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2002年06月 アーカイブ

一考 | 眷恋の人

 29日水曜日朝、矢川澄子さんが黒姫山麓の自宅にて自死なさいました。享年71歳。 矢川澄子さんとは二十歳前からのお付き合いです。澁澤龍彦さんが亡くなられた時は銀花誌上で二人きりの追悼特集を組みました。中井英夫さんが逝かれた折は二人で遺骨を拾 いました。今回、彼女の骨を拾うことすら私にはかなわず、愛する人の死に大きな衝撃を 受けております。種村季弘さんは旅に出られました。私はですぺらを抛り出すわけにいか ないのですが、当掲示板を含め他のすべての作業を一週間休止致します。(この項目の初稿は削除されました)



投稿者: 一考    日時: 2002年06月01日 11:22 | 固定ページリンク




薫子 | 今夜

矢川澄子さんはですぺらの大切なお客様でもありました。
今宵、内輪で矢川さんを追悼しつつ、一考が酔いつぶれたいと申しております。
矢川さんの葬儀の模様などもお話するかと思います。
ご都合のよろしい方はお越し下さい。



投稿者: 薫子    日時: 2002年06月01日 15:29 | 固定ページリンク




ゆきち | 2chの澁澤、矢川関連スレッド

どうも、ゆきちです。昨日は大変お世話になりました。非常に有意義な夜を過ごせたと思っております。

で、早速ですが、昨日話していた、2chでのスレッドです。

http://book.2ch.net/test/read.cgi/book/972233886/
澁澤達彦好き集まれ!

http://book.2ch.net/test/read.cgi/book/1022850540/
矢川澄子が自殺?

たいした内容ではありませんが、お話になっていた「最近の若い読者」の様子がつかめるかもしれません。ただ、一部頭に血が上りそうな発言もありますので、お読みになる方はお気をつけください。

また
Yahoo!掲示板で「矢川」でも検索結果
http://search.mb.yahoo.co.jp/search?R=&sid=&M=g&p=%CC%F0%C0%EE

同じく「澁澤」での検索結果
http://search.mb.yahoo.co.jp/search?p=%DF%A7%DF%B7&M=

とりあえず、目についたのは、以上です。
一助になれば。



投稿者: ゆきち    日時: 2002年06月02日 10:48 | 固定ページリンク




一考 | ありがとう

 ゆきちさんへ
 早速ご教示いただき恐縮です。
 どなたが編纂なさるのかは存じ上げませんが、遺稿集を編むのは難儀な作業になると思われます。単行本未収録の稿があまりにも膨大です。矢川澄子さんのお仕事を熟知なさっている方が複数担当するにせよ、優に半年はかかるでしょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月03日 15:58 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | 童姦ぢゃ 息み下に下に 非直線

矢川さん急逝の報は ― しかも、病気や事故ではなく自死であったことには、少なからぬショックを受けています。一度ですぺらでお会いして、たいへん品のよい、好感のもてる方だという印象を受け、こうした方が、どこかで健在でおられるというだけで、日本という国もまだ捨てたものではないと思わせるだけのものが、かの女にはありました。少なくとも、死の前日までのかの女は、今の若い女性たちの生き方のひとつのお手本となるべき人ではなかったかな? (わたしにロリコンの気がなければ、おそらく、かの女のような女性をパートナーに選ぶであろうとまで、ここで断言してしまおう!) 好人物で作品はダメというのであれば、(一人の死について当然払われるべき敬意といったもの以上には)惜しむ必要はないのかもしれません。しかし、かの女には、これからもなお、豊饒な世界を展開する大きな可能性がありました。惜しんでも余りある急逝です。 
「その前に、今後噴き出るであろうゴシップに立ち向かわねばなりません。大変なことが起こると思われます、おそらく今月末にも。闘いがはじまります」という一考さんの発言には、全面的な支持と同時に、及ばずながら、何らかの応援をしたいと考えています。
一愛読者としては、生前に彼女を自死から守ることは(それだけの深い付き合いもなかったので)できなかった。そもそも、その機会というものがなかった。けれども死後の名誉は、なんとしても守ってやらなければならない。それが、せめてもの手向けになるのであれば……、といささか感傷的になっています。



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2002年06月03日 18:18 | 固定ページリンク




一考 | お別れ会

 矢川澄子さんとのお別れ会は7月28日(日曜日)の予定です。詳細は追って掲示させて頂きます。
 相澤啓三さん、四谷シモンさん、高遠弘美さんはじめ、多くの方々がですぺらへ来られました。飲んだくれるしか能のない店主ですが、心のなかで皆様のやさしさに涙しております。また、編輯者各位のご協力により、遺された膨大な量の原稿の居場所もあらかた確認できました。遺稿集は三回忌を目指して編輯に入ります。それとは別に、青土社からユリイカの別冊で追悼特集号が、筑摩書房から「私の一世紀」が上梓される予定です。
 今回の矢川さんの突然の自裁に関して書肆山田の鈴木一民さんと大泉史世さんには多大なご迷惑をお掛け致しました。でも、誰かが防波堤になるしかないのです。お二方の尽力に満腔の謝意を表すとともに、いま暫くの猶予をお願い致したく存じます。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月04日 23:34 | 固定ページリンク




一考 | お詫び

 前項の書き込みはすべて予定であって、決定事項はひとつも御座いません。先走りましたことをお詫び致します。

 なお、「しょぼたま」のCDのレコーディングは、黒姫の矢川さん宅で行われました。矢川さんが深く関わりを持った「たま」のホームページのURLは以下のごとし。
http://members.tripod.co.jp/ukyup/t.html



投稿者: 一考    日時: 2002年06月06日 22:08 | 固定ページリンク




薫子 | お知らせ

明日、6月8日(土)6時よりですぺらにて、須永朝彦さんのカルチャーセンター講座の打ち上げ会が催されます。講座の生徒さんに限らず、須永さんのファンの方なら参加自由です。会費は3000円、よろしく♪



投稿者: 薫子    日時: 2002年06月07日 23:07 | 固定ページリンク




如月 | 下記の掲示板にも・・・。

↓の掲示板にも、矢川さんを悼む書きこみ発見しました。 http://www.ai.wakwak.com/cgi-bin/menote.cgi?book=aura-obscura:anoyo これも、故人の交遊関係の広さを物語るものといえるでしょう。



投稿者: 如月    日時: 2002年06月08日 15:56 | 固定ページリンク




薫子 | またまたお知らせ

 明日、いえもう今日ですね。朝日新聞の朝刊の書評欄に、種村季弘さんが
矢川澄子さんの著書について書かれたそうです。是非ご覧ください。
 ですぺら店主はここ一週間、きっちり毎晩飲んだくれては、
「僕が何を云いたいかというと、」とか「要するにだ、・・・」を
連発しております。入れ替わり立ち替わりお相手いただきました皆様、
ありがとうございました。店主にもそろそろ酔いを醒まして活動開始
してもらわねば。おい、こら、しっかりしいや。



投稿者: 薫子    日時: 2002年06月09日 01:24 | 固定ページリンク




一考 | 感謝

 成田さんへ
 貴重な資料のご送付にあずかり感謝致しております。
 貴女のような方が当掲示板を支えて下さっているのです。ところで「大道あやというひと」が掲載された雑誌名と刊行された日付を御教示頂けないでしょうか。
 「手頃なボーイフレンドと一緒に暮らし、あとは犬たちと烏骨鶏何十羽と」がいれば、タケノコを肴に昼から酒盛りもできたのですが、このような結論を得るしかなかったところに、深い悲しみと憤りを覚えます。長崎へ行く機会にはいまだ恵まれず、年内にでも訪れてみようかと思っています。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月09日 19:27 | 固定ページリンク




一考 | 重ねてお詫び

 あまりにプライベートなことを書き込み、関係者各位の逆鱗に触れました。今後、矢川澄子さんに関する書き込みをすべて中止します。御迷惑をお掛けした皆様に深くお詫び致します。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月09日 19:29 | 固定ページリンク




一考 | 吉岡実詩集「赤鴉」

 五月三十一日は吉岡実さんの十三回忌でした。私は都合で出席できなかったのですが、当日「赤鴉」と題する詩集が参加者に配られました。発行所は弧木洞、限定七十二部の配り本ですから、一般への頒布は御座いません。ご送付くださった吉岡陽子さんに感謝致します。
 同書に附された吉岡陽子さんの「覚書」には「元となったものは、若い吉岡実が、B五版の原稿用紙にペンで清書をしたもので、赤いクロスの厚表紙で製本し、背に横書きで『詩集 赤鴉 吉岡実』と黒く箔押ししてありました。作品に付された日付から、昭和十三年から十五年初めにかけて書かれたものと思われます」と著されています。
 「戯欷」「奴草」の二部構成になっていますが、後者は句集で、前記稿本に含まれていない句作と共に近く形を改めて刊行の予定とか。楽しみな一本です。

 同じ五月三十一日に書肆山田から秋本幸人さんの「吉岡実アラベスク」が上梓されました。四百九十頁に及ぶ大冊であり、実に多様なアプローチが繰り返しなされています。
 「詩でね、変わらない詩人がたくさんいるでしょ。ぼくはやっぱり、絶えず変わりたい。(中略)そうありたいのね。ありたいってことが真実なのか自然なのかわからないんだけどね。やっぱり百年一日同じ詩を書く人も偉いと思うんだけど、ぼくたちは、すべて考えも変わり、環境も変わる。やっぱり変わらざるをえないという感じね」との吉岡さんの言葉をキーワードに、吉岡詩の変遷をたどった「吉岡実の《引用詩》」と「吉岡実晩年の詩境」は特に圧巻。
 死後すっかり現代詩の舞台から忘れ去られた感のある吉岡実さんへの処遇に、かねてより義憤を覚えていた私には最良の贈り物となりました。
 私自身かつて「括弧で括られた〈引用〉への旅」との文章を著したことが御座います。吉岡実さんへの追憶なのですが、一部分を引用して吉岡さんを偲びたく思います。

 柳田国男のいう「俳諧の功力」を抜きにして吉岡詩は語られない。荘周の哲理を何もかも承知の上でおどけとパロディの「俳」に焼き直した松尾芭蕉。その芭蕉を回向し直して上前をはね、大胆この上ない「崇高な諧謔」を示唆した西脇順三郎。また金沢で出会った内藤丈草と夢の共喰いに狂じ、蓑笠をかぶった諺をひねって逝った滝口修造。そして〈引用〉という相互浸透の逆戻りのきかない流れのなかに身を置くことによって、「僧侶」の詩人という貌を剥ぎとり、原形質としての詩人を立ち昇らせようとした吉岡実。彼らにとって、詩とは機知であり、ウィットであり、イロニイであり、パラドックスであり、そして俳であった。
 吉岡実が換骨奪胎の名手であるという点については、おそらく誰しも異存のないところであろう。そしてその萌芽は『サフラン摘み』に収められた「ルイス・キャロルを探す方法」「『アリス』狩り」「示影針」などに容易に見てとられる。また時を同じくして吉岡実は『耕衣百句』を編纂する。この秀句選を手掛けることによって、相互浸透の手法を骨肉化していったものと、私は解釈している。この手法は後に『土方巽頌』という美事なコラージュ集を生む。
 ジャンルとは芸術家の背後にあるもの、彼の前にあるものではないと著したのはチボーデだが、吉岡実もまた、括弧で括られた〈引用〉の活用によって、すべての垣根を取り払い、自在な伸縮という新しい属性を言葉にもたらしたのである。〈引用〉されるものは必ずしも他者の言葉、すなわち作品とは限らない。絵画や音楽のタイトル、歴史や民俗学の断片、出典不明の文言、手を加えられもしくは新たに書き直された箴言、そしてかつて著された自らの作品までもが一人歩きし、勝手気ままに出入りする。括弧で括られた〈引用〉への旅、それは内と外との弁証法、すなわち〈内面性と膨張の弁証法〉に他ならない。〈俳に濡れそぼつシュルレアリスト〉吉岡実は晩年『サフラン摘み』から『夏の宴』『薬玉』を経て『ムーンドロップ』に至る四冊の詩集を遺した。それはわが邦において、ついぞ見かけることのなかった新たな詩の誕生を明示している。土方巽の言葉を借用すれば、吉岡実の詩はまさに命がけで突っ立った碑(いしぶみ)であり、オブジェと化した観念そのものであった。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月09日 23:18 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 例え一部とは申せ、過去著したものを掲示板に載せるとの無粋な真似をしましたのは、ただただ気分を変えたかったからに他なりません。高遠さんではないですが「お急ぎの方はお捨ておきください。」



投稿者: 一考    日時: 2002年06月09日 23:20 | 固定ページリンク




成田 | お受け取り頂きほっとしています


一考さま

雑誌を開いて頂けるかどうかが不安でコピーをお送りいたしました。
月刊モエ MOE 2002年7月号 白泉社です。
あやさんが住むオッペ美術館は、埼玉県の越生の山の中。
「安心しきってうたた寝までして・・」とあるその場の空気を深く吸い込みたい気持ちでおります。
どうぞ、ご自愛くださいませ。



投稿者: 成田    日時: 2002年06月10日 00:02 | 固定ページリンク




一考 | 埼玉県人会

 成田さんへ
 早速のご教示有難う御座います。
 同じ埼玉県の越生の山の中とは驚きました。もっとも拙宅は戸田ですので埼玉の南の端、すこぶる空気の悪いところで、雨が降るたびに白い車が真っ黒なシミに覆われます。三年前に引っ越して来た時には驚かされたものです。今度の日曜日は「うたた寝」の出来るキャンプ場でビールでも飲もうと思っております。
 これを御縁に当掲示板にお書き込み下されば幸いに存じます。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月10日 02:25 | 固定ページリンク




高遠弘美 | アスベスト館

昨日、一考さんのご文章にも何度か引かれてゐる土方巽の記念館に行つてきました。出し物は未亡人の元藤■(火へんに華)子さんも出演なさるポーの大鴉でした。73歳になられたとは思へないほどしなやかでお元気なご様子。それだけに、また今までの歴史を考へても、アスベスト館の競売売り立ての話は腹立たしく、國の文化行政と銀行を呪はずにはゐられませんでした。これはもう有志の意志で何とかできる事態を越えてゐます。
サッカーの予選で一点取つて勝つただけであれだけとち狂ふ莫迦莫迦しさを見ると、この國の先行きに絶望の二文字しか思ひつけないのはわたくしだけでせうか。元藤さんの踊りを拝見した当日だけに、その思ひを強くしました。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月10日 16:10 | 固定ページリンク




一考 | 憂さ晴らしにもなりゃしない

 高遠弘美さんへ
 道頓堀へ飛び込んだバカが百五十人とか。戦後、力道山にはじまって映画俳優、そして歌手からスポーツ選手へと、アイドルの対象は変遷しますが、いずれも莫迦であることに違いはなく、その莫迦に入れ込む莫迦をなんと表現すればよろしいのか。政治家と芸能人とスポーツ選手は並の神経の持ち主には務まらず、やくざ以下で人間じゃないと安部譲二もどこかで書いていたように思います。そのような戯け者にうつつを抜かすような無意識かつ無定見なマジョリティーもまた、羞じらいなどには縁もゆかりもなき烏合の衆。
 当掲示板でも書き込みましたが、「日本ガンバレ」というようなことを臆面もなく声高に唱える人々こそが逡巡や懐疑に拘泥する少数派にとって最大の仇敵なのでしょう。なにも拘泥する必要はありません。ちょいと背中が気になる人、過去を消そうと消しゴムを持って徘徊するような人に勝ち負けは関係ないのです。飛び込んだバカが百五十人、そして死んだ阿呆が十五人であれば、いささか憂さも晴れたのですが。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月12日 23:15 | 固定ページリンク




 | 明日というか、もう今日ですが

お店に伺いたいと思います。
いえ、伺います。
一考さまにお会いしたいです。
ここでは、もう話題にされないとお断りされていらっしゃいましたので、
私も書きません。
ですが、友人のホームページの掲示板をよろしかったらご覧下さい。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~phasma/bbs.html
はじめまして。都といいます。



投稿者: 都    日時: 2002年06月13日 01:17 | 固定ページリンク




高遠弘美 | こんな若者もゐました

一考さま。仰言るとほりです。莫迦騒ぎが何とも気鬱です。
ただ昨日、ひとつだけほつとしたことがありました。勤務先で、わたくしのもとに遊びに来る学生たち(大半が男といふのが寂しいと言へなくもないのですけれど、それはともかく)がかう聞いてきました。いはく「どうしてサッカーにあれほど我を忘れて夢中になれるのでせうか」。またいはく「きちがひじみてゐませんか」等々。そのやうな若者たちがゐることに、やつとすこしだけですが、ほつとしました。道頓堀に飛び込んだり、渋谷で騒乱を引き起こしたりする者だけではないのですね。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月13日 07:59 | 固定ページリンク




一考 | 新入荷

 上京してからのこの短い期間に、辻征夫、高橋康夫、宮園洋、曽根元吉、中村苑子、三橋敏雄、山本六三、矢川澄子と多くのすぐれた先達、知己を喪いました。
 想い起こせば二十年から十五年前、本づくりの情熱を掻きたてて下さっていた多くの作家が相次いで亡くなられました。夢をなくした私は装幀を編輯を避けるようになり、明石で蟄居に近い生活を営みました。赤貧洗うがごとし平成の丸十年、追い打ちのような大震災にも見舞われました。
 吉岡実さんの云う「ぼくたちは、すべて考えも変わり、環境も変わる。やっぱり変わらざるをえないという感じね」との言葉に大きく頷ける年格好にやっと至ったのでしょうか。いよよ投げやりに捨て鉢になって行くように思われます。
 「気に入ろうが入ろまいがお好きにどうぞ」では飲み屋の親父は務まりますまい。人品になんら魅力のないことは先刻承知、それゆえに酒だけは珍にして希なるものを取り揃えております。店主と酒、これも棄却と拾収、削除と捜聚の弁証法とでも申しますか。いかような場にもそれなりの葛藤とバランスはあるもので御座います。

 ジェームズ・マッカーサー社のオールド・フェッターケアンが入荷致しました。オールド・マスターズの一本。92年の蒸留になる10年もの、60.5度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。カスクナンバーは3022。オフィシャル・ボトルと比してナッツ系の香りが顕著。オーバン、クライヌリッシュ、ノックドゥーと共にハイランドを代表する銘酒です。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月13日 12:08 | 固定ページリンク




一考 | 宝物

 都さんへ
 貴女が入手なさった「架空の庭」は1960年に上梓された弥生書房版と思われます。奥付には鎌倉市小町410澁澤方と印刷されています。発行部数はわずか200部の希少本です。それにしても、野溝さん宛の献呈本とは驚きですね。大切になさって下さい。
 澁澤さんも矢川さんも本の美醜はまったく気になさらない方で、中身さえ読むことができれば結構という純な読書家でした。気に入らない函やカバーは棄てることすらあったのですよ。
 60年代後半から70年代の話でしたら何時でもお話致します。お会いできるのを楽しみに致しております。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月13日 12:42 | 固定ページリンク




松友 | 「映画の斜陽か?革命前夜か?60~70年代 大手五社と寺山修司」(仮)特集

 度々闖入御容赦御願い申し上げます。松友です。
 「誘惑のイタリア映画」「円谷英二の技」と渋い企画上映を繰り広げるラピュタ阿佐ヶ谷で『「映画の斜陽か?革命前夜か?60~70年代 大手五社と寺山修司」(仮)特集』が予定されています。期間は7月21日(日)~9月28日(土)。
 上映作品は以下順不同、「エレキの若大将」「東京オリンピック」「クレージーだよ 奇想天外」「てなもんや東海道」「運が良けりゃ」「けんかえれじい」「にせ刑事」「博徒外人部隊」「人間蒸発」「人斬り」「田園に死す」「サード」「初恋・地獄篇」「上海異人娼館」「皆殺しの歌より拳銃よさらば」「ボクサー」「夕陽に赤い俺の顔」「さらば箱舟」「乾いた湖」「書を捨てよ町へ出よう」「かぶりつき人生」「進め!ジャガーズ・敵前上陸」「狙撃」「緋牡丹博徒・花札勝負」「心中天網島」「少年」「白昼の襲撃」「アッと驚く為五郎」「非行少年・若者の砦」「赤頭巾ちゃん気を付けて」「高校生ブルース」「喜劇・女は男のふるさとヨ」「奥様は18歳・新婚教室」「黒の奔流」「旅の重さ」「新兵隊やくざ・火線」「音楽」「股旅」「祭りの準備」。開映時間、料金は未定ですが、他詳細はサイトに掲示されています。
ttp://www.laputa-jp.com/
 さて、同建物の地下の劇場・ザムザでは演劇実験室◎万有引力の公演が行われていたのを最近やっとこさ知りました。よく考えれば同映画館のある阿佐ヶ谷は所縁のある土地なのですね。
 以上、勝手にお知らせでした。



投稿者: 松友    日時: 2002年06月13日 23:49 | 固定ページリンク




 | 昨晩はありがとうございました

素敵なお店でした。
一考さんをはじめ、皆様に御親切にしていただき、嬉しかったです。
また、ぜひ遊びに行かせて下さいね。
初めてでしたのに、私にはとても懐かしい場所のように思えてなりませんでした。
矢川さんを惜しまれる方が沢山いらして、少しですが、私の痛みも昇華したのではないかと思います。

桜井さんへ
「枢機卿」についてですが、ローマ教皇をローマ法王と呼んだ時期があったように「すうきけい」と呼んだ時期もあったようですが、現在は「すうききょう」と呼ぶようです。夫に教わりました。。。



投稿者: 都    日時: 2002年06月15日 02:51 | 固定ページリンク




如月 | 414

辞書でみましたところ、ラファエル風のという形容詞は、仏英ともに Rapfaelesqueでした。ラファエル前派もこれでいけるか、用例はみつかりません でしたけど、おそらくこれに「プレ」をつければいいのではないかと思います。   *   *   * ただし、この辺の正確なところは、みなさまにご教示いただけると幸いです。



投稿者: 如月    日時: 2002年06月15日 11:26 | 固定ページリンク




高遠弘美 | お教へを頂ければ幸ひです

都様
掲示板拝読いたしました。
その道に昏い者にご教示を賜りたく、お願ひ申し上げます。
1.「ローマ教皇」に統一されたといふことでせうか。テレビではまだ「ローマ法王」と言つてゐたやうな気がするのですけれど。また、ジッドの小説Les Caves du Vaticanは定訳といふことで、「法王庁の抜け穴」のままでよろしいのですか?
2. 「枢機卿」には「すうきけい」「すうききやう」の二つの読み方があることは存じてをりましたが、大体いつ頃から、どこの指示で「すうききやう」に統一されたものか、およそのことでもご存じでしたらお教へ願へませんでせうか。手許の国語辞典では、日本国語大辞典では「すうきけい」の見出しのところに語義が書かれ、「すうききやう」の方は「すうきけい」を参照と書かれてをりました。また、小型の辞典、たとへば、新明解あたりですと、「すうきけい」の見出ししかありません。キリスト教関連の事柄に(も)疎いわたくしのやうな者の蒙を啓いて下さいますやうお願ひいたします。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月15日 16:29 | 固定ページリンク




松友 | 素人の辞書引き

如月様
御無沙汰しております。松友です。
御専門の御歴々がお見えになる掲示板です故、赤面ものですが手近の辞書を引いてみました。
研究社「新英和大辞典・第六版」によれば以下のようです。
---------------------------
Pre-Raphaelite:形容詞:ラファエル前の、ラファエル前派の
the Pre-Raphaelite Brotherhood:名詞:ラファエル前派、ラファエル前派の画家
Pre-Raphaelitism:名詞:ラファエル前派の主張した写実主義(運動)
          = Pre-Raphaelism
---------------------------
又、小学館「ロベール仏和大辞典・初版」と、三笠書房「最新フランス語大辞典・初版」によればこちらのようです。
  、    、
preraphaelisme:男性名詞:ラファエロ前派運動の
  、    、
preraphaelite:形容詞:ラファエル前派の
           :名詞:ラファエロ前派の画家
---------------------------
スペースが崩れないとよろしのですけれども。以上、御目汚しでした。



投稿者: 松友    日時: 2002年06月15日 16:51 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 如月さんへ
 矢川さんの「失われた庭」における「ポスト=プレ=ラファイエット」は94年2月に上梓された初版本からの誤植がそのまま「作品集成」(414、435頁)に持ち込まれたものです。ご指摘の通り、正しくは「ポスト=プレ=ラファエリット」になります。言い訳になりますが、私が校正をお手伝いしたのは詩歌の部分のみ、差別用語でかなり紛糾しましたのも懐かしい想い出です。それにしましても、実に細かいところまで丹念に読み込まれる貴方の姿勢に感服、矢川さんも佳い読者を得て本望かと・・・しかし脚注まで解読なさらないで下さい。

 高遠さんへ
 現在では「ローマ教皇」に統一と考える方が自然でしょう。ちなみに「シュオブ小説全集」でも教皇を用いました。59年にドン・ボスコ社から上梓された橋口倫介訳のドルメッソン著「教皇」あたりから一般化されたようです。
 ジッドの本邦初訳は大正12年の本間久雄訳「オスカア・ワイルド」でしたが、以降、昭和3年に上梓された石川淳訳から新庄嘉章や中島健蔵のエッセイに至るまで「法王庁の抜け穴」が用いられています。ご指摘の通り、そちらは定訳ということでよろしいのではないでしょうか。法王ですと仏としての法王や法皇を連想しますので、私は教皇の方が好みです。
 枢機卿は公卿(コウケイ)・六卿(リクケイ)等から「すうきけい」との読みになったのではないでしょうか。ただし、こちらは既刊書にルビがうたれていないので、いつ頃から変化したのかは分からないでしょう。日本国語大辞典と広辞苑は「すうきけい」ですが、百科事典の類は「すうききやう」で統一されているようです。林達夫公認の「すうききやう」ならそれはそれでよろしいのでは。ジッドかジイド同様、共に間違いではないのですから。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月16日 14:08 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ご教示ありがたうございました

一考様
お教へありがたく存じます。教皇でもちろんいいのですが(いましてゐる翻訳も「教皇」で通してゐます)、ジッドの題名のせゐでせうね、アヴィニョンの「教皇庁」の話をするときもたいてい「法王庁」と話すのが習慣のやうになつてゐたものですから。ところで、これはAtok14で変換してゐますが、「教皇庁」は最初の変換では出ないのに対して、「法王庁」は一度で出ました。枢機卿はどちらでも変換されました。何を基準にして変換辞書を作つてゐるのでせうね。
追記
櫻井さま
仰せのとほり、書き込みも閲覧も気易いすてきな掲示板です。管理ありがたうございます。先日、矢川さんについて、阿呆な者たちが書いている忌まはしいどこかの掲示板を見て、インターネットなどいらないとつい申しましたが、撤回いたします。失礼しました。これからもご活躍ください。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月16日 15:09 | 固定ページリンク




一考 | 紺青の野辺

 都さんへ
 百人の人がいれば百通りの人生があるように、人の死に接しての悲しみも百通りなのです。個々の悲しみの表現に深浅の違いはあっても、悲しみの質に軽重の差は御座いません。
 公的な場に参列するのがひとつの野辺であれば、ジャン・コクトーではありませんが、一人海にたたずんで見送るのも潔い別れではありませんか。かつて吉田一穂翁が亡くなられた時、私は葬儀にも参列しておりません。没後十五年を経てやっと吉田一穂の生地古平を訪れました。古平の隣町の美国の断崖の下の番屋、一穂の詩で詠われた紺青の海とはじめて対座したのは88年のことでした。それから四度、計五度、私は積丹の海を訪れています。今なお、私の心の野辺は続いているのです。
 物書きとは孤絶との立場を選び取るしかない存在なのです。プラトン的な意味において、親兄弟、連れ添いとも大きく隔たってしまいます。だからこそ、個と個の出会いそして個と個の別れとは「存在という罪へのあがない、美というはりつけの情念への苦さ」を噛み締めかみ砕くことにしかならないのです。
 貴女に心の痛みを与えた女性の死について三年後、否五年後になればなにか著せるかと思います。それまでは黙するしかないのです。幻想文学を内包するところの異端の文学、異端の文学を内包するところの圏外文学を博捜し紹介したところに澁澤龍彦、種村季弘、矢川澄子の・・・等といくら贅言を費やしても、個としての彼女の思想すなわち情念に肉薄はできません。
 此岸に遺された「うららかな情念のまがり 昔のはるかなるにおい うとうととまどろむ」愁い、そういった彼女の記憶を私がどう咀嚼しいかに読み替えるか、おそらく問われるのはその一点のみでしょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月16日 15:15 | 固定ページリンク




一考 | 就職祝い

 櫻井さんと掲示板のみなさまへ
 櫻井さん就職(それとも身売りかな)おめでとう御座います。久しぶりの労働ですので、身体に変調をきたさないかと心配致しております。おそらく最初の一箇月がもっとも疲れるのではと拝察致します。頑張ってなどとは申しません。仕事は適当かつ適宜に処理なさることを願います。

 さて、22日の土曜日に当掲示板の管理人でもある櫻井さんの就職祝いをですぺらにて催します。例によって指定の銘柄飲み放題にて男子4000円、女子3000円です。6時から店主が酔い潰れるまで(おっと主賓は櫻井さんですよ)時間はたっぷり御座いますのでごゆるりと。普段お世話になってる方、集まって下さいね。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月16日 16:12 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 このところ、はじめての方が多くのメールを、また当掲示板を訪れていらっしゃいます。メールにはご返事を差し上げていません。こちらでみなさまにお詫び致したく思います。
 小生の不徳の致すところで当掲示板にいささかの不都合が生じましたが、その分、如月さんの掲示板が頑張っています。如何にささやかな思いであろうとも、書きあらわす即ち追体験にことの大事が、愁い嘆く人の心が御座います。必ずや下記掲示板を訪れて頂きたく思います。

 http://www.hp-web.net/kisaragi/bbs/bbs.cgi



投稿者: 一考    日時: 2002年06月16日 18:51 | 固定ページリンク




薫子 | 新刊案内

 昨晩、須永朝彦さんが出来上がったばかりの須永さん編訳「現代語訳 江戸の伝奇小説」(全六巻、国書刊行会)の第一巻をお持ち下さいました。今月22日ごろには店頭に並ぶようです。
内容は「復讐奇談安積沼(ふくしゅうきだんあさかのぬま)」山東京伝作、北尾重政画と「桜姫全伝曙草紙(さくらひめぜんでんあけぼのぞうし)」山東京伝作、歌川豊国画の二作。
 親の敵を尋ねる美少年喜次郎、妻の密通相手に殺される役者小幡(こはだ)小平次、陸奥を舞台に孝子(こうし)の復讐と怨霊の祟りを描く「安積沼」。叶わぬ恋に狂う破戒僧清玄、様々な怪異に魘(うな)されて離魂病を患う桜姫、美女玉琴の怨霊に翻弄される鷲尾(わしのお)家の転変を描く「曙草紙」。(内容見本より)
 私はまだぱらぱらと眺めただけですが、挿画が沢山入っていて、ああ怖い、でも見たい、やっぱりコワイ、でも読みたい。
 「ですぺら」にて須永さん署名本を予約受け付けております。価格は3500円、消費税は頂きません。<伝奇ノベル>にご興味のある方、是非ご一読を。



投稿者: 薫子    日時: 2002年06月17日 00:41 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ただ黙して弔す

知り合ひの画家がまだ五十代なのに癌のため金曜日に逝つたことを今朝知りました。以前新聞連載したときに、27回にわたつて挿し絵を描いてくれた方です。個展にも何度か行きました。
お名前をここに記しておきます。
前澤征男さん。いくおと訓みます。笑顔の美しい、含羞のひとでした。
合掌。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月17日 16:05 | 固定ページリンク




a | (無題)


unko



投稿者: a    日時: 2002年06月19日 08:36 | 固定ページリンク




一考 | うんち大全

 unkoではなくunti、正確には「うんち大全」。原著者はジャン・フェクサス、訳者は高遠弘美さん、98年10月に作品社から上梓されたスカトロジーの百科全書。著者は澁澤龍彦さんがネタ本に用いたロミの教え子、代表作に「ファティの告白」「おなら大全」「でぶ大全」などがある。ちなみに高遠弘美さんの名はヒロミ、ロミを内に秘めるところが奥床しい。
 「うんち大全」は宝暦七年に刊行された「薫響集」と共に天下の奇書と称すべき一本。「薫響集」に云う。

 君にけさ貰ひし芋を煮て食へば恋しさごとに屁をや放らなん
 この道にむべも富みけり小つづみの三つ地六つ地の曲放(べ)りをして 
 小便に起きて放りたる折しもあれ月も山屁に有明のそら
 つつめども隠れぬものはすかし屁のもれてほのぼの匂ふゑり袖

 さて、高遠さんの訳文は紛うことなき曲放りにして、すかし屁のもれて匂うはaさんとやらのおつむの腐臭。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月19日 19:26 | 固定ページリンク




一考 | 私の北海道

 永瀬さんへ
 間違っていれば、きっと貴女からなにか云って来るだろうと薫子さんと話していました。
 山形では売っていると聞き及び、私が車の免許を買いに行ったのは89年の7月6日。と免許証に記載されています。免許証の平成1年を88年と思い込んでいました。その年すなわち89年10月に中野新橋から明石の太寺へ転居、たしか12月から1年半ほど「クラブ武田」でバーテンをしたと思います。薫子さんと最初に出会ったのもその頃です。
 あとは貴女の記憶通りですね。「武田」を辞めた91年の夏が貴女と一緒に最初の北海道行き、1年飛ばして93年が2回目、94年にはバイクで35日間北海道をさまよい、11月に西明石で「ですぺら」開店、1年飛ばして96年に愛ちゃんと、98年に薫子さんと北海道へ出掛けています。都合5回になりますが、積丹半島美国断崖の下の群青の野辺は91年の夏と記憶するのですが、やはり間違っていますか。
 ちなみに、63~71年が割烹赤坂、72~77年がコーベブックス、78~83年が南柯書局、84~85年が雪花社、86~87年が読売新聞社、88~89年が研文社、94~現在がですぺらですので、貴女と知り合ったのは86年なのでしょうね。だとすれば、それから後の私のことは貴女が一番ご存じということになります。
 仰るとおり「いつだろうと、そんなことはどうだっていいんだよ。大切なのはあの時に見た海の色の青さとひそやかな野辺の送り・・・」なのですが、どうも私に年譜のようなものを作らせると大変なことになりそうです。お付き合い頂いた女性もしくは逃げられた元連れ添い6~7名の協力を得て、今の内に履歴書でも拵えておきますか。 



投稿者: 一考    日時: 2002年06月19日 21:15 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 一考さま

一考さま

ありがたき御(おん)言の葉のエスプリにしづむ心も屁のごとく浮き

また、

いつかしら疎ましきNの字の去りしをことほぎて詠めるざれうた、

烏滸(oko)の沙汰依怙(eko)のためにはあらねども、于古(uko)なる意故(iko)の彼処(ako)に去り、得ぬ(n=エヌ)



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月20日 01:20 | 固定ページリンク




一考 | 断屁断笑

 文学の原型を端的に示唆したものとして「人間というものは煎じ詰めれば消化器と生殖器から成り立っている」とのグールモンの言葉を援用し、「すべての文学は消化器系と生殖器系にわかれ、さらに拡大して考えるなら前者は屁の文学であり、後者は愛の文学である」と中重徹は結論づける。
 中村幸彦を師と仰ぎ、興津要と共に「新編薫響集」(昭和47年、読売新聞社)を著した中重徹は明治30年鹿児島生まれ。沖縄師範学校を卒業後、熊本、福岡の中学校や高校で教鞭をとったという。前書における論理は明快、書誌学者に相応しい伸縮自在な思考を持つ、謂わば外道文学の達人。
 中重氏はわが邦における放屁に関する戯文への評価の低さと屁と愛の不均衡を嘆く。日本文学の淵叢である古事記には、「生む」が250、「娶ひ」が164、「ほと」が8。それに対して「糞」が6、「屁」は0回。屁を等閑視する上代文学はすべて生殖器系文学であると。源氏物語を濡れ場のないポルノ小説と論断したのが誰だったかは失念したが、室町末期の一休、江戸中期の平賀源内、明治初年の団々珍聞に至るまで、日本のデカダンス文学はひたすら黙屁を続けてきたのである。
 屁は、かのガルガンチュワのように、すかし屁でも風車を四つも回せるほどのエネルギーを内包する。また、昔ある大宮人は女のすかし屁をくって世をはかなみ、出家を思い立ったこともある等々、鞠躬如とした消化器系文学の復権を願う中重氏は、余人の偏見を人間性の歪曲を一蹴する。

 わが親の死ぬるときにも屁をこきてにがにがしくもをかしかりけり

との犬つくば集の俳諧を「わが親ならばいかでかをかしかるべき。それををかしと思ふことの心あるものは、人の子にてはあるまじ、畜生にもおとりたるものなり」と評した松永貞徳を中重氏は断罪する。曰く「この句がそれほど親不孝なのかどうかの論議はともあれ、それを親不孝と思うところに貞徳の文学観のあさはかさとその俗人ぶりがうかがえる・・・元来『をかしみ』は緊張が大なれば大なるほど効果的なのである」
 われわれは稲垣足穂、永田耕衣という共に1900年に生まれた屁文学の大家を識っている。中重氏が擱筆にさいし、「肛門の抜け落ちるほどの笑いを爆発させうる威力ある文学は、わが『屁文学』をおいて考えることはできない」と宣ってはや30年、鬼籍に入られたのを寂しく思うのは私一人か。 



投稿者: 一考    日時: 2002年06月20日 20:38 | 固定ページリンク




一考 | スポイルド・チャイルド

 80年を境に文学から聖性が喪われ、文学のカタログ化がはじまったと思っていたのですが、その聖性を簒奪する種蒔きをしたのは6~70年代に活躍した作家達、すなわちスポイルド・チャイルドの世代ではなかったかと。これは種村さんの朝日の書評を読んでいて気付かされました。 
 N井、I田の世代からS澤に至る「スポイルド・チャイルド世代の文学」との括りがこれから必要になるのではないでしょうか。だって、以降の世代はますます傍若無人に育っています。彼等が自己弁護の言質に前記作家達を利用するのは当たり前ではありませんか。これからはスポイルド・チャイルドの全盛期になりそうです。
 同時代を生きた私は大きな過ちを犯していたようです。一抹の危惧はあったのですが、表現者の特権としてあの人たちの我が儘や傲慢さに目を瞑ってきたのです。そして、気付かずに私自身がスポイルド・チャイルド化していたようです。自ら構築した時代と文学を今一度ガラガラポンせねばならないようです。
 西脇順三郎や吉岡実、永田耕衣や土方巽に見られる過度なまでの方法論、固着した精神や趣味性を呪い続けた彼等の瑞々しい屈折、固執を厭い休むことなく揺れ動く伸縮自在な発想、そうした自らへの懐疑のみが思想ではなかったのか。危惧と前述しましたのは他でもない、N井、I田、S澤等に見られる思想の希薄さを指してのことです。種村さんとは異なり、どうやら私はスポイルド・チャイルドには否定的な見解しか持てないようです。

 もちろん、あの人たちの紹介者としての識見、換骨奪胎の名手としての評価は揺ぎないものです。もっとも、一口で換骨奪胎と申しても、I田が焼き直しならN井は本歌取り、S澤は趣意返しのごとき趣あり。前者がオリジナリティを前面に出し、後二者はオリジナリティを全面的に否定する。換骨奪胎の語釈の定義からはじめねば話はややこしくなりそうです。それは後日に譲るとして、例え井の中蛸壺の中であるにせよ、権勢を振るい君臨したのは事実。その君臨にスポイルドの原点を体臭を嗅ぎ取るのは易いことである。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月20日 21:10 | 固定ページリンク




一考 | ナラトロジー

 如月さんへ
 「個人史の述懐にとどまらず、述懐のナラトロジーを自分でぶち壊して自己の根源に迫っていく迫力・・・私が好きなのは、この<つきつめる力>なのです」
 すてきな言葉ですね。久しぶりに如月さんの肉声を目の当たりにして興奮。歴史は文学における梃子の力点のようなものです。力点がなければ文学から有効性は喪われます。いくら力でねじ伏せようと思っても、それは体力の消耗にしかならず、文学はたちどころに衰退します。
 ナラトロジーを自ら壊すことによってのみ、語られた事実は虚構の事実へと昇華されて行きます。それが根源かどうかは私の与り知らぬところですが、貴方の仰る<つきつめる力>は十二分に理解できます。ただ、書き手にはその運動の質量は把握できても、方向性はまったく分からないのが常なのです。すなわちベクトルとしての体をなさないというところに問題が残ります。
 かつて中井英夫さんの葬儀のあと、新宿の浪漫房にて彼女と情念についての論議を繰り返しました。思想より情念との表現を好むと。また、思想とは搏動であり、蠢きであり、立ち徘徊ることであって、方向性は意に介するようなものではないと。また、論理ないし論理回路は永遠に情念とは交わらないと。その結果が今回の出来事となりました。いかに読み解くべきか、大きな宿題を課せられたような気がします。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月20日 22:01 | 固定ページリンク




 | 遅くなりましたが

高遠弘美さま

 すぐにお返事できずにすみません。さて、ご質問の件ですが、夫に教えて貰いました。

1.に関しては、そのとおりです。
2.に関しては、1981年からです。
 もう少し詳しく申し上げますと、確かに明治初頭の翻訳では「法王」とされ、枢機卿の読みについても「すうきけい」と「すうききょう」が混在して使用されておりました。また、教会内部では教皇の名称が一般的でしたが、特に問題にはしておりませんでした。
 しかし現代になり、1981年の教皇ヨハネ・パウロ2世の来日にともない、教会用語を用いて報道される場合の混乱を避けるため、日本におけるカトリック教会の対外窓口であるカトリック中央協議会(日本カトリック司教協議会)において、「ローマ教皇(きょうこう)」、「ローマ教皇庁(きょうこうちょう)」、「枢機卿(すうききょう)」で統一することを公式に決定、各メデイアに正式に通知したという経緯がございます。
 従って、従来のローマ法王、ローマ法王庁の呼称も決して間違いではなく、()の中にローマ教皇庁を併記してある場合も増えてきたようです。また、英語では the Holy See となり、「聖座」が正しい翻訳です。国連や外交の場ではこの呼称が用いられます。
 そこで結論になりますが、現在、他宗教でも「法王」号を使用しており紛らわしいきらいがあるのも事実なので、今後、少しづつ、マスコミ各社、教科書などでの「ローマ教皇」併記での用語の統一がすすんでいくことでしょう。

一考さま

 どんな青だったのでしょう。水とも空ともつかぬ青さが私の中へ広がりました。「どう咀嚼し読み替えるか」とありましたが、私も私なりに彼女の文学に出会えたことを無駄にはしたくありません。
 昨夏、原民喜展を主催したため、久しぶりに民喜と向き合う作業が続きました。彼の死についての想いが10年前と比べて大分変わってきていたし、驚いたことに、10年たって初めて気付いたこともありました。そんな風に、今の痛みは変わらなくとも、月日を重ねるうち、彼女の死を受け入れることができるかもしれません。
 「失われた庭」は日本海沿いを鈍行列車にえんえんと乗りながら旅する中で初めて読みました。プレ=ラファエロ前派の本、決して読むことのできないあの本を幾夜、夢想したことでしょう。



投稿者: 都    日時: 2002年06月22日 00:52 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | 櫻井さんの会

◆櫻井さん
◆一考さん
◆梅子さん

本日の櫻井さんの就職祝いの会ですが、なんと、デスクのお当番に当たってしまい、
朝から深夜まで仕事をすることになってしまいました。
それもこれもW杯のせいなのですが、もうしわけなし。

盛会をお祈りしています。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2002年06月22日 01:36 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ありがたうございました

都さま

お忙しいところ、正確な情報を賜りまして、まことにありがたく存じてをります。以後、わたくしも気をつけて使つて参りたいと思つてをります。
また、原民喜展を主催なさつたと伺ひ、驚き、かつ、憧れてをります。
原民喜はわたくしの愛する文学者のひとりです。すこぶる大切な作家と申せばよいでせうか。
その原民喜展についてもお話を伺ひたく存じます。
お暇な折、またお言葉をお聞かせください。

感謝をこめて。

櫻井さま
ご就職おめでたうございます。本日は野暮用にて伺ふことができませんが、ご盛会をお祈りいたします。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月22日 14:36 | 固定ページリンク




松友 | 「怪異・妖怪伝承データベース」に見るツチノコ

 表題、既にニュース等で先刻御承知とは存じますが、「怪異・妖怪」についてのデータベースがネット上で公開されています。

「怪異・妖怪伝承データベース」
ttp://www.nichibun.ac.jp/youkaidb/
 概要は以下、サイト内の「目的」より『特に民俗学関係雑誌や江戸時代の随筆類に採録されている、この種の存在によって引き起こされたとされる「怪異・妖怪」現象に関する書誌情報を集めています。扱っているデータはすべて文字資料で、絵画資料はまったく扱っていません。』。

 そして現在「ツチノコヘビ」は22例あり、要約の記述が済んでいるものの内、No.12と14の記述に外観の描写などがあります。
 まずもって、製作と公開に感謝、加えて、より一層の充実には多大な労力と時間がかかると想像しますが、今後にも期待です。



投稿者: 松友    日時: 2002年06月26日 05:15 | 固定ページリンク




匿名希望 | (無題)

この話ですが、これについて「「岸信介」「共産主義」は ヒットしなかったが、将来入るのだろうか?」と語っていた方がいました(笑)。



投稿者: 匿名希望    日時: 2002年06月30日 02:35 | 固定ページリンク




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