ですぺら
ですぺら掲示板1.0
1.0





【掲示板1.0では、時系列順(旧→新)に記事を表示しています。】

←前月「 2005年09月」 | メイン | 「2005年11月」次月→

2005年10月 アーカイブ

一考 | 塩っぱい魚

 高遠弘美さんへ
 東大在学中だった娘さんが自死なさって、その悲しみを束ねた書冊、扉の次ページに刷られた三行のフランス語、あの三行のためにのみ、同書は編まれました。本が出来上った日、大塚の小料理屋で馳走になった活魚、ハンカチで拭いもせず、二人して「大塚のさかなは塩っぱいね」。あれから二十年経ちました。ご購読に感謝。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月01日 04:32 | 固定ページリンク




一考 | ひとりごと

 夥しい量のエッセイを岩崎さんは著されています。岩崎さんの他にも、私にお金があれば、もっと出版したい本があったのです。でも、財産を使い果たし、自分の生活すら成り立たなくなったとき、出版人であることを断念しました。持続と更新、すなわち「生きること」(ラ・ヴィ)をがっしり支えるカリアティードを刻もうと、ひとはあがき続けるのですね。ですぺらの消息も似たようなもので、残日を指折りかぞえる状況に至りました。人は描かれては波に掻き消される暫定的な存在。ですぺらもまた、夜毎の演目を終え、やがてなにごともなく消滅。その日までは媚びを売り顰蹙を買う、いたずらな搏動におつきあい頂ければ幸甚です。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月01日 06:28 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 逆縁とは

一考様。
あの三行、お嬢様のこととは迂闊にも存じませんでした。逆縁の悲しさ、絶望感は察してあまりあります。さういふなかでの岩崎力先生のお仕事だつたのですね。黙して思ひを馳せるのみ。

ですぺらの隆盛をこころより祈つてをります。「売るのは媚び、買ふのは顰蹙」といふ名言を貫きとほして頂くためにも。ご自愛下さい。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年10月01日 09:23 | 固定ページリンク




佐藤 周 | ヴァルモワまで

まだ一読しただけですが、本当にいい本だと思います。
二十年、それだけ時が流れれば、もう購読すらかなわないのです。僕が読んでいる同書は図書館にあったもの。この先購入しても一考さんの仕事の手助けになるわけでなく、古本屋の利益になるのみ。それだけの時が流れています。けれども、この本の「良さ」だけは些かなりとも減じていないと思います。後書きに「分裂病的に」とありましたが、この言葉が、もしかしたら一考さんと岩崎さんを結びつけた一つのきっかけではないかと思いました。固着しないこと、というのは一考さんが何度も繰り返し、この掲示板で語られていることの一つである気がしています。岩崎力さんを教えていただいたのは一考さんの仕事によってでしたし、その後手にとった本も一考さんのお仕事でした。この「ヴァルモワまで」だって一考さんのお仕事だと知らずに借りたのです。これでは、まるでストーカーです。
ユルスナールの「どこで死のうと地球の上であることに変わりはない」というような言葉は、そのまま一考さんの「残日を指折り数えて」に通じるような気がします。それだけ、「今」に悔いが残らぬようにしているということでしょう。けれど僕はまだ、ですぺらに未練があります。月曜日は財布の底を振ってでも参りたいと思います。
 以上とりとめのない文章で申し訳ありませんでした。



投稿者: 佐藤 周    日時: 2005年10月01日 23:33 | 固定ページリンク




佐藤周 | (無題)

ヴァルボワまで。がヴァルモワまでになっています。
直したいのですが、直し方が解りません。恥さらしですが
ここで訂正します。



投稿者: 佐藤周    日時: 2005年10月01日 23:39 | 固定ページリンク




一考 | 掲示板四周年

 佐藤周さんへ
 ヴァルボワがヴァルモワであろうがパルモアであろうが、そのようななことは恥にすらなりません。いかなる誤記、誤字、脱字であろうが、また誤用、言い間違い、勘違い、思い違い、記憶違いの類いは決して恥ではないのです。枝葉末節なんざあどうでもいいではありませんか。そんなことより、「『今』に悔いが残らぬようにしているということでしょう」との文言で私は暫くいい気持ちでいられます。と同時にその解釈はあなたの血肉であり、思想なのです。中身、内容へはなしがおよぶとき、自己と他者は優位や劣位のような評価を超えたところで相対し、そして垣根は崩れ、滲透しあい、溶解して行きます。
 自己の内部に植え付けられた基準に従う「罪」行動、すなわち自責的な「罪」の意識ならいざ知らず、自己の行動に対する世評に気を配ったり、他人の判断を基準にして自己の行動の方針を定めるような「恥」の概念は思い切りよく捨て去りましょう。
 私のように幼少期から存在それ自体が人さまの笑いものであり、値打ちがないといわれ続けられて育つと、自尊心の持ちようとてなく、嘲笑われようが醜さを指摘されようが、何をいまさらでございます。この掲示板をはじめて明日でちょうど四年になりますが、私ゆえ同じ書き込みの繰り返し、ますます「分裂病的」症状が顕になって行くようです。傍迷惑と思われる方がもし一人でもいらっしゃれば、それこそが私の至福なのです。
 与太はともかく、明日は掲示板の忌日、酒を呑むしかなさそうです。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月02日 14:33 | 固定ページリンク




佐藤 周 | 自責。

「自責的な「罪」の意識」という言葉がでた時にふと思いついたのですが、自責というのは、何処までも内面的で、人にさらすものではない。そういうものですが、それが一転「自虐」になると、まさに恥を先回りして隠す、その為に道化るような、そんな気がします。ならば、恥知らずにもという謙遜の言葉にはすでに自虐的な意味が内包されて、なんとも醜い感じになりますね。ところで、一度怪我した部分は厚く皮が盛り上がるものです。こそげおちた「恥」はきっと顔にあったのでしょう。これを機に「厚顔無恥」を肝に銘じたいような気も致します。



投稿者: 佐藤 周    日時: 2005年10月05日 01:25 | 固定ページリンク




管理人 | ですぺらの危機


管理人の櫻井です。
私が言うべきではないことは重々承知していますが、
非難されることを承知の上であえて書きます。

ですぺらの経営状況が極めて悪いのです。
店の家賃の支払いにさえ苦慮する状況になっています。
このままでは店を閉めざるをえないでしょう。

掲示板をご覧になっている皆様、ぜひともですぺらにご来店ください。
お願いします。
このままではちかぢか本当に閉店となってしまいます。
この店がなくなってしまうのはとても惜しいと思うのです。



投稿者: 管理人    日時: 2005年10月06日 00:32 | 固定ページリンク




一考 | 与太話

 櫻井さんへ
 書き込みに感謝。「すき焼きパーティー」ならびに「ひとりごと」でその旨を書きましたので、繰り返しようもございません。そしてすき焼きパーティーにご参加くださった方に深謝。

 ひとに相談すべき事柄なのかどうかの判断すらつかず、たとえ相談しようにも、相手にとってはただ迷惑なだけ。そして、ですぺらの最大の問題点は当事者意識の欠落にあると思います。当事者が当事者意識の欠落をいう、そのような無責任では到底店の存続ははかられません。
 残された手立ては店の営業方針を変えることなのですが、それは私ひとりではどうにもなりません。ひとりで判断しようとすれば、ひとりで業務がつとまる店に引っ越すしかないのです。赤坂はそのままにして、新宿にちいさな店を構えようかと過日書いたのはその辺りの消息を指してのことでした。
 なにはともあれ、ひとりでないところの私に判断できるのは、そして判断すべきなのは最初と最後の判断だけなのです。そして去年の二月に結論は出ていたのですが、私の優柔不断でいまに至りました。
 「ええい面倒」と思った日に間違いなくなにかが終わります。若ければそれが明日への手掛かりにも足掛かりにもなるのですが、そのような齢はどこぞに置き忘れて参りました。糸口が喪われた人生をすでに歩んでいるのです。しがない飲み屋であれ大企業であれ、ひとは支えを若さに求めます。しかしながら、思うにまかせないのが世の常、気落ちする方向へと徐々に歩を進めているありさまです。

 いかような結果になるにせよ、貴方さえよろしければ、当掲示板は続けたいと思っています、例え神戸からでも、北海道からでも。今日、高遠さんからお叱りを受けたのが大きな理由なのですが、南柯書局のこと、手漉和紙のこと、反物のこと、活字のこと、製本のこと、当時の編集者仲間のこと等々、書物にまつわるあれこれを重複を気にせず書き込もうかと思っっているのです。ヒステリーと掛け合わせてニヒリーな、いささか気取って申せばイコエスクなものを著せないかと、これはまた例によっての与太でございます。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月07日 01:52 | 固定ページリンク




薫子 | 建石修志展

展覧会のお知らせです。

建石修志展 本に微睡む 或は 紙に浮かぶ夢
10月17日(月)~29日(土)
AM10:30~PM6:30(日曜PM12:00開廊)
於 青木画廊 東京都中央区銀座3-5-16 島田ビル2F・3F
 TEL 03-3535-6858  FAX 03-3567-3944
 URL http://www.aokigallery.jp

建石修志公式HP http://cherubim-tateishi.site.ne.jp



投稿者: 薫子    日時: 2005年10月07日 05:19 | 固定ページリンク




薫子 | お知らせ

 今夜、神戸を目指して出かけます。よって「ですぺら」は本日に限り、12時閉店とさせていただきます。
勝手ながら、ご了承のほどお願いいたします。



投稿者: 薫子    日時: 2005年10月08日 05:22 | 固定ページリンク




一考 | 追記

 十二時閉店の理由は、朝の七時までに知立を越えて名四バイパスへ入りたいからです。勝手を言って申し訳ないのですが、どうかよろしくお願い致します。

 太田さんへ
 ずっと洲本にお住まいとか、お会いするのはまたの折に致しましょう。
 洲本は私が重傷を負ったところです。交通事故には何度も遭遇していますが、洲本での事故には悲鳴をあげさせられました。でも、過ぎ去ればなにほどのこともなく、冬になると両手先の痺れがひどくなり、握力が落ちることぐらいです。
 速度を落として眺め行くなかにあって、僅かにひとり、私を助けてくださったタクシーの運転手とその無線によってあとを引き継いでくださった救急車の方々に感謝。タクシーの運転手のご厚志に倣い、あれ以来、ひとの事故には積極的に関与するように心掛けています。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月08日 14:41 | 固定ページリンク




一考 | りきさんへ

 先日は恐縮。掲示板ではまだ書けませんが、某雑誌の編集の手伝いをお願いしたいのです。昨日、ぷひぷひさんが同席なさっていたので、お願いしました。金光さん、土屋さん、山口さんにもご協力いただければと思っています。週明けにお集まりいただきたいのですが、私のパソコンは十一日の夕方まで不通になります。面倒をお掛けしますが、音頭をとっていただけませんでしょうか。
 仕事はY・Tさんが拵えた年譜と書目録をデジタル化するところからはじまります。あとは謄本と地籍簿の確認、関係者(特に往時の編集者の肉声が必要)への電話、アンケート、面語等々が必要になると思われます。雑誌社からの希望は個々の著書にユニークなコメントを添えること。こちらもみなさんのご協力を得たいと思っています。どうかよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月08日 15:14 | 固定ページリンク




一考 | 「sai」

 過日紹介した柿沼裕朋さんの「迷宮タネムラの解剖学」(「月刊百科10月号」平凡社)が手に入りにくいようです。平凡社にその旨を伝えたところ、本日ですぺらへ送られてきました。従って、コピーでよろしければお渡しできます。

 黒瀬珂瀾さんや玲はる名さんが参加なさった同人誌「sai」が創刊されました。詳細ならびに入手方法は以下をご覧ください。お薦めです、その理由は後日書かせていただきます。
 http://www.kurosekaran.com/sai/

 このところ多忙で書き込みも思い通りになりません。週明けにはすこし時間が取れそうです。 ですぺらですが、十一月末日で車が使えなくなります。通勤にはバイクを用いる予定ですが、そのバイクを動くように整備しなければなりません。開店当時のように、私は酒が飲めなくなります。飲まないと決めたら飲みませんので、どうかよろしくお願い致します。
 ご来店くださった方にはお分かりいただけたと思うのですが、店の方針を改めました。十一月からはマクレランズのボトルキープをはじめます。どうかよろしくお願いします。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月14日 18:57 | 固定ページリンク




薫子 | ジャパン・アヴァンギャルド

昨年、「ですぺら」も会場の一つとなりました、「ジャパン・アヴァンギャルド--アングラ演劇傑作ポスター100」展。そのときにお世話になったポスターハリス・カンパニー代表の笹目浩之さんが朝日カルチャーセンターで一日講義をされます。

「ジャパン・アヴァンギャルド--1960年~70年代のアングラ演劇ポスターの魅力」
以下、案内チラシより

1960年~70年代にかけて、演劇界ではアングラ演劇(小劇場運動)が勢いを持ち、寺山修司、唐十郎、鈴木忠志、佐藤信、串田和美らが、実験的な舞台を繰り広げていきました。
この頃、舞台と相乗効果をもたらしたのが、天井桟敷、状況劇場、黒テント、自由劇場などの旗印として登場したポスターです。ある意味このポスターがアングラ演劇の先導的な役割を果たし、時代を挑発し、現在その象徴として存在します。そしてこれらは、横尾忠則をはじめとし、赤瀬川原平、宇野亜喜良、林静一、金子國義、篠原勝之など、多くの一流アーティストがかかわりました。彼らの手によるポスターは、アングラ演劇の軌跡にとどまらず、単なる公演告知のポスターの枠を超え、日本の熱かった60年代から70年代を鋭く切り取り、そのポスター自体が発しているメッセージは時代を越え今も輝き続けています。
そんなポスターの魅力を、現代演劇ポスター収集・保存・公開を主宰し、数々のポスター展覧会を手掛ける講師が、自らの貴重なコレクションをもとに熱く語ります。

日時 2005年12月16日(金) 18:00~20:30 全1回
受講料(税込み) 会員 2730円、一般 3250円(入会不要)、ゼスト・学生会員 1000円
場所 新宿住友ビル48階 朝日カルチャーセンター(申し込みは4階受付)

問い合わせ 朝日カルチャーセンター
      163-0204 新宿住友ビル内 私書箱22号
      東京都新宿区西新宿2-6-1 電話03-3344-1945(直)
      インターネット情報接続先 http://www.acc-web.co.jp

講師紹介の欄に「ウルトラポスターハリスター」とありますが、何なんでしょ?



投稿者: 薫子    日時: 2005年10月16日 06:22 | 固定ページリンク




一考 | 高橋康雄さん

 土曜日の深夜、雨のなかを金光寛峯さんが来店。稲垣足穂の単行本未収録の作品を九点お持ちくださった。私の手持ちは幻想文学の「タルホスペシャル」に提供、あれ以来、図書館や古書店で探し回るのはやめた。足穂は高橋康雄さんに委せることにしたのである。その高橋さんが北海道で亡くなられたのが2000年7月4日、59歳だった。
 1985年の秋、私は東京中野新橋へ転居、雪華社で仕事をはじめた。その折、潮出版社の編集長だった高橋さんが「一の会」をつくってくださった。いかに忙しかろうが、毎月一日には一考を囲んで酒を呑もうとの趣旨であった。ほとんどのひとは私を「いっこう」と呼ぶが、高橋さんは最初から最後まで「いちこう」さんと呼んでいた。名前なんぞ単なる記号と思っている私にとって、「いちこう」であろうが「にこう」であろうがどうでもよろしく、逆に聞きなれない呼び方にいたく感激したものだった。
 高橋さんについては改めて書くこともあろう。ただ、久しぶりに高橋さんと一緒に仕事をすることになった。三途の川をはさんでの遣り取りがこれからはじまるのである。

 西巣鴨新田を検索していて、大崎啓造さんの『イナガキ・タルホ・アーカイブ』を見つけた。一押しのホームページである。
 http://www3.ocn.ne.jp/~tarho-ar/index.html



投稿者: 一考    日時: 2005年10月17日 04:30 | 固定ページリンク




一考 | お喋り

 済んだから書くのだが、十五日の午後、日本推理作家協会の土曜サロンでお喋りをした。関係者によると「推協」というらしいが、事務所のある南青山の秀和青南レジデンスは小泉喜美子さんがお住まいだったところ。そこで、幻影城、薔薇十字社、南柯書局について二時間ほど、お話しさせていただいた。
 それにしても、初対面のひとの前でははなしづらい。私流のあんちょこを二十枚ほど用意していったのだが、それは半分しか使わなかった。あとは野となれ山となれで、手漉和紙、活字、活版印刷、綴じのことなどを話した。そのような経験が前に一度だけあるのだが、その時は酒を飲んでいた。今回はじつは酒を隠し持っていたのだが、飲む機会に恵まれなかった。
 お喋りも原稿を書くのと同じで、言いたいこと言わねばならないことなど何もない。ただ、与太を飛ばしてお金を頂戴できたのは嬉しかった。おかげで、ワインを数本仕入れることができた。残金で帰りにハナマサへ寄って焼酎の特大ボトルを買うつもりにしている、それと好きな烟草をひと箱。自分自身へのご褒美であり、今宵はその焼酎で酔いつぶれたいと思っている。今日は薫子さんは昼から居ない、明日の夕刻には帰るだろうと思っているが、それは希望的観測である。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月18日 01:24 | 固定ページリンク




一考 | 「PARADO ZERO」

 「sai」と名付けた雑誌が創刊された。黒瀬珂瀾さんや玲はる名さんの作品が掲げられている。ここでは「PARADO ZERO」と題された黒瀬さんの作品について触れたい。引用は巻頭の四首であって、選択したものではない。

 Welcome to JFK と死者の名の大き文字見ゆ機窓より見ゆ
 きりもなく L'etranger なる喜びに満ちて差し出す指紋、面相
 空港は都市の周縁なればまた空港の周縁に移民が
 ニューヨーカーが住む場所ゆゑにニューヨーク 冬晴れに輝ける冬空

 先月の九日に私は「らっきょの皮むき」と題する紹介文を書き込み、文中で種村季弘さんのトートロジーについて述べた。「種村さんに『夢』または『夢記』と題された掌編小説の連作がある。島尾敏雄や井伏鱒二や澁澤龍彦のそれと同じくトートロジックな重語法で小説の原器的形態を表出した作品で、タイトルに相応しく内容的な実体はなにもなく、言葉の現実による記述に終始する。『夢』とあるからには当然で、二元論的緊張が不気味なほど欠如した、謂わばらっきょの皮むきのような作品なのである」
 黒瀬さんの作品を「らっきょの皮むき」に見立てるつもりはさらさらないのだが、彼が用いた重語法には驚かされた。一読、「なるほど、そう来ましたか」が最初の感想であった。卓越した修辞法を身につけたうえでの重語法である。修辞法としてのトートロジーではなく、プラトン的な匂いが紛々と漂っている。このような曲球(くせだま)を素直には受け取られない、その裏を覗き見たくなるのは人情であろう。

 第一歌集での試みは、塚本邦雄、春日井健といった戦後の前衛短歌への憧憬だったのか、訣別だったのかというような形式論ではなにもはじまらない。例えば、同一人がベケットとジュネを翻訳するとして、その訳文が同じであろう筈がない。否、同じであっては困るのである。同様に、ひとを評し論じる折、その対象に即して自らの水準基準を変更させなければならない。鴎外と足穂が、鏡花と久生十蘭が同日に論じられては堪ったものではない。一度書き上げた作品を触らない作家が一方にいれば、終生弄くりつづける作家もいるのである。
 タルホの『ヰタ・マキニカリス』における改作は、構成し直すなどという生易しいものではなかった。鏤刻の名に相応しい、大胆にして繊細な添削が細部にいたるまで施されている。「黄漠奇聞」は84枚が25枚に、「星を売る店」は70余枚が」25枚にいった按配である。「タルホ・コスモロジー」の自註には、「生活記録を出ないもので、文学以前」とか「まだ冗漫なようだ」とか「なお意に満たない」などと書き記されている。同時代の作家の作品を「存在的であっても、存在学的ではない」と看破するタルホならではの、はったりを利かせた為事であった。
 タルホにとって文体が技法の問題ではなく、ヴィジョンの問題であったように、黒瀬珂瀾の短歌に接することは、そのまま彼の思考のプロセスなりリズムなりを擬(なぞら)えることになる。彼はタルホのように旧作の書き換えはしない、しかし、その書き換えが実は書き換えではなく、そのままタルホヴィジョンの再構成作業を追うことであり、タルホの宇宙模型のなかへ潜り込んでゆくことであったように、黒瀬珂瀾はこともなげに精神を改作しつづける。言い換えれば、思考そのものを実に身勝手に脱ぎ捨ててゆくのである。そして、それはそのままカラネスクの再構成作業を追うにとどまらない。黒瀬さんの短歌を読むことは、自分自身のヴィジョンを作り上げる方向へと読者を駆り立てる力そのものに触れることになる。
 10月5日の朝日新聞夕刊に黒瀬さんのインタビュー記事が載っていた。「歌で世界を変えられると信じたい。言葉で世界が開けて、世界の見え方が変わるような歌。内容より、言葉を信じたい」また「意味にとらわれて地に足が着いたような歌より、もっと高く意識を飛ばす歌を」と文中で黒瀬さんの言葉が紹介されている。「意味」と「意識」との関係が月並な二項対立ではなく、弁証法でもなく、より透明感を有した新たな領域へ曳きずりだされているのが諒解できる。
 かつて相澤啓三さんの詩について、「詩歌を繙き、そこに認め綴られたことばの意味を訊ね、内容を追ったところで作品のひとつの側面をなぞることにしかならない。要するに、選択された文言やその作家の語彙を気にしていては詩は読まれないのである。意味内容や表象を読み解くのと同時に、そこから遠く逸脱してゆく書き手の影や分身、いわば著者の搏動のようなものを諒解しなければ、書物を繙いたことにはならない」と私は著した。黒瀬さんの場合、この意味内容のひとつに短歌の形式や約束事が含まれるのは言うまでもない。
 黒瀬さんの作品を読んでもうひとつ感じたことがある。短歌や俳句を自分の好みにあわせて撰び、組み直すといった美意識は黒瀬さんの作品にはもはや通用しない。通用しないと言うよりも、通用させてはならないということである。そもそも「美意識」の屋台骨は私たちが個々に持つ好き嫌いである。さらに、その好き嫌いを自由意志といってもなんら不都合は生じない。そして、世界を自由意志のレンズを通して見ることをやめ、ただの無意味なオブジェとして、そこらにごろんと転がそうではないか、と言いつづけたのが澁澤であり、種村でなかったか。世界は無意味なオブジェと化した瞬間からいよいよ謎めいた表情を帯びはじめる。言い換えれば、「自由意志を蝉脱して謎と化したオブジェとしてよみがえるのである」
 黒瀬さんを述べるに、タルホを持ち出したのは他でもない。稲垣足穂や澁澤龍彦や種村季弘と同質の「存在学的」稟質を私は黒瀬さんの作品に感じるのである。「PARADO ZERO」はひとつのオブジェになっていると言いたいのである。それでなくとも、「自らの水準基準」の変更を余儀なくさせる書き手などそうはいない。知的に屈折し、価値観の自在な顛倒を繰り返し試みる無責任かつ悪意にみちたこのものへ、私は敬愛の念を抱いている。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月18日 20:34 | 固定ページリンク




一考 | 「でぶ大全」のことなど

 昭和六十三年十一月に森銑三の「書物の周囲」を研文社から上梓した。日夏耿之介の「鏡花文学」につぐ、二冊目の出版だった。編集は当時、机を並べて仕事をしていた小出昌洋さんで、栞は外山滋比古、三國一朗、渡部昇一各氏にお願いした。装丁は読売の「アールヌーヴォーとアールデコ」以来、共同作業の多かった斉藤芳弘の手になるもの。カバー、帯、奥付けに南柯書局のマークを用いたので、分かるひとには分かるようになっている。
 同書の元は昭和十九年三月二十日に白揚社の現代生活群書の一冊として上梓された森銑三、柴田宵曲共著の「書物」。ちなみに、「書物」は昭和二十三年一月二十日に、同じ白揚社から増訂改版が上梓されている。
 増訂改版の序文には「一昨年罹災して、蔵書の全部を失ったが、『書物』はその後に人から贈られて持っていた」とある。戦争ではないが、私は罹災によって全体の三分の一、約一万冊の蔵書を失った。以来、蔵書を含めて、ものへの所有欲は希薄になった。それに比例して、過去に拵えた限定本をはじめとする自分自身の為事への興味を喪った。震災が私の世界観になんらかの影響を与えたようで、虚無主義への傾きが著しくなったように思う。
 そのような個人的なことはどうでもよい、ここで大書しておきたいのは森銑三と柴田宵曲の睦まじさである。「本をよく読む人はあまりものを書かないし、書く人はどちらかというと読書家でない」とは外山滋比古さんの弁だが、森銑三と柴田宵曲は読書家であると同時にすぐれた著述を多く残している。そういった類い希な例外に属するひとに高遠弘美さんがいる。
 今回、作品社から高遠さんの達意の訳文による「でぶ大全」が上梓された。当掲示板をお読みの方なら、当然購入済みであろうから、中味については触れない。ただ、ロミとジャン・フェクサスの意気投合ぶりに、森銑三と柴田宵曲のそれを重ね合わせたくなったまでのはなしである。巻末の「後書きにかえて」ではロミやジャン・フェクサスが触れていない、でぶにまつわる逸文が紹介されている。薄田泣菫、谷崎潤一郎、吉田健一、チェーホフ、澁澤龍彦とつづき、結句として種村季弘の文章が引用される。天下の読書家高遠弘美ならではの博覧強記、奇行を除けば和歌山県生まれの大英博物館東洋調査部員と似た趣が感じられる。引用で論旨を組み立て、起承転結の要に引用を配し、引用で締括る。それが、どんなに難儀なことかは修辞法を学んだひとなら諒解できよう。自分の言葉と他人の言葉、過去著された言葉、現在誕生しつつある言葉、そういったありとある言葉が高遠さんの手によってさまざまな書物から抜け出し、滲透しあい、自在に結びつき、そして離れる。言葉と言葉がいくつもの入れ子をなして重なりあい層をなす。本好きにはこたえられない醍醐の味がここにはある。
 先行するかたちで、国書刊行会から高遠さんが翻訳なさった奇書「珍説愚説辞典」が上梓されている。高遠さん共々、一代の高士として敬愛する加藤郁乎さんがタルホを論じた「新一千一秒物語」に添えられた「ENCYCLOPEDIA IKUYANICA」を私は思い起こした。そちらの紹介は長くなる、従ってまたの機会に譲るとしよう。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月20日 01:03 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 限りなき感謝とともに

一考様。
 穴があつたら入れたい、もとへ、入りたい思ひで一杯です。恥づかしさを無理矢理押さへて申します。
 一考さんの本や編集者や出版をはじめ諸事万象についての言葉を拝読いたしたいと先夜申し上げました。その甲斐あつてか、最近一考さんのエッセイを読む愉しみが増えて喜んでをりますが、それはしばしば大きな驚きをともなひます。
 森銑三『書物の周囲』を一考さんと小出氏が作られたといふことを今まで知りませんでした。ご想像のごとく、私は森銑三が大好きで、この散らかつた倉庫のやうな書斎のなかでも、森銑三の本はいつでも取り出せるやうになつてをり、『書物の周囲』も目の前の棚に並べてあります。森銑三の文章はもちろんですが、小出氏が後書きで書いてをられる一文、
 
 「私が知る晩年の先生の購入せられた書物といつたら、岩本素白全集三巻があるにすぎないのである」
 
 も私の支へのひとつでした。私は村上菊一郎先生に教へて頂き、素白を知つたのでしたが、敬愛する森銑三が素白を最晩年に読んでゐたといふ記述を読んだとき、どれほど励まされたことでせうか。
 それにしても自分がどれだけ迂闊で粗忽な者かよくよく思ひ知らされます。たしかにカヴァー、奥附、帯に南柯書局のマークが入つてゐますが気づきませんでした。救ひやうがない阿呆だと、自己嫌悪に陥るばかりですが、どうか一考さんにお願ひいたします。これからも一考さんの「思ひ出ばなし」をどんどんお書き下さい。この掲示板の読者がみな心待ちにしてゐることです。
 最後に、十分意を盡すことは叶ひませんが、心よりの感謝を申し上げます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年10月20日 21:40 | 固定ページリンク




一考 | 「鏡花文学」

 高遠さんがすぐにご返事を書かれるところを見習わなければならないのですが、当掲示板はそのような時期を逸してしまったようです。まあ、トドの涎でよいではありませんか。店の繁盛はわずか二日で終わり、今週は坊主の日が二日も生じました。それに比して掲示板のカウントは鰻登りだそうで、これは断末魔を楽しむヤオヨロズの貧乏神の悪戯かと思っております。
 管理人からいつも笑われるのですが、当掲示板は私が書き込む一方通行なのですが、実はそうでもなく、メールによる返信が結構多いのです。ときどき、突拍子もない書き込みがありますが、裏では辻褄があっているのです。先日の研文社についても複数の問い合わせがあったので、こちらで書かせていただきます。

 日夏耿之介の「鏡花文学」ですが、あれは私の不手際によって、校正をしていないものが製本され、市中に出回ったのです。翌月に校正したものを二刷りとして発行、初刷りを回収したのですが、五十冊ほどは未回収に終わりました。従って、「鏡花文学」の初刷りは私の無能を証明する以外、なんの役にも立ちません。今となっては、初刷りをお持ちの方にはご愁傷さまとしか言いようがないのです。
 研文社では、肥田晧三さん、中野三敏さん、小出昌洋さんなど、書誌学の仲間が集まって「江戸漢詩選」を全十卷で編纂しようと目論んでいました。他にも青裳堂書店の「日本書誌学大系」に収録されないであろう、雑纂編のようなものを拵えようと国会図書館へ日参し、三千枚のコピーを取りました。前者は規模を縮小したアンソロジーが岩波書店から上梓されました。で、どうしてそれらの書冊が上梓されなかったかというと、社長が蒸発したのです。蒸発というよりは駆落ちのようなものと私は勝手に解釈しています。いずれにせよ、親子二代で築き上げた会社を抛り出す、その好い加減、でたらめ、ちゃらんぽらん、無責任、投げ遣り、捨て鉢にはいまなお憧憬を抱き、拍手喝采を惜しまないでいるのです。その社長とは中野や荻窪でよく飲みました。「君のような社員が入ってくるのを待っていたんだよ」「あとは君にたのむよ、よろしくね」そのような会話がなんどか繰り返されました。はじめに結論ありきで、私は出しに使われただけなのですが、無責任さにおいては私も勝るとも劣らないのです、誰がそんなものを引き受けますか。
 聞くところによると遁走した社長は千葉で花屋を営んだとか、私が飲み屋をはじめたのも、おそらくその社長の影響ではなかったかと思うのです。お会いする機会はないでしょうが、いつ何時お会いしても昨日のつづきのように快なる晤語がもたらされることは間違いないと、これは同類にしか分からない「秘めやかな心の声」でございます。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月22日 01:01 | 固定ページリンク




一考 | 業務報告

 「キネマの会」の第二回目は二十四日の月曜日です。会員のみなさんはお忘れなくご参加ください。なお、来店の前にピストルでお星様を撃ち落とすのはやめてください。最近、赤坂署がうるさいものですから。

 ところで、どこやらの掲示板で伊太利亜の酒商ドナートの紹介をしたようですが、ですぺらにも入荷しています。ただし、安くはないのでご覚悟を。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月22日 01:16 | 固定ページリンク




puhipuhi | (無題)

ピストルにお月様はダメですか。まったく赤坂署は無粋ですね。では代わりにイルリガートルやネリギなど用意して参上いたしましょうか。

手元の『鏡花文学』の奥付には「昭和六十三年十一月十八日印刷/昭和六十三年十一月三十日発行」とのみあり、二刷の記載は特にないです。これがその未校正版なのでしょうか。確かに出たときすぐ買ったような記憶はありますが、いまのいままで誤植の存在には気づきませんでした。お恥ずかしい限りです。



投稿者: puhipuhi    日時: 2005年10月22日 21:43 | 固定ページリンク




一考 | 「鏡花文学」追記

puhipuhiさんへ
石野重道のようなところがなきにしもあらずで、りきさんならズドンと一発やりかねないと思ったのです。シュオブに木の星という短篇があって、あの星はヴィヨンが飲み屋の看板に、ルードヴィッヒが勲章に用いた、いわくつきの代物。ですから、穴をあけずに後世に託そうかと、これはとど爺の親切心です。

「鏡花文学」二刷は平成一年二月十六日の発行です。ところで、小生がかかわった書物の発行月日ほどちゃらんぽらんなものはございません。ちょいとステキな事務員とか馴染みの飲み屋のホステス、ミニスカートをはいていた友人の妻や網タイツの似合う女友達の生年月日等々から採られているのです。
あなたがお持ちの「鏡花文学」ですが、正誤表を含めてなんらかの方法を考えます。「キネマの会」の会報が出来上ってからになりますが。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月24日 15:52 | 固定ページリンク




一考 | 訂正

先日の書き込みで春日井建氏のお名前を間違えました。お詫び致します。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月26日 23:08 | 固定ページリンク




一考 | 能登の消息

 河崎徹さんが亀鳴屋の勝井隆則さんについて書かれている。龜鳴屋店主のドジ、アホ、マヌケぶりを、出自の裏日本に引っかけて面白おかしく表現なさっている。「裏日本」は差別語ではなかったかと思うのだが、地元のひとが用いるのであれば、差別にもなるまい。私自身、瀬戸内少年愚連隊を気取っていたものの、田舎は高田、いまの上越市である。
 文中「リンゴのプレゼント」のはなしがあって、苦笑いさせられた。中井英夫の葬儀の日、金がなくてオートバイで一号線を北上した。神戸の友人から頂戴したリンゴを後部座席に縛り付けてである。福島泰樹さんが住職を勤める下谷の法昌寺には他にも多くの高級フルーツが置かれてい、表に出ないで台所に籠って皮むきに励んだのを覚えている。
 河崎徹さんが指摘なさった「シャイで恥ずかしがりや」や「一歩さがって」の底辺には貧困がごろんと横たわっているような気がしてならない。勝井さんはどうか知らないが、私などは何事につけ一歩さがるのを常としてきた。飲み屋で一歩さがっていると見兼ねた女将が声を掛けてくれる、飲み屋で一歩さがっているとなにかしら思慮分別がありそうに思われる、飲み屋で一歩さがっていると知らない間に勘定が済まされている等々、どうやら私の頭のなかは飲むことしかなさそうである。
 「シャイ」は内気、気弱、小心、内向的、消極的、遠慮深い、恥ずかしがり、照れ、決まりが悪い、面映い、はにかみ、含羞、帯羞、可羞と続くのだが、この裏面では辱め、恥辱、汚辱、屈辱、冒涜、凌辱、国辱等々が手ぐすね引いて待ち構えている。このように書けば、シャイとはマゾヒズムの謂いではないかと思われてくる。
 酒と色情倒錯では、はなしにならない。私がいいたいのは勝井さんの稟質についてである。いつぞや、ですぺらの前まで来られたにもかかわらず、入店されなかった、その時の気持ちが河崎さんの文章を読んで諒解できたのである。そして、後段では「粋なはからい」が綴られている。「粋なはからい」とは片便宜のようなものなのだが、その辺りの消息が涙ぐましいまでによく描かれている。ジミー・ヴァン・ヒューゼンなら「モダン・ミリー」だし、「ポケット一杯の幸福」といえば私などはアン・マーグレットしか思い出さないのだが、さすがに勝井さんは芸が細かい。場所は真冬の金沢、知識人の悲哀を双肩に担ったがごとき心遣いではないか。それにしても、懲りもせず、厭きもせず、無駄を承知の気配りを繰り返す勝井さんは、やはりただ者ではない。某テレビ局が泉鏡花の番組を拵えていて、それを機会に勝井さんとお会いできるかと楽しみにしていたのだが、諸経費節減を理由に駄目になった。「ただ」でない部分を計りそこねて口惜しく思っている。

 前述の中井英夫の葬儀だが、香典はオートバイのガソリン代に消え、持ち合わせがない。先日、種村季弘さんをしのぶ会があったが、家賃に追われて会費が工面できなかった。「一歩さがる」と言えば聞こえはいいが、私の場合も二歩も三歩も下がらざるを得ないのである。なんやかやと用事を拵えて出版記念会は遠慮させていただいている。展覧会は構わないのだが、身にやましさを感じるので、オープニングは極力行かないように心掛けている。

 http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/iwana/iwana21.htm



投稿者: 一考    日時: 2005年10月27日 23:38 | 固定ページリンク




薫子 | 御礼

赤坂のK社の鈴木様、お心遣いいただきありがとうございます。
昨晩、四名様でお越し下さいました。
ですぺら延命計画はあれこれと摸索中です。今後ともご贔屓のほど、よろしくお願い申し上げます。
鈴木様もたまにはお顔を見せてくださいね。



投稿者: 薫子    日時: 2005年10月29日 16:06 | 固定ページリンク




薫子 | 横須賀功光の写真魔術「光と鬼」

2003年1月に亡くなった横須賀功光さんの展覧会。
生前にもなかった大規模なもので、60年代からの作品150点を展示。
広告写真だけではなくて、全く違ったイメージの写真も見られる可能性大です。

会期:2005年11月19日(土)~12月18日(日)
場所:東京都写真美術館
休館日:毎週月曜日(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)
会場:2階展示室
料金:一般800(640)円/学生700(560)円/中高生・65歳以上600(480)円

*( )は20名以上の団体割引料金及び東京都写真美術館友の会会員割引料金
*小学生以下および障害をお持ちの方とその介護者は無料
*第3水曜日は65歳以上無料

東京都写真美術館のHP
http://www.syabi.com/index.html

今でも時々、夜半にふらりと横須賀さんが店に入って来られるような気がします。
若干ですが、招待券があります。ご希望の方はお申し出ください。



投稿者: 薫子    日時: 2005年10月30日 10:31 | 固定ページリンク




←前月「 2005年09月」 | メイン | 「2005年11月」次月→

ですぺら
トップへ
掲示板1.0
トップへ
掲示板2.0
トップへ


メール窓口
トップページへ戻る