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2018年01月 アーカイブ


2018年01月30日

あったりなかったり再開  | 一考   

 体調がよくなってきたので、寡多録の一部、フードのこれまた一部を再開する。どうかよろしくお願いします。
        
 茹でピー   300円
 チーザ    400円
 鮭とば    500円
 げそ塩焼   500円
 オムライス  600円
 ししゃも   700円
 合鴨燻製   700円
 カマンベール 800円

 鮭とばは2種類の盛り合わせです。ししゃもはカペリンでなく北海道だけに生息する本物のししゃも、日本の固有種です。むかわ町から送ってもらっています。ししゃもの雌は身がいまいちで、雄が高級品です。燻製は燻蒸後、冷凍しますので、解凍にちょっと時間がかかります。


2018年01月28日

大尽  | 一考   

 通勤路に庭の蛇口が壊れている箇所がある。水道水が流れ出て深夜ともなれば凍り付いている。オートバイにとってスリップは顚倒につながる。レーシングスーツを着ていないと大怪我を負う。その家の主人はきっと金満家に違いない、流れ出る水道料金を気にもかけないのだから。
 拙宅と店ともども室温は10度を切った。店は3基のストーブをフル稼働するも、18度に上げるのに3時間ほどかかる。それまではストーブにへばり付いている。杉本さんと京都で酒を飲んだ日々を思い起こす。暖房で顔は温かいのだが、靴の裏から冷え込んでくる。いわゆる底冷えである。飲んでも飲んでも底冷えが酔いを奪ってゆく。昨日は粉雪舞うなかを走った。


2018年01月26日

襤褸のゴアテックス  | 一考   

 ストリップショーを観ている方ならよくお分かりだが、ボアとはシャンデルなどの襟巻きの一種と思っていた。ところが、今ではコートの裏や襟、袖口につけた毛足の長い織物を指すようになったらしい。ユニクロのフリースを見ていると、単なる起毛生地をボアと称しているようである。
 寒いので、昔買ったゴアテックスの上着に着替えた。裏地は今いうところのボアで被われ、見るからに暖かそうである。ゴアテックスは二着持っているのだが、こちらは泥だらけで送られてきた。ヤフオクで二千円だっだが、通常衣服は洗濯してから売買に出すのが礼儀である。しかし若い男ゆえ、そのまま送付したのであろう。あまりの汚さに二度洗濯機にかけた。それが災いして雨水を弾かなくなり、タンスの奥で眠っていたのである。
 身丈、袖丈、肩幅はピッタリなのだが、腹の部分がきつい。体調がよくなってきてから少々太ったようである。これ以上体重を増やさないようにして長期寒波を乗り切ろうと思っている。


2018年01月25日

上白糖と三温糖  |  一考

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 NHKの情報番組「あさイチ」の砂糖に関する特集で、「国内で販売されている白い砂糖は上白糖、茶色の砂糖は三温糖と呼ばれている。白い方は漂白しているため、茶色の方が体に良い」との通説が間違いであることを指摘していた。
 「あさイチ」の2018年1月22日の放送によると「天然素材のサトウキビから砂糖の基となる原料糖を取り出し、それを結晶と蜜に分離する。結晶を液状にして濾過したものが白い砂糖になり漂白はしていない。蜜を3回煮詰めて結晶化したものが三温糖で、熱によって色が茶色になる」としている。確かに昭和期にはそのような作り方もあったが、今では上白糖しか作っていない。三温糖は上白糖をカラメル着色したもので、共になにも変わらない。「あさイチ」が指摘するように昔から漂白などしていないが、三温糖に関しては間違っている。
 言い方に困るので、取敢えず本物とでもいっておくが、本物の醤油や味噌は全生産量の2,3%しかない。スーパーやコンビニでは購入できないと思った方が良い。それと同じで、わたしがかつて料理で用いていた三温糖は昭和40年前後に消え去った。それと書いておきたいのはキッコーマン、ヒガシマル、ヤマサ、マルコメの社長や会長は悪名高い国策研究会幹部に名を連ねている。


泉宣道さん  | 一考   

 日経の泉宣道さんからレターパック到来。年に数回「魚作」に顔を出しているとやら。明石で魚の旨い三軒のうちの一軒であり、美食家だけによくご存じである。岸本さんの紹介で西明石のですぺらへ来られてからの付き合いである。彼はもっか日経顧問だが、日本経済研究センターのホームページに毎月コラム ChinAsia を執筆なさっておられるとか。その原稿のコピーが送られてきたのである。

 https://www.jcer.or.jp/column/izumi/index964.html
 香港返還20年 「雨傘」と「ひまわり」

 中国の内情を知悉した方である。書かれることは正確無比、わたしにとっては非常に勉強になる。失礼を承知で云わせていただくと、もう少し肉声があってもよいのではと思う。ジャーナリストが中立であるべきなのは重々承知、ただし泉さんは定年された身である。ポリティカルなスタンスをさらに明確になさればより面白かろうにと、元編集者のおじさんが申しております。


マッカラン [1947]  |  一考

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 Macallan 1947 Fine & Rare がヤフオクに出品されている。本国では2万ポンド以上の価格で売られているそうな。売りきりの1円スタート、もっか90万円ほどだが、英国なみに値付けされるのであろうか。 [1947] は今年1月に信濃屋が50万円で売り出したことがある。46度750㎖の旧ボトル(写真)だった。それを思えば30万円でも高いと思うのだが。いずれにせよ、ファーストボトルが62年、08年のRebottled(詰め替え)なので、それほどの価値があるとは思われない。
 本物の47年のボトルをかつて神大の仏文学者小島輝正さんが蔵しておられたと聞く。彼のシングルモルトやワインの貴重なコレクションはどうなったのであろうか。そういえば、ペトリュス・ボレル「シャンパヴェール― 悖徳物語」の翻訳をお願いした金子博さんも実のあるワインのコレクターだった。


長期寒波  | 一考   

 寒波は2月21日頃まで続きそうである。今日の深夜は大阪神戸がマイナス1度、明石はマイsiaス2度、姫路はマイナス4度とか、オートバイには辛い日々がつづく。フェイスマスクは鼻と口を掩うものだが、鼻は出して使っている。鼻を掩うと瞬間にシールドが曇ってなにも見えなくなってしまう、このように気温が下がるとなおさらである。風だけでも止めば幾分ましになるのだが。
 このような気温が27日も続くのであれば、それなりの対策をしなければならない。コートを一枚増やそうかと思っている。それと高田の業者から仕入れたオーバーズボンである。でなければ身体が持たないんでは、と危惧する。
 2014年2月、東京都心で積雪27センチだった、当時住んでいた三郷では40センチ近い雪で車が埋ってしまった。周さんが心配して雪掻きに来てくださった。ここぞと云うときには必ず周さんがいらっしゃる。何度も書いているが、去年の11月から身体がやっと動くようになった。それまでは散々周さんの世話になっている。


2018年01月23日

珍客  | 一考   

 大泉史世さんが電話で東京の積雪は20センチを越えたとか。同じ書肆山田の鈴木一民さんが季村敏夫さんと連れだってですぺらへ、共に10数年ぶり。久しぶりにあることないこと、はなしが弾む。新宿のブラで西部邁さんを偲ぶ会を催されるとか。西部さんは自身のいう「自裁死」を選択なさったのであろう。
 一民さんとは彼が書肆山田を継ぐ前からの付き合いである。大泉さんとは彼女が思潮社にいらしたときからの付き合い。その後、牧神社へ移籍なさっってからは頻繁に酒を酌み交わした。まさかお二人が一緒になろうとは思わなかった。しかし、わが国の詩のためには最良の組み合わせであり、最善の出版社の誕生だった。
 季村さんは川田絢音さんの実家のすぐ南側に住んでいらっしゃる、神戸出身でわたしが敬愛措く能わざる詩人である。資源や食料そして土地そのものを共同管理すれば諍いは起こらない、それらを占有しようとして戦争ははじまる。ひととひととの争いがもたらす不条理を糾弾し、個であることに拘りつづける希有な詩人である。みなさん気の置けない友なのである。


2018年01月20日

ホタテ素干しとアードベッグ  | 一考   

 中村漁業部の中村さんにとば茶漬けの食し方を示唆したところ、礼にホタテ素干し200gが送られてきた。そのようなつもりでなかったので恐縮している。煮干しには淡い味付けがなされている、まるでリンゴかナラの燻蒸香のようである。細川のママと頂戴したが、大層美味。ママも感嘆なさっていた。干物に関して間違いなく中村さんは達人である。
 ホタテを肴に新旧のアードベッグ10年を飲む。現行のそれと20年前のボトルである。まず、愕いたのは香りがまるで異なる。旧ボトルに顕著なシェリー香が新しいボトルにはまるでない。よく云えば甘みがなくなってスッキリ飲みやすくなったのだが、有り体に云うと深みがなくなって不味くなった。これほど違うとは思っていなかった。仕入れ先の武川蒸留酒販売の売値は4150円だが、旧ボトルには2万円の価値がある。それほど異なるのである。ラベルがまったく同じなので、並べて飲まないと識別できないが。


ニッカ レアオールド  |  一考

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 ヤフオクの高額落札品TOP100にわたしの出品したウイスキーやワインが5点載っている。赤坂で1万五千円で売れなかった白ワインが30万と28万円で売れた。それはともかく、とんでもないものが出品されている。
 余市のニッカ、ウィスキー博物館に収蔵されている物と同じ時代のもので、ニッカ第一号ウィスキーである。上はヤフオクに現在100万円で出品されている。液面は減っているが未開封。下は以前落札されたもので、50万1090円で落とされた。飲みかけで少量残っている。シングルモルトならともかく、ニッカごときがと思う。
 とんでもない序でに、去年ポートエレンの再開が発表されたが、ヤフオクがそのポートエレンで溢れている。一時は20万円を超えていたが、現在は6.7万円で買えるようになった。飲むのでなく、投資で買っているひとがいかに多いかである。それにしても、ディアジオ社のオフィシャルボトルと称するものだけは買わない方がよい。樽の提供はダグラス・レイン社である。いずれにせよ、詰まらない世の中になった。

追記
 どうしようか迷ったが、書いておく。サントリーの最初のウイスキー白札はピートを焚いている。ところがニッカは創業以来ただの一度もピートを焚いたことがない。ごく最近、観光客向けに焚きだしたようだが、それをウイスキーに用いているわけではない。わたしに云わせればインチキウイスキーなのである。


2018年01月18日

ウイスキー17点出品  | 一考   

 ヤフオクの出品が朝の7時にやっと終わった。解説はすべてオリジナル。書くことがなく、最後はボトラーのダグラスレイン社長との思い出を書いた。総額は45万5千円、前回はことごとく売れたが今回はいかがかしら、半分は売れて欲しいのだが。10分でウオッチが這入った、朝っぱらからご苦労なことである。
 人工透析をはじめてからの9年間、ずっとヤフオクでの物販販売のみで生活してきた。よくぞ売るものがあったと思う。月に20万円として2160万円、それに治療費が1000万円としても3000万円を超える。その間に車を3台乗り換え、オートバイを買っている。ぼちぼち破綻者ならぬ破産人になりそうである。
 先ほどからクォーターカスクを飲んでいる。僅か15ccから30ccなのだが、味わえるようになったのはとても嬉しい。


1.17  | 一考   

 1.17が終わった。震災について語りたくない、嫌な思いしか残らないからである。長田界隈で第三国人が火を付けて回っているとの意見をどれだけ聞かされたか。関東大震災のときから日本人の浅ましいまでのナショナリズムはなにひとつ変わっていない。吐き気を催すのである。日本人はどうしてグローバルなものの考え方ができないのであろうか。
 ただ、嬉しかったのは書肆山田と田村書店から見舞金を頂戴したことである。共に大金だった。そして京都書院の杉本茂行さんは福知山経由で持ちきれないほどのブルーシートを運んでくださった。お蔭でで拙宅の屋根は雨漏りから救われたのである。


鮭とばの茶漬け  | 一考   

 中村漁業部の中村さんから古くなったとばの食べ方への問い合わせがあって、茶漬けをお薦めした。茶漬けのコツは白湯でなく、白出汁で茶を淹れること、なんなら出汁の素でも結構。茶漬けの素を使う場合でも白出汁は必須。とばを薄くスライスして余分な塩はいらない。古くなった鮭とばの利用にはこれが最高です、と応えた。わたしは皮も食べたいので、皮の面だけを炙る。みなさんもぜひ食べてみてください。わたしがもっとも好きな茶漬けです。


2018年01月17日

防水  | 一考   

 今週は暖かいのでハーフチャップスやフェイスマスクの出番はない。マスクなしだと、息を吹きかけてもシールドは曇らない、曇る理由は自分のむっとする熅れなのである。早くこれぐらいの気温になってほしいと願う。
 オートバイのスタータースイッチの調子が悪い。バッテリーだと思い、9アンペアで急速充電してもらうも変わらず。リレーもコイルも問題なし、結果、スタータースイッチの接触不良と分かる。89年製のバイクなのでパーツがない、接点を磨いて駄目ならどこのメーカーのものでもよいのでスイッチを付け替えてもらうつもり。キジマの汎用品なら1000円ほどで売っている。
 昨晩は23時から雨、酷くならないうちに帰ろうと早仕舞い。防水と書かれていたジャンパーがまったく雨水を弾かない。昔、3.5万円もしたゴアテックスの上着が高速道路であっけなく雨を透し、下着までびしょ濡れになった。それ以来、防水なるものを信じていないのだが、それにしてもと思う。値は2千円だったが、一応バイク用のジャンパーである。やはりナイロン100%のレインコートでないと役に立たないようである。


2018年01月14日

割りチョコ  | 一考   

 来住さん来店、一流の料理人とは魚のはなしができる。しかし、何時も魚のはなしばかり書いているので、今日はちょっと違うところを。
 肉しか食べない昨今のアメリカナイズされた食生活こそ諸悪の根源、2型糖尿病の発症リスクを高める。日本人の糖尿病患者と糖尿病予備軍が共に約1千万人と推定されているが、この数値はどこまで延びるのであろうか。大晦日に買い物に出掛けたが、魚売り場はがらがら、肉売り場は黒山の人集りだった。つい最近まで関東の方は豚肉オンリーで牛肉は食されなかった筈なのだが、関西の焼き肉文化が東京まで席捲してしまったようである。
 来住さんと子供のころの駄菓子のはなしをする。乳製品を使わないヨーグルト、ラクトアイスの原型ともいうべきトランス脂肪酸とガムシロップを添加物で固めただけのアイス、カカオや乳脂肪が這入っていない絞り出しのチューブチョコレート。このチョコに関してはいまだに誤解が多い、長時間のローストからくる苦みであって、元々苦いチョコなど存在するわけがない。またチョコの味と信じているのはバニラの香りであってカカオ豆の香りではないなど。
 最近チュアオのようなカカオ豆の香りを楽しむBean to Barが出てきた。もっとも、わたしが旨いと思い、嵌まったのは不二家が昭和35年に発売を開始したシガレットチョコだが。それまでは前述したフジタのチューブチョコレートしかなかった。その昭和35年すなわち1960年にカカオ豆の輸入が自由化され、ついで1971年にはチョコレート製品の輸入が自由化され、さまざまな種類のチョコレートが流通するようになる。それまでのチョコレートといえば、醤油油や植物性油脂の硬化油、カカオマスの代わりに百合球根を用いた代用チョコレートしかなかったのである。
 子供の頃、直径1メートルほどの円盤状のチョコレート(当然、代用チョコレート)を固め、それを金槌で砕いたものがセロハンに包まれて、グラム単位で17円とか32円とかで売られていた。今の新開地湊川駅の真ん前である。大きな飴玉ひとつが50銭の時代、それは駄菓子の極北とでも称すべき逸品で、わたしは拾円札を握りしめて通ったものである。

 往時の駄菓子には今思うに、人口甘味料アスパルテーム、グルタミン酸ナトリウム、着色料、亜硫酸ナトリウム、硝酸ナトリウム、酸化防止剤、臭素酸カリウム、代替植物油脂など、とんでもないものが含まれていた。他方、栄養(カロリー)はほとんどなかったと、来住さんのご意見である。その通りだと思う。世の中は代用品ばかりで、なにを食わされていたのか定かでない。しかしと思う、例えば醤油やソースなら徳島のヒカリ食品、味噌ならコーボンみそといったように現在、本物は限りなく減ってきた。知らぬ間に周りの食品は自然食品と称するまがい物ばかりになってきた。天然塩も多くは高度好塩菌に犯されている。要注意なのである。


2018年01月12日

死がよぎるほどの寒さ  | 一考   

 膝が元気になったので、一部の所用を済ませる。冷え込みに比例してバイクはバッテリーがあがる。アイドリングを1500回転から2500回転へと揚げるものの一向に効かない。BMWに長く乗っていたが、外車は特に駄目である。オートバイの欠点はこのようなところに顕著に表れる。

 ジェットヘルメットなので、風はもろに吹き込んでくる。フェイスマスクではまったく効果がないのも分かっている。しかし、視界をなによりも優先させたいのである。これだけはなにがあっても譲られない。世界ラリー選手権(WRC)でも戦闘機のパイロットでも、ジェットヘルである。よって、走っている間は寒さで涕が流れっぱなしになる。くしゃくしゃの顔で田畑たばこ店へ這入ると「冬は大変ですね、ご苦労さん」「本当に。四輪の置き場所があるとよいのですが」と応じる。ぬくぬくと四輪に乗っているひとには想像もできまいが、新聞や郵便配達で小型バイクを走らせているひとたちに同情する。あのひとたちもフルフェイスは被らない、仕事にならないからである。
 この2.3日、バイク用のジャンパーが寒い。風が抜けはしないが、0度ともなるとどうにもならない。身体が震え出すと止まらなくなってしまう。服をもってはいるのだが、あまり大仰な格好はしたくないと思っている。もっとも有効なのは合羽かレインコートの類いである。厚着ではなく、風を通さない薄物の重ね着の方が確実なのである。


2018年01月11日

HLA抗体  | 一考   

 血液検査の結果だが、γ-GTPが跳ね上がっている以外、異常はない。上がったとはいえ、数値は92。GOT、GPT共に異常なし。クレアチニンも1.73と0.1上がっているが、すべて風邪が理由だそうな。56日分の薬を頂戴する。腎移植をしたのは2012年07月、普通は3年で安定期に入るのだが、わたしの場合は6年もかかってしまった。医師からクロスマッチ陽性例での腎移植は昔なら避けていたのですが、と改めて云われる。
 考えてみれば、去年の夏にまだクレアチニンは2.0から3.6の間を彷徨っていた。2年前に引っ越してきた折は週2回は検査で病院へ通い、3度の入退院を繰り返した。週1回の血液検査が月1回になり、やっと2箇月に1回になった。移植腎が落ち着き、先週からは15ミリリットルのウイスキーが飲まれるようにまで恢復している。慶賀に堪えない。

追記
 身体が思うように動くようになったのは去年の10月末から、まだ3箇月にも満たない。ですぺらのオープニングも周さんとmoonさんの協力がなければかなわなかった。初日の料理はすべて周さんの手になるものである。ここに記して感謝したい。


まなじり  | 一考   

 病院から帰り、山麓バイパスは雪だった。明石で霙に変わり夕6時まで続いた。金土は今日よりも2度下がって0度になるそうな。50キロで走れば体感温度はマイナス5度にもなる。その冷えから来る神経痛だが、湿布(ケトプロフェンテープ)を貼ったところ嘘のように引いた。戸田の医師からの申し送りに「苦情をいわない患者なので」云々との添え書きがあったらしい、神大の医師は十二分に反応してくださっている。検査結果を前に医師は風邪と炎症ですね、PLと湿布を追加で処方しておけばよろしいですね、と。
 膝の痛みで歩かれない、CT検査室前の休憩室には何時も誰も居ない、病院にはこのようなスポットがいくらでもある。血液検査のあとそちらで休憩するようにしている。めずらしくその部屋にひとがいる。おそろしく脚が長い女性とハーフの子供、子供の眼の美しさに魅入った。眦のキレ角が日本人のそれとはまるで異なる。素適なものを見せていただいた。


2018年01月09日

日曜日の買い物  |  一考

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 2週間ぶりに日曜日の買い物、行きつけの100万ドルというパン屋へ出掛ける。なぜかカスクートが140円、他に半額の苺のショートケーキ、削ったチョコレートがかかっているチョコ生ケーキ、ガトーショコラの3種を買った。
 それにしても、クリオロ、ボニュ、アテスウェイのショートケーキは旨かった。当地は砂糖の使い方に難ありとでもいっておこうか。もっとも、旨い菓子はこちらでもいくらでもある。多田智満子さんの家で馳走になるクッキーはどれも見事なものばかりだった。G線、ドンク、ベル、ボックサン、菓子の樹など、いくらでもある。ただし、それが旨かったからといって、探してまで買おうとは思わない。その記憶は多田智満子そのひとと共にあるからである。買って来た日には興味は半減する。「あなたはお菓子の事は何も知らないでしょう」と覗き込んでくる多田さんの息遣いにこそ、洋菓子をキラキラ輝かせる魔法があった。それはmoonさんに連れられて行った冴えないベトナム料理店やインド料理店と同じである。彼が講釈をはじめると途端に料理が店が輝きを増す、飲食の骨法はそんなところにある。

 風邪を治すため免疫抑制剤以外の薬を中断していたので、7.8.9日の3日間で血液検査に受かるようにしなければならない。さまざまな薬の血中濃度を元に戻すのは骨が折れる。処方箋はわたしの言い分を聞き入れてぎりぎりに処方されている。よって、薬を飲み残すことはわたしにはない。今回は足の神経痛で悩まされているので湿布薬を追加しようかと思っている。


2018年01月07日

栗林幸吉さん  |  一考

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 若き友、日髙夏生さんが帰郷するというので、目白の田中屋を紹介した。もちろん栗林幸吉さんである。田中屋には電話ボックス風の区劃があって、展示品の倉庫代わりに使われているのだが、そこにわたしの名刺が張り出されているそうな。
 「一考さんとの酒はたのしい、笑いころげて飲みました」と栗林さん。いまは日髙さんや細川のママと酒を酌み交わしている。「ウイスキーを飲むのは時を呑むこと」とは栗林さんの名言だが、旨いウイスキーは氷とおつまみ、そしてマキアージュを峻拒する。虚構・虚飾・脚色を捨てたところにのみウイスキーは存在する。

 種村季弘さんが死の直前、頻繁にですぺらへいらしたことがあった。ウイスキーは飲まれなくなり、ワインのミニボトルすら覚束なかった。それでも、実に旨そうに呑まれる。帰られたあとに残されたボトルのワインの量は日々増えていった。遣る瀬なさだけがあとに残る、わたしは厨房でひとり涙ぐんだ。


2018年01月06日

「正月の葬式」鈴木創士  | 一考   

 http://www.gendaishicho.co.jp/news/n22953.html?platform=hootsuite

 正月早々、正月を葬ってしまう過激な野辺送りが通り過ぎてゆく、「ジャコメッティの彫像のように」。鈴木創士さんは素晴らしい贈り物を拵える。まさに宛先のない小包である。

 「記憶の光のなかでは、鏡の表面に映っているものは全部が嘘だったような気がしてくるなどということは、ほとんどすべてが本当のことだったということだ。これが別種の(そうとしか言いようがない)光のなかにあったはずの物の特性である。人は消滅の数を数えたりはしない。消滅というのは蝋燭の火を吹き消すようにはいかないもので、振り返ったとたんに鏡のなかの自分が掻き消えていたりもする。暗闇にいても日なたにいても同じことである。嘘つけと言ったとたんに、口が腐ったりするのだ。
 しかしグレコの絵には光源がないのではないかと思わせるものがある。光はどこからも射していないし、物体や身体の内側に光源があるとしか考えられない。でもそれも後光のように人の内側から光が放射しているというのでもない。光があって、光源がない。だから例えば「トレドの眺め」の山の上の不思議な街並みは、色彩を故意に消してしまうと、月世界のように見えたりする。そこに突然、一羽の鳥が墜落する。外と内に。同時に。出来事とはそういうものである。「というのは結局のところ光は天空のなかにはもはやない。光は何よりもまず一種の原因(カウサ)に由来し、いかなる光源もそれをつくりだすことはできない」(シェフェール)からである。」」

 彼の今回のタイトルは「正月の葬式」。もっとも、彼にとっては正月であろうがなかろうが、どうでも良いことなのだが。鏡と記憶、鏡と光、鏡と物質、そのような二項対立が二項対立になり得ない儚さ、危うさ。消滅にかくまでこだわった文章を面と向かって書き表す。個であってすら躊躇しない存在の失意。このような文章を著す詩人と面識があるというだけでわたしは無性に悲しくなってくる。


2018年01月05日

「死ぬ前にもう一度、母の味を」 最後の食事をゲストに  | 一考   

 https://www.asahi.com/articles/ASKDF0Q9FKDDUHBI03Z.html

以下に全文を掲載しておく。欧州では後期高齢者になると、医療行為は中止される。胃瘻などは法律で禁じられている。透析治療も中止される。透析治療が中止された場合の余命は長くて1週間である。黙して死を迎えるのである。高齢者医療の負担軽減が理由である。わが国ならどうなるのであろうか。

「死ぬ前にもう一度、母の味を」 最後の食事をゲストに

 中世の町並みが色濃く残るドイツ南西のエスリンゲン。料理人のイェルク・イルツヘーファーさん(48)は月に3回、町外れのホスピスを訪れる。入所者の希望にかなった食事を作るためだ。平均の余命はわずか2週間。「最後の食事の料理人」と呼ばれる。

 イルツヘーファーさんは昨年11月末、経営する料理学校兼レストランで、この日に届けるメニューの下ごしらえに精を出していた。タマネギをじっくりと炒めて味付けしたローストオニオン、パンをこねてつくる団子のクネーデル、牛のモツ煮スープ。要望が多いのは地元のシンプルな郷土料理だ。

 「子どものころ、お母さんやおばあちゃんが作ってくれた料理。幸せだったころを思い出す、という人が多い」という。

 味付けは濃いめにしている。味覚が衰えている人が多いからだ。中には、料理を食べられず、香りだけで満足する人もいる。だから、色合いや盛りつけにも細心の注意を払う。

 イルツヘーファーさんは地元の料理学校を出た後、外国での修業を経て、エスリンゲンの西隣のシュツットガルトにある星付きレストランで職を得た。評判が伝わり、20代でバイロイト音楽祭の料理を担当。ワーグナー家主催のパーティーで腕をふるった。

 自慢の一品は、オマールエビを使った具材をパスタの生地で包んだマウルタッシェと呼ばれる郷土料理だ。多くの人から称賛を浴び、「わくわくしたし、光栄でした」。でも、何かが足りなかった。

 ログイン前の続き8年前、地元のエスリンゲンに戻って小さな料理学校を始めた。料理を作る楽しみを多くの人と分かち合いたかったからだ。

 ある日、皿洗いのアルバイトにきていた女性が悲しそうな顔で洗い場に立っていた。事情を聴くと、昼間に介護スタッフとして働くホスピスで、担当する患者が「死ぬ前にもう一度、母が作ってくれたローストオニオンのにおいをかぎたい」と言い残したまま、亡くなったのだという。

 自分ならすぐかなえることができたのに。迷わずホスピスに電話し、ボランティアとして活動を始めた。

 2時間ほどかけて料理の下ごしらえを終えると、専用の入れ物に詰め替え、車でホスピスに向かった。

 入所者は「ゲスト」と呼ばれる。前々日に1人が亡くなり、この日のゲストは6人。いつもは何人かで食卓を囲むが、6人とも体調がすぐれず、個室にこもっての食事となった。調理台で温め直し、ケーキ皿ほどの小皿に丁寧に盛った。

 傍らで、編み物をしながら入所者の付き添いのモニカ・ランベルトさん(54)が盛りつけを待っていた。2年前、夫のゲルト・ベフェルカーさん(58)に脳腫瘍(しゅよう)が見つかった。手術を受けて自宅療養を続けてきたが、2週間前にここに来た。元気なころ、ランベルトさんが苦手なレバーの料理が大好きだったという。

 夫がイルツヘーファーさんの料理を味わうのは、今回が初めてだ。メインディッシュは、細かく刻んだ子牛の肉に特製ソースをかけた一品。半身がまひしているため、ランベルトさんが個室まで運んだ。

 背中を見送り、イルツヘーファーさんは言った。

 「死にゆく者への思いと、彼らから受け取る感謝の気持ち。そこにあるのは、料理を超えた感情のつながりなんです」

 キリスト教会が関与することの多いホスピスは、ドイツ人にとって身近な存在だ。ドイツも、日本やイタリアに次ぐ高齢化率で、ホスピスも増えつつある。身よりの少ない自分が将来、ホスピスに入ったとき、同じようなことをしてくれる料理人がいてくれれば、とも思う。

 約30分後、空いた小皿を手にしたランベルトさんが部屋から出てきて駆け寄った。「おいしい、おいしいと全部平らげていました。生きている喜びをまたひとつ味わうことができたって。どうもありがとう」

 イルツヘーファーさんにもまた、ひとつ幸せが増えた。(エスリンゲン=高野弦)


風邪その後  | 一考   

 本日から為事再開、風邪の押さえ込みに成功したようである。PL配合顆粒は1日3包が基準だが、その倍以上服用した。免疫抑制剤は中断できないので、併せて1日30錠を超える薬を服用、流石に腰が痛くなった。もちろん降圧剤や胃酸抑制、尿酸排泄、コレステロール抑制など、関係ない薬は中断した。薬だけではない、パソコン、酒、煙草、食事も中断、ゴミ出しから買い物まで一切中止して蒲団に潜り込んでいた。茶、野菜ジュースなど、水分の補給だけは潤沢に行った。次回の血液検査は10日だが、おそらくガタガタになっているに違いない。
 もっか1日21錠にまで薬は減らしている。とにかく量を減らしたいとの意向を医師が汲んでくださったお陰である。従って生命維持にぎりぎりの量である。特に降圧剤は3種の薬をその日の状態に即して割って(減量)服用している。オルメテックのような強い薬(できれば止めたい)には留意している。例え免疫抑制剤であろうとグラセプターなら1㎎を3錠服用しているが、2錠に減らすことも可能である。そこまでして風邪だけは防がなければならない。次回の検査結果が良ければ2箇月に1回になる予定だったが、諦めるしかない。残念である。


2018年01月03日

風邪  | 一考   

 今日から営業をはじめる予定だったが、2日夜に風邪をひいてしまった。PL配合顆粒を大量に服用している。免疫を抑制しているため、風邪をひくと2箇月近く苦しむことになる。発見が早かったので、もっかのところ、鼻水で抑さえている。十分に注意しているのだが。

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