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2006年07月 アーカイブ

一考 | 高橋康夫さんのこと

 高橋貞雄さんへ

 はじめまして。
 高橋さんとは1973年からのお付き合いですが、彼が『吉行淳之介自選作品』と沼正三の『ある夢想家の手帖から』を上梓なさった頃から、特に親しくさせていただきました。それらの著書は色違いの鉛筆による署名本を各五十部、計五百五十部頒けていただきました。そのお礼を兼ねて上京、新宿の池林房で店主の太田篤哉さんと共に酒を酌み交わしたのが、直接お会いしたはじまりでした。たしか、1975年の末だったかと記憶します。
 同じ75年に上梓された『多留保集第五巻 キネマの月巷に昇る春なれば』所収の多田智満子さんのエッセイ「異類の人」は足穂について著された、もっとも美しい文章のひとつだと思っているのですが、それについての語らいが池林房で続けられました。晤語のなかで、高橋さんが神戸の歴史や街並みに詳しいのに驚かされました。『多留保集』にとどまらず、後年『タルホ神戸年代記』などを編まれる彼ならではの気配りの行き届いた知識の一端を垣間見る思いでした。
 一方、高橋さんは「タルホ大好き」を自明の前提とする無批判なエッセイの跳梁を悲しんでおられました。当掲示板でユリイカの足穂特集号について書いてまいりましたが、そのユリイカ誌上、宇野邦一、津原泰水というすぐれた書き手にご登場いただきました。そして、単なるオマージュの時代は終わった、これからは「足穂という作家の弱点の容赦ない指摘が、そのまま足穂という作家のかけがえない価値の発見」に繋がる、とのエッセイをお書きいただきました。宇野さんと津原さんには若干の年齢差があるのですが、世代を超えてふたつのエッセイはシンクロしているのです。高橋さんがきっと小躍りして欣ばれるであろう特集になったのではと思っています。

 1985年に東京中野新橋へ転居してからは屡々酒を酌み交わすようになりました。「いちこうさんも書かなきゃ駄目だよ」と、第三文明や河出書房の編集者を紹介してくださいました。鏡花や足穂についての文章も、彼に背を突かれなければ書かなかったと思うのです。しかし、話題は文学と宗教に限られ、プライベートなお話をした記憶がございません。従って、ご家族についてはなにも存じ上げないのです。これを機に、私が存じ上げない高橋康夫さんの側面をご教示いただければ幸いに存じます。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月04日 23:44 | 固定ページリンク




如月 | 四谷シモンが『東京タワー』に出演

一考さん、みなさん、こんにちは。

四谷シモン、7月29日午後9時からフジテレビ系で放送予定の『東京タワー』↓に
医師役でワンシーン出演する予定です。この作品は、リリー・フランキーさんの
ベストセラー小説のドラマ化で、ほんらい、先日なくなられた久世光彦さんがご
自身演出する予定で計画をすすめていたのですが、久世さんが急逝されたため、
久世さんの遺志をいかすかたちで企画されたものです。
お見逃しなく。

http://wwwz.fujitv.co.jp/tokyotower/index.html



投稿者: 如月    日時: 2006年07月05日 14:24 | 固定ページリンク




如月 | 四谷シモンが多摩美大でトーク


連続投稿、失礼します。

さて、7月22日(土)午後1時から、四谷シモンが人形について語ります。
このトークは、多摩美術大学が大学内外に向けてひろくアート情報を発信するオ
ープン・キャンパスの一環として企画されたもの。一般の人も無料でトークを聴
くことができます。多摩美術大学(八王子市)への交通アクセス方などオープン
・キャンパスに関するくわしい情報は多摩美術大学サイト内の↓ページをご参照
下さい。

http://www.tamabi.ac.jp/geigaku/



投稿者: 如月    日時: 2006年07月07日 11:21 | 固定ページリンク




ですぺらのホープ | 読んでしまいました

 このところ、以前からのフードは「肴あったりなかったり」へまとめ、黒板は居酒屋メニューに書き換えた。赤海老、つぶ貝、下足酢味噌、ハラス、鰻蒲、鰤照、鰈フライ、烏賊飯の類いだが、週二回はご新規さんが加わっている。ちなみに、今日は道産の鯣烏賊と千葉のめじ鮪の刺身が入荷した。それを知ってかしらいでか、金沢の虚無さんこと河崎徹さんからヤマメの佃煮が送られてきた。このての佃煮は砂糖や味醂の使いすぎで甘いものが多い。しかし、送られてきたものは甘味が抑えられ、ヤマメの苦みが生かされている。要するに滅法美味いのである。去年、勝井さんから送られてきた泥鰌の蒲焼もそうだったが、燗酒が無性に呑みたくなる、そんな趣が秘められている。管理人のひろさんが早速製造元の住所を控えていった。どうやら注文するようである。

 河崎さんは当掲示板で三度ご登場いただいている。川魚料理「かわべ」のご亭主で、龜鳴屋主人勝井隆則さんの友である。「虚無さん」などと書いたのは他でもない。「イワナ売ります」と題された彼のサイトには落日を迎えた不良中年の咳きが満載である。人生への適応障害(河崎さんによると同障害は高貴な人しかかからないらしい)にある時はもたつき、またある時は虚勢を張って謳歌してみるといった塩梅で、投げ遣りな気配がサブリミナルのように鏤められている。
 第一回の「読みたい奴は読め。わしゃ知らん」から第二十五回のタバコの話に至るまで、あかんたれ(関東のひとには分からない)と偉そうなこととが交錯する。悲しさとふてぶてしさが実を避け、虚をついての懸引きである。彼の律儀なまでの開き直りに接していると、虚無主義とは健気の謂いではなかったかと思われてくる。そうした彼の自意識のありように深く賛意を表したくなるのである。
 文中、「『純文学の純とは何ぞや』、またいつもの悪いクセが出てきた。『純』があるのなら『不純』もあるのだろうか」とある。その伝でいけば「自意識」があるのなら「無意識」もあるのだろう、である。自意識が強ければこその適応障害であって、無意識なひとは終生適応障害とは縁がないのである。河崎さんの目線には屈折した価値観があり、彼の自意識こそが文学なのだと、私は信じている。

 おもしろきかな 昨日 消したる初雪の朝
 春なれど、なぜ咲き急ぐ 桜まで
 老木なれど、まだやり直す気か、芽吹きの頃
 何もかも 息を殺して 秋の暮れ
 秋風に 負けじと鳴くか セミ一羽
 蝶なれど 休むしぐさや 秋の風
 セミしぐれ 咎めてみたし 過疎の村
 釣れてよし 釣れずともよし 春の海
 落つるとも 今美しきかな やぶ椿

 上記は河崎さんの句である。「おもしろき」とか「美しき」は不用意な言葉だと思う。不用意とは習作の意である。けだし、彼の個がピンを刺すように正確に射留められている。彼の句を読むのは私の愉しみのひとつである。



投稿者: ですぺらのホープ    日時: 2006年07月08日 22:59 | 固定ページリンク




りき | 平井功訳詩集発刊記念オフ会日程変更の件

14日に予定していた平井功訳詩集発刊記念オフ会ですが、
印刷の遅れにより、14日ではなく、21日におこないたいと思います。

実施方法には変更はございません。

また、22日には薫子さんのお誕生日です。
薫子さんのお誕生日おめでとうをいう会も兼ねることになると思います。

たくさんの方のご来場をおまちしております。



投稿者: りき    日時: 2006年07月10日 23:27 | 固定ページリンク




おき | 世界離散、ですぺら。

昨夜、despera.comドメインが全世界的に放置されている事をライブで確認。
斯くの如くやけっぱちな識別子を自ら掲げる諸団体は、人口65億人超の世界でも希有な由。
小生の眼前にて、一考店主が早速にも獲得保持しましたので、皆様にご報告します。

.jpでも.netでもない.comドメインへの固執は、
みずからのディアスポラを愉しむコスモポリタンの店主故の拘りではないか?察します。
または世界遺産ならぬ、世界離散の場として発展を狙う野心ではないか?と察します。
なお先日、櫻井さま、比呂さまからドメイン取得に対し疑問符を頂いた、とのことですが、
「1年990円」、つまり1ヶ月当「8うまい棒(80円)」程の格安レジストラを発見してしまった、
店主のささやかな道楽と思われますので、理に目を瞑り、情を汲み、ご寛容下さいまし。

皆様ご存じの通り[.com]とは、諸処の営利団体に与えられる属性でございます。
これを機に、文字通り、「利を営むdespera」となりますよう、
常連、通りすがり、興味本位の皆様の穏やかなでやけっぱちなご愛顧と、
そして夜毎の店主・客共々、辣言・放言・暴言の夢の競演へのご寛容を、
僭越ながら、この機に乗じてお願い申し上げます。

なお「ですぺらのホープ」書き込みは内容・文体ともに明らかに店主と特定しうるもの。
その謂われは、ご本人とご関係者以外は知る由もなく、ぜひ店にてご本人よりお確かめ下さい。

※現時点では、サイト・掲示板・メールとも従来のものと変更ありませぬのでお間違えなきよう。



投稿者: おき    日時: 2006年07月11日 11:38 | 固定ページリンク




一考 | 離散について

 十代に多くの友を喪った。不良と文学青年がシノニムで、とんでもない捨て鉢な日々を送っていた。しこたま酒をかっくらい、ヤクザに因縁をつけては派手な殴り合いを演じていた。自殺に失敗し、頼むから殺してくれというような身勝手な因縁であった。みんな蒼ざめた末期の眼で友を見据えていた。当然、仲間内での諍いも絶えなかった。友が友としての用をなさない、そんな救いのない状況下で自殺率ばかりが高まっていった。個々の死について、今なお書く気持ちにはならない。
 七九年一月十四日の友の死を境に、私の自殺の消滅時効が成立した。寂静と煩悩といった二項対立が過ぎ去り、有為転変、念念生滅が愉しみとなったかのようである。

 「盃が流れることがある。盃の下がわずかに濡れていて机の表面とのあいだに薄い層ができ、不意についと流れる。
 ひとりでお酒を飲んでいるとき、私は傍らに本を置いていて、それを読みながら、ということがある。本のほうに気を取られていて、盃へ延ばす手がおろそかになっているころ、盃がついと流れる。ほっておく気か、とすねているようだ。私はあわてて、徳利から酒を注ぎ、盃を口に運ぶ」

 誰の文章かは書かない、書きたくないのである。ただ、おきさんの書き込みを読んで、七九年一月の祇園の焼鳥屋を想い起こした。盃と机とのわずかな別れ、盃の毫かな流れにふたりしてなにを思い、なにを感じたのか。あれは友と見た世界離散の場だったのかもしれない。もとより、過去は懐旧の対象ではない、過去は自身の立ち位置を明らかにするための道標でしかない。「明らかにする」ところが要点であって、立ち位置や道標はなんでもよくどうでもよい。そして過去が「やけっぱちな識別子」であったとするなら、おそらく、私は納得する。「七十人訳聖書」を生んだディアスポラの呼称を頂戴したことに感謝しつつ。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月12日 00:44 | 固定ページリンク




ジョニー | 平井功訳詩集の件で。


平井功訳詩集を入手したいのですが、どうしたらよいのでしょうか。発刊記念オフ会には出席できないのですが…



投稿者: ジョニー    日時: 2006年07月13日 19:49 | 固定ページリンク




puhipuhi | >ジョニーさん

お問い合わせありがとうございます。
オフ会以外の販売体制については今検討中です。もうすぐ告知できると思います



投稿者: puhipuhi    日時: 2006年07月14日 00:19 | 固定ページリンク




steward | 薫子さんのお誕生日2006


 mixiですぺらコミュのトピックの、ほぼそのままの転載
ですが、どちらさまもお赦しください。

 7月22日はK子さんのお誕生日です。昨年同様「ですぺら」
を訪れてK子さんにお祝いの言葉をお伝えになりませんか。

 7月22日は第4土曜日で、モルト会が開かれる予定があり
ますので、どちらかといえば20日、21日のほうがK子さんと
ゆっくりお話が出来ると思います。

 みなさま、ぜひ今週のご予定にですぺら訪問をお入れ
くださいませ。



投稿者: steward    日時: 2006年07月18日 22:52 | 固定ページリンク




一考 | despera.com

 ひろさんへ
 despera.comのDMSを取得、メールアドレスも使えるようになりました。無料のサーバー(50MB)を見つけてきたのですが、手続きが煩雑かつ英文(専門用語の羅列)で困っていました。例によって、おきさんを煩わせました。あとはホームページをリンクさせなければなりません。
 迷惑メールが日々百通を超え、OS Xならいかようにも対応できるのですが、OS 9だとルールをいくら複雑にしても九割ほどしか削除できません。そこへ [meiwaku] の援助があったものですから、一挙にパーフェクトに削除できるようになりました。こちらは感謝です。
 ただ、そのためにインポーターと海外の蒸留所のメール・アドレスを登録しなければならず、またオークションでのフリーメールやヤフーからのメールそのものが迷惑メールに分類されるのを防ぐためのルール作りが面倒でした。

 かっきーさん家の通信ですが、DTI会員向けのWebツール(DTI Tools)を用いる以外、手立てはなかろうと、これもおきさんの意見です。要するに、Webサイト上のメール送受信を使うのです。電話回線のノイズが大きすぎて、HUBを介在させたところでPPPの不安定は改善しないと思われます。
 送信が可能になれば受信がかなわず、受信が可能になれば送信できません。それだけならまだしも、システムが不安定になってフリーズの繰り返しです。今回ばかりは手を上げました。その家の電話回線でADSLが使えるのかどうかを計るテスターが必要だと思いました。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月19日 06:43 | 固定ページリンク




おき | DOPPLE GANGER

前回ディアスポラとデスペラート、D-S-P-R の韻の類似性に語源一致の可能性を見たのですが、
現在までの調査ではどうやら異なる根を持つようです。
どなたか詳しい事を教えていただければ幸いです。

さて、昨夜、各種設定を終え(一孝さん! DNSっす...)、despera.comの運用を開始しました。
蕩々とした電脳網界の仕組の蘊蓄など、文化に無縁の無粋の極みなので省略致しますが、
端的に言えば、従来のメールサーバーやサイトを物理的に利用。現在の存在を活かしながら
表面的な部分、すなわち見える文字列のみdespera.comの表示にすげ替えるのです。

斯くして[despera.com]とは、赤坂の薄暗い空間を一意的に示す世界唯一の記号でありながら、
その位置づけ自体、オリジナルの存在に対する、幻、いわば[ドッペルゲンガー]としての表象。
まやかしの仮想的URLとして活きるこの存在感は、虚実入り乱れる観念遊技場にふさわしい。

もちろんこれは同時にオリジナルとは何か?という議論を惹起させるものの、ここに検討する暇はありますまい。
ただし、それでも突き詰めれば、オリジナル、とは、一考語録から拾うなら”「身体感覚」の有無”ではないかと。
所詮、インターネット網に存在する01ビットの情報列はどちらにしても幻。
罵詈雑言飛び交う赤坂一隅の迷宮、様々な褐色の薬液を棚に並べ、夜毎に調合する錬金術ラボ、
..いや...お化け屋敷にあってこそ、デスペラートな世界市民となることができるのではないでしょうか。

各種サイト設定は以下のとおりとなります。
[メールアドレス] 
 ikko@despera.com  (従来:despera@tc5.so-net.ne.jp) 
 ※転送失敗の可能性もありますので、当面、従来のメアドにもCCして下さい。
 ※かおるこさんや、お店名のメールは設定検討中です。やはり、親父優先かい!

[ホームページ]:アドレスの直接入力で勝手に転送されます!従来のサイトURLやリンクも活きています。
 「www.despera.com」    →ですぺらトップ(従来の:ttp://www004.upp.so-net.ne.jp/despera)
 「bbs.despera.com」    →ですぺら掲示板(従来の:http://ushigome.bird.to/bbs/despera.html)
 「maltbbs.despera.com」 →ですぺらモルト掲示板(従来の:http://mav.nifty.com/ahp/mav.cgi?place=despera&no=21580)
 「maltinfo.despera.com」 →ですぺらモルト解説(従来の:http://www004.upp.so-net.ne.jp/despera/zyouryumolt/moltkaisetu.html)

あと5つぐらい設定できますので、直リンクしたいページの候補を上げてくださってもかまいません。



投稿者: おき    日時: 2006年07月19日 12:03 | 固定ページリンク




おき | 誤植訂正

下記記事、誤植訂正です。
 ×一孝 → ○一考。
ワタシの調教不足のATOKを笑ってやって下さい。
ちなみにタイプミスで[despra.com]とするとカスタムバイクのページに行きます。因果応報?!



投稿者: おき    日時: 2006年07月19日 12:27 | 固定ページリンク




一考 | 「平井功訳詩集」について

月の光に
     J・V・L

あけ方のひかりのやうに
あかるい光(かげ)がこころにしみる
冴えながら淡くけぶつて
唯あをく 唯あをく
光はしづかにこころにつもる
稍につめたく 稍に重く
──気付かぬほどに
しづかに 微かに……

夜は更けて
光は冴えて
猶あをく 猶あかるく
月の光に映(うつ)しだされて
くろぐろとこころの奥にわだかまる
わが身の姿(かげ)は更に黒く

窓を越えて
斜にゆるく流れる光は
猶あおく 猶冴えて
冴えゆくままに
消(け)ぬがに おぼろに昔の夢が
遠い日がふとも浮んで
私を其処に誘ひもするが

月の光のあかるさに
こころは暗い こころは重い
やくざなこころを哀(かなし)んで
さびしく つめたく泪が滲む
嗤ふ力も尽きはてた今
月の光よ 月の光よ
むごく 情(つれ)なく つめたく冴えて

夜は更けて
光は冴えて
夢かとも 霧かとも
すき透つてあをい小さな姿(かげ)は
いつしかに いつしかに数をまして
月の光に
影もなく 響も立てず
遠い日の塵をかすかに舞はせて
昔にばかりあつた森の
今は忘れられた古い踊を
しづかに しづかに舞ひつづける
──遠い日よ 昔の夢よ
思ひ出になほ存(ながら)へて
さしのべる手を嗤笑つて
雅(みや)びに あでに 昔の儘に

つめたく冴えて
さびしく澄んで
しづかに流れて ふと澱んで
部屋の片隅に こころの上に
いつしかに積つてゆく月の光は
私のこころをあざけるやうに

知つてゐる! 月の光よ!
つめたく冴えて
さびしく澄んで
そのやうにはつきりと見せて呉れずとも
昔の夢を前にして
こころは重い こころは暗い
僅かばかりの煩(わづらは)しさにも
猶堪へかねるやくざなこころは

あかりを消した部屋にあをく
唯澄んで 唯冴えて
流れ入る月の光に
音もない影の踊を見つめながら
昔の夢を浮べながら
こころは暗い こころは重い
やくざなこころに滲(にじ)む泪に
つとめて気付かぬ素振(そぶり)はしても

月の光に──


 最上純之介こと平井功の「月の光に」と題する詩です。平井功の名が今に識られている理由のひとつは彼が書誌学をよくしたからです。従って、書誌学を齧ったひとで彼の名を知らないものはいないと思われます。「月の光に」も竹清三村清三郎がかかわった雑誌に掲げられた稿であり、諦念と憂鬱との陰翳が愛情のやわらかい光と相映じて、独自のスタイルをくっきりと示している。
 小出さんは昭和五十三年の「ももんが」に「平井功の蔵書のことなど」を掲載している。豊未亡人の手元に遺された唯一の蔵書グロリエ倶楽部刊本「フィロビブロン」の由来の詳述にはじまり、単行本未収録の訳詩を紹介なさっている。久しぶりに読んだのだが、ポオの詩論の他、さばと南柯叢書の一冊として刊行せられる予定であったスティブンスンの「其の夜の宿」の校正刷りや「驕子綺唱」の原稿等々、平井イサクさんの手元にあった貴重な資料が今ではどうなったのか気懸かりである。
 石川道雄が「書物展望」第十二巻第十号に掲げた「『爐邊子残稾』に繋がりて憶ふ」も平井功に興味があるひとには欠かせない秀逸な文章である。それにしても、ですぺらの若いひとたちが協力して「平井功訳詩集」を拵えるなど、夢にも思わなかった。泪(なんだ)したくなるような快挙である。南柯書局設立の理由はこれまで誰にも語らずにきたのだが、金曜日には喋らせていただこうかと思っている。
 話序でに、「驕子綺唱」についてひとこと。同書は最初、第一書房から発售の予定であった。日夏耿之介監修「さばと頽唐詩叢」がそれで、第一巻が「驕子綺唱」、第二巻が城左門の「槿花戯書(はちすざれがき)」である。
 近刊予告には、

 詩集「驕子綺唱」堀口大学氏序 J・V・L著
 早く詩集「孟夏飛霜」を著して雄麗瑰き(王篇に奇)の荘麗体に少年の日の空想を誇りし作者は、此一巻に臻つてその高普なる詩魂の驕傲にした孤独、狷介にして不覇なるを歎けり。詩境は一展開して昔日の華麗絢爛は見るに由なけれど、しかも詩風の益々明澄にして典雅、詰法の流麗にして清新なるを覚ゆ。天賦の詩才は輝きいでて漸く未踏独自の境地を拓かんとす。

と著されている。ところが製本で第一書房と衝突、我刊我書房発兌、南宋書院発売と変更される。ご存じ、さばと南柯叢書の出版社である。この段階で原稿がまとまり、序詞日夏耿之介、跋龍胆寺旻となった。南宋書院版の近刊予告は金曜日にお見せします。ウオトカを飲みながら豊未亡人、平井イサクご夫婦のお話を伺ったのは一九七三年、翌年に平井功について短い文章を書いたが、「孟夏飛霜」を読んでから既に十一年の年月が経っていた。
 「平井功訳詩集」につづいて「驕子綺唱」を活字にしていただきたい。いかなる協力をも惜しまない、切なる願いである。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月19日 23:25 | 固定ページリンク




一考 | ちょいと待ってください

 おきさんへ
 牛込櫻会館へのリンクは外してください。ホームページとメールの方はありがたいのですが、ですぺら掲示板は櫻井さんとなにも話し合っていないのです。こちらは櫻井さんの意見がなによりも優先されます。また、それを承知での掲示板です。恐縮ですが、どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月19日 23:34 | 固定ページリンク




おき | 解除しました

これは拙速失礼しました。
取り急ぎ牛込掲示板へのリンクを解除しました。



投稿者: おき    日時: 2006年07月20日 00:03 | 固定ページリンク




一考 | 改名

 おきさんへ
 一考が一孝になるのは誤植ではありません。小生の車の免許証には渡邉一孝、本籍地は新潟県上越市北城町となっています。
 昔の謄本は墨による手書きだったのですが、それをデータ化するときのミスでしんにょうの点がひとつになっていました。免許証を取得した平成元年に府中の免許センターで注意されて気付いたのです。同年明石へ引っ越して市役所で相談、勧められるがままに改名しました。その折り、一考に改め、いっそ本籍地も神戸に移そうかと思ったのですが、生きているあいだはそのままにしておいてほしいとの父の意見を優先させました。父は亡くなりましたが、私にその気がなくなりました。きっとおきさんのATOKはそのあたりの事情をご存じなのだと思います。
 ご指摘の「身体感覚」で述べるなら、私の名前は父の情念のなかに、本籍地は私の在するところにあると心得ています。さもなくば再度山公園の修法ヶ原池、もしくは網走湖の呼人浦あたりが似合いの場かと心得ます。先だって、新宿のAGEで昭和四十二年に廃止された同じ学院生と朝まで酒を酌み交わしました。私にも同窓生がいたという驚きとその院生がモルトウィスキーに精通しているのを知って嬉しく思ったのです。
 同じ学院生とは、おきさんもご存じのK村さんです。この前のポート・エレンの飲み会でK村さんはゴードン&マクファイルのカスク・ストレングスにとどめを射すと、これは立派な「身体感覚」です。思い入れや思い込み、要するに記憶をよりどころとせず、自らの好き嫌いを却けなければ、あのカスク・ストレングスの荒々しい香味は諒解できないと思うのです。ウィスキーのなかに自分を捜し自分を確認するのか、それともポート・エレンの味を求めて自らが彷徨うのか、そこのところに利き酒の醍醐味が、「身体感覚」があるのではないでしょうか。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月20日 04:14 | 固定ページリンク




一考 | ボジョレー・ヌーボー

 予約をしてまで、航空運賃が加算された高価なボジョレー・ヌーボーを飲みたいとは思わない。しかし、横須賀さんの写真展会場で出されたヌーボーは美味しかった、宇野さんもいけると頷いておられた。バーテンに銘柄を訊いたのだが、知らないメーカーだという。一箇月ほどして、友人からさまざまなヌーボーを飲ませていただいた。個別の解説を書くのが代価である。不味いので有名なジョルジュ・デュブッフからノンフィルターのジャン・クロード・ジャンボン、マルセル・ラピエール、トラン、ジャン・ポール・セル、モラン、さらにルイ・テットやドメーヌ・シャサーニュ等々、約二十種類である。そのうち、トランのヌーボーで盃が止まった。同社は数種類のヌーボーをボトリングしているが、友人の店には三種類のトランのヌーボーがあった。そのなかに「ラ・パレイユ」というボトルがあった。横須賀さんの写真展で馳走になったヌーボーはこれである。高級品であることが興味の対象にはならない、しかし旨いものには尽きせぬ興味が湧く、あとはその「ラ・パレイユ」だけを一本まるごと馳走になった。

 晩年の横須賀さんはかなり貧していた。従って、彼と食事にいくのは松屋、飲みにいくのは和民と決めていた。しかし、彼と盃を重ねると和民のワインが輝きを増す、酒とはそういうものである。彼がですぺらへ現れたとき、一番安いワインを所望なさったが、そのシチリアのキャンティーネ・セッテソリと最高級のフォンテーヌ・ガニャールのモンラッシェ'89に感心なさっていた。そこが彼らしいところであり、それ故に気をつかう。例えば、日本酒の磯自慢だが、生酒を五度以下で五年以上寝かせたものを八百円で売っている。ワイルドターキーは94年のボトルを七百円で売っている。共に一万円を軽く超える値で取引されている。過日、水谷さんがラフロイグ30年の味が他店と違うとご指摘なさった。当然である、ヴィンテージが異なれば値にも五万八千円から一万八千円の差が生じる。そしてヴィンテージはラベルには記載されていない、香味で確認するしかない。味をききわけるに際し、観念的な操作でことにあたってはお仕舞いである。体験的にきたえた眼と鼻と舌を通じて選別する職人に徹することが必須である。蒸留所が全焼した2000年以降のターキーとそれ以前のターキーを峻別できないひとにターキーは不向きである。70~80年代のコルドンブルーを識っているひとに現今のコニャックは淡麗辛口に過ぎて飲まれない。それでも飲むならアーリーランテッドを除いてなにもない。ラベルではなく、香味で飲む、文句があるなら口でこい、である。
 かかるご託を並べるのは他でもない。このところ酒の整理が続いている。インポーターがウィスキーを、銀座の某酒店がワインを買いにやってくる。持っていてもしかたなく、店の売値に色を付けるというので、自宅の高級ワインを処分している。このようにして、こだわりがまたひとつ消えてゆく。さて、新宿ではなにを売ろうか。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月20日 05:15 | 固定ページリンク




一考 | 直リンク

 おきさんへ
 直リンクのおはなし、興味深く拝読。例えば、kame.despera.comなら龜鳴屋へiwana.despera.comなら「かわべ」の河崎徹さんのサイトへ飛ぶわけですね。なにかしらおもしろそうですね。しかしリンクを張られた方にしてみれば、「ですぺら」では浮かばれないでしょうね。河崎さんではないですが、「今はやりの自殺願望の人達のホームページで、ワシにいっしょ に死んでくれ、という事」になりそうです。悪意が悪意として通じる相手でなければ直リンクはとても張られません。
 悪意の申し子(オーメン)のようなひとならともかく、大方は根は生真面目で、気取りや形振りを構うようなひとばかりですから、到底無理ですね。畠山某のような反社会性人格障害もしくは反社会性適応障害のひとが主宰するサイトを探さなければ駄目ですね。
 畠山で思い出しましたが、能代の蔵元喜久水酒造の縄文能代と喜三郎は旨い酒です。縄文能代は穏やかな吟醸香、喜三郎は義侠の縁や侶を連想させるような男酒で、香味はまったく異なります。他では福島の大七・生貯蔵、愛知の義侠、富山の吉の友のにごり、福井の梵・ときしらず、広島の金泉・万葉、それに前述の焼津の磯自慢・生貯蔵を加えたあたりが私の好きな酒です。ただ、ウィスキー同様、年々味は変わりますから、飲んでみないと分かりません。明石の時は毎年、新酒に解説とランキングを付してお客に配っていたのですが・・・こちらは胃袋と直リンクのはなしでした。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月21日 06:31 | 固定ページリンク




おき | 直リンク

一考様。
実は、単なる転送機能ですので、サイトURLさえ指定できれば何処へでも直リンク可能です。
ただし転送した後の設定には2つあり、1つは素直に相手側の真のURLを表示するもの、
もう1つは図々しくも自分側のアドレス(まやかしURL)を表示し続けるというものです。
いずれにしても、一時的にせよ相手の商標、立ち位置を乗っ取るわけですので、
悪意を悪意として、善意までをも悪意と茶化して笑い飛ばす程の間柄でなければ、
なかなかリンク指定をできるものではございません。

さてわたくしの方も舌と胃袋のリンクを。閉店間際の「蕎麦 三日月」で飲んだ酒は、福井の「白龍」でした。
誤植ではありません。ポピュラーな銘酒「黒龍」にほど近い、同じ九頭竜川の水で作る「白龍」との事。
本気か冗談か?パチもんちゃうか? しかし好奇のリンク先には、喩えブラクラでも飛んでみるのが性。
店にすすめられるまま常温で飲むその純米は、まさに米を食むかのごとき、ふくよかな旨み。
インターネットで調べてみれば、酒米栽培には決して条件のいい環境とはいえぬ福井にて
自らの田で「山田錦」を作り、また自ら居酒屋を営みつつ、醸し供する酒。
我が意を得たり!と感心しました。斯くして戻る元を失いつつ味覚のリンクで福井に飛ばされたのです。



投稿者: おき    日時: 2006年07月21日 09:52 | 固定ページリンク




一考 | ADSLについて

櫻井さんへ
かっきーさん家のADSLが不安定で困っています。
詳しくは書きませんが、建物の構造上、最悪の配線になっています。スプリッターを最端末にしか付けられないのです。
次回はハブを入れる予定です。できることはすべて試みるつもりですが、質問をふたつ。

スプリッターからADSLモデムまでのモジュラーケーブルまたは壁面モジュラー端子からスプリッターまでのモジュラーケーブルをLANケーブルに置き換えるためのアダプタが売られていますが、この場合のLANケーブルはノイズに有効でしょうか。

ADSL用のノイズフイルターが売られています。中身はフェライトコアだと思います。名称はどちらでもよいのですが、こちらも有効でしょうか。

お忙しいところ恐縮ですが、他になにか方法があればご教示ください。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月21日 17:03 | 固定ページリンク




高橋貞雄 | 足穂への旅


1972年の4月私の編集発行となる「銀河系」に40枚ほどの<星は時間を捨てる 稲垣足穂頌>を発表しております。山形の新聞記者を止め、上京し、雑誌の編集者となり傍ら、幾つかの同人誌やマイナー誌の第三文明に表現の場を作り上げていきました。1971年から1973年は高円寺時代とも言えるこの時期に、宮沢賢治を主軸に三島由紀夫、高橋和己、太宰治、島尾敏男、吉本隆明、志賀直哉、坂口安吾へ取り組んでいます。1975年には編集者として稲垣足穂からの一通の葉書。「小生の新旧作の中から、みんなが余り知っていないようなものを探し出されて新編集と言うことになれば可能性もあるかと存じます。」(昭和48年7月4日)この便りに勇気を得て「多留保集」(潮出版社)シリーズの編集に携わっています。その後数多の多留保の本の解説、1990年には著作「タルホ逆流事典」へとタルホの宇宙へ浮遊していきました。一昨年亡くなられた種村季弘さんからは、タルホへ取り組みを強く勧められ、そしてその様子は、水魚の如しと言う話がありました。



投稿者: 高橋貞雄    日時: 2006年07月21日 22:35 | 固定ページリンク




如月 | 『東京タワー』が放送延期

フジテレビのドラマ『土曜プレミアム 東京タワー~オカンとボクと、時々、オ トン~』の放送が当分延期されることになったそうです。楽しみにしておられた 方には申し訳ありません。新しい放送日程がわかりましたら、またご案内致しま す。



投稿者: 如月    日時: 2006年07月22日 09:32 | 固定ページリンク




りき | 平井功訳詩集オフ会、おつかれさまでした。

昨晩お集まりいただいた皆さん、
ありがとうございました。

平井功訳詩集、ですぺらに委託させていただいてます。
発行人のぷひぷひさんが詳細は書かれると思いますので。

他委託先については現在検討中です。おまちください。



投稿者: りき    日時: 2006年07月22日 10:04 | 固定ページリンク




一考 | 端折り

 おきさんが「世界離散、ですぺら」で「なお『ですぺらのホープ』書き込みは内容・文体ともに明らかに店主と特定しうるもの。その謂われは、ご本人とご関係者以外は知る由もなく、ぜひ店にてご本人よりお確かめ下さい」と書き込みなさったが、掲示板の書き込みと活字とでは微妙に違えている部分がある。掲示板では、当事者以外には分からないように間合いを外す、もしくは内容を一部端折っている。この手法は絢子さんから学んだもので、真意を知られたくないので意図してひとを煙に巻くのである。
 例えば、先にグザヴィエル・ゴーチエの「シュルレアリスムと性」で、「平凡社ライブラリー版には旧版の『訳者後記』も収められている。六十年代の思想的激動の一端が垣間見られる傑出したエッセイである。また『訳者後記』に出てくる『君』は若くして縊死した大槻鉄男さんのことである。セリーヌやブルトンやシュペルヴィエルの名訳を遺したフランス文学者にして詩人。七十年代、私の京都時代は彼と共にあった」と書いた。下って「離散について」で「七九年一月十四日の友の死」と書いたのは大槻鉄男のことである。七年前に明石から埼玉へ引っ越した時、杉本秀太郎さんからミカン箱一杯の原稿や書簡が送られてきた。なかはすべて大槻の資料であり、私が持っていても仕方がないので杉本さんへお送りした大槻の遺稿も含まれていた。実は大槻のシュペルヴィエル訳を上梓しようとして、杉本さんと渡辺淳一さんに大槻の思い出を書いていただこうと思ったのが、その遣り取りの発端であった。しかし、送られてきた他人の書簡を読んでその気はなくなった。ずいぶんと私が悪者になっている。悪者になるのは一向に構わないのだが、そのまま出版すれば大槻さんのせっかくの推敲が誤解されかねない状況であると判断したからである(この部分も、この後のはじめも説明を端折る)。
 ひとが死ねば私こそが友人であったと、各人各様に信じ、思いこむのである。だからこそ、「いかように託けようとも、人に存在理由はありません。ならば、友も同様にして、『私は友であった』と著した瞬間に、友は指の間から砂粒のように零れ落ちて行きます。『友であった』かどうか、逝った他者の真意を推し量るなど、欺瞞以外のなにものでもなく、もし仮に友たりえたとしても、相方の死と共にすべてのかかわりは消滅します。さればこそ、友の存在を退けるのが本音なら、友の死を悲しむのは建前ということになりましょうか。自らに対する偽善を厭うなら、暫時友は切り捨てて行くのが自らへの、ひいてはその友への唯一のはなむけであり餞別になりましょう」と書いた。
 ひとりが長く書き込みを続けていると、多くの書き込みが互いにリンクしあうことになる。さればこその端折りである。また、友の死で傷つき悲しんでいる虚無主義者は絵にならない。そのような側面は活字ならともかく、掲示板には似合わない、と勝手に思い込んでいるのである。

 「再度山公園の修法ヶ原池、もしくは網走湖の呼人浦あたりが似合いの場かと心得ます」と書いた。網走湖の呼人浦には小さなキャンプ場があって、私のお気に入りである。そして国道を挟んで向かいの丘の上には網走の監獄と北方民族博物館がある。建て替えられた旧監獄であって博物館になってい、網走刑務所ではない。そして修法ヶ原池の北西には再度山学院がある。通称再度少年院と呼ばれていた施設である。廃校ではなく、「昭和四十二年に廃止された」と書いたので分かるひとには分かる筈である。昭和九年に竹馬学園再度山林間学校として完工、戦時中は抑留敵国人収容所となっていたが、昭和二十二年に建物は法務省少年院に寄付された。次いで、昭和三十七年に神戸学園に譲渡されて竹馬学園は解散、現在ではくすのき会ひふみ園となっている。足穂の小説に出てくる諏訪山の金星台はこの再度山への登山道の入り口にあたる。堀も塀も格子もないすこぶる特異な少年院で、いわば脱走が勝手なわけだが、同じような施設がかつて静岡にもあった。神戸、静岡共に、学院長(このような名称は使わない)は同一人であり、そのご子息がですぺらのお客さんである。ただし、この少年院への出入りは修法ヶ原池からではない。平野から上る428号線、通称有馬街道からである。その理由は平野の下祇園町と荒田町三丁目に少年鑑別所と家庭裁判所が道を挟んであるからである。鑑別所は通称「ごろいけ」といい、青い丸屋根の壮麗な建物だった。
 上記書き込みのすこし前、「南柯書局設立の理由はこれまで誰にも語らずにきたのだが、金曜日には喋らせていただこうかと思っている」と書いた。私は問われれば、どのようなことでも受け答えする。しかし、訊かれもしないのであれば、言いたくないことも多少はある。書きづらいことを暈かして書くのは当然である。季節遅れのボジョレー・ヌーボーを書いたのも同様で、店にはバーテンやソムリエが多くやってくる。まったく頓珍漢なご意見ばかりで普段は黙って拝聴している。だが、デュブッフは中味を偽ったことが発覚してもっか係争中だし、ワイナリーやネゴシアンが異なれば香味が違うのは当たり前。ブルゴーニュであればこそ、白のヌーボーならまだしも、ボジョレー地区の赤についての一般論など聞きたくもない。その困惑を書くのに、十箇月ほど日をずらしたまでのはなしである。

 また、詰らぬことを書いてしまったようである。飲み屋の掲示板でありながら、酒について書けば、かならず人生航路(後年は人生幸朗・生恵幸子コンビ)になる。そこで、おきさんの「白龍」についても身勝手な一言。先日、「黒龍」の大吟醸をかさねさんへお持ちした。ポピュラーな点では双方似合いである。酵母が同じでそれがまず気に入らない。九号酵母を楽しむなら香露か通潤を飲めばよいのであって、どうして福井の酒でなければならないのか。そもそも「黒龍」が私は嫌いである。吟醸酒はしっかり造っているが、あの蔵元の二級酒は飲まれたものでない。「シチリアのキャンティーネ・セッテソリと最高級のフォンテーヌ・ガニャールのモンラッシェ'89に感心なさっていた。そこが彼らしいところであり」と横須賀さんについて書いたが、その「彼らしいところ」が肝要だと思っている。同じ福井の「梵」は吟醸や古酒は当然、もっとも安価な「精選」が滅法旨い。山形の「樽平」や岐阜の「三千盛」と共に熱燗にして飲まれる数少ない酒のひとつである。名のポピュラーではなく、味わいのポピュラーを意識して広島の「金泉・万葉」を紹介した。例えポピュラーな酒であっても、人口に膾炙しないものがいいに決まっている。「黒龍」や焼酎の「百年の孤独」のような中味が伴わない酒が跋扈すればこそ、日本酒や焼酎は店に置くのをやめようと思っている。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月24日 23:13 | 固定ページリンク




一考 | 第一回塵芥賞発表

 過日、「私刊本二点」で「不興をこうむり、窓際でさびしく余生を送る編輯者、手形の遣り繰りで女房をすら質屋に預け、孤閨にうち沈む出版者、いじけ僻むだけが編輯者の末路ではないのです。出版社、取次、書店の役目は終わりつつあるのです。時代はこれから大きく変わります。鎌野さんや土屋さんに倣い、私刊本をみんなで造ろうではありませんか・・・そのような私刊本専門の書評サイト、私刊本を対象とした『塵芥賞(ちりあくたしょう)』のような権威や権力を恫喝する文学賞を設けようではありませんか」と書いた。
 そして、平井功訳詩集オフ会で愉快な発言が飛び交った。曰く、出版社は蛮勇社がよかろう、あとは野となれ山となれ叢書等々である。ネット関連の出版は自分の著したものが大半を占める。他人が著した稿となったその瞬間から、それは編輯であり出版である。龜鳴屋とはひと味違う版元に育ってほしいと願う。そこで、プヒプヒさんとりきさんに敬意を表して、今回の蛮勇に第一回塵芥賞を授与することになった。危急存亡のですぺらを顧みて賞金はつかない。だが、すき焼き食べ放題が賞品である。トロフィーはひろさんが勘案、授賞式は拙宅の庭園にて執り行われる。おふたりさん、日時と招待客ならびに持ち込み客を決めてください。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月24日 23:44 | 固定ページリンク




一考 | こまぶり

 おきさんと酒を飲みながら魚について話し合った。隣のかさねさんはカサゴが好物らしいが、そのカサゴにはじまって十数種類の魚にはなしが及んだ。もっともカサゴとはいっても、カサゴ科にはメバル、ソイ、メヌケ類などが属し、釣り人に好まれるガシラ、アカメバル、ホゴなどが含まれる。そしてガシラとクロメバルは刺身が旨い。
 この時期は海川を問わず、一年のうちでもっとも魚が美味である。九日解禁の釧路のサンマと鳥取・島根のアゴのはなしに興がひかれた。五島列島から能登半島にかけての日本海側では「飛魚」のことを「あご」と呼ぶ。「あご」はシーボルトが紹介した長崎の方言がそのまま定着したものである。関西ではトビ、三重ではウズ、紀州ではフルセン、焼津ではマイオ、富山ではタチョ、また石川ではツバクロともいう。
 春先のハマトビウオにはじまって、初夏にはツクシトビウオやホソトビウオなどが北上してくる。ホソトビウオを丸トビ、ツクシトビウオを角トビと呼ぶ。山陰での名称は丸アゴ、角アゴである。兵庫・鳥取・島根では丸アゴは焼いて、角アゴは刺身で頂戴する。カサゴと違って脂肪分が少ないので加熱すれば身が硬くなる、従って煮つけには向かない。
 角トビの刺し身にその魚卵をまぶしたものをこまぶりといい、いたく珍重される。イクラと同じように醤油漬けにしたものをトビッコというが、こまぶりでは生を用いる。京都では鮒の洗いに魚卵をまぶし、長野では鯉の洗いに魚卵をまぶす、それと同じ調法である。地域によっては穴子の洗いに魚卵をまぶして食するところもあり、それもまた珍味である。
 アゴの子の煮付は、昆布で取った出汁に濃口醤油一と薄口醤油一、味醂二の同割にショウガを加えて煮る、水から煮ると臭みが残るので要注意である。鯛の子の煮付けは花のように開かせるために敢えて強火にするが、アゴの場合は卵が破裂しないように弱火でコトコト煮付けるのがコツである。
 最近はラーメンの出汁に多用されるので、隠岐の「割りあご」が東京で有名になったが、平戸の焼あご、出雲の野焼、三宅島の揚げ団子、.伊豆七島のくさや等々、調理法は多種多様である。兵庫県の香住にも野焼が売っている。脂の品の佳さとかすかな甘味が身上である。包丁の金気が野焼きに移るので手でちぎって食べるのが通。この作法は他の練りものにも共通しているが、例外もあって、料理人の世界では仙崎かまぼこには柳刃が必要とされる。

 明石から日本海側の久美浜のキャンプ場まで、深夜なら車で三時間かからない。従って週末はいつも出掛けていた。青海島から若狭までを股に掛けてのキャンプ場巡りであると同時に、磯魚を珍味佳肴を求めての彷徨であった。
 角トビは地場では安い、大きなものでも百円以下で入手できる。こまぶりも、香住の漁師に教わった食し方なのだが、これがアイラ・モルトによく似合う。スコットランドで“Briny”(塩辛い)と言われるヨード香とこまぶりの磯臭さ、そのコレスポンドンスが堪らない。もっとも、出雲地方には、昔からアゴ用の「地伝酒」と呼ばれる独特の酒がある。ただし、地伝酒は濃厚すぎて飲用には適さない。一時期生産が途絶えていたが、野焼はもとより島根の郷土料理には欠かせない調味料として最近復活された。
 地伝酒で思い出したが、モルト・ウィスキーとワインにはワサビと酢の物が合わない。ワサビはウィスキーの熟成年数を読めなくする。アリル・イソ・チオシアネート(アリルカラシ油)の峻烈な匂いと辛味が舌の熱くなる部位を狂わせるのである。ウィスキーやコニャックは熟成年数が若いほど舌の先が熱く感じる。ひとによって差違があるが、およそ13年から15年で舌の中央部が、それ以上の長期熟成品になればなるほど舌の奥の部分が熱くなる。一方、酢はもともとは醸造酒を酢酸発酵させてつくる、従ってタンニン(渋み)が酸味に化けてゆくワインの微妙な熟成過程が判りにくくなる。早いはなしが、ヴィンテージが読めなくなるのである。従って、酢を用いるなら甘酢を、ワサビでなくショウガ醤油もしくは薬味にショウガが使える種類の刺身がウィスキーやワインには適している。さもなくば、いっそ酢味噌なら洋酒の香味を味わう邪魔にならない。
 先ほどからカサゴやアゴの刺身について触れてきたのも、私はそれらの刺身を酢味噌で頂戴するからである。前述の三宅島の揚げ団子も、トビのタタキに味噌、生ショウガ、大葉などの薬味を加え、すり鉢で擦って団子にしたものを油で揚げる。
 つくねに限らず、アゴはそのままフライにもするが、間違えてもタルタルソースは使われない。アゴにとどまらず、ヒラメであれ、カレイであれ、白身魚のフライには和辛子を薄く溶いたものが相応しい。極端に薄く溶くところがミソである。瞞されたと思って試していただきたい。タルタルソースやマヨネーズなどという塵みたいなソースで魚の味、言い換えれば磯の香を壊さないでいただきたい。どうあってもタルタル状が、とおっしゃる向きは擦った長芋や細かく切ったオクラを少量のせて食べていただきたいのである。(つづく)



投稿者: 一考    日時: 2006年07月27日 05:10 | 固定ページリンク




一考 | 八島について

 前項のしゃばしゃばの和辛子については亡くなった中島らもさんも、神戸三ノ宮の居酒屋「八島」に関するエッセイのなかで繰り返し述べている。八島で彼と面識を得たわけではないが、同時期に入浸っていたらしい。モルト会で大浦さんから指摘されて気づいたのだが、中島らもさんと私は「八島」の同窓生だったようである。八島と京都の労働会館については当掲示板で書いた気がするのだが、検索で出てこないので改めて書く。
 八島は昭和四十年から四十六年にかけて、山本六三と日参した飲み屋である。記載した年次はあくまで山本さんと日参した季節を指している。山本さんは私よりかなり年上なので八島への出入りは古く、私にしてからが、中学生時代から居続けたジャズ喫茶「バンビー」の牢名主ともいうべき小原さんや下中さんに連れられて八島へは出入りしていた。他方、現代詩神戸研究会の詩人たちとも繁く通っている。過日、神戸の季村敏夫さんに往時の詩人たちの消息をお訊きしたのだが、ことごとくがはかなくなられていた。
 山本さんは水曜会(マラルメに敬意を表して一日ずらしていた)を、私はやや遅れて土曜会を催していたが、八島ではそのメンバーのいくたりかが一緒だった。やかんへ放り込んで直火で温める二級酒が五十五円、「あか」と称する一級酒が六十五円、塩辛が十円、冷や奴が二十円、湯豆腐が三十円、もっとも高価な品が百八十円の肉豆腐と肉葱炒めだった。喰いたいが高くて注文できないその肉葱炒めに対する恨みつらみを中島らもさんは著している。彼は納豆ひとつを注文し、あとはポケットのなかの硬貨を握りしめる、そして銚子を一本注文するごとに硬貨を手から落としてゆくのである。掌に金がなくなったとき、その日の人生が終わるのである。
 山本さんは生鮨(キズシとの言い方は関西、東京ではシメサバ)、私は烏賊の塩辛が専らであった。四、五人で塩辛を囲んでの酒盛りである。塩辛には長いものや短いものが混じっている、箸で摘まんだ烏賊が長いと、ひとに悪い気がしてそっと戻すのである。若いときは暇はあるが金がない、十円の肴で四時間でも五時間でも酒を飲み続けるのであった。絵描きの武内さん(「世界のライト・ヴァース5 神様も大あくび」の挿絵を担当)や詩を書いていた岩田さんなどもそのころの飲み仲間だった。
 八島で忘れられないのが六十五円の赤出汁つき天丼である。天丼とはいいながら、厚さが一センチほどのぶよぶよのメリケン粉のせんべいに干しエビが三匹と僅かな玉葱と紅ショウガが入った、すこぶるシンプルな掻き揚げである。収入はことごとく本代で消えてゆく、従ってこの一日一膳の天丼が私の食生活のすべてだった。四十歳代半ばまで体重が五十から五十三キロを前後していた理由はこのような若いときの粗食にあったと、勝手に思い込んでいる。
 中島さん同様、百八十円の肴は私にも手が出せなかったが、七十円の玉子焼きと魚フライはごくたまに馳走になった。玉子焼きは中がじゅくじゅくで大根おろしの替わりにてんこ盛りの紅ショウガが付く、魚フライには水のごとく淡い和辛子がどっぷりと掛かっている。その潤沢さが、ひとのこころを豊かにし仕合せをもたらすのである。紅ショウガで二時間、玉子焼きで二時間の世界である。中島らもさんが書き綴っているのもそこのところである。
 今も八島は同じ場所で営業をつづけている。どうやら、赤出汁つき天丼は二百八十円に値上がりしたようである。天丼を喰いたいとは思わないが、あの魚フライでまずい燗酒を飲みたいと思っている。

  あま酒のくがだち酒のたぎち酒鏡花小史に酒たてまつる  吉井勇

(この稿つづく)



投稿者: 一考    日時: 2006年07月27日 20:16 | 固定ページリンク




一考 | バンビーについて

 前項の小原さんや下中さんについてひとこと。彼等は「バンビー」を中心に神戸モダン・ジャズ倶楽部を主宰してい、アート・ブレイキーを神戸へ呼んだ張本人のひとりであった。伝説の興行師神彰がアート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズの日本公演を企んだのが昭和三十五年、翌年の正月に東京、大阪、神戸と、九日間にわたって演奏会が催された。メンバーは アート・ブレイキー(ドラム)、リー・モーガン(トランペット)、ウエイン・ショーター(テナーサックス)、ボビー・シモンズ(ピアノ)、ジミー・メリット(ベース)、ビル・ヘンダーソン(ヴォーカル)の六人の黒人だった。中学二年生の私は下中栄子さんに連れられて国際会館の小ホールへ聴きにいった。ファンキーとかバップとかビートとか、聞きなれない言葉が飛び交うなかでジャズの洗礼を受けたのである。
 彼女は私が小学四年生のときから面識がある。福原、三ノ宮を問わず、バー街では知られた存在で、いつも女王様のように振る舞っていた。百万$をはじめ、ビクター、石、山、大$、やながせ、アカデミー、北野クラブ等々、いろんな店を紹介し、挙句に浮世風呂(今のソープランド)で酒を飲む癖を私に植え付けたのも彼女であった。アート・ブレイキーを境に急速に親しくなるのだが、それは夙成を認めたからなのかもしれないと、いまにして思っている。
 中山手通一丁目の喫茶店「にしむら」の裏手のアパートに「バンビー」の寮があって、そこでジャズの特訓を受けた。学んだというよりは、いいおもちゃにされたと言ったほうが正確かもしれない。いずれにせよ、当時開盤されたブルーノートの詳細を覚えさせられたのである。ですぺらではジャズを流しているが、私はジャズと映画のはなしは避ける。ワイン同様、ジャズについて語るひとは自らの好悪すなわち薀蓄を傾けるに終始する。個人の好き嫌いやジャズについての概説や一般論など聞きたくもないのである。私が訊きたいのは、そのひとの生き方にジャズがどのような響影をもたらしたのか、もしくはジャズが招来させたであろう個人の搏動についてである。これは文学においても同様である。

 彼等から私が最初に学んだのは「ワンステップ」という生き方だった。ダンスでいうステップなのだが、人生は一度きり、なにごとも一度きり、かかわり(愛情や友情)も一度きりという、アドリブを地で行くような刹那的かつ無責任な生き方だった。例えば一緒に飲んでいても、「それではこれで」のひとことを残して無情に立ち去る。酒を飲むに意味がなければ、飲まないことにも意味はない、要するに理由はいらないのである。気候が変わり、季節が移り、海も山もかたちを変えてゆく。ひとの存在もそれと同じで、生まれ落ちた瞬間から立ち枯れてゆく風景のようなものである。一切の種に永遠はない。そのような「ワサビのように峻烈な」生き方を彼等は中学生の私の身体に刻み込んだ。これがジャズなのだ、とばかりに。
 過日、「『神戸の残り香』成田一徹」で「触れれば傷つき、火傷するような熱い日々を送っていた」と書いたが、その遠因は福原に限らず、彼等から学んだ「ワンステップ」にもある。きっと、あの前後に価値観の瓦解が、私の敗戦体験があったように思う。
 「にもある」の意は「推定」であり、助動詞の「らしい」と同義である。思案をいくら重ねても分からないものは分からない。いかように判断を下しても、それらは一応の算定であり、仮の判定でしかない。だからこそ、同じ趣向のはなしを二度三度と蒸し返し綴り直すことが人生であり文学なのだと、そうした重語法的エポケーそれ自体が私の信仰告白なのかしらん。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月27日 23:11 | 固定ページリンク




蛮勇社社主 | 「平井功譯詩集」通販および書店取扱い

割り込み恐縮です。
「平井功譯詩集」通販フォームができました。html記法不慣れなため物凄く不恰好ですが、こちらからお願いします。
http://d.hatena.ne.jp/puhipuhi/00010101

また神保町の書肆アクセス(http://www.bekkoame.ne.jp/~much/access/shop/)に五冊置かせてもらえました。
価格は通販・アクセスどちらも1500円です。(通販の場合は送料込み)


>一考様
塵芥賞ありがとうございます。と言って喜んでいいのでしょうか……おまえの本は塵芥も同然であると言われてるような気がしないでもありませんが…… まあともかく塵も積もれば山になるよう地道に続けていきたいと思います。
バーベキューのお誘いもありがとうございます。ただいま「某」メンバーと相談しておりますが、おそらく九月以降になろうかと思います。



投稿者: 蛮勇社社主    日時: 2006年07月27日 23:38 | 固定ページリンク




一考 | 平井功と塵芥賞

 先日、佐々木幹郎さん来店、「塵芥賞を勝手に決めちゃったの」と言われてしまいました。実は塵芥賞は佐々木幹郎、宇野邦一、それと私の三人で選考の予定だったのですが、今回ばかりは私の独断で決めちゃいました。
 「権威や権力を恫喝」しているかどうかが選考基準なのですが、蛮勇社社主ならびに「平井功譯詩集」の編者ははなから権威、権力の持ち合わせがないのですから、選考の対象外なのです。これは澁澤さんや種村さんについても同じことが言えます。彼等は権威、権力からはのらりくらりと逃げ回っていましたから、アイドルにはなりえても学者にはなられなかったのです。と、ここまで書いて、編者には権威、権力の持ち合わせはないまでも、志向はあるのではないかと、後方をヤジが飛び交っています。
 で、選考の対象外ならひとりで決めても差し障りはなかろうと、また最初からあじゃらに拵えた文学賞なのですから薬味に孤憤の情(ですぺら)が必要になります。薬味でも妻でもあしらいでもよろしいが、なにかしら添えものがなければ冗談と怨念とが双方向になりませんもの。
 今までいくつかの出版社を興しては潰し、また乗っ取られてきたのですが、常に平井功「驕子綺唱」の開板が念頭にありました。この間の消息は先日平井功訳詩集オフ会にて少しくお喋りいたしました。それ故、ここで申し上げたいのは、今回の「平井功譯詩集」の造本体裁を覧てこれはとても私には造られないと思ったことなのです。平井功に限らず、対象に執心があると、かくも簡略な出版には踏み切れないものなのです。出版人にとって、造本それ自体が評価の唯一の顕わし方だと、そのような思い込みが私のなかにしぶねく残っていたのです。言い換えれば、彼等が拵えた「平井功譯詩集」に世代の断絶を覚えると共に、爽やかなやっかみを感じたということになりましょうか。しかし、それで結構、その軽みが彼等のいいところであり、軽薄さこそが次世代のメディアを、文化を形成してゆくのだと諒解しています。
 選者のひとりの宇野さんが佛蘭西へ外遊なさるので、八月早くに授賞式を済ませたかったのですが、九月以降のようですので、予定変更です。塵芥賞ですからそれもよし、あれもよし、なんでもよしでございます。授賞式はですぺらでも結構、「まあ、いいから飲みましょうよ」で締め括ることができれば幸いに思います。

追記。宇野邦一さんの予餞会は八月九日です。みなさんのご参加を願います。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月29日 21:44 | 固定ページリンク




高橋貞雄 | 足穂の星へ

1972年4月私の発行となる「銀河系」に原稿40枚ほどの<星は時間を捨てる 稲垣足穂頌>の評論を掲載しております。このころ山形の新聞社を辞め上京し、雑誌編集に携わり、高円寺時代と言える1971年から1973年の間に宮沢賢治を主軸に三島由紀夫、高橋和巳、太宰治、島尾敏雄、吉本隆明、志賀直哉、坂口安吾に取り組み、幾つかの同人誌や月刊誌第三文明に表現していきます。                        一昨年亡くなられた、種村季弘さんに足穂への取り組みを勧められ、大変喜んだとの話を聞いております。足穂の宇宙を浮遊する喜びであったのでしょう。 



投稿者: 高橋貞雄    日時: 2006年07月30日 21:14 | 固定ページリンク




一考 | 夢の王国

 高橋貞雄様
 ご返事おそくなり恐縮です。気儘な掲示板ですので、ご容赦いただきます。
 繰り返しますが気儘です。何時もひとに託つけての身勝手な発言ばかりで、掲示板として形式内容共に体はなしていないと、自ら承知致しております。
 はじめた当座はそうでもなかったのですが、半年もしないうちに意思表示の了知は諦めました。掲示板とは名ばかりで実体はブログです。それ故、海馬の涎などと嘯いているのです。

 貴兄の発行になる「銀河系」を存じ上げないので、当然「星は時間を捨てる 稲垣足穂頌」は未読です。高橋康夫さんの高円寺時代はAGEの清水弘子さんからお聞きしたような記憶もあるのですが、なにも覚えていないのです。彼女の岡田時代になるのかもしれませんが、覚えは曖昧で、やはり75年以降ということになります。
 高橋康夫さんからは数冊の書冊を頂戴しましたが、北一輝や正宗白鳥を除き、大半は少年文学に関する論攷です。「TBS調査情報」へ連載された「夢の王国」や「アサヒグラフ」連載の「少年小説の世界」は楽しく読まさせていただきました。彼は私の子供嫌いをご存じだったので、その歪な部分への呼びかけだったのかもしれません。
 少年時代に対して私は嫌悪感しか持っていません。従って、自らをなつかしむ気持ちがないのです。同様に、親としての自覚に欠けますから、逆に親が亡くなってもなんの感慨も抱かれないのです、ひとの生は新陳代謝に過ぎないと。それと比して「のらくろ」「少年探偵団」「ああ玉杯に花うけて」等、少年時代の郷愁をそそる<夢の王国>について語る彼の目は輝いていました。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月31日 13:47 | 固定ページリンク




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