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2006年12月 アーカイブ

一考 | 地獄の季節

 世代という媒介概念は意味をなしませんが、時代という区分概念は有効なようです。小生も「ナジャ」を読んでブルトンにまんまと嵌められました。ところが、その次に読んだ「シュルレアリスム宣言」で腹が立ちました。無批判なフロイト受用と、高みと低み、昼と夜等々、境界線の引かれないものに無理矢理境界線を拵える「ブルトン流」二項対立、そんな詭弁は至高点(弁証法的統一)の必要性の証明にもなににもなりません。そして「シュルレアリスム宣言」以降の書冊など、ヴァレリーの二番煎じの出し物にしか過ぎないのです。あれは私が遭った最初の詐欺師でした。
 「除名」との概念それ自体が立派な権威主義なのです。また、ブルトンのフロイト受用同様、某大先生のブルトン受用を附和随行と言わずしてなんと呼べばよろしいのでしょうか。「無批判的な多読が人間の頭を空虚にするのは周知の事実である」とは寺田寅彦ですが、例え事実であるにせよ、そのような思慮のない表層的な箴言を書いていれば、わが国ではなんとなく物書き面ができるようです。まあ、ブルトンも、どこぞの大先生も、寺田寅彦もおつむの出来はどっこいどっこいだったと思います。
 マラルメやリラダンの翻訳を試みた鈴木信太郎や齋藤磯雄に限らないのですが、日本の翻訳家の多くは尻馬に乗って擬古文を遣います。この雅文にはひとつの落とし穴があって、擬古であればこそ現代文学にはそぐわないのです。仏領インドシナやアルジェリアで遣われていたスラングを駆使したジャン・ジュネやボリス・ヴィアン、またはアルトーやベケットに擬古文はどうあっても似合いません。
 「墓につばをかけろ」はヴィアンの代表作のひとつですが、この「墓」を萬葉語で「奥津城」とやられた日には興が醒めます。要するに、語の選択、語句の配置、文章の結構などによって翻訳の対象ならびに時代が著しく制限されるのである。彼らの翻訳の対象が象徴派に終始するのは、好みを通り越して、彼らの修辞法がもたらす必然の結果と言えます。
 私にいわせれば、鈴木信太郎も齋藤磯雄も、ほとんどの外国文学者は修辞法や美辞学のオーソリティー、より正確に申せば文壇プロパーであって、決して文学を生きてはいないのです。縁なき衆生が間違えて文学の世界へ彷徨い込んできたと思っています。
 それらインチキ商品を俗物として弾劾してやまなかったのがジャズ喫茶でした。先日、「容赦のない残酷な揺籃期」と書いたのは、きっと貴兄が相似をなして通過したであろうバンビーの地獄の季節を示唆したかったのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月01日 22:32 | 固定ページリンク




エス | 「地獄の季節」再説

僕はかの大先生から除名されましたが、そこから何かを、あるいは誰某を除名すべきグループというものがそもそも存在しなかったのですから、貴兄のおっしゃるとおりです。すべてただのけちな幻影です。
でも、ブルトンの散文とスターリン主義批判の弾劾文のなかには今読んでもとても美しいものもありますよ。たしかに小生ももうブルトンはさすがに読まなくなりましたが。

それと齋藤磯雄氏に関しては、まったく同感という他はありません。
小生もかねてから齋藤磯雄氏の翻訳に関して、巷で囁かれていたこととは反対の意見を抱いておりました。フランス語を少しかじって後に、私なりにわかったことですが、ボードレールはあんなものではありませんでした。ボードレールは擬古文で訳してはだめです。ボードレールは、もっとシャープで、もっとそっけなくて、暴力的で、どういえばいいのか、もっと現代的なのです。それに齋藤磯雄氏の訳は意味の観点から言っても原文に忠実であるとも言えません。そもそもすぐれた作家にはそれぞれ独自の文体のリズムというものがあり、それを少しでも再現しようとしない翻訳はだめな翻訳だと思います。それを試みようとしないのであれば、翻訳する意味などありません。要約を、解説を書けばいいだけなのですから。だからこそヴィアンの「墓」は「奥津城」と訳してはだめなのです。ボードレールについては、色々な翻訳を調べてみたことがあるのですが、案外、荷風の訳が忠実なことに驚いたことがありました。荷風の訳はある意味現代的と言っていいと思います。案外そんなものなのですね。
でも、私のいい加減な感想を言えば、決定的なボードレールの日本語訳はまだ存在していないと思います。
ところで、貴兄のご意見をうかがいたいのですが、平井呈一氏の翻訳についてはどう思われますか。



投稿者: エス    日時: 2006年12月01日 23:25 | 固定ページリンク




管理人 | 赤坂ですぺら閉店のお知らせ


管理人です。
悲しいお知らせがあります。
ですぺらが年明けに閉店することとなりました。
掲示板をお読みの皆様、店がある間にいっといたほうがいいと思いますよ。
うまくいけば、移転できるかもしれないんですけどね。



投稿者: 管理人    日時: 2006年12月03日 23:51 | 固定ページリンク




一考 | 不器用なひと

 表では書きづらいことがあってmixiで裏掲示板を設けています。ただし、精神衛生のために書いているので、まったくの非公開です。平井呈一についてはそちらでないとぐつが悪いのですが、差し障りが生じないように書いてみます。貴兄との遣り取りゆえ、このような問題が生じるのは最初から覚悟していました。一部はmixiからの引用です。

 一つの問題を解決しようとすれば、結果を待たずに新しい問題が次々と生み出されます。はなしが翻訳だけなら答えは明瞭です。しかし、翻訳は修辞法上の問題ですから、それだけを抽出してのはなしにはなんら興味が抱かれないのです。それとかの大先生をはじめ、翻訳は何冊もあるが自分のテキストをほとんど持たないひとがわが国には多いようです。エッセイがあればそのひとの思索のあとを追えるのですが、翻訳だけだと判断のしようがないのです。
 「こんなもの文学ではないな」と言った違和感や失意の表明が自らの作品に対して反芻されないときはディレッタンティズムに陥ります。ゲーテはディレッタンティズムを、自己の行為を客観的に反省しようとする批判精神を欠き、主観主義におぼれるものと性格づけました。そのひとりよがりが端的に顕れるのが翻訳の世界ではないかと思うのです、要するに翻訳家の大半はディレッタントではないかと。
 ディレッタントの花骨を為すのは趣味嗜好ですから、翻訳をいくら積み重ねても道楽の域を一歩も出ないことになります。また道楽ゆえに、原文が内包するイデーを読み解き、それを咀嚼するのでなく、主観にみちた要約や解説の類いもしくは信仰告白に終始します。その消息は貴兄がご指摘なさるとおりで、書くことと訳すこととのあいだには相澤啓三さんがいう「ジョークで跳べない危険なクレバス」があるように思います。
 繰り返します。叙情詩を「個人的主観的詠歎」と主張したのは新倉俊一ですが、彼に倣って日本文学の本情を詠歎文学と名付けたいのです。「古事記」における古代歌謡に現れた叙情的造型様式は「万葉集」で三十一文字となって完成します。そして「王朝貴族の社会になると、詩歌はますます民衆的なエネルギーから遊離していって、洗練された純粋な叙情詩の美学が確立された。それ以来、その特質は、俳句や近代詩に至っても、本質的に変わっていない(新倉俊一)」  彼の論旨を要約すれば、自分で生みだす才能の持ち合わせがなく、転移才能のみがわが邦では発達したとなります。転移才能は短詩型に限りません、翻訳文学などはその典型だと思われます。また、その転移才能を修辞法や美辞学に置き換えれば、はなしの通りはさらによくなります。
 「双面をもつ哲学」の時代にロマン主義的個性の尊重が額面通り存立するのはほとんど不可能に近いのです。そして、内面的な感情の搖れ、心の叙情の動き、夢想の波動、意識の飛躍等々、自我を構成する無数の分子の結合や共振は時代と共に振幅を拡げ、相貌を大きく変えていきます。詠歎がもたらす二元論的懐古趣味や復古思想では時代が要請する課題を読み解くことはできません。問題意識の切実さ、親密さ、性急さ、さらにマグマのように熱く横溢する思考と新しい思想的文体がなければなにごとにも対処できないのです。

 以上が平井呈一について小生が感じる不満です。彼との最初の出遇いはダウスンの「悲恋」(改訳版は「ディレムマ」)でした。情趣溢れる作品の翻訳にはそれなりの味わいがあります。それとディレッタントで思い出しましたが、サッカレーの訳もよかったと思います。ただ、そのような作品に今の私は興味を抱きません。だからといって、「もっとシャープで、もっとそっけな」い、もっと硬質なものを平井呈一に求めたところで詮ないはなしです。
 年月をかけた彼の翻訳に小泉八雲があります。八雲は異文化の衝突のなかを生きただけあって特異な弁証法の持ち主でした。近代化の扱き下ろしと「伯耆から隠岐へ」への賛美は平井呈一のお化け好きと、そして八雲の自らの才能への内省と疑義はいささか下手巧者な平井呈一の小説や俳句とどこか重なり合うような気がするのです。平井呈一にあってはお化けこそがエキゾティシズムであり、自身の素質や能力に対する心細さが翻訳に向かわせたのではなかったか。いずれにせよ、不器用と言いますか、たいそう手ぎわの悪い人生を送られたひとのように思われてくるのです。

 ブルトンのスターリン主義批判の弾劾文はさっそく読みましょう。バタイユの小説よりもドキュマンや社会批評における観念論との闘いに愕かされます、それとよく似た例とも思われるのですが。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月04日 06:37 | 固定ページリンク




エス | 一考さんへ

つまらぬ質問すみませんでした。
よくわかりました。
平井呈一訳小泉八雲は、どこか灰汁のとれた文章だったように思いますが、手元にまだ本があるはずなので、もう一度見てみます。
不器用な人であったというのも、彼の「名人芸」のひとつだったのでしょうか。



投稿者: エス    日時: 2006年12月04日 10:47 | 固定ページリンク




一考 | エスさんへ

 折角のご質問に率直に応じられなくて恐縮です。編輯を方便にしていたものですから、いろいろと付き合いがあって困ります。こんなことではいけないのであって、自分の意見は意見として言えるようにならないとダメですね。
 「灰汁のとれた文章」なら森銑三訳に軍配が上がるのではないでしょうか。八雲の文章の特質のひとつは簡にして要を得るにあります。同じ訳でも平井呈一のそれは文章がやたらに長くなります。江戸期の読本を意識してのことなのでしょうが、いささか疑問を抱かされます。もしそれをもって名訳とか名調子と称するのであれば、私はご免被りたいと思います。
 ランボー、ロートレアモン、アルトー、ベケット、バタイユなどの文章と他の作家の文章を違える理由のひとつは套言にあると思うのです。「バタイユは、神秘には汚穢を対置し、詩情には嫌悪をもって応じ、常識には奇矯で反撃しようとする」とは片山正樹さんの言葉ですが、常套句を峻拒し、常に挑撥者たらんとした彼等の文学とわが国の文学を比した時の、目のくらむようなへだたりには怖ろしさすら覚えます。
 誰とはいいませんが、ベルトラン、マラルメ、ラファルグ、レニエ、クローデールからプルーストまでが同じ調子の文体で編まれる訳詩集など文学への冒涜以外のなにものでもないと思っています。創作とは過去の作品への異義申し立てであり、個々の作家の新たな文体の創出なのですから、それらを一絡げに扱うのには欺瞞すら感じるのです。アンソロジー自体が一種の信仰告白であり、愛のバロメーターなのですから致方もないのですが、採りあげられる作家にとっては傍迷惑なはなしです。個々の作者の内面にいますこし深入りするか、いっそ訳者が個性を控えてさらなる透明感を持つ方がよろしいのではないかと思うのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月05日 08:02 | 固定ページリンク




エス | 一考さんへ

いえいえ、平井呈一氏については、行間から一考さんのおっしゃりたいことは十分うかがえました。私も似たような感想をかねてから抱いていたので、快哉を叫びたいくらいです。
森銑三訳の小泉八雲は、今度見てみるつもりです。どうもありがとうございます。
それにしても、一考さんがベケットをお好きだったとは!
実は、小生もここ十年くらいずっとベケットに興味を抱いています。
例えば、ベケットと付き合いのあった人が述懐しているように、普段道を歩く姿、その歩き方と文体がまったく同じであるような印象を受ける作家はそうたくさんはいないと思います。余計なものがそぎ落とされたベケットの文体は、呼吸と同じようなものだったのでしょう。あそこまで行くことはそう簡単なことではないと思います。



投稿者: エス    日時: 2006年12月05日 11:22 | 固定ページリンク




一考 | ベケット

 神戸にいた頃、十代、二十代のことですが、ひとと文学について本気で語らった記憶がありません。いまなお、その癖は続いているようにも思われます。その理由は話しても無駄と思い込んでいたからです。大方は何々が好き、誰それが好みですと、自分の嗜好の押しつけに終始します。オーム真理教の教祖のように得意満面におのが知識を声高に述べ立てるような人にはなんら興味を抱かれないのです。こころ惹かれるのは相手の生き方であって知識や教養ではないのです。貴兄がおっしゃるように、文体すなわち文学というものは呼吸であり個々の搏動だと信じてきたからです。
 呼吸は吸息と呼息とが片時のやすみなく繰り返される運動です。その揺らぎ、変動のなかに身を置かなければベケットのような作家を読み解くのは不可能です。運動に呼応し、あるときは逆らい、あるときは従う、その撓うさまに文学が在るように思うのです。永田耕衣のいう「しゃがむとまがり」こそが文体であり文学であり思想であるということになりましょうか。
 古い様式に固執し、新しい様式の獲得がさまたげられるようでは本末顛倒です。否、守らなければならないものなど、この世の中にはなにひとつないのです。前述した作家たちが試みた套言の否定は一直線に帰属や境界の拒否にも通じます。通じるというよりは余儀なくさせるのです。文学とは自己否定ならぬ自己破壊を強い続けるものだと思うのです。
 貴兄との遣り取りならはなしはこれでお仕舞いなのですが、掲示板は見知らぬひとも読みます、従って補足をひとこと。破壊と書きましたが、破壊は否定ではなく肯定です。ベケットにあっては寂滅思想から孔子すなわちヘルメス的な要素までが葛藤を生み出そうとして鬩ぎ合いながら共存します。累々たるきずあとが消尽に向かっての石段を築き、毀し、はたまた構築し直すのです。彼のように多くの賓辞を内包する作家は賓辞の数だけのアプローチが必要になります。ディルタイではありませんが、文化は生の表現です。さればこそ、ベケットの文学を諒解するとは人跡未踏の領域にわが身を追いやることにしかならないと思うのです。

 小中学校の同窓会からは爪はじきされましたが、バンビーの同窓会には迎え入れられたようです。貴兄の書き込みに深く感謝しております。もっとも「窃かにひとり爪はじきして天を仰いでつぶや」いていただけなのかもしれませんが。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月07日 20:52 | 固定ページリンク




通りすがり | 教えてください

しばらくお店に伺っていないので教えてください。 現在、オムライス等をやっていないそうですが、フードメニューを教えてください。 また、以前、新宿店をだされると聞きましたが、住所や連絡先、営業時間等を教えてください。 よろしくお願いします。



投稿者: 通りすがり    日時: 2006年12月07日 21:49 | 固定ページリンク




一考 | 通りすがりさんへ

新宿店は靄のなかです。オムライスは前から置いていません。フードメニューは現在六十六種類です。現在の住所、営業時間などはホームページをご覧ください。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月07日 23:29 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらについて

 櫻井さんが書かれたように赤坂ですぺらは早晩消えてなくなります。
 当店の「モルト・ウィスキーの寡多録」の巻頭には「多くの蒸留所やボトラーが生まれ、消え去っていく。スコッチ、アイリッシュ、バーボン、ラム、酒質のいかんを問わず、営みのすべては儚くうつろなもの。もとより、人は描かれては波に掻き消される暫定的な存在。ですぺらもまた、夜毎の演目を終え、やがてなにごともなく消滅。その日までは媚びを売り顰蹙を買う、いたずらな搏動におつきあい頂ければ幸甚」と開店のときから明記しております。

 実は横須賀功光さんが亡くなられた二〇〇三年一月十四日が閉店予定日だったのです。その年の四月七日に「身からでた錆」を、九日には二階堂奥歯さんが「考えたこと。勝手な、とても勝手な考え」を書き込み、そして二十六日には彼女が逝きました。
 ちょいと長居してしまったように思います。あとの予定はなにもありません。ないと言うよりは立てられないのです。残された営業日数は閉店の段取り次第です。そして、閉店の段取りがうまく行けば新宿への移転も考えられますが、現状ではほとんど不可能です。二〇〇三年を境に売上は減りつづけ、次の展開を考えられないまでに傷口が拡がってしまいました。開店が二〇〇〇年の三月だったので、二月まではと思っていたのですが、それもどうなるか分かりません。
 店主の状況説明が遅くなり恐縮です。上述したように分からないことばかりですので、説明が逡巡われたのです。このところ、いろいろとご心配いただきましたことに感謝致しております。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月07日 23:31 | 固定ページリンク




エス | 「消滅」について

昔ならたぶん引用しなかったかもしれなかったシェイクスピアが『嵐』のなかで見事に言ってのけています。

これらのわれらが役者たちは、
すでに君に予告しておいたとおり、みんな亡霊だった、
そして
大気の中に、淡い大気の中に溶けてしまった。
そしてあの幻の砂上楼閣のように、
雲を頂く塔や、きらびやかな宮殿、
荘厳な神殿や、大いなる地球それ自体も、
そう、それが受け継ぐものすべてが、やがては消えてしまう、
そしてこの実体のない行列が次第に色褪せていったように、
後にはちぎれ雲ひとつ残らない。

『嵐』第四幕、第一場



投稿者: エス    日時: 2006年12月08日 10:30 | 固定ページリンク




KYO | 森銑三訳 小泉八雲怪談集

小泉八雲怪談集『十六桜』森銑三、萩原恭平訳、研文社、H2.9.11



投稿者: KYO    日時: 2006年12月10日 23:09 | 固定ページリンク




一考 | KYOさんへ

書き込みありがとうございます。
その研文社で小出昌洋さんと一緒に働いておりました。語釈を手籠めにするのが仕事で、内実を知って以来国語辞書の類は信用できなくなりました。諸橋の大漢和も広辞苑も拙宅のは朱入れで染まっております。未刊に終わりましたが、江戸漢詩選の編輯などは楽しかったのですが。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月11日 16:48 | 固定ページリンク




一考 | シェイクスピア

 ギリシアのサッフォーやイビコスの時代、イギリスのシェイクスピアやダンの時代、それに十九世紀のロマン派に見られるバラードやエレジーやオードなど、夢幻的で甘美な情緒に裏打ちされた叙情詩こそ擬古文に相応しいのではないかと思っています。とりわけシェイクスピアは套言の百貨店で、彼の作品はありとあるコラージュやアッサンブラージュの恰好のお手本ではなかったかと思います。今日、シェイクスピアの言葉(剽窃)がステレオタイプとして用いられるのを見ているとシェイクスピアの偉大さにこころを致さねばならなくなります。ブルトンに倣えば、シェイクスピアは作法においてシュルレアリストであり、彼こそが詐欺師楽園の巻頭を飾る作家ではなかったかと。
 冗談はさておき、春のやおぼろこと逍遙が訳していなければ平井呈一氏や齋藤磯雄氏の雅文にはぴったりの具材だったと思われます。
 ウォルター・リップマンはひとがステレオタイプに固執する理由をふたつ述べています。ひとつはひとの環境適応におけるステレオタイプの経済性、いまひとつはステレオタイプの体系はアイデンティティの核心であって、自我防衛のメカニズムであるとの指摘です。この経済性は、ステレオタイプに頼ることなく日常生活に生起するできごとを端から詳細に知覚しようとすると大層な労力が必要であって実際上不可能である、とのことだそうです。
 いずれにせよ、危惧すべきはステレオタイプはひとから考える能力を簒うという点にあります。個はしばしば文化と衝突します。従って、文化からまず排除すべきなのは定義づけであり、類型化なのだと思っているのです。シェイクスピアはそれを逆手に利用しました。「虚偽も極限に達すればいささか誠実めく」というところでしょうか、彼の虚無主義には大いにこころ惹かれるものがあるのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月11日 20:35 | 固定ページリンク




エス | シェイクスピア一考

いまはシェイクスピアが平井呈一氏や齋藤磯雄氏の雅文による翻訳にぴったりの作家だとは私は思っていません。「実際に、読んでみれば」(ただし逍遥を筆頭にどの翻訳もいいとは思えません)、英文学といえばシェイクスピア、といったようなお子様向けの作家ではないことがわかると思います。同じことばっかり言っているような英文学者たちのくだらないシェイクスピア解説はいざ知らず、そしてブルトンが何と言おうが、シェイクスピアが「シュルレアリスト」だとは私は思っておりません。シェイクスピアは、語の最も危険で過激な意味で「古典」です。(誤解のないように言っておきますが、私は現代のいかなるシェィクスピア劇にも何の関心もありません。)
シェイクスピアは徹底的な「バロック」であり、その点ではジョン・ダンや貴兄のおっしゃる「虚無主義」に近いのかもしれません。実際、「人生は白痴の語る戯言」だと語るマクベスの言葉に反論できるとは私は思っておりません。
それに私はもうかつての「異端の系譜」など信じてはいません。ブルトンのお題目だった、正面を向いてボケてしまったような小ロマン派などよりも、ダンテやシェイクスピアやシャトーブリアンの方が私にとって遥かに本質的な作家になりました。「異端」という言葉をもっと神学的に、厳密に解するならば、もはやこの言葉は大した意味をなさなくなります。
ダンテ‐シェイクスピア‐ロートレアモン…、というわけです。この系譜にアルトーやベケットやバロウズを付け加えることだって可能です。
まぁ、私の独り言ですが…



投稿者: エス    日時: 2006年12月12日 09:42 | 固定ページリンク




薫子 | ですぺら忘年会

 12月23日(土)、午後7時より10時まで、最初で最後になる「ですぺら忘年会」を催します。お酒はワイン、ウィスキー(モルトじゃないけれど)、焼酎、ビール等をご用意いたします。フードはいつものパーティ・メニューで、鶏唐揚げ、ポテトフライ等です。
会費はお一人5000円(ソフトドリンクのみの方は4000円)。
クリスマス前なので特別にスパークリングワインとケーキも準備予定です。
どなたさまでもお気軽にお越しくださいませ。
なお、御出席の場合は、メールまたは電話にてお知らせ頂きますようお願いいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2006年12月14日 05:15 | 固定ページリンク




一考 | 提灯

 私は仮性包茎である。仮性包茎を提灯まらともいう。提灯は老人のしなびた陰茎を指すが、仮性包茎のそれをも意味する、こころは伸びたり縮んだりである。なるほど、私の場合は双方を兼ね備えているのだから、真性提灯ということになろうか。
 仮性包茎であることを知らないうちは銭湯にも通っていた。そして十代半ばに筆下ろしをしてからはそう気軽に銭湯へ行けなくなった。女性につままれて「可愛いわねえ」とひやかされるにはよいのだが、銭湯で倶利迦羅紋紋のおじさんから「まだ子供か」と言われるのが小癪に障ったからである。大人にはない子供ならではの羞恥であり、達引きであった。
 福原の桜筋に大映トルコというのがあって、その一部に家族風呂が設けられていた。はなしは前後するが、昭和三十三年に売防法が成立してから、女郎屋は浮世風呂に職種転換した。登録は昔ながらに旅館であって、お女郎衆はにわか湯女となり泡姫となった。一六〇〇年代半ばに三都で湯女取締りの触があって、一六六八年には江戸の風呂屋七十四軒を潰し、湯女五百十二人が吉原遊郭へ移されている。ほぼ三百年後にその逆の事態がもたらされたのである。
 その浮世風呂のなかでトルコ風呂(特殊浴場の名前としては終戦直後から使われてい、大阪には昭和二十六年にすでに在った)を名告っていたのが大映トルコと同じ桜筋にあった神戸トルコである。理由は知らないが、浮世風呂に家族風呂の併設はなく、それはトルコ風呂のさらには福原だけの特質であった。
 泡姫のサービスがなく、風呂の設備をのみ提供するのが家族風呂であり、いわば個室版銭湯である。家族風呂と称していたが、客は家族とは限らない。水商売のアベックが利用者の大半を占めていた。同衾だけが目的なら湯を張っているあいだに済ませることもできる。私もそのような利用をなんどか経験している。もっとも、浮世風呂を家族風呂がわりに使ったり、複数の泡姫を連れて家族風呂へ赴いたこともある。同じ町内会であればこそ許された無礼であった。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月14日 19:35 | 固定ページリンク




一考 | 「お風呂の歴史」

 高遠弘美さんからご本を頂戴した。ドミニック・ラティの「お風呂の歴史」である。「ロミやジャン・フェクサスの翻訳の延長線上に位置する一冊」と書かれているだけあって博覧強記、古代から十九世紀末に至る風呂や水浴の歴史が縷々綴られている。高遠さんから新著を頂戴したり、話し合っていると昔読んださまざまの書冊を思い出す。近頃は散書ばかりだが、蒐書に耽っていたころを思い出すのである。早速に書庫を探すと、

 「日本浴療史」緒方正清
 「変態浴場史」藤澤衛彦
 「世界浴場史」矢口達
 「東西浴場物語」前田健太郎
 「東西沐浴史話」藤浪剛一
 「風呂の微笑」水野芳艸

 近くは

 「風呂と湯の話」武田勝蔵
 「公衆浴場史」武田勝蔵鑑修・全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会編

などが出てきた。
 山東京伝の「賢愚湊銭湯新話」や式亭三馬の「諢話浮世風呂」から緑雨の「あられ酒」に至るまで、風呂に関する文献は数知れない。調べてみたら、明治から昭和五十年までに限っても百冊を越える関係書籍が上梓されている。それ以降はさらに冊数が多いようである。私が目を通したのはたかだか二十冊ほどだから大きなことは言えないが、「風呂の微笑」と「公衆浴場史」は一級の資料である。
 風呂の原型ともいうべき禊ぎや沐浴は仏教と共にもたらされた、従ってわが国の風呂の歴史には抹香臭さが付きまとう。前述の「風呂の微笑」にしてからが、「碧巌録第七十八則開士入浴」の項では「マルキシズムさへも、むしろまだ『とらはれ』を持ってゐるといふ理由で、宗教の立場からは未徹了のそしりを免れない」との倉田百三の文言を引用し、序文では「風呂の研究では最高権威、中桐確太郎先生の序文を忝ふした」と著す。風呂は裸で入るもの、裸の付き合いに権威は無用である。そこいらに日本の書誌学者の限界があるように思う。
 泰西にはどのような文献があるかを私はなにも知らない。なにも知らないのだが、ラティの「お風呂の歴史」は面白い。一八五〇年以降発達した衛生学の影響で、共同の洗濯場や共同浴場の設置が進められた。衛生学の分野では進歩的だったナポレオン、シャルル・フーリエ、フーリエの思想を引き継いだアンドレ・ゴダンなどによって幾多の入浴施設が設けられた。同じ頃、ペリー、ポムベ、カッテンダイク、ツンベルグ、オイレンブルグが相次いで銭湯見物ないしは湯浴み感を記述している。英公使オールコックが刺客に襲われ、浴槽に身を隠して助かったのは有名なはなしである。どうやら、「ゆ」に関してはわが国に一日の長があるようである。
 「お風呂の歴史」は下手な主観や刷り込みを交えずに事実を淡々と述べる。水浴から入浴、羞恥、化粧、匂い、衛生、建築、浴場等々が一種のプラズマ状で犇めき合っている。言い換えれば、カテゴリーが限られたときに陥るアポリアを巧みに避けている。訳者あとがきによればラティは健康食の第一人者的存在らしいが、その精神もすこぶる健康的である。知に対するしたたかな姿勢とそれを裏付ける資性が行間から窺われる。
 加えるに高遠さんの訳文は平明にして気品がある。言うは易いが平明と格調の共存は難しい。今ではあまり遣われなくなった言葉が、ごくわずかだが要所に配されている。心憎いまでの抑制である。抑制が効いているが故にひとつひとつの言葉が生きてくる。彼は決しておろそかに言葉を選ばない、その呼吸法をもって流麗な文章といわずになんとする。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月14日 19:37 | 固定ページリンク




一考 | 追記

 大事なことを書き忘れた。「お風呂の歴史」の詳細は以下のごとし。
 「お風呂の歴史」ドミニック・ラティ著 高遠弘美訳
 白水社 文庫クセジュ 二〇〇六年二月二八日発行 定価951円+税



投稿者: 一考    日時: 2006年12月14日 20:38 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ありがたうございます

一考さま

 いつも暖かいお言葉嬉しく拝読いたしました。文庫クセジュは初めてでしたが、楽しい仕事でした。と云ひますか、根が極楽トンボのわたくし、どんな仕事も楽しく感じられるのは、脳内の何かの「苦痛成分」が缺落してゐるせゐなのかもしれませぬ。それはもしかすると、未熟児で生まれた赤子のときに、兄に頭を踏まれたことに関係してゐるのでせうか。兄にいはせると「小さすぎて見えなかつた」とのことですが、生後わづかのときに兄に、まだ柔らかい頭をぐにゆつと踏まれたといふのは、わたくしをどこかで偏頗にしてゐるのではないかといふ気がしてをります。
 一考さんの提灯のお話のやうに、釣り合ひのとれたことを書くことができずに、つまらぬことばかり書いてゐることを恥ぢてをります。
 これからも一考さんのもとへお話を伺ひに参ります。エロスについてもさまざま蘊蓄をお聞きしたいと思つてゐます。それなくしてはわたくし訳のO嬢も何かを缺くことになりませう。
 御身大切に。薫子様にもよろしくお伝へください。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2006年12月15日 10:01 | 固定ページリンク




一考 | 珍獣

 「ブルトンに倣えば」であって、シェイクスピアがシュルレアリストだとは私も思っておりません。ただ、そのような見方もできるかとの思いつきです。従って、貴兄に誤解を余儀なくさせるような書き込みだったとしたら申し訳なく思います。それと、わが国にあって「異端」とか「幻想」は商売上のコピーであって、厳密な定義づけは一度もなされていないと思っています。

 ひどい困窮生活が続くものですから、平成元年からこちら本を買ったことがございません。ひとさまが恵んでくださる本だけを読み継いでいます。そこで妙な変化に気付いたのです。どれそれが好きでどれそれが嫌い、もしくはどれそれが面白くてどれそれが面白くないといった好悪、要するに二項対立的なものの考え方がいつのまにか払拭されてしまったのです。
 取って代わって浮上してきたのが、いかに読み解くかとの作法です。その作法が目線の移動であれ、アプローチの多様さであれ、何でもよいのですが、読書の方法論のようなものが大きく変化したのです。方法論は当然思惟の一種ですが、やがて同一律や矛盾律といった原理すらが消え去っていきました。
 整合性がないならないでどこが問題になるのか。もともとひとの存在それ自体が撞着を内包しています、だとすればつじつまを合わせる必要がどこにあるのか。またそれを包括的に弁証法的に統一しなければならない理由がどこにあるのか。貴兄がお書きのように、歳とともに興味を抱く書物が変わるように食べ物も変わります。さればさまざまな書物を水平に並べてみるのも一興ではないか。さらには自らのものの考え方から境界や帰属をなくす、さらに進んで意識作用における識閾すらを動かしてみたい、と思うようになったのです。
 貧困はひとの姿形、資性、思索に大きな影響を与え続けます。ただ、それは私にとって決して不愉快なものでなく、どちらかといえば心地よさすら感じさせるものになりました。マルクスがプルードンの著作に対する「哲学の貧困」ではなく、偏に貧しさゆえの「哲学の貧困」です。そのような珍獣が一匹ぐらいいてもよかろうと思っているのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月17日 00:02 | 固定ページリンク




エス | 一考さんへ

おっしゃること、小生もよくわかるような気がします。すべてを同じ水準に置く、というか、一列に並べる、というか、うまく言えませんが、だからこそサドがダンテと同じ風呂に入り、シェイクスピアとデュカスが同じ土俵で相撲しているのかもしれません…
それに最近とみに感じることですが、いつまでたっても小生は「ドシロウト」のままであり、「ガキ」から成長することができません… 
それに、それはそれで別にかまわないと思っておりますが…



投稿者: エス    日時: 2006年12月17日 10:46 | 固定ページリンク




一考 | 背負縄

 「黒木書店-2」で黒木の親父が「ダンボール函にして四つか五つ分の本を首に掛けて一挙に持ち帰られる」と書いたが、あれは額にかけて荷物を運搬する背負縄を表現したかったのである。古書組合で業者向けに頒されている木綿の風呂敷があって、ひとひとりを包めるぐらいの大きさがあった。対角線上の二方を短く、二方を長くゆとりを持たせて縛り、額にかけるのである。私も長く愛用していた。
 ドゥルーズとガタリは、ノマド(流浪の民)が空間を分割せず、固定した中心を持たず、また階層性をしりぞけることによって国家的秩序を拒む存在であることを指摘している。他方、アイヌの世界観は垂直的には三層で構成されていると信じられていた。つまり、現実の人間の世界(アイヌモシリ)は大地に、死後の世界(ポクナモシリ)は地下に、そして神々の世界(カムイモシリ)は天上にあるとされた。しかし、ポクナモシリはアイヌモシリと同じ様相を呈し、神々も儀礼の目的に応じて主役としての位置づけが変化する。至高神的性格のものは存在せず、パンテオンを構成していないのである。要するに、神々のあいだに序列はあっても、なんらの上下関係がない。同様に、神とひととはほぼ対等な位置関係にある。
 このところ、ドゥルーズの影響でアイヌ文献を繙いている。そのなかに背負縄がでてきたので思い出したのである。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月18日 01:21 | 固定ページリンク




一考 | O嬢

 O嬢はどこやらでS・Yさんが翻訳したと発言なさっていますが、あれは記憶の改竄ではないかと思うのです。もっとも記憶とか時系列はそういったものなので一向にかまわないのですが。私がご当人から確認した大昔のはなしでは、S・Yさんが手伝ったのはランジェリーの名称のみ。しかも私には適訳とは思われません。もっとも、原文を解さないのでランジェリーの専門用語が遣われているのかどうかすら分かりません。従って、本当はなにも言えません。

 マゾヒズムとサディズムが同一人のなかで共存しないように、マゾヒストとサディストとの出遇いはどうあっても起こりえないものです。鞭をふるわれる側にあっては鞭を携えたひとは快楽を与えてくれるサンタクロースのようなもので、喜びを持って迎えられた瞬間からサディストはサディストとしての存在意義を損ってしまいます。そんなはなしを某マゾヒストに聞かせたところ、「私には関係のないはなしです。だって私は縛られるのが好きなのですもの」
 小説だからいいようなものの、マゾヒストは頭は猿、むくろは狸、尾は蛇、手足は虎の姿、鳴く声はぬえといった化け物のような存在ではないでしょうか。ぬえ退治の源三位頼政がステファン卿や司令官と縁戚関係にあったかどうかの記載は平家物語になく、サディストであったかどうかの記述も抜け落ちています。
 余談はさておき、O嬢は恋愛をデューイのいうインストルメンタリズムに則って描いた傑作と解釈しています。O嬢の場合は恋愛や性愛ということになりますが、それら観念は状況を変えるための道具であり、その真偽よりもむしろ有効性(確定的な状況)が問われなければならないとの証明と考えれば、ジルベール・レリイとジャン・ポーランとの鞘当ても納得がいくのです。
 訳者T・Sさんのアンチ・ロマン嫌いはともかく、O嬢を高度に抽象化された小説とするのは理解に苦しむところです。貴兄の体制音調の流麗なる翻訳を心待ちにしています。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月18日 04:01 | 固定ページリンク




一考 | Sさんへ

 先日、歌人の黒瀬珂瀾さんが泥酔、みな死んでしまえと宣っていましたが、なんの異議もございません。世の中、自称くろうとさんばかりで困惑させられます。それこそ縄にも蔓にもかからないシロモノばかりではありませんか。いまどき「ドシロウト」や「ガキ」と言えるひとが幾人残っているのでしょうか。貴兄は希少な天然記念物といいますか、神戸が生んだ珍獣です。これは褒め言葉として遣っています。
 「われわれは生きています、これだけでもよしとしよう」との原点に戻りましょう。タケウチ・ヒロクニ同様、われわれもすごい「生き残り」ではないですか。貴兄は間違いなく、なにかに帰属して温かく包まれる生き方、要するに安逸や心地よいものをしりぞけてきました。多義的で、矛盾や対立に満ちたとらえがたい文学を思想を身を挺して追い求めてきたのです。二人して「みな死んでしまえ」と小声で叫んでみたいものですね。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月18日 20:16 | 固定ページリンク




りき | 「某」創刊記念オフ会告知

いよいよ「某」本誌がでます。

こういう雑誌です。

目次一覧です

*********************
水晶散歩(kao)…連載
皇帝の食卓(レオ・ペルッツ 垂野創一郎訳)
うかい(松本楽志)
月想(高橋郁子)
〈修羅〉の自覚(小野塚力)
時の神=クロノスを中心に(玲はる名)
編集後記(土屋和之編集長)
*********************

全100ページ。限定150部。

で、ですぺらで発刊日にうちあげをやります。

日時:12月30日 18時30分くらいから

飲食代は各自分担分。
たんにですぺらに集まるだけです。

が、「某」本誌を確実に買えるという特典が。



投稿者: りき    日時: 2006年12月20日 07:22 | 固定ページリンク




エス | 一考さんへ

まったく同感です。畜生! もう二人してちょっくら小声で叫んでいますよ! 



投稿者: エス    日時: 2006年12月20日 21:35 | 固定ページリンク




エス | サディスト

たしかジルベール・レリーでしたか、マゾヒズムというのは自己に向けられたサディズムであって、存在するのはサディズムだけである、というようなことを言っていたと思いますが、世の中サディストばかりというのも当たり前のようでなんか面白味がないかもしれません。
ところで、ジルベール・レリーは頑固一徹なサド学の泰斗であるばかりでなく、素晴らしく特異な詩人でもありました。
翻訳がないのが残念ですが、『わが文明』という詩集は私の偏愛する詩集でもあります。
おお、サド、日々よ、山々よ、記憶の砦を彷徨う亡霊よ! カラヴォンの向こうに花の咲き乱れる谷間があったのだ。



投稿者: エス    日時: 2006年12月21日 10:45 | 固定ページリンク




一考 | マゾヒスト

 ご指摘のとおり、「O嬢におけるジルベール・レリーとジャン・ポーランとの鞘当て」と書いたのはそのことです。ジャン・ポーランのサド論にレリーが噛みついたわけですが、それを軽くいなすというか、はぐらかしたのがO嬢に附せられた長い序文です。もっとも、自傷行為をサディズムに見立てるのには跳躍があって、小生はレリーの意見に与することはできないのですが。
 サディズムとマゾヒズムを対立的・図式的に捉える、もしくは弁証法的に統一するのはどちらに転んでも同じことで、レリーのサド論はクラフト=エビングの「性の心理学」を一歩も出ていません。クラフト=エビングはサディズムとマゾヒズムは別個に独立したものでなく、能動と受動との対立によって性衝動がつくりあげられてゆく一つの単位であって、両者は切り離して考えられない、と定義します。レリーのサド論はそのクラフト=エビングやフロイトの定義に則って著されたもので、サディズムとマゾヒズムとの個々の項目の異質性や多義性を視界から簒う結果になっています。
 他方、反転・転位・顛倒・仮装・弁証法的分裂といったソフィスト的技法を駆使したドゥルーズの「マゾッホ紹介」は正確な意味において徹底したレリー批判の書として読むことが可能です。鞭をふるう側もふるわれる側も、共にマゾヒズムの世界の住人でなければ困るのであって、どこまでいこうがサディズムの世界とは無縁とするドゥルーズの考えはそのままO嬢擁護に当てはまります。エロティックな要素をしりぞけてエロティシズムに徹した、すぐれて哲学的な小説O嬢をめぐる鞘当ては、それだけで一本のエッセイを著わせるのではないでしょうか。
 いずれにせよ、ジルベール・レリーのサド論とジャン・ポーランのそれとの乖離と言うよりは、意地の張り合いが面白いのです。さらに加えるにドゥルーズです。「サドにスピノザ思想が、推論的理性があるとするなら、マゾッホにはプラトン主義が、弁証法的想像力がある」とはドゥルーズのよく引用される言葉ですが、そのところを抜きにすればO嬢の面白みは半減します。

 ジルベール・レリーの「わが文明」については当掲示板でなんどか触れたことがあるのですが、二〇〇三年五月以前の書き込みなので検索できません。「ドゥーヴの動と不動」のボンヌフォアの初来日が1968年、その折に大槻鉄男さんの通訳ではなしたのですが、ジルベール・レリーの詩を激賞なさっていました。早速ポヴェールへ問い合わせたところ、二冊の詩集が送られてき、内容と当時まだ在庫があったという点に愕かされました。
 多田智満子さんがボンヌフォアをお好きなのでレリーの詩を紹介したのですが、こんなものはダメと憤慨なさっていました。エロティックなもの万般に拒否反応を示す多田智満子さんなら当然の結果だったのですが、およそ頑固さにおいて多田智満子とレリーは双璧だと思いました。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月23日 00:25 | 固定ページリンク




エス | 一考さんへ

なるほど。
マゾヒズムについてのお説面白く拝聴しました。
「О嬢」もう一度読み返してみます。ずいぶん昔に読んだものですから…
多田智満子さん宅には、お亡くなりになる数年前に遊びに行きましたが、文学の話はたぶんほとんどなかったと思います。ずいぶんお元気そうに風変わりな息子さんの話をしておられました。小生と重なるところがあったようです。
たしかに多田智満子とレリーというのは考えにくい取り合わせですね。
レリーのサド論で小生が興味を抱いたのは、サドとフランス革命をはっきりと対立させたところでした。つまりジャコバンのテロリストたちとサドの本質的な違いを論じたところです。サドとフランス革命についてこれほどはっきりと物を言ったのは、他にはバタイユくらいしか思い浮かびません。テロリストの起源がフランス革命にあると声高に述べるのはフランスではタブーでしたから。
ボンヌフォワは昔からレリーを評価していたようですね。
遠藤氏が「クロソフスキー会見記」で述べていたレリー像も面白かったです。実際に会ってみると、世間をあしざまに言うばかりの偏屈老人だった…
彼のリリカルな詩には、その偏屈さがとてもよく表れていて、小生は好きなのですが…
現在、レリーの本はメルキュール・ド・フランスが出しています。詩作品の全集も出ています。



投稿者: エス    日時: 2006年12月23日 12:25 | 固定ページリンク




薫子 | 年末年始の営業日

ですぺらは年末31日大晦日まで営業しております。
ただし31日のみ午後6時より12時とさせていただきます。

なお年始は4日より通常通りの営業となります。
よろしくご了承のほど、お願いいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2006年12月27日 16:43 | 固定ページリンク




管理人 | 聴いたはなし


困窮っていやですねえ。

なんでも、ですぺら主人のところでは、困窮極まって、正月の餅代もないらしい。
正月をうどん食ってしのぐと言ってました。

人が困っているときは助けあいの心がほしいものです。



投稿者: 管理人    日時: 2006年12月30日 02:56 | 固定ページリンク




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