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2018年07月 アーカイブ


2018年07月23日

ハード系パン  | 一考   

 パンの基本はハード系である。パン職人になろうと思えば、最初に習うのがフランスパンである。にもかかわらず、明石には碌なフランスパンがない。神陵台にはクスパンとの素晴らしいパン屋があるが、他では西神中央のドンクもしくは土山まで行かないと食べられるフランスパンはない。どこへ這入ろうと菓子パンばかり、どうしてこのように詰まらないパン屋ばかりなのであろうか。基礎を学んでいないのだろうかと疑いたくなる。

追記
 怒りではない、ただ残念なのである。オートバイに乗っているのでクスパンへ行けば済む。東京では歩いて2分のところにパン屋があり4分のところに煙草屋があった。それを思うと、ひとつのパンを買うのに神陵台まで出掛けるのが億劫なだけである。


丹波黒枝豆  | 一考   

 日高さんが黒豆の枝豆を食べたいとおっしゃる。京都の紫ずきんも同じ品種だが、神戸で売られているのは丹波黒豆の枝豆である。篠山食料品店からのメールによると、早生種の第一弾が売り出されたとか。
 日高さんがおっしゃるのは茹で時間である。普通の枝豆なら30秒、黒豆なら1分がちょうど良いと思う。しかし京都の割烹で食べた黒豆は15秒か20秒、完全に芯が残っていた。それが本来の食べ方と分かっているが、それを美味と感じるには若干の訓練が必要でないだろうか。日高さんによると三宮で食べた枝豆はびちゃびちゃで食べられたものでないと。そこまで行けば京都の割烹はすでに射程距離にある。日高さんのために、少々小粒だが、早生の黒枝豆を買ってこよう。


安井健司さん  | 一考   

 ウイスキーは毎回完売になるのだが、ワインはそういうわけにはいかない。ワインの中古の値が分からないし、発送にクール便が這入ってくるので煩わしいことこの上ない。クール便は事前に冷やさないと扱ってくれない。従って、日数が余分にかかる。
 先日、枚方の安井健司さんがワインを取りにいらした。ヤフオクの現在のシステムでは途中で発送方法を変えることができない。また、ヤフネコにはクール便の項目がない。どうしようかと頭を抱えているところへ、安井さんから取りに行きますとの連絡があった。面倒な方でないのかなとの危惧はお会いして吹き飛んだ。安井さんはドイツワインに詳しい、詳しいなんてものでなく、まさに博覧強記、銀座のドイツワイン専門店ワイナックスやエノテカでワインを買っているとおっしゃる。また赤坂のドイツワインバーゆううん赤坂も行きつけとか。久しぶりにドイツワインのはなしで花が咲いた。マリー=アントワネットを持ち出すまでもなく、貴族階級はドイツの白ワインを好んで飲んだ。アイスヴァイン、ベーレンアウスレーゼ、トロッケンベーレンアウスレーゼなどの微妙な香味を楽しむようになれば、ボルドーのワインなんぞ飲めたものでない。ワインは白にはじまって白に終わるという、東京では赤一色で白ワインがまったく売れなかったのを寂しく思っている。


2018年07月21日

美味いワイン  | 一考   

 自分で売っていながら云うのもおかしなはなしだが、オールドワインを国内で買うのはリスクが高すぎる。
 クール便がはじまったのは1987年、同じ年に日本でワインセラーが製造販売されるようになった。リーファーコンテナがはじまったのは翌1988年、しかし当初はトラブル続きだった。列車があるいはトラックが火を噴いたとの事故が多発した。詳しくは書かないが、安定するのは2000年に近くなってからである。またリーファーコンテナによる運送はフランスと日本との間の便が最初で、ドイツ、イタリア、スペインのワインはフランス経由でわが国へ輸出された。要するに、今ではクール便が普通になったが、往時はクール便なるものがなかった。
 そして気候である。ほぼ温帯湿潤気候に属し、四季がはっきりしていて降水量が多いのを特徴とする。フランスは同じ温帯であっても、地中海性気候に属し乾燥している。海外から届くワインは、輸送時の環境変化や振動でコンディションとバランスが崩れてしまっている。もともと変質しているのが当たり前なのがワインの世界である。それを四季という名の気温の変化が襲うのである。ヴィンテージもので満足なワインなどあろう筈がない。また、1万円以下の価格帯のワインは長期熟成を前提に作っていないので、早めに飲んだ方が旨いに決まっている。
 赤坂時代、若い女性がボルドーの高級品は渋いので好きといっていたが、その渋みをなくしていくのが熟成でと説明したものの、考えてみれば、彼女の言い分の方が理にかなっているのかも。なぜなら、わが国の気候で熟成など不可能、だったら、渋いままに新しいワインを飲むのが正しかろう。酒と言えば酎ハイやハイボール、日本酒、焼酎が一般的な日本の世界。普通の店に入って旨い酒なんかにありつくことは絶えてない。ウイスキーであれワインであれ、通常手に這入るようなものはせいぜい酎ハイ程度の味わいでしかない。いわんや、その酎ハイ程度の味わいのかつヴィンテージものとくれば、美味い理由を探そうにもどこにもない。

追記
 ワインを購入する際、どこのインポーターの扱いかということに留意していただきたい。同じワインで値の安いものに手を出してはいけない。「ワインの扱いの違いがもたらす味わいの差」こそがもっとも大切なのである。
 ワインバーというカテゴリーがない時代に「サヴァサヴァ」から「ヴァン・ヴィーノ・ブリュレ」そして「ル・テロワール」などを立ち上げた今井健夫さんはいま「ワインホリック」を営まれている。日本でワインを買うならここしかないと思うのだが。
 ワイン好きならぜひお読みいただきたいサイト。

 https://pursing.amebaownd.com/


2018年07月20日

バルクワイン  | 一考   

 輸入される酒の状態の善し悪しはインポーターで決まる。ワインのような醸造酒はなおさらである。昨今、ラシーヌ、ラフィネ、フィネスといった素晴らしいインポーターが活躍しているが、それらインポーターの力量によって運送途次の扱い方が決まってくる。ヨーロッパなどでは結構好い加減でリーファートラックを手配しても、通常のトラックが生産者の元に回収に来たり、リーファーのスイッチを入れなかったりと見えないところでかなりリスクがある。またわが国の酒屋のワインセラーへの接し方も電源を入れたり切ったりと実に好い加減である。
 昨今のワインの輸入は様変わりである。ボトルからバッグインボックスへ、そしてバルクワイン(バルク輸入して国内で瓶詰するワイン)へと移行している。巨大なビニール袋にワインを入れて送るのだが、その工程で樽のチップをワインのプールに入れる。樽香を付けるためである。そうしたバルクワインを国内で樽に詰め替えて売る店まで出てきたそうな。よくもまあ、恥ずかしくないものだと思う。ワインを扱うひとはインポーターや運送会社にまで気を遣っていただきたいと願う。


一安心  | 一考   

 身体が痛い、全身がずきずき痛み、風呂にすら這入られない。理由は分からない。先々週の血液検査ではなんら異常は見当たらなかった。オートバイに跨がるに脚さえ上がらなくなった。今のわたしには250ccのオートバイすら重たくなってしまった。暑さのせいだろうか、年齢のせいだろうか。昨日の食事はとうとうカップうどん一杯のありさま。

 昨日、西明石の眞に寄った。ですぺらが在庫するモルトウイスキーを引き取とっていただけないかとの相談である。100本のうち84本は入手不可能なウイスキーである。明石地区でですぺらの酒を理解できるのは眞野公一さんを除いて他にはいない。彼の実直さが気に入ったのである。詳細はこれから詰めるが、一応の快諾を得、安堵している。


2018年07月19日

とどめの一撃  |  一考

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 タリスカーを過去61種飲んだ。50、60種類味見したウイスキーは限られる。アードベッグ、ラフロイグ、ラガヴーリン、ポートエレン、スプリングバンク、ブローラ、マッカラン、グレンファークラス、ローズバンクぐらいであろうか。そのうち、アイラとアイランズモルトのみ書いておきたい。
 タリスカーは79年蒸溜、00年ボトリング、スコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズのカスクストレングス58.0度のシングルカスクである。販売はスコッチ・モルトのディステラリー・コレクションの1本である。記載はないが、フィノシェリーカスク、ウイスキーの世界でいうフィノシェリーとはシェリー香がほとんど付かないシェリー樽、すなわちサードフィル以降の樽を意味する。同様のカスクを用いた逸品に、シールダイグのアイラ(中身はラガヴーリン)がある。90年蒸溜、03年ボトリング、12年もの、2樽、55度のカスクストレングス、ウイリアム・マックスウェル(イアン・マクロード社と同資本のカンパニー)のボトリング。共に、過去飲んだいかなるタリスカー、ラガヴーリンよりも美味。
 スコッチ・モルトのディステラリー・コレクションからラフロイグ90年蒸溜、00年ボトリング、10年もの、59.1度のカスクストレングスと76年蒸溜、98年ボトリング、22年もの、50.0度のカスクストレングスが頒されている。どちらもバーボンカスクでロンバードのボトルだが、ラフロイグでこれ以上のものに会ったことがない。
 アードベッグではシグナトリーから頒されたダンピー・ボトルが美味だが、その中でも67年蒸溜の30年もの、49.8度のオロロソ・シェリー、536本が秀逸だった。他では最近のGMのスピリッツ・オブ・スコットランド13種のうち、シェリーカスクの3種が旨かったが、これはどこかで書いた。
 ポートエレンではシグナトリー社ダンピーボトルのカスクストレングスシリーズの78年蒸留、02年ボトリングの23年もの、オーク樽274本のリミテッドエディション。ダグラス・マクギボンから3種頒されたミルロイ・セレクション、

 ポート・エレン'82/02,20年,61.7度,シェリー,プロヴァナンス、ミルロイ・セレクション
 ポート・エレン'82/01,19年,61.3度,シェリー,プロヴァナンス、ミルロイ・セレクション
 ポート・エレン'78/01,23年,62.2度,プロヴァナンス、ミルロイ・セレクション

はいずれも美味。


2018年07月18日

巣立ち  | 一考   

 日曜日、挨拶もなくつばめが巣立った、予想よりやや早かった。立つ鳥跡を濁さずというが、玄関一面は糞で汚された。さすが、拙宅のつばめ、他人のことなどお構いなしである。巣立った後も10日ほどは辺りの電線にとまっていると聞いたが、その気配はまったくない。玉津界隈の餌がよほど不味かったものと見受けられる。云えば、焼き鳥かレバー刺しでも与えたものを。


ライスジュレ  | 一考   

 お好み焼きチェーン「千房」がライスジュレを使っている。「小麦や食品添加物を使わなくても、パンやケーキが“しっとりもちもち”に?! グルテンフリー食(小麦アレルギーの原因となるグルテン不使用)を取り入れている方にとって、夢のような新食材が誕生しました」とヤンマーの解説にあるが、グルテンを摂取しないというのは、腎臓病や免疫疾患などの特殊な病気の人のグルテン摂取制限をする食餌療法が起源である。
 千房は「学歴・前科不問で「すべての責任は私が取る!」」で知られた店である。そこのお好み焼きをわたしは食べていないが、いち早くライスジュレを用いたところはさすがである。そしてオタフクからアレルギー特定原材料7品(卵、乳、小麦、そば、落花生、えび、かに)不使用のお好みソースが販売されている。明石にもライスジュレを使う革新的なお好み焼き屋ができないものか。


白飯  | 一考   

 その後の食事。土曜日は玉子焼き2個とサラダで終わり、日曜日は素麺1把とレタス、月曜日はちょっと量を増やそうとカレーを食べた。わたしは昔から自炊しかしないので、パックごはんに用はない。ところがマンナンごはんが半値で売っていたので購入。1食140g、150kcalのダイエット食品である。ダイエット食品であろうがなかろうが、わたしの知ったことでない。ただ食べて愕いた、水加減がすこぶる良い。通常売っているパックごはんは量が多すぎるし、飯が硬い。
 ここまで書いて、母を思い起こした。ガキのころ、わたしは固い飯が好きだった。そして茶碗一膳しか食べない。一膳は炊かれないので、残した飯を母は粥にでもして食べたのであろうか。15歳までわたしは母に炊事の面倒をかけた、そのことを深く詫びたいと思う。70歳代になって、やっと親子のありかたについて考えられるようになった。


2018年07月14日

総菜  | 一考   

 行きつけのスーパーの総菜を日曜日に買った。たまには肉をと思い、398円のプルコギを購った。木曜日までの5日間、副食はそれとサラダだけで済んだ。これではいけないと思いつつ、1日1食になってしまった。
 食欲は性欲と同じで癖になる部分を内包している。食べる時は食べるし、食べないときは食べない。食べないよりは食べられないと表記するのが正しいのかも。薬は食後に服用すようにと薬剤師はいう。しかし、食事をしていないので、薬は飲んでいないとの天邪鬼もでてくる。本末転倒とはこのことで、食事なるものを生活の規範にしてはいけないとの証左であろう。わたしのまわりで、1日3食摂っている方はいないと思うが、世の中には強迫観念のごとく、3食を食べ続けている御仁もいらっしゃる。
 とはいえ、いまのような(1日1食)食事を繰り返していると病気になる。病人のわたしがいうのだから間違いない。いろんなものが食べたくて、期間はともかく転々としてきた。松山、岡山、大阪、京都、岐阜、新潟、東京、埼玉、北海道、そして神戸と明石である。父が死んだときに高田を、そして福原と花隈と云う街が消え去った時点でわたしにふるさとはなくなった。しかし、最初と最後はどうやら神戸のようである。


会席  | 一考   

 玉子焼きが明石焼きになったのは明石名物を気取ってのことと思う。似たものであっても、東京ならば東京焼きとでも称するのかしら。玉子焼きにしろお好み焼きにしろ、東京の方がはるかに旨い。使っているタコも太東・大原産真蛸、明石のそれよりもずんと美味とわたしは思っている。山芋の粉やじん粉は疾うの昔から関東では用いている。久しぶりに明石へ戻って気付いたのは、明石は昔のまま、なんの深化もないのである。置き去りにされた街とでもいうべきか。

 昔「銀花」で日本道楽散歩・神戸篇を執筆した。その折に明石の人丸花壇と舞子ホテルにもご登場願った。両店舗共に、往時の会席料理は美事だった。わたしにいわせれば、明石で料理らしい料理を作っていたのは人丸花壇と来住だけだった。来住がなくなったのは残念だが、当時の明石のひとたちには来住の素晴らしい料理が理解できなかったというだけのこと。
 引っ越してから数件の割烹に出かけたが、わたしに云わせれば素人料理。非難するようなことは当掲示板では禁句だが、料理にせよ、酒全般とりわけ洋酒に関しては識見のないこと夥しい。明石や神戸でしか通用しない素人相手の商売人ばかりかと疑いたくもなる。もっとも客がそれを望むならそれはそれで致し方ないが。
 魚を下ろすだけなら河豚から鱧にいたるまで、わたしのような素人でも十分にできる。今までに河豚の200尾から300尾はばらしてきた。そしてテトロドトキシンでひとを殺めたことはない。嵐山吉兆の料理長からちりめん山椒の作り方を教わったが、わたしの作り方はまったく異なる。そちらはいろんな料理雑誌で執筆してきた。特に。赤坂時代、ゆくりなくも料理王国の編集長と親しくお付き合いさせていただいたのは楽しい思い出だった。わたしは料理がこよなく好きである。ただ、基礎をおろそかにした会席なら巷の牛丼で結構と思っている。


2018年07月13日

ワインの整理  | 一考   

 赤坂ですぺらで用意した約2000種のワインのうち、100本ほどが売れ残っていた。それをオークションで売るのだが、中身をチェックして愕いた。出水のワインが七割を占める。往時、ワインの輸送業者で信頼できるのは1社しかなく、出水は取り扱うワインのすべてをそこに委ねていた数少ないワインショップだったのである。赤坂で出店した折り、その輸送会社の女性社長が赤坂エクセルホテル東急とANAインターコンチネンタルホテル東京のバーテンダーを伴って来店、神戸地区でわたしたちのワインを扱っているのは、三宮の頃末酒店と長田のすみの酒店、個人ではあなただけだったと云われた。この日、お三方にお飲み頂いたのは、リパ・デッレ・マンドルレ(カステッロ・ヴィッキオマッジョ)の94年だった。フルボディでなく敢えて出たばかりのミディアムを薦めたのにはそれなりの理由がある。そして白はミュスカデ・キュヴェ・ワン(ルイ・メテロー)95年、90年代で唯一造られたヴィンテージで、ですぺらでもっともワインに五月蠅い永瀬さんのお気に入りだった。永瀬さんによると片仮名にするとムスカデの方に分があるようである。
 ワインと云えば横須賀功光さん。前田美波里、山口小夜子、宮沢りえなどの資生堂ポスターを撮影、イタリアンヴォーグ、ドイツヴォーグ、フレンチヴォーグのフリーランスカメラマンとして名を馳せた。彼がですぺらでの開口一番、「飲んだことのないワインは存在しない」。ロマネコンティのモンラッシェが1本だけ残っていたのだが、当然、知っているよの一言。フォンテーヌ・ガニャールのバタール・モンラッシェ89年を3本、堺のコレクターから買い受けたものだが、そのヴィンテージは飲んでいないとのことで、お飲みいただいた。横須賀さんのシャトー・ペトリュスの方が好きとの言葉からワイン談義が1年間、彼が亡くなる日まで続けられた。そこから先の消息は当掲示板に詳しい。
 さて、ヤフオクである。87年から96年にかけての赤ワインの一部を取り敢えず出品した。ウイスキーと違って醸造酒の経年劣化は避けられない。最初は全品1000円でと思ったが、シャトー・ラグランジュの空き瓶が1800円で売られている。自信はないが然るべき値段を付けた。家賃の足しになればよいのだが。


2018年07月10日

スコットランドの山の頂でラガヴーリンを飲む至福  |  一考

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 ドナルド・レニック前所長(現在は女性)が来日した折りのインタビューです。検索しても出てこないので、転載させていただきます。掲載した方のお名前が分からないので、こちらで陳謝いたします。
 文中に書かれているように、90年代半ば、原酒不足でラガヴーリンはとんでもなく値上がりしました。経営も思わしくなく、イアン・マクロードが大量の原酒を買い支えたというようなはなしも耳にしました。ドナルド・レニック所長が山の頂でラガヴーリンを飲んだように、わたしは北海道のキャンプ場で鮭とばを肴にアイラモルトを独酌していました。(一考)


モルトの巨人と称されるラガヴーリン。
アイラ島の厳しい自然のなかで、その類い稀なモルトの個性を守りつづける人物
11月初旬、来日したラガヴーリン蒸留所のドナルド・レニック所長に、インタビューをしました。


--はじめに、レニック所長のウイスキー業界での主なキャリアをお訊かせください。  
     
 1981年にホワイトホースのボトリング部門にエンジニアとして入社しました。曽祖父が家でウイスキーを作っていたというエピソードはありますが、それまで身内にウイスキー業界に携わったものはいませんでした。その後いくつかのウイスキーの工場でボトリングやモルティング工程のエンジニアを努め、1996年にアイラ島に渡りポートエレンでモルティングのエンジニアリングを担当し、98年にラガヴーリンに移って、当時のニコルソン所長の下で蒸留を学びました。所長になったのは1999年です。  
     
--ウイスキー製造の現場で働くということに、どのような思いを抱かれていますか?  
     
 まず、私が住んでいる家は蒸留所のすぐそばなので、通勤ラッシュのストレスとはまったく無縁な生活を送ることができます(笑)。毎朝徒歩で通勤するのですが、蒸留所の敷地に足を踏み入れると気持ちがぐっと高揚します。ラガヴーリンで働くことは、私にとって大きな喜びだからです。それは何よりも、素晴らしいスタッフと一緒に仕事ができるからにほかなりません。いま従業員は私を含めて15名いますが、みなラガヴーリンの長い歴史をしっかりと受け継いでいます。なかには4代に渡ってラガヴーリンで働いているというスタッフもいるのです。  
     
--ウイスキー愛好家の間でラガヴーリンの人気はますます高まっています。他のウイスキーにはないラガヴーリンの際立った個性が生み出される要因は、いったい何なのでしょうか?  
     
 ラガヴーリンの味と香りには「7つの秘密」が関係しています。ひとつは水。2番目にバーレイとピート。3番目はマッシュとウォートの生成方法です。4番目はオレゴンパインのウォッシュバックで55時間かけて行う発酵。5番目は細長いウォッシュスチル。このスチルは45度に折れ下がったライパイプの形も特徴的です。6番目はタマネギ型のスピリッツスチル。最後にスピリッツスチルにかける時間の長さです。しかし、それら長い歴史のなかで培われた技術を再現するのは人間です。伝統を受け継いだ優秀なスタッフなしでは、この味と香りは決して完成しません。  
     
--所長という仕事で、特に気を配っていることはどのようなことですか?  
     
 ウイスキーをつくるということは、歴史が創造したそのキャラクターを、間違いなく再現することです。大切なのは設備や環境を可能なかぎり変化させないこと。そのためにあらゆる面で気を配ることが、私の重要な仕事のひとつです。いまや世界的に重要な蒸留所となったラガヴーリンを所長として預かることには、大変なプレッシャーを感じますが、同時に大きな誇りでもあり非常に名誉なことと思っています。    
     
--ところで、地元スコットランドでのラガヴーリンの評価はどうなのでしょうか?  
     
 もちろん、国内でも大変人気のあるモルトです。若い人から年配者まで幅広く受け入れられています。個人的にはラガヴーリンは非常に男性的なウイスキーだと思うのですが、いまでは若い女性のファンもとても多くなっています。私も正直なところ驚いています。

ラガヴーリンに至る前に多くのウイスキーを試し、最終的にラガヴーリンに辿り着く人が多いと思います。しかしラガヴーリンを飲んだことがない人が蒸留所に見学に来られても、ほとんどの人から美味しいという評価をいただきます。  
     
--ラガヴーリンに合う食べ物があれば教えていただきたいのですが。  
     
 食べ物と合わせるのならば、なるべく強い味のものがいいと思います。チーズならば例えばロックフォール。甘いものならばチョコレートのようなもの、それも味の濃いダークチョコレートがいいでしょうね。  
     
--日本にもラガヴーリンファンは非常に多いのですが、実はラガヴーリンはその人気の高さからか、いまとても手に入りにくくなっています。それはなぜでしょうか。  
     
 確かにいま、ラガヴーリンは16年を中心に在庫不足が続いています。実はこの原因は、80年代のスコットランド経済の不況にあります。このときの不況は蒸留所の運営にも大きく影響し、多くの蒸留所が閉鎖に追い込まれました。幸いにしてラガヴーリン蒸留所は閉鎖にこそ至らなかったものの、生産制限をしなければいけなかったので操業は週に2、3日という状態でした。つまり16年前の生産量が絶対的に少ないのです。

そして現在、ラガヴーリンは世界的に非常に高く評価されるウイスキーとなりました。それはとても光栄なことなのですが、在庫の少なさに人気の高さが加わって、入手しにくいウイスキーとなってしまっています。決して、私が出荷前に全部飲んでしまっているわけではありません(笑)。

しかし、90年代には蒸留所の生産は再び安定したので、皆さまにラガヴーリン16年を心置きなく飲んでいただける日はすぐそこまで来ています。安心してください。  
     
--最後に、レニック所長ご自身はラガヴーリンをどのようなウイスキーだと思いますか。またどんなシチュエーションでラガヴーリンを飲むのが好きなのか、教えてください。  
     
 ラガヴーリンは私が愛して止まない、とても特別なウイスキーです。強いピート香とスモーキーさを持ち、それでいて甘く、そしてとても複雑です。そしてそのフィニッシュの長さ。とても気持ちいい後味が、長く、長く続きます。

忙しく働いた一日が終わったとき、家に戻りホッと一息ついたところで飲むのもいいものですが、やはり私は、気の合った友人たちとテーブルを囲んで賑やかに話しながら飲むのがいちばん好きです。

それからもうひとつ。私の一番の趣味はヒルウォーキングです。スコットランドの3000フィート以上の山々をリストアップした「マンロー・リスト」の全284座のうち、これまで186座に登頂しており、制覇まであと98座です。その一つひとつの山頂で、登頂を祝って必ずラガヴーリンを飲むのです。眼下にスコットランドの大地を眺めながら飲むマイ・ホームウイスキー。ほかの何にも代えがたい、幸せな瞬間です。
   
 マンロー・リスト Munro List
スコットランドの3000フィート(910m)以上の山のリスト。作成者マンロー男爵の名を冠したこのリストには284座の山頂が記載されている。リストの山々を登頂することは「Munro-bagging」と呼ばれ、英国の多くのヒルウォーカーたちの目標になっている。英国における「日本百名山(深田久弥著)」のような存在といえる。  
 
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2018年07月09日

地下神殿  | 一考   

 世の中は水浸しである。玉津町今津地区は避難地域になったが、後60センチほどで明石川は氾濫していた。東京にいたとき、首都圏外郭放水路、別名「地下神殿」が完成し、170ミリの洪水に耐えられると都は胸を張っていた。今回の大雨は場所によって1600ミリだったという。四国や広島でなく東京に1600ミリの雨が降れば山手線や地下鉄は壊滅状態になる。170ミリとの基準がわたしにはさっぱり分からない。
 東日本大震災のとき、直接の被害はなかったものの東京の交通機関は完全に麻痺した。今回のような大雨が降れば麻痺ではすまない。数千あるいは数万人の死者が出る。


2018年07月08日

海藤花  | 一考   

 にらみ鯛に限らず、尾頭付きの鯛を丸ごと焼いた塩焼きは愛媛の養殖鯛だったり、ニュージーランド産の冷凍鯛だったりする。明石で穴子は獲られない。家島から送られていたが、最近は韓国産ガ多く、焼あなごの高砂下村商店も韓国産を用いている。明石焼き(蛸焼き)も聞くところによると一軒は明石産の蛸を使っているようだが、他はインド洋産である。
 他人のことはいわれないが、のれそれの躍り食いを食していて穴子が手に這入らないとはこれいかに。もっとも、のれそれはマアナゴのレプトケファルス(稚魚)であるというが種名は定かでない。石巻魚市場にはギスのレプトケパルスが水揚げされていて、こちらも「のれそれ」と呼ばれる。シラスなどのような生臭みは全くなく美味といえば美味である。

 海藤花については何度か当掲示板で書いているが、明石の漁師ですら誤解が多い。蛙の列なった卵を想起させる産卵後の蛸の卵・海藤花を吸い物で頂戴するとき、一緒に入れる浜ぢしゃの新芽と松の実の幽けき香を楽しむのが料理の醍醐味だと聞かされて育った。割烹料理には欠かせない珍味のひとつだった。ところが、産卵前の蛸の卵を海藤花と称するひとが明石にはたくさんいらっしゃる。どこが藤の花なのかお訊きしたいものである。ケシ粒大の卵粒がつらなり、垂れ下がるのが藤の花房に似ることから、江戸時代に明石藩の儒者・梁田蛻巌によって「海藤花」と命名されたのでなかったか。

 お国柄というものがあって、その土地、土地に名物がある。それはそれで結構なはなしだが、魚などが名物になるのであろうか。2016年4月1日現在、日本国内には2,866の漁港がある。それぞれの漁港は家(うち)の魚は日本一と固く信じている。明石界隈の漁港では垂水が第三種、林崎が第二種に這入っているのみで、他の塩屋、舞子、松江、藤江、魚住は第一種漁港である。要するに明石浦は漁港ですらない。わたしにいわせると明石の魚と比して千葉の魚は特段に旨かった。比較にすらならないというのが忌憚のない意見である。しかしそのようなことよりも、お国自慢の前に為すべきことがあるのでないだろうか。家(うち)が一番というような排他的な考え方そのものが安倍をはじめとする似非右翼をのさばらせているのであるまいか。


2018年07月06日

moonさんへ  | 一考   

 先ほど、久しぶりに女房と話しました。引っ越してきてはじめてでなかったかと思います。ですぺらの閉店について話し合ったのです。1年間は赤字がつづく覚悟はしていたのですが、その1年を経て、家賃すらおぼつかないのではどうにもなりません。
 開店の折はまだ身体が不自由で、周さんとmoonさんのお世話になりました。それゆえ、真っ先にご連絡を。詳細は後日改めて。

 ところで、明石川も鴨川と似た状況です。今日も終日強雨、天気予報では土曜日の明け方がもっともひどい雨のようです。


2018年07月05日

塵取り  | 一考   

 ツバメの子が3羽、賑々しく騒いでいる。親の餌付けは一日100回から300回に及ぶという、無事に巣立ちを迎えられればよいのだが。玄関口は糞に塗れている。百均で買ってきた塵取りを置いているのだが、このところ風が強くて役に立たない。ブリキの塵取りが欲しかったのだが、生憎とプラスティックのものしかない。わたしは気にしないが、お隣はさぞかし迷惑に違いない。


2018年07月04日

井陘の戦い  | 一考   

 一週間客がなかった。天候がすぐれないのもあろうが、晴れた日もあった。こういうときは店を開けているのが嫌になる。明石ならこのようなこともあろうかと思うが、いっそ閉店しようかと迷うのである。先日、高麗苑がいらした折、どこぞで働けば少なくとも金になる。その点、商売は望むべくもない、と。確かに、若ければわたしだって仕事がしたい。10万でも15万円でもよいと思う。しかし老いさらばえ、あまつさえ障害者となれば働けるところなどあろうはずがない。働く場所は自分で拵えるのほかないのである。
 背水の陣などというが、歴史上ことごとくの武将が敗れ去っている。成功したのは井陘の戦いのみでなかったか。


PRAMクリア  | 一考   

 人工透析の時のように背中が痒い。尿毒素が悪戯をするわけがないので、理由は他にあっておそらく薬である。医師に体調不良を訴えたところ、明日病院へ来いと云われた。明日すなわち7月4日は土砂降りである。このところいくら雨が降ろうがオートバイで店へ通っている。お客がないので駐車場代が捻出できないのである。しかし、病院へは四輪で行くしかあるまい。

 店のパソコンが起動しない。moonさんに電話をしようにもガラケーの電源が切れている。起動しないまでもパソコンの電源が這入っていれば電話への充電はできる。PRAMクリアの方法を教えてもらい、無事パソコンは起動。ありがたい友人である。

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2018年07月

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