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■2003年01月 アーカイブ |
今年もお引き立ての程お願い申し上げます
2003年は『えろきゅん』で参ります! 川上史津子拝
一考さん、みなさん、新年明けましておめでとうございます。
本年も、みなさんにとって、良い年でありますようにお祈り致します。
さて年明けそうそう、9日には、文化放送のラジオ番組に登場し、「人形作家」(講談社現代新書)について語ることになりました。
また2月には、金沢フードピアでのトーク、WOWOWの「センセイの鞄」放送などでみなさんとお会いできると思います。
今年も、明るく楽しくいきましょう。
平成15年 元旦 四谷シモン
旧年中は大変お世話になりました。
本年もよろしくお願いします。
追伸:
お蕎麦とてもおいしかったです。
あけましておめでとうございます。
昨年は多くの方にお世話になり、ありがとうございました。
一考の風邪が移ったようで、文字通りの寝正月を過ごしております。
休み明けには、一回り体重も増えてお目にかかれるやもしれません。
年末ジャンボ宝くじに外れて、今年の予定が早くもくるってしまいました。
おかしいなあ、当たる筈だったのに。
本年もどうぞよろしく。
おそば美味しかったです (何食っても美味いんですけども)
残念ながら 4日は行けなくなりました。鴨鍋と焼酎お湯割り、惜しいなぁ。
あておめでとうございます。昨年はお酒のネタをちょうだいし、短編に仕上げることができました。今年はイベントや忘れ物がなくても、暇を見てお伺いしたいと考えておりますので、どうぞ、よろしくお願いします。浅暮三文拝
川上さんに連れてもらって昨日の鴨鍋に飛び入り参加した谷口です。 4000円であそこまで鴨食べられるとは感激しました。ありがとうございました。またお邪魔します。
9日、四谷シモンが出演(トーク)する文化放送のラジオ番組の概要がわかりま
したのでお知らせします。
* * *
番組名「吉田照美のやる気MANMAN」
コーナー名「午後2時の興味津々」
出演時間帯:午後2時25分~45分(20分間の生放送)を予定
* * *
番組パーソナリティーの吉田照美さんと四谷シモンが、昨年出した「人形作家」(講談社現代新書)を中心にさまざまな話をする予定ですので、みなさん聴いて
みてくださいね。
2度に渡りアホな書き込みをしているやつはこいつです。さらします。ふーむAOLか。
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渡邊一考さま
小林一郎と申します。
吉岡実さんのご本を拝見することを通じて、
渡邊さんのお仕事を仰ぎみてまいりました。
このほど(吉岡さんの十三回忌に遅れること半年後の2002年11月末)、
念願の「吉岡実の詩の世界」というwebサイトを開きました。
http://members.jcom.home.ne.jp/ikoba/
渡邊さんの手掛けられたご本も、写真入りで紹介させていただきました。
ぜひとも、ご高覧いただきたく存じます。
限定本に関する吉岡さんとの想い出など、お伺いできればうれしく存じます。
以上、簡単ですが、ご案内とさせていただきます。
1月25日の夕6時から9時にかけて第3回目のですぺらモルト会を催します。会費は6000円、メニューは以下のごとし。
1年分のボトルの取り置きは不可能ですので、2箇月分ずつ紹介させて頂きます。1年間で120の蒸留所のシングル・モルトを味わうことになります。
年内の開催は毎月第4土曜日、従って次回は2月22日です、どうかよろしく。例によって、ウィスキーの解説はその日にお渡し致します。
1月
アイル・オブ・ジュラ('99 パシフィック・カレドニアン)
カリラ('91 ドナート)
インチガワー('89 ベニーヴァ)
インペリアル('89 マクギボン)
グレン・キース('76 マッカーサー)
クレイゲラヒ('84 ハート・ブラザーズ)
コールバーン('80 ダグラス・レイン)
グレン・オード旧ボトル(12年)※
グレンモーレンジ(10年)※
ミルバーン('72 ゴードン&マクファイル)
2月
ロングロウ・ダブルマチュアード(10年)
カードゥ(12年)
ベンリネス('88 ゴードン&マクファイル)
ロングモーン('90 ドナート)
グレンゴイン(17年)
スペイサイドもしくはドラムーイッシュ(10年)
ブローラ('82 ゴードン&マクファイル)
グレンタレット('90 イアン・マクロード)
リトルミル('84 イアン・マクロード予定)
ダグラス・マクギボン社の豊富な樽のなかからミルロイ氏が選択するジョン・ミルロイ・セレクションが頒されました。
今回は82年蒸留の20年ものポート・エレン、シェリー・カスク熟成、61.7度のカスク・ストレングスです。同様のジョン・ミルロイ・セレクションが過去2回頒されています。
ポート・エレン、82年蒸留の19年もの、シェリー・カスク熟成、61.3度のカスク・ストレングス
ポート・エレン、78年蒸留の23年もの、シェリー・カスク熟成、62.2度のカスク・ストレングス
ちなみに、マクギボン社のプロヴァナンス・シリーズは通常43度でボトリングされます。過去のポート・エレンのボトリングは以下のごとし。なぜ紹介するかと言うに、シェリー・カスクを用いたポート・エレンでは同社のボトルは群を抜いています。
「接着剤と含嗽剤を綯い交ぜた臭い。塩辛く鋭角なこく。舌を刺す刺激と極めてスパイシーなフィニッシュ」もしくは「押し寄せる胡椒、ヨード、海藻、鞣し革の香り。アイラ党を熱狂させるオイリーなボディとピクリング・スパイスを噛みしだくような深く長いフィニッシュ」等々、いかように著してもよろしいのですが、要はポート・エレンが持つエキセントリックな香味がシェリー・カスクでもってあらぬ方へ歪められ、想像だにしなかった新しい味わいを生むのです。
カスク由来のヘーゼルナッツや干し葡萄、杏を思わせる香り、とろりとした甘さ、円熟したまろやかさと引き締まった芳醇なテイスト、そういったおよそポート・エレンとは相容れない筈の香味が、かつて存在しなかったベクトルを誕生させ、双方の個性を際立たせるのです。
83年蒸留の19年もの、シェリー・カスク熟成、43度
82年蒸留の19年もの、シェリー・カスク熟成、43度
82年蒸留の18年もの、シェリー・カスク熟成、43度
82年蒸留の17年もの、シェリー・カスク熟成、43度
81年蒸留の18年もの、シェリー・カスク熟成、43度
話序でに、勉めて何者かであろうとするタイプと相対するところの者に合わせて何者にでもなれるタイプと二種の人品があるように見受けられます。前者をおたく、後者をおたくではない人と見立てます。おたくとはアイラ・モルト。おたくがおたくでなくなるその介添えが熟成に用いるカスクとするならば、カスクは自らへの懐疑であり、熟成とは情念の有り様そのものではありますまいか。薫子さんは酒を嗜みません。従って、寝酒は何時も一人で楽しみます。かかるご託を肴に飲むのも一考かと。
14日朝、店主の親友が亡くなりました。まだ掲示板での告知は出来ませんが、一考はひとり喪に服しております。酒の量が増えそう・・・
こんにちは。
去年の秋頃、お店にお邪魔した者です。
あまりにも急な出来事で、
しばし呆然としております。
一考さんの心中お察しいたします。
またお店に伺いたいです。
パラゴン 石井麻里
昨夜、一考さんの夢を見ました。寝しなにこの掲示板を読んだせゐでせうか、夢のなかの一考さんはふだんの姿とはまるで違つて悲しみにうち沈んでをられました。ご親友の死とは、言葉もありません。その方のご冥福を心よりお祈りするとともに、一考さんの悲しみの深きを思ひ、口をつぐみます。どうぞ御身大切に。
いま新聞を開いて愕然としました。横須賀さんが亡くなつたのですね。14日と書いてありましたから、一考さんの「ご親友」とは横須賀さんのことだつたのですか。私もさらに言葉をなくします。ショックです。素晴らしい静物写真を頂いておきながら、ゆつくりお話しする機会をつひにもてませんでした。思ひ千々にみだれ、何を記してもうつろに響きます。あらためて、慎んでご冥福をお祈りするほかなすすべがないのを口惜しく思ふばかりです。
横須賀さんが亡くなられたと今日知りました。
若々しくて飄々とした横須賀さんがこんなに早く逝ってしまわれるとは思いませんでした。
自分のサイトに横須賀さんのことを記したのですが、横須賀さんと出会いお話し楽しい時間を過ごしたですぺらにも転記させていただきたいと思います。
* * * *
2003年1月21日(火)
古い大きなオフィスビルにその人はいた。
机、ライティングデスク、ネガの束、三脚、ライト、カメラ、オブジェ、作りかけのオブジェ、ファイルと写真集が整理されたキャビネット。
オブジェになる前のがらくたが置かれたベランダ。
茶色い水が流れるトイレと割れた洗面台と錆びたシャワー。
その部屋は仕事場だった。住居ではなかった。
シーツも布団も枕もないベッドに腰掛け、真っ白な上等の毛布に裸でくるまって私はペットボトルからマグカップについでもらったお茶を飲む。その人はゴブレットにワインをついで飲む。
このベッドの上でこの人は眠るのだ。この部屋でこの人は眠り、身体を洗い、排泄する。しかし、これは住居ではない。そしてこの人は他に住居があるわけではない。
この人は住む家を持たない。この人は、この地上のどこにも住んではいない。
目が覚めたら世界中から生物がいなくなっていた。誰もいない街を歩き、歩き、私はこのビル街にたどり着いた。ここは人が住むための街ではない。仕事をし酒を飲む街、日曜日には誰もいなくなる街だ。そんな街にあるビルに入り込んだ私は、黒いニットキャップをかぶり、黒いセーターに仕立てのいい黒いジャケットを羽織り、黒いパンツに黒い靴を履いた痩せた背の高い男性を見つけた。私よりきっかり40歳上のその人は、このビルの一室で眠り、そのあたりの店で食べるものや飲むものを得ているのだ。
「このビル中誰もいませんね」
「いないね。この街には誰もいない」
「この街だけじゃありません。どこにも、だれもいません。からっぽの建物とからっぽの都市があるだけ」
そうだねと言ってその人はカメラを手にする。
「ここを撮っておこう」
「この部屋を? この街を?」
「この部屋にあるものを。この街にあるものを。
ここにあるものを。ただ、ここにあるものを」
私は服を脱ぐ。その人は慎重にオブジェを配置し、そしてそこに私を縦向きや横向きにして置く。
その部屋や、誰もいない廊下や階段に色々なものを置き、その人は撮った。
色々な形にされながら私は置かれ、その一部となった。
その人は夜の写真を撮っていた。誰もいない何の意味も物語性も持たない街を撮っていた。
そして「なにもないね。なにもない」と言いながら、その写真をめくるのだった。
「ね、なにもないよ」
「ええ、そうですね」
14日、脳出血で死去、65歳。
幻的からお邪魔しました。『幻想文学』終刊に泣く内田と申します。
時期はずれで,しかも前後の文脈と離れていて申し訳ありませんが、池内恵さんって紀先生の息子さんなんですか?あらまあーー。
『論座』2003年2月号に受賞記念論文「地域研究は政策決定にどう貢献できるか」を寄稿されておられます(そういえばそこはかとなくお父様ににているようにも思われるが、才色兼備な方である。男性にはこういう言い方はしないのだろうか)。
高遠さま。三省堂神保町は本屋としてのプライドを神田川に投げ捨てちゃったみたいです。いつだったか、まじめな政治学の専門書の本棚に、トンデモ本として悪名高い『コールマン委員会』の本が混じっていたりしました(怒)。も・ち・ろ・ん、レジの兄ちゃんに教えてやっても何を言われているのか分かっておりませんでした(手提げをサービスしてくれたお返しの、なけなしの親切だったんだが)。もう三省堂では社会科学の専門書は買わない。他店に比べてそれほどセレクトがよいわけでもないと思います。
幻想文学系の店員はそれよりマシなようだったが。
一方、『書泉グランデ』では岩波ブックレットの下に宇野正美講演ビデオ(反ユダヤ主義で有名なあの方ですね)が並んでおり、嫌がらせとしか思えないとりあわせ(笑)。
それに比べると、人口40万の地方都市では売れそうにもない(すみません)水声社のラテンアメリカ文学をそろえている某書店のほうがよほど志が高いです。
サド選集もありますが一向に売れる気配なし。あまり売れなかったら,結局私が買ってたりして(笑)。
20日夕、安原顕さんが亡くなられました。享年63歳、死因は肺がん、通夜は25日午後6時、告別式は26日午前11時、台東区上野公園14の5寛永寺の輪王殿(03-3821-4433)です。
12月26日に慶応病院を退院、1月15日に再入院の予定でしたが、それを潔しとせず、少し休むということで寝入ったまま、奥様と娘さんの傍で眠るように逝かれたと聞きます。
安原さんとは古いお付き合いです。彼が海の編集に携わっていらした時からです。最初の著書を雪華社から上梓しようと画策したことも御座いました。友人のMさんが安原さんを伴って来店、対決の予定が抱き合っての歓談となり、旧交を温めたのも懐かしい想い出になりました。
高遠弘美さんへ
厚かましくも夢のなかにまで参上、恐縮致しております。21日には須永さんからもお電話をいただきました。横須賀さんの若いころの写真、お子さんの写真の話などを致しました。理屈先行のちょっとやんちゃでセンチな横須賀さんが、なぜか須永さんとは意気投合なさっていました。
14日朝、横須賀功光さんが亡くなられました。享年65歳、死因は脳溢血、18日に密葬。偲ぶ会は3箇月後の予定です。
18日にルーム・エヌ・ワイの村上勝彦さんが、20日にはスティルの矢野有里子さんが来られ話し込みました。横須賀さんは10日に河岸へ出掛けられ鮟鱇を購入、その日は鮟鱇鍋を食し、11日から13日までは一人で自宅にて過ごされたとか。室内が隅々まで掃き清められていたのが切なかったと矢野さんからお伺い致しました。横須賀さんとの愉しかった晤語については近いうちに掲示板へ書かせていただきます。眷恋の人の突然の死に心は千々に乱れております。悲しみをとても言葉に託せるような状態ではないのです。昨日も増田さんが帰られたあと、ふらっと横須賀さんが店に入って来られそうな気がし、振り返り振り返りつつ2時間ほどカウンターの隅でたたずんでいました。
石井麻里さん、書き込みを有難う御座います。何時の日かご来店頂ければ忝なく思います。20日の深夜には宮岡知子さんもいらっしゃいました。パラゴンの皆様のご心中お察し申し上げます。くれぐれもよろしくお伝え下さい。
十代からお付き合い頂いた多田智満子さん死去。先週木曜日に高橋睦郎さんがその件にて来店、多田さんの話をずっとしていたのですが。相次ぐ訃報に絶句。とりあえず、読売新聞の配信を掲載させて頂きます。
多田智満子さん(ただ・ちまこ、本名・加藤智満子=かとう・ちまこ=詩人)23日、肝不全で死去。72歳。告別式は26日正午、兵庫県芦屋市浜芦屋町4の21葬祭会館芦屋ホール。自宅は神戸市灘区篠原北町4の11の16。喪主は夫、加藤信行(のぶゆき)氏。
ギリシャや古代中国の神話に関する豊富な知識を基に、磨き抜かれた簡潔な言葉で知的な詩の世界を構築した。1963年、仏の作家ユルスナールの小説「ハドリアヌス帝の回想」を翻訳・刊行、三島由紀夫や渋澤龍彦から絶賛された。随筆でも活躍した。80年「蓮喰いびと」で現代詩女流賞、98年「川のほとりに」で現代詩花椿賞。2001年、詩集「長い川のある國」が「時と永遠の交錯の諸相を表現した」として読売文学賞を受賞した。
多田智満子さんが亡くなられたのは23日の午前8時56分です。
なお、通夜は25日午後6時より7時まで、告別式は26日正午より1時半まで、共に前記芦屋ホールで無宗教にて執り行われます。芦屋ホールの電話番号は0797-34-3232。阪神芦屋駅から南へ5分、JRの芦屋駅からですと徒歩20分です。
多田さんの訃報に接し、一考さんと何年ぶりかで電話をしました。 稀にみる立派な分筆家を失ったことは、誠に残念です。 ご冥福をお祈りします。 (P.S このH/Pのメールアドレスがリターンメールになっています 正しいメールアドレスを教えてください)
横須賀さん、安原氏に続き、多田さんまで。言葉をうしなふのみ。哀しいなんてものではありません。
halさんへ
横須賀さんを偲んで四谷シモンさんと酒を酌み交わしていました。いま帰宅したばかりです。本当に久しぶりですね。貴方の噂は須永さんから聞き及んでおります。
despera掲示板はhttp://ushigome.bird.to/bbs/despera.html
小生のメールアドレスはdespera@tc5.so-net.ne.jp
以降、よろしくお願い致します。
多田智満子さんの逝去に関しては神戸から数本の電話がありましたが、記載したとおりです。明日の朝刊には詳細が掲載されると思います。
告別式は高橋睦郎さんと谷誠二さんが取り仕切ることになります。谷さんは小生の親友で、人文書院の編集長です。よろしくお伝え下さい。
一夜ですぺらで
記憶の迷宮に影を失い
まさぐる壁に個有の曲率で相隔てられながら
奇怪な共振を受胎する幽閉者たちの
再開して爆ぜ散るサバトの残り火──
歓声の下 声を呑んで注ぐ渇いた目に
まぎれもなくモアレに顕れる暗黙の記号──
「日の下に新しいものはない」の伝道者の断言は
若年の衒いが心の墓碑に銘していたが
いま老年のとぼそをめぐらせて唱えられると
絶望を辛うじて封じる知恵へとひびきを変え
迷宮は迷うがうちに拓かれおえていても
美少年の面影は
なお礎石の上にしたたるばかり
一昨年の二月五日、相澤啓三さんから上記の詩を頂戴致しました。「須永朝彦・渡邊一考両君の誕生祝いの宴の後に」との添え書きが付されていました。「孔雀荘の出来事」(書肆山田刊)に収録されていますのでご存じの方も多かろうと思いますが、須永朝彦さん共々目頭が熱くなるような感動を覚えました。その二月五日(水曜日)がまたやって来ました。須永朝彦さんと不肖私儀の合同誕生会を催します。午後七時より、会費は男子四千円、女子三千円です。葡萄酒、ウィスキー、さけ、ビールは潤沢に用意致します。滅びを忘れるわけには参りませんが、いとせめて、一会の切なさに身をまかせたく、ご参加賜れば幸甚です。
阿佐ヶ谷さんへ
先日はこちらこそ失礼しました。昨日ジャパン・インポートの方が来店、88年ものラガヴーリンの存在をお訊ねしたのですが該当品なく、UD社のペドロヒメネスのことと分かり安心しました。あのダブルマチュアードは79、80、84、86がボトリングされていますが、私には79年が美味しく感じられます。甘味に内包される雑味が少しずつひどくなって行くような気がするのですが、勘違いなのでしょうか。タリスカー同様、当店は最初のヴィンテージを置いていますが、欠点は値の張る点です。もっとも、在庫が底をつけば新しいヴィンテージを買うしかなく、売価は半額になると思います。
4月から6月にかけて東京のインポーターから3種類のラガブーリンがボトリングされる予定です。8年ものと12年ものカスク・ストレングスと12年もの46度の計3種。すべてシングル・カスクで、スコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズとアズウイゲットイット、要するにイアン・マクロードの樽をリリースするようです。3月にジャーディンさんが売り出すオフィシャルの12年ものと25年ものカスク・ストレングスもあり、ちょっとしたブームになるかもしれませんね。当店のラガブーリンの在庫は12種類にまで減ってしまい困っていました。タイムリーな企画で喜んでいます。
なお、貴方のお名前を存じ上げないので、阿佐ヶ谷さんとしたまでで、お名前でもハンドル名でも結構ですからご教示頂けないでしょうか。
SEAさんへ
掲示板をお読み頂きありがとうございます。
小生は26日の告別式には出席できません。休日ですが、かねてより宴会の予約が入っています。すき焼きを楽しみに10人のお客様が集う予定です。お店を営む以上、いかなる事情があろうとも先約優先が原理原則なのです。関西の友人はみなさん参加なさる予定です。申し訳ないのですが、その旨お伝え下さればありがたく思います。
相次ぐ訃報のなか、多田さんだけは、お元気になってまたいい仕事をして下さるものと信じていたので、亡くなられたと聞いても信じられません。若輩者の僕たちが未だ何も出来ないうちに本物がひとつびとつ消えて行きます。高遠さん位のレベルの方が他に十人以上いてくれたら逝ってしまった方々の遺志を少しなりとも継げるのですが。悲しみや絶望を通り越して言葉がありません。一考さん、昨夜はお仕事中なのに携帯の電池がなくなるまで長電話してしまったことをお許し下さい。営業妨害ですね。誕生日にまた何か贈ります。
ロクに書き込みもせず失礼致しております。阿佐ヶ谷です。 一昨日、HPに記載されていたアドレスへメールを差し上げたのですが、 書き込みの内容から察するにメールは届いていなかったようで・・・。 ラガブーリンに関する情報ありがとうございます。 ダブルマチュアドは書き込まれたとおりにて、1988ではなく大変 失礼致しました。 先日買い求めましたので飲んでみたら報告しようかと思っております。 他のページでは他にHNがあるのですが、阿佐ヶ谷というHNもなかなかに 良いかと思いますので、ここでのHNは阿佐ヶ谷としたく思います。 本名などは後日お邪魔したときにでも、もしくはメールにて。 次回は、諸事情などありましてアルティメットを飲みにお邪魔致します。
窪田般彌さんが22日に亡くなられました。死因は肺がん。享年77歳。
早稲田大学の関係者各位により、葬儀は済まされました。治療を拒否なさり、酸素ボンベを担いで家の中を行ったり来たり、最後の二著の原稿整理から校正までを済まされての壮絶な往生だったと聞きました。
昔コーベブックス在籍のころ、山下清澄さんや横尾龍彦さんと一緒に楽しい仕事をさせて頂きました。荻窪のご自宅での団欒、名曲喫茶ミニヨンでの晤語、西脇順三郎さんや加藤郁乎さんとの酒席などなど、憶い出が走馬燈のように巡ります。
作家、画家、写真家といった公人なら仕方がないのですが、私人への非難はいかがなものでしょうか。書店に限らず、企業がまずいことをすれば当然叩かれて然るべきなのですが、そこで働く人たちは管理職でないかぎり私人なのではないでしょうか。個人名が記されていなくとも、特定できるような書き方を私は好みません。企業、組織、団体への攻撃なら私もお手伝い致しますが、私人の場合よほどひどい発言がないかぎり許すべきですし、また、いやなら他所へ行けばよろしいのであって、それを非難したところで何もはじまりますまい。「女店員」でも触れ
やはり拙メの頃合の悪さは治し難いのやも。
こちらの掲示板では既に御存知の御方がほとんどであられますでしょうが、一応念の為。
表題、東京の地下に潜むイベントスペース「マリア・クローチェ」のラスト・イベントの告知がなされたようです。
「Arrivederci Maria Croce」
~さようならマリア~
日程:2003年02月08日(土)~16日(日)
時間:14:00~19:00
詳細は、URL欄のアドレスの頭に"h"を足して御覧戴ければ幸いです。演奏会も予定されている様子ですので日程の御確認など。
以上、勝手に伝聞補足でした。恐らくは差し迫る状態が現れない限りこれにて拙メによる同スペースに関する書き込みは一段落となるかと存じます故、御目汚し御容赦賜れれば幸いです。
本日(26日)の朝日新聞朝刊13面の読書欄「著者に会いたい」のコーナーに
四谷シモンへのインタビューが掲載されております。みなさん、ぜひお読みくだ
さい。
「四谷シモン――人形愛」サイトhttp://www.simon-yotsuya.net/掲示板で、
インタビューや本(「人形作家」)の感想もお待ちしてま~す♪
23日に亡くなった多田智満子さんのお話をしようと、翌日desperaに行ったと
ころ、四谷シモンの状況劇場時代からの友人でパリで活躍する画家・大月雄二郎
さんにばったり会い、2月の展覧会のお話を伺いました。今回の展覧会は「キネ
マの月」というタイトルで稲垣足穂に捧げるものとのこと。渋谷Bunkamuraでの
展覧会、ぜひ足を運んでみてください。
* * *
展覧会会期 2月4日(火)~2月12日(水)
会場 Bunkamura Gallery
http://www.bunkamura.co.jp
* * *
「かつて、ハレー彗星が地球に大接近した時、ぼくもタルホ星雲に少しでも近づ
こうと、銅版画集「一千一秒物語」を神戸玻璃館から出版した。そして17年が
過ぎた…ゼンマイのもどける気配がして、パチンと何かが弾ける音がしたと思っ
たら、懐かしい「Modern Fairly Tales」をふたたび絵の具でなぞっている自
分に気がついて、めまいを覚えた。一千一秒。星のまたたきにも似た「地上の想
い出」をこんどは油彩の紙芝居に仕立てて、童話の天文学者タルホ・イナガキに
捧げようと思う」(大月雄二郎さん――展覧会の案内状より)
* * *
ちなみに、四谷シモンの「人形作家」のなか(97~100ページ)に書いてあ
る、状況劇場と寺山修司さんの天井桟敷の<乱闘事件>の際に、同じ車で逃げよ
うとして四谷シモンと一緒につかまったのは大月さんだったとのこと!
告別式は芦屋ホールで1月26日12時から執り行われました。
高橋睦郎さんの司会進行で行われ、黙祷から始まり、故人の紹介
友人からの弔電朗読、故人作 謡曲 「乙女山姥」の流れるなか
幼年期から晩年に至るスライドが映写され、献花へ。
句集 風のかたみ、年譜、謡曲 「乙女山姥」の小冊子をいただきました。
簡素な中に厳かな別れの儀式でした。
「草の背を乗り継ぐ風の行方かな」 句集 風のかたみ から
ご冥福をお祈りいたします。
小サイトの「院政期社会の言語構造を探る」のコーナーに、「慈円」の項をアッ
プ致しました。
http://www.furugosho.com/vertige/inseiki/jien.htm
これは、瞬時に和歌を詠む「速詠」や作品を子供に仮託するなど、和歌における
無意識的記述を重視するダダイストとしての慈円の側面を強調したもので、それ
なりにユニークな論考になっているかと自負しております。歴史そのものにはあ
まり興味がないという方も、ぜひアクセスしてみてください♪
(歴史の論考としてみれば、ユニークであればいいとは言えないとは思いますが…。)
年末にまた貴重な書冊を恵まれました。白石かずこさんの「浮遊する母、都市」、中堂高志さんの「菜の花句集」、川崎洋さんの「旅ゆけば」、種村季弘さんの翻訳「科学の結婚」、到津伸子さんの「不眠の都市」の四著訳書です。
到津伸子さんは池田満寿夫さんの映画「エーゲ海に捧ぐ」に出演されていますが、著名な画家でもあります。77年パリでの展覧会を皮切りに、82年ジョルジュ・バタイユ生誕百年展招待出品、また海上さんの斡旋でUNAC・TOKYOと西武渋谷店全館及び同ギャラリーで個展が催されたのでご存じの方も多かろうと思います。画文集も上梓されていますが、本書ははじめてのエッセイ集です。はじめてお会いしたのは82年、大月雄二郎さんの紹介でした。山本六三さんと会われたあと、明石市太寺3丁目の拙宅へ来られたと記憶します。即興で題扉へ描かれた猫の画と「神戸のことも書いたのですよ」とのお言葉を添えて頂戴したのですが、随分と味のある記憶の物語(モザイク)を構築なさったと驚いています。横須賀さんも到津さんの能動的ニヒリズムを讃美なさっておられました。版元は講談社、定価は2500円、お薦めの一本です。
昨年も百冊を超える書物の寄贈に与りました。心のなかで涙し、感謝致しております。ありがとう御座いました。
岩波文庫から上梓された種村季弘さんの「詐欺師の楽園」と森銑三さんの「おらんだ正月」を頂戴、架蔵させていただきました。「新橋の狸先生」「明治人物夜話」「俳諧博物誌」「団扇の画」等々、小出昌洋さんの編集になる森銑三本の上梓が続きます。小出さんは森銑三さんの弟子で、吉川弘文館の「日本随筆大成」全巻を編集なさった方です。大阪の肥田晧三さん(「上方学芸史叢攷」青裳堂書店刊「上方風雅信」人文書院刊など有り)と共に碩学として書誌学者としてもっとも尊敬しています。それにしても、書誌学者に甘党や下戸が多いのはなぜなのでしょう。肥田さんも饅頭や羊羹の食べ過ぎでほとんどの歯が抜け落ちています。
88年に研文社から森銑三さんの「書物の周囲」を上梓しました。小出さんとの愉快な編集の日々が憶い起こされます。また、野溝七生子さんが新橋の第一ホテルを栖になさっていた頃、何度か一緒にお会いしました。あの頃は私もスマートでいまよりはお洒落だったのですが。
Campagnoloさんへ
「誕生日にまた何か贈ります」とやら、かかる気遣いは一切無用にて、よろしくお願い申し上げます。
阿佐ヶ谷さんへ
諒解致しました。阿佐ヶ谷さんで参りましょう。
酒肴あり、文学あり、車あり、人形あり、映画ありで、屋号の「ですぺら」に相応しい節操のない掲示板です。要するに、なんらの趣旨をも持たない掲示板なのです。
それにしましても、貴方の日本酒に関する知識には驚かされました。もっとも、それだけではありますまいが。ひとつ今後ともよろしくお願い致します。
モルト会ご出席ありがとう御座いました。
如月さんへ
大月雄二郎展の御紹介ありがとうございます。本来なら私が書き込まねばならないところ、恐縮です。例の渋谷の<乱闘事件>のあと、花道を駆け抜けた大月さんはそのままパリへ逐電、状況劇場の新たな伝説を拵えました。1971年12月のことでした。出奔の証人に、とでも考えたのでしょうか、大月さんに呼び出された私はあの前後の一箇月を東京で過ごしました。四谷シモンさんとはじめてお会いしたのも少女都市の初日、大変な騒動に巻き込まれてしまいました。
23日に大月さんと一緒に来られた方は、昨年2月横須賀さんが二度目に来店なさったときのお連れさんです。世のなかの仕組みとはよく判らぬものですね。
大月さんが関西学院大学在学中の1967年の2月、彼の紹介でI田耕作と出会いました。その大月さんは山本六三さんの紹介で知ったのです。当時はみんな若く、いい人たちでした。
大月雄二郎展のオープニング・レセプションを紹介させて頂きます。
日時:2月4日(火曜)の18時から19時30分
会場:Bunkamura(渋谷東急本店横)一階メインロビーフロア
お問い合わせ:03-3477-9174
当日は会場に大月さんも来場。
Halさんへ
ご苦労さまでした。「草の背を乗り継ぐ風の行方かな」いい句ですね。Y川さんや加藤郁乎さんと篠原北町のお宅へ伺ったときのことを思い出しております。せっかく多田さんが用意なさったキューバ産の葉巻を酔っ払った郁乎さんがくちゃくちゃにしてしまい、ひんしゅくを買いました。あれ以来、ひとに葉巻を勧めるときは包装を解いてから勧めるようにしています。
ここのところ。知人に関する記事が連続して投稿されているので、僕も何か書いておかないといけないような気になりました。 Halさん 多田さんの告別式で同席だったんですね。面識がないものですから、失礼しました。睦郎さんの見事な司会進行で個人の意思通り「簡素にして典雅な清々しい式」でしたね。「私の骨は薔薇で飾られるだろう」という「薔薇宇宙」の言葉のまま、白い薔薇を一輪、一考さんの分も献花いたしました。棘に気をつけてという睦郎さんの言に反してちゃんと棘は全部抜かれていたところが多田さんらしいですね。式場で澁澤龍子さんを見つけて挨拶したら「会うのはいつもお葬式ね。」と言われた後、二人とも無言になってしまいました。ずっと流れていた宗家観世清和氏の謡には偶然持っていた大鼓を打ちたくなってしまいました。一考さんの書かれた篠原北町4丁目のご自宅は3丁目生まれの僕にとって歩いてすぐの所。因みにその間に朝比奈隆さんの家があります。小学生だった僕にとって、素敵なおねえさまとおじさまでした。お手伝いさんはいたけれど買い物は初代マツダキャロル360に優雅に乗って近所の市場によく来ていらっしゃいました。お使いに来ている僕が荷物を彼女の車まで持っていく代わりに上り坂を家の近くまでよく送ってもらったものです。命日は「風草忌」と高橋氏の案で名づけられたんでしたよね。 如月さん 雄二郎と状況の時からお知り合いですか。どこかでお会いしているかもしれませんね。彼とは上記の2丁目にあった子供絵画教室の同窓生なんです。山本六三、渡邊一考、大月雄二郎・・・・・悪友ばかりですが、彼らから学んだことは計り知れません。BUNKAMURAでお会いできれば幸甚です。 一考さん 伸子の新著も紹介してくれて自分のことのようにうれしく思います。ロボット工場に連れて行った時の事を書いてくれていますが、余り見ることの出来ない風景なんできっと印象に残ったんでしょうね。「不眠の都市」もう少し平易な日本語を使えば、もっと売れるだろうにね。彼らの話をするときりがないので、今夜はこの辺で切り上げます。
「火星人」多田智満子さんの病床での辞世の句は睦郎さんによれば「夏痩せやすこしふへたる死のおもひ」だとか。睦郎さんの編集になる「風のたより」に収録していないところを見ると、偶成なんで収録しなかったんでしょう。Halさんが紹介された最後の方が秀句ですね。 一考さん 種さんの新刊で「科学の結婚」ってありましたがJ.V.Andreaeの「化学の結婚」の間違いですよね。別のものが出たのかと、慌ててしらべましたら新装版が出たんですね。改訳増補とかありませんでしたか。種村先生の授業ではこれもテキストのひとつでした。同氏の著書が岩波文庫に収録とは存じませんでした。 如月さんが紹介してくれた雄二郎の「ハレー彗星云々」の文章はパリと日本とメールのやり取りを幾度もして、二人で作ったんですが、若い時以上にわがままな彼は僕の言うことをなかなか聞き入れないし、僕も頑固なもんだから中途半端なものになってしまいました。ああやってパンフレットになって読むと出来が悪いね。文章には人一倍うるさい一考さんには見せたくなかった。雄二郎らしい文には違いないので、ご寛容のほどを。
中島さんへ
闖入者大歓迎です。掲示板の方へ書き込んでいただいて結構だったのですが。
ルネ・ヴィヴィアンについては了解致しました。白鳥友彦さんの連絡先はメールにてご連絡致します。『月と奇人』は訳者白鳥さんの搏動を窺い知るにたる、昨今希にみる撰れた訳詩集です。どうかよろしくお願い致します。
六十五歳と五十五歳、共に、おそらく、生まれてはじめての熱いバトルを繰り返しました。青春を謳歌したのです。「生きていてよかったね」とふたりで独り言ちながら。
あなたが現れたのは昨年の二月の八日。少年期に得られなかった欠けたピースを探し求める目つき、ひとの迷惑も顧みずがぶり寄ってゆく貪欲な好奇心。なにを言っても「知ってるよ」「それも知っています」いかように言葉を返そうが「すべて分かってるよ」と畳み込んでくる居丈高な物言い。身勝手、我がまま、傲慢、不遜の権化のような顔をしてあなたは私の前に現われました。でも、ひとを喰ったあなたの眼差しは私にとっては遠い日の懐かしい眼差し、少年の頃のせつなさ、はじめてめぐり会ったときの爽やかさのままに、私はもうひとりの私と出会ったのです。
相手を傷つけまいとする遠慮もしくは自らの立場という力関係を信じ、話は一方通行に終始し対話になることは滅多にありません。いわんや、傍若無人な言葉のキャッチボールなどしたくても出来ないのが世の常なのです。ところがあなたは断じて原理原則を曲げず、壮絶な虚無感に裏打ちされたセンチメンタリズムを振りかざして挑んできたのです。
ひとがたまらなく好き、だからこそひとを拒否する。でも拒否するのはあなたではなく、それを選択するのはいつも相手側だったのです。「あっそう、なにも分かっちゃないね」とのあなたのさびしげな口癖がすべてを物語っています。あなたの口をついてでるノンは非難や排撃といった能動的なものではなく、言葉のゲームが出来ないことへの失意だったのです。「分かっちゃないね」とはひとの白々しさに逢着したときの自らへの絶望。見果てぬ夢を、友を捜して、あなたも私も共に繰り返してきたのですよ、数十年のあいだ。
「勉めて何者かであろうとするタイプと相対するところの者に合わせて何者にでもなれるタイプと二種の人品があるように見受けられます」あなたとのあいだで繰り返されたテーマのひとつでした。まず出逢いがあって、BはAとの同化を願います。自己解体がBのなかで繰り返されます。その解体によってBは「相対するところの者に合わせて何者にでもなれるタイプ」を撰び取り、他方Aは否応もなく、勉めてAであることを強いられます。もちろん、それを強いるのはBということになります。友という眷恋の情が、ひとを慕い募るこころがひとをあやめる。塚本邦雄の「感幻楽」に「馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ」との句がありますが、真に親しく接するとは互いの身を絶巓に押しやり、ときとして奈落の底へと背を衝くことになりかねないのです。友とはそして愛とは残酷なものです。かつて掲示板で「自らに対する偽善を厭うなら、暫時友は切り捨ててゆくのが自らへの、ひいてはその友への唯一のはなむけであり餞別」と著したのにはあなたがご指摘なさったとおりの事情が秘められていたのです。互いが互いを敬い、思慕するがゆえに、精神的には引き裂かれて行く。その距離に絶望を、あまりもの怖ろしさを感じたとき、BはAの元を去るしかないのです。もちろん、Aの精神の躍動を跳梁を願っての行為であり、Bにとっては一種の自傷行為のようなものなのです。だって、そのことによってBは恋人を、もう一人の自分を失うのですから。
でも、あなたの場合はすべてが異なりました。議論の時のあなたの過剰なまでの方法論、「固着した精神や趣味性を呪い続けた瑞々しい屈折、固執を厭い休むことなく揺れ動く伸縮自在な発想」スポイルド・チャイルド世代固有の自己疎外を意に介せず、「人は終生変わらない」という精神の荒野を躊躇なく踏みにじり、ひとの立場と称するところのすべて、すなわち権威や権力を逆に恫喝してやまなかったのですよ、あなたは。前日、私から剥ぎ取り刮げ落とし簒奪したばかり文言を、今日はみずからの武器として用いる。ひとはなにものにでも為り変る、それ以上の個性がこの世にあったでしょうか。「間断なく繰り返される解体を伴わないかかわりなど、毒にも薬にもなりませんよ」あなたと私はいつのまにか完全な入れ子になってしまったようです。
あなたはひとの弱味に付け入り、いかに相手を傷つけるかに心血を注ぎました。でも、それを加虐趣味と解釈するのは間違いです。「傷つけられて怒るのは結構だが、怒りに身を震わす自分をあんたは信じているのかね、たわいない存在だねえ」「第一、言葉で傷つくなんて本当かねえ、もう少し自分に正直になれば」との独り言が聞こえてきます。それこそ怒っているのはあなたなのであって「人なんて取るに足らない存在なんだよ」ということを知らしめたい。否、知らしめる必要すらなくて、当たり前のことを当たり前として認識した人とのみ言葉の逢瀬を楽しみたい、ひとの言葉で傷つくような嘘つきの輩に興味はない、というのがあなたの真意であり、曲げることのできない原理原則だったのです。
「明晰さといっても、いろんな種類の明晰さがあります」などと迂闊に口を滑らそうものなら、大層な反撃を喰らいました。「おもしろいじゃないの、どういう種類があるの、そこを詳しく」。ひとと議論をするときは事前に逃げ道を拵えておくのが常道です。しかし、あなたはそれではゲームにならないと怒りました。宇野邦一さんが「かくまでナイーヴなひとは珍しいね」と一言。そこいらからすでにゲームははじめられているのです。
糅てて加えて、あなたは私が掲示板に書き散らかした雑文のすべてを対象に論戦を挑んできました。「主要な部分はすべて一人の男のために著されている」と、なにもかもがお見通しでした。双方の論理回路を接続するのに四箇月ほどかかりましたね。それからあとはメタフィジカルな禅問答でした。週のうち最低三日、いや毎日いらしたこともしょっちゅうでした。あなたが見えられたときは朝まで生テレビの有様でした。薫子さんに「いつも遅くなって申し訳ない。でも、今だけだから」そう、分かっていましたよ「今だけ」なのは。あなたは病気を顧みず毎日刺身包丁で魚を下ろしていましたね。あなたは命がけで生きていたのです、残日を指折りかぞえながら。死臭と腐臭を漂わせながら命がけで突っ立っていたのです。だからこそ、私も持てるすべてのエネルギーを傾注したのです。共に、おそらく、生まれてはじめての言葉のゲームのために。
あなたが写真家であろうが、あなたが仰るように私が思索者であろうが、そんなものはかりそめの装い、個として生まれ、個として生き、個として死んで行くのです。互いの実績など無視しあいましたね。だって、「今だけ」だったのですから。バランス感覚など洒落臭いものをあなたはせせら嗤っていました。生き延びたことに対する唯一の良心は自己欺瞞だけ、あなたは横須賀功光という渦中を濃密に生きたのです。
私が「今日は私の負けですね」、あなたは「ここのところ二連敗だったからね」と返す。「そっちへ振りますか」「それは想定外だなあ」「さて困った」「今日は用意してきましたからね」ひとを追い詰め追い込んでゆくときの張り詰めた雰囲気、そんなときのあなたの顔は輝いていました。どちらが勝とうが負けようが、横須賀さん、愉しかったね、嬉しかったね、仕合わせだったね。すべては約束された滅びへのみちのり、「年々歳々花相似、歳々年々人不同」間違いなくひとは変わり、最後は土塊へと昇華されてゆくのです。一ツ木通りでどちらからともなく別れ際に交わされた一言「生きていてよかったね」
あなたもわたしも極端なワイン好き、彼の地で愉しむ酒は限られます。やはり遅摘みのグルナッシュ種ですか。さればルーションのモーリかバニュルス。あなたのことだ、きっとバニュルス・グラン・クリュの四十七年、ペッパーやシナモンのスパイシーな香りがシガーに合いますよね。なんですって、彼の地にあってもひとを煙に巻くんですって。大丈夫、私もじきに追いかけますからね。
表題、既にお含み置き願えている事と存じますが、念の為。以下、フライアーより抜粋他、敬称略。
◇寺山修司没後20年/パルコ劇場30周年記念映画祭◇
『幻想と詩とエロチシズムの寺山修司◎映像詩展』
日程:2003年3月19日(水)~23日(日)
劇場:PARCO劇場(渋谷パルコパート1・9F)
料金:税込み
前売り1回券\1,500.-/3回券\3,900.-
フリーパス寺山お面券\10,000.-(限定100枚シネクイントのみ扱い)
プレミアムシート券\2,800.-(指定席・1プログラム限定36枚、チケットぴあのみで前日まで)
当日1回券\1,700.-/3回券\4,500.-/学生\1,500.-/小人・シニア\1,000.-
内容補:多数の映像作品を残した氏の足跡を辿る事が出来る企画な由。22作品を11プログラムで一日5プログラムを上映。各回完全入れ替え制、整理券による。毎18:00(23日は19:00)開始の回は上映前にスペシャルトークもあり。著名な作品は数回上映されるようですが、特に観る機会の少ないと思われる「涙を獅子のたて髪に」は3月19日(水)のみ。この機会に一気に網羅してしまおうという向きにはフリーパス寺山お面券がお得。
◇寺山修司没後20年パルコ劇場30周年記念関連企画◇
「寺山修司と天井桟敷の全ポスター展」
演劇実験室◎天井桟敷の宣伝美術の全貌
日程:2003年3月28日(金)~4月14日(月)
会場:ロゴスギャラリー(渋谷パルコパート1・B1)
内容補:今回はあまり普段目にする機会の少ない海外公演時のものも含まれるということですので、興味のある向きは必見かと。
◇寺山修司没後20年/パルコ劇場30周年記念公演◇
魔術音楽劇「青ひげ公の城」
日程:2003年3月28日(金)~4月17日(木)
劇場:PARCO劇場
入場料:\7,500.-(全席指定・税込み)、2月8日(土)一般前売開始
チケット取り扱い:イープラス(eee.eplus.co.jp)、チケットぴあ(03-5237-9966[Pコード323-860])ローソンチケット、CNプレイガイド
出演:三上博史(823年映画「草迷宮」にてデビュー)、荻野目慶子、秋山菜津子、河原雅彦、ほか。
台本・詞:寺山修司
演出・音楽:J.A.シーザー
内容補:ペローの童話やバルトークのオペラにもなった、中世フランスの妻をめとっては殺害したという伝説がモチーフ。1979年、当時の西武劇場にて初演。元天井桟敷の面々に新スタッフ、キャストを交え復活公演の由。
~以上です~
さて、同じ文面にて御容赦を。
一考様
「死にも生きも 同じ心と 結びてし 友や違はむ 我も寄りなむ」
とまでは。
Campagnoloさん、こんにちは。
拙掲示板の対応に追われ、なかなかRESできなくてごめんなさい。
大月さんと私とは、四谷シモンをとおした知り合いで、2001年のパリ旅行の
時が初の面識かもしれません。↓写真は、私が撮影したものです。
http://www.simon-yotsuya.net/profil/pari.html
きっかけはなんであれ、今度ぜひお会いしたいですね。
ただし、大月さんのオープニングは、アルバイトと重なるため伺えそうにありま
せん。また、2月5日のW誕生会も、アルバイト終了後伺う予定で、12時近く
になりそうです。
(本文を打ち終わってからこのスレッドのタイトルを入れたら、大月さんと私と
は「月」が重なるんですね♪)
種村季弘さんの翻訳「ビリッヒ博士の最期」リヒャルト・ヒュルゼンベック著が未知谷から上梓されました。安原顕さんが編輯なさっていた海へ掲げられたものです。かつて雪華社から本にしようかと話していた一本です。上梓なされた未知谷の飯島徹さんに大感謝。同じ著者の「ダダ大全」鈴木芳子訳も未知谷から刊行されています。併せてよろしくお願い致します。
種村さんには他にもパウル・シェーアバルトの翻訳(「小遊星物語」のみ既刊)をはじめ、独逸のモダニズム文学の翻訳で活字になっていないものがまだ8冊もございます。上梓されんことを待ち望んでおります。
発行所 未知谷 千代田区猿楽町2丁目5-9 電話03-5281-3751
松友さん御紹介ありがとうございます。
今回の寺山修司映像作品一挙上映は4年ぶりの企画です。ポスターハリス・カンパニーの笹目さんの尽力に負うところ大です。併催されます「寺山修司と天井桟敷の全ポスター展」は必ずお目通しいただきたく思います。「青ひげ公の城」の練習は一ツ木通りの旧TBS会館で行われます。役者さんがですぺらへもいらっしゃるそうです。
チラシを多数店に用意しておりますので、詳細をお知りになりたい方はどうぞ。
如月さんへ
2月4日の大月さんのオープニングには私も伺えそうにありません。日曜日に行くつもりです。
2月5日のW誕生会はいくら遅くなられても結構です。必ずいらして下さい。
掲示板上でもなんどかご指摘を受けましたが、Campagnoloさんは事実関係を大事になさる方のようです。でも、夢と現実とのあいだに境界線を引くことは私には出来ません。というよりは、事実に重きを置かず、虚構を楽しもうとの性癖が強いようです。あなたが歴史の世界で翼を得て遊ばれていらっしゃるように、私は印象だけで現世と戯れたいと常日頃より願っているのです。
須永朝彦さんの誕生会の受付をどなたかにお願いしたいと思っています。こころあたりがございません。松友さんはいかがでしょうか。
横須賀安里さんがですぺらへいらっしゃいました。横須賀功光さんの最期を詳しくお聴きしました。もっとも悲しいのはあなたなのです。それにもかかわらず、私が泣いてしまいました。おのが不明を恥じ入っております、深くお詫びいたします。
横須賀功光さんの作品は多岐にわたります。本業の広告写真、発表することなく撮り続けられた自らへの問いかけともなる作品、そのなかにはピエール・ルイスが好んで用いた一群のプラチナプリントも含まれます。山口小夜子さんを被写体に撮られた一連の未発表写真もあります。そうした作品が上梓され、私たちの精神の糧になりますよう願わずにはいられません。
生前、と書いてはたと困惑いたします。亡くなられたのはつい半月ほど前のこと。でも、私のなかではあれから随分永い歳月が経巡ったような気がするのです。その年月に反比例するかのごとく、横須賀功光さんの存在は私のなかで濃密に、より確たるものに変化して行きます。夜ごと対話は繰り返されます。あの自由闊達な、傍若無人な語り部が枕元を訪れます。「そう、そのとおりなのよ。でもね・・・」朗らかな笑顔、すずしげな眼差しでからだを押しつけてくるのです。
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