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2003年11月 アーカイブ

一考 | 蕎麦の実の浅漬け

 蕎麦の実の外皮を取り去った(丸抜き)ものを蕎麦米といいます。徳島、愛媛、山形では干した大根の葉や生姜、椎茸、牛蒡などとともに雑炊にしていただきます。三好郡の祖谷地方や美馬郡あたりの山村の蕎麦米は特に知られています。また新潟や山形の一部では蕎麦米の浅漬けが酒の肴として食されます。江戸期の蕎麦百珍にもそのレシピが書かれ、蕎麦通には馴染みの食べ物です。
 ところが東京へ来て以来、蕎麦屋で蕎麦の実の浅漬けに出会ったことがございません。そして検索をかけて驚いたのですが、ネット上に浅漬けの記述がないのです。どうやら東京の蕎麦好きにとって興味の対象は蕎麦切りであって、懐石としての蕎麦はうっちゃられているようです。もとを正せば、蕎麦が名をなしたのは懐石料理で採り上げられたからなのです。もう少し料理人が差配する蕎麦懐石にも目を向けていただきたいものです。
 さて、その蕎麦米の浅漬けのもっとも簡単な作り方を書いておきます。所要時間は二時間以内、末尾に購入先も記載しておきます。

 一 しかるべき量の蕎麦米を一時間ほど水に晒した後、水切り。
 二 白出汁に酒と微量の酢と塩を加え煮立てます。そこへ蕎麦米を入れて七分から十分とろ火で炊き、再度水切り。
 注意事項
 白出汁はインスタントの出しの素で結構ですが、その場合は塩は不要です。
 酒は全量の五分の一から四分の一ぐらい。間違っても吟醸酒は用いないように。
 酢は水四合にティースプーン一杯といった感じ。
 蕎麦の実が水を吸って三倍ぐらいに膨らみますので、だし汁は潤沢に用意してください。
 三 冷ました蕎麦米を密閉容器に入れ、三分の二ぐらいまで浅漬けの素を入れます。そうするとあら不思議、三十分で出来上がりです。

 蕎麦好きにはそのプチプチ感が堪らないのですが、にべもない香味であるのも事実、カタルシスからはほど遠いと思われる向きには鷹の爪の微塵切りを一緒に漬け込むのをお薦めします。ただし、微量にしてください。

 ネット検索の結果、埼玉の「米のこくまん」(http://www.kokuman.com/cargo/cargo.cgi)が最も安かったようです。蕎麦米一キロ700円、どうぞ御贔屓に。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月06日 20:34 | 固定ページリンク




如月 | 「病院ギャラリー」写真集

四谷シモンの作品15体は、2001年10月から2003年9月にかけての 717日間、愛媛県伊予三島市の整形外科病院、名付けて「病院ギャラリー」に 展示されました。この「病院ギャラリー」をとりあげた写真集「病院ギャラリー 717DAYS 2001-2003」が、11月14日心泉社から刊行されます(A5版 96 ページ、税別価格¥1,900)。 手術室に立つ「解剖学の少年」、病室に幽閉された「男」。幻のような展示は2 年間で幕を閉じましたが、その世界はこの写真集に再現され、残り続けます。 【編集・発行】メディアプロダクション ヒッティ編集部 くわしくは、↓ページをご参照ください。 http://www.simon-yotsuya.net/information/GH717DAYS.htm



投稿者: 如月    日時: 2003年11月09日 02:07 | 固定ページリンク




如月 | パリの人形展に出展!

2004年1月19日~7月26日、パリ市立アル・サン・ピエール美術館で開 催される人形展に四谷シモンが4~5点の作品を出展することが決定しました。 展覧会の詳細については、↓ページをご参照ください。 http://www.simon-yotsuya.net/information/sp-poupee.htm



投稿者: 如月    日時: 2003年11月10日 01:45 | 固定ページリンク




薫子 | おおっ!

 シモンさんの作品をパリの美術展に出品ですか。すごい!どのような人形を出すのでしょうか。パリの人達がどういう風に見てくれるのか、楽しみですね。私もパリまで見にいきましょう。なんていうことが、できるようになりたいものです。くすん。病院ギャラリーは終わってしまったんですね。遠くていけませんでした。店に貼ってあるポスターを見て、彼の人形はどこに行けば見られるのか、とアメリカ人に問いつめられたことがあります。いつもどこかに居てくれるといいのに。



投稿者: 薫子    日時: 2003年11月10日 12:26 | 固定ページリンク




megumi | 楽しみましょう!

最近私たちの間ではやってる遊び教えちゃうね。新宿のある所なんだけど、最初掲示板みてしってそれから同じ会社の寮の友達といってみたんだけど、超楽しい。。。女性は全部無料で!!行ってみるとなんと有名店ケーキに豪華な食事食べ放題、飲み放題、そしてきわめつけは!!超いけてる男をゲットできる。もう友達とはヤミツキになってしまった。一人でもよく行ってる。あんなにいい所見たことないよ。超はやってる。だまされたと思って足を運んでみては??あそこを悪いって言う人はいないはず。



投稿者: megumi    日時: 2003年11月10日 15:07 | 固定ページリンク




太田 守 | (無題)

先月西明石駅前の小さなギャラリーでひと月小生の作品展をやりました。来年一月末にかなり大きな展示会を開催するので、今製作にオオワラワです。



投稿者: 太田 守    日時: 2003年11月12日 00:05 | 固定ページリンク




薫子 | 太田さんへ

 ご無沙汰しています。西明石の「ですぺら」ではお世話になりました。よく明け方まで一考と「朝まで生テレビ」状態になりましたよね。私は側でヘラヘラ聞いていただけでしたが。ADSL開通おめでとうございます。ゆっくりネットサーフィンできる環境になったのですね。でも怪しいHPにはお気を付けくださいまし。はまりそうな予感が。個展の日程等、詳細も教えてください。赤坂へも是非いらしてください。



投稿者: 薫子    日時: 2003年11月13日 14:30 | 固定ページリンク




薫子 | 酒井潔「悪魔学大全(1) 愛の魔術」

 学研M文庫より発売(税別1000円)。11月11日より店頭に並んでいる筈であります。なかなか見かけない学研文庫、さらにこの本は部数も限られているでありましょうから、是非お早めにお求め下さいませ。淫靡な夢を見る方法から愛の成就、呪いのかけかたまで、元祖オカルト、占い本でもあります。それにしても印刷所さま、ご苦労様です。
 皆々様、今後の学研M文庫文芸シリーズ(?)の存続のためにも、ご協力ください!



投稿者: 薫子    日時: 2003年11月13日 15:09 | 固定ページリンク




りき | すいません。

>一考さん、薫子さん
明日は友人の誕生会ということで、
ビーフシチューをお願いしていたのですが、
人が予定よりこないことになってしまいました。

ビーフシチューが余ってしまいますよね?

明日、ですぺらに行かれる方はいますか?
明日早めにいかれれば、ですぺら隠しメニュー
ビーフシチューがおいしくいただけるはずです。
(ただし、数量限定)



投稿者: りき    日時: 2003年11月15日 00:44 | 固定ページリンク




一考 | 「Kandata」入手

 久しぶりに「Kandata」と「Habian」の両フォントが入手可能になりました。ウインドウズ用のTTFフォントとマック用のスーツケースタイプの双方が入手可能です。TTFからの変換は富田倫生さんの尽力によるもので、感謝感激です。「Kandata」や「Habian」はテキストブラウザーのT-Time にもなじみ、青空文庫の「新JIS漢字総合索引」が活用できます。
 そして、Mac OS X以前の環境でも、JIS X 0213で新たに定義された第3第4水準の文字の入力や表示が可能になります。ダウンロード先のURLは以下のごとし。
 http://fairuse.hp.infoseek.co.jp/



投稿者: 一考    日時: 2003年11月16日 03:20 | 固定ページリンク




一考 | さくらでのお喋り

 積み残しの原稿に手間取りましたが、やっとの思いで終了。しかし、次の締め切りが迫ってきました。新宿で朝まで酒を飲みたいなあなどと、埒もないことを夢見ております。
 12月の10日に酒井潔の「悪魔学大全2」が学研から上梓の予定、「悪魔学大全1」に続いて拙い繰り言を付しました。お買い上げくだされば幸甚です。また「料理王国」の12月発売号にはですぺらでのテイスティングが掲載されます。対象はカリラ、ラガヴーリン、ラフロイグを各六種類づつです。同誌にはカスクについての短文も併載、どうかよろしくお願い致します。

 松井純さんにはトークでお世話になりました。あれでショーになりましたかどうか。心許なく思っております。二十歳の頃の私をおそらくもっとも正確に知っていらっしゃるのは編集長の谷さんと松井さんに違いないのです。だって当時、それ以外のひとと本音すなわち文学論など話し合った記憶はないのですから。人文書院と私との関わり合いについて存分に話せました、感謝致しております。
 U野さんが「煮ても焼いても食えない頑固親父」と一言、K沼さんは「話すことが真っ当すぎる。喋るときは正論ばかりで、なにか腑に落ちない、逆に胡散臭さを覚える。一考さんのいかがわしさが皆目伝わってこない」などなど。生真面目なご批判も頂戴しましたが、私にとっては駄法螺を吹いて煙に巻くがごとき快なる一夜でございました。実はあのあと、メールが入りました。私がお喋りしたヴァレリー・ラルボー全集や稲垣足穂の書簡集を本にしたいとの内容です。たとえ一冊でもはなしがまとまればよろしいのにと思っております。
 次の原稿は間村さんのご依頼、やっつけ仕事では済みますまい。ひとつ濃厚な「とどの涎」を擦り付けねばと覚悟致しております。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月17日 23:05 | 固定ページリンク




一考 | 陽のあたらない文学館

 先日、酒井潔の「悪魔学大全2」の解説で「庶民派エンサイクロペディストの石井研堂、そのあとを継いだ和田健次や日置昌一。『東西薬用植物考』の川端勇男、『東西香薬史』の山田憲太郎、『東西沐浴史話』の藤浪剛一、『日本化粧史考』の久下司、『見世物研究』の朝倉無声、『香具師の生活』の添田知道、『賭博と掏摸の研究』の尾佐竹猛、『とらんぷ』や『奇術随筆』の阿倍徳蔵、『奇術の世界』の坂本種芳、『カメラ社会相』の片岡昇、『奇妙な存在』や『露西亜舞踊』の大田黒元雄、『夢』の研究に没頭した石橋臥波、芸者心得帳とでも称すべき『候べく候』を著した楠瀬日年、『金魚の研究』に生涯を捧げた松井佳一などなど、圏外文学のネタには事欠きません。青裳堂書店の『日本書誌学大系』の向こうを張った本朝圏外文学大系の上梓を私は心待ちにしているのです」と著しました。
 固有名詞を並べ立てるのは私の趣味ではないのですが、某編輯者に唆され、まあそれもよかろうと言うことに相成りました。この内の三冊は重版が上梓されましたが、その他の書冊はいまなお顧みられないようです。
 柵山人、坂本紅蓮洞、藤沢清造、兵本善矩、泉斜汀、荒川義英、倉田啓明は亀鳴屋さんにお任せするとして、稲垣足穂、池谷信三郎、郡虎彦、十一谷義三郎、鈴木泉三郎、鈴木善太郎、富ノ澤麟太郎、山田一夫、正岡容、西川満、大黒田元雄、木下杢太郎、牧野信一、野溝七生子などは気になる作家です。その内、郡虎彦、木下杢太郎、牧野信一は全集が出ているので不要。山田一夫と正岡容は全集ではないのですが、一応読むことが可能です。野溝七生子は小出昌洋さんが頑張っておられるのでこちらも問題なし。とすれば他の八名になります。
 毛並みの変わったところでは大泉黒石、松永延造、辻潤、武林夢想庵は纏まった形で読まれるのですが、野村隈畔の著書はただの一度も重版されていません。さらに加えるに城左門と西条八十の詩は上梓されましたが、平井功、矢野目源一、石川道雄は未刊のまま。そう言えば、石川信夫を読むのも不可能に近い・・・とこんなことを申し上げるのは他でもない。東京の某出版社が来年、この辺りの「陽のあたらない文学館」にどうやら陽を当てるらしいのです。第一回は「跫音」や「白樺になった男」を著した十一谷義三郎。正夢になりますようにと祈っています。M井さん、頼みますよ。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月18日 00:02 | 固定ページリンク




一考 | モルト会13

 11月22日(土)の夕6時から10時にかけて第13回目のですぺらモルト会を催します。会費は6000円、メニューは以下のごとし。
 1年分のボトルの取り置きは不可能ですので、2箇月分ずつ紹介させて頂きます。1年間で120の蒸留所のシングル・モルトを味わうことになります。
 年内および来年の開催は毎月第4土曜日、従って次回は12月27日です、どうかよろしく。例によって、ウィスキーの解説はその日にお渡し致します。

11月
@ラガヴーリン('90 シールダイグ)アイラ
@ダルユーイン('80 サマローリ)スペイサイド
 トミントゥール(10年)※スペイサイド
@ピティヴェアック('85 ケイデンヘッド)スペイサイド
 ベンローマック(12年 ゴードン&マクファイル)※スペイサイド
@アバフェルディ('77 ゴードン&マクファイル)ハイランド
@グレンカダム('91 ウィスキー・ガロア)ハイランド
 マクダフ('75 ゴードン&マクファイル)ハイランド
 バルブレア('73 ゴードン&マクファイル)ハイランド
 インヴァリーブン('84 ゴードン&マクファイル)ローランド
12月(こちらは予定です)
@ハイランド・パーク(8年 ゴードン&マクファイル)アイランズ
 グレン・グラント('76 ウイルソン&モーガン)スペイサイド
@グレンバーギ('88 グレン・アラン)スペイサイド
 グレンクレイグ('75 ゴードン&マクファイル)スペイサイド
@グレンロッシー('89 ダグラス・マクギボン)スペイサイド
@ダフタウン('90 ダグラス・マクギボン)スペイサイド
@エドラダワ-('76 シグナトリー)ハイランド
 グレンアギー('67 ゴードン&マクファイル)ハイランド
@ノックドゥー('89 ケイデンヘッド)ハイランド
@プルトニー('90 ヴァン・ウィー)ハイランド

 @は去年とは異なる新規ボトルです。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月19日 20:24 | 固定ページリンク




一考 | 内藤三津子さんのことなど

 馬場さんへ
 いつぞや某誌に「今となってはすべて懐かしい思い出である」と書いてこっぴどく叱られたことがある。確かに不用意な文章である、というよりは内容空疎、陳腐な常套句と言えようか。懐かしさを「懐かしい」との言葉を用いずに書き表すのが表現であって、これが私の肉声だとするならば恥じ入るしかない。
 「閑話休題」と「物懐かしい」は宇野浩二がよく用いる文言で、宇野浩二の愛読者である私はついうっかりしていたのである。私のような凡庸な輩は文章を反芻せず、むしろ緊迫感すら抱かずに文章を拵える、悪い癖だと分かっているのだが、そこから抜けきられないがゆえの凡庸なのである。
 さて昨夕、「何ともいへぬ物懐かしい臭い」と久しぶりに出逢った。臭いの主は内藤三津子さん、臭いを漂わせた場所は「風紋」ではなく新宿の「エイジ」。実は締め切りを終え、居ても立ってもいられなくなり、深夜のエイジへ酒を求めて立ち寄ったのである。三十余年前に幾度となく内藤さんとはお会いしているのだが、その後は電話のみにて、ついぞお会いする機会がなかった。カウンターでお互いその人と知らず、官憲の悪口を肴に酒を飲んでいたのである。やがて私に電話が入り、「一考ですが」・・・「あら、あなた渡辺一考さんなの」で官憲への罵詈雑言は薔薇十字社時代の「戦友の思い出」に取って代わった。三島由紀夫から澁澤龍彦へと華やかな会話の裏で内藤さんがふと洩らした一言「晩年がこんなに長いとは思いだにしなかった」。
 記憶が違っていれば申し訳ないのだが、たしか「血と薔薇」が創刊されたのが68年か69年、四冊の終刊から一年を経て、薔薇十字社が設立されたと記憶する。わずか四年の期間であったが、内藤三津子の名はいまになお語り継がれている。
 編輯とは他者との出逢いと排斥、他者と自己との境界を劃定し続ける試みに他ならず、出版は金銭との格闘に終始する。そして権威、才能、実績の裏面にはかならずやセンチメンタルな情動が寄生する。その感傷を、薔薇十字社時代の恨み辛みを近々札幌の出版社から上梓されるとか、鶴首して待ちたい一本である。
 この書き込みを馬場さん宛にしたのは他でもない。「さくら」に於ける月一回のトークショーは結構なのですが、過去に生きた自らの歴史をかなぐり捨て、沈黙してしまった60年代、70年代のプライヴェート・プレスの人たちとのトークに出来ないものでしょうか。華やかな一時を過ごした敗残兵たちの、血と薔薇ならぬ宿酔と血痰の日々、若いときには想像することすらかなわなかった老いてからの屈折と苦衷、陽の光に翳さねばならないのはそちらの方ではないのでしょうか。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月20日 20:34 | 固定ページリンク




一考 | つわものどもが夢のあと

 先日、酒井潔の「悪魔学大全2」の解説で神戸の古本屋「俳文堂」について触れた。ろくに調べもせず、記憶で書き綴ったため、担当編輯者に迷惑をお掛けした。すこしく訂正しておこうと思う。
 俳文堂主人有川正太郎さんは沛文洞と号し俳句を嗜まれたが自らの句作は纏めず、第六和露句集「阿蘭陀渡」(昭和四十九年八月刊)を遺し、糖尿を煩って逝った。
 私が中学生のころから入り浸り、懇意にさせていただいた古本屋は元町六丁目の俳文堂と同五丁目の黒木書店、それと大阪の浪速書林である。有川さん行きつけの茜屋珈琲店で俳句の講義を三日に一度は聴かされた。新傾向俳句が新傾向風なマンネリズムから脱皮して自由なリズムをとるようになった大正初期の俳諧、または松岡青蘿や内藤丈草の句を教わったのも、すべては有川さん在ってのことである。
 第六和露句集の巻末に付された有川さんの「玉稿愚考」より引用する。

 川西和露逝きて三十年。
 いま、和露第六句集を編みつつ、その玉稿より、ひとつの「驚き」を発見したのである。
 (中略)
 「コビヘツラウ」ことだけが尊重され、高貴な精神的なものを認めようともしないばかりか、まかりちがえば、異端視もされかねないのが世の常で、私達の日常生活の周囲には勿論、あらゆる面においても「オベンチャラ」が余りにも多く感じられるのである。併も、純粋と知性を誇り、人格の反映ででもあるべき筈の「芸術の世界」にあっても、それが常に醜悪な妥協となって、堂々と通用するのが現在社会である。
 碧梧桐門の逸材で、その短律化された数多い和露の秀句からは、微塵も「オベンチャラ」を感じられないばかりか、そこに瞑想的な摯実な真情を吐露する俳人の全貌をみることができるのである。そして定形化した「句の色と形」を、ものの見事に打ち砕き、読む者をして、和露との間に、美に、いのちに、連帯観すら生れてくる不思議さが魅力となってくるのである。

 序でに川西和露の略年譜を。

 1875年 神戸市兵庫区東出町に生まれる。鉄商を営む。本名徳三郎。
 1907年 この頃より碧梧桐に師事。
 1910年 摩耶会を起こす。玉島俳三昧に参加。玉島俳三昧とは備中の玉島で全国行脚中の碧梧桐を中心に十数名の同人が一つ宿に一週間ほど寝食を共にして催された俳三昧を指す。
 1914年 第一和露句集上梓。
 1915年 12月、第二和露句集上梓(短律見ゆ)。海紅同人。
 1916年 12月、第三和露句集上梓(短律多し)。射手同人。
 1914~1916年 和露主宰の俳誌「阿蘭陀渡」発行。
 1920年 第四和露句集上梓。碧梧桐外遊に贐けして。
 1925年 10月、第五和露句集上梓。碧梧桐銀婚式を祝して。
 1938年 和露文庫俳書目をひむろ社より上梓。
 1944年 須磨月見山へ転居。和露荘と名づく蔵書の散逸を恐れ、古俳書を天理図書館へ収め、明治以後の活字本を神戸市立図書館へ寄贈。
 1945年 死去。享年七十一歳。

 今日、「俳諧大辞典」を繙くも俳人の部に川西和露の名は登録されていない。しかし、俳書の部には「和露文庫」が載っている。和露文庫が俳諧史の研究に大きな功績を残したことはひろく識られている。「和露文庫」は野田別天楼開題、安井小洒校訂になる「蕉門珍書百種」の後を追って出版されたもので、共に川西和露が多年蒐集した珍書佳冊の飜刻である。蕉門珍書百種刊行会と和露文庫刊行会は共に神戸市上筒井通七丁目にあったなつめや書店に設けられた。なつめや書店の店主は安井知之、小洒と号した俳人で、全冊の校訂兼発行者である。取り敢えず、頭五冊の紹介を。

 第一編 已酉初懐紙 大正15年1月
 蕪村の後継、高井几董の寛政元年の初懐紙。几董の初懐紙は従来安永二年から天明七年までの十五冊とされてきたため、寛政没年の初懐紙は新発見。衆目に触れざりし珍書。
 第二編 誹諧生駒堂 大正15年4月
 元禄三年、月津燈外の編になる。来山、鬼貫を中心とした浪花の俳風が談林の諧謔より蕉風の閑寂に移ろうとする機運を伺うに最適。
 第三編 青蘿発句集 大正15年6月
 松岡青蘿は日夏耿之介がわが邦のマラルメと讃じた天明の俳豪。巻末に付された同じ播磨の人戸田鼓竹の「青蘿考」は貴重。
 第四編 骨書 大正15年12月
 天明中興の峻豪、樗良と青蘿の両吟を骨子に、青蘿門下の句を収録。加えるに青蘿の未収録秀句を付載。
 第五編 印南野 昭和3年7月 
元禄九年、播州の人、井上千山の撰になる蕉門古老の吟。主として来山、鬼貫系の句の蒐録。

 上記書冊とは別に、野田別天楼編輯になる「丈艸集」が大正十二年九月に雁来紅社から上梓されている。別天楼こと野田要吉が編輯と発行を兼ねた私刊本で、住所は兵庫県武庫郡御影町字掛田。俳句と文章が収録されているものの、連句と漢詩は割愛。安永三年に開版された蝶夢編の丈艸発句集に拾遺五十二句が加えられている。瀧口修造が愛惜措く能わざる一本と評した書冊である。
 青蘿や丈艸に付いて述べるのは他日を期したい。ただ、神戸にかかるユニークな出版人がいたということを書き残しておきたく思う。私は番紅花舎の名で本を出したこともある。番紅花とはサフランのことだが、雁来紅社を念頭に置いての命名であった。薔薇十字社同様、短命に終わったが、五典書院や椿花書局など神戸にもすぐれた出版人がいた。とりわけ、新開地にあった中山書店のご子息中山隆一郎さんが起こした限定本書肆椿花書局の存在は私にとっては大きな励みであった。限定番号を活版で摺り込み、扉本文は共紙による二色刷。彼の典籍形態美に対する熱い思いがなければ南柯書局を続けることはかなわなかった。いまは届かぬ戦友への憐憫、何ともいへぬ物懐かしい紺青の臭いを噛みしめたく思う。

 追記
 日夏耿之介の讃とは「松岡青蘿の象徴句風」、内藤丈艸と瀧口修造については加藤郁乎さんの「夢一筋」を参照されんことを願う。また、「掌中破片」をはじめとする瀧口修造晩年の箴言とも短律ともつかぬ作品には丈艸の響影大である



投稿者: 一考    日時: 2003年11月21日 04:17 | 固定ページリンク




moondial | (無題)


佳いですね、凛とした二十歳前後の一考さんを思い出します。
これからが楽しみです、もっと書いてください。



投稿者: moondial    日時: 2003年11月21日 15:30 | 固定ページリンク




如月 | 四谷シモンが「球体関節人形展」に出展

四谷シモンは、来年2月~3月に東京都現代美術館で開催される映画「イノセンス」
公開記念の押井守監修「球体関節人形展」に「未来と過去のイヴ」から近作まで、
約10点の人形を出展します。同展覧会の情報は↓ページをご参照ください。
http://www.simon-yotsuya.net/information/exposition2003.htm



投稿者: 如月    日時: 2003年11月21日 23:41 | 固定ページリンク




松原和雄 | 癒し系お話会


癒し(いやし)の会

癒し(いやし)系・お話会です。
 「人を癒すのは人である」という精神から始めました。
話題は人生の悩み・病気・失恋・孤独・失業・社会問題、etc
出会いの場・友人作りの場にして下さい。
 
◆場所    豊島区立青年館(JR池袋駅・西口)
◆連絡先   松原 和雄 (ケーシー松原)
         Tel/Fax 0492-58-3218
         ホームページアドレス http://www.asutoraia.com/



投稿者: 松原和雄    日時: 2003年11月23日 21:10 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 松原和雄さんへ
 友を求めてか、商いなのか詳細は判じかねますが、人を癒すのが可能と信じていらっしゃるのであれば、他の掲示板へいかれるがよろしかろう。当方は非癒し系掲示板でございます。
 「人を癒すのは人である」という意趣が精神であると仰るなら、小生はそのアントニムの方にこそ興味を抱きます。人生の悩み・病気・失恋・孤独・失業・社会問題、etcが出会いの場・友人作りの場とどのような関わり合いを持つと仰るのか、まさに珍説。とは申せ、かかる能転気な発想へのお付き合いは御免被ります。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月24日 05:23 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 馬場さんへ
 貴女に託けて勝手なことを言っているだけですので、お気になさらないように。しかし、内藤さんとトークをしたいなと思ったのは本当です。松井さんと話し合ってくださいませんか。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月24日 09:01 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 moondialさんへ
 薫子さんが連休のあいだ線香をあげに神戸へ帰っています。おそらく八木さんのところだと思うのですが、貴方へも連絡がいくのでしょう。その折はどうかよろしく。
 この二箇月ほどのあいだに45冊の寄贈を受けました。嬉しいのですが、悲鳴をあげています。だって、すべてに感想文は書けませんもの。
 四谷シモンさんの人形写真集「病院ギャラリー」が心泉社から出版されました。全ページカラーで1900円、今月一番のお薦めです。19日に人文書院から本をすこし送っていただきました。岡田温司さんの「カラヴァッジョ鑑」と「モランディとその時代」、ピエール・プチの「モリニエ」、それとブルトンにあまり興味はないのですが、ジュリアン・グラックの「アンドレ・ブルトン」はやはりおもしろい本です。もっか日本酒を飲みながら、宮園洋さんの遺稿集を読んでいます。思潮社の製作を担当していた友人で、詩人にしてイラストレーター、装丁家にして編集者、編集工房百鬼界の創立者です。岡山時代にずいぶんとお世話になりました。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月24日 09:02 | 固定ページリンク




moondial | 番紅花舎?


「番紅花舎の名で本を出したこともある」と書かれておられますが、
はて、何を出されたのでしょう。一考さんが十代の頃ですよね。



投稿者: moondial    日時: 2003年11月24日 12:16 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 moondialさんへ
 番紅花舎の名で出したのは吉岡実さんの「サフラン摘み」です。南柯書局自体、必要があって書肆南柯を用いたこともあり、一考以外の名前もなんどか使っています。一志とか本名の一孝とか、苗字も渡邊、渡邉、渡辺、福原、神戸などいろいろです。確かに十代の頃から何冊かの本は造りましたが、そちらは内緒です。貴方には私のペンネームも一部明かしましたがそちらは言わないでくださいよ。理由があって名を伏しているのですから。
 東京で画廊を切り盛りしてきたO田さんや日本橋で編輯プロダクションを営むS原さんはそれぞれ10種類ほどの変名を使っています。O田さんが書かれた小説は膨大な量ですが、内容はW康さんのむこうを張るものです。一方は生活のため、片方は変態趣味の産物ですが、共に本名は一度も明かしていません。もう5年になりますが、W康さんが亡くなった時、書肆山田の鈴木一民さんから遺稿集が編めるのは御主しかいないのだからと言われ、肝を冷やしました。
 世のなかには闇から闇へ葬ったほうがよいと思われるものがいくらでも御座います。それでなくとも、生きるとは質の悪い冗談、こころあるひとは自らをあざむき騙しつづけて生き延びているのですから。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月24日 16:11 | 固定ページリンク




一考 | 宮園洋さんのことなど

 宮園洋さんの遺稿集「洋さんのあっちこち」がれんが書房新社から出版されている。宮園洋さんは2001年1月19日、岡山の自宅前で車に轢かれて逝った、享年59歳だった。
 1970年に出版されたバタイユの詩集は宮園洋さんの手になるもの、従って私が洋さんと出逢ったのは同年の春先ということになる。洋さんのみならず、この前後には桑原茂夫さん、菅原孝雄さん、大泉史世さんなど思潮社のおかしな人々と知り合った。
 1985年、雪華社での仕事にありついて上京、中野新橋に仮寓を構えてから洋さんとの酒宴がふたたびはじまった。中野新橋には洋さん御贔屓の酒場「なべや」があり、そこを一考も贔屓にせよと桑原さんから強く薦められたのである。
 「会えば酒。日付の変わるところで終わることはない。どこまでも」と和久井昌幸さんが著しておられるが、1989年までの4年間というもの、東京消防の編輯の仕事で洋さんが上京するたびに燗酒を酌み交わした。私が借りた家がもと料理屋で、家のどまんなかをカウンターが走り、業務用の冷蔵庫や1.5メートルの俎板が備わっていた。やがて行き場を失った編輯者の溜まり場となり、「なべや」ともども「一考亭」も大繁盛、洋さんと二人で鍋物や天麩羅をよく拵えた。
 東京を離れたあとも岡山の手帖舎や生協の雑誌の仕事を彼は回してくださった。明石と岡山をバイクで往復、三枝和子さんや山崎剛太郎さんのエッセイを掲載したのである。
 「洋さんのあっちこち」の前半は内田百けん(門がまえに月)論、後半には「東京あっちこち」と題するイラストレーションと仲間による追悼集が収められている。イラストレーションは根津の居酒屋「根津の甚八」やゴールデン街の「まえだ」など、ノスタルジックな風景47点を収録。洋さんの気質をそのままに、実に克明に描かれたペン画である。
 百けん(門がまえに月)論の第一話には「御馳走帖」に出てくる盛り蕎麦のはなしが著されている。

 ・・・蕎麦を正午に届けさせるために蕎麦屋を訓練し、その効あって蕎麦が届くと正午だと思えるようになる。しかし、外出していて正午が近くなると、家で蕎麦がのびるのではないかと心配し「八銭の蕎麦の為に五十銭の車代を払って」大急ぎで帰って来る。
 外出先の近くに名代の蕎麦屋があっても、「そんなうまい蕎麦は、ふだんの盛りと味の違う点で、まづい」と言下に否定する。この思いは、飼っている小鳥たちが毎日同じ摺餌をあてがわれているのは、その同じ味故にうまいに違いないと想像するに至る。この頑迷固陋とも思える屁理屈のような理屈が、合理的にはまってしまうところに百けん(門がまえに月)の面白さがある。
 百けん(門がまえに月)は、いわゆるグルメという人種の対極に位置している人のようである・・・その美学を解さない限り、百けん(門がまえに月)先生の方が理不尽に見えて来る。

 この辺りの消息はまるで種村さんの「食物漫遊記」を思い起こさせる。屁理屈の合理化にはまるとは不思議な夢の旅、地図のなかにしか存在しない町を彷徨い続けるようなものである。「いつまで経っても、行きたい場所に辿りつけない」のは著者そのひとではなかったか。というようなことを書けばはなしが長くなる。要するに、洋さんの百けん(門がまえに月)論はおもしろいのである。A5版320頁で2381円の安価である、その半分を百けん(門がまえに月)論が占めている。
 洋さんの奥さんが営む割烹の鴨鍋はめっぽう旨かったと書けば、こちらはこちらで「岡山の焼鳥」をなぞることにしかならない。いずれにせよ、岡山へのバイク行はしばらく続いた。風はひとのこころを掻きむしる。風を欲してバイクに乗るのか、バイクに乗るから風に出逢うのか、私にとってはどっちだっていいのである。今年の五月の連休、東京から広島までバイクを飛ばした。倉敷の手前から横殴りの雨になった。きっとあれは洋さんが出迎えにきてくださったのだと思っている。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月25日 02:05 | 固定ページリンク




moondial | ファンレター

吉岡実さんの「サフラン摘み」は明石のご自宅で拝見したことを思い出しました。 曖昧なのですが、確か十部程の私家版で吉岡さんの何かの記念に出されたもので、非常に高価であったと記憶しております。 貴兄の出版されたものは出来る限り拝読させて頂きましたが、貴兄が十代の頃の京都時代と、三十代の頃の東京時代の出版物は読んでいないものが少なからずある筈です。 もしあるものなら、変名で書かれたであろう貴兄の「変態趣味の産物」をも含め、貴兄が関与された出版物のリストを一度送って下さいな。 貴兄は、私の青春時代のスーパーアイドルの一人でしたので、年甲斐もなく、また笑止の沙汰ながらミーハー振りを発揮して、今からよぼよぼとファンの追っかけをしてみたくなりました。

一昨日、薫子さんから携帯へ電話を頂きました。一度目は電話が取れなかったので、着信履歴を見ててっきり貴兄からだと思いご自宅にお電話した次第です。

「一考さん、電話くれましたか?」
「いや、電話していないですよ、寝ていたから」
「そうですか...」
「夢の中からも、電話した覚えはないですよ...」

素敵ですね、「夢の中からも...」って、座布団か花束を贈りたくなります。このような何気ない貴兄の言葉には、詩的な味わいや含みもありいつも感心させられてしまいます。貴兄の書かれた刺激的な文章は凡庸な私にはちょいと難しいけれど、誠に失礼ながら、貴兄の話し言葉は私にも判りやすく、素晴らしく面白い。今回薫子さんから、貴兄が文体を変えようと考えておられると伺いましたが、僭越ながら、その軽妙洒脱な話し振りをこそ文章にされれば宜しいのに。孰れにしろ、定点を持たない貴兄の更なる素敵な変身振りを楽しみにしておりますので、どの様な文体であろうがどんどん書いて下さいね。それに、またK沼さんの文章も是非読みたいものです、「取扱書」の続編、楽しみにしておりますので宜しくとお伝え下さい。

薫子さんとは久しぶりなので何か神戸ならではの馳走でもさせていただきたく思ったのですが、八木さんと待ち合わせがあるとかで小一時間程お茶をしただけで別れました。何もおもてなし出来ず申し訳なかったです。またゆっくり遊びに来て下さいね。



投稿者: moondial    日時: 2003年11月25日 15:12 | 固定ページリンク




一考 | 土屋和之さんの私家版

 高遠弘美さんの弟子すじにあたる土屋和之さんがエフライム・ミカエル詩集「玩具店」を上梓なさった。発行所は書肆あいか、印刷悦楽印刷、製本蹌踉とおくつけにある。もうお分かりかと思うが、自らパソコンでプリントアウトし、糸かがりした私刊本である。ミカエルにかんしては白鳥友彦さんの訳詩集「月と奇人」を参照されたいが、私自身二十代はじめのころ、曽根元吉さんからずいぶんと聴かされた。土屋さんの跋にもご両名の名が摺りこまれている。四篇の散文詩が収録されているが、末尾に置かれた「毒花」の出だしを紹介したい。

 森の中、あらゆる枝々に毒花が生ずる。毒花は残忍であつかましい。獣に似てゐるし、死にかけの手、あるいは古傷、またはおぞましい口に似てもゐる。それはまた、醜悪な鳥の首のやうに茎を伸ばす。花々はお互ひに向かい合ひ、狭い小径の上に、恨みこもった毒の雨を花の額よりほとばしらせた。
 をりしも、騎士は、教へに従ひ鉄兜の黄金の仮面をかむり、毒花咲く枝々の下をゆるゆると馬に乗つて行つた。

 用紙の選択ならびに製本は楚々として瀟洒、たって申せばかがり糸に麻糸を用いて頂きたかったことのみ。かつてはかような簡冊子を拵えるのにも数十万の金数を必要とした。パソコンを道具に私家版を造る、その姿勢に私は大賛成である。それでなくとも、メディアは活字からデジタルに変わりつつある。あと三年ほど経てば文字制限からも解放されるであろう。土屋さんのこれからの活躍、ご健闘を祈ります。

 先日、土屋さんがお連れになった女性はシュオブが卒論で、もっかノエルを翻訳なさっておられるとか。土屋さんと一緒に手縢り本を造られるよう強く望みます。なお、土屋さんが最近引っ越されたらしく、住所が分かりません。「玩具店」を購入なさりたい方は(電話090-2935-4401)へどうぞ。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月26日 20:36 | 固定ページリンク




一考 | 小出昌洋さんの私家版

 小出昌洋さんは長く個人社(練馬区上石神井2-12-5-406)を続けていらっしゃる。森銑三さんの著作集未収録の作品の発掘を目的に拵えた出版社である。このほど個人社叢書別冊と題して森銑三さんの「最上徳内」が上梓された。「新島ものがたり」は印刷だったが、今回はワープロによるプリントアウト。萬里閣書房蔵版、昭和六年一月十日発行、世界探検全集第三巻日本篇所収の一文である。森銑三はその前年、昭和五年八月より「歴史地理」にて「最上徳内事蹟考」を執筆している。「最上徳内事蹟考」はのち「最上徳内」と改題のうえ「学芸史上の人々」へ、下って著作集第五巻へ収録されている。同「事蹟考」とは別に、新資料を基に読み物風に書くことを楽しまれたと思しい。徳内は蝦夷地の探検家であり、蝦夷地図を制し、蝦夷草紙を著した。シーボルトは徳内を通じて蝦夷地を研究したのである。本書では蝦夷地巡検地の一行の踏査の途が活写され、血湧き肉踊る読み物となっている。
 小出さんで忘れられないのは森銑三さんが亡くなられた際に上梓された「昌平黌勤皇譜」である。同書には没年と享年をのみ小出さんが埋めた森翁の自叙略伝が収められている。

 明治二十八年九月、三河刈り谷に生る。特に一事に習得するものなく、生計に疎にしばし免れざりしも、辛うじて読書作文の生活を続けて一生を送り得たる。また幸おほかりきとやいはむ。半百を過ぎて西鶴の研究に志し、新見解を立得たるもの一二あり。而して未だ広く認めらるゝに及ばず。冀くば後世の批判を俟たむ。昭和六十年三月七日逝く。享年八十九歳。

 西鶴作の草子は一代男の一作のみ、またその原形は七巻だとの独自の私見・解釈への強い執着がみられる。けだし、執着は固執や異執とは異なる。読書生活はひとに夢を、幻をもたらす。西鶴への惜愛の情が辿りついた果て、夢見の果てに立ち顕われた蜃気楼のなかに森銑三は遊んだのである。

 小出さんは桃源社から吉川弘文館へ移り、日本随筆大成を一人で編輯した碩徳の人。私も研文社時代にご一緒させていただいた。昨今は展望社にて杉本秀太郎、野溝七生子、矢野峰人などユニークな書冊を編輯、岩波文庫でも森銑三の著書を編輯、いろいろ活躍なさっている。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月26日 21:21 | 固定ページリンク




土屋和之 | ありがたうございます

一考さま

ありがたうございます。
これからも飜譯、装釘ともに精進していきたいと思ひます。



投稿者: 土屋和之    日時: 2003年11月27日 04:56 | 固定ページリンク




一考 | 郡司正勝さんの句集

 須永朝彦さんの編輯で郡司正勝さんの句集「茫々」が私家版で上梓されている。「編集後記」にいう。

 先生が公刊された句集は「ひとつ水」(1990年・三月書房)のみだが、実は私家版の句集が二冊あり、一冊は戦後間もない1946年刊の「艸むら」、もう一冊は1952年刊の「ひとつ水」で、三月書房版「ひとつ水」にはこの二集からも若干の句が採られている。なお、私家版二句集は、古稀記念創作集「かぶき夢幻」に完全な形で収録されている。この創作集には、他に舞踊台本・戯曲・詩・訳詩・連句などが収められているので、未読の方には一読をお奨めしたい。

 幼(いと)けなき声して氷解けている
 郭公の絶え間を母の野辺送り
 砂流れて止むときもなしはま(玉偏にのぶん、第3水準1-87-88)瑰(はまなす)の花
 リラの花朽ちたるままの北の宿
 幻となつて堕つる蝶の老(おい)
 腸(はらわた)のなか見ゆる夢の寒さかな
 自殺する少年がゐる憎らしさ
 生ぬるき息を捨てたき雪の原
 ぼろ布かなんぞのやうに秋の暮
 物真似を後悔せしか鴉去る
 枯れ山に暮れ残したる一つ水
 往くでなし帰るでもなき一つ水
 亡き人の夢多くなる目覚めかな
 貝殻の遠くなる日の想ひかな
 帚木(ははきぎ)の野辺の果の一つ水

 「茫々」には俳句にかんする四篇のエッセイも収録されている。三月書房版「ひとつ水」を上梓した際の思いを綴った一文が「私の句集」(東京新聞1990年8月11日)である。

 ・・・なかには第二句集を待ちますなどという礼状をくださる人もあり、やっぱりこれは見るに耐えられるものではなかったのかと、自分では人さまに見せられるようなものではないといいながらも、がっかりしたりするのである。
 いずれ、ちっぽけな欠け石一つでも、投げ出せば、かならず多少の風圧が起こって、それなりに自分に返ってきて傷つき易くなるのだから、人生なにごとも為さぬにかぎる。と、老子の「無」のようなことをいって、ちょっぴり澄ましてみたりするが、しかしまた、傷つくことは、さざ波のような、生きているあかしのようなものだと思い返して、俗人に立ち戻るという有様である。

 さらに「夢・句・狐」(俳句朝日1997年11月号)から引用する。

 夢の構造は、人間にとって、古今東西変わらぬ哲理であろうが、夢と現実の距離は、人により年齢によって、近くなったり遠のいたりするのではないか。耄碌とは、ひょっとして、現実と夢とが入れ替わる時節のことかもしれない。

 郡司さんの句歴は長く、西朔と号す。当初は新傾向の句作をなさっていたが、須永さんの吹挙により、永田耕衣の句に大いに共感を覚えたと聞く。前述の須永朝彦さんの「編集後記」には、

 禅味やシュルレアリスムに通ずる独特の渾沌(カオス)を湛えているとして俳壇外にも熱狂的な支持者を持ち、舞踏家の大野一雄などもその一人であったから、先生の御共感に私は何となく納得した。後には神戸須磨に耕衣翁を訪ねて交友の緒を自ら作られた。

と著されている。

 いわゆる文人俳句のなかにあって、鏡花の句には散文作品と通じる非凡な着想があります。郡司さんの句も同様に、放恣と自制のコラボレーションが見受けられます。郡司さんの為人と作品とを規定する主旋律とでもいいましょうか。もしくは自制の影が為人にも差し、放恣の影が作品にも顔を覗かせる。その錯綜した陰影こそが郡司さんの魅力ではなかったか。自虐に充ちた精神回路を持つひとがマゾヒストになる可能性はほとんどなく、悪意と嘲笑を生きるひとが往々にして自分を責めさいなむのです。それにしても「第二句集を待ちます」などという非礼な礼状を認めるひとなどいよう筈もなく、これは郡司さん一流の自らの悪意への韜晦だったろうと思われます。
 自殺する少年がゐる憎らしさ
 この句を知ったとき、私は越路吹雪の「指からこぼれて、過ぎゆく人生・・・」を惹い起こしたのですが、ここには郡司さんの悪意の構造の原点が示唆されているように思うのです。その原点をいっそ「救いようのない性の悪さ」と書き換えればよりお分かりいただけようか。郡司さんの文言を借りれば、悪意の魅力は、その「骨冷えたる」恐怖感にある。世の中の押しつけがましい、脅迫がましい、動物じみた妖怪とは趣を異にする。また鏡花の人間臭い、妖怪の心意気みたいなものでもなく、いわば宇宙の回帰線上に起こった、いや、実は何も起こってはいない恐怖感のようなもの、向こうへ向こうへ、遠くへ透明に引かれてゆく、冷たい引力のようなもの、そんな骨冷えたる(存在すること)の恐怖感を郡司さんの悪意には感じるのです。
 「だったら死ねば」「だから死ねば」の裏面に張り付いて離れないのは自らをいやしめ見下すこころ。郡司さんほどビビッドな悪意を終生持ちつづけた例を私はあまり知らない。悪意という名の放恣、卑下という名の自制、その狭間にあって郡司正勝の句は屹立している。

 せんだっての連休はひさしぶりに読書三昧に暮らした。読んだ記憶のない鏡花の句をいくつか拾う、ただし未収録かどうかは未確認。序でに斜汀の句を拾う機会もあった。共にお世辞にも出来がよいとは思われませんが、御参考になれば幸甚です。

鏡花
 君か代の石ともならす芋の頭
 雨の中摘むべき草を見て過ぎぬ
 土手の柳母衣靡く事五十間
 大俎の端に寸余の山葵かな
 音や泉石の荵のあさ緑
 物言はぬ僧に逢ひけり閑古鳥
 蛾多く我灯を消して寐たりけり
 新藁や馬の尾結ふ一しごき

斜汀
 つき果てて手鞠の糸のほつれたる
 藪入の早船行くや神田川
 紙袋の蜂の巣誰か流したる
 童の芹を切るなり小俎
 ナイフ磨きて切試みし馬藺哉
 隧道を出てて十里の青田哉
 雷雨霽れたり大四手網荷ひ行く
 重ぬるよ大石小石鮓の壓
 打それし蛍這ひけり乳のあたり
 遠浅や海松布寄せ来る乳のあたり
 踊散つて手拭落ちし草の上
 流れ来る刈草に虫の声すなり
 十町の梨皆紙に包みけり
 炉煙や今朝立つ君に小菜の汁
 額堂の吹雪急なり鳩の声



投稿者: 一考    日時: 2003年11月28日 04:33 | 固定ページリンク




一考 | 不実な友より

 moondialさんへ
 吉岡実さんの「サフラン摘み」は限定五部でした。自分の過去の仕事には未練も興味もありません。従って、現在では蔵していません。過ぎ去ったことは過ぎ去ったことにしか過ぎず、過去の栄光ないしは虚名にすがって生きるには私の精神は若すぎます。もっとも、いささか頑迷、というよりはわがままな部分があるのは認めますが。
 明日はまた一日馬齢を重ねることになります。今日、たったいまがもっとも若いのです。ですから一日一日に新たな迷いが逡巡が立ち顕われます。過去の肩書きを消す、どなたかの詩ではありませんが、消しゴムで自らの人生を消して歩くように生きたいと願っているのです。あいつはいろんなことをしてきたが、考えてみればなにも残さなかった。ひょっとしたら、なにもしていなかったのではないか。そう人から云われるようになりたいものです。
 とは申せ、七顛八倒の醜態を晒しながら死んでゆくのかもしれません。まあ、先行きはどうでもよろしいのです。ただただ、今のために生きているのであって、明日のために生きているのではないのですから。
 私はI田と喧嘩をして以来、二度と友は持つまいと努めてきました。そのこだわりを狂わせ、突き崩したのが横須賀さんでした。いまなお、彼のおもかげが眼前をよぎります。ふと店で泣き出すことがあるのです。友であることと友でないこととのあいだに明確な境界線は引けません。あくまで相対的なものなのです。それゆえ、私なりの概念をでっち上げようとして当掲示板と格闘してきました。概念とは物思いに耽っているときに浮かんでは消える泡沫のようなものです。ごろんとそこに転がっているようなものではないのです。概念は流動的であるがゆえに、しばしば破綻をきたします。破綻に逢着したとき、ひとしれず私は涙を流します。
 掲示板でも書き継いできましたが、貴方は神戸における唯一の友なのです。もっとも、友との表現が貴方に対して傲慢でなければのはなしですが。そして、その傲慢についてもさまざまな視点から反芻を繰り返しています。強気になったり、弱気になったりの繰り返しで、とどまるところがないのです。ご指摘の「定点を持たない」とは自信のなさを偏に表現したまでであって、自らの至らない部分、恥部を恰好よくちょろまかす術にいささか闌けているという、ただそれだけのこと。それゆえ、貴方からファンレターが送られたりスーパーアイドルなどと云われると、生きていてよかったなあと思い、俗人に立ち戻るのです。貴方の前でなら、ちょいとはいい恰好が出来るかなあ、「すごいだろう」って自慢できるかなあ、意地も見栄も張れるかなあって、それでしょう、そこだけでしょう、友の利用価値って。
 あなたの情けにはずっと感謝しつづけているのです。ですから、貴方からパソコンの手ほどきを受けた際、ファイルメーカーで拵えた出版物と著作のリスト、ペンネームで出した書物(内緒ですよ)もお渡しした記憶があるのですが、あれも夢だったのかしら。ひとりぐらい証人がいてもいいやとの私の俗物根性がそれをさせたのですが、再度お送りしましょうか。
 掲示板が再開されたとき、山本六三についての一文を載せましたが、それとは異なる50枚の稿を書きはじめました。こちらの締め切りは1月15日、薫子さんの文体云々はそのことです。はなしは変わりますが、このところ、また酒が飲めるようになりました。新宿で立て続けにウィスキーを一本開けました。忙しいと酒も底なしになるようです。そのウィスキーのはなしを12月6日発売の「料理王国」に書きました。10日発売の酒井潔の「悪魔学大全2」(学研M文庫)には解説を著しました。同じく10日に匿名の本が出版されますが、こちらは高価な本であり一般の書店には出回らないのでお送りいたします。どうかよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月28日 19:33 | 固定ページリンク




moondial | 恐縮です。

一考さんへ

本当に耄碌したようです。ファイルメーカーのファイルは頂いていたようですね。慌てて古いMOの山を探してみましたが見つかりません。もしやと思い、フロッピーディスクの山をも調べたところ、大切なディスクを保管する防磁ケースに貴兄の名を貼付けたディスクがきちんと収まっておりました。ファンを公言しているのに恥ずかしい限りです。ただこのファイルは、随分と以前のものなので、御面倒でなければ更新されたであろうファイルを再度送っていただけないでしょうか、誠に厚顔ながらもお願い申し上げます。

貴兄から友などと呼ばれると実に恥ずかしいです、耄碌したミーハーなファンのひとりと云う事で結構ですよ。貴兄との出会いは、私が十代後半の頃、吉田一穂氏の編纂した新詩社の「マラルメ」を黒木で購入したところから始まった訳で、あの時以来圧倒され続けておりますし、当時は本当にお世話になりましたからね、私に出来る恩返しと云えばパソコンの知識ぐらいしかないのですが、それも最近では貴兄の方が詳しいですからね、あまり助けにならないので申し訳なく思っております。しかしこの季節になると、豚鍋や泥鰌の筏、田螺の佃煮、剣菱が懐かしいですね。私が黒木に出入りするようになったのも、須永さんの、「海」に百けん(門がまえに月)と日夏の追悼文だったかを拝読してからです。当時、ご両人の著作は大半が新刊書店では読む手立てがなかったものですから、まずは黒木書店に並んでいた百けん(門がまえに月)の棚一列を購入、それからは黒木さんから教わるままに、黒木さん贔屓の石川淳や荷風などを読み漁るようになり、たまたま黒木さんの息子が貴兄を紹介してくれた訳です。当時、躍起になって探していた吉田一穂や日夏の詩集などが貴兄の蔵書に全て揃っていたのには吃驚、しかも貴兄はそれらを十五歳ごろから愛読されていたと判り貴兄の早熟ぶりには更に仰天、驚愕いたしました。それからは貴兄から教わるままに猟書と読書とお酒の楽しい日々を送っておりましたが、貴兄からは教わる事ばかり、当時の私の読書は全て貴兄のほんの一部、一千分の一、いや万分の一ぐらいでしょうか、をそのままなぞることで精一杯、貴兄とはたった三年程の歳の差なのにその読書量の差だけでも愕然としました。「すごいだろう」てなものではなかったですよ、私からすれば「キャー素敵!一考さ~ん!」てな具合でそれこそ憧憬の的、お逢いするたびに全身身震いしておりました。そう云えばその頃、突然須永さんが荒田に遊びに来られた時には本当に吃驚しました。だって須永さんのあの「海」の文章を読まなければ、貴兄との出会いはなかった訳ですからね。あの夜の須永さんの紫のビキニパンツ姿の妖しいストリップ、忘れられません、それに夜中に襲われそうになったのも今では実に楽しい思い出です。最近ではなんと須永さんもパソコンを触っておられるそうですが、こちらへは何か書いていただけないのでしょうか。 耄碌した私にはたわい無い嬌声ぐらいしか書けないので、須永さんや一考さんでこの掲示板をこれからもどんどん盛り上げて頂きたいものですね。もう新刊書籍はほとんど読みませんが、お二人の書き物は是非これからも読み続けたいものです。最近、貴兄が書き続けておられるので、実に楽しいですよ。これからも楽しみにしておりますので、宜しくね。

追伸、郡司正勝さんの古稀記念創作集「かぶき夢幻」と句集「茫々」は未だ手に入りますか?もし可能ならご面倒ですが送って頂けないでしょうか、代金着払いか、後で送金させていただきますので。



投稿者: moondial    日時: 2003年11月29日 14:18 | 固定ページリンク




一考 | 種村さんの新刊

 種村季弘さんの「江戸東京《奇想》徘徊記」の初稿が出ました。朝日新聞社から12月30日に発行される予定です。「東海道書遊五十三次」につづく書冊で、装丁は間村俊一さん。「サライ」への連載の一回四百字六、七枚の原稿枚数では物足りなかったご様子で、三十回の連載に縦横に書き加え、初稿の約四倍にふくれ上がっています。事実上の書き下ろしのようなもので、「着古したシャツのぬくもりがある場末裏町徘徊」に傾いた偏屈な、赤毛布漫遊記。先生のさらなる御健筆に期待するとともに、ホッケの改訳版が一刻も速く上梓されんことをお祈り申し上げたい。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月29日 23:53 | 固定ページリンク




一考 | 郡司正勝さんの本

 moondialさんへ
 自分の仕事を自分で整理するほど酔狂ではなく、薫子さんに任せています。更新されたものがあればお送りします。
 「かぶき夢幻」は昭和58年7月7日刊、限定700部、発行所が西沢書店、発売元は名著刊行会、発売元の住所は東京都中野区松が丘1-22-7、頒価16000円、編輯造本が須永朝彦さんです。
 句集「茫々」は平成11年4月15日刊、発行所は郡司正勝先生を偲ぶ会、住所は東京都新宿区戸山1-24-1早稲田大学文学部演劇研究室内、電話03-5286-3631、頒価の記載はなく非売品です。
 「茫々」はさきほど須永さんの方から手配していただきました。須永さんは毎週木曜日にですぺらへいらっしゃいますので、しばらくお待ち下さい。「かぶき夢幻」は古書で1万円を切る値段でよく出品されています、検索して下さい。

 新詩社の「マラルメ研究」は山本六三さんの愛読書でしたが、それにしても値の張る本でした。「豚鍋や泥鰌の筏、田螺の佃煮、剣菱」いいですねえ。いつのことだったか忘れましたが、西尾さんも一緒に元町の金盃へ天麩羅を食べに行きました。確かに鱧や穴子の天麩羅は旨かったのですが、酒が金盃ではねえ、かなり我慢して酒を飲んでいたのです。その後、吾作へ行きましたが、あのときの剣菱特級の冷用酒は旨かった。私は別に剣菱のファンではないですし、どちらかといえば灘の酒は避けていたのですが、あれには感心させられました。後日、「銀花」の取材で舞子ヴィラへゆき、同じ剣菱を飲んでやはり驚きました。
 酒で思い出しましたが、そちらの某新聞には酒のエッセイや書評を4~50本は書きました。もちろん小遣い銭稼ぎで、すべて匿名。しかし、役得で酒だけは潤沢にあたりました。西明石の店の看板もそのときの産物といえます。コーベブックスでの最後の本は須永さんのエッセイ集でしたが、書評とはいい条、内容はすばらしいものでした。それと比して私の書評は顧みて忸怩たるものがあります。匿名は無責任になります、匿名と手抜きはシノニムではなかったかと反省致しております。
 泥鰌の筏は梅雨の季節のみ、子持ちの泥鰌の旨さは筆舌に尽くしがたいものがあります。東京へきてから食生活は反転しました。刺身しか食べなかった私が揚げ物ばかり食べています。だって、4~500円では鰈や鮃を買うことができないからです。トレーとラップの間で跳ね回る鮎魚女、皮剥、目張、おこぜ、角飛び、鱧などなど、夢に出てきます。老後はやはり北海道の漁港で住みたいものです。

 当掲示板を読まれているのは主として編輯者と広告屋さんです。書き込みのなかからテーマを抽出し、いろんな企画が持ち込まれます。6~70年代のプライヴェート・プレスの社主とのトークはさまざまな編輯者や出版社が協力してくださいます。30社ほどをリストアップしたのですが、短詩形にはユニークな出版社が多く、またそのほとんどは親しいひとたちです。貴重な時代の証言になると思います。昨日も内藤三津子さんが澁澤幸子さんを伴って来店、後を追って間村さん、松井さん、宇野さんとつづき、またまた朝まで生テレビになってしまいました。内藤さんからトークの快諾を得、「銀花」での間村さんの特集、河出書房新社から出る予定の間村さんの画集に宇野さんが文章を添える等々、愉しい企画がずいぶんと纏まりました。私の方も三本の締め切りが生じたようで、来月からは掲示板へ書き込む機会が減ると思います。私にとっては雑誌も掲示板も等価なのですが、雑誌には締め切りがございます。私はアマチュアですが、例えプロであっても締め切りはことのほか疲れます、情緒的に追い込まれるのです。その分、解放されたときの酒は五臓六腑に染みわたります。最後になりましたが、須永さんはプロの作家ですから掲示板に文章を書かれるのには反対です。「明石町便り」だけで結構かと思うのです。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月30日 00:08 | 固定ページリンク




如月 | ガリマールの人形カタログ

以前ご案内したように、四谷シモンは来年1月19日からパリのアル・サン・ピ エール美術館で開催される人形展に出展しますが、その折ガリマール社から刊行 されるカタログの概要が判明しましたので、その情報ページを新設しました↓。 http://www.simon-yotsuya.net/information/poupees-gallimard.htm フランスでは、どんなカタログを準備しているか、ちょっとアクセスしてみてく ださい。刊行は展覧会のオープニングに合わせ、来年の1月19日か20日を予定してい ます。ガリマール社の書籍ですから、日本でも、大きな書店の洋書コーナーに注 文していただけば比較的簡単に手にはいると思います。



投稿者: 如月    日時: 2003年11月30日 02:17 | 固定ページリンク




moondial | 多謝多謝です。

一考さんへ

句集「茫々」、さっそく手配していただきありがとうございます。須永さん、ありがとうございます。薫子さん、発送よろしくお願いしますね。「かぶき夢幻」は昭和58年刊のものだったのですね、てっきり最近出版されたものだと思いました、探してみます。

しかし、締め切りがある書き物って大層辛そうですね、しかも三本も。前回の、締め切り直前までバイクで逃げておられたのは、無事終えられたのでしょうかね。馬上で書くものを纏めておられたのかな。



投稿者: moondial    日時: 2003年11月30日 11:46 | 固定ページリンク




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