ですぺら
ですぺら掲示板1.0
1.0





【掲示板1.0では、時系列順(旧→新)に記事を表示しています。】

メイン | 「2001年11月」次月→

2001年10月 アーカイブ

櫻井清彦 | それではオープンです。


当掲示板の暫定管理人こと櫻井清彦です。
それでは掲示板をオープンいたしましょう。
ですぺらのマスター渡邊さんからお酒や書物などの情報、パーティ企画の告知などがあるでしょう。
掲示板が活発になればいいですね。

ところでお店では今のところパソコンがインターネットに繋がっていないので、推測ですが、
マスターの書き込みは営業時間外になると思われます。
緊急の連絡は電話などを使って下さいね。



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2001年10月03日 16:55 | 固定ページリンク




一考 | 加藤郁乎を囲む会

 加藤郁乎さんの交遊録「新版・後方見聞録」が学研文庫より上梓されました。登場人物は多士済々。当代のル・サンチマンな人々、トンガッてる人々のオンパレード。こしゃこしゃした大衆文芸が跳梁跋扈する世にあって、昨今とんと見掛けられなくなった魂の呻吟、人々の慟哭と搏動を目の当たりに窺うことが出来る名著です。
 有り余る知性と含羞い、言い換えればシャイでイナセな加藤郁乎さんと同書の編輯を担当された増田秀光さんを囲む会を催します。題して「イクヤーノフの遊雅なる花園」。会場が食虫植物や毒花の乱舞になるは必定。日時は10月20日土曜日、午後7時より12時まで。会費は4000円。会場にて署名本を謹呈。多くの御参加を願い上げます。

       ですぺら  渡邉一考
        東京都港区赤坂3丁目18の10 サンエム赤坂ビル3階
        電話03-3584-4566



投稿者: 一考    日時: 2001年10月04日 02:46 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | ごめんなさい


どうも先頭の部分が文字化けしていたようです。すいません。文面は下記の通り。

人を酔わせるほどに魅了する、堅牢美麗なる書物。そんな文学書ばかりを限定版にて上梓していた
書肆、南柯書局の渡邊一考氏といえば、美術品のごとき本造りを続けてきた人物として愛書家には
つとに知られる。その一考氏がバーを開いた。むろん、酒へのこだわり方も尋常ではない。
500種を超えるシングル・モルトをはじめ、厳選された逸品壁面にずらり。重厚な大谷石のカウ
ンターで、まるで洋酒の教科書のようなメニューを眺めつつ、一杯飲る。この酒場にはいい時間が
流れている。(「アルゴ」から)



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2001年10月05日 00:33 | 固定ページリンク




やっき(齋藤靖朗) | おめでとうございます

掲示板開設、おめでとうございます。
加藤郁乎さんを囲む会、行くつもりです。よろしくお願いいたします。

ところで、仕事の合間にですぺらの地図を作ってみました(下のリンク)。

http://www.asahi-net.or.jp/~jr4y-situ/desperamap.jpg

簡単なものなので、まだ改良の余地があるかと思います。
こうしたほうがいい、というご意見などお聞かせいただければ幸いです。



投稿者: やっき(齋藤靖朗)    日時: 2001年10月06日 00:37 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | おめでとうございます

ですぺら掲示板オープン、おめでとうございます。
仕事が忙しくて書くのがおそくなってしまいました。すみません。
来週からは、余裕ができますので、また本の世界に戻ろうとおもいます。

「ヘルメス者」の画家です。どうかよろしく。
いつもおねがいしているモデルさん(ラヴクラフト者で彫刻家)と近いうちに伺う約束をしています。
その際は、よろしくおねがいします。
まずは、この日曜日のホラー対決で。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2001年10月06日 10:27 | 固定ページリンク




一考 | 感謝

齋藤靖朗さんへ、地図をありがとうございます。店のオーペン時に拵えたのですが、その後当方のスキャナーが故障、取り込めなくて困っておりました。 さっそく使わせて頂きます。
よくをいえば、赤坂見附駅は丸の内線と銀座線、赤坂駅は千代田線と路線名を明記。また赤坂駅を赤坂通りと一ツ木通りの角へ、さらに見附駅より「田町通り」「みすじ通り」と記載すれば、さらに便利かと思います。勝手なことを申して恐縮ですが、お願い出来ますれば幸いにぞんじます。
たまに関西からの客人有り、いや関西でなくとも種村季弘さんが30分、加藤郁乎さんに至っては小一時間ですぺらを探索なさったようで恐縮致しております。
あなたのお心遣いに感謝。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月06日 15:24 | 固定ページリンク




一考 | 心配事

中島千裕さんへ。
新たな就職先は見つかったのですか。ご時勢だけにいささか心配しています。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月06日 15:35 | 固定ページリンク




金光寛峯 | 地図できましたか


よかったよかった、ですね。ちゃんとしたのができて。
明日は伺いますので、よろしくお願いします。

「グレダ・ガルポのような酒」飲みたいです。
ううん、どんなお酒なんだろう。



投稿者: 金光寛峯    日時: 2001年10月06日 20:59 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | 嬉しいです

◆一考さま

ご心配ありがとうございます。
おっしゃるとおり、今、本当に厳しい状況です。
だから、一人で営業するには限界があるので、出版に強いとされている派遣会社に登録して、バイトを紹介してもらっています。
昨日でここ2カ月やっていた仕事の契約は終わったのですが、幸いなことに、派遣元は次のバイトを用意してくれたようです。
カーナビのマニュアルを作る仕事なんですが、自転車乗りで、地理に弱いわたしがやっていいのか? なんて思いました。でも、なんでも経験ですから、喜んでやろうと思います。
先方の都合で始まるまで2週間くらいあいてしまうのですが、この2カ月の激務でぼろぼろなのと、筆者の都合で頓挫していた本の仕事がゾンビのように生き返りまして、とりあえずそっちをやっつけることにしました。
それから、芸能活動しないと!

実は、一考さんにお礼を申し上げなければ、と思っていたのです。
先日、いろいろお話いたしましたよね? すごく楽しかったです。
わたしのことを「表現者なんだから、型(常識的な生き方)にとらわれてはだめだ」って。それから、何か面白いものをつくりなさい、と。期せずして、あのとき話題になっていた人にも同じことをいわれたんですよ。「溢れるものを止めることはない」って。
それで元気になりました。
……そういえば種村先生にも同じようなことを言われたのでした。
絵を続ける為には定期収入が欲しい。だから就職したいなんてがんばってみるんですが、やっぱり、難しいんです。それで世間の垢にまみれているうちに、自分が何をやるために生きてるのか忘れてしまって苦しかったのです。
そういうとき「面白いものつくりなさい」って、思い出させてくれてほんとうにありがとうございます。

あのあと、ぐっとモチベーションがあがって、5枚組の大作を描くことにしました。エスキースができつつあります。この連休にはモデルさんも呼んで、さらに細部を検討するつもりです。
テーマは「音楽」と「対話」で、全体のタイトルは「秘密の花園」。芸(術)をやることはお互いの心にある花園を見せあうこと……そういうコンセプトです。祭壇画のようなレイアウトになっています。上下に細ながーい欄間のような絵をつけて、真ん中に三面鏡のように絵が並びます。
一番下の横に細ながーい画面には画面いっぱいに広がる薔薇の繁みに楽器を持った人、4人が横たわっているのをかかなきゃなんないんですが、あー、誰が描くの、こんな手間かかる絵、って人事みたいに思ってます。
昔の売れっ子の芸術家はこういう手間のかかることはみんな弟子にやらせてたんですよね。うらやましいなあ。売れないヘルメス画家は少しジェラシーです。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2001年10月06日 23:24 | 固定ページリンク




如月 | 掲示板開設、おめでとうございます。

一考さん、こんにちは。掲示板開設おめでとうございます。RESもよろしくお 願いしますね♪ さて、前週ダウンしていた拙HPおよび掲示板、ようやく回復しました。早速 「後方見聞録」関係の案内してます。(やっきさん、この掲示板にアクセスする 前に貴掲示板にアクセスしたので、情報がダブってしまいました♪) 今度は、この掲示板の案内しないと、、、。



投稿者: 如月    日時: 2001年10月07日 10:50 | 固定ページリンク




豚式 | デスペラ掲示板開設奉祝


渡邊様ご無沙汰いたしております。
10/20のイクヤーノフ先生を囲む会にコーベブックス版「後方見聞録」を
持って伺おうと思いましたが、残念なことに10/19から小生は台湾に出張
なのです。
定本全句集も持って願わくばサインなどしていただけたら・・・、などと
夢想いたしておりましたが。



投稿者: 豚式    日時: 2001年10月07日 15:01 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | こんにちは

初めまして。加藤郁乎さんを囲む会があるんですね!わ、行きたーい。でも、まだ予定が立ちません。郁乎さんに会うのは何十年(!)ぶりだろう。なお、名前は昔、日本テレビで郁乎さんが現代詩文庫に書いてくれたものです、ハイ。そういやあ、ですぺらだって、ネットで知ってるだけで、まだ行ってなかったんだぁ。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年10月07日 16:01 | 固定ページリンク




金光寛峯 | ですぺら地図(テキスト版)

掲示板オープンの記念といっては -以前書いたものの使いまわしで恐縮ですが-
地図を掲げておきます。
等倍フォントでご覧下さい。
メール等でご自由にお使いいただきたく存じます。
こんなでもお役に立つのならば幸いです。

   バー「ですぺら」
   港区赤坂 3丁目18-10 サンエム赤坂ビル 3階 (一ツ木通り中程・1階は牛丼の吉野屋)
   TEL 03-3584-4566
アクセス:営団丸ノ内線あるいは銀座線「赤坂見附」駅 地下通路A出口が最寄
     ※注意! 「赤坂」駅ではない! 名前が似ているので間違えやすいです
     A出口上がってそのまま道なりに進み、スタバの角を曲がって左手に
     吉野屋が入っているビルの 3階です。
     もし道が分からなくなったら一旦A出口まで戻り交番で聞くか、また
     はお店に電話してみましょう。

                N
                ↑
                      ___¥  ¥ ¥ 外¥
        ____         |    ¥  ¥ ¥ 堀¥
       |    |        |サントリー¥  ¥高¥ 通¥
       | 鹿島 |        |      ¥  ¥ ¥ り¥
_______|____|________|_______¥  ¥速¥  ¥___
                                 ¥ ¥____
←至渋谷                              ¥道  路
             青   山   通   り         ¥
                                    ¥___

          ← ← ← ← ← ← ← ← ← ← ☆←赤坂見附駅
________ ↓ ________   ___      |地下通路_____
   |    | | | |スタバ | | | |    _|A出口
富士 |   一|↓| |_|コーヒー|み| |_| __|_|   |
銀行 |   ツ| |        |す|  ↑||   ↑|   |  ホ
___|   木|↓|__      |じ|  フ||   ポ|   |
       通| |  |←コン  |通| キァ||   リ|   |
       り|↓|__| ビニ  |り| ッ|||   ボ|   |  テ
        | |        | | チス||   ッ|   |
        |↓|        | | ント||   ク|   |
    卍   | |        | |   ||   ス|   |  ル
  赤坂不動  |↓|________| |___||____| 至 |
        |  ________   ___  ____  溜 |
        |↓|        | |   ||    | 池 |
        | |        | |   ||    | ↓ |
        |↓|
        | |
        |↓|__
        |→| ☆|
        | |__|
        | | ココ
        | |  1階に吉野屋の
        | | ビルの 3階
        | |
        | |
        |至|
        |T|
        |B|
        |S|
        |会|
        |館|
        |↓|
        | |



投稿者: 金光寛峯    日時: 2001年10月08日 11:54 | 固定ページリンク




ゆきち | 初めまして


初めまして、ゆきちです。

何度かですぺらには顔を出したことがあります。とっても綺麗なところで、お酒に疎い僕としては、なかなか入らないころなので、最初は感動してしまいました。

また、何度か伺わせていただきたいと思います。余り良い客には成れそうもありませんが、今後ともよろしくお願いいたします。



投稿者: ゆきち    日時: 2001年10月08日 13:43 | 固定ページリンク




高阪 | はじめまして。

如月さんにこちらの掲示板をご紹介いただいたのですが、
ちょっとどういう場所なんだろう……、という感じです。
#デスペラというお店の雑談掲示板でいいのかな。

まずは開設まもないようですので、開設おめでとうございます。
ちゃんと投稿できるか心配ではありますが、送信してみます。



投稿者: 高阪    日時: 2001年10月08日 13:49 | 固定ページリンク




高阪 | あ。

「デスペラ」ではなく「ですぺら」ですね。失礼しました。



投稿者: 高阪    日時: 2001年10月08日 13:51 | 固定ページリンク




比呂 | 本当に感謝です

比呂です。

 日曜の夜は、「笹川吉晴vs中島晶也ホラー対決オフ」で本来は
お休みのところをオープンして頂いた上に、予定を大幅に延長して
頂き本当にありがとうございました。

 本当に奇跡的な出会いの場所になったかと感じております。
参加者は皆、有意義で濃厚な時間を過ごせたかな?と。

 本当にありがとうございました。

 お酒には詳しくありませんが、また天上の美酒呑みにお伺いいたします。
その時はまた美妙なるお話をお聞かせくださいませ。


追伸 あの時お約束した事は、現在極秘任務にて確認中。
様々な選択肢がありますので、近日中にどういった形がベスト
となるかをまとめてご説明にお伺いいたします。

 



投稿者: 比呂    日時: 2001年10月10日 03:17 | 固定ページリンク




一考 | モンロー

金光さんへ
よく覚えていないのですが、とある日、妙な客の登場。モンローから始まり、ドヌーヴ、ガルボ、デートリッヒのようなウィスキーをと注文が続きました。モンローにはコスメチックな香りの強さからボウモアを、ドヌーヴにはシャイな面と育ちの良さを兼ね備えたところからダルユーインを、ガルボには芯のある優雅さからマッカラン、デートリッヒには悲しいまでのダンディスムから極上のスプリングバンクをあてがいました。考えている間にかかる選択に快感を覚えました。
件の紳士は「酒呑みの自己弁護」の著者山口瞳さんのご子息である正介さんの親友。共に週一回はご来店頂いております。開口健さんの思い出話に花を咲かせています。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 15:22 | 固定ページリンク




一考 | 器用貧乏

中島さんへ
昔、澁澤さんから、体があまりに弱く入退院の繰り返し。従って尋常の仕事かなわず、売文に明け暮れるようになったと、幾度となく聴かされました。稼ぐ手立てが限られれば、自ずから専心するしかなく。例えば私のようにいささか器用な人間は、結局何者にもなり得ないのかもしれません。
種村さんから、一考は今のままでは駄目、君は人生に今なお未練を持っている、いざりにならなければものは著せないよとの忠告を受けました。この辺りの消息は「後方見聞録」の解説で触れましたので、お読み頂ければ幸いです。
食するために働かねばならない人が表現者になるのは言語道断との命題は、かのリラダン伯以来、今なお問い続けられるべき問題です。ボクサーの殴られ役によって得る僅かな稼ぎで生き延びたリラダンがかくまで高貴なコント・クリュエルを著したのは悲壮を通り越して、言葉の正真の意味での残酷です。身近には須永朝彦という壮絶な闘いを続ける友がいます。貴女にも頑張って頂かねばならないのです。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 15:25 | 固定ページリンク




一考 | タリバーディン

如月さんへ
先日来、ご面倒をお掛けしております。有り難うございます。
当方は持病が悪化、痛みのため日中は病院通い、ご返事が遅くなりました。
直腸の腫瘍がいささかつむじを曲げたらしく、どうも体のあちらこちらが主人の意にそぐわなくなって参りました。腎臓と直腸、それに第五腰椎にタリバーンが宿ったようです。アメリカという国は最悪のならずもの国家と認識しますが、さりとてイスラムというのも好きにはなれません。タリバーンならぬタリバーディンというモルト・ウィスキーが私の好物なのですが、その蒸留所、ひょっとしてオーナーはビンラディンかしら。ちなみに、オサマ・ビン・ラディンはラディン家のライオンの意、ウサマとはオサマのパシュトゥン族の発音だそうです。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 15:27 | 固定ページリンク




一考 | 署名本に

豚式さんへ
20日までにですぺらへ本をお持ち頂ければ郁乎さんの署名を頂戴しときますが、いかがなものでしょうか。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 15:28 | 固定ページリンク




一考 | アナーキー

フーリエの使者さんへ
フーリエの使者なら加藤郁乎でなく、巖谷国士さんの領域ですね。もっとも私もアナーキー大好き人間です。とりわけ肉体関係に関しましては物心がついた頃から原始共産主義を地でいっております。今後ともよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 15:30 | 固定ページリンク




一考 | 遠回り

金光さんへ
この地図はちょっと遠回りじゃござんせんか。でも有り難う。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 15:31 | 固定ページリンク




一考 | もと赤面症

ゆきちさんへ
ですぺらの店主は本当は気が弱くて恥ずかしがり、お客さんの顔を正面から見ることすらままならないのです。従って、ご来店の折りは大きな声で名乗りをあげていただければ有り難いのです。
50歳を越えてからは人の名を覚えるのが困難になってきました。それ故、むかし山田風太郎氏より学びし若返りの術にもっか励んでおります。いやあ、なにを隠そう、若い愛人をこさえてうつつを抜かしているのです。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 16:01 | 固定ページリンク




一考 | 

高坂さんへ
投稿に不自由があった時は管理人の向こう脛を蹴っ飛ばして下さって結構です。
はてさて、その櫻井さんのご厚意によって開設された掲示板ですが、どういう場所なのかは私にもよく判っておりません。きざな言い方で恐縮ですが、酒、書物、オートバイ、暴走族用の車、金魚、レース用もしくはアンティークな自転車、料理、香辛料、アウトドアに関するグッズ、北海道、かつての色街、変態セックス、その辺りをテリトリーに蠢いております。かかる領域でのご質問なら何でもお答え致します。ちなみに、横浜ケンタウロスの一員として、現在なお、族を張っております。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 16:03 | 固定ページリンク




一考 | 007は貴方のことだっけ

比呂さんへ
極秘任務の件、ご面倒をお掛け致しますが、何卒よろしくお願い致します。無事落着のみぎりには結構な贈り物あり、否悪しき贈り物かも。それにしても40歳にて独身かつ変態とは、結構なご挨拶で痛み入ります。小心者の店主をあまり驚かさないで下さい。長いお付き合いを願い上げます。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月10日 16:18 | 固定ページリンク




やっき | 地図

地図改良いたしました。
http://www.asahi-net.or.jp/~jr4y-situ/desperamap.jpg



投稿者: やっき    日時: 2001年10月11日 02:03 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 未婚、変人

一考さま。つまらね書き込みにわざわざお返事をいただき、ありがとうございます。「後方見聞録」は、そろそろ我が片田舎にも配本されるころでしょう。私は仏文学には疎いので、学者をほとんど知りません。手元にはミステリの故・小泉喜美子さんの蔵書の形見分けの「幻想の海辺」とかいう本がありますが、手付かずです。私なんざあ、50歳にして未婚、知人たちからは(偉大なる)変人という称号?を何年も前に戴いております。小泉首相の先輩だぁ。(自慢できることかぁ)それにしても。20日夕方は相模大野駅近辺で二人の画家と面談予定。ああ、何たる不運!



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年10月11日 10:45 | 固定ページリンク




一考 | 高柳重信展のことなど

高柳重信展が10月10日から12月9日まで戸田市立郷土博物館にて催されています。開館時間は午前10時から午後4時30分。休館日は毎月曜日と10月31日、11月6、27、30日。入場無料。同博物館の住所は以下のごとし。
埼玉県戸田市大字新曽1707 電話048-442-2800
http://www.toda-c.ed.jp/haku

加藤郁乎さんの「後方見聞録」学研M文庫、定価680円は10月11日の発売です。お買い上げもしくは推薦を皆様にお願い致したく、どうかよろしく。なんの役にも立たない解説を同書に26枚ほど著しました。御笑覧頂ければ幸甚です。20日以降ならですぺらにも在庫有り。

上記二項、如月さんちのホームページで詳しく紹介されています。当掲示板をさまざまなところでご紹介頂き、如月さんには感謝。変人の友人というのは有り難いものです。
変態という言葉は、オタマジャクシに手脚が生え、尾がなくなって蛙になったり、芋虫が蛹となり、さらに繭を破って蝶になったりする生物学上のメタモルフォーシスを意味し、大層気に入っていたのですが、傷付く人が多いのではと忠告を受けました。今後は変人に切り替えましょう。でも、意味するところは同じなのですが。

如月さんへの文言の中でウサマとオサマを取り違えていました。アラビア語でウサマ・ビン・ラディンが正しく、オサマ・ビンラディンはタリバーンでの呼称とのこと。悪しからず。
ネットでのやりとりを小生はおしゃべりの延長線上にあるものと心得ます。活字にする時は事前に調べますし、やばいことや曖昧なことは一切許されません。しかし、当掲示板にかような心配りは無用と思っております。酒席同様、無責任な流言蜚語が飛び交うのも愉しいではありませんか。大風呂敷を拡げる人、あらぬことに悶絶する人等々、大歓迎です。もとより、人と人との関係は誤解ないしは思い込みで成り立つもの。されば誤解を六解へ七解へと押し上げようではありませんか。アナーキーな掲示板になればと、勝手な夢想を描いております。また、社会学を最大の敵と心得ますので、そちらの話は御免被りますが、政治、経済に対しては無責任な意見を数多持っております。いずれ、駄法螺を吹き上げますので、よろしく。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月11日 15:22 | 固定ページリンク




一考 | ちょっと長い自己紹介

震災の後のおしゃべり

読み手をどこかへ連れていくような、物語の楽しさはもちろんですが、
装丁の美しさ、限定出版された書物の希少性、そして、さまざまな立場で本と接する人々……もっと多面的な本の魅力について、お話しましょう。

美しい書物

 未曾有の大震災に襲われたのは一月十七日、明石の拙宅も甚大な被害を受けました。屋根が崩れ落ちて瓦は一枚も残らず、風呂場と便所は壁の裂け目から星の瞬きが見えるようになりました。電気、ガス、水道、電話、ライフラインのすべては途切れ、露天風呂と化した風呂桶に残された僅かな水が全財産となりました。数十年かけて蒐めた焼き物や薩摩切り子のコレクションも全滅、大事にしてきた書物も書棚もろとも顛倒して、未だに手つかず。足の踏み場もない書庫から取り出せた数部の書冊も、函が壊れたり、表紙が破れたり、ねじ曲がったり、ことのほか不憫に思われます。
 電話が通じるようになってからのことですが、「大丈夫なのか」との問い合わせを随分と頂きました。やがて、馴染みの古書店や出版社の知己から義援金が送られて来、京都在住の友人は飲料水と屋根に掛けるシートを山のように抱えて、福知山経由で丸一日を費やして見舞いに来てくれました。友曰く「おまえが死のうが生きようがどうでもよろしい、ただし、この家には国会図書館にない本が多数ある。まず本を救わねば」彼はさっさと屋根に攀じ登るとシートを拡げ、傾いた襤褸屋をあっという間に「青色の館」へと変身させました。彼だけではありません。前述の「大丈夫なのか」も、大半は「先に本を救え」「屋根だけは何とかしろ」の類で、私の怪我のことなどは誰一人問いただしもしません。どうやら主語は本であるらしく、この家の主人は家中に巣くう夥しい書物なのであって、決して私ではなかったのだと言うことに気づかされました。
 本と付き合いはじめてから今日に至るまで、読書に始まって、編集、出版、装丁など、さまざまな形で書籍と接してきました。若い頃に泉鏡花を知ったのが、本好きになるきっかけになったと思います。鏡花本は美しい、実に美しいものです。鏡花本の悉くは鏑木清方や小村雪岱の版画で飾られています。あの時代は絵師に彫り師、摺り師が多く居ました。和紙も廉価で、条件が整っていました。著者自身も装丁には腐心しています。本の内容がメッセージだとすれば、装丁はメディアです。夏目漱石や鈴木三重吉、与謝野晶子はそれを自覚した作家でした。北原白秋、木下杢太郎、竹久夢二、渡辺一夫、北園克衛、吉岡実などは自らの著書にとどまらず、数多くの装丁本を遺しています。内容に相応しい装いに焦がれたのだと思います。著された原稿や作者の想いに一つの形を与えるのが装丁です。配された文字の大きさとバランス、色や紋様、あるいは素材の風合いや感触が中身と照応しあうとき、美しい書物が誕生するのだと思います

罰せられざる悪徳

 すべてのきっかけはサルトルでした。
 私が中学一年か二年の頃のことです。風邪をひき、かなり高熱を出して寝込んでいる所へ、母が本を買って来てくれました。近所の本屋で薦められたからと渡してくれたのが、人文書院から上梓されたサルトル全集。その一冊に「嘔吐」があり、巻頭にセリーヌの言葉が掲げられていました。セリーヌって誰だろうと疑問に思い、手に入れた「夜の果てへの旅」今は懐かしい大槻鉄男さんの翻訳でした。そのあとがきに出てくるサドの名前。ついで買ったのが澁澤龍彦訳の「恋の駈引き」あとがきには、サドの系譜に属する作家としてポウ、カフカ、石川淳が著されていました。そうやって、本に名前が挙げられた作家の作品を、片端から蒐めていくうちに、私は本の世界にのめり込んでしまったのです。
 ヴァレリー・ラルボーに「罰せられざる悪徳・読書」と題するエッセイがありますが、そのタイトルは読書の醍醐味を的確に表した言葉だと思います。男色も、盗みも、殺人も、読書に比べれば、随分と柔な悪徳です。サドの「ソドム百二十日」では三十人がむごたらしい拷問に遭って絶命しますし、登場人物がすべて殺されてしまう著名な探偵小説はみなさんもご存じでしょう。如何にいかがわしい夢を見ようが、また、おぞましいことに身を委ねようが、書物の世界ではすべてが許されるのです。
 唐十郎さんが面白い話をしてくれました。彼が子供の頃のことですが、湘南海岸に泳ぎにいきたかったのだけれど、家が貧しかったので湘南までの電車賃がなかった。そこで、洗面器に張った水に湘南への想いを託した。それが文学への第一歩なんですね。電車に乗って湘南へ行くことと洗面器に顔を浸けることとが等価になる。即ち、想像の世界と現実の世界とが等しくなる。そういう人こそ、書物を繙く資格があるんです。夢と現実が相克すると思っている人は、本を読むなんてのっけから止めたほうがいいと思います。
 これが文章を著すという段階になると、洗面器の中に、湘南海岸どころか、全宇宙を視てしまう。そして、湘南海岸はああだこうだと活写する、実に稠密かつ緻密にですよ。つまり、見てきたような嘘を書くわけです。生活なんてどこかへ捨ててしまって、書くという行為そのものが唯一の経験になり生活になる。空想と現実との境界線をなくした寄る辺なき身、いわば汽水域に生きる白魚のようなもの、もしくは昆虫でもあり植物でもある冬虫夏草のような存在を想像すればいいわけです。
 三橋敏雄さんに「顔押し当つる枕の中も銀河かな」という句がありますが、ここには文学の要諦が示唆されています。「枕の中が」であれば興は褪めます。「枕の中も」と閉じることによって、大宇宙の銀河と枕の中の銀河とが融合するのです。ここでは大きな銀河と小さな銀河とが、入れ子構造となって立ち顕われます。即ち、大と小の弁証法が十七文字に昇華されているのです。
 そして、大好きな泉鏡花ですが、鏡花の小説は読んでいて血沸き肉踊ります。読み手をどこか別の世界へ連れていってくれます。「高野聖」で、鬱蒼たる森の中、空から雨のように蛭が降る場面なんか、ありそうにない話だと分かってはいても、思わず背中をまさぐりたくなる。描写力が読み手をぐんぐん引っ張っていく。見たこともない、行ったこともない、そんなすごい所へ連れていってもらえるのが嬉しくて、私は本を読むのですから。

そして神戸

 文学に夢中になった坊主頭の中学生は、つっかけを履いて足しげく古書店へ通うようになりました。当時は詩に興味があったものですから、詩書をずいぶん購入しましたが、他方、仏蘭西文学や花柳界を舞台にしたいわゆる「遊蕩文学」をごっそりと買い込みました。歳格好に似つかわしくない本を買っていたからでしょうか、古書店のおやじから声を掛けられたり、懇意にしている作家を紹介してくれたこともあります。澁澤龍彦さんもそうして知り合った一人です。
 京阪神の古書店では飽きたらず、お金を貯めては東京へもよく出掛けました。落合の某古書店へモダニズム関係の本を買いに行ったときのこと。書架に並べられた本を見ながら、目的の書冊を次々と引っ張り出して、その数五十冊にもなったでしょうか。店主がやって来て、「ぼく、これ買うの?」当時はまだ十代でしたから、怪訝に思ったのでしょう。「はあ、買いますよ」と答えると、「あんた、誰」「あの、渡辺っていいますが」「渡辺って……、まさか、あの神戸の渡辺さん」その店も通信販売で頻繁に利用していたので、名前は覚えていたのでしょう。「渡辺さんって、五十過ぎの方だと思っていました」
 私が驚いたのは、その日、お茶を馳走になりながらの希本の数々である。「先行き、あんたはこういう本を買うようになるんだから、よく見ておきなさい」と言いながら、永井荷風が愛人に贈った署名本や白秋宛て朔太郎の署名本、伊良子清白の詩集「孔雀船」署名本等々を観せて頂いた。

書物は恋人

 二十歳の頃です。どうしても欲しい本が明治古典会に出品されるとの話で、蔵書の半数を占めていた詩書を纏めて売り払いました。書肆ユリイカの出版物を中心に、戦後詩の主なものは大体揃っていました。年収の五倍位の大金を得て、念願の平井功の二冊の詩集、「サバト」「戯苑」をはじめとする日夏耿之介の編輯になる諸雑誌一括と日夏耿之介の詩集一口を購入しました。
 時には蔵書を売って、あるいは古書店に借金をしてでも、読みたい本は手に入れる。そんな私の本好きは、読むことからやがて造ることへと拡がっていきました。そもそもが、一部分だけ担当するというのが好きじゃないので、本を造るのも、構想を練るところから書店への販売まで工程すべてを手掛けなければ気が済まないのです。なにがしにはあの翻訳を、この人には懸かる種類の創作を、まずはそんな所から始まります。そして、原稿をとってきてレイアウトを施し、朱筆を持って校正し、自ら装丁します。最後は風呂敷にくるんで営業に歩き回るのです。
 ところで、二千部の新刊を造ったとします。売り先は、東京都内で千五百部、京阪神で百部、その他の地域は全国津々浦々すべてひっくるめて百部。残る三百部は五年ほどかけて、東京で徐々に捌けていきます。つまり、出版は東京以外の地では成り立たないのです。南柯書局の仕事もなかなか厳しく、ついには印刷会社への支払が滞ってしまいました。一億を軽く越える金数を費やして、残されたのは支払う手立てのない五百万円の赤字と在庫の山。東京の出版社から「借金を肩代わりしてやるから、おまえ、うちの編集長になれ」と声を掛けられたのは、丁度そんな時でした。そこで私は東京へ身売り、三十代も後半のことでした。
 考えてみると、本に夢中になってから今日に至るまで、東京へ夜逃げした頃だけが、唯一借金から解放された時代です。他はずっと、古書店の借金を抱えていました。欲しい本のためには借金も厭わないのですから、仕方がないのですが、借金をあまり気にせずにいられるのは、古書店側が平気で借金させるのも原因のひとつです。というのは、もし借金が払えなくても、古書店は本を差し押さえればいいからです。気が置けない古書店の中には、年末になると車でやってきて、借金分だけ本を持っていってしまうところもあります。稲垣足穂の署名本もそれで失いました。借金のかたに本を持っていかれるのは辛いものです。きっと、私が死んだあとは、一冊残さず持ち去るに違いありません。それも二束三文で。でも、真っ先に義援金を工面してくれたのは、その古書店なのです。本の売買と同様に、古書店との付き合いは行きと帰りの両面に亙ります。どちらかが往生するまでの、義理も人情もある愉快な道中です。

大風呂敷

 人って、表に出す人もいるし出さない人もいるけれど、大概自分のことを自慢したいんです。自己表現と自慢は一枚のコインの裏表。例えば、私が書物にのめり込んだのも、それは、こんな美しい本があるとか、こんな素敵な本ができたとか、つまりは「すごいだろう」って自慢したいだけなんです。
 何かしている、何かに夢中になっている時って、充実しているじゃないですか。どう顛んでも人の一生なんて、「質の悪い冗談」でしょう。行き先には滅亡しかないんですから。生き甲斐なんてあるわけないですよ。だからこそ、死に至る過程を如何に楽しむかが問題になるんです。それはスタイルであり、なりふりの問題です。例えば、人と話をする時に、信じるべき自分、話すべき自分なんて、どこにもないわけでしょう。でも、それでは会話が成り立たないから、その間だけ無理矢理自分を構築するんです、自分はこうなんだと。要するに、相手の思惟の対極にわが身を置くんです。総論反対、各論絶対反対ですね。そうすると、話をしている間だけは「自分」がある。本来、存在していないに均しいものが存在感を感じる。これ以上の錯覚、これ以上の快感はないと思うのですが。
 本でも、金魚でも、自転車でも、料理でも、何でもいいんです。なにかしている時って、それに没頭出来るじゃない。そして、自らしていることに意地を張れる。人生なんて、あるがままでは意地の張りようがないけれど、そこに何か項目をつけ加えれば、意地も見栄も張れるでしょう。謂わば限定版の人生をでっち上げるようなものです。むきになるとか、風呂敷を拡げるって、楽しいじゃないですか。そんな時だけですよ、人生がキラキラ輝いてみえるのは。

      渡辺一考(わたなべいっこう)昭和二十二年二月五日、兵庫県神戸市生まれ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月11日 15:31 | 固定ページリンク




高阪 | また来ました。

自己紹介、上げられたこと、嬉しいです。なにしろいただいた
レスに書かれています酒、書物以下、なかなか話題に入れない
なぁと思っておりましたもので。
では、勝手に思ったことをつらつら書かせていただきますね。

>読み手をどこかへ連れていくような、
素敵な言葉だと思います。私は趣味で手遊びのように文章を
書いていますが、フィクションであればどこかへ連れて行く
ように、ノンフィクションであればどこかを指し示すように
書けるといい、と僭越ながら思っていたりするものです。

>三橋敏雄さんに「顔押し当つる枕の中も銀河かな」という句が
>ありますが、ここには文学の要諦が示唆されています。「枕の
>中が」であれば興は褪めます。「枕の中も」と閉じることに
>よって、大宇宙の銀河と枕の中の銀河とが融合するのです。
こちらも感銘を受けました。こういうのは文学でしかできない
ことなのだろうかと、ノンフィクションではできないものかと
思ったりしています。単に文学を判っていないだけでしょうか。

ともかく、書物そのものに関しての思い、楽しく読みました。
どうも私はまだまだ書物そのものの魅力について知らないの
だと思います。それでは、また寄せてもらいます。



投稿者: 高阪    日時: 2001年10月11日 22:45 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 巡禮

一考氏が書き、先のかたも触れていた三橋敏夫句集「巡禮」を久しぶりに出してきました。小体ないい本ですね。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年10月12日 13:13 | 固定ページリンク




如月 | アラビア語とボイン

一考さん、現行の政治情勢のなかでは、<ウサマ>と<オサマ>の間には絶対的 な違いがあるかも知れませんが、そもそも古典的な正統アラビア語には母音字が ありませんでしたし、アラビア語では子音さえ間違えなければ、母音をどう補う かは読み手、話し手の裁量にまかされている部分が大きいのです。 アラビア語の例がすぐに思いつかないので、たとえばお隣りヘブライ語では、Jhv はaaeと補おうが(この場合はヤハヴェとなる)、eoaと補おうが(この場合はイ ェホヴァとなる)どちらでもかまわないというのと同じことです。  *   *   * ついでながら、こうした古典アラビア語の特徴が、「コーランは翻訳不可能」と いう<思想>と繋がっているようです。というのは、コーランを実際に音読する 際にはいろいろな母音を補わなくてはならないのですが、どういう母音を補うか で<意味>が変わってしまう。そうした多元的な<意味・解釈>をすべて含んだ うえで、あえてそれを一つの形象(文字体系)としてあらわしていったのがコー ランであり、さらにいえばそこに啓示の意義があるというのが、現在のイスラー ムの多数派であるスンニー派の考えです。ただこれは、あくまでもアラビア語の 表記体系からきてるんですね。 われわれからすると、こうした言語体系は不便、不合理極まりないようでも、わ れわれの国だって、<日本>と書けば問題はないが、発音上は<ニホン>と<ニ ッポン>の2つあって、それでいて<日本人>は不便を感じない。そんなことじ ゃないですか。 結局、なんでもかんでもアルファベットで表記できる(表記可能)というのが、 無意識の欧米中心主義という気がしないでもありませんけどね♪  *   *   * 以上、どうでもいいようなことを長々と書き連ねましたが、これも金魚、自転 車、料理に通底するものと御堪忍あれかし。



投稿者: 如月    日時: 2001年10月12日 13:50 | 固定ページリンク




朝子 | 片仮名に漲るチカラを見ました

如月様の書き込み活字で「ボイン」と書いてあって思わずどっきり赤面きゃー!うわー!と思ったのはあちきだけでしょうか?

こんにちは、初めまして。
如月様経由J君BBSから飛んできました、朝子ともうします。よろしくお願いいたします。

大分前ですがちょいと立ち寄ってビールとウィスキーだけ頂いて逃亡という、モルトなバーでなんて馬鹿なマネを!しでかしたもんで、こっぱずかしくて、赤坂にはよく行くものの、ですぺら、にお邪魔する勇気が無かったんですけど、またお邪魔しても宜しいですか?

酒は何でも好きなのですが、モルト・ウィスキーはとりわけ旨いと思ってるものの、何から手を着けたら良いのか解らず、名前や瓶で気に入ったモノを片端からのんでいるのですが、他に良い勉強方法はありますでしょうか?

ちなみに、今、手元にはObanていうのがあります。オバン。あたくしに、喧嘩売ってるのかしらん?と思って購入です。旨いです。

つまらない話で恐縮です。またのぞき見に来ます。お邪魔しました。



投稿者: 朝子    日時: 2001年10月13日 01:10 | 固定ページリンク




さくら(本名JM) | マスターへ


マスターこと渡辺一考様

この度は、ですぺらの掲示版開設、
おめでとうございます。
私はさくらと申します(HN変更の予定/本名JM)。
掲示版の書きかた、よく分かっていなかったりします。
万が一失礼がございましたら、お許し下さい。

一考様の自己紹介、拝見しました。
私の父も同じ年のようです。
バイクに乗っていらっしゃるのですか。
すてきですね。

私も簡単に自己紹介を書きます。
住まい:福岡市
好きなもの:
音楽、煙草(特にshort Peace)、楽器演奏(下手)、
チョコレート(但し甘いものは一般的に苦手)、
恋愛の話、エスプレッソ、チーズ、ヨーロッパ、
言葉(翻訳や文法等)、考える事。
齢:そろそろ(待ちに待った)三十路

幼い頃は「早く大人になりたい!」と思っていて、
子供という事が何よりも嫌いな、変わった子供でした。
年を取るのはさみしい気もするけれど、
子供時代に出来なかったことが普通に出来る
今の年令がすごく好きです。また、
将来は欧州の地で生涯を終えたいと思っているくらい
ヨーロッパが好きです。
恋愛の話は本当に好きで、
このテーマで丸1日話せるかなというくらいです。

また書き込みに参ります。
初の書き込みでアガってます。ごめんなさい。
来年お店に伺いたいと思っております。

時節柄ご自愛下さい。



投稿者: さくら(本名JM)    日時: 2001年10月13日 02:01 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | 自転車愛好家

◆一考さま

 自己紹介拝見しました。
 内容はみなさんが触れておられるごとく、もちろん興味深いものでしたが、一考さんの文体、大好きです。とても心地よかったです。

 わたしは自転車の乗りで、自転車を愛します。
 なんて、ここまで書いたらもう書くことがない。

 そうそう、大ニュースがあります。突然ですが就職が決まってしまいました。先日一度落ちたアメリカの会社なんですが、ゾンビのように復活し、定期収入が得られることになりました。これで、こころおきなく画材買い放題、モデルさん雇い放題、取材し放題、ですぺら行き放題(といっても上限はありますが、いままでの禁欲生活に比べると、やり放題という感覚になってしまうんです)。
 ひょっとして、ヘルメス・トリスメギストスが、この前ちょっとお書きしました五連作のアイデアをよしとして、制作できるようにしむけてくれたのか? なんて思っています。
 もちろん仕事は大変でしょうが(時事系のコンテンツプロデューサーというものです)、それはいままでだって同じこと。なにをやっても楽ということはないはずです。そして、芸のために生きてることを忘れずに、どんなことがあっても絶対筆は折りません。楽器も捨てません。

 ところで、東京都が芸術家のために100万円貸す制度を設けた、というのですが、まったくナンセンスで、笑ってしまいました。無利子で貸すというのですが、一年で返せ、というのです。100万ぽっちで何ができるというのでしょう? しかも、返せ、って返せませんよ、芸術家は。
 芸術活動どころか、その100万を返すためにバイトをすることになってしまいます。生活費以外の余剰金を100万円稼ぐのは大変なことです。ひとつの物を生みだすのに、目に見える投資(画材、モデル代、アトリエ家賃、光熱費、など)と目に見えない投資(世間を見る、人と話す、本を買う・読む、映画や劇などに触れる、音楽を聞く、動物園や植物園にスケッチに行くなどの取材費)がいくら必要か、ってことになってしまうのですが「返済」というレッテルが貼られたとたん、それをどうやって捻出したらいいの? ということしか考えられなくなってしまって、創造どころじゃありません。
 それよりも、芸術を楽しむということを子供や若い人に知ってもらいたい。たとえば、絵の見方ひとつにしても、きちんと系統だって説明すれば多くの人が深く楽しめるようになるはずです。そういう教育にお金を使って欲しい。芸術家を育てるのは、周りの人々の理解なのです。わたしがフランスで居心地がよい、と思うのは、この周りの人の目が芸術家にやさしいからです。フランス人(みな同じことをいいます)曰く「芸術家だって? いいなあ。がんばってよ。君たちが貧乏なのはあたり前だよ」そうして、家に呼んでごちそうしてくれたり、いい景色のところをおしえてくれたり、画廊を紹介してくれたりするのです。(景色、なんていう目にみえない援助だけではなくささやかながら即物的にして具体的な援助もしてくれます)
 彼らは、ピカソのような巨人は百年に一人でればよい、といいます。しかし、その一人を生むために、ひとりひとりの芸術家は大事にしなければいけない、というのです。

 ひゃー長々とごめんなさい。
 でもわたしは幸福なことに、経済面では今のところなんとかなりそうです。そうそう、いい自転車買いたいなーとか思ってます。先日、やはり自転車乗りの兄と久しぶりに会いましたら、大変よい自転車を持っているので、嫉妬の塊と化しているのです。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2001年10月13日 07:00 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 高柳重信展関連のお知らせ


ですぺら臨時手伝いの二階堂奥歯です。
先日一考さんがお知らせしました高柳重信展のポスターが二枚ですぺらにございます。
告知していただける方がいらっしゃいましたらぜひご連絡くださいませ。
お待ちしております。
(一考さんご本人は寝坊のため書き込みする暇がなかったそうです。)



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月13日 19:27 | 固定ページリンク




添田健一 | 高柳重信展

添田健一です。
遅ればせながらですが、掲示板設立おめでとうございます。

告知はここでよいのかな。

高柳重信展
期間 平成13年 10/10(水)~12/9(日)
場所 戸田市立郷土博物館(月曜休館)10/31,11/6,27,30(休館日)
   048-442-2800
http://www.toda-c.ed.jp/haku
入場無料



投稿者: 添田健一    日時: 2001年10月14日 12:37 | 固定ページリンク




「まっちゃん」こと「松友」 | 遅ればせながら掲示板開設おめでとうございます。

渡邊一考様

掲示板開設おめでとうございます。

関西ではお世話になりました、「まっちゃん」こと
ネット上ハンドルネーム「松友」です。
この度、諸般の事情により関東へ逃げてまいりました。
往時は、文学・哲学などの知識を持たない痴者相手に、
辛抱強く色々とお教え戴きありがとうございました。
しばし関東に隠れている予定ですので、
お伺いできる折にはお邪魔したく存じます。

もちろん、様々な御活動がお忙しいと存じます。
私メへの御言葉は戴ける折は素直に御甘えし、
あるいはお店にて頂戴できれば幸に存じます。
まずは取敢えず、お祝い方々ご挨拶まで。
   ~~松友 こと まっちゃん~~



投稿者: 「まっちゃん」こと「松友」    日時: 2001年10月14日 23:35 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 追記


添田さん、誤解させてしまったようです。ごめんなさい。

私が言いたかったことは、「お店などに高柳重信展のポスターを貼って告知して頂ける方、ですぺらにご連絡ください」というこ
とだったのです。
言葉足らずですみませんでした。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月14日 23:48 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 後方見聞録

さっき、本屋に積まれていた「後方見聞録」を買ってきて、増補された第2部、第3部をさっそく読了。ウーム、矢川澄子女史への言及には、含羞が見え隠れするなぁ。現行の現代詩文庫には、折込の絵がないとは知らなかったなぁ。あの頃はスッゲー時代だったワ。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年10月16日 17:15 | 固定ページリンク




梅子 | yorosiku よろしく

皆様、毎度ありがとうございます。 
ですぺらにて皿洗いやグラス割り担当の梅子こと薫子です。

パソコンで書き込みなんて、まあ10年振りであります。
あの頃はインターネットなんて言葉も知らず、”パソコン通信”で、
しかも電話代節約のために市内の草の根ネットにのみ接続してました。(モデムは1200bps)
通信している、というだけで変人、オタク扱いされたもんでございます。
その後仕事や男遊び(?)に忙しく、通信からは遠ざかってしまい、
ここ数年の変化にはついていけなくなって、携帯電話も着信専用、
メールって何?という状態になってしまいました。
ですぺら掲示板ができたのを契機に、二十歳の頃を思い出して、
また遊んでみようかと・・・皆さんの足を引っ張らないように。
でも、さっそくやってしまいました。ですぺら店主がパソコンをいじっている最中に、
コンセントをブッチしてしまいました。修復に一晩かかって、店主がレスをするのを
遅らせたのは私です。すみません。

どんな掲示板になるのか、なにはともあれ、どうぞよろしゅう。



投稿者: 梅子    日時: 2001年10月17日 04:17 | 固定ページリンク




梅子 | 同感

朝子さん、私は「ボイン」の文字を見てなんて懐かしい言葉!と思ってしまいました。
店にも是非いらしてください。店主が長ーい蘊蓄と共においしいウィスキーをおすすめ
いたします。



投稿者: 梅子    日時: 2001年10月17日 04:19 | 固定ページリンク




梅子 | さくらさんへ

さくらさん、ですぺら店主はさくらさんのような娘がいてもよい歳なのに、
未だにバイクで飛ばすは、女は追いかけるはで、困ったおやじです。
役に立たないというか、イケナイ恋愛談義なら店主の得意とするところだと思います。
来年東京にいらっしゃるのですか、お待ちしています。



投稿者: 梅子    日時: 2001年10月17日 04:21 | 固定ページリンク




梅子 | 

中島さん、就職成功おめでとうございます。この難しい時期にすごいですね。
パワー全開準備完了というところでしょうか。



投稿者: 梅子    日時: 2001年10月17日 04:23 | 固定ページリンク




一考 | くろちゃん

 フーリエの使者さんへ
 三橋敏夫さんの句集をお買い上げ下さりありがとう御座いました。「巡礼」のシリーズを造ったとき、指の入らない貼函は制作できませんと製本屋さんから断られたことなど、懐かしく憶い出されます。
 小泉喜美子さんの著書は須永朝彦さんの紹介で知りました。生島治郎さんと離婚の後、一段とお酒を聞し召すようになられたようで、くろちゃんが経営する2丁目の「くろのす」がまだ新宿御苑よりにあった時、2階から階段を落っこちて亡くなられました。
 ミステリー云々は私の与り知らぬところですが、小泉さんの小説は素晴らしい作品です。文学作品としての鑑賞に堪える名作が多く、貴方の蔵書も大事になさって下さい。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 04:26 | 固定ページリンク




一考 | おばんとオーバン

 朝子さんへ
 「ですぺら」にいらしたとか、どうもありがとうございます。
 この掲示板でウィスキーのことを著す機会がないもので一言。オーバンはハイランドとアイラの中間の性質で、華やかさには欠けますが、時代に追従しないクラシックな味わいを持っています。完熟した西洋梨の香り、ヘザーのキャラクター。昔日のアードベッグを想わせるスモーキー・フレーバー。ピーティーな潮の香とスムースなフィニッシュ。ハイランドに聳(そばだ)つ銘酒のひとつ。というのが私の感想です。ご多分に漏れず、独立瓶詰業者のボトルはオフィシャル・ボトルと比して、引き締まるようなソルティーな味わいとスモーキー・フレーバー、そしてフィニッシュのビター・チョコの香りが顕著です。
 おばんなどと言わずに、アードベッグと共に可愛がってやって下さい。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 04:28 | 固定ページリンク




一考 | 素晴らしき稼業

 さくらさんへ
 「幼い頃は『早く大人になりたい!』と思っていて、子供という事が何よりも嫌いな、変わった子供でした」と著されていますが、私は二十歳になるのがいやでした。だって、子供でなくなるなんて、そんな残酷なことがあってよいのかと、信じられない思いでした。甘えは許されなくなりますし、自己責任で価値判断のすべてを下すなんて、到底出来そうにないと思ったのです。もっと困惑したのが金銭問題です。これはもうジゴロかひもにでもなるっきゃない。運よくひもの端くれになれたものですから、なんとか生き延びられたのですが、それはそれは必死で女を漁りました。
 つらつら思うに私の人生と言いますか、精神は二十歳で静止したようで、気づいた時は五十歳でした。気づいたと申しますのは、この歳より自ら働くことを覚えたのです。言い換えますと、五十歳にして買ってくれる女人が居なくなったというただそれだけのこと。かかる自堕落な好色漢の掲示板です。みなさんヨタ話をどうぞ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 04:30 | 固定ページリンク




一考 | 天皇陛下万歳

 中島さんへ
 御就職おめでとうございます。
 東京都の100万円の根拠がどこにあるのかは判じかねますが、そんなゴミ金を借りる前にすべてを売り払いましょう。就職だって自らに残された貴重な時間を小売りするわけですから、炬燵から布団、万年筆から蔵書、芸から才能、矜持から思想、若さから美貌、肉体から貞操、親子から兄弟、売れるものはすべて売りましょう。もちろん最初に売り払うのは愛人であり、恋人であり、連れ添いなのです。本当に無一文になった時には天皇陛下万歳を三唱して死ねばいいではありませんか。どのみち死ぬのですから、生き延びるのに余計なエネルギーを費やすのはよしましょう。人生如何ともしがたく、またどうにもならぬものです。ウヒッ、ウヒッ、ウヒッヒッヒッ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 04:32 | 固定ページリンク




一考 | 奥歯牙慕情

 二階堂奥歯さんへ
 御協力感謝。今後ともよろしく。
 繰り返しになりますが、高柳重信展のポスターに余部2枚あり、必要な方に差し上げます。高柳重信さんのファンの方に。ですぺらに在庫していますのでよろしく。
 それにしても、二階堂とはこれいかに。私の友人に戸田一馬というペンネームを持つ作家がいます。埼玉の戸田ではなく、伊豆の函南の隣りの戸田でして「へた」と読みます。戸田の生まれで、種村季弘さんもご存じの作家ですが、「へたかずま」とはおもしろい名だと感心致しております。ちなみに、南柯書局のホームページには御参加いただけるとの由。期待致しております。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 04:35 | 固定ページリンク




一考 | フェラーリ疾走

 松友さんへ
 とりあえず、離職おめでとうございます。山崎のお医者も年内一杯で離職のご様子。都立病院は一応公務員なので、よろしいのではないかと思っていたのですが。もっとも彼氏は想像していたよりラジカルな方で、公務員で収まるような御仁ではありますまい。矯激にして愉快な酒呑みを御紹介いただいたと貴方には感謝致しております。
 ところで、フェラーリとカゼのバイクは売り払ったのですか。貴方と初めて会ったときは黄色の皮ジャンで黄色のロータス・セブンに乗っていましたね。私も族のつもりですが、四輪では貴方にかないません。奥多摩か伊豆でも二輪で疾走しますか。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 04:37 | 固定ページリンク




一考 | ホームページの仲間入り

 比呂さんのご厚志によって、どうやらプロバイダーに接続出来そうな案配になりました。かつてお世話になった神戸のムーンさんと今回多大な御迷惑をお掛けした比呂さんには満腔より深甚の謝意を表したく思います。本当にありがとうございました。終生変わらぬ友情を捧げる所存なれば、今後共よろしくお引き回しの程、幾重にもお願い申し上げます。
 さて、ホームページ開催のみぎりには「ですぺら」はもちろんですが、南柯書局そして畏友須永朝彦さんのホームページも同時に起こさねばなりません。当然その前に須永さん宅へマッキントッシュをお持ちし、些かでも馴染んで頂かねばならず、忙しくなりそうです。
 若い人には簡便に思えても、50歳を過ぎますとパソコンの扱い方も煩雑なものに思われます。須永さんも私も共に料理は達人と自負致しておりますが、パソコン操作における整合性のなさは難儀なものです。例題を個別に覚えるしかなく、かなりの苦痛を伴うのです。
 徒し事はさておき、須永さんの初期の作品や単行本未収録の作品など、耳目を欹たしめるホームページになると確信します。乞御期待。
 須永朝彦さんの編輯になる郡司正勝さんの遺稿集が10月25日に柏書房から、11月10日には種村季弘さんの偽書作家列伝が学研文庫から、12月には種村季弘さんのファンタジー・マップに関する新刊書が柏書房から上梓されます。詳細はそのつど、当掲示板に掲載致しますのでよろしく。
 他にもピエール・マッコルランの翻訳書から須永朝彦さん久々の新作小説に至るまで企画は目白押しです。ホームページ共々、御期待あれ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 04:39 | 固定ページリンク




一考 | 人をだしにする術

 高坂さんへ
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、文学における作品の出来不出来はジャンルを問いません。逆に言えば、俳句であれ、短歌であれ、私小説であれ、ホラーであれ、ミステリーであれ、選れたものがよろしいのであって、読むに堪えないものはジャンルの如何を問わず駄目ということになります。ちなみに、私が結構な作品と認めるのは、その作品に作者の肉声すなわち志があるかどうか、言い換えれば、思想なり哲学なりが在するかどうかという一点に尽きます。
 澁澤龍彦さんについて「一切の観念もしくは形而上学を過価なるものとして嗤い飛ばしてやまなかった。その精神の軌跡は思いもかけぬ領域、例えばドゥルーズの流動の相と通底するような趣さえ感じさせる」と先頃加藤郁乎さんの本の解説で著しましたが、この万物を「過価なるもの」とする潔い姿勢に私は思想を視るのです。哲学という行為もしくは運動のエネルギー源は自らへの懐疑でしかありません。
 自らを信じ、もしくは自ら肯うところのものを信じ、言葉を換えるなら、拠ってたつ規範を信じる人や必要とする人、さらに言えば、自らの存在に意味や意義があると思うような人を私は俗物として退けます。例えば読書の対象が俳句のみ、ミステリーのみというような人はまさか居ないでしょうが、もし居られるとしたらその方々も同じ意味合いにおいて私は忌み嫌います。これは自らを要約してみせるような人にも同様のことが言えるでしょう。
 繰り返しますが、文学作品としての鑑賞に堪えるかどうかがすべてに優先されます。その作品がいかなるジャンルに属するかはどうでもよいことなのではないでしょうか。人も同様で、失意と懐疑というふるいによってその人がいかに風通しのよいデタラメな人品の持ち主に成り果せるかが問われるのであって、職種や職歴が問われるのではありません。
 以上、人にかこつけて自分の心情を吐露するのが、私のもっとも得意とするところなのです。悪しからず。 



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 05:00 | 固定ページリンク




一考 | 母音と無音

 如月さんへ
 アラビア語におけるボインに恐縮。スンニー派がサンボリストの先達だったとは不勉強で御座いました。母音と無音は人智を持って図ることのできない神秘でございまして、どこやらの梅子さんへの啓示、いや天啓とも称すべき逸文、否逸聞、否逸物と解釈致します。ボインを愛し色魔と化したのがランボーであれば、ナインを慈しみ海に沈潜したのがロートレアモン、その両人をクロスオーバーさせたのが月亭可朝ということになりましょうか。ボインとナイン、ボヨヨンとナヨヨン、かかる二項対立をもっか毎週末、十二分に楽しんでおります。スフィンクスに敬意を表して、「生きていてよかったなあ」
 さるにても、梅子とはなんともはや、いっそ私は竹淋とでも改名致しますか。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 05:55 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 戸田村

あのー、「伊豆の函南の隣り」にあるのは、三島市、熱海市、韮山町ですぅ。函南町から戸田村へ行くには、伊豆長岡町、沼津市等を通過しなければなりません、はい。以上三島市の住人からの指摘でした。そういえば、南柯書局の本は10数冊持ってるんじゃあないかなぁ。こんど調べてみよ。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年10月17日 10:09 | 固定ページリンク




高阪 | 高阪です。

今日はふと思いたって「白貂を抱く貴婦人」を見てきました。
それより私は、時祷書のほうにしみじみしてしまいました。
それは両掌に充分乗るような小さな本で、綺麗に彩色された
聖書の場面かなにかの絵を左ページに、右には文様に縁取られた
枠の中に、金色の飾り文字のような字体で文章が記されていて、
多分とても貴重な一冊として大事に扱われてきたのだろうと
思えました。派手すぎというほどきらびやかなものでしたが、
私のような本を活字の連なりとして見て内容だけを追う読書は、
もしかしたらとても貧しいことかもしれない、そんなことを
思ったことです。

>自らを信じ、もしくは自ら肯うところのものを信じ、
そういうものを信じられるひとは幸せだろうと思います。それを
信じることが他を否定することにつながらなければいいのにとも。

>以上、人にかこつけて自分の心情を吐露するのが、私のもっとも
>得意とするところなのです。悪しからず。 
済みません。こうした目上の方の掲示板に慣れておらず、多少
オロオロしているところはあると思います。もう少し肩の力を
抜いて、普通にお喋りを楽しむようになりたいところです。



投稿者: 高阪    日時: 2001年10月17日 19:27 | 固定ページリンク




一考 | 頬にキス

 如月さんへ
 種村季弘さん主演の映画の話でそちらのサイトが盛り上がっているようです。
 明治時代から続く有名な漢方医院が六本木にあるんですって、その漢方医が函南に広大な薬草園を所有してい、監督の佐伯さんはじめ、関係者はそちらで起居を共にしているとのこと。
 先日のですぺらにおける撮影は柘榴と林檎と二十世紀を用いた博打場と軍の南方への転進の両シーンでした。一方は柘榴と梨のツー・ペアと林檎のスリー・カードのどちらが強いといった理不尽な賭博、一方は南方といっても南国ではなく大陸、すなわち南極でして、新宿梁山泊の女性と種村さんがペンギンと共に空を舞い、大久保鷹さんはアザラシと怪獣探検という荒唐無稽なお話。大久保鷹さんは太宰治、種村さんの役どころは連隊長にして吟遊詩人。両のほっぺにキスマークをつけられ「君たちは墜ちてきた天使」と喜んでおられました。種村さんの役者振りにかの怪優、大久保鷹さんも舌を巻く始末。楽しい一日でした。
 佐伯さんと私は二十代からの飲み仲間、京大在学中から映画には一見識を持つ親友の一人です。映画の完成は三月の予定、前述の漢方医院で試写会を開きます。お近くですのでいらして下さい。日にちが決まれば御連絡致します。

 以下は皆様へ
 11月12日の月曜日、学研文庫に署名をしに種村さんがですぺらへいらっしゃる予定。署名本をご所望の方はですぺらか如月さんへどうぞ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月18日 02:20 | 固定ページリンク




一考 | 眼中の人

 高坂さんへ
 ですぺらを初めてから種村さんを先生と呼んでいます。もちろん過去、種村さんを先生とお呼びしたことはありません。種村さんからどうしたのと問われ、皆死んじゃって、先生と言える人がいなくなりました。呼ばせて下さいと言ったところ、「さびしいこと言うなよ」と一言。郁乎さんの解説を書くのも私には断腸の思いでした。
 人に目上も目下もありません。でも35年もお付き合い致しますと存在が妙に懐かしく思われる時があります。迷惑を顧みず種村さんの本を幾冊も造りたくなったのは、いわば氏への拳恋の情。同じ思いを須永朝彦さんにも抱いています。私も「残された時間」に差し掛かりました。後は若い方々にバトンタッチ、高坂さんや斉藤さんどうかよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月18日 02:53 | 固定ページリンク




梅子 | 戸田村

どうもありがとうございます。とっても関西人なもので、関東の地理には疎くてすみません。
函南(かんなみ)という名も「神鍋(かんなべ)?」(兵庫県にある地名)と聞き返してしまいました。
天気予報で「茨城県鹿行地方」と言っているのを、関東にも六甲(神戸の北側の山脈)があるのかあと思っておりました。因みに軽井沢は全国に10カ所くらいあるそうです。



投稿者: 梅子    日時: 2001年10月18日 03:24 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 地名は難しい

全く、地名の読みは難しいものです(そういえば、函南町にも軽井沢があります)。種村季弘サンの本でも、西伊豆の地名のルビが間違っておりました(オイオイ)。ところで、一考氏が書かれているように、好きな作家の本を自分で出したくなるのはファンのならいでしょうか。私もその昔、種村季弘サンの私家本限定百部(非売品)新書版を種村サンと作ったことがあります。これはハマリます。でも、ご多分にもれず資金難ですぐ撤退。ここが一考氏との違いだなぁ。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年10月18日 09:38 | 固定ページリンク




みう | 先日は楽しかったです。

一考様

こちらでははじめまして。
土曜日に飛び込みましたフリルの服の小娘でございます。
覚えていらっしゃいますでしょうか?

大人のひとのゆくところにひとりで行ったのは初めてで、
わたしはとてもどきどきしていたのですが、
優しく迎えて下さって、とても嬉しかったです。

またわたしにとってとても幸せな巡り合わせもあって、
非常に充実した一夜となりました。

また、遊びに行こうと思います。
そのときはぜひ、またお話してくださいませ。よろしくお願いします。



投稿者: みう    日時: 2001年10月18日 18:16 | 固定ページリンク




さくら | 妖気が満ちているうちに(笑)


一考様ならびに梅子様


先日はお返事ありがとうございます。今妖気が満ち満
ちております。この間に恋愛などの話題で書き込みを
しておきます(笑)。妖気発散、こちらではOKのよう
ですね。

バーですが私はしばらく行っておりません。はたち過
ぎ以来でしょうか。昔バーで一人で飲んでいると、イ
コール一夜の相手を探しに来るということだったよう
ですね。昔の名残なのか、一人でいるとやはり誘われ
ました。それも単刀直入に。誘うならもっとスマート
になさいな(笑)。(私は99%断りますが)


ところで、肉体関係を持った後に煙草を吸う男性心理
が疑問です。やはりあの行動は「君との関係は義務で
やってるんだよー」なのでしょうか。確か、そういう
行動を取るようになった恋人とはやがて別れが来たよ
うな…。私はそんな失礼な男性とはさっさと別れてい
ますけど。

お暇がありましたら答えてやって下さい。結局のとこ
ろは男女の脳みその違いなのでしょうね。


ところで来月種村氏がお見えになるとのこと。私は残
念ながら行けないのですが、楽しい会になりますよう
お祈り申し上げます。


うちの父も最近は機械がめっきり駄目になっているよ
うです。父上、もっと格好良く行こう(笑)。



投稿者: さくら    日時: 2001年10月19日 01:10 | 固定ページリンク




智里 | 血か字か参上します

(ちかじか)と打つと、こんなん出ました。でも血か、字か、ってちょっと かっこいいかな。一考さんのイメージ。 久々に上京できる機会を得たので、近々参上します。すごく楽しみです。 車をぶち飛ばして、13時間もすればそこは東京だ!もっといい車だと8時間 くらいで着くんだろうなあ。とほほ。 



投稿者: 智里    日時: 2001年10月19日 10:04 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | 常連

ミステリサイト「UNCHARTED SPACE」のフク氏の日記には、ですぺらのことがちょくちょくでてきます。ウ、ウラヤマシ。私はいつ訪問できるのだろう?酒場の常連になるには程遠いなぁ。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年10月19日 10:34 | 固定ページリンク




香賀薫 | 戸田村のこと追記

読みは「へた」ならず「へだ」なり。 書き逃げ御免。



投稿者: 香賀薫    日時: 2001年10月19日 12:24 | 固定ページリンク




添田健一 | へだについて

えーと、伊豆出身の添田健一です。

僕も戸田村のことは幼少より「へだ」と呼んでいました。
しかし、観光ガイドなどには「へた」とルビがふってあるものもあり、
その実はいまいち不明です。

ちょっと確認してみます。



投稿者: 添田健一    日時: 2001年10月19日 15:40 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 転記


こんにちは。
一考さんのいいつけで、以前私が自分の日記に書いたですぺら紹介の文章を転記いたします。
小娘って、みうさんとかぶって恥ずかしいな……。
明日の加藤郁乎さんの出版記念会では私またまた臨時手伝いとして働きますので、いらっしゃる皆様よろしくお願いします。
『終末領』を読み返して気持ちの準備をしております。
(しかしむしろ『荒れるや』か?)


★ 2001年7月12日(木)

熱に浮かされて、ですぺらを宣伝するという使命をおろそかにしていた。
6月25日のところでも書いている、赤坂のショットバーですぺらにみなさまぜひお運びあれ。
シングルモルト専門店といっても、シングルモルトしかないわけではありません。
シングルモルトが只事でなくあり、日本酒、ジン、ウォッカ、ビール、カクテル等その他のお酒もたくさんあります。特にワインが
充実しています。

御主人の渡辺一考さんはかつて南柯書局で粋を尽くした美麗な幻想文学の書物を作られた編集者・造本家です。お客さんも文
人多数です。
思わぬ噂話を聞くことが出来るかもしれません。

私のような小娘が行けるくらいですから、一人でひっそり行っても居心地よし。グループで行かれる向きにはテーブル席もあり
ます。
先週伺った時には『モルトウイスキー大全』他の土屋守さんがいらしていました。

お値段も幅広い上、チャージもありません。
(池袋もけっこうチャージ取らないのですが、するとなぜ馬場のちょっと洒落たバーはチャージ取るのよ!?
馬場のくせに生意気ではありませんか。学生の財布を考えてほしいものです。)

場所は赤坂一ツ木通り沿い、赤坂見附駅側を背にして進むと左手に吉野家があります。そのビルの三階です。

それでまた金魚の話。
一考さんは金魚の養殖をされていたこともあります。(というか驚くほどたくさんのことをされています)。
金魚は一言で言えばデカダンスなのだそうです。
人工的に作り出され、人間の手を離れては存在できない美しくもグロテスクな生き物が金魚だそうです。
願わくば私も金魚のようにありたいものだわ。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月19日 22:19 | 固定ページリンク




一考 | 生涯婚前交渉

 さくらさんへ
 モルト・ウィスキーに嵌ってしまった私には酒と女人は両立致しません。なぜなら、香水、化粧品等、コスメティックな匂いは酒の香りを味わうに禁物だからです。一切の化粧品を用いない女性なら問題はありませんが、私は酒を飲む時はひたすら飲み続けるべしと心得ています。ぐでんぐでんでは全くつかいものにはなりません。いずれにせよ、私にとっては酒と女人は別チャンネルの存在のようです。
 この話を言い換えますと、下心のある殿方は女性を食事に誘い、下心のない方は酒に誘うということになりましょうか。
 それにしても、妖気と名付けた割には妖気のない話ですね。バーで誘われるなんてすてきじゃないですか。誘いを望んでいても誘われない人が私の回りには多く居ます。私が女性なら相手の口舌がスマートであろうがなかろうが100%付いて行きます。また、屁理屈は願い下げで、単刀直入なほど、素敵ではないですか。単刀直入でない人はセックス以外のものを求めているようで胡散臭くかつ不純だと思われます。
 煙草は嗜好品なので、呑もうが呑むまいがその人の勝手。さくらさんが煙草をお嫌いなら、その旨申し入れればよろしいのであって、それ以上でもそれ以下でもないと思うのですが。この話もちょっと視線を換えますと些か意味のある話になりましょうか。
 男性のセックスは果てると同時にすべてが終了します。しかし、女性は高まりがその後も持続されます。ことの直後に煙を吹かされてしゃくにさわるのは、かかる消息ではないかと推察されます。一汗かきし後、間髪を入れず風呂に入るとかトイレに立つとかされるのと同じで、男の側の気配りの欠落に問題があります。
 若い頃、すなわちスタート時にあって、男と女のセックスは噛み合うところがほとんどありません。そして歳と共に男は女性的に女は男性的に変化していき、結果として歩み寄るのではないかと思われます。それ故、男女共に若い時は年上と、老いては若い人とお付き合いするのが上々。婚前交渉で十二分に肉体をカスタマイズしておきましょう。
 また、性交渉は互いが互いの道具と化することで、双方が無私の精神を持たないと成り立ちません。それは相方が口から涎を流しながら貪りついている間は、自らの肉体を物として提供しなければならないということです。しかし、ネクロフィリアならいざ知らず、生体を相手のセックスであれば不可能に近く、それは男女の脳みその量ではなく、質を同質化させねばならないようです。
 質の同質化を問えば、変態が想起されます。変態同士の方が黙契を持ちやすいのではないかと思い、その道の達人に問い合わせると、100人の変態が居れば100通りの変態が存在するとのこと。これはもう、1000人切りでも10000人切りでも結構ですから、とにかく天文学的数値の人と接触し交渉を繰り返し、運を天に任せて好みの人との出会いを待つ以外、解決策はなさそうです。
 と、ここまでは他愛ないおしゃべりで、ここから先は文学の領域に入ります。果てにはセルビーやジャリが著したオナニー・マシンの世界が待ち受けています。よろしくどうぞ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月20日 15:04 | 固定ページリンク




高阪 | おそれいります。

>さくらさんが煙草をお嫌いなら、その旨申し入れればよろしい
>のであって、それ以上でもそれ以下でもないと思うのですが。
関係ないところからふと顔を出しますが、私は学生時代には一時は
喫煙していましたが、それは嗜好というよりスタイルの問題であり
どうも煙草は苦手なようでして、喉や気管支が弱いことが発覚して
自分が吸わずにいると、すっかり煙草嫌いになってしまいました。

まぁ銘柄によっては平気なのですが嫌いなものを浴びるのも辛く、
車両も禁煙席で同席する相手には極力申し入れるようにしている
訳ですが、どうも「それ以上でも以下でもない」というふうには
思うことができません。それは自分の我慢が足りないと思ったり、
相手に変にモラリストぶっているとか思われたくないと思ったり、
そんな無駄な心理的抵抗感が強いようです。空気の悪いところに
行きたくない、という気持ちが最近では先に立ってしまいます。
大袈裟な言い方をすると、バリアフリーではない社会に出て行け
ない障害者の方の気持ちが察せられるとでもいいますか、それを
それ以下でも以上でもないと割り切るには、一体どうしたらいい
でしょう。くだらない質問で済みません。どうしてもひっかかる
問題なもので、よければご意見お聞かせください。



投稿者: 高阪    日時: 2001年10月20日 21:27 | 固定ページリンク




さくら | 楽しいお話でした


一考様

ご教示下さりありがとうございます。
というより、楽しいお話をありがとうございます。
「この程度は妖気ではないよ」とのこと(笑)。

私は煙草を吸うので、普段は気になりません。
書き込みを拝見して回想してみたところ、
一度だけバーで出会った男性と性愛に落ちたことがありました。
すっかり忘れておりました。
その後奢ってもらって二度美味しかったです。
今度バーで誘われたら、断らずにちょっと考えてみます。
誘われるという機会があるだけでもなかなか幸運なのだそうで、
自分の魅力の一つかと思いました。
今後とも宜しくお願いします。


さくら

追伸:こちらには齋藤さんのHPでのご紹介で参りました。



投稿者: さくら    日時: 2001年10月21日 07:46 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | ツールの写真

◆一考さま
 
 金曜日は、ありがとうございました。
 数年ぶりにほっとした一日の締めくくりにふさわしい宵でした。
 おやくそくのツールの古い写真をメールでお送りしました。
 また、お店に伺います。


◆梅子さま

 いろいろお話できてたのしかったです。
 わたしも、新しい自転車買ったら、ゴボウならぬ、ネギあたりを背中にしょうことになるんでしょうか。うーん。自転車ライフと「前カゴ」は両立しないんでしょうかねえ。画材だのPCだの背中にしょうのは気が重いんですよね。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2001年10月21日 11:10 | 固定ページリンク




朝子 | シングルガールのシングルモルトは香りは問題じゃない?


皆様またもやお邪魔いたしまする。

私はタバコもがんがんのみ、かつ、香水もじゃんじゃんふりかけ、そして
モルトウィスキーはうまい!とか思っているんですけど、それは、鼻がお
かしいということに他ならないのでしょうか?

・・・香水もタバコもそんなに邪魔になるもんでないと思うんですけど・・

つまり、その、美味しいものに対面してるときはその人に意識をがっ!と
集中させておるので、香水タバコの匂いはあって無いものと、自分では思
うのですけど・・・

で、寝屋での話も同じで、相手がタバコのみでそれがお嫌!という場合は、
タバコが嫌なんじゃなくて、相手に興味が無い!という可能性を考えてみ
てはいかがでしょうか?そうでないなら、まぁ対抗して自分も頂いてやる
か、逃げるとか、水ぶっかけてやるとか、無視して自分は旨い酒でも飲ん
でやるとか辞めないならもうしない!と呟いてみるとか・・・色々楽しい
技のかけがいがあると思うのです。

そういや一度、東大理3出の若い開業医って輩に連れ回された時があります
けど、その人が一点しか目指しておらず、酒飲んでも美味しいご飯食べても、
なんかこう・・・つまんないなぁ・・・思って連れ込みの前からタクって逃
亡したことがありましたね。各段階が面白かったら連れ込まれても良かった
んだけど。

視点が大事というか、何に価値を置くかで、物事結構楽しめたりそうでも
なかったり、すると思うんですけどね。まーその、開業医だかなんだかも、
ある一点にのみ価値を置いてたんでしょうけど、あたくしも期待してたの
に、結局オゴリご飯ぐらいにしか価値を見いだせ無かったし。

万人切りというのも楽しそうですが、妙な病気だけはお気をつけなすって。

どうもお邪魔しました。



投稿者: 朝子    日時: 2001年10月21日 22:28 | 固定ページリンク




香賀薫 | 煙か酒か食い物


煙草も香水も味わいには関係ないと思うならそれでいいんじゃないでしょうか?
もっとも、そういう方の半径5m以内には近寄りたくないですが。
ご本人様はどれもいけて楽しいでしょうが、あいにく香水と煙草は空中伝搬
しますので、なるべくウイスキーの薫りだけを楽しみたい煙草嫌いにしたら、
あんまりありがたくないタイプであることは確かです。
煙草とウイスキーのコンビネーションを楽しまれる方もいらっしゃいますので、
煙草を全面否定はいたしませんが、灰皿に吸い差しを放っておいて酒を飲んでいる
人を見ると「どっちかにせんかい!」と突っ込みたくなる事はままあります。
特に、その副流煙が直撃だったりすると内心泣いてます。
私の場合、後で喉が腫れて来るんですよ。
ついでに、そば屋と寿司屋で煙草を吸うのは粗暴を通り越して残虐だ!と
主張いたします。いささかとうがたった青年の主張ですが(笑)



投稿者: 香賀薫    日時: 2001年10月22日 12:52 | 固定ページリンク




朝子 | 他人様へのご迷惑は極力避けるよう努力はしております

香賀薫様 私めへのコメントだと思いますので、イイワケなんですけど、あたくしは、 堂々たるタバコのみであるため、ポリシーを持っています。 1.複数と食事中等の時は、火を付ける前に必ず断る!ダメと言われたら当然我慢します、できます、そんなこた、当たり前です。 2.携帯灰皿、いつも2,3個持ち歩いております。 なので香賀様、マナー知らずな奴にご迷惑をかけられる事が多いのかもしれませんけど、あたくし自身は違いますし、まぁ、もしですぺらで、隣の席になったら、ちゃんと、「タバコ遠慮してくださいますか?」と言ってもらえれば辞めますし。 バーに行く前に香水かけたりしません。 香水かけるのは、朝です。通勤列車がオヤジ臭いから。見知らぬオヤジに臭い!言うわけにもいかないので、自衛手段として、自分の鼻にのぼってきやすい所にちょいとつけているだけです。 って、あたしも、幼稚な反論で御免なさいね!でも、誤解されるのもいやだし!(笑)ではまた。



投稿者: 朝子    日時: 2001年10月22日 22:33 | 固定ページリンク




比呂 | その後いかがでございましょう?

どうも、比呂でございます。

 日頃の不摂生と何処にでも顔を出しては自分の時間を
食いつぶす生活を続けていたせいか、この10日ほど極度の
肩凝りが行きすぎたあげくの偏頭痛に悩まされております。

 季節の変わり目、というより、自分の年齢が恨めしくなる
そんな年齢に段々となってしまったのだなあ、などと。

>一考さまへ

 その後、顔がだせておりませんが、うまくいっているものやら心配
が募って参りましたので、また今週どこかで呑みに伺おうかと思っております。

 先にお伺いをした際には、可憐なお嬢様がカウンターでお酒を嗜んでいるか
と思えば、その後思いもよらぬゲストまで登場し、実はかなりどぎまぎして
おりました。おそらく傍目には図々しく見えたものかと思いますが(笑)。
 一緒にお伺いをした翻訳家の方もあまりに驚いてなにも言えなかったと残念
がっておりました。次回からはですぺらにお伺いするときには、せめて
『就眠儀式』くらいは携帯していこうと誓う今日この頃なのでございます。


>みうさま

 こちらにもご挨拶されていたのですね。ウィスキーを呑みにきた
そのカウンターで、西洋人形の如きの女性が座っていたのはまことに
不思議でマジカルな光景でありました(笑)。


 さて、Resでもないのですがつらつらと。
 こちらの最近のお話など読みますに、私にはまるで無縁な男女の美妙な
関係のお話などございますと、純情な変人の私にはまるで別世界の大人のお話に
感じられ、すっかり困ってしまいます。バーで妙齢の女性に声をかけるなどは、
気の利いた言葉の一つも出てこない無粋者には無縁な世界なのでございます。
はてさて、ここに発言を書かれている方々と顔など会わせようものなら、
おそらく相槌の言葉以外は出ますまい。もしいつかですぺらでお見かけになり
ましたら、そういう変わった生き物とご認識の上で、存分に触ってやってくだ
さいませ>みなさま。

 思うに「純情な変態」というのは、自己紹介する上では非常に適切な表現で
あるような気もいたします(笑)>一考さま

 煙草のお話は、始終煙草を手放せない私には耳の痛いお話しでございます。
それ以前に身嗜みなど整えることも怠り勝ちな私のこと、煙草を吸わなくとも
いつも衣装からは煙草の香りが………。
 ただ、酒にしろ蕎麦にしろ、その美妙な味わいを純に楽しみたい方と
ご一緒するときは、煙草は遠慮してくれ、と言われるのが常。でも無粋な私は
煙草がないと、なんとなく手持ち無沙汰で寂しくなるのもまた本音。
ならば、根っから無粋な自分がおりますゆえ、気持ちだけはせめて無粋な真似は
すまいというのを頭の片隅に置いて酒席を楽しむのでございます。
 時折、そんなこともさらりと忘れて、「タバコはやめて!」と注意されたりも
するのですが(^^;)。難しいものでございます。ただ、煙草の煙にも退廃の魅力
を感じる私故、生涯煙草は手放すまいなあ、とは感じております。なんとかうまく
付き合っていきたいものでございます。

 もちろん、酒の旨さに煙草がどこかに飛んでしまうことも、ままございます(笑
そのあたりに、本当の旨さの秘密などあるのやもしれません(^^;)

 



投稿者: 比呂    日時: 2001年10月23日 03:00 | 固定ページリンク




一考 | 疲れる話

 高坂さんへ
 文脈は文学生活と日常生活との乖離を示唆したつもりでして、煙草を嗜むのがそれ以上でもそれ以下でもないと述べたつもりは毛頭ございません。仮に五十歩譲ったところで、さくらさんはことの後に煙草を吸う男性心理に疑問を提出なさっています。ことの後に煙草を吸うのは「君との関係は義務でやってるんだよー」との意思表示ではなく、全く意味のない行為であって、さくらさんの考えすぎではないかという私見を述べたまでです。即ち男性の行為に選択とかアンガージュといった強い意志が働いたとは思われない。ただただ煙草を吸ったという、それ以上でもそれ以下でもない日常的行為ではなかったかと、そういう意味合いです。
 ちなみに、私は自宅では葉巻やパイプを嗜み、紙巻きに換算して60本位吸いますが、外ではフィリップ・モリスなどを飲んでいます。また、先日種村季弘さんと90分テープで5本に及ぶ対談を致しましたが、その間は先生の健康への気配りからフィリップ・モリスすら飲みませんでした。近頃煙草飲みは肩身が狭く、極端な不自由を感じる少数者と相成りました。
 私の友人に書誌学者の肥田皓三さんや小出昌洋さんが居ますが、彼等は酒も煙草も一切嗜まず、菜食主義者ですが、われら仲間内の集まりには出席なさっています。一切飲食せず、会費のみ支払われています。書物談議に惹かれてのことだと思われますが、酒、煙草、書物、女、オートバイを嗜好する私がごとき移り気な不良に苦言を呈することもなく、30年に及ぶ交友を結んでいます。
 どうでもよろしいのですが、こういう話は疲れますなあ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月23日 03:59 | 固定ページリンク




梅子 | 眼鏡の忘れ物

 10月20日の加藤郁乎さんの「後方見聞録」出版記念会にお集まり頂きました皆々様、ありがとうございました。郁乎さんも大変喜んで下さいました。短詩系はちょっと、と言う方もこれを機会に繙いてみてはいかがでしょうか。
 ところでお忘れ物のお知らせです。黒いケース入りの女性用眼鏡がカウンター下に落ちていました。今日まで気がつきませんで申し訳ありません。お心当たりの方はお知らせ下さい。



投稿者: 梅子    日時: 2001年10月23日 04:02 | 固定ページリンク




梅子 | お詫びと脅し

みうさんへ
 先日は店主が大変失礼をいたしました。酔っぱらいはしちこくて困りますよねえ。
わたくしもいつも手こずっている過激オヤジで、アイデンティティーという言葉には過剰反応するようにできておりますもので。あの後無事にお帰りになったのでしょうか。

伊藤ビンラディン氏は、どこで始発までの時間をつぶされたのでしょう。追んだしてしまったようですみませんでした。店主があんなにべろべろでなければお付き合いしたのですが。翌日は休みだったので、一日中パジャマ姿で「頭ぼけぼけ~」と、ふにょふにょしておりました。

週刊文春に「後方見聞録」の書評が掲載されたのは有り難いことです。これで売り上げ倍増!の訳ないですが、”あの”学研文庫のイメージチェンジになれば、ウッヒッヒ、です。
『伝説的な流れ編集者、渡邉一考』と書かれていたのには、なるほどと感心してしまいました。
この掲示板を見た方は、皆さん必ず誰かに「後方見聞録」を買うことを勧めるように。さもないと・・・などとは言いませんが、どうぞよろしくね。



投稿者: 梅子    日時: 2001年10月23日 04:56 | 固定ページリンク




moondial | ご無沙汰です。

moonmoonmoonmoonmoonmoonmoonmoonmoonmoonmoonmoonmoon

一考さん、なかなか繁盛している掲示板ではないですか。
久しぶりに貴兄の文章を拝読させていただきましたが、実に素敵ですね、
一考節健在、合間に貴兄作詞の春歌か「フランチェスカの鐘」が入れば
もう完璧ですね。活字になる文章共々貴兄の変態バージョンも又格別に
素敵です。 郁乎氏には少々失礼ながらも、「後方見聞録」後書き、
モルト香を含ませ熟成させた文章に出会えるのを楽しみにしています。
ボインもナインも満喫され一考少年大活躍の面目、お店も繁盛している
御様子、取り敢えずお祝い申し上げます。

ご依頼の妖しき物、明日か明後日には発送出来るかと思います。

梅子さん、ご無沙汰です。しかし、梅子とは実に卦体なハンドルネーム
ですね、一考氏が命名したのでしょう。まず元気そうでなによりです。
又機会があれば神戸の美味しいパンでも食べに来てください、
歓待しますよ、某ミル嬢も随分と大人になりましたから。

moonmoonmoonmoonmoonmoonmoonmoonmoonmoonmoonmoonmoon
//



投稿者: moondial    日時: 2001年10月23日 12:21 | 固定ページリンク




伊藤”御邪魔ビンラディン”敬 | 御心配ありがとうございます


伊藤”御邪魔ビンラディン”敬は、あのあと、みうさんを赤坂見附の駅
までエスコートして、タキシーに乗せてから、新橋方面に向かって歩い
て行き、途中、溜池に「カフェ・ロリータ」といふ24時間営業の珈琲
屋を見つけて、そこはロリコンを以って自称する御邪魔ビンラディン師
のこと、壁に掛けられたスー・リオンのポスター眺めながら、イクヤー
ノフ師新刊の増補分をじっくりと読んで時間をつぶしてゐたのでした。
御心配ありがとうございます。
週刊文春書評、裏から手を廻して書かせると最も効果的な人ではないか
な、と思ってゐた坪内祐三氏が、さうした小細工を弄してゐないのに、
しっかりと取り上げてくれてゐるので、これは、名著再刊の船出に、大
歓迎すべき追い風が吹いてくれたのだと思はないわけには行きません。
坪内氏は、ヨミがたしか逍遥の本名と同じで、やはりといふか早大出身。
山口昌男氏の門下では最も信頼できる評論家で、あの「月の輪書林」の
高橋徹氏の親友だと言うと、おおよその目利きのスゴさは御了解いただ
けると思ひます。もっとも、玄人受けする「シブい本」ばかりを薦める
ヒトだといふ説もあって、売れ行きにどれだけ好影響があるのか疑問視
するイヤーな手合もあるやうですが、まぁ、一旦あの本の頁を開いたら
こちらのものなんですから、あんまり心配する必要はないでせう。
デハ又



投稿者: 伊藤”御邪魔ビンラディン”敬    日時: 2001年10月23日 12:45 | 固定ページリンク




香賀薫 | こんにちは


朝子さま
ポリシーのある方はまこと有り難いです。
そのちょっとした「吸っていい?」の一言が嬉しいのです。
通勤時に、全館禁煙のオフィスに入る前に必死に歩き煙草でふかす人やら、
食事中断りもせずにばふばふとふかす人、勘弁して欲しいと言ったらゴーゴンも
かくやの目つきになる人やらにうんざりしているところでしたので、物言いが
きつくなりました。八つ当たりの感もあります。御宥恕を。

比呂様
煙草の退廃。ルイ・イカールの「スモーク」という版画を思い出します。
かの美人になら煙に巻かれてみたいものです、なんていってみたりして(笑)



投稿者: 香賀薫    日時: 2001年10月23日 12:50 | 固定ページリンク




一考 | 月見で一献

 moonさんへ
 お久しぶり。
 東京では春歌はおろか、カラオケなるものにご無沙汰。そのうち弘田三枝子さんと合同コンサートでも開こうかと思っております。
 活字の方は明年末より新たな連載(こちらは文学です)をはじめる予定ですが、その前にウィスキーの本と酒の肴の稿を起こさねばなりません。モルト・ウィスキーの方は現在300枚位、あと300枚ほど書き足さねばなりません。基礎資料編はほぼ終了しましたが、これから先は1000種のウィスキーの香味を個別に著さねばなりません。過去の原稿で使用可能なのは約半分、正念場をむかえるわけです。
 明石の来住謙一郎さんや太田守さんのように、モルト・ウィスキーの香りについて縦横に語り合える相手に恵まれず、苦渋致しております。赤坂の酒屋さん、ソムリエやバーテンさんが葡萄酒の相談に足繁くやって来るのですが、ソムリエではなんの役に立たず、香りについてはやはり板前さんしか信用できないようです。栗の渋皮、生海苔、やや痛みかけた生麩、駄菓子屋のゴム風船、飴の純露、黴びの生えたパンツ、みつこや夜間飛行を1000倍に希釈した香りなど、来住さんからの一言は大いなる連想ゲームをもたらし、抱腹絶倒の試飲会の繰り返しでした。かつてお付き合いした香水の調香師やJTTのブレンダー、また植物学者の鼻にも驚かされましたが、食の厚みと深さ、更に香りに対する記憶とその鳥瞰図の広大さにおいて、懐石料理のプロにはかなわないようです。
 神戸で試された10種のブランデーのブラインド・テイスティング、同じく10種のジン、10種のシェリー、20種のバーボン・ウィスキーとモルト・ウィスキーのブラインド・テイスティング、同じく10種の日本酒の銘柄と瓶詰めの年月日を当てるという難問も軽くパーフェクトにクリアーしましたが、それを表現するとなると生易しいものではなく、語り合える相方が欲しいなアと思っております。
 それにしても、何時になれば赤坂のですぺらでモルト・ウィスキーの試飲会を開くことが出来るのでしょうか。ホワイエのマスターから頻繁に励まされるのですが、寒々とした心持ちです。ホームページが突破口になればよろしいのですが。

 隣りで梅子が「神戸の美味しいパンでも食べに来てください」との書込をする暇があれば、フロインドリーブのケーキとドンクの加納町工場のパンを送付せよと宣っております。パンに関する著書を幾冊も上梓した人の紹介で東京中のパンを食べ漁りましたが、満足なものに未だ巡り会えません。歴史と文化の違いでしょうか。
 妖しき逸品を鶴首。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月23日 15:13 | 固定ページリンク




一考 | とらぶる発生

 比呂さんへ
 会社へ電話致しましたが、頂戴いた名刺先には飯田克比呂さんがいらっしゃらないとのこと。
 連絡が取れず困っております。重度のトラブル有り、なんとかしてチョーダイ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月23日 15:34 | 固定ページリンク




高阪 | なんというか。

疲れる話をさせてしまいましたようで申し訳ないです。
気管支炎になりかけで苛々しているのかもしれません。
愛煙家の方々、済みませんでした。明日はきちんと病院に
行きます。ですが皆さんのお話は、大変参考になりました。

>神戸で試された10種のブランデーのブラインド・テイスティング、
>同じく10種のジン、10種のシェリー、20種のバーボン・ウィスキーと
>モルト・ウィスキーのブラインド・テイスティング、同じく10種の
>日本酒の銘柄と瓶詰めの年月日を当てるという難問も軽くパーフェクトに
>クリアーしましたが、
全部判るとは、すごいですねぇ。そうしたお話に参加
できるとよいのでしょうが、嗜む量が違うのだなぁと、
ただただ感心するばかりです。モルト・ウィスキーは
ウィスキー醸造所や周辺の風景の美しい写真が満載の
C.W・ニコルさんの『ウィスキー・キャット』という
本を読んで以来興味があるのですが、なかなか機会が
ありません。残念なことです。



投稿者: 高阪    日時: 2001年10月23日 21:25 | 固定ページリンク




フク | そろそろ

皆さん、こんばんは。
いざ書き込もうとするとどこか敷居が高い気が。
フーリエの使者さんにも紹介頂きましたのでのこのこと出て参りました。

梅子さま
フロインドリーブとは懐かしい。「ケーキなのかパンなのか」(だったと思う)
キャッチコピーの看板が、実家の近くの某駅にあって不思議な言葉だな、とずっと
思っていたことを思い出しました。ちょっと調べてみたところ、今やネット注文
して地方(東京も地方ですね)配送もしてくれるようですよ。パンが旅をしたら
味がどうなるものかは分かりませんが。
http://www.mars.dti.ne.jp/~ghb1266/


ワタクシ、シングルモルトは大好きながら一向に銘柄を覚えないため、行く度に
一考さんに選んで頂いては「うお、これは」とか「ひゃ、すごい」とか一杯毎に
嘆息したり、喜んだりしている酒飲みです。先週の予告通り、明日か明後日には
顔を出しますので、また相手にしてやって下さいませ。



投稿者: フク    日時: 2001年10月23日 23:52 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | えっ、どきっ!

◆フクさま

 まー、2分の1の確立でお会いできますのね。うむむむむむ。(笑)

========
フクさんのいわれること、よくわかります。
わたしはフランスのワインを日常的に飲みます。つまりその程度のお値段のしか手を出さないということなのですが、銘柄というのはどんどん忘れてしまいます。ラベルの顔では覚えているのですが。
事典屋なのでフランスワイン事典なんかも彼の地から買い求めたりもしたのですが、その方面の記憶中枢はかなりザルでして、どんどん忘れちゃいます。いや、ワイン、飲むほうもザルなんですが。

しかし、よくしたもんで、こういう非コレクター体質の自分の周りはワインに限らずいろいろな分野の「歩く××事典」のような生き字引のような方がなぜか現れる怪奇現象がよくおきます。だから余計覚えないという、迷宮に陥るのですが。
でも、そうした方達のお話を聞くのはとても好きなのです。とても楽しいし、得した気持ちになるのですもの。

でも好きなワインも大ざっぱにはありまして、個人的にはラングドック・ルシオン~ボルドーあたりのもの、それからコート・デュ・ローヌの中でシャトー・ヌフ・ド・パープ、アルザスあたりのものというのがいいですね。どれもワインの味だけではなくて、いろいろな思い出もつまっているのです。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2001年10月24日 00:52 | 固定ページリンク




松友 | ~~反省反省~~


一考様

20日の出版記念会では大変失礼申し上げました。
扉を開く前に気がつけば宜しかったのですが、
唯一匹迷い込んでしまいました鼠こと松友です。
御歴々の先生方、先輩の皆様方には大変ご迷惑をお掛け致しました。

やはり拙メは、ここ、掲示板にても異端の徒となっているように感じます。
それでも、お邪魔してしまうのは拙メの未熟さゆえです。

関西に居られた折のお話がございましたが、
往時はモルト・ウィスキーについてそのようなお話をされていたのですね。
来住殿にも酒、肴について多く教えていただいたことを懐かしく思っております。
ホワイエのマスターとも御親交がおありとの事、さすがです。
一考さんのセレクトとなると、さぞや特徴のあるボトルが揃いそうで、
近い将来、ですぺらにてのモルト・ウィスキーの試飲会が
開かれるようになることを切に期待しております。

さて、風の単車は残念ながらすべて手放してしまい、
新たな飼主の元で穏やかな日々を過ごしております。
白蓮ならぬ黄蓮も既に掌中を去り、紅毛の駻馬はかかりつけの厩にて療養中、
早く再び手綱を採れるようになりたいものです。
もっとも悲しいかなどちらも一考さんの手綱捌きには遠く及びません。
いや、それより先に梅子様に頂戴しました宿題に取り組みませんと。

酒の本、HP、共に楽しみにしております。
まずは取敢えず、お詫び方々ご挨拶まで。
   ~~松友~~



投稿者: 松友    日時: 2001年10月24日 02:47 | 固定ページリンク




フーリエの使者 | フロインドリーブ

その昔、広尾にある東京フロインドリーブでパンを買ったけど、よく分からない味でした。今ならワカルかな。だけど、本店とは味が違うんだろうなぁ。



投稿者: フーリエの使者    日時: 2001年10月24日 10:56 | 固定ページリンク




如月 | 業務連絡

拙サイトのdesperaページhttp://www.furugosho.com/despera.htmより、この 掲示板にリンク貼りました。 ご確認ください。 現在のリンクはいちおう仮ということで、desperaHPが正式にオープンしまし たら、また手直し致します。 HP開設まで、まだまだ山あり谷ありのようですが、おがんばりあそばしませ。



投稿者: 如月    日時: 2001年10月24日 23:54 | 固定ページリンク




つまさき | 横から失礼します

「ケーキなのかパンなのか」のキャッチコピーはケーニヒス・クローネかと・・・ 重箱の隅、失礼しました。



投稿者: つまさき    日時: 2001年10月24日 23:56 | 固定ページリンク




フク | あ、そうか

つまさきさま

書き込みを終わってから、実は小生自身もその可能性に思い当たって実は悩んで
おりました。ケーニヒス・クローネでしたか。すっきりしました。御指摘ありが
とうございました。



投稿者: フク    日時: 2001年10月25日 01:48 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 一言いいですか!?


管理人櫻井さんの10月20日の日記に「臨時バイトの二階堂奥歯さん(←女性)は胸に名刺入れを入れていて、胸元から取り出し
て客人に名刺を渡していた。変わってるなあ。」とありますが、これは決して私の習慣でも趣味でもありません!
単にポケットがないワンピースを着ていたからです!

それから、バイトではなくお手伝いです。
なぜなら……、バイト代は出ないからです……。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月25日 22:05 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | お知らせ


お知らせ係奥歯です。
ですぺらにフライヤーが置いてありますのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、改めてお知らせいたします。
エコール・ド・シモンの松島智里さんの個展が本日より行われています。

松島智里個展<Synchronicity>
10月25日(木)~11月8日(木)
アートスペース美蕾樹
渋谷区宇田川町17-1渋谷ブラザービル4F
03-3463-8477

27日(土)6:00~
オープニングパーティー

松島智里さんのHP
http://www5/ocn.ne.jp/~fetaleye/
(でも、昨日から行けないようなのですが。私のブラウザの問題でしょうか。)



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月25日 22:26 | 固定ページリンク




一考 | 宇野邦一さんのことなど

 ムーンさんへ、妖しき三種の神器、かたじけなくも落手。
 Adobeのお姉ちゃんの逆鱗に触れぬよう、注意致しましょう。先日の松友さんの来信も詩的に装われていましたが、草の根ネットとは異なり、こういうオフィシャルの場では迂闊な文言や矯激な発言には要注意ですね。活字や手紙の方が、ヨタをとばせそうな気がしてきました。昔からですが、どうもレトリックなるものは苦手です。
 貴方のh・pはいかが相成りましたか。須永さんのh・pでは会員制のサロンでも拵えて、毒舌に浸ろうかと思っています。昨今、著者の息遣いが聞こえる書冊は珍しくなりました。今こそ必要なのは「署名のない紙つぶて」なのにと案じる次第。
 ところで、宇野邦一さんの「ドゥルーズ流動の哲学」は読まれましたか、講談社選書メチエの一冊として上梓されました。定価は1700円。取るに足らぬ現代文学(特に小説はひどい)の中にあって、ひときわ屹立した著書とかたく信じます。ご本人とのお付き合いは間合いの取り方がうまくいかず、些か難渋致しておりますが、宇野さんの拵え事にはかねてより畏敬の念を抱いております。書肆山田から上梓されたベケットの翻訳は箇々の作品に合わせて異なる文体を取り入れ、原著者の呼吸もしくは搏動に迫ろうとした意欲に溢れた逸品。気配りと芸の細やかさ、言語に対する智力が美事に三位一体をなしています。ヘーゲルを要約させて右に並ぶ者なく、恩師にあたるドゥルーズの肖像を、哲学的生涯をときほぐした著書の到来が待たれていました。もとより、わが邦における一過性の構造主義に私はなんの興味も抱きませんが、個としてのドゥルーズの哲学には大いなる興味を抱いて参りました。宇野さんの文章は行きつ戻りつ、何を読みとり、いかに読み換えるか、難解なドゥルーズのモチーフにまとわりつつ、懐疑を日本語の中にいかように織り込んでいくかに終始します。ドゥルーズに限らず、立ち徘徊ることを本意とする宇野さんの哲学が、肉声が実に簡明かつ鮮明に書き綴られています。稀にみる名著にして、お薦めの一本です。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月26日 14:57 | 固定ページリンク




一考 | 高遠弘美さんのことなど

 奥歯さんへ
 これは櫻井さんのふくらみへの憧憬じゃないですか。男と女ではふくらみの場所が異なりますし、些か成分も違えます。ないものねだりは麗しい心意気であって、非難には当たらないと思いますが、如何なものでしょうか。信仰するものは極端に尊く、然らざるものは乱離骨敗との鏡花世界の一端なのですよ。櫻井さんの中にも斉藤磯雄、松山俊太郎、高遠弘美各氏と同種の血が流れているものと思われます。
 ちなみに、高遠さんの随筆集「乳いろの花の庭から」(ふらんす堂)所収の「いつの日かフェルメールを見にどこかの町へ」へは頗るユニークなエッセー、そしてロミの翻訳「乳房の神話学」(青土社)は澁澤さんのネタ本の一冊。また、今回種村季弘スペシャルのために著されたエッセーは一随に師を憶う稀代の卓筆。文学翫賞家としての本領を発揮、再構築された資料と種村季弘に対する愛情の念とが渾然一体となり、鮮やかな種村像を浮かび上がらせている。とりわけ、結句は文句なしの傑作。読み手をして慟哭を与えるような文章との出会いは、吉行さんの死後絶えてなかった。かたじけなく存じます。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月26日 16:00 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 松島智里さんのHP


昨日貼ったURLは間違っていました。
正しくは
http://www5.ocn.ne.jp/~fetaleye/
でした。

今日松島智里さんの個展に伺いました。
50cm四方程度の大きさの世界が並ぶ稠密な空間でした。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月26日 21:01 | 固定ページリンク




moondial | 怪人百面相

怪人百面相の貴兄がレトリックは苦手とは面白い。貴兄の最近の文章は、別種麗しきふくらみと流麗なレトリックを絡ませ、種々アルコールを脳幹網様体に注ぐほどに、ボインとナインに揉まれるほどに、却って明晰判明になるものかと少々驚いております。毒舌に浸れるほどの錬金術を持たぬ小生のHPは未だ手付かずの状態、又苦労して作ったところで、侘びしいかな、「署名のない紙つぶて」を投げてくれる方も受ける方もおりません。お薦めの宇野邦一さんの「ドゥルーズ流動の哲学」、読んでみます。『千(ミル)の高原』ばかりで遊んでいないで、貴兄のように「立ち徘徊る」術を少々学ばねば。しかし貴兄は相変わらず元気ですね、小生は益々体力も無くなり容易には勃起しません(相手が悪い等と言う無かれ)、SMに走るべきかな。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月27日 12:24 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | 失礼いたしました


二階堂奥歯さま
日記の文面失礼いたしました。奥歯さんのコメントを日記に挿入させていただきまして、
誤解のないようにいたしました。ご了解ください。

一考さん
フォローありがとうございます。



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2001年10月28日 00:03 | 固定ページリンク




ヒデキ | はじめて書き込みいたします。

 9時頃お伺いしましたヒデキと申します。芝居が好きで、これまでも
郡司正勝先生の著書からいろいろ教えていただいておりましたので、
見せていただいた「芸能の足跡」、読み耽ってしまいました。手元に
置きたいと真剣に思案しております。
 日曜日は日帰りで大阪へ参りまして、山本六三さんの久方振りの
個展を拝見するつもりです。慌ただしい日程になるようですが、
とても楽しみです。貴店の個室で拝見できる山本さんの銅版画作品の
題名を知りたく存じます。ご教示くだされば幸いです。



投稿者: ヒデキ    日時: 2001年10月28日 00:53 | 固定ページリンク




一考 | 異端とはなんぞや

 松友さんへ
 「やはり拙メは、ここ、掲示板にても異端の徒となっているように感じます」こういう書き方はよろしくないのでは。と申しますのは、異端の徒でもなんでもよろしいのですが、自らを定義づけるという点に私は納得が行きません。
 異端であれ、変人であれ、それら文言から来る優越感と遜った様子に示唆されるコンプレックスの鬩ぎ合い。それを自らの性格の一端として他者へ押し付けるために強調なされるなら、それはそれでよろしいのですが、「私は」との主辞の後にやってくる「何々である」との賓辞、言い換えれば、人の稟質のようなものを自ら定義するのはかなり無謀な行為ではないかと思います。ヘーゲルにせよ、ニーチェにせよ、バタイユにせよ、世の哲人はその一点の証明のために夥しい量の原稿を費やしています。我ら凡人にとって、かかる判断は他者に委ねるのが最も賢明な方法ではないかと思います。というよりも、人品骨柄など、他者が判断すべき筋合いのものであって、自らが自らに下すのはさかしらな迷いごとのような気がします。誤解を畏れず申せば、他者とは自己の鏡であり、自己とは他者の投影ではないのでしょうか。
 この消息は、昨今用いられるようになった「私的(わたくしてき)には」にも同様。意見は陳述するものの、確たる自信はなく文責は負いかねる、結果として賓辞はともかく、主辞の方は弱めておこうとの自己防衛が無意識が働いているものと思われます。それら孰れもが、大事なのは私だけとの同心円を描いています。複数の芯を持つ楕円であれば、弁証や懐疑が生まれる可能性も在るのですが、同心円では同じところを繰り返し巡るだけ、犬が自分の尻尾を銜えようとぐるぐる回るのに似て、それでは自らの精神になんら変化も深化も齎しません。当然、精神に進歩や進化などは存在する筈もないのですが、深化を拒否すれば精神は老い、すべては滞ってしまいます。
 プライド、オリジナリティー、パーソナリティー、ポリシー、アイデンティティー等々。政治用語から社会学用語に至る虚言に、現代人はすがりつき、振り回されているようです。虚言と申しましたのは、それらの文言は中味すなわち実体をまったく伴っていないからです。虚言癖をかなぐり捨て、肉声を発しようではありませんか。肉声とはおのが迷いであり、逡巡であり、懐疑なのです。それは心の中にふるえを、畏れを、おののきを齎します。でも、それでよろしいではありませんか。精神に賓辞などあろう筈もなく、人に安住の地などあろう筈もないのですから。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月28日 02:40 | 固定ページリンク




ルンルン一考 | 修辞法とはなんぞや

 ムンムンダイアルさんへ
 レトリックが苦手と著したのは自分自身が講じている下らない気配りへの物言いでして、馬鹿を馬鹿と言えず、暗喩としてしか表現出来ない中途半端な現況への自嘲でございます。などと迂闊にものを申せば聡明な貴方のこと故、暗喩が修辞法でなければなんなのですかと畳み込まれそうですね。
 会話の妙味を愉しむにはマナー以上にかなり強引な技が必要になります。昔を憶い出して下さい。舞台は三宮の安居酒屋、いやジャズ喫茶でしたっけ、革ジャンとグラサンに身を包み、くわえ煙草で肩を怒らせ、伏し目がちに構え、相手の言動から非論理的もしくは証明に難儀するであろう一言を暴きたて、相手が泣き出すまで容赦なく責めたてる。相手が暴力で立ち向かって来たときはビール瓶の一撃で眠らせる。荒っぽい時代でしたね。さすがに外科病院とのお付き合いは45歳からは沙汰止みになりました。そのかわり、最近は冷えると体の節々が痛みます。偽関節になりかけた左右二箇所の関節もうまく機能せず、感覚が元に戻りません。でも、なんら不満はないのです。過ぎゆく一刻一刻が私にとって遺された掛け替えのない日々であり、能うかぎり律儀に付き合ってきたからです。それはもう暫く、ほんの暫く続きます。
 インポテンツが自同律の問題か他同律の問題かと申せば、恐い怖いミル嬢に叱られますので、やや方向を換えまして一言。視姦という不能者に相応しい愉しみ方があるではないですか。インポテンツを嘆くなかれ、若い女ではなくフレッシュな男性を取り込み「鍵」の世界へ。なんですって、お気に召さない、やはり女にこだわりたいですって。されば「卍」の世界しか御座いませんなあ。
 この書き込み、やはり修辞法に終始しちまったようで。前言を訂正させて頂きます。なお、当方からも妖しげな一品料理お送り致しましたので、よろしく。



投稿者: ルンルン一考    日時: 2001年10月28日 02:44 | 固定ページリンク




一考 | 追伸

擬関節の(ぎ)を間違えたようです。悪しからず。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月28日 02:51 | 固定ページリンク




一考 | 葡萄酒あれこれ

 中嶋さんへ
 ラングドッグではコルナスが有名ですが、ノエル・ヴェルセットの88年ものボトルがとりわけ美味かと思います。シャトーヌフ・デュ・パープは赤が多く白は滅多にありません。ポール・ジャボーレ・エーネの白がお薦め。96年ものがわが邦にも輸入されています。アルザスは当然、白が多いのですが、貴女が触れられているのは赤だと思います。ルージュ・ダルザス・ピノ・ノワールをお好きとはシブイですね。アルザスのピノ・ノワールは葡萄だけでなく、小枝や葉っぱも一緒に処理するところに特徴があります。ちなみに、オークニー諸島のポモナで醸されるモルト・ウィスキーのハイランド・パークは、独自のピートベッドから截り出される若いピートにヘザーの根や枝も一緒に焚き込みます。香味が僅かでも複雑になるんでしょうかね。
 ルージュ・ダルザス・ピノ・ノワールは量は飲めませんが、たまにグラス2~3杯なら飲みたいですね。それとドイツの赤ワイン、当然品種はピノ・ノワールですが、過去に3種味わいました。カンパリやスウィート・ヴェルモット同様、甘味が咽に引っ掛かり、あまり感心しなかったのですが、珍品ということで話の種にはなりました。
 私の好みですが、ワインと書くとピンとこないのです。やはり、葡萄酒でないと駄目なようです。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月28日 04:05 | 固定ページリンク




一考 | ラ・ボエーム

 ヒデキさんへ
 個室の山本六三さんの絵はメーテルランクのペレアスとメリザンド(杉本秀太郎訳、湯川書房)の装画です。同じものが須永朝彦さんの家にも御座います。山本六三さんの絵がお好きなら、次回いらした時に仰有って下さい。珍しいものを店に蔵しています。
 山本六三さんとの付き合いは古く、私が15歳の時からです。十代の頃はよく飲みました、と言うより、60年代は連日ご一緒したと言っても過言ではありません。お付き合いは頓挫したままですが、氏から得た厚誼は私にとってのラ・ボエームです。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月28日 04:36 | 固定ページリンク




moondial | 暴露メッセージ?

 
ルンルン一考さんへ

当時は、会話の妙味と云うよりは、貴兄の圧倒的なお話を精一杯拝聴するだけで終わっておりましたよ。
舞台は何処であれ、惜しいことにその場に居合わせた事はありませんが、喧嘩早い貴兄の武勇伝には事欠きませんよね。最近では、優しい気配りの一考さんで通されている御様子に甚く感服。往事の過激な貴兄そのままなら、高価なモルトウィスキー瓶の一撃はなさそうですが、厨房から何丁もの包丁がびゅんびゅん飛んできそうで誰しも「ですぺら」には近づかないでしょう。しかし当人ではなく、こちらが厄介事に巻き込まれたり勝てる見込みがないと悟られると、すっ飛んで逃げ出すであろう貴兄は、逃げる術にも長けている才人でありますよね。才人と云えば、その多彩さには恐れ入ります。繊細な美少年時には詩人として、後に春歌作詞家兼歌手、今風に云えばシンガーソングライターの先達ですよね、或時は物数奇な装幀家、奇特な出版編集人、或時は本膳と見紛うばかりに舌鼓を打つ料理を饗してくれる料理人(神戸トアロードのデリカテッセンの屑ハム、鱶鰭、銀杏等を素敵に閉じ込めた数十種に及ぶ煮凝りは絶品)、また或時は、ダ・ビンチの設計図から陰部を配慮した最新の解剖学的サドルに至るまで、手作りの種々部品を伊太利からわざわざ取り寄せる程の凝り様で油塗れの自転車作り、すわ見給えと神のごとく疾走するかと思いきや迂闊にも転倒の末痛々しい鎖骨骨折、まんまと市から見舞金をせしめ女子大生と遊興三昧、その後「金の切れ目が縁の切れ目」と宣って、ケンタウルスの旗を翻し暴走族へと変身、ん?こんなの暴露しても宜しかったでしょうか? で、その片手間に、蘭鋳、和蘭獅子頭、地金、土佐金、朱文錦、秋錦、和藤内、水泡眼、珍珠鱗魚、絨球魚、翻鰓、赭魚等の種類は存ぜぬものの、たった一年ほどで品評会一等賞を獲得する程の金魚繁殖養魚師、小生が知らない姿も多くあるのでしょうね、今では大人しく酒肆の店主になりすましておられるものの、さてお次は何に変身? 貴兄の流動する存在は実に素敵です。

「便器」は兎も角、貴兄に倣って視姦は勿論、直角に折れ曲がった男根はありませんが、複数の若い男女を宛い「鍵」「卍」擬の世界も既に試してみましたが持続効果は無く、インポテンツをさほど嘆いているわけではありませんが、残るは多分男を啣えるかSMしか残っておりません。どうも某須永氏のような巨根だと聊か怯んでしまいますし、軟弱短小の小生には、素敵なコスチュームや道具に拘ってSMごっこをする方が妥当かと思っております。傍らの某ミル嬢が矢庭に、小生が惚れている一考氏のを啣えれば等と呟いておりますが...。ところで、貴兄のお店をショットバーから、こだわりのSM倶楽部に変身させませんか? 神戸には古くから「倶楽部DOMA」と「スキン2」がありますが、これが結構流行っていますよ。貴兄が拘れば日本一、いや世界一のSM倶楽部になること請け合いです。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月28日 17:38 | 固定ページリンク




松友 | そういえば以前にも同じご指摘を戴きました


一考様

「やはり拙メは~」の書き込みについてのお言葉ありがとうございます。
自分で「自分はこうである」と言うのは、いうなれば甘えの裏返しです。
大変失礼致しました。
関西にての折にも同じように
「そんな振る舞い、止めなさいな、なんにもならんよ」と、
お教えいただいていましたのに、まだ治っていません。
「中身の無い誤魔化しを捨てよ」とも、そのとおりです。
さて、ご指摘ありました「私的には」も「自分はこう思う」と
はっきりと言わない、逃げであると思います。
あるいは会話の途中に語尾を上げて問いかけるようにする「半疑問」といわれる
表現も同じと考え、避けるようにしていますが咄嗟に出てしまい
反省することがあります。
おっしゃって戴きました通り、思うままに言葉を発するようになるよう、
遅々とした速度でも癖を捨てて行こうと思います。

あ、ですがもう一つの「癖」の方はなかなか難しいかもしれません。
関西の方々には既にバレバレなのが少々恥ずかしいものがありますが、
もしかしたらドクトゥールはご存知無いかもしれませんね、えへへ。
(とっくに見通されているのに気付いていないだけだともっと情けない。)

では。



投稿者: 松友    日時: 2001年10月28日 19:21 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | お気遣いいただきまして


櫻井清彦さま

お気遣いいただきましてありがとうございます。
櫻井さんが書いていたことは事実です。
ただとにかく恥ずかしくなってしまったものですから。
私の方こそすみませんでした。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月29日 00:37 | 固定ページリンク




一考 | 秘密倶楽部

 moondialさんへ

 「便器は兎も角、貴兄に倣って」はないでしょう。私の性癖なんざあ貴方に比べりゃ可愛いもので、ちょいと花柳界に生まれたのが災い(幸いかなあ)しただけですよ。こだわりのSM倶楽部とやら、考えなくもないのですが、元手をすべてモルト・ウィスキーの購入に使っちまいましたので、老いたる先の楽しみに取り置く次第。でも、北海道のライダー・ハウスや牧場にも未練があるなあ。ライダー・ハウスでスワッピング教室や乱交パーティーでも催しますか。
 「倶楽部DOMA」と「スキン2」より古いのが「ジュニア」です。もっとも「ジュニア」は神戸最古のゲイバーにして、マスターは博多の産。その「ジュニア」の一期生が「タミー」のオーナーです。たしかカルーセル・麻紀さんも「タミー」の出身者ではなかったかと思います。三宮のゲイバーでちょいと古いお店「三番街」「タブー」「漁火」(この店は郡司さんをお連れしました)など大半はその二店の出身者です。当時「タミー」の独身寮が福原の拙宅の道を挟んで真ん前にあり、幼少の頃から徹底的に性的玩具としての教育を受けたのも懐かしい思い出です。「ジュニア」さんからはゲイバーの発祥の地は博多で、神戸の「ジュニア」が二番目なのよと再三聞かされました。「どん底」「田園」「アスター」のオープンが昭和22年、「ジュニア」は昭和21年ですから、私が生まれる直前の話です。その時の保証人が「ムーンライト」のオーナーで、その「ムーンライト」の一期生が「飛鳥」の創始者だった百地さん。貴方もご存じの、私が15歳で一緒になった最初の女房は「飛鳥」の二代目ママ。それに父と同じ部隊にいた「上高地」「不二家」「明治屋」のオーナー、その辺りの方に支えられて私の十代は成り立ちました。
 かつての国際会館の浜側、奥まった路地の突き当たりにあった「ジュニア」は夜の12時になるとシャッターを閉め、秘密倶楽部に変身します。ゲイバーであるにも関わらず、白黒ショー、黒黒ショーにSMショーのオンパレード。今日は鞭打ちで来週は縛りと浣腸……はじめて招かれたのが小学六年生の時、刺激強すぎたよなあ。でも、デビューが早かった割に未だ生臭さを保っているのは立派でしょう。こんなことしか自慢するものありませんから。
 一昔前「幻想と怪奇」という雑誌が出ていましたが、その編集長だった人が「髭のサロン」とのSMサロンを営んでいます。私の父が昔関係した「スナイパー」に独自のページを持っていますので、ご存じかも。ちょいとわけありで詳細は控えますが、HPもあります。リンク先に見るべきところ多く、一度覗いて下さいな。例えば新宿の「マーキス」もリンク先のひとつ、こちらはサロンではなく倶楽部です。東京では現在のところ最も過激な秘密倶楽部でしょう。
 「ジュニア」のママ(と呼ばれるのを嫌がっていたので、私はマスターと呼んでいました)は引退後、大丸上の柳筋でステーキ・ハウス(よく食べに行きました)を、「タミー」のママは新開地でお好み焼き屋を営んでいました。最後にお会いしたのは20歳と30歳の頃、私がコーベブックス入社前に「ジュニア」さんは死去、「タミー」さんのその後は存じ上げません。兎にも角にもお世話になりました。
 追伸。私に秘密などまったく御座いません。というよりは暴露するのもされるのも大好きなのです。何故なら、人の中で最も変わらない部分は性愛構造、ブルトン流に申せば「野をひらく鍵」ということになりましょうか。それが災いして東京ではこのところ絶交状が飛び交っております。ちなみに、当方からの一方的絶交です。プライドは格闘技の世界に任せたいものですね。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月29日 01:31 | 固定ページリンク




一考 | 癒しの文学

 松友さんへ

 もう一つの「癖」なんぞ、治す必要があるんですかね。気に掛ける必要すらないんじゃござんせんか。MOONさんなんざあ、私ごときが出る幕もないご立派な変態であらせられるじゃないですか。御邪魔ビンラディンさんやMOONさんとご一緒して「性的不能者の文学館」など編輯すればいかがかしらん。第一回配本は「ロリコンの呟き」。投げ込みのタイトルは「文学にとって癒しとは何か」と「性的不能その悲劇の根源」。呟きがしわぶきにならない内に纏めて下さい。これからは高齢者の時代を迎えるわけですから、売れることは請け負います。出版社はソニーがいいんじゃないかしら。
 渡辺淳一さんの小説だって、ちょいと見方を換えれば川端や谷崎に勝るとも劣らないインポ文学じゃないですか。ホラーやミステリーのような若者向けの小説は余命幾ばくもありませんよ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月29日 01:48 | 固定ページリンク




moondial | 秘密倶楽部でプレミアショー

なるほど、さすがに花柳界の事情にお詳しいですね。潰れちゃいましたが、二宮に「ポパイ」ってのがあったでしょう?あの店も確か寄港船員がよく出入りしていたその筋のお店だったと思いますが、あの店も貴兄に教えて貰ったのかな。「倶楽部DOMA」と「スキン2」は随分と新しいお店だと思いますが、御出身は貴兄が挙げられたお店かも知れませんね。その2店ともう一店、都合3店は親子でやっておられる様子で、HPも作っておられます。ただこれらの店は随分と今風でスタイリッシュで大人しいお店です。北海道の牧場でスワッピングですか、佳いですね、実に健康的で牧歌的な風景(どこがやねん!)。「タブー」は一度貴兄に連れて行かれたと記憶しています。きんちゃんにも色々案内して貰いましたが、今では残念ながら殆どのお店は消滅しています。しかし、貴兄が十代の頃から花柳界の女性に玩具にされたことは聴いておりましたが、その「タミー」の独身寮でも性的玩具としての教育を受けておられたとは、全く知りませんでした。貴兄はそちらも素晴らしい才能をお持ちだと、以前意味ありげに梅子さんから聴いた事がありましたが、なるほど、両性の専門学校ご出身だったんですね。あの福原のご自宅の真ん前が寮だったのですか?気が付きませんでした。「デビューが早かった割に未だ生臭さを保っているのは立派でしょう」ふむ、確かにこれもご立派。「白黒ショー、黒黒ショーにSMショーのオンパレード」、これも実に楽しそうですね。一度、貴兄ご自身が出演の素晴らしい白黒ショーを拝見したいものです、一般公開前のプレミアショーですね、貴兄の、素敵な毒素をたっぷり含んだ銀製の「野をひらく鍵」を是非観てみたいものです。しかし、またまた絶交状騒ぎですか、お疲れ様です、何故そんなことになるのでしょうかね。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月29日 11:21 | 固定ページリンク




一考 | 赤坂について

 moonさんへ

 二宮のポパイは結構なお店でよく行きました。同じ二宮にあったプーペ、確か中学生の頃の話です。こちらはピアニストの当麻さんに連れて行かれたのが最初で、私が月並みなウィスキーを注文したところ、「それはぼんが飲むようなお酒ではない」とグランシャンパーニュの35年ものを奨められました。初任給が5000円ほどの時代、原価で50万は下らないコニャックだったと思います。ムーンライトも同様で、宛われるのは常に化粧瓶に入ったコニャック、あのころはブランデー神話が生きていたんですね。どうやら、それが引き金になってウィスキー好きになったようです。
 福原の家の向かいの寮というのは黒田荘というアパートで、オーナーは中村美容院、後年の割烹赤坂です。黒田荘をタミーが建物ごと借り切って寮として用いていました。
 十数年前、いろんな雑誌で阪神間のことを書かされたのですが、父が生きていたので福原を描くのは躊躇われました。父にとって水商売とは、女郎屋、置屋、お茶屋、仕出屋のみでした。クラブやバーの類は気質さんが営む商売として、最後まで認めなかった。こだわりでもあったのですかねえ。飛鳥のママさんの母親が岩国で外人バーを営んでいたのですが、やはり、父とはうまくいかなかったようです。いずれにせよ、関係者の大半が亡くなられたので、福原と花隈についてはどこかで著すつもりです。共に伊藤博文が拓いた色街というのが引っ掛かりますが。
 私を過激な共産主義者にしたのは父、すなわち福原なのですが、水上勉さん同様、著さねばならないことは山のようにあります。父が逝った時、一滴の涙も流さなかったのは表向きでして、自宅に辿り着き一人になってから、朝まで泣き崩れました。私も所詮は人の子ですかねえ。あれほど嫌っていた福原が、最近は懐かしく感じられる時があるのです。
 「赤坂」の息子が後年、赤坂でショット・バーを始める、親父が生きていたら呆れたでしょうね。
 秘密倶楽部は秘密が売りでして、ここに記すのは憚られます。あちらさんから早速クレームが付けられました。従って、メールで送りました。よろしく。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月29日 14:34 | 固定ページリンク




moondial | せっしぼん~

赤坂のぼんへ

なるほど、色々と繋がりがあって実に興味深いお話ですね。「福原と花隈についてはどこかで著すつもりです。」これは楽しみですね、伊藤博文って確か兵庫県知事だった事がありましたよね、その頃の話でしょうか。花柳界やその周辺の風俗には興味が尽きません。白鶴美術館の元館長さんも、長崎の遊郭ご出身で郭について書かかれた本がありますが、縁あって読ませていただきましたが、あまり面白くない。貴兄が書かれるのなら読み物としてそりゃ面白くなりそうです、面白いネタ探しの才にも常々感服しております。

貴兄からの秘密のメール、楽しませていただきました、また続編を是非お願いいたします。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月29日 22:11 | 固定ページリンク




めいぷるしろっぷ | つんつん。

さらに重箱のすみをつついて申し訳ありませんが
「ぱん」ではなく「ぱい」です。
「けーきなのか?ぱいなのか?」であります。
けーにひすくろーねの名物の「こるね」のことを
いっているのであります。
あぁ食べたい・・・。



投稿者: めいぷるしろっぷ    日時: 2001年10月29日 23:13 | 固定ページリンク




一考 | つちのこ編集者の戯れ言

 奥歯さんへ、先日の哲学問答に感謝。

 「もともと人は好き嫌いだけで生きています。自らの感性や直感を正当化するために、理屈は後を追ってやってきます。対象が酒であれ、食物であれ、友であれ、すべては同じ筋道をたどります。理なくして、想いに形を与えることは叶いません。だからこそ、最も大切なものは思惟であり、思想なのです。思惟とは宛もなく立ち徘徊(もとお)ることであり、思想とは自らへの懐疑に他なりません」とは店の寡多録に記すところですが、この思惟を哲学に置き換えれば先日の話の通りが少しでもよくなりましょうか。そもそもフィロソフィーを哲学と訳したことからして面妖な話で、素直に叡智とするのが妥当ではなかったかと思われます。
 哲学とは行為であり、営みであり、運動なのは言うまでもなく、そのエネルギー源には対極としての概念、もしくは複数の概念が必要となります。ひとつの概念もしくは価値観が生まれた時、即座にそれを疑ってかかるのが人の叡智であり、思惟なのだと思います。繰り返しますが、ひとつの価値観が派生した時、それに対応する新たな価値観を自らの中に拵えないことには精神に振幅運動は始まりません。この価値観を歴史観と置き換えても意は同一です。それら精神の構造上の骨格を成すのが懐疑ではないのかと思うのです。他人を疑うというのは言葉の撞着です。懐疑は常に自己の深部めがけて穿たれていきます。私がポリシーとかアイデンティティーなどという言葉を忌み嫌うのも、自信など持ってよろしいのですか、もしくはひとつの立場に安住していてよろしいのですかとの疑問を自らに突きつけるのを常態としたいからです。
 社会の最小単位は夫婦であり、親子であり、家族です。でもその絆が、やがて町になり、地域になり、社会になり、国家になり、民族になり、宗教にも変化していきます。精神の帰属や同一性という魔物が排他性を育み、また単位としての矜持が、自信が民族の浄化を正当化し、人々を殺戮へと向かわせるのです。別のところで「若さから美貌、肉体から貞操、親子から兄弟、売れるものはすべて売りましょう。もちろん最初に売り払うのは愛人であり、恋人であり、連れ添いなのです。本当に無一文になった時には天皇陛下万歳を三唱して死ねばいいではありませんか」と著したのは、謂わば私流の弧絶の薦めなのです。弧絶としたのは他でもありません。孤独という受け身の甘酸っぱい感傷とは無縁の、能動としての参画としての孤独、即ち引くに引けない失意の果てに我とわが身を投じるしかなかった暗闇。そういった孤独を弧絶と呼びたいのです。そしてその弧絶こそが、精神の帰属を拒否し、自己同一性と闘うための唯一の武器になるのです。
 何時の時代でもそうなのですが、若者の中にはポリシーとかアイデンティティーが国家や民族や宗教とは結びつかず、大事なのは一重に私だけ、という考えが根強くあるのを識っています。そういう人はアイデンティティーは自己の内側にのみ向かうものと錯誤しています。なぜ錯誤というかについては好例が数多あります。かつてヒトラーは選挙で選ばれたのであり、わが邦において軍靴の跳梁を許し(許すというのは支持するに等しいのですが)たのはかかる無意識かつ無定見なマジョリティーだったのです。要はアイデンティティーを声高に唱える人々こそが多数派の構成要員なのだということです。
 一方で、若者を酔わせてやまない「選ばれた少数者のために」との標語があります。ゲッペルスが好んで用いたプロパガンダですが、昨今ではなりふりかまわぬ広告代理店や出版社の金看板と化しています。用いる側すなわち資本家は少数者かもしれませんが、踊らされた消費者がマジョリティー、要するに一般大衆でなければなんなのでしょうか。話を書物に限っても、書物は複製芸術であり、いかに限定を謳ったところでそれすらが逞しき商魂。よしんば購入者にマイノリティー意識という妄想を抱かせたとすれば、それは偽善でしかないのです。というようなことを書き綴っていると、どちらが妄想を抱いているのか、境界線が定かでなくなってきます。
 貴女は大学で哲学を専攻なさったという。私の学歴は中学校中退なので、哲学の通史や言葉の意味を学ぶ機会はなかったのです。言い訳は不本意なのですが、用語の選択に曖昧さが残るのも致し方ないのかもしれません。綻びを縫い、でたらめを取り繕うようにして、断片的な知識を糊と鋏でツギハギすることが、中学生時代の理由のない怒りと飢えを宥めるために必要でした。そして誰もが逢着する自家撞着、大方の人はそれを飼い慣らすことによって「人間性」に目覚めて行きます。しかし、それでは「情念とのクリンチ」は手付かずのままじゃないですか。矛盾をいかように飼育調教したところで、新たな壁が次々と立ち顕われるのは必定。「矛盾が矛盾、撞着が撞着でなくなるような至高点」も、私にとっては夢物語にしか思われず。されば、いっそ虚と実、偽と真の間にバイパスを拵えればどうかと、これは辻潤の著書から糸口を掻っ払いました。覚束無かった手綱さばきも、知らぬ間に馴染んできます。人間性という空虚な先入観を打ち壊したバイパスは、現況と至高点との間にすら有効でした。躍動と蠢き、飛翔と脈幅、すべての価値は倒壊し、他者と私は等価な存在となって行きました。他者が私の中を過ぎ行き、私が他者の中を通り過ぎる。いたるところで滲透し合う存在と存在。謂わば存在が伸縮自在なオブジェと化したようです。さらに、等価は無価値となって居候を決め込む始末。目の前にごろんと寝転がる無価値、すなわち虚無がもたらす風通しのよさが私には愛おしくなりました。
 私の為事に結論はありません。ただ、貴女との問答の中で概念の曖昧さをこっぴどく突かれました。対応の至らなさに畏れ入っております。でも、私にとっては久しぶりの快感、「身にしみそめし秋風の月」の心胸です。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月30日 03:58 | 固定ページリンク




一考 | エロ先生

 29日の月曜日、種村季弘さんがNHKの柿沼さんを伴って来店。著書翻訳を取り混ぜ、年内5冊、来年10冊の上梓を確認。それ以外に文庫がおそらく4冊は刊行される予定。過去書き溜めし膨大な量の作品が順次形になって行きます。
 例によって、取り留めなき歓談の一夕。「エロティシズムとの蓮っ葉な文言に興味なし、エロでなければ臨場も煽情も感じません」「ビンラディンのお陰で熱海も箱根も息を吹き返した」とアイロニーの連発。相も変わらぬ先生の反語的精神に溜飲が下がる。すべての存在に対する悪意と嘲笑と哄笑に乾杯して、群衆の中に紛れ込む先生を見送る。自らの孤絶を知るに巷の群衆は必要欠くべからざる書割なり。

 次回は11月12日に来店なさいます。新刊の学研文庫に署名をして頂くのが目的。お会いしたい方もしくは署名本をお求めの方は是非いらして下さい。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月30日 13:13 | 固定ページリンク




moondial | e-mail

一考さんへ

返信で3件ほどお返ししましたが、e-mailちゃんと受け取れていますか?
以前お送りしたフリーのメールソフト、ちゃんと設定すればso-netとmac.comの貴兄の2件分のアドレスへのメールを、自動で取ってくれますよ(^_^;)。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月30日 17:41 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 今日の道行きあるいはパラフレーズ(とりあえずそぞろ歩き篇)


一考さま

一考さんの思想を記す当て馬に使われているだけのような気がしますが、それでも光栄です。ありがとうござ
います。


     不在するために
     いつでも
     あなたはゆらゆらしている
     その揺れはばを
     はかりきることができなくて
     わたしは膝をかかえこむ
     (金子千佳『遅刻者』思潮社)

いや、かかえこむつもりはありません。


私が哲学科を出たということ、一考さんが出ていないということ。
当然ながらそんなことは思惟にとって何事でもありません。
哲学科で学ぶのは哲学史だけ。今ここにたち現れている思考に、数千年の哲学史など薬にもなりません。
「人が考えたから考えなくて済む」をいうわけにはいかない領域こそが哲学であり文学ではないでしょ
うか。

私が用語にこだわるのは単に思考に不可欠だと思うからです。哲学用語が邪魔になるなら捨てても結構。
私と一考さんで新たに言葉を創ればよいことです。
ただ私は、一考さんが、そして私が、ある言葉で何を指しているのかをはっきりさせたいだけなのです。
バベルの塔を建てるための言葉の煉瓦があやふやでは困るのです。

言葉はアリアドネの糸です。思考の軌跡を残しておかなければ同じところをそれと気づかぬまま何度も
ぐるぐるまわるだけにもなりかねません。
糸がなければ迷宮を進むことは出来ない。
そしてまた同時に、確かに糸は先には伸びていないのです。
言葉は常に後付けで、進む先からは遅れている。しかし、思考の道行きに携えていくにはそれしかない
ではありませんか。

なるほど、恋人と一対になることでさえ帰属である。それから逃れたならば次に向かうのは自分自身に
なるでしょう。
自己にすら帰属しないこと。
一考さんがアイデンティティーという言葉を忌み嫌うのは当然です。
アイデンティティーを保つとは自己に帰属することに他ならないのですから。

「二階堂奥歯なる私」など社会的な約束事に過ぎず、「思考者」(いや、「者」が邪魔ならいっそ「思
考」でも「思惟」でも)は無名です。
名前、自己同一性、そんな重いものを引きずっていたらどこにも行けません。言葉を軌跡としてただ飛
べばよいのです。

自己同一性を求めないなら、この矛盾をそのままにしておける。
一考さんが見つけたこの方途。
そして至ったフラットな世界が「すべては同じ」だと言えるものならば、その世界は私の求めるもので
はない。
そこが私にはよくわからないところです。
一考さんはすぐに「すべて」と言う。「すべて」を捨て、「すべて」を疑うと言う。
「すべて」なんて言葉は発した瞬間に「すべて」を捉える立ち位置を作ってしまいます。
きっと、一考さんはその立ち位置さえもすぐに疑うのでしょう。動き続けるのでしょう。
でも、「すべて」と一まとめに扱うのは大雑把すぎ、楽すぎ、危険すぎます。

「一」に至るにはまだ早い。
すべて異なるまま、差異を明らかにしたままで、それを位置付ける価値体系をなくす。
いや、それは価値体系を一つも持たないということではなくて、無数の価値体系を同時に持つことによっ
て、どこにも帰属しない無意味なオブジェとしてすくいあげるということなのです。
フェルメールの絵のようにしらじらとした光の中で、くっきりと、あまりにくっきりとした輪郭を持つ
個物が並ぶ世界。

もう一つ、一考さんが振幅というその言葉、私はそれがよくわからなかったのです。
それは同じところに何度も立ち戻ることかと思ってしまいました。
でも、そうではないのですね。同じ道を辿って行きつ戻りつするのではない。
たとえ同じ道だとしても、歩く一歩は地をうがち、道は下へと向かうでしょう。
思考は螺旋を描いて下降し、地獄巡りがはじまるのです。
パラフレーズ、それもまた同じことを繰り返すことではない。
同じ地点からより明確に見ること。考えを自分になじませ使いやすくすること。新たに進むための道具に
すること。
言われきったこと、書かれきったこと、それはもはや目的ではなくて手段です。
私は足場を作りながらそちらに向かって進みます。今日はここまで。

いや、一考さんに「そちら」になんていないでしょうけれど。
あるいは、「ここ」にも「そこ」にもいるのでしょうけど。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月31日 00:07 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | だけど


私の言葉は意味が不明確な部分多々多々あり。
「観念的すぎてなにを言っているのかさっぱりわからん!」と言われたばかりなのに、またやってしまいました。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月31日 00:20 | 固定ページリンク




moondial | 伸縮自在!

熱い一考さんへ

奥歯さんってどんな女性なんでしょうかね。貴兄のメッセージ、まるで彼女へのラブコールのようで、実に真摯で熱を帯びた書き方ですよね。さぞかし可愛くてチャーミングな女性なんでしょうね、ちょいと興味津々であります、しかし同時に、彼女に対してジェラシーをも感じてしまいますね。貴兄が彼女との問答でこっぴどく突かれたと仰ってる、その曖昧な概念って一体何なんでしょう、想像もつきません。貴兄は昔と違って物事を至極丁寧に説明してくださるし、曖昧さなんぞ露ほどもないように思われるのですがね。ひょっとすると、惚れた弱みで答弁もしどろもどろ、要領を得なくなっていたとか、てなことはないですよね。貴兄の文章を再読してみると、どうも気になるなぁ~、奥歯さんの存在って。貴兄の真面目な書き込みを茶化すような物言いをしてどうもすみません。ところで「存在が伸縮自在なオブジェと化したよう」とは羨ましい、なかなか伸縮自在なオブジェとはならない今日この頃であります。

梅子さん、カラヴァッジオ展良かったですか?



投稿者: moondial    日時: 2001年10月31日 00:45 | 固定ページリンク




moondial | はじめまして。

二階堂奥歯さんへ

どうもはじめまして。moondialと申します。
先程の小生のメッセージ、貴女のメッセージを読む前に投函していまいました。
お二人のお話を茶化しちゃって申し訳ない。
思うに、きっと一考さんは、貴女に相当な思い入れがあるのですよ、魅力的な方なんでしょうね。
一度是非お逢いしたいですね、神戸に遊びに来られませんか?歓待しますよ。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月31日 01:03 | 固定ページリンク




一考 | パンは皆目

 フクさんへ

 十数年前、明治期の横浜と神戸のパンの歴史、それと大正期のお好み焼きの歴史について書かされたことがあります。その折りに明治から終戦に至る製パンに関する資料を蒐めました。一部はまだ蔵していますので、古い話なら多少はお相手できるのですが、戦後のそれも東京のパン屋さんの話は私には皆目です。お相手できず申し訳御座いません。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月31日 01:48 | 固定ページリンク




一考 | デリリウム・トレメンス

 高坂さんへ

 上京してから二度入院したのですが、手術前の検査で医師が目を丸くさせて言いました。「貴方は重度のアルコール依存症です」と。松友さんの紹介で知り合ったアナーキーな山崎医師で、ですぺらのお客さんでもあり、親友でもあります。病室でだけは酒を飲まないでくれと命令されましたが、この「病室でのみ」というのがミソでして、後は勝手に判断しろとの、それはもう優しくも慈愛に充ちたお言葉でした。
 かつて明石で四度、同じ病気で入院しているのですが、その折は手術の後、看護婦に担がれて飲み屋を梯子致しました。深夜に病院に戻ったのですが、ことはバレバレ、きつくお灸を据えられました。MOONさんが書き込みなすった交通事故の時の医師は、喧嘩で五度入院した病院の院長で、分かれた最初の女房の次の旦那(神戸大学医学部のお偉い方)の教え子だったものですから、かねてよりの飲み仲間。手術は二度に分けて行われたのですが、その間は痛みに堪えかねてゴクン、ゴクンの体たらく。ベッドの下に隠した多量のジン・フィズと水割りウィスキーの空き缶が発覚。こちらもまた、酒を飲むなら屋上でどうぞとの有り難いお言葉。こんなことをいくら書き綴っても詮方なく、要するに私は単なるデリリウム・トレメンスなのであります。
 「ウィスキー・キャット」は写真の美しい書物ですが、マイケル・ジャクソンの「モルト・ウィスキー・コンパニオン」ではない最初の本「世界のウィスキー」の方も珍しい写真が多く含まれています。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月31日 01:52 | 固定ページリンク




一考 | つちのこ編集者

 伊藤”御邪魔ビンラディン”敬さま

 週刊文春の書評、気に入りました。坪内祐三氏との面識はないのですが、有り難いことで忝なく思っております。「後方見聞録」の押さえどころ、例えば稲垣足穂の巻の書き出し、シャイで切れ味のよい人物描写、「心がひどく動かされる」矢川澄子の巻き等々、肝要なところはしっかりと押さえていらっしゃいます。手前味噌で恐縮ですが、「伝説的な流れ編集者」には感激。一切の権威を擲って出版と対峙してきたつもりですので、「流れ」の一言はうれしう御座いました。
 10月30日の東京新聞夕刊の大波小波にも書評が掲載されました。書き手は「風紋」とのみ著されていますが、内容から押して先々代の学芸部長風間寿夫さんではないかと思われます。解説より引用し「今どき、こんな純な言葉をはき出す出版人がいるだろうか」続けて「こんな本を文庫に入れた出版社の見識は見上げたもの」との賛辞。増田さん共々、喜んでいます。
 伝説を捩りまして、ペンネームを「つちのこ」にしようかと思案中、命名は柿沼さん。つちのこ編集者は「わんわん」より可愛い名ではありませんか。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月31日 02:00 | 固定ページリンク




一考 | 本と女は中古に限る

 moonさんへ

 「寸鉄人を刺す」との警句がありますが、「寸肉菊を刺す」では絵になりますまい。と言って「熟れ茄子の」の茂吉先生の自信には些か睥睨させられるものの、かかる同性愛者のけぶれるような情緒は理解できる気がします。かつて、鴻池御殿におわします天皇陛下は朝立ちをご利用なさって御子をもうけなすったとか、朝立ちの威力に吃驚仰天致したのは、なにも私だけではありますまい。思うにナニは早朝致すものにして、夕刻はひたすら飲み続けるべし。徹宵痛飲、長夜燕歌とはよく申したもので、これら総てが前偽ならぬ、前戯ではなかったか。御貴殿も潔くコトを諦め鏡花党に改宗、朝でもなく昼でもない東雲の刹那に成就なさるよう願い奉り候。
 もっとも、私なんざあ、まだまだ現役でして、洗濯屋ならぬ「ザマーミロ健ちゃん」で御座います。ノヴァーリスの日記と断腸亭日乗では意味が異なりますが、白いモノが飛び交うロケーションは同じ。大向こうを張ってチカチカ輝く星印を天文学的数値にまで高めなければと、刻苦勉励の日々を送っております。
 「健ちゃん」が誕生するずっと前に「風たちぬ」との名作あり。ジェーン颱風だか伊勢湾颱風だか忘れましたが、木の葉のように舞う小舟がヒントになったと、これはバイロスやアラステアを京都に持ち込んだ舞子のエラーイ先生から聞き及びしこと。私にはそれよりも、船縁に脚の親指を掛けてのオイッチ、ニー、サンの方が衝撃。幼少の砌、横目で学びしものに廓でのモーニング体操あり。障子の桟を用いて同様の技を競い合います。障子がガタつけば失格。音もなく、声もなく、ひたすら女人の洩らす糸の如き溜息と妍冶にのたうつ姿態。私の脳裏に焼き付いたのはそんなものばかりで御座いました。
 貴方の古里である中国は流石に歴史と伝統を重んじる国柄。腰を振るなどという野暮は下賤の行い、貴きお方は寄せては返す括約筋のうねりのみにて成仏なされるとか。当然、男の側も相方の蠕動に合わせて自らのモノを痙攣させねばなりません。男女共に然るべき習熟が必要で、鍛錬を重ねなければ、かような境地に達するのは難しかろうと思われます。これ今時の風俗のネエチャンに聞かせたい話ですね。
 私が年端もいかぬ女性に一切興味を無くしたのは、かような行為に対する彼女たちの思い込み、言い換えれば、腰は振るもの振られるものとの浅薄な一つ覚えに愛想が尽きたからに他ならないのです。ささやかな経験すら持たず積まずに男の性の有り様を決め付ける、その高飛車な態度が鼻持ちならなかったとも申せましょうか。いずれにせよ、若さ以外売りのないようなショボイ女のために汗なんぞかけますか。なんて言っちまえば当方の傲慢無礼が問われます。男女同罪、時勢のせいにしても何も始まりませんが、要はそういう種類の知識に重きを置かなくなったということなのでしょうね。
 「本と女は中古に限る、比されてこその存在よ」との信仰にも似た感慨を私が抱くに至った理由を述べました。蛇足ながら前段の読みはちゅうぶる、後段は、かの人はああだったこうだったと過去連れ添いし御仁と十二分に比較されてこそ、はじめて当方に立つ瀬有りとの意です。些かマゾヒスティックな趣向ですが、プラトニックとは本来受動的なもの、精神すなわち逡巡を伴わない性愛など毒にも薬にもなりますまい。
 渡仏中の御邪魔ビンラディンさんや比呂さんのように、韜晦もしくは衒いでロリコンを任じるのは理解出来るのですが、本音であれば、それは所有欲、独占欲を表明するに等しいのです。だとすれば、能動的な男性の性を掛け値なしに是認したに過ぎず、上述した茂吉の受け身としての性愛構造とは永遠にまみえることはなかろうと思います。尋常な御仁にあらぬ同情、あらぬ憐憫は大きなお世話、詮無いことと分かってはいても愚痴のひとつも零したくなる。いやはや、文学を読むとはかくも因果な迷惑メールを綴ることに他ならないのでしょうか。……捨て置けばいつまで続く綴り方。  



投稿者: 一考    日時: 2001年10月31日 02:03 | 固定ページリンク




一考 | 件のソフト

 ムーンさんへ

 メール・ソフトはドルフィンの使い勝手がよろしいのでずっと用いています。メール・ソフトの設定の件は承知していますが、あえて自動にはしていません。携帯電話に全く興味が持てないのと同じ理由です。
 10年前に縦書きと絵の添付が可能なワープロ・ソフトはマックワードのみ。今ではDTPソフトがいくらでもありますが、いささか重いので、相も変わらず原稿はすべてマックワードを用いています。クオーク・エキスプレスでも起きるのですが、念のため送付致しました。
 HPの南柯書局の領域に掲載すべく、かつての原稿を打ち込んでいます。小生は自らの過去になんら興味なく、手元にない稿もあったのですが、奇特の氏によって大方の原稿が揃いました。HPに掲げるのは一部ですが、そちらには全稿をお送りします。ご笑覧あれ。
 ゴーライブではなく、クラリス・ホーム・ページ2.0でHPを立ち上げる予定です。掲示板の管理人櫻井さんのお薦めです。同1.0を昔使ったことがありますので、多少は馴染みがあります。
 それにしても漢字の制限は如何ともしがたく、パソコンで満足な原稿など書けよう筈もなく、G4でOSXを走らせたところでヒラギノしか起きません。まだまだ幼児の玩具の域を出ません。昨夜も博報堂から電話があり、フランス語をなんとか処理してくれとの依頼。OSを換えないことにはどうにもならないと伝えました。比呂さんに言わせるとあと5年は辛抱が必要とのこと。一部パソコンを使っていた作家達も、最近は手書きに戻る人が多いのが実状です。プロの世界にはまさか居らんでしょうが、もしパソコンだけで原稿を著すような人があれば、間違いなくそれは似非ですよ。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月31日 03:41 | 固定ページリンク




moondial | 恐縮至極

一考さんへ

実に面白いではないですか、続けてくださいな。「ザマーミロ健ちゃん」には爆笑しました。「括約筋のうねりのみにて成仏」、そんな気持ちよさそうな歴史と伝統が中国にあったとは知りませんでした、ネタは何処からですか。それと、花柳界直伝のテクニックも是非拝見したいものですね。しかし「比されてこその存在よ」云々には参った、もう少し懸命に励んでおけばよかったかと、後悔先に立たずですね。ふむ、たたない話ばかりで申し訳ない。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月31日 04:06 | 固定ページリンク




一考 | 手間暇かけて

 奥歯さんへ

 この返信はちょいと時間を下さいな。難解ですよ。でも、難解なのは非難の対象にはなりません。例えば、寺山修司だって、透明な文章になったのは高校に入ってから、中学校の頃は結構、難しい文章を著していました。じっくり、解読させて頂きます。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月31日 05:57 | 固定ページリンク




一考 | ガラガラポン

 ムーンさんへ

 「物書きとは人に託けて自らの思いを描く、悠長にして周到な詐欺師に他ならない」と幻想文学で書きましたでしょう。誰がラブコールなんぞするものですか。私の女性観を貴方はよくご存じの筈です。極端な言い方をしますと、鏡花と正反対の荷風の女性観に近しいものを持っています。おそらく、フェミニストとはさかしまの位置に私は居ます。

 こんなことを書いていいかどうか迷いますが、この掲示板に書込をなさった方の文言の中に、理解しにくいことや承伏致しかねるようなものも御座います。例は挙げませんが、それらに私なりの返答を加算していくとあのような戯れ言になるのです。せっかく書込をして下さった方々じゃないですか、極力律儀にお付き合い致したいと思います。拙い文章ゆえ、ご理解を得るのが難しいのは承知の上ですが、例え一行、一節でもよろしいですからご納得いただける箇所があればうれしく思うのです。それと2チャンネルで始まった、人の揚げ足を取るような書込の方法を私は好みません。書込にスタイルなどあってたまるかとの思いをこの掲示板では貫きたいと思っています。
 貴方の文面の末尾はすこぶる結構。皆さんとかかる駄洒落が飛ばせる間柄になればと言うのが私の望みなのです。

 ご指摘の曖昧な概念について一言。言語論とは一般的に言って認識論です。存在論と認識論とが手に手を取って、揺れ動いてきたのが哲学の歴史だと私は認識しています。その揺れを私は振幅と著します。当然、定点から定点への移動ではなく、宛もなく立ち徘徊るものと心得ます。ただし、その認識論を人と語るに際し、言葉が内包する意味合いが互いに異なれば会話は成立しません。知識を得ようとの行為はその溝を事前に最小にしておこうとの意欲の顕れなのではないでしょうか。
 概念は言語によって表現され、その意味として存在します。従って一般化、抽象化が必須となります。彼女との哲学問答の間、私が困惑したのは彼女の乳房ではなく、彼女の言葉遣いと私のそれとの間に、予想した以上の乖離が在ったというなのです。繰り返しますが、彼女は哲学用語を大学で習得しました。私のそれは独学です。貴方の言葉遣いは間違っていると強く示唆されれば、引き下がるのは私の方でしょう。後日、その溝に対して私なりに挑戦したものがあの戯れ言の一部を成します。お解り頂けましたか。「曖昧な概念」ではなく概念の持ちように曖昧さがあったというのが正確な言い方です。
 ともあれ、いかような例題であれ、一つの概念の内包と外延を証明しようとすれば、それだけでも300枚位の原稿用紙が必要になります。それは掲示板の域を超えます。ただ言えるのは、ソクラテスの唱える個体概念を私は承伏することが出来ません。内包と外延との二項対立にも異議があります。内包と外延をもう一度弁証法の篩いにかけ、ガラガラポンをやってみたいと思っています。



投稿者: 一考    日時: 2001年10月31日 06:01 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | おはようございます


荷風がフェミニストでないように、鏡花もちっともフェミニストではありません。
どちらも女性を人間扱いしていないではありませんか。
人間でないものを崇めようが貶めようが根本は一緒です。


moondialさま

こちらこそはじめまして。
お噂はかねがね伺っております。
茶化すなんてとんでもありません。

武勇伝いろいろ聞かせてください。
いつの日かお逢いできる日を楽しみにしております。
(ですぺらにいらっしゃったらよろしいのに)。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月31日 08:11 | 固定ページリンク




moondial | 某一考さんの足蹴りは有名です。

二階堂奥歯さんへ

最近炭疽菌の所為で益々アルツ症状が進行しておりまして、何故、荷風、鏡花のフェミニズムのお話が出てきたのか定かではありませんが、そうですね、鏡花はフェミニストではないかも知れませんね。しかし、鏡花ほど、女性をぞっとするほど美しく凄味ある存在として描ける文筆家はいないのではないでしょうか。そう言う意味合いでなら、フェミナからすればフェミニズムの後援者として、彼をちょいとぐらいヨイショしても佳いのではないでしょうか。僕は鏡花大好きですね、彼が描くところの女性にぞっこんです。一考さんが二十歳ぐらいの時、お酒を呑みながらで多少感傷的にもなっていたのでしょうが、涙して鏡花作品の素晴らしさを話されていた光景を、ふと思い出しました。

それに今ではもうフェミニズム論議は必要ないのでは?
最近の女性は優秀ですよ、思考力も行動力もあり精神的にも経済的にも自立している方が大勢いる。男性の方が寧ろ、家庭に籠もったりパソコンなんぞでマスかいてるのが多いですからね。しかもリストラにあって経済的にも自立出来ない人も増えている。若い男女と呑みに行けば、女性はとことん付き合ってくれるのに、男性の方は終電車の時間を気にしたりする、第一呑めない人が多いですからね。女性はワイン一本軽く空けちゃうのに男性はカクテルなんぞを召し上がる、斯く偉そうに云う私自身も歳の所為か随分と呑めなくなりましたが、もう完全に逆転していますよ。米国では、男性がセクハラで女性を訴えるケースも増えているそうではないですか。僕や一考さんなら進んでズボンのジッパーを下げるでしょうけど。

武勇伝ねぇ、一考さんと女性達とのそれなら数多く見知っているのですがね。

ですぺらへのお誘いありがとうございます。しかし神戸からとなると泊まりになっちゃいますからね。オブジェとしても魅力なく役に立たない小生ですが、奥歯さん、面倒みてくだいますか。神戸に遊びに来られるのなら、山本六三さんのように鞄一杯のダイヤモンドは贈れませんが、ですぺらでの貴女のボランティア活動に酬いて、真珠で宜しければ大粒珠を差し上げますよ。勿論、泊まる寝床もありますし、お気に召すかどうかは判りませんが、役に立つ素敵な男性でも女性でも用意いたしますが。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月31日 10:41 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | ムーンさんへ


花と荷風の話は一考さんのガラガラポンの冒頭を受けて、不特定多数の方に向けて書いたことでありました。ムーンさんへのごあいさつはお名前の後からでした。

女性賛美者がフェミニストだとか、(本来強く男らしい筈の)「男性」が昨今弱く元気がなく、(本来か弱く女らしい筈の)「女性」が昨今強く自立しているとか、そういった言葉を拝見する限り、フェミニズムはまったく古びてはいないと考えますがいかがでしょう。
しかし、フェミニズムに関してはあまり語りたくありません。私の知る限りこれくらい不毛な議論もないからです。わかる人には言わなくてもわかり、わからぬ人にはいくら言ってもわからないのがフェミニズムであります。あきらめるわけではありませんが、それより他に言いたいことは多々あるものですから。

神戸への魅力的なお誘いありがとうございます。
ふらふらと新幹線に乗ってしまいそうです。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月31日 13:11 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | 改行


私の書き込みは改行がおかしいですね。
試行錯誤です。
みなさんどうされているの?

私だって鏡花は大好きです。
問題はそこにあるのです。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2001年10月31日 13:44 | 固定ページリンク




moondial | (無題)

二階堂奥歯さんへ

なるほど。
奥歯に衣着せぬストレートなご意見ですね。男女双方の基本的な意識変革をって事ですか。現在の伴侶の学生時代の専門がジェンダー関係なんですが、付き合い始めた頃、迂闊な意見をぽろりと出すものなら、そりゃ揚げ足を取られて往生しておりました。ジェンダー問題は、それぞれの国の歴史的特徴や情勢の影響を受けますからね。もう僕の判断は時代に合わないのかも知れません。「擁護」から「獲得」、今は何処に向かっているのでしょう。ほぼ私と同年輩の周りの女性で、私の基準で、精神的にも経済的にも自立されていると思われる方からは、フェミニズムの話題等は殆ど聞かないですね。実際楽しくもないしね。

一考さんとの哲学談義、頑張ってください。僕はついていけない。

こちらは新神戸駅から歩いて来られる距離なのでふらりといつでも遊びに来てください。
梅子さんも偶には休暇を貰って、ご一緒に遊びに来られては如何?「爆睡」させてあげますよ。



投稿者: moondial    日時: 2001年10月31日 16:35 | 固定ページリンク




メイン | 「2001年11月」次月→

ですぺら
トップへ
掲示板1.0
トップへ
掲示板2.0
トップへ


メール窓口
トップページへ戻る