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2006年08月 アーカイブ

一考 | 富ノ澤麟太郎の雑誌

 りきさんへ
 父の遺品を整理しに神戸へ行った折り、実家で私が使っていた机の引き出しに入っていたものを八つのダンボール箱に詰めて持ち帰りました。そのなかから、富ノ澤麟太郎の「流星」と大正十四年五月号の「文芸時代」がでてきました。後者は富ノ澤の追悼特集号です。
 横光利一編による「富ノ澤麟太郎集」を入手する前に蒐めていた雑誌の一部と思われます。「流星」は大正十三年十月の「改造」に掲げられましたが、商業誌に載ったはじめての作品だったと思います。「文芸時代」は横光利一以下、六名が執筆、中井繁一と古賀龍視の文章がよかったように記憶します。いずれも十代のころのコレクションです。もしお持ちでなければご一報ください。
 実は昔、蛸に関する文献を二十冊ほど蒐めたことがあって、内一冊に感心させられました。もっかその新書を探しているのですが、まだ見つからないのです。店の維持費で五十万、百万といった単位のお金が必要で蔵書を売り払い、残部は一万冊を切りました。それにも拘らず、相次ぐ転居で資料の整理がままならず、私の頭のなか同様、乱雑に犇めき合っているのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月02日 22:43 | 固定ページリンク




薫子 | 壮行会?

 ですぺらの大切なお客様で、店主の友人でもある宇野邦一さんと牧子さんが8月末から1年間の予定でパリに行かれます。
しばしのお別れになりますので、8月9日(水)19時よりお二人を囲んで飲みましょうの会を催したいと思います。特に会費制にはいたしません。
よろしくお願いいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2006年08月04日 04:12 | 固定ページリンク




薫子 | 八月のですぺら

俗に「にっぱち」と申しますが、ですぺらはその「ぱち」に突入しております。
夏休みなぞ取っていられません。
ということで、ですぺら八月も通常通りの営業であります。
皆様のお越しをお待ちしております。



投稿者: 薫子    日時: 2006年08月04日 04:15 | 固定ページリンク




一考 | 明石蛸

 餓えに魘されて、このところ食い物に関するはなしが続いた。それ故か、季村敏夫さんからいまが旬の明石蛸が送られてきた。夫婦で営む太寺三丁目の山下魚店からのご送付とあるが、徒歩一分のところに私は住んでいた。81年から82年までは枝吉だったが、82年から85年までは太寺三丁目、89年から99年までは太寺一丁目と、明石の東端で点々と借家住まいを繰り返していた。あの頃は東京から作家が訪ねてくると、山下魚店と二丁目の角のミニコープへ走っていたのである。また、兵庫県水試場長で、後年神戸市立須磨水族館へ移られた蛸学者の井上喜平治さんも太寺に住んでおられた。
 それにしても、なぜ山下魚店の蛸なのかが不思議である。神戸から明石界隈の魚屋には精通している。仕入れの用があって、明石屋やかねきなど名の通った店とはほとんど取引があった。それは酒屋も同様である。季村さんが住む多聞台にもいい魚屋が一軒ある。とここまで書いて思いだした。先日、ながらみ書房から歌集「ジャワ・ジャカルタ百首」を上梓された南輝子さんから、私が太寺に住んでいたのを聞かされたのだと思い当たった。彼女とは十代からの付きあいであり、私を「ワンタン」を呼ぶ数少ない友のひとりである。彼女なら、明石時代のことをよくご存じである。
 蛸がやってきたのは嬉しい。どのようにして食させていただこうかと、もっか調法を思案中だが、薫子さんはぶつ切りのバター炒めがいいと言う。しかし、蛸の訪ないにはなにかしら下心があるに違いない。おそらく彼がかかわる雑誌への執筆依頼であろう。季村さんのことだから、題目は割烹やバーではあるまい。震災もしくは神戸の古書店、新刊書店、出版社、古裂、古道具屋、おそらくその辺りだろうと思う。それは後日のはなしとして、蛸については書いておきたいことがある。
(つづく)



投稿者: 一考    日時: 2006年08月04日 20:37 | 固定ページリンク




一考 | タコヤキ屋三十軒

 蛸といえば、かつて種村季弘さんが「怪人百面相綺譚 または、渡辺一考とは何か」のなかで、
「拙訳のオスカル・パニッツア『三位一体亭』を本にしてくれたとき、私は広島の旅先から当時西明石に住んでいたこの人の寓居にサインをしに訪れたことがある。そのときにご馳走になったタコの吸盤のさしみが滅茶苦茶にうまかった、などということを思い出すとまた話が長くなる。
 しかしこのときの話に出たタコヤキのことだけはどうしても書いておかなければならない。タコヤキを食いにいこうというのである。こちらはすでにタコの吸盤で満悦しているので丁重に辞退すると、『いやうまいんです』と何とかという店の名をあげていきり立つように言った。西明石には三十軒のタコヤキ屋がある。それをしらみつぶしに食べあるいて叩き出した結論というのが、これであった。ああタコヤキ屋三十軒」
と著された。
 種村さんご指摘のとおり、明石へ引っ越して真っ先に調べたのが、たこ焼き屋から明石蛸の歴史に至る蛸あれこれであった。
 「たこ焼き屋は商売である」とは言いながら、三十軒のたこ焼き屋の風味はさまざまに異なる。まず、蛸の大きさが違う、メリケン粉(薄力粉)とじん粉(浮粉)の比率が違う、粉と出汁の比率が違う、つけ汁の出汁の取り方が違う、つけ汁の味付けが違う、つけ汁の薬味が違う、さらに焼く鍋の材質が違う、火力と焼き方が違う、「などということを思い出すとまた話が長くなる。」しかし、これを書いておかないと家庭でたこ焼きを作るのはかなわない。また、たこ焼きの一部を俯瞰できれば、食するときの居住まいも変わってこよう。
 種村さんに倣ってたこ焼きと書いたが、明石のそれは明石焼きであり、地元では玉子焼きと称する。玉子焼きを焼く銅製の器具を鍋と言うので、鍋一枚、鍋二枚とのあんばいで注文する。明石駅前の大明石町にある老舗「松竹」 はよく知られた玉子焼き屋だが、その筋向かいにも玉子焼き屋がある。日曜日と祭日のみ営むほとんど知られていない店だが、そこのスペシャルヴァージョンには巨大な蛸が入っている。通常の四、五倍はあろうかと思われる活蛸が中央にでんと鎮座している。
 駅から見て、「松竹」の手前を右に曲がれば「お好み焼き道場」がある。そこの玉子焼きは明石全体の玉子焼きのセオドライトのようである。文芸評論でいう伊藤整のようなもので、それ以下なら駄目、それ以上でなければならない一種の水準器となっている。生地を何度か加えながら焼くのでひとつひとつが大きくてやわらかい。つけだしは昆布で常温、甘くなく辛くもない、要するに少量の醤油と味醂のバランスがよく塩が控えめに用いられているのである。姉妹店に「酒道場」があり、蛸の天麩羅、鯛の子の煮付け、鯛のあら煮、太刀魚の刺身、鱧の湯引きなど、明石ならではの肴が豊かである。また「酒道場」で玉子焼きの出前をたのまれる。地元ではひろく知られているが、週刊誌などで取上げられたことが一度もない、いわば隠れた名店なのである。店名は伏せるが、屡々東京のマスコミで取上げられ、観光客が玉子焼きと蛸の関東煮を求めて列をなす店があるが、あれは明石でもっとも不味い店である。
 次にじん粉だが、小麦粉でんぷんを精製したものを本浮粉(うきこ)と呼び、さつまいもでんぷんで代用した物を浮粉と呼ぶ。ここで用いるのは当然本浮粉だが、主たる特徴は加熱しても固まらないところにある。従って、玉子焼きのふわふわした食感を出すに重要な役割を果たしている。片栗粉やコーンスターチも同じでんぷんだが、そちらは水になじみにくく焼き加減にムラが生じて味が落ちる。明石の魚の棚の中島商店、中村商店、白川南店などで売っていて、ネット通販でも購入可能である。メリケン粉とじん粉の比率は八対二からはじめ、徐々に同割にまで持っていく。最初から同割だとまるく焼くのに苦労させられる。
 粉と出汁の比率は簡単である。じん粉は小麦のでんぷん質のみで出来ているが、小麦粉には蛋白質(グルテン)が含まれるため、熱をかけると固くなる。その固くなる限界点まで、出汁で薄めるのである。前述したように玉子焼きは「ふわふわした食感」を楽しむのであるから、たこ焼き屋は柔らかさの限界を競い合う。割烹の出汁巻きに思いを巡らせていただきたい。柔らかくなければ大阪の、もしくは縁日の屋台のソースたこ焼きになってしまう。それは玉子焼きとは似て非なるものである。
 つけ汁の出汁の取り方だが、昆布、かつお、いりこ等を用いる。間違っても東京式の鰹節だけの白出汁はやめた方がいい。蕎麦や饂飩と玉子焼きは異なる、あくまで、薄めの吸い物を念頭に置いていただきたい。昆布とかつおのどちらが勝っても駄目で、そのバランスはセンスと言うほかない。酒ならともかく、吸い物のような根元的な香味のセンスを言葉で言い表すのは至難である。インスタントの粉末出汁を用いるなら、味の素のほんだしがいい、シマヤだと焦げ付いてしまう。ただし、味の素は味にえぐみがあるので量を控えめに。いりこだしだとヤマキなのだが、インスタントの粉末出汁は総じて塩とアミノ酸が強い、慎重な取扱いが必要である。
 玉子焼きが熱いのでつけ汁は常温で、そして薬味は三つ葉にとどめをさす。念のためにいっておくが、玉子焼きのなかは蛸だけである。
 玉子焼きの鍋は銅製の厚板鍋に限られる。鋳物は熱伝導が悪いので鍋に熱ムラが生じ、ふわふわには仕上がらない。安福保弘さんが打ち出す玉子焼工房か、大阪の甲野製作所の鍋がお薦め。共にネット通販での入手が可能である。

 末尾に当文章の構造式を書いておく。言明、つまり命題を分解していくと、最後には、これ以上分解すると命題にならないような命題に到達する。蛸の場合は「蛸は軟体動物門頭足綱八腕形目に属する動物の総称である」もしくは「蛸は食品である」ということになろうか。その原子的命題から出発して、「そして」「あるいは」「ならば」「でない」といった論理演算を潜って、しだいに複雑な命題を構成するに至る。その過程がおはなしである。命題とは、なんらかの主張を表した記号の組合せであり、主張そのものであると同時に、主張を成立させる状況の集合であるとも言える。後者の場合、命題の主語が人名であろうがなかろうが、そのものの棲息環境、謂わば人生そのものだと言えようか。そして原子的な命題が内包する棲息環境と複雑な命題のそれとでは状況が異なる。さらに言えば、状況それ自体が環境に即して壊れたり喪われてゆくこともありうる。要するに、命題は主張を成立させる状況の集合であるにとどまらず、時として喪われてゆく状況をすら内包する。言い換えれば、意味内容や表象から遠く逸脱してゆくそのものの影や分身、時として遺影すらもが含まれているのである。
(つづく)



投稿者: 一考    日時: 2006年08月04日 21:38 | 固定ページリンク




一考 | 引用と剽窃

 太寺に住んでおられた井上喜平治さんの著書が見つかった。その本を紹介したくて「タコヤキ屋三十軒」を書いたのだが、数十年ぶりに繙いた「蛸の国」と闇雲と掴み合っているうちに惹きずりこまれ、それこそ蛸の国を逍遥うことになってしまった。書き手すなわち井上さんと蛸との出身成分(家柄)が相互に嵌入しあい、どこまでが井上さんの信念で、どこからが蛸の考え方なのかが判然としない。異なる価値判断が交錯しながらひとつの意見と見紛うばかりに表明される。そのような書物を名著という。名著であればこそ、つづきを書くのは読み終えてからにしようと思った。

 「蛸の国」を紹介しようとすれば、引用の誘惑に駈られる。しかし、著作権継承者の許可を得ないで引用すると碌な結果を招きかねない。先日来、友がブログで訳詩を引用した、引用というよりは好意にもとづく紹介であり佐藤春夫を髣髴させる可惜しい鑑賞文である。しかるに、著作権を盾に取って遺族は応じようとしない。インターネットなどと称するいかがわしいところに身内の作品が軽々に載せられたことが、遺族には堪えられないのである。一方、ひとがらを存じ上げるがゆえに、友の苦衷、困惑は察するに余りある。
 当掲示板でも、過去に遺族や著作権継承者とのあいだで悶着があり、あらぬことを誣いられて書き込みの削除の已むなきに至った。専横であり踰越であって、公人の私物化だと異議を唱えても双方にかみ合うところなく水掛け論に終わる。パソコンを使うひとと使わないひととの間柄は想うよりも疎遠である。印刷機が発明されたときもそうだったが、新たなメディアが認められ、それなりの文化を育成するには七、八十年の年月が掛かる。インターネットが固有の価値や様式を創出するのは次の次の世代あたりであろうか。
 仕事柄、いくたりかの作家の書冊を上梓してきたが、遺族とのお付き合いは何時もぎこちない、うまく行ったためしがないのである。継いでいるのは血脈のみで、詩精神の場にあっては何人といえども赤の他人である、それが諒解できるひとなら削除など端から命じてこない、と私は信じている。どうやらそうした考え方が遺族のお気に召さないようである。この血脈に関しては私なりの意見の用意があるが、ここでは繰り返さない。

 引用に関しては日頃から細心の注意を払っている、もしくは払っているつもりである。引用は著作権の切れた作品もしくは存命している知己の作品と劃定している。「存命している知己」に限るのは謝れば済むことだし、「著作権の切れた作品」に関しては後は野となれ山となれ、である。そして「作品」に限るのは、やはり水掛け論は避けたいからである。主張を手早く伝えるために、時としてひとは駄洒落をとばし、意味内容や表象から外れたお喋りをする。というよりも、日常の会話とはそのようなものなのである。従って、あのひとがこう言った、このひとがこう言ったとの伝聞を私は採らないし信じない。論旨を咀嚼し適確に判断するような聞き手や話し手がそこらじゅうに居るとは思われないからである。
 伝聞で思い出したが、貴方はこう言った、ああも言ったと過去の贅言を知己から指弾されることも度々である。そのような時はアドレス帳の項目を「知己」から「頓痴気」に書き直している。余談ながら、この書き直しは二度と覆らない。
 当掲示板での書き込みに限ってだが、極力引用は避けている。活字なら編集者が責を負ってくれるが、ウェブサイトではそうはいかない。管理人とはいい酒を飲みたいのであって、紛争地への共同出兵はお断りしたいものである。従って、引用ではなく自分の言葉に置き換えて書くように努めている。言い換えれば剽窃に汗を流しているわけだが、意地無地の生じないように、念には念を入れているのである。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月07日 20:01 | 固定ページリンク




一考 | 小咄

 塵芥賞の受賞者と金光さん、玲はるなさんが平井功の詩集を拵えているらしい。先日、せっかくの集まりだったのだが、厨房が忙しくて私ははなしもできなかった。その折り、フライパンを振り回しながら、価値判断を構造主義的に歪曲した小咄を考えていた。

 料理人の腕は包丁で決まる、要するに包丁を研ぐ伎倆がそっくりそのまま調法に反映されるのである。料理に対する知識は調理の現場ではなんの役にも立たない。なぜかと言うに、知識は一貫性や確証性を基礎にするが、料理に用いる材料は変化相が決まっているわけではない。例えば、羅臼の鮭とウトロの鮭、日高の鮭では食感から味わいまでがまったく違う。また、ときしらずのように同じ鮭でも季節によっておもむきを異とする。要するに、じかに材料にあたって味をききわける以外、手立てがないのである。食材の硬さによって、用いる包丁の刃の角度が違ってくる。大工道具ほどではないにせよ、さまざまに研ぎすまされた包丁がどうしても必要になるのである。
 同様に、文筆家の腕は鉛筆で決まるのではないだろうか。足穂が景品の鉛筆を禿びるまで使っていたのはよく知られたはなしである。原稿用紙も名古屋の「作家」へ応募してきた反故の裏面を使っていたと聞く。景品の鉛筆なら納得がいくが、足穂が三菱鉛筆(かつての真崎鉛筆)のユニを愛用していたでははなしがおさまらない。三菱財閥や逓信省御用達といった官製の影がちらちら付きまとう鉛筆でお伽話風のしゃれた幻想譚や「彌勒」のようなアナーキーな私小説など書けようはずがない。
 三菱にとどまらず、トンボであれコーリンであれ、ブランド品でプロレタリア文学は書けないだろうと思うのだが、どなたかゴシップ通の方に、大杉栄や小林多喜二がどこの鉛筆を使っていたのかを調べていただけないだろうか。
 もしも、文筆家の腕が鉛筆で決まるとするならば、パソコンについても同じことが言えないだろうか。マイノリティの文学を語るに際し、ウインドウズで打ち込みましたでは、面を張るか向こう臑を蹴飛ばしたくなる。ウインドウズで文学を語るとなれば、渡辺淳一や村上春樹のようなベストセラー作家に劃られる。これからの時代はさような細かい気配りが必要とされるのである。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月08日 21:03 | 固定ページリンク




おき | 裏視線

一考様。枯れ木も山の賑わい。涎も受ける砂場がなければなりますまい。

「三菱鉛筆(かつての真崎鉛筆)」とお書きになっているので、
確信犯なのか、何らかの反語表現なのか、わからないのですが、
三菱鉛筆は過去も今もひとときたり、三菱財閥ではありません。
日本における鉛筆のパイオニアでありUNIはユニークの謂い。
逓信省へ納入成功した事が、飛躍の転機というのは事実ですが。
一方でかつて三菱グループ入りの誘いを断った伝説があります。

またPC史を知る者の視線からみればマッキントッシュの方が、よっぽど官僚的ともいえます。
WINDOWS&IBM-PC/ATの世界の方が相当なアナーキーワールドでもあるのです。

パチもん、という言葉があります。
語源を調べるとどうも「こんパチぶる」PCの「パチ」をとってパチもんだそうで。大阪発か?
ところで、現在IBMの現在のPCシェアは芥子粒の如し。ノートはレノポに売り払いました。
要するにパチもんワールドがPC/ATのハードウェアレイヤーの世界の現実の風景なのです。

プロセッサレイヤーでみてみましょう。ん?同じメモリアドレスに複数のアクセス方法がある!
(旧)インテルプロセッサの「論理的汚さ」には、唖然とするやら少々可笑しくなるやらでした。
互換性(俗世)を捨てるかわりに、コマンド体系が断然美しい旧モトローラプロセッサは見事。
大衆の情念を巻き込む政治の世界がPC/AT,理想主義の学者根性がMAC、とも言えます。

ましてOSレイヤーで語るなら、MACもWINDOWSも、安易すぎる「剽窃」でしかない。
そのレベルたるや、五十歩百歩であり、今更目くじらたてて差別化するような差はありません。
真の革命とクリエーションは、パロアルト研の真の天才たちによってなされました。
金余りのXEROXが、それを活かしきれなかったのも歴史の皮肉と言えるのです。

ちなみに味はともかく白龍は9号酵母ではありません。
酵母も味も一定していません。書生的酒でございます。
もしや新潟の白龍酒造との混同をされていないか、と。

料理の包丁の件は全面的に賛成いたします。なかなか研げず、
歯欠けばかりの毎日ですので。



投稿者: おき    日時: 2006年08月09日 01:17 | 固定ページリンク




一考 | 斜視線

 おきさんへ
 ちなみに私はUNI(ユニ)の愛用者で、原稿はいつも鉛筆書きです。だって、消しゴムが使えるのですもの。
 創業者の家紋「三鱗」が先に商標登録されたことや三菱財閥からの誘いを断わったことも存じ上げております。正確には眞崎鉛筆製造所ですね。第一、足穂が「お伽話風のしゃれた幻想譚や「彌勒」のようなアナーキーな私小説」を書いていた頃にはUNIブランドは誕生していません。
 音楽の歴史が楽器の歴史でもあるような、そうした歪曲が文章にも応用できないかなと思ったのです。つまり、小咄です。
 ご指摘のとおり「MACもWINDOWSも五十歩百歩」ですから、マイノリティの文学を語るに際しマックを使えとは書かなかったのです。ウインドウズで動くOS10.4.8やインテルマックで動くXPが平和に共存する時代ですから、なにも言うことはないのです。 ただ、あまりのシェアの高さをちょいと揶揄してみたかったのですが、例題が悪かったようですね。パロアルト研については詰らぬ文献ですが、少し集めて読みました。
 IBMはともかく、「パチもん」のはなしには興味があります。私が子供の頃の福原は縮の七部袖にステテコか股引、それとラメ入りの腹巻きが正装でした。ヤクザからテキ屋、蝦蟇の油売りからバナナの叩き売りに至るまで、いわゆる香具師のスタイルですね。あの股引の朝鮮語がPachiで、当然そこからきたものと思っていたのです。
 関西では「パッチもん」なのでしょうが、バッタ商品もしくは人称代名詞としても用います。「ゴン太」や「ゴンタクレ」の意もあって、広義な意味でのデスペラードですね。ただ、それでははなしが古すぎます。これからは大阪発の「こんパチぶる」でいくとしましょう。

 白龍が香露酵母でないことも、メールがあってすぐ分かったのですが捨て置きました、済みません。新潟の白龍酒造と間違えてはいません。黒龍の純米大吟醸が香露酵母だったと記憶するのですが、こちらも確認はしていません。そして白龍の生貯蔵酒の香りが黒龍の吟醸酒とよく似ていたものですから、早とちりしたようですね。
 昔は七号、九号、十一号、十二号位しかなかったのですが、義侠酵母にはじまって、いまでは数百種類の吟醸酵母があります。もっとも国税庁には数千種類あるそうで、その内の数種類は飲ませていただきました。ただ、昨今は純米吟醸酒にはまったく興味をなくしました。興味をなくしたのはいいのですが、吉田酒造にご迷惑をお掛けしたのであれば、謝罪しなければなりません。
 以上、取り敢えず。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月09日 05:45 | 固定ページリンク




一考 | DNSサービス

おきさんへ
ところで、so-netから北品川通信なるメールあり。

ドメインの初期登録料 3,990円
同じく年額基本料 3,990円

ドメイン管理(DNS)サービス 月額525円

プラスドメインメールアドレスサービス
1アドレスにつき月額315円

と書かれていました。「ひやあーっ」でございます。
安く済みましたことに感謝。モルト・ウィスキーを一杯おごりますよ。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月09日 06:09 | 固定ページリンク




一考 | なまづ

 moonさんへ
 お誉めにあずかり恐縮。
 神戸の季村敏夫さんからのご依頼で、「なまづ」というミニコミ誌に連載をはじめます。お題は神戸の古本屋ですが、ご指名があって、黒木書店と俳文堂だそうです。ともに書くことはいくらでもあるのですが、旨く書けますかどうか、例によってまったく自信がないのです。
 神戸の出版史を語るに俳文堂は欠かせません。また、江戸俳諧の今日を作ったのは神戸の古本屋と出版社です。大正末期から昭和にかけてが神戸の出版の全盛期だったと思うのです。
 ミニコミ誌ですから余部はないと思いますが、そちらへはお送り致します。ご笑覧いただければ幸いです。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月09日 06:46 | 固定ページリンク




moon | (無題)


「なまづ」をお送り下さるとの事、ありがとうございます。
 ただ、鯰料理なら兎も角、貴兄の書かれた文のみ拝読出来れば嬉しい
ので、態々送っていただかなくても此方か彼方へアップして戴ければ幸
甚に存じます。俳文堂さんとは殆どお付き合いがなかったのですが、黒
木さんと貴兄との話は面白いのがありそうですね。楽しみにしておりま
す。



投稿者: moon    日時: 2006年08月09日 11:26 | 固定ページリンク




おき | ぱちの探求。

一孝様。
含みのある論評を為されている通り、ぱちもん=コンパチPCというのは俗説・都市伝説の類です。
なぜならIBM-PC/ATとそのコンパチ機の誕生以前からこの言葉は使われていたのですから、
「足穂の三菱鉛筆」同様、歴史の遠近をねじまげた小噺の装飾子に過ぎません。

「ぱちる」=「取る・盗む」の表現がもとより関西地方にあるとの説がもっとも真面目な語源説ですが、
こういう時にこそ覗いてみたい権威の力、広辞苑・平凡社大百科辞典・大辞林等々、
錚々たる辞書には、残念なら項目設定はもとより、文章表現としても一切見いだされません。
権威と優雅と標準を重んじる観点からは、言葉自身の存在を無視されるような俗語なのです。
その中で唯一、項目掲載をし、怪気炎を吐いているのが「通信用語の基礎知識 電算用語 技術俗語篇」。
以下、引用します

 「パチる」分類:コンピュータ>用語・俗語>技術>技術スラング
  ◇近畿以西の方言で”取る”の意。類義語に”ペチる”がある。いわゆる関西弁の一。
  ◇プログラミングの世界では、例えばLinuxで他のディストリビューションで使っているパッチを
   必要に応じて「パチってくる」という言い方をする。
  ◇受注が途絶える二八(にっぱち)にベンチャー経営者が陥りがちな精神状態。
    やけっぱちな状態を指す。

腹巻きのラメ刺繍とは、全く違う文脈で、Patchが語源となるジャーゴンもあるようです。
また、3つめは、当然、即興で拵えた親父ギャグでございます。



投稿者: おき    日時: 2006年08月09日 14:45 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 暇なのでいろいろと

一考さま。
ご無沙汰してをります。いつも拝読してをります。
横から差出がましい書込みをいたすやうで、お許しを願ひます。
「ぱち」について、私は「パッチ」=股引は知つてゐましたが、あとの言葉は知りませんでした。暇にまかせて、日本国語大辞典第二版を眺めてゐましたら、以下の項目にぶつかりました。これと関係のあることなのでせうか。ご教示を賜りたく。

「ぱち」=1「嘘、虚言」2「偽物」
「ぱちもの」=「時計・指輪など、金銀の細工物の贋物をいう、てきや仲間の隠語」〈「隠語輯覧」1915〉

なほ、「パッチ」の項目には「朝鮮語のba-jiから」として「股引のこと。関西では木綿・絹製ともにいうが、江戸では絹物類のみをいう」として十七世紀後半の例から載つてゐます。
「語誌」として以下の説明がありました。
「1 朝鮮語ba-jiは(イ)男性がはくズボン状の服(ロ)女性がt∫i-ma(スカート)の下にはく下着をさす。
 2 十八世紀頃には日本語として定着していたようで、京阪では、股脚の長い物ほ「パッチ」といい、旅行用の短い物を「股引」といった。江戸では宝暦(1751-61)の頃から流行し始め、木綿製を「股引」、縮緬・絹製を「パッチ」と読んで区別した」

熟語として「パッチを穿く」があり、
「1 軍隊で上官から叱られる意にいう」として「真空地帯」の例が載つてゐますが、興味深いのは2と3と4でせうか。
「2 (わらじをはく」の言い換えか)逃げる意の、盗人・やくざ仲間の隠語」
「3 (「下駄をはく」の言い換え)中間にたって値段を上げ利益をとる。うわまえをはねる」
「4 他人の作品を無断で翻案製作する意の、映画界の隠語」



投稿者: 高遠弘美    日時: 2006年08月09日 16:05 | 固定ページリンク




一考 | サルマタ文化

高遠弘美様
 ヤシ、香具師、テキ屋関係の書冊を調べてみましたが、なにも出てきません。おそらく、どなたもが最初に購入するであろう添田知道の「香具師の生活」から山崎美成、小峰大羽、宮武外骨、正岡容、前田勇の著書、地方で刷られたテキ屋の教本に至るまで、「ぱち」についての記述は見当たりませんでした。
 拙宅の貧しい蔵書のなかでは東京堂の「隠語辞典」に、

「ぱち」=1「にせ物、まやかし物」2「詐欺的な行為」
「ぱちもの」=「耳」〈盗人の用語〉
「ぱちもの」=「時計・指輪などの贋物」〈香具師の用語〉

とあるだけです。
 「京阪では、股脚の長い物を『パッチ』といい、旅行用の短い物を『股引』といった」そうですが、異なる辞書では「地域によってはすべてパッチとも言う」と記載されていました。記述に異議なく、神戸では股引との言葉はあまり使いません。ことごとくがパッチで、防寒用の股引はラクダのパッチと言います。大阪の友人にも聞きましたが、やはりパッチだろうとのことでした。念の為に書き添えますが、このパッチにはステテコの意も含まれ、と言うよりはパッチとステテコとは同義語になります。
 一所懸命をひっしのパッチ、くすねること、ちょろまかすことをパチると言いますし、イワシやイカナゴを獲る引網は朝鮮のパジに形体が似ているところから、瀬戸内ではパッチ網と呼ばれています。
 「斜視線」で「ステテコか股引」と書きましたが、上が縮の七部袖なら下はステテコ、すなわちパッチに決まっています。「正装」と書いたのも、町内ではその恰好で床几に座って将棋を指したり西瓜を食ったり、また福原界隈でもっとも大きな商店街は新開地(淀川長治の生地)でしたが、大通りを闊歩するときも、映画を観に行くときも、ショッピングのときも、大旨そのスタイルでした。
 長距離列車ではズボンを脱ぎステテコ姿で弁当とお茶、みなさん寛いでいました。女性のあっぱっぱと共に、いま流行りのクールビズの先取りです。オフィススペースを涼しく快適におくるために最適の服装であり、洒落者はミントやラベンダーなどの香りを焚きこめれば「ケッコウ毛ダラケ猫灰ダラケ、見アゲタモノダヨ屋根屋ノステテコ」となるはずです。
 江戸時代の男は夏場はほとんど裸体に近い状態で、それを見かねた明治政府が最初に考案した洋装ではなかったかとも思われるのですが、信ずべき根拠はなにもありません。

 ご指摘の「あとの言葉」ですが、関西での「もん」は「もの」が訛ったもので、物と者双方の意味が含まれます。「やくざもん」「ならずもん」「ええもん」「わるもん」のように、私のようなちゃらんぽらんな性格を指して「パッチもん」と言っていました。当時の友人は然るべき組織の会長、総長、組長になってしまったので、「パッチもん」の語法の当否を直接電話で聞くわけにはいきませんが、あれは福原だけの、もしくはわれわれ仲間内だけの用法だったのかもしれません。
 ご指摘の、熟語として「パッチを穿く」には興味を抱かされました。
 「真空地帯」は未確認ですが、パッチが一般に普及するのは風呂同様、軍隊だったと言われています。濡れたパッチで兵卒をしばく(たたく、ぶつの意)はなしを父から聞かされたことがあります。「2(わらじをはく」の言い換えか)逃げる意の、盗人・やくざ仲間の隠語」は存じ上げませんが、他の二項目は前述の「パチる」の活用変化形のひとつと思われます。
 お答えにはなっていませんが、この辺りでご勘弁を。サルマタ文化(地域によってはサルマタイまたはサルマートとも言う)に関してはお話しする用意がいくらでもございます。例えば、紀元前五世紀から後四世紀末にかけて黒海から中央アジア草原地帯で花開いたサルマタ文化を担った遊牧民が、甲冑や鉄製鎖帷子の下に履いていたのがパッチの原型。一時期はドナウ川を越えてローマ帝国領内に進出するも、やがてゲルマン系のゴート族に押され、四世紀末には、アジアから西進してきたフン族に征服される。このフン族の王アッティラが自ら滅ぼした民族を偲んでパッチをサルマタと改名、以降サルマタもしくはサルマータ文化との言葉が定着し、ものとしてのサルマタは中国を経て日本に伝えられた。
 というのが、福原大學でスキタイに関する歴史の講義で学んだ内容なのですが、これを信じると顰蹙を買うそうです。掲示板ではなく酒席が相応しいように拝察致します。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月12日 18:53 | 固定ページリンク




高遠弘美 | サルマタイとはこれ実に愉快なり(明治の頃の日記などに出て来る言ひ方の下手な真似です)

一考さま。
 さすが博学多識の一考さんのご教示、すこぶる興味深く拝読しました。サルマタイその他の福原大学の歴史学講座も大笑ひして拝見。一本も二本もとられた感じです。ありがたうございました。実は前回はあへて書かなかつたのですが、「ぱち」ならぬ「ばち」には以下の説明がありました。これまたまつたく知らなかつたので、ふむふむと読んだだけでしたが。
 説明のあとに、地方別の別表現が書かれてゐます。地方名を抜いて引用します。前回と同じく日本国語大辞典第二版です。
「ばち」(方言)
1 女をいう卑語。ばじ・ばじっこ。ばちこ。ばっち。ばっくす。
2 女の子。ばっち。
3 下女。
4 相手を罵っていう語。
5 はんてん。
6 魚、めばち。
7 魚、かながしら。
8 貝、赤貝。

 これとは別項目で「ばち」があり、それは「イトメが成熟して、泥底から抜け出し、海面に浮上群泳している時期の称」と説明がありました。

なほ、日本国語大辞典では
「ばちもの」の項に、
「耳をいう。盗人仲間の隠語」とありました。東京堂の隠語辞典とは「ば」か「ぱ」かの違ひはあるやうですが、この手の言葉はさういふところが曖昧なのだと思はれます。

 また同辞典によれば、「すててこ」は江戸からある囃子ことば「ああすててこすててこすててこてんてこてんとんとん」が元で、すててこ踊りで一世を風靡した三遊亭円遊が穿いて踊つたところから、仰せの「正装」クールビズの「すててこ」となつたさうで、例文として畑山博「いつか汽笛を鳴らして」から

「頭のはげあがったステテコ一枚の男とアッパッパを着た女は夫婦者だろう」

が引かれてゐますが、奇しくも「アッパッパ」と併記されているところが面白いと思ひました。わたくしの子供の頃も、夏になると母親が家着としてアッパッパを着てゐたことを思ひ出しました。

最後に、追記として。
たまたまけふ読んでゐた明治の頃の日記に「円遊来りて沢山落語をなし、一時頃帰る。料理は偕楽園なり」といふ記述があつただけに、ご教示からいろいろ連想が広がり、愉しい宵をすごしました。御礼申し上げます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2006年08月12日 20:05 | 固定ページリンク




一考 | 知己もいろいろ

 大風呂敷製造販売商店のCEOなればこそ、駄法螺を吹くのが唯一の芸。得意とするすててこ踊りは吉原に限らず、福原の幇間のあいだでも盛んに踊られていました。
 過日、「沙の上のラブレター」にて「頭の回転のにぶいひとに駄洒落はとばせない。洒落は俳諧でいう滑稽である。一語が音通などによって二義もしくは多義をあらわす懸詞や地口とおなじ性質のものであって、詭弁、曲解、皮肉などを内包する。洒落が洒落であるためには、知性や思考回路の洗練さが要求されるとともに、そのよき理解者たる相方を必要とする。金魚同様に、ひとの手を離れては存在がかなわない、著しく人工的なものなのである」と書きました。
 「洗練された理解者」のおかげを持って、こちらこそ愉しい宵を過ごさせていただきました。感謝致します。

 そのようなはなしの後に続けることではないのですが、九日の集いが引けてから店内で喧嘩があり、オープン以来の六年間で最悪の不快感を抱かされました。貴方や宇野さんが帰られた後だったのがせめてもの救いでした。
 打ちつづく警察沙汰に嫌気がさしての上京だったのですが、実体は東京も同じでございました。常連客でなければ張り倒すのですが、逆に客であることを担保に取っての狼藉、鄙劣きわまりない立ち居振る舞いに呆れ返りました。いづこにも品のない馬鹿がいるもので、当分のあいだ、店を閉めようかとまで思い詰めております。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月13日 20:21 | 固定ページリンク




一考 | ラ・ミシオン・シャルドネ

 先日、宇野邦一さんからサンセールの注文を受けたのだが、ギィ・サジェのサンセールを私は飲んでいない。要は味見もせずに店に置いているのである。モルト・ウィスキーはすべて確認しているが、ワインには一部未確認のものもある。旨いかと問われれば、正直に飲んでいないと言うしかない。
 それではおいしいワインを、とご注文なさったので、ピーニャ・ウィリアム・フェーヴル・チリのラ・ミシオン・シャルドネを抜栓した。チリワインだが、2004年以降に飲んだシャルドネ種ではもっとも旨かった。
 
 「ル・クラスマン」でフランソワ・ラヴノーと共に三つ星評価を受けたウィリアム・フェーヴルのシャブリはコスト・パフォーマンスが高い。二千円を切る安価でボトリングしているが、高級品ほどフィニッシュの酸味が生かされてくる。シャブリにうるさいひとには、1erのボーロワやレ・リスのヴィンテージものがお薦めである。
 そのウィリアム・フェーヴルやチリのピノ家等々が創設したジョイント・ベンチャーがピーニャ・ウィリアム・フェーヴル・チリである。ブテック ワイナリーなので、生産量は限られている。現在出回っているラ・ミシオン・シャルドネは2005年のヴィンテージだが、五~六年寝かせれば柔らかな酸味が加味され、果実味が豊かな味幅のあるワインになると思う。しかし、そのゆとりは現在のですぺらにはない。
 詳しくは下記を。
 http://item.rakuten.co.jp/miyakata/10000585/



投稿者: 一考    日時: 2006年08月13日 20:23 | 固定ページリンク




一考 | コノ・スル・オーガニック

 こちらで酒について書きます。前項が白ワインだったので、今回は赤の紹介です。
 チリの葡萄畑はサンチャゴ周辺の北からアコンカグア、マイポ、ラペル、マウレなどの川の流域に拡がっている。そのマイポ・ヴァレーにチリ最大のワイナリー、コンチャ・イ・トロ社がある。コンチャ・イ・トロのシャルドネ種はシュルリー製法で造られる。スモーキーな香りとふくらみのある辛口が特徴で、ピスケルト社のラ・ホヤ・シャルドネやピーニャ・サンタ・モニカ社のティエッラ・デ・ソル・シャルドネと共によく識られたワインである。
 ピーニャ・コノ・スル社はそのコンチャ・イ・トロ社の傘下で、ラペル・ヴァレーのチンバロンゴに100年以上続く単一畑を所有するワイナリー。カベルネ・ソーヴィニョン、メルロ、ピノ・ノワール、シャルドネの四種とリザーヴを三種、それと20バレルと名付けた高級品をボトリングしている。ちなみに、ピノ・ノワールとシャルドネはカサブランカ地区で栽培されている。
 インポーターとしてもっとも信頼できる和泉屋のヒット商品の一つで、 コストパフォーマンスの高いワインです。
 そのコノ・スルからオーガニックワインが発売されています。他のラインナップとは赴きの異なる自転車のラベルで、店でも八本ほど販売致しました。
 葡萄種は有機栽培のカベルネソーヴィニョンとカルミネーレ。ダークチェリー、ラズベリー、ストロベリーなどの果実香のほか、フレンチオーク樽に由来する煙草やヴァニラのキャラクターが特徴。豊富なタンニンと酸味を持つフルボディですが、千円のワインでこれだけの味はまず無いと思います。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月14日 00:49 | 固定ページリンク




一考 | 志乃田について

 おきさんへ
 「ぱちる」ではないのですが、「しのだ」もそこいらの権威ある辞書には記載がなく、悔しい思いをさせられています。
 神戸ではきつねうどんを「しのだ」と言います。語源は大阪泉北の信太の森ですから、閉じれば「信太」もしくは「信田」か「篠田」なのでしょうが、通常は「志乃田」と著します。地名を料理名に取り込むときは昔から洒落て違う漢字を宛てます。信太の森は浄瑠璃や歌舞伎で有名ですから、そちらについては触れません。プライベートなことに終始したいと思います。
 神戸の湊川市場の北端に旧丸新市場(東山商店街)があり、その市場に隣接して満州からの引き揚げ者が雑多な商店を営んでいました。果物屋、電気屋、服屋、寿司屋、饂飩屋、串カツ屋、お好み焼き屋、おもちゃ屋等々ですが、服屋とは申せ、先日来触れている腹巻き、ステテコ、アッパッパ、加えるに作業着と麦わら帽子のようなものしか置いていません。商品を需要のあるものに限定すれば、そのような結果になるわけです。
 父と同じ部隊にいたひとが数人含まれていて、饂飩屋と串カツ屋にはよく行きました。串カツ屋については当掲示板で書いた記憶があるので、饂飩屋について書きます。
 その店に限らず、福原の饂飩屋さんもそうだったのですが、あの頃はどこともがご飯を置いていました。かやく飯、おいなりさん、穴子の箱寿司、玉子巻き、太巻き、簡略な握り鮨の類いです。
 かやく飯は炊き込みご飯のことですが、他にかやく丼やかやくうどんがあって、漢字には「加薬」を当てました。この「かやく」に関しても辞書の語釈はほとんどが間違えています。「かやく」は「あしらい」とは違うので、必ずしも料理の副材料ではないし、植物性の食品にも限定されません。「すきやきの牛肉に配するネギ、こんにゃく、豆腐など、ちりでは魚に配するハクサイや豆腐などをさす」とよく書かれていますが、料理人のあいだではより広義に解釈されています。
 そのかやく、すなわち具材は店によって異なります。また炊き込むときの出汁の取り方も異なります。老舗の寿司屋では昆布と鰹で出汁を取りますが、饂飩屋は熬り子(いりこ)と雑節で出汁を取ります。煮干を「熬り子」と言うのも関西特有です。雑節は水からでないとだし汁が濁るので、熬り子の方もワタをきれいに除去します。そうしないと苦みが勝ってしまいます。掃除した熬り子を用いれば甘味が加わるので、仕上げの味醂の量を減らすことが可能になります。
 「おいなりさん」は稲荷寿司もしくは信田寿司のことですが、酢飯に限らず、かやく飯を詰める方が多いようです。ただし、その場合はかやく飯に少量の酢を振りかけます。
 江戸での握り鮨の誕生は文政年間ですから、九州や瀬戸内と比してかなり遅かったと思われます(この発言は料理人や漁師からの伝聞で、確認はしていません)。それまでは江戸では「笹巻き鮓」が一般的でした。将軍にも献上されたという「松が鮨」の秘伝は「玉子巻き」です。でんぶやかんぴょうなどの具材をご飯で巻き、それをさらに薄焼き玉子で巻いたものです。しかし、私が言う「玉子巻き」は「松が鮨」の「玉子巻き」の簡略版で、中村真一郎さんのいう「アプレゲール・クレアトリス」の産物かと思います。白味魚などを練り込んだ厚焼き玉子で巻いた寿司で、一種の飾り寿司と言えます。
 最後に穴子の箱寿司です。明石には大善、下村、林喜商店等々、焼き穴子の専門店があります。下村は神戸の三ノ宮で穴子料理の専門店を営んでいますし、明石にも山城があって、穴子の棒寿司や押し寿司で識られる菊水鮓もあります。ただ、東京の著名な泥鰌屋が中国産の泥鰌を使っているように、明石の穴子屋も中国産活け締めの穴子を使っています。鰻同様、板前がその場でさばいて調理した前物の味は滅多なことで味わえなくなってしまいました。
 関西にも蒸し穴子や白焼きの穴子があるのですが、大半は蒸さずに焼く焼き穴子です。焼き穴子とコップ酒を両手に持って、明石の街を散策するのが種村季弘さんの得意とするところでした。関東の蒸し穴子にはない香ばしさが身上で、ものが固いだけに歩きながら食することができました。
 さて、その固い穴子の箱寿司です。棒寿司には蒸し穴子を使いますが、箱寿司もしくは押し寿司には焼き穴子を使います。そちらで有名なのは神戸元町の青辰です。薫子さんは青辰の穴子寿司がことのほかお気に入りです。その青辰の穴子を極度に薄くしたのが引き揚げ者風穴子の箱寿司でした。世の中に旨いものはいくらでもあります、しかし、私はあの薄さに執心しているのです。日本が独立し、朝鮮戦争が終わったあとも、路地裏にはそこかしこに戦後の残照が息づいていました。なにかしら捨て鉢な、そして妙な活気に晒されながら、あの日あの時、しのだと三切れの穴子の箱寿司を前に、私は至福を味わったのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月15日 03:36 | 固定ページリンク




一考 | 漢字制限

ひろさんと櫻井さんへ
「のちのおもひに」さんと「red fox」さんのところで書き込んだのですが、Firefox 1.5.0.6なら、おうがい、ひゃっけん、さとみとん、が表記されます。小生の原稿もほとんどが大丈夫です。こちらでも調べますが、ユニコードに対応しているのかどうか、ご教示いただければ幸いです。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月15日 05:18 | 固定ページリンク




一考 | 漢字制限2

moonさんへ
大事なことなので、こちらで書き込みます。
Internet Explorerと違って、Firefoxが第四水準までは多分網羅されているヒラギノフォントに対応しているのは分かりました。おうがい、ひゃっけん、さとみとん、さばと、をはじめ、フランス語のアクサン記号も問題なく表記できます。
しかし、別の問題が生じました。OS.9で拵えた文章は数種類のフォントを使っています。従って、OS.10.2.8のヒラギノへは変換不能です。先程からいろいろ試しているのですが、一文字、一文字拾っていかなければなりません。最初からOS.10で書き込まなければ駄目なようです。もう少し模索してみますが、難儀ですねえ。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月15日 06:27 | 固定ページリンク




一考 | 漢字制限3

moonさんへ
Firefoxの書き込みに対していくつかのメールをいただいたので、再度こちらで書き込みます。
Firefox 1.5.0.5は未対応です。最終ヴァージョンとなったMozilla 1.2.1以降のもの、すなわち1.3.1の三種類も試してみましたが、まったく駄目です。もっかのところ、対応しているのはFirefox 1.5.0.6のみのようです。

私はワープロソフトのファイルとしてはMacWORD4.0とExcel9.0.5とWord9.0.5、テキストエディターのファイルとしてはLightWayText4.0.2を使っています。店のカタログはリュウミンライト-KLなので、第三水準以降の漢字は避けています。通常の文章の場合はヒラギノ明朝、Kandata、Mojikyoの混載で、日本語のフォントは132書体がシステムに入っています。
混載の欠点は他のメディアへコピーしたときに、フォントの指定が勝手に外れてしまうことです。某俳人へ送った手紙のコピーが文字化けし、なにを書いたのかが思い出せない、という笑うに笑えないはなしが頻繁に起こります。
サーバーのユーザー領域は未使用のものがたくさんあります。従って、PDFファイルを画像ファイルに変換して添附するのに問題はありません。画像として扱うと内容を文字検索出来なくなりますが、検索できようができまいが、ひとさまに読んでいただくようなものは書いていませんので、どうでもよいのです。

「それらテキストファイルをソフトを使って一つのファイルに統合し、特殊な文字を一文字ずつ記号(例えば*1、*2、*3...のように)に一括置換し、それをOS-X上でユニコード漢字に再度一括置換すると言う手作業になるのでしょうね。確かに難儀だと思います」
ご指摘の通りです。ですからOS.10へ移行できずにいるのです。拙文よりも、酒の解説の類いが勿体ないのですが。

KandataやMojikyoで書いた第三水準以降の漢字はFirefoxでも文字化けします。と言うことは、Firefoxはオープンフォントにのみ対応していると思われます。
昨夜、管理人両名をはじめみなさんが加わり、Firefoxのはなしで持ち切きりでした。結論は、Firefoxがオープンソースなので、誰ぞこころあるひとが手を加えたに違いないということです。ウインドウズの場合はインデザインに添付されているヒラギノをインストールすれば、対応可能だそうです。従って、一般的ではありませんね。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月16日 21:18 | 固定ページリンク




一考 | 黒木書店

 銀花88号で神戸について書いた記憶があったのですが、その一部分に黒木書店に触れての文章がありました。薫子さんが打ち込んでくださったので、ここへ転載しておきます。

 「海港詩人倶楽部」に代表される神戸のモダニズム文学を語ろうとすると、元町の黒木書店の親父の顔が目に浮かぶ。もっとも、黒木正男さんの風□をもって当世風とはいえない。長い眉の下、狷介なまなざしは常に正面上方に据えられ、口は真一文字に結ばれている。いわば古武士の趣があり、石川淳に極めて似ているのである。この親父、単なる古本屋の店主と思って油断するとひどい竹篦返しを喰らう。棚に並べられた書冊はすべて親父の目をくぐったものと思って間違いない。何故なら、自らが評価に価しないと信じた作家の本は、たとえ売れ筋のものであっても断じて店には置かないからである。真一文字の唇と著したが、その状態ではなんら問題はない。しかし、その口がひらかれる時は要注意である。毒舌が飛び交い、客が店から追い出される予告に違いないからだ。そういう現場を私は何度も目にしてきた。従って、この店でコーヒーを振舞われるのは容易ではない。その大事の最中に、ゆくりなくも私は学校では教わらないことを多く学んだ。
 十一谷義三郎は元町のヴィスコンティであり、稲垣足穂は子午線の天文館館長、竹中郁はドテ(新開地のこと)の手品師、増田篤夫は平野のアストラカン、西東三鬼は、トア・ロードのホテルマンetc……中学生だった私を相手に、黒木さんは本読みの楽しみと愁いを、過不足なく教えて下さった。実に、私は黒木さんの謀に乗せられて書物の世界に迷い込んだのである。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月16日 21:29 | 固定ページリンク




内山勝司 | すっかりご無沙汰しています。 チリのコノスルは美味しかった

一考さんの赤ワインの紹介記事の中の「豊富なタンニンと酸味を持つフルボ
ディ……」という言葉に引かれて、さっそく和泉屋さんに赤2本と白1本を16日に
注文し、17日の夜に到着。17日・18日で「コノスル」のオーガニックはなくなり
ました。農夫たちが、畑に通う自転車のかわいいラベル、味・香り、そして驚き
の価格(¥1000)。(一考さんの名誉のために言いますと、私はかつて一度も一
考さんにだまされたことはありませんが……)だまされたと思って飲んでみて良
かった。一考さんこのワインは、(東京や千葉の)他の酒屋(やワイン専門店)
でも置いてあるものですか?



投稿者: 内山勝司    日時: 2006年08月19日 07:04 | 固定ページリンク




一考 | でんすけすいか

本日、比呂さん主宰の納涼企画・高級スイカ宴会です。
飲み代は個別会計ですが、デンスケスイカ代がお一人様1000円かかるそうです。
デンスケスイカは明石で何度も食していますし、北海道へ行くたびに購入しています。
国道5号と道道66号の交差点に二セコビュープラザという道の駅があって、そこにニセコヌプリホルスタインズミルク工房の売店があります。
後で水が欲しくなるアイスクリームが多いのですが、ニセコヌプリのアイスクリームは後味がすっきりしています。乳化剤を用いないのでミルクシャーベットのような味わいです。
北海道には有名なアイスクリームがいくらでもあるのですが、私はニセコヌプリのファンです。
その売店でデンスケスイカを教わったものですから、ニセコの特産だと勝手に思いこんでいたのですが、当麻町が商標登録していました。
どこの特産であろうと旨いものは旨い、デンスケスイカをご存じない方はぜひご参加下さい。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月19日 09:36 | 固定ページリンク




一考 | 販売店

 内山勝司さんへ
 お久しぶりです。置いてあるところにはあって、置いてないところにはない、としか言いようがないのですが、コノ・スル・オーガニックとラ・ミシオン・シャルドネは共に安売りチェーン店のBIGでも取り扱っています。先ほど電話で確認しましたが、ミシオンは数量が少ないので、常備というわけにはいかないとのことでした。
 単価の安い酒は当然儲けも少ないので、高級酒店や専門店は置くのを避けるようです。インポーターから直接購入するのが間違いないようです。
 ウィスキーは百本買って一本、ワインは六十本買って一本ぐらいしか美味しいものに当たりません。業務店でもっとも困るのはその確率の低さです。神戸では日本酒と焼酎それと洋酒の二店は先代からのお付き合いで信頼できる店と親しくさせていただきました。しかし、東京では目白の田中屋さんを除いて、いまだに信頼できる店とは巡り会っていないのです。

 今朝の書き込みは寝惚けていたので、間違っていました。ニセコビュープラザのアイスクリームも美味しいのですが、私が驚かされたのはソフトクリームです。北海道で何十種類ものソフトクリームを食べましたが、一番はニセコビュープラザのそれでした。アイスクリームは送付可能ですが、ソフトクリームは現地でしか食べられません。ニセコ方面へ行かれた方はぜひお立ち寄り下さい。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月19日 18:56 | 固定ページリンク




内山勝司 | 一考さんへ

おはようございます、内山です。
色々とご丁寧に、ご教示ありがとうございます。今後の参考にさせて頂きます。

なお、書き込みの中にある「……ウィスキーは百本買って一本、ワインは六十本
買って一本ぐらいしか美味しいものに当たりません」。
その確率の低さ(=その分、試す勇気や根気)に驚くとともに、改めて、お酒の
奥の深さを感じております。



投稿者: 内山勝司    日時: 2006年08月21日 06:36 | 固定ページリンク




一考 | 白ワインいろいろ

 ローマを州都とするラツィオ州のDOCワインではエスト・エスト・エストとフラスカーティが有名である。そのエスト・エスト・エストを飲むならイタロ・マツィオッティ社のディ・モンテフィアスコーネが秀逸である。私が飲んだものは十六種類だが、わが国に入荷されたものは二十種類を超えると聞く。要するに全部を飲んだわけではないので大きなことは言えないが。
 エスト・エスト・エストは酸味を大きな特徴とする。しかし、いくら酸味が売りのワインと言えども、酸っぱいだけで、香りに奥行きがなければ興醒めである。酸味は塩味(鹹味)、甘味、苦味と共に四原味を構成する基本的な味のひとつである。その四原味を支え補助するのが香味、辛味、渋味、えぐ味、うま味、収斂味、清涼味、滑転味、アルカリ味、金属味などだが、この内の香味だけは嗅覚の領域に属する。ワインの香りの種類と表現法についてはかつて掲示板で書いたので、ここでは繰り返さない。
 アルコール飲料にあって、「うまい」「まずい」の判断の九割が香りで決まる。残る一割の九分を四原味が占め、よく言われる辛味や渋味は一分に過ぎないと私は思っている。その比率はウィスキーもワインも同じである。
 従って、飲むまでもなく匂いを嗅ぐだけで九割方は判断できると思う。判断の対象はボディやキャラクターにとどまらず、フィニッシュにまで及ぶ。ウィスキーの場合は熟成樽の種類からカスク・コンディションまで、大略を予測することが可能である。
 エスト・エスト・エストはムスカデやシャブリ同様、「安くてマズイ」とのイメージが強い。それら比較的安価で飲めるワインこそ、多少の金数を無理していただきたいと思う。こんなことを書くのも、イタロ・マツィオッティ以外のエスト・エスト・エストを飲んでワインへのイメージを落とすぐらいなら私は水を飲んで我慢するのである。
 シャブリもここでは繰り返さない。ムスカデに関してはルイ・メテロのムスカデ・セーヴル・エ・メーヌ・シュル・リーがお薦めである。ルイ・メテロのムスカデには1995年8月29日収穫の葡萄から造った長期熟成のプルミエ・ジュールがあり、そちらは三千円を超えるが、前者なら二千円で購入できる。イタロ・マツィオッティのエスト・エスト・エストなら千八百円ぐらいで手に入るはずである。二千円のワインをホテルやレストランで飲むとなると八千円を超す値段になる。プルミエ・ジュールを私は神戸のホテルで飲んだが、一万五千円に税サが加えられた。ただし、95年のイタロ・マツィオッティのエスト・エスト・エストなら一万円の出費も惜しくはない、それほどに美味なワインである。
 赤ワインに限らず、白ワインや日本酒にも熟成が必要なことは何度も書いてきた。前期プルミエ・ジュールほどではないにせよ、樽熟が十分になされたワインにスペインの北西、大西洋に面したリアス・バイシャスのサンティアゴ・ルイスがある。98年以降は熟成期間が短くなったと聞くが、リースリングに似たアルバリーニョ種から産出されるだけあって、柑橘系の厚い酸味と凝縮した果実味のバランスが心地よい。年初に03年ものを飲んだが、味の基本はしっかり守られていた。ちなみに、同ワインの96年ものは、添加剤の入らないボトルが間違えて輸入されている。神戸の酒屋でそれとヴィッキオマッジオのリパ・デッレ・モンドーレ(こちらは赤ワイン)をですぺら赤坂のオープニング用に十ケースずつ購入、雀躍りしたものである。
 上述したワインの一部は以下のサイトでも紹介されている。信頼できる書き込みである。
 http://www.atelier-v.jp/column.html



投稿者: 一考    日時: 2006年08月21日 10:33 | 固定ページリンク




一考 | オブセッション

 朝鮮支配と台湾の植民地化を目的とした1894年の日清戦争、翌1895年の閔妃殺害、韓国に乙巳保護条約を、中国に対華二十一箇条要求をつきつけた1904年の日露戦争、1919年の三・一独立運動の圧殺、1931年の柳条湖事件にはじまる満州侵略、1935年からの華北侵略、1937年の日中全面戦争、それら侵略戦争の結果としての真珠湾攻撃が1941年、日本の敗戦までの70年間にわたる軍事侵略や武断統治を引っくるめて自存自衛の闘いであったというならば笑止としか応えようがない。
 東アジアから東南アジア、太平洋地域一帯に対して行われた日本の軍事行動は米軍によって順次打破されていったが、私たちはアメリカ一国と闘ったのではない。いみじくも、日本の指導者層はさきの戦争を大東亜戦争と呼称した。文字通り、1874年の征韓外交から70年つづいた朝鮮侵犯と1931年の満州事変にはじまる日中十五年戦争の延長線上に太平洋戦争がある。総じて大東亜戦争と呼称してなんら問題は生じない。
 アジア諸民族の独立を促したとの異論もあるが、帝国主義の植民地体制を打破する重要な契機となったのは占領地域の民衆が抗日のための民族的な統一戦線を結成、武装抵抗を行ったところにあるのであって、日本は「帝国主義的植民地体制」の元締だったのである。
 ちょいと書き連ねてみたが、歴史というのは不思議なもので、項目の選択によっていかようにでも改竄できる。そこが文学と異なるところで、歴史にあっては選択が立場の闡明たりうるのである。だからこそ、中国には中国の、韓国には韓国の、日本には日本の歴史があるのであって、ある側面から眺めるにすべての歴史は正しいとも言える。言い換えれば、歴史とは作為的なものであって、無作為な歴史などというものは存在しない。いっそ歴史には真実がないと言った方が正鵠に当たるのかもしれない。

 天孫民族による世界統治こそ神聖至上なりとする八紘一宇の思想はあったものの、ドイツのナチ党やイタリアのファシスタ党に相応するファシズムは日本にはなかった。にもかかわらず、当時の指導者層は戦争を避けられなかった。国民の選民意識をマスコミが煽り、そのマスコミを国民がさらに煽る、そうした民意に突き上げられるかたちで富国強兵が加速され、戦争へ深入りして行ったのではなかったか、私はそのように解釈している。
 民衆が愚かであるかどうかとの設問の度に繰り返される事例がある。1905年のポーツマス講和条約の内容に国民(東京市民)が激怒し、小村寿太郎は飛礫をもって迎えられた。一方、1933年に国際連盟を退席した松岡洋右は「国民の溜飲を下げさせた」初めての外交官として、凱旋将軍のような歓迎を受けた。
 1899年末には発行部数が東京の新聞中第1位に達していた萬朝報は日露戦争開戦の折、非戦論を唱えていたものの、世間の流れが開戦に傾くにつれ、大きく発行部数を落とす。やがて、黒岩涙香が主戦論に転じるに及んで非戦を固持した幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三が退社。これを機に社業は傾き凋落の一途を辿ることになる。いかに大新聞といえども、開戦を唱和する民衆の前では形無しになる。(つづく)



投稿者: 一考    日時: 2006年08月31日 10:32 | 固定ページリンク




一考 | オブセッション2

 食うや食わずの状況を一歩でも抜け出るとひとは慢心する。そこにいささかの閉塞感が香辛料として加味されると、ひとは他愛なくナショナリズムに陥る。ナショナリズムは鼻閉塞、要ははなづまりがもたらす高鼾のようなものだと思っている。傍迷惑だが、本人は意外と気付いていないのである。「親兄弟が闘っているのに勝てと願うのは自然な思いであった」と大佛次郎が発言しているが、かように無批判な情動こそがナショナリズムを生む元肥となる。
 エモーションが元肥なら、集団生活の最小単位である家族が苗床となる。掲示板で常に書き継いできたことだが、わが子に限って、わが親に限って、わが家族に限ってとの一随な意識が、おらが村、おらが地域、おらが民族、おらが国、おらが宗教へと拡大深化して行くのは易い。そして家族愛は視線の移動を著しく難しくする。「視線の移動」を想像力に、気配りに、価値観や歴史観の相互嵌入に置き換えていただきたい。念のために申し添えるが、家族愛をやみくもに否定しているのではない、家族愛を掘り下げてゆくとそこにはとんでもない危険性、すなわち家族主義が横たわっている、それを示唆したいまでである。
 情動を拒み続けた作家に荷風がいる。断腸亭日乗にみられる冷酷なまでの目線は戦争批判にのみ向けられたものではない、家族はおろか愛人や恋愛までを荷風は否定してやまない。戦争批判と民衆批判が取りも直さず、家族主義の否定に一直線に繋がることを荷風は深く諒解していた。言い換えれば、会話、共感の共有、互いの生命の確認等を荷風は「冷笑」したのである。(つづく)



投稿者: 一考    日時: 2006年08月31日 19:20 | 固定ページリンク




一考 | オブセッション3

 会話や共感の共有の好例は中世の一味神水に求められる。行動を同じくするひとたちは、お互いのこころの結びつきを確認し合わなければならない。同じ釜の飯を喰うとか、婚礼の三三九度、または献杯や返杯などの喫飯から掛け声や手締めのようなセレモニーに至るまで、集団としての紐帯を強める儀式の材料には事欠かない。しかし、そこには部外者を「劣った者」と見る差別観や強者の奢りがちらついている。儀式の裏面には常にパターナリズムが巣くっているのである。
 明治憲法下にあって国家のありようを説く国民道徳論が政府の奨励のもとに広い支持を受けた。そして「家族国家」とか「国民は天皇の赤子である」とかいう表現に則って家族主義的国家観が打ち立てられた。その総仕上げが1940年の「部落会町内会等整備要綱」によって結成が義務づけられた隣組であった。情報の伝達、防空防火、資源回収、国民貯蓄、体位向上厚生にとどまらず、食糧その他生活必需品の配給を隣組が担ったとき、パターナリズムを「おためごかし」とか「大きなお世話」として誰ひとり拒否できなくなった。拒否できなくなったと言えば聞こえはいいが、率先して隣組へ常会へと参入し、小旗を打ち振ったのが実態である。自分で決めずに常会に委ねる彼方任せも、パターナリズム容認として俎上にのぼるのは必至である。
 かつての「女大学」の「独身であれば父に従い、結婚すれば夫に従い、夫が亡くなれば息子に従え」から「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱を受けず」の布達に至るまで、父権的あるいは国権的権威が大手を振って罷り通り、民衆から熱狂的に支持された。日本民族のマゾヒストぶりには救いがたいものを感じる。
 先の項で、「70年間にわたる武断統治」と書いたが、朝鮮の加羅にあった任那日本府の時代からパターナリスティックな関係は続けられていたのである。この上下関係は植民地や委任統治といった政治の表層にとどまらない。日本人のこころに深く穿たれた集団意識それ自体がパターナリズム一色に染め抜かれているのである。

 戦時中に限らない、個人の意志決定を尊重するような世態がわが国に一度でも芽生えたときがあったのだろうか。鎖国時の江戸三百年と富国強兵の百年を合わせた四百年の長きにわたって、民衆はオマカセ主義に慣れ親しんできた。その結果、日本人は考えるのが不得意な国民になってしまった。
 先項の冒頭で「選択が立場の闡明たりうる」と著したが、軍人さんとして韓国へ行くか満州へ行くか南の島嶼へ行くか自由に選択しろと言われても私は困惑する。まるで昆虫の世界でいう寄主選択のようなものなのだが、民衆が思い悩むのはいつの世にあっても宿主の選択に限られている。宿主を峻拒し、寄主を拒むところから自由がはじまるのだが、その自由には出口がない。冥く湿った井戸の底に、妻子と共に投げ棄てられた大杉栄を私たちは知っている。(つづく)



投稿者: 一考    日時: 2006年08月31日 21:09 | 固定ページリンク




一考 | オブセッション4

 友が主宰するブログで「民衆が愚かであるかどうか」との遣り取りがあった。私自身、その民衆のひとりとして坐視しえない問題である。ただ、いくら書き綴っても日本という国もしくは日本人という民族に対するオブセッションが強くて深く立ち入ることができない。まるでコブレンツを拠点としたエミグレのような心境である。

 1874年以降の「征韓外交」にはじまって1945年の敗戦まで、日本人はナショナリズムの坩堝に嵌まっていた。そしていま、中国と韓国はそのナショナリズムを初体験しつつある。一方、中国はプラザ合意で生じた日本経済の混乱の前轍を踏むまいと実に慎重な為替管理を行っている。されば、日本が中国に表明すべきなのは、かつてのナショナリズムの管理ミスとそのリスクの高さである。互いがナショナリズムを競い合っては元も子もなくなる。
 英国との関わりを断たなければ、太平洋戦争を回避できたのではなかったか、と私は思っている。振り返るに、現況は米国の核の傘にいればこその繁栄である。わが国が自前の軍隊を持ち、核武装すれば米国との関わりはやがて途絶える。
 朝鮮戦争から数次にわたる中東戦争まで、日本はひとの不幸に付け入って贅沢な暮しを享受してきた。それらは米国から教わり学び取ってきた技法である。昨今、殷賑な「反米右翼」も結構だが、貪ってきた安逸を捨てる覚悟があるのだろうか。ハメルーンの笛吹よろしく、破滅に向かうのであれば、私は躊躇なく賛同する。しかし、それが自滅への戦略でないとするならば、憲法改正にも遊就館のプロパガンダにも苦言を呈したい。
 憲法についても靖国に対しても私なりの意見の用意はある。ただ、それらは掲示板には馴染まない。こう見えても書き込みのアウトラインは管理人と呼吸を合わせるように心掛けている。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月31日 21:53 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | 政治について


お久しぶりの管理人であります。
神楽坂大学政治学科を卒業したわたくしが、自ら管理する掲示板で政治について真摯に議論できないというのは忸怩たるところです。でも昨今のインターネットは荒れてますからねえ。ご容赦願います。
そこらへんの議論は、お店にてということでお願いします。でも、変なお客さんと相対するのは嫌かも。



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2006年08月31日 22:23 | 固定ページリンク




一考 | ご参加乞う

櫻井さんへ
お説のとおり、「荒れ荒れ」でございます。
政治について書くのは疲れます。
「サルマタ」のように与太っているのが似合いです。
ふざけているときは文章がイキイキしていますでしょう。
ところで、九月三日はお願いしますよ。
塵芥賞は当掲示板主宰の賞なのですから。



投稿者: 一考    日時: 2006年08月31日 22:38 | 固定ページリンク




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