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2006年06月 アーカイブ

如月 | 25日の「新日曜美術館」

6月25日(日)放送予定のNHK新日曜美術館「異端の画家シリーズ(2) きたない絵ではいかんのか~大正画壇の奇才・甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと)~」に、四谷シモンが甲斐庄の手記の読み手として出演します。お楽しみに。 甲斐庄という画家については、たとえば↓のサイト(甲斐庄楠音研究室)をご参照ください。 http://members.at.infoseek.co.jp/kainoshou/index.html



投稿者: 如月    日時: 2006年06月15日 11:51 | 固定ページリンク




薫子 | 版下バカ

◆「版下バカ」の仕事展 ◆ 工藤強勝・間村俊一・多田進・和田誠

デジタルではなくてアナログでブックデザイン、装幀を手がける4名の版下原稿が並びます。
珈琲も美味しいそうです。


【会場】
 珈琲&ギャラリー ウィリアム モリス

【会期】
 2006年6月1日(木)~6月30日(金)
 12:30p.m~6:30p.m
 日曜・月曜・第3土曜17日休

【住所】
 150-0002 
 東京都渋谷区渋谷1-6-4 The Neat青山2F
 電話 03-5466-3717



投稿者: 薫子    日時: 2006年06月18日 07:30 | 固定ページリンク




薫子 | 國義ゑがく

金子國義さんの展覧会のお知らせ。

会場:スパン・アート・ギャラリー
   東京都中央区銀座2-2-18 西欧ビル1F
   03-5524-3060 URL:http://www.span-art.co.jp/

会期:2006年6月12日(月)~24日(土)日曜休廊
   最終日17時まで

 新作ゆかた、絵短冊、屏風、絵日記などが展示されています。



投稿者: 薫子    日時: 2006年06月18日 07:36 | 固定ページリンク




りき | 平井功発刊記念会

プヒプヒさんよりかねてから作業をしていた、
同人誌「某」別冊平井功訳詩集の原稿を入稿したという連絡がありました。
7月13日に発刊予定です。
ですぺらで記念のオフ会をやろうと考えています。

7月14日(金)にやりたいと思います。
会費制にせず、飲食分は各自で負担。

ようは平井功をだしにですぺらに集まるというだけです。

なお、平井功訳詩集の目次は以下の通り

・評論「平井功の横顔」 私が執筆
・平井功訳詩集本体 原詩との本文と対照する感じで収録
・平井功エッセイ「グロリエ倶楽部のこと」

このうち、グロリエ倶楽部のことは、遺稿集にもはいっていない、今回新発見の資料です。非常に面白いエッセイです。
なお、平井功訳詩集は、発行部数を絞っています。勿論ですが。このチャンスに幻の夭折詩人の世界に触れてみませんか?

プヒプヒさんからの伝言です。

・当日来てくれた人には割引販売
・限定200部(番号入り)なので、早くこないと無くなるぞ(ありえんけど)

だそうです。



投稿者: りき    日時: 2006年06月24日 22:56 | 固定ページリンク




高橋貞雄 | 一考 高橋康雄さん

比較的新しい情報として巡り会いました。まだ、実兄と対話している方がいることを知り、嬉しく思っているところです。7回忌を迎える兄の軌跡を何とか残したいと思い、私の自宅(A&Dギャラリー)に「高橋康雄の仕事部屋」を創設しております。何とか体裁が整いつつあります。今後とも関連する資料収集に努める覚悟をしているところです。



投稿者: 高橋貞雄    日時: 2006年06月27日 19:40 | 固定ページリンク




一考 | 紫陽花の死

 花ふたつ紫陽花青き月夜かな 鏡花

 昔、紫陽花が好きで鏡花を読むに至った。北野町や須磨のジェームズ山にはいくつもの洋館があって、庭にはかならず紫陽花が咲いていた。少年期、画筆を持って出掛けるのだが、眼目はつねに紫陽花であった。山本六三と出遇ったのも、そうした紫陽花詣での途次であった。六甲山にはわが国最古の額紫陽花が自生してい、六甲小学校の生徒の手によって株分けされ、毎年日本中へ送り届けられている。明石に住んでいた時はその額紫陽花を四株と玉紫陽花を四株殖えていた。紫陽花は栽培が易いのだが、大輪の花を思う色に咲かせるとなると、結構難儀である。下枝を利用して株立ちを助けなければ、直径三、四メートルのこんもりした紫陽花の花冠はできない。上部は捨て置いても大丈夫だが、下部には慎重な手入れが必要である。

 戸田の庭には紫陽花が植わっていた。先人が樹えた玉紫陽花と奥秩父から採ってきた山紫陽花である。後者は挿し木から四年を経てやっと大きな花を咲かせた。下枝の花を裁って枝を土に触れさせ、根付かせる機会が巡ってきたのである。来年には根と根のあいだが幹になって株が拡がる。さらに一年経てば、そちらの株からも多くの芽が出てくる。そうした手入れが十年繰り返されて小山のような花冠が完成する。
 ところが先日、下枝が一本残らず刈り込まれていた。重さで土に触れる花を不憫に思った薫子さんの為業である。言い争いになったが、たかが花のことで喧嘩はしたくない。暁方、鋸でもって紫陽花の根元を切断した。斬首された紫陽花の遺体は陽に晒されてやがて絶命する。「そこまでしなくても」と言われそうだが、それが私の流儀である。
 今後、犬を飼うことはない、金魚を育てることもない、そして薔薇に次いで紫陽花を植えることも二度とない。例えば、食事にしてからが、味付けで諍いになる可能性があるのなら、作るのも食するのも別々がよいと思う。同衾にしてからが同様で、したけりゃ一人で済ませればよい。たかが供御や肉体関係のことで喧嘩はしたくないのである。では何故に、連れ添いと暮らすのかと問われる。世の中には妻女には妻女の本質、つまり概念があるらしいが、それは私の知るところではない。私にとって連れ添いとは、いま選択した闘いを共に闘ってくれる戦友であり、死を見取る相方である。見取るのであって、間違っても看取るのではない。もし看取れば、個の領分を互いが侵すことになる。
 そもそもがどうだって、何だってよいのである。生れてきたのが不本意なら、死を迎えるのも不本意である。不本意だからこそ何だって構やしない、宛行扶持の人生を駈け抜けるまでのはなしである。宛行扶持と書いた理由はひとつ、選択はあっても、選択に自由はないからである。自由とは選択の領域を遠く超えたところにある。それ故、選択に際しての私の姿勢はちゃらんぽらんである。例え負け戦と分かっていても私は邁進する。ただし、元気はあっても、目的のない勇往邁進である。目標や理想はなにもないが、底部には私という存在に対する呪詛のような深い憎悪がある。

 さて、紫陽花の祟りで薫子さんが発熱し、店を休んでいる。紫陽花の祟りなら手を下した私にもたらされそうなものだが、取り憑かれたのは彼女である。思うに、立派な相方であり、戦友ではないだろうか。



投稿者: 一考    日時: 2006年06月29日 02:05 | 固定ページリンク




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