期間を早めることにした。今月は通常に営業するが、六月に入ればすぐにでも酒の搬出をはじめたく思う。
 搬出に際し、店の前に車を置かなければならない。私が荷物を運ぶ間、車に乗っていてくださる方が必要になる。免許証はいらない、ただ乗っているだけでよいのである。その間のアンパンとジュースは馳走する。曜日は3、10、17の日曜日、どなたかご協力いただけまいか。なるべく早く連絡をいただければうれしく思います。


2007年05月10日

ひとりもの  | 一考   

 東池袋にダイエー系のスーパーがあって、今日は蚕豆を買いに立ち寄った。出てくると、駐禁取締りのおじさんが私の車のナンバープレートの撮影さなか、間一髪で助かったのである。蚕豆だけだからよかったものの、魚を見ていれば間違いなく一万五千円の出費になるところだった。
 下って一ツ木通り、ビール、ジュース、洗剤、タオルと蚕豆を店へ運び込み、駈けるように戻ったところ、同じ情景に出会した。
 ですぺらには出入りの酒屋がない。当たり前のはなしで、指定するモルト・ウィスキーやワインはそこらの酒屋では調達できない。午後をいっぱい費やして方々から酒を掻き集めている。埼玉、千葉はいうにおよばず、吉祥寺、世田谷、渋谷、銀座、大島と走り回っている。
 これから買い物は赤坂で済ませるしかない。ひとりになるとはこのような制約が生じるのかと駭然として眼が眩んだ。今後のフードメニューの制限はおろか、酒の運び入れまでがほぼ不可能になる。なんぞ策を講じなければですぺらが成り立たなくなってしまう。


アードベッグ2  | 一考   

 先日、アードベッグについて書いたが、ベルギー市場向けのディスティラリー・ボトルが三種入荷している。

 ARDBEG 1972/2004 for BELGIUM CASK No. 3038  44.2% 70cl 総生産148本 当社在庫6本   91,200円(税抜)
 ARDBEG 1974/2005 for BELGIUM CASK No. 2738  53.1% 70cl 総生産75本 当社在庫6本   90,000円(税抜)
 ARDBEG 1974/2006 for BELGIUM CASK No. 3324  53.9% 70cl 総生産118本 当社在庫18本   86,400円(税抜)

 ちなみに当社とはTHREE RIVERSである。昨今のシングルカスク限定品と比して格段に安価である。しかし、いまの私には手が出せない。
 今日は昼に家を出て、インプレッシブのアードベッグを追加購入してきた。昨夜開栓し、おきやまさんと試飲したのだが、背中がぞくぞくするようなアイラ・モルトだった。エイコーンが扱ったキルブライド(ラフロイグ)'99、4年もの60度の香味と通底するモルトで、強烈なインパクトがあった。
 インポーターはウィスク・イーで、テイスティングノートにはスモーキーなレモンキャンディー、シナモン、グレープシード、ヨード、焦げた古い木、ハーブ等とあるが、まずなによりも初手の薬品臭を大書しておきたい。二十年近く前に飲んだアードベッグは間違いなくこの種の薬品臭を持っていた。水に醸造用アルコールと消毒液を入れて攪拌するとアードベッグになるというのが持論で、私にとってアイラ・モルトとは不味いウィスキーの代名詞だった。
 美味いが個性なら優等生、不味いが個性なら前述した「強烈なインパクト」をひとに与える。スケバンを張っていたとか、務所帰りとか、ストリッパー、娼婦、ポン中等々、私のまわりには歯痒くなるような個性に満ち溢れた女性が多くいた。はがゆい、もどかしい、じれったい、なんでもよろしいが、彼女たちは世の中のなにひとつとして思いどおりにならないことを知っていた。その心のいらだちをわが身の責任に転嫁する。酒も睡眠薬も覚醒剤も文学もそしてマゾヒズムも、ことごとくは転嫁の結果である。さまざまな屈折を経てひとは生死の狭間を転げ落ちてゆく。真っ当なひとが文学に興味を持つなんてやめてくれと叫びたくなる。
 そのような阿鼻地獄を思い起こさせるインプレッシブ(こころに残る)な酒、それがかつて出遇ったアードベッグだった。


2007年05月09日

アードベッグ  | 一考   

 この一箇月、拙宅には電話がなかった。連休のあいだにファクシミリホンが入ったのだが、それまで各地のインポーターのウィスキー情報からは隔離されていた。ファクシミリホンはオークションから購ったのだが、その相手が明石の住人で、ですぺらをご存じだった。従って入金前に電話が届き、即刻利用させていただいた。
 必要最低限の情報をさっそく取り寄せ、これまた最小の荷を注文。本日、インプレッシヴ・カスク・シリーズのアードベッグが入荷した。ヴィンテージは2000年、ボトリングが2006年のカスク・ストレングス、アルコール度数は62.7度、熟成はシェリー樽である。
 アードベッグ蒸留所が樽の販売を停止して久しく、先月入荷されたダグラス・レインの12年ものは18000円の高値になったにもかかわらず、即日完売された。ゴードン&マクファイルの手持ちもなくなり、これからは急騰するものと思われる。上記インプレッシヴも、国内への入荷はわずかに60本、アイラ党にはこたえられない一本である。
 先日、二割引と書いたが、新入荷のボトルはそのかぎりではない。スプリングバンク12年、シグナトリーのロングモーン16年など、四月に入ってからの7本の値引きはしない。十分な安価をつけているからである。もっとも、バックバーの酒は約1000本、7本では1パーセントにも充たない。どのみち、安売りをしたところで、元々安い酒しか売れないのは承知している。


連休  | 一考   

 初日は野暮用があって酒は飲まれず、二日目からは飲んだくれの休みを過ごした。菊正のピンとサントリーのジョッキ生黒を片手に、タラの芽のてんぷら、イカスミで味付けした鯣、干鰈、白鰈の煮付け、鰤の照り焼き、磯平目のムニエル、縄で縛り上げたちょいと痩身のときしらず等々を食した。ときしらずが網タイツでも履いていれば少しは艶っぽいのだが、まさか荒巻が黒い下着を身につけていれば、消化不良はおろか下痢腹痛で悶絶するに違いない。そこは無難に妄想でおぎなって済ませるのが酒肴の常である。
 私の歳になってくると現実の接触も妄想もさしたる差違はなくなってくる。それを私に教えたのは某師匠である。書いてみただけで、私は師を持たない。持つ必要を覚えないし、私のようなやんちゃを弟子に迎えるような物好きもいまい。冗談半分に某さんを師と呼んでみたのだが、先方はそのようなことはお見通しであって動じる気配すらみせない。「弟子なんざあ一人もいないし持ちたくもない」とのご意見を傍らに、以降、調子に乗って人前では先生などと宣うことになった。
 この先生、実ははとんでもない筋金入りの変態で、彼と知り合ってからはホモもレズもSMも、私にとって特別な性癖でも存在でもなくなり、そこいらの軟弱な変態を日陰者ということすら憚られるに至った。とは言え、その生態、要するに性態をこと細やかに述べ立てる気はまったくない。
 某さんとはSさんの紹介で出遇ったのだが、「あんた、なに見てんのよ」と声を掛けられたときの返答はひとつ、「月並なものを見ているんです」でしかない。もっとも、これでは某さんのモノが月並と受け取られかねない。温泉へ同道しているので、体躯に合わないいみじき尤物であることは先刻承知。月並と言ったのは前者の体躯である。そして、ひとから月並と言われて血相をかえるような柔な某さんではない。弁証法などといった青ざめ乾枯した殻はとっくの昔に脱ぎ捨てている。
 はじめてお会いした四十年ほど前、ひとのなかには変わる部分と変わらない部分があって、性愛に対する偏倚はもっとも変わらない部分ではないかと述べたことがある。変わらないことの月並さを強調したかったのだが、件の先生は「そうかねえ」のひとこと。なにを話してもその為体で、一向に噛み合わない。思うに、変わるものと変わらないものとの比較ないしは対置しようとする作法がお気に召さなかったようである。強調しておきたいが、先生は往時三十五歳、すでに二元論における相互の還元不可能性を訝しく思われていた。
 その後ほどなく、先生が性、ただし現実の接触としての性を棄ててしまったことを知った。変わらないと思うのなら、それを丸ごと捨てちゃえばどうなるの。持ち続けなければ死んじゃうようなものだったら死ねばいい。なにを捨てようが拾おうが、そんなことは生死にはなんのかかわりもない。どうでもよいことに拘る君の真意は奈辺にあんのかねえ、との問い掛けだったのかもしれない。
 はなしは簡明だが、ここにはさまざまな仕掛けが垣間見られる。以降、先年の先生の死までお付き合いは続くのだが、マゾヒズムにかんする語語は情を含んで心胆を感ぜしめた。マゾヒズムは受容性に富むものだが、その未分化な原基はパーソナリティの否定にある。もしくは、パーソナリティの否定は受容性に富むものだが、その未分化な原基はマゾヒズムにある。
 さて、連休のあいだに起こった、あるいは起こらなかったさまざまなことに対する私の意見は以上である。繰り返すが、某さんも私もマゾヒストである。しかしながら、我等は風俗としてのマゾヒズムには一顧も与えない。


2007年05月08日

会員制  | 一考   

ですぺらの営業はあと一箇月と一週間になりました。その間は人手不足のため、会員制セルフサービスのバーにします。
テーブルに座られた場合はカウンターでの手渡しになります。セルフサービスへのお返しとして消費税は内税にします。
過去、特定個人に対して行ってきたすべてのサービスは停止します。
モルト・ウィスキーとドイツワインは二割引、消費税と合わせて二割五分の割引価格になります。他の商品の値引きは考えておりません。
フードは可能なかぎり応じますが、四、五人以上のお客さまがいらっしゃるときはご遠慮ください。
申し訳ないのですが、店主ひとりの営業になりますのでご協力いただきたく、どうかよろしくお願い致します。

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