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2005年11月 アーカイブ

一考 | ご協力お願い

 第三回目「キネマの会」はありがとうございました。第四回目は十四日の月曜日です。会員のみなさまはお忘れなくご参加ください。

 ところで、どこやらの掲示板でドナートのモルト・ウィスキーに次いで、シチリアワインを紹介しました。企業秘密に属することなので、「どこやらの掲示板」と書いているのです。奇想天外な安価につき、お薦めなのですが、小生の飲み分は残しておいてください。

 十一月と十二月は朗読会を催しますので、モルト会はお休みになります。モルト会は形を変えて明年一月から再発足の予定。一回目はさまざまなダブル・マチュアードのテイスティングになります。なお、モルト会のスタンダードを作り、そちらはカタログへ組み入れます。いずれにせよ、明年のことはすべてが予定です。明年もみなさまとお会いできますよう、十一月と十二月のご支援、ご協力を切にお願い致します。

 朗読会の一回目は佐々木幹郎さん、十一月十七日(木曜日)。二回目は黒瀬珂瀾さん他、十一月二十六日(土曜日)。月末ぎりぎりに松岡達宜さんの短歌絶唱です。ワンドリンク付きで二千円の予定。詳細は追って当掲示板に載せますので、どうかよろしくお願い致します。

追伸
 鈴木さんに感謝です。日曜日にアイスペールとアイストングを買っておきますので、どうかよろしく。ミネラルは二リットルをどんと出しておけばよろしいですよね。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月05日 01:16 | 固定ページリンク




りき | (無題)

>一考さま
え、9日ではないんですか?



投稿者: りき    日時: 2005年11月05日 08:48 | 固定ページリンク




一考 | 間違い

りきさんへ
小生の勘違いです、次回は九日、申し訳ございません。
昨日も徹夜、表記の統一ならびに原本との照合を済ませました。八九年までは二冊を除いて終了、九日はプリントアウトしてお渡しできます。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月08日 00:04 | 固定ページリンク




一考 | 南柯の夢

 南柯書局が出版社として何年つづいたかは定かでない。コーベブックス在籍中にすでに南柯書局の号を用いているし、この十五年ほどは南柯書局名義での出版はしていないものの、いろんな出版社の企画や編集などを手伝っている。コーベブックス、南柯書局、雪華社、読売新聞社、研文社等々、職を転々としているが、それらは私のなかではひと続きになっていて、どこからどこまでが某社といった割り振りはできない。名刺の肩書きで仕事をしたことがないので、なおさらである。少しく消息を述べれば、折々の名刺に役職名は刷り込まない。著者と編集者との間柄は私のような流れ編集者にとってはなおさら個人的なものである。原稿を取ってくるのは私なのであって出版社ではない。従って責任は個人に在するのであって、仕事の場に逃げ道は無用である。
 いずれにせよ、どこで働いていようと南柯書局というプライベート・プレスは常に機能していた。南柯書局は私の頭のなかに棲みついた編集局のようなものであった。それ故、転職のたびに手持ちの企画のなかから、相応しかろうと思うものを上梓してきた。雪華社のときの中井英夫、山崎剛太郎、三枝和子、小高根二郎、杉本秀太郎、三好郁朗、岩崎力各氏の著訳書。研文社のときの日夏耿之介、森銑三各氏のエッセイ集がそれである。そして雪華社解散の折りは、編集中だった十数冊の出版を小沢書店、筑摩書房、岩波書店等々で肩代わりしていただいた。
 編集を生業としたのはコーベブックスが最初である。昭和四十七年の入社だが、出版部があったのは昭和四十九年八月から昭和五十二年七月までのわずか三年、その間に六十六点の書冊を上梓している。最初が岡田夏彦さんの『運命の書』であり、最後が須永朝彦さんの『硝子の繭』だった。詳細を著せられればいいのだが、自分で編集ないし出版した本を私はほとんど持っていない。過ぎ去ったことになんの興味も抱かれないからである。ひとは時代の渦中を生きる、言い換えれば刹那を生きるのであって、刻々と過去へと移り過ぎてゆく現在にしか興味は抱かれない。従って、過去の為事など、私にとってはどうでもよいのである。この「どうでもよい」との感慨は日々強くなる。それが今日への好奇心の旺盛さからなのか、年齢のせいなのかはよく分からないでいる。老いに比例してアクティブさが弥増る、そのような馬鹿がひとりぐらい居てもよいと思っている。
 『運命の書』はさて置いて、コーベブックスで拵えた書冊のほとんどは限定本である。販路が東京しかなく、東京以外の地で出版が成り立たないのを承知で、神戸で出版を営むのである。生き残りを考えれば、畢竟するに部数を限るしかない。その変わり、原材料は贅を尽した。尽したと言うよりは、豪奢な材料を用いて一部のマニアの方に経営の基部になっていただこうと願ったのである。この件も、より正確に言葉を補足しておきたい。私の為事を肯定するにせよ、否定するにせよ、いつも付きまとうのが趣味性である。それを私は苦々しく思ってきた。生き残りを賭けての限定本だったのであって、趣味で限定本を拵えたのではない。
 私が恋したのは文学であって、書物ではない。この書物と文学との関係はデカルトのいう属性、物体と精神という二実体の属性をそれぞれ広がりと意識と見るようなものなのだが、先哲の意見をそのまま採り入れようとすると、やはり無理がある。文学はメディアを必要とするが、メディアは文学ではない。そして、書物はメディアの一形態でしかない。凸版印刷機の原型が開発されたのは一四四五年頃だが、それが多く書物に用いられるようになったのは一八00年代に入ってからで、さらにオフセット印刷が石版印刷に取って代わるのは一九0三年のことである。たかだか二百年の歴史しか持たない書物を文学と同等視するわけにはいかないのである。平版印刷、凹版印刷、孔版印刷についてはここでは触れない、はなしが煩雑になるからである。
 装いがどうでもよいとは思わないが、装いはどこまで行っても装いでしかない。私は装丁をパッケージデザインだと思っている。謂わば、商品を売るための媚(販売促進)の部分に属するわけで、それで中味の質が変わるわけではない。そして今、パソコンの急速な伝搬によってメディアが大きく変わろうとしている。不物好きの謗となろうとも、好奇心強く、新奇なことを好む私のような輩にはこのような端境期が相応しい。

 ところで、私は編集者としては素人である。装幀家、蔵書家、書誌学者といってくださる親切なひとがたまにいらっしゃるが、大学の研究室やしかるべき研究機関の書誌学の講座などとは無縁で、義務教育しか終えていない。その私を救ってくださったのが、懇意にしていた人文書院の小林ひろ子さんである。紙の種類から箱、表紙、見返しの取り方、紙の目の読み方から口目、または紙の裏表からサイズ剤や中性紙に至る知識まで、小林さんはなにも知らない私に書物制作の基本を教えてくださった。いい機会だから、書いておきたいのだが、私は子供の頃から口先だけの人間で、才能とか実績の持ち合わせはなにもない。製本や印刷の段取りはおろか、活字の大きさも校正記号も解さないずぶの素人である。それが突然、手漉き和紙を用いて書物を造ると言い出したのである。小林さんのご協力がなければ不可能だったのは言うまでもないが、人文書院のみなさんはさぞかし呆れ返られたことと思う。出版に自信などはなからなかった、上梓に至らなければ至らなかったで仕方ない、私の生活そのものがそのような危険な賭けの繰り返しだった。割り切っていたのではなく、私の無責任さがそうさせたのだと思っている。
 人文書院から最初に紹介していただいたのが、仏光寺高倉の森田和紙である。毎日新聞社の『手漉和紙大鑑』や『手漉和紙』の残紙を大量に頒けていただいたのが昭和四十八年の初冬。印刷所の前の往来へ和紙を拡げ、一枚ずつマイクロメーターで計って全体を五山ほどに取り分ける。組版の面と印刷機の胴とのあいだを紙が流れて行くのだが、その胴に薄紙を巻き付けて印刷の圧の微調整を取る。ところが、手漉和紙は厚みにばらつきがある、それで前述のような作業が必要になるのである。手漉和紙に固有の耳を生かすためにトンボは入れられない、そんな状態で本文の二色刷、限定番号の活版刷り等の刷り合わせをうるさく言うのだから、職人は全神経を注ぎ込まざるを得ない。現在では突き返されるであろう難儀の果てに南柯書局の本はかたちを整えて行った。
 自分のことを「物数奇」と前記したが、一方でセナンクールも重々理解できる。みなさんがしばしば引用なさる「人間は所詮滅びるかもしれず、残されたものは虚無だけかもしれない。しかし抵抗しながら滅びようではないか」である。1970年代、書物の世界から手漉和紙と活版印刷は駆逐されつつあった。平井功や日夏耿之介が見た夢にひとつの形を与えるラストチャンスと私には思えたのである。そしてその最後の機会こそが、私の抗いであり、情念や怨恨とのクリンチではなかったかと、そう想い起こす。
 前述した限定番号の活版刷り、これも『游牧記』の平井功に準拠した。一番から終番まで順に活字を差し替えてゆくのだが、手差しの印刷機では版面が荒れる、ドイツ製の高価な印刷機がオーバーヒートして煙を吹き出すのは序の口、全頁共紙の多色刷りを前に、職人が途方に暮れる日々が繰り返された。須永朝彦さんと一緒に造った久生十蘭訳『ファントマ』の地を見ていただきたい。私がかかわった書物の組付けは天地が逆になっている。天を化粧裁ちにし、地を成り行きにまかせている。この当たり前の印刷が東京では通用しない、関東と関西では組版の天地が逆になっている。埃は天に溜るのである、かつての岩波文庫などは印刷文化に対する汚辱であり冒涜でしかない。
 話ついでに、用紙についてひとこと。澁澤龍彦さんの『神聖受胎』の見返しにはアート紙系の紙が用いられています。それが理由で、貼り見返しと遊び見返しとが喉でくっついてしまった本をよく見掛ける。アート紙やコート紙によく見られる症状で、湿気に弱い紙を見返しに用いてはならない。それでなくても、アート紙やコート紙は柔軟さがなく、折り目を加えると、そこから紙は千切れて行く。ますますもって見返しには不向きな紙ということになる。印刷効果を考慮しての選択なのだろうが、見返しに絵画を刷り込むに際し、そのような紙を用いれば最悪の結果をもたらす。戦前はオランダの木炭紙と共に舶載の紙として重宝がられ、堀辰雄の限定本などにも使われたが、時を経れば惨憺たる有様になる。
 他に絵描きがかかわった悪例として版画用紙に施される礬水(どうさ)引きがある。墨・インキ・絵の具などのにじみ止めや和紙の毛羽立ちを抑えるために使用されるが、礬水の原材料は膠(にかわ)と明礬(みょうばん)の混和液。従って、礬水を引くことによって、せっかくの和紙が酸性紙に化けてしまう。日夏耿之介の『定本詩集』の挿絵に用いられた長谷川潔の版画などは礬水が強く、絵の具はみごとに止まっているものの、湿気による滲みがひどくて、目も当てられない。礬水引きをやめて雁皮紙刷りにしていただきたかったと思う。どうやら、絵描きが装丁に携わると碌でもない結果になるようである。
 それと糸縢りがなくなったのも大きな問題である。昨今の出版物は網代綴じか無線綴じになってしまった。網代綴じは折り工程で本の背に切れ込みを入れて接着剤でとじる方法、無線綴じは背をまるごと接着剤で固める方法。繰り返し繙けば早晩、書物はばらばらになってしまう。共に再製本は不可能で、謂わば使い捨ての本と言えよう。この使い捨ての書物に装いを凝らす装丁がまた、私には理解できない。装丁に費やす金数があれば、それを糸縢りに使っていただきたいと思うのである。
 次に活字のはなしを少々。南柯書局で拵えた本はすべて活版印刷を用いた。特に活版にこだわったのではなく、手漉和紙同様、書物に利用するに、最後の機会ではないかと考えたのである。花柳界で育ったがゆえに、滅び行くものへの嗜み、消え行くものへの共感や憧憬が子供のころから根付いていたのだと思う。過去形のものには興味がないが、いま消え去ろうとしているものには手を貸したくなる、というよりも、足を引っ張りたくなる。いやはや、難儀な性格である。
 当時は日活、元活、精興社などの活字が主流だった。精興社の書体は写植のそれに近く縦横の肉が細い、すなわちシャープでモダンなのですが、それが私には気に入らない。日活や元活の書体は縦側の肉が太く、謂わば太り肉(ふとりじし)の活字で、矢野目源一の名訳「ふともも町の角屋敷 こんもり茂った植込に弁天様が鎮座まします」を思い起こさせる。肉厚がある分、紙にくっきりとめり込むように印刷される、その触感が私に堪らない懽楽をもたらしたのである。
 著された原稿や作者の想いに一つの形を与えるのが装丁である。配された文字の大きさとバランス、色や紋様、あるいは素材の風合いや感触が中身と照応しあうとき、美しい書物が誕生する。それはそれで結構なのだが、どうやら手漉和紙に魅せられたあたりから、ヤオヨロズの貧乏神に追い立てられる生活がはじまったようである。「読み手をどこかへ連れていくような物語の楽しさ」とよく言うが、楽しいのは読者だけであって、版元が楽しかろう筈がない。すでにレールの敷かれた出版社の一員として働くのであればともかく、プライベート・プレスに春は永遠にやって来ない。六0年代、七0年代に異常発生したプライベート・プレスは八五年を境にほぼ途絶する。「プラザ合意」以降の経済不況が関係したかどうかを知らないが、「文字通りな異端の者ゆえの蹉跌に埋もれていった」出版社が復興したとのはなしは打ち絶えて聞かない。パッケージデザインの達人には成り果せたかもしれない、しかしながら、いま顧みて、出版とは金銭との格闘だったと嘯きたくもなる。


 先日、日本推理作家協会の土曜サロンでお喋りをした。後段は薔薇十字社の内藤三津子さんと「幻影城」の島崎博さんのことを喋った。そちらは既に掲示板で書き込んでいるので端折った。大半は掲示板で書き綴ってきたことだが、それはそれ、トドの涎とご笑覧あれ。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月10日 22:43 | 固定ページリンク




一考 | 大きなお世話

 中重徹の「新編薫響集」について書いたことがあると思って、検索を試みたが出てこない。検索の仕方がまずいのだろうか、どうもよく分からない。櫻井さんに教えを乞うたところ、過去ログの一部が壊れているらしい。しかし、過去ログがあろうがなかろうが、私にはどうでもよいことである。どのみち、似たような繰り言を飽きもせず書き継いでいる。
 「新編薫響集」に触れた「断屁断笑」では、伸縮自在な思考こそが書誌学者には相応しいというようなことを書いた。その証明を芭蕉にかんする書き込みで試みたのだが、何時のことかは覚えていない、従って重複を気にせず、勝手に書きはじめるとする。
 学問としての書誌学の対象に現代文学は入っていない。多くの先達の努力によって、やっと江戸文学が書誌学者の考証の対象になったばかりである。逆に言えば、書誌学がなければ江戸文学が学問の対象にならなかったのである。
 小出昌洋さんの手になる「日本随筆大成」などはそうした努力の好例であろう。と書いてみたところで、五年も経てばひとは老いもし、若返りもする。人生は「少年や六十年後の春のごとし」である。その人さまの為事であれば、たとえ学問と言えども変化するにしくはない。現今の作家の著書目録に書誌とか書誌学といった大仰な字句を用いるのに私はいまなお抵抗を感じるが、それが時代の趨勢ならなにも言わない。ただ、書誌学の本意は既存の学問を遠く離れ、対象を縦横に批評するところにある。従って、書目録や年譜の類いはそのための基礎資料にしかす
 国文学者の見る芭蕉、歴史学者の見る芭蕉、俳人の見る芭蕉、言語学者の見る芭蕉、精神分析学から見る芭蕉、地方地誌から見る芭蕉、さまざまに異なる芭蕉をひとつの象に結ぶのが書誌学者の責務とでも言っておこうか。
 私が言いたいのは、ひとつの種類のアプローチ、すなわちスタイルや様式美は文学の世界にあってはなんの役にも立たないということである。医師が患者を診るに際し、問診、血液、尿、心電図、エコー、レントゲン、CTスキャンとさまざまなアプローチを試みたうえで病名を判断するように、批評にあって最重要なのは書き手の対応の柔軟さと気配りの多様さであろう。これ以上、自分が変わりようがないと思われるまで、アプローチは繰り返さなければならない。その繰り返しがアクティブの証左ともなる。
 スタイルや様式美は丸ごと存在するのであって、考証や論証の対象には成り得ない。ダンディスムなどという俗流と同じで、切り分けたり一部を除去するのは適わない。芸術を生の高揚、陶酔としてとらえようとしたニーチェを持ち出すまでもなく、それらはそっくりまるのまま肯定するか否定するかしかないのである。そのあたりの消息は長野順子さんの論考を繙かれるのをお薦めする。そして、そのような全体主義的、排外的理念に私は組みできないでいる。
 読書の醍醐味は、読む前と読んだあとではそのひとの価値観なり世界観に変化をもたらすことにある。だからこそ、読書にあって問われるのは、書物に対するアプローチの多様さである。多様さの持ち合わせがなければ、好悪で判断するしかなくなる。問われているのは常に繙く側であって、書物の側ではない。そこへ「自己本位」などというしみったれた趣味性を持ち込むのを本末転倒という。肝胆相照らすような読書は毒にも薬にもならない、自身の価値観なり世界観に変化をもたらさない読書ならやめちまえ、と叫びたくなる今日この頃である。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月10日 23:38 | 固定ページリンク




一考 | 稲垣足穂

 このところ、稲垣足穂の年譜と著書目録を作らされている。「作らされている」と書いたのは、そのような仕事をあまりしたくなかったからである。私ひとりだと引き受けなかったのだが、店に来られる若いひとたちの協力を得られた。山口雄也、鎌野創一郎、金光寛峯、小野塚力、土屋和之、佐藤周の各氏である。敢えてお名前を挙げさせていただき、深く感謝したい。
 これだけ逸材が揃えば私ごときは無用者で、遠慮なく寝惚け眼でいられる。このところ「キネマの会」との符丁を用いていたのは、その編集会議であった。議長は「ユリイカ」の郡淳一郎さん、爺やは片隅でみなさんの仕事の進行ぶりを見守るのみ、たまにフムフムと頷きながらシクハード・ハインツェルよろしく煙に巻いていれば万々歳なのである。
 今回の稲垣足穂特集のはなしが舞い込んだ日、札幌で亡くなられた高橋康雄さんを憶い、墓参りすら覚束ない不実な私はひとりで杯を傾けた。過日、「久しぶりに高橋さんと一緒に仕事をすることになった。三途の川をはさんでの遣り取りがこれからはじまる」と書いたのはこのことだった。

 パソコンはおろか、コピーすらなかった時代に私は書誌学の真似事をさせられた。当時はすべて原稿に書き写すしか手立てはなかった。moondialさんの手ほどきでパソコンが使えるようになったいま、文明の利器のありがたさが身にしみる。そこでこの利便さを用いて広くご教示いただきたい。もっか、稲垣足穂の未発表作品やヴァリアントもしくは筑摩書房版全集に収録されなかった作品を探している。なにかしらご存じの方がいらしたら、ぜひともご連絡いただきたいのである。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月11日 00:44 | 固定ページリンク




薫子 | 佐々木幹郎さん朗読会

 11月17日(木)19:00より、佐々木幹郎さんの朗読&トークの会をですぺらにて催します。会費はワンドリンク付きで2000円。

 詩作、エッセイ、評論を始め多方面で活躍されている佐々木幹郎さん、ですぺらでは明るい酔っぱらい。でもなによりも詩に対する深い想いをお持ちです。自作の詩の朗読と、現代詩について語っていただく時間を設ける予定です。詩ってよく分からない、詩人てどんな人?とお思いの方にも、この機会に是非ご参集下さい。どなたさまでも大歓迎です。



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月11日 06:57 | 固定ページリンク




薫子 | ですぺら朗読会―Cross the Crossover 詩・俳句・短歌―

歌人の黒瀬珂瀾 さんに朗読会をお願いしたところ、詩人の小笠原鳥類さん、俳人の高柳克弘との豪華共演朗読会をアレンジして下さいました。深謝。
掲示板用告知まで書いていただきました。以下に転載します。

ですぺら朗読会  
―Cross the Crossover 詩・俳句・短歌―

日時 11月26日(土曜日) 午後7時開演(開店は午後6時)
会場 ですぺら  東京都港区赤坂3-18-10 サンエム赤坂ビル3階
        (1階は、東京やきとり食堂)
最寄り駅 丸の内線・銀座線 赤坂見附駅徒歩三分
     千代田線 赤坂駅徒歩四分
TEL   03-3584-4566
http://www004.upp.so-net.ne.jp/despera/despera.html

入場費 2000円(ワンドリンク)

 現代詩・俳句・短歌の若手3名が一堂に会しての一夜。朗読会の後に軽いトーク、その後打ち上げ(実費)を予定しています。お気軽にご参加ください。

朗読者紹介
 小笠原鳥類
 1977年生まれ。動物の名前および動物に関する語彙が多く登場する詩を書いている。1998~99年に「現代詩手帖」「ユリイカ」に詩を投稿。その後、詩誌「はちょう」「鐘楼」「GANYMEDE」「分裂機械」「歴程」などに詩・散文を執筆。2004年に第1詩集『素晴らしい海岸生物の観察』(思潮社)を刊行。現在、第2詩集を準備している。

 高柳克弘
 昭和55年静岡県生まれ。平成14年、俳句結社「鷹」入会。平成16年、第19回俳句研究賞受賞。現在、同誌編集長。早大教育学部博士後期課程在籍。

 黒瀬珂瀾
 1977年生まれ。春日井建に師事。2002年、歌集『黒耀宮』を刊行。同歌集にて「第11回ながらみ書房出版賞」受賞。現在、[sai]、「鱧と水仙」各同人。読売新聞毎月最終金曜夕刊(一部地域のぞく)にて、「カラン卿の短歌魔宮」連載中。



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月13日 09:17 | 固定ページリンク




りき | 同人誌「某」創刊記念無料配布会開催の件

かねがね準備中の同人誌計画ですが、
いろいろ考えて、創刊準備号を急遽つくることになりました。
その名を「某」(ぼう)といいます。

概要もきまりました。

100部限定。ナンバー入り。
重版なし。売り切れごめん。

内容。
ぼくの椿實論
フォルヌレの短編
エフライムミカエルの詩幾編か

全部で20頁くらい。
定価300円。

で、ですぺらで一日のみの無料配布日を設けます。
特に予約などはしません。この日いらしていただけた方に、無料で差し上げます。
ようは、ですぺらが埋まればいいのです。
日程は以下の通り。

日時:11月25日(金)19時くらい~

以上、よろしくお願いします。

以降はですぺらで販売していただく予定です。



投稿者: りき    日時: 2005年11月13日 11:49 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらの地図

 りきさんへ
 お気を遣わせて申し訳ない。開店当初にイラストレーターで拵えたですぺらの地図に修正を加え、今朝土屋さんへお送りしたのですが、済ませてからもしやと思いホームページを確認したところ、一階の屋号が既にひろさんの手で訂正されていました。イラストレーター、フォトショップ、JPEGの三種を拵えたのですが、また無駄な時を費やしてしまったようです。
 「大きなお世話」に限らず、貴方を念頭に置いた書き込みがこのところ続きます。紹介ではない、独自のアプローチを試みられるよう、切に願っております。椿實論は楽しみですね。
 タルホ生前の著書七十六冊、死後の六十五冊、文学全集及びアンソロジーの三十四冊の内、未確認はあと十余冊ほどになりました。今日は金星堂版「一千一秒物語」の写真製版による複数の復刻版の本文校訂を済ませました。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月15日 00:24 | 固定ページリンク




一考 | 「ぼう」あれこれ

 りきさんへ
 同人誌の名が「某」だとか、面白いですね、結構ついでに毎号「ぼう」の字を変えてみたらいかがでしょう。
 細胞内部の浸透圧と外部の浸透圧の差を膨圧といいますが、動物には細胞壁がなく、細胞の最外層は薄い細胞膜なので細胞を水中に入れると膨れて破裂します。従って、動物に膨圧との概念は通用しないのですが、植物細胞は堅い細胞壁で覆われています。水によって体積を増した細胞が、堅い細胞壁によって押さえつけられて膨圧が生じます。膨圧は数気圧から数十気圧に達することもあります。はなしがややこしいですが、椿実や「白樺になる男」なら「膨」でもおもしろいですね。
 イネ科の多年草に血茅がありますが、根茎は鱗片に覆われ、発達して深く地中を横に匐い、きわめてじょうぶで、地上部が焼き払われても枯死しません。されば「茅」なんぞ、千の肺を持つフォルヌレにこそ相応しいのではないかと思います。「ホテルの時間は、鳥のない翼だ」をマクタガート風の「非実在の時間」と通底すると仰有ったのはプヒプヒさんですが、私なんざあ、紡脚類のシロアリモドキを想い起こします。樹皮の割れ目などに、前脚の膨れたふ節にある腺から糸を出し、幕を張って巣をつくるので、紡脚の名があるのですが、あの生命力のしぶとさと雌に羽のないところはフォルヌレに通底するのではと、だって草叢のダイヤモンドの女性に対する性愛は異常そのものではないですか。従ってこの場合は「紡」ですね。
 岡本かの子の河明りに「主人側の男たちは靉靆として笑つた」との一節がありますが、この靉靆は古くは眼鏡のことであり望遠鏡のことなのです。遠方の物体を拡大して眺めるのがミカエルの世の拗ね方なのですが、あれは拗ねてるのか諦めているのか、ひょっとしたら悦に入っているのではないかと読み手をして迷わせるようなところがあります。されば「望」も可能ではなかろうかと。
 新しい雑誌の不死を願って萌芽林の「萌」もよろしかろうと、芽を吹くのは切り口付近の定芽、不定芽、休眠芽と相場は決まっていますが、文学の切り口と解釈するのも洒落ているのでは。ついでに、創造的思考は冒険的思考ともいい、波瀾万丈の旅を示唆する「冒」などもありますね。「惘」や「貿」だとですぺらの私小説になりますし、「茫」「蓬」「莽」なら得意の臍下三寸のはなしになってしまいます。以上、箸にも「棒」にもかからないはなしで御座いました。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月15日 20:42 | 固定ページリンク




薫子 | 音で聴くツハラヤスミ@ですぺら

津原泰水さんのミニライブ&朗読&トークという豪華三段仕込みの会をですぺらにて催します。
会場の都合により、メールにてお申し込み頂いた方先着30名様ほどに限らせていただきます。
ただし、立ち見でもよいから入場希望との場合はその旨お知らせ下さい。
複数箇所で告知しているため、公正を期して11月20日午前10時より下記アドレスにて受け付けます。

メールアドレス:amane3110@mail.goo.ne.jp
タイトルを「ツハラヤスミ@ですぺら」としてお名前を明記の上、お送りください。

よろしくご理解の程お願いいたします。


 ---音で聴くツハラヤスミ@ですぺら---

日時 12月11日(日曜日)19:00より
会費 男性5000円 女性4500円 (ドリンク、フード付き)
会場 「ですぺら」 東京都港区赤坂3-18-10 サンエム赤坂ビル3階
        (1階は、東京やきとり食堂)
最寄り駅 丸の内線・銀座線 赤坂見附駅徒歩三分
     千代田線 赤坂駅徒歩四分
TEL   03-3584-4566
http://www004.upp.so-net.ne.jp/despera/despera.html


■ミニライヴ
 演奏――ラヂオ商店(小山亜紀 v、津原泰水 g、他)
■朗読(書き下ろし新作を含む)
 朗読者――栗田ひづる(声優)
■トーク「恐怖の手順(仮)」
 お話――小中千昭(脚本家)、津原泰水
■フリータイム
 サイン等も可(礼儀の範囲で求めてください)



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月18日 07:55 | 固定ページリンク




薫子 | 詩人の朗読

昨晩は佐々木幹郎さんの朗読会にお越しいただいた皆様、ありがとうございます。こぢんまりとした会になりましたが、佐々木さんはこのメンバーだったらこれでいこうとおっしゃって、二十代、三十代に作った詩から最近の作までを当時の思い出、心情とともに語ってくださいました。
どうしてこの詩を書いたのか、何故詩なのか。もだえ苦しみながら詩を書き続けてきた詩人の姿を見せてくれました。
あのような形の朗読になるとは予想もしていなかったのですが、それだけにとても興味深かったです。ボキャブラリーが貧困でうまく書けずに申しわけないです。楽しい一夜でした。



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月18日 08:14 | 固定ページリンク




薫子 | 横須賀さんの写真展

本日より東京都写真美術館にて横須賀功光さんの写真展が始まります。(12月18日まで)
会場で写真集「光と鬼」が先行販売されます。一週間後には書店にも並ぶようです。550ページの大冊で定価は6000円(税別)、PARCO出版発行。この内容でこの価格は驚きです。PARCO出版、えらい!また、PACRO出版に橋渡しをしてくださったポスターハリスカンパニーの笹目さんに感謝。
皆様、是非会場にお運び下さい。



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月19日 15:43 | 固定ページリンク




薫子 | ドイツワインサービス

ドイツの白ワインを全て2割引にいたします。
この機会に是非ドイツワインをお試しあれ。



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月21日 16:07 | 固定ページリンク




薫子 | 本日

店主、風邪気味のためふせっております。知恵熱?
明日からイベント続きなので大事をとって、ということでご容赦願います。
独りでやってます。よろしく!



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月24日 20:20 | 固定ページリンク




りき | ありがとうございました。

昨日、お集まりいただいた皆様、本当にありがとうございました。
深く感謝いたします。

なお、「某」創刊準備2号は、12月11日発行予定です。
よろしくお願いします。



投稿者: りき    日時: 2005年11月26日 08:52 | 固定ページリンク




一考 | 龜鳴屋に託つけて

 龜注付き「ただ者ではない」を愉しく読ませていただきました。文中、「勝井家兼・龜鳴屋」とあり、藤原兼家ならぬ勝井家兼(イヘカネ)も一興かと思いました。「兼」は「気をかねる」の意で用いられます。「姑の手前を兼ねる」のがわれらプラトン的「ムコ殿」の実相。また、「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望」の六を兼ねる、かの庭園を「家」の一部に取り込むところなど、文学を山師の吹くヤマコと心得る我らにふさわしい池泉大回遊式名前かと感服致しました。ヤマメとニジマスの魚卵漬に感謝、河崎徹さんへよしなにお伝えください。

 以下は「ムコ殿」からの連想ゲーム、一代のヤマコ稲垣足穂についての一言です。
 昨日、加藤郁乎、松山俊太郎両先達とタルホ星について歓談致しました。酒を断っての三時間余、土方巽、澁澤龍彦、種村季弘各氏も降臨、「ユリイカ」の郡淳一郎さんのお陰をもって快なる刻が過ごせました。
 女性は時間と共に円熟する、しかし少年の命は夏の一日である。少女と相語ることには生涯的伴侶が内包されているが、少年と語らうのは常に「ここに究まる」境地であり、「今日を限り」のものである。上記は共にタルホの言葉ですが、「美のはかなさ」の身勝手な刹那主義と「白鳩の記」における飛行機は墜落するものとの恣意的なものの考え方とが、既視感とドッキングしたところにタルホ的永遠癖が宇宙的郷愁があったように思うのです。言い換えれば、タルホの母への対峙の仕方、姉への反感、夫人への冷酷さ等々、女性への憎悪がタルホの文学を支えるエネルギーの源ではなかったかと、そう思うのです。
 「およそ世にある情けなさのなかでも夢でものを食べるほどの儚さに匹敵するものはない」こちらもタルホの言葉ですが、ここで触れられている「儚さ」とタルホ文学の主流をなす「不安」を読み解いた高木隆郎氏の文言は鋭い。折目博子さんの「虚空 稲垣足穂」から孫引きする。
 「稲垣足穂氏のロールシャッハ図版にたいする反応によると、その人間像は現実の世界に生活するそれではなくて、演劇的人物、悪魔ないし極度に象徴化された人間等々である。このことは、かれの豊かな創造性、空想力を示すと同時に、人間をリアルな社会的生活体として見ておらず、それから情緒的な距離をへだてていることを意味している。彼の情緒的な共感性は具体的人格に対しては拒否され、自らの創造になるイマジナリイな、抽象的な人間性にむけられ、またそうした独自の空想的世界に遊ぶ人間と自己を同一視する。(中略)要約すると、稲垣足穂は分裂性性格者で、具体的なものを拒否し、現実的情緒的な対人関係をともなう現実社会への適応に欠けるが、独自のはなはだ豊かな空想力によって幻想的世界を創造して、そこに住む人間と情緒的共感性を得ている。その観念活動はパラノイア的傾向をおびることすらある。同性愛的傾向が窺われるが、真性倒錯ではなく、非常化された性器を通じての原始心性への復帰、物神崇拝的願望への強い執着である」
 またコバルトの空に飛行船が浮かんでいるタルホお得意のパステル画について、高木隆郎氏は分析する。
 「画面は分裂病的性格者に特有な幾何学的水平分割であり、飛行船は空間の上下左右とも完全な中央に懸垂し、それに原画では暗いコバルトの空と山脈の色彩--私はこの絵を見せられた瞬間、ほとんどショッキングなほどの不安を感じとってしまった。揚力と重力のぎりぎりの均衡である。これは現実の不安でもなく、夢想された不安でもない。現実と幻想の間に宙吊りにされた不安に他ならない」
 長々と引用したのには理由がある。これだけの材料があれば、五十枚のタルホ論が書ける。私たちの世代のタルホは終わった。オマージュがこれ以上繰り返されてはならない。文学の一翼にオマージュがある。しかし、オマージュのなかには憎悪も儚さも不安もなにもない。文学とは軋轢であり、コンフリクトである。言語体験としての世界体験、離郷体験や流浪がもたらす未決の宙づり状態、あるいは生きかたそれ自体が一種のだまし絵であるかのような演劇性等々のなかにしか文学は存在しない。次の世代がタルホをいかに読み解くのか、それを見届けてから死にたいと切に願っている。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月28日 23:28 | 固定ページリンク




一考 | つづき

 「某テレビ局が泉鏡花の番組を拵えていて、それを機会に勝井隆則さんとお会いできるかと楽しみにしていたのだが、諸経費節減を理由に駄目になった」と書き込んで忘れていたら、その某テレビ局のプロデューサーが来店、「一考さんは金沢へ行くつもりだったのですか」と訊ねられてこちらが周章てた。端から行けるとは思っていないし、また行く気もない。勝井さんと会うときは妙な紐はない方がいいに決まっている。「会いたいねえ」との意思表示が主題であって、テレビ局ははなしの主旨から遠く離れる。
 私にとって、ウエッブサイトへの書き込みは基本的に無責任である。適当に書いておればよろしいのであって、あとは野となれ山となれである。とは申せ、ですぺらのお客には新聞社の方が多い。従って、時事問題に現れる数値ならびに全体の流れに関しては極力正確に書くように心掛けている。複数の新聞社の記者が私の文言の裏を取って驚いていたようだが、企業の統合や合併に関しては専門の新聞記者よりも情報が早い時もある。ただし、そういった情報は新聞社の方とは話すが、掲示板では書かないことにした。ひとことにどれだけの資料の分析が罩められているか、などと言い出すと泣き言にしかならないし、挙句に「一考にかかるとはなしが倍増される」ではやってられない。今年の夏の書き込みで話の裏が通じるのは新聞屋さんだけだと身にしみて判った。ひとの死に関しても消息は同じである。横須賀功光さんが亡くなられてから、共同通信の配信が済むまでは一切触れないことにした。

 「能登の消息」で河崎徹さんの文章に触れたのは、かれの文章によって勝井隆則さんをより身近に感じたからである。「シャイ」と「マゾヒズム」との関係が私の舌っ足らずな表現によって、マゾシストになろうが、エクソシストになろうがそんなことはどうでもよい。勝井隆則、気配り、片便宜との弁証を楽しませてくださった河崎さんの人物活写、その実のある筆力に驚かされたのである。時の綺羅になんら興味を抱かれない「融通の利かない人間ぎらいのガンコなおっさん」の仲間に加えてくだされば幸いと思っている。
 河崎さんの文章の末尾を無断で引用したい。「マゾ、サド、暴力性、自虐性、残虐性…を持った人間が、勝手気ままに世界中に向けて言いたい放題を放出するインターネット、それがいいのか悪いのか私にはわからない。ただその事を時間をかけてゆっくりと検証する間もなく次から次と(インターネットに限らず)便利なものが生み出されていくのに、私はどうも付いていけない(人間の体の構造は数世紀前とほとんど変わっていない――私だけではない)。こんな事を言うと、どこからか『だからお前は時代遅れと言われるのだ』という声が聞こえてきそうだ」
 「毎月抄」に「或人、花実の亊を、歌にたて申て侍るにとりて、古の歌は、みな実を存して花を忘れ、近代のうたは、花をのみ心にかけて、実には目もかけぬからと申ためり」とある。意味内容を実にたとえるのに対し、表現技巧を花といっているのだが、論旨は「実を存してこその花」にある。定家の時代からインターネットの時代まで、変わるところが何もないとするならば、これは既に恐怖の対象でしかない。実に目もかけぬ表現技巧がそらごとでなければなんなのか。タルホの手づつの文章に一服の清涼を覚えるのは私ぐらいのものなのか。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月29日 21:25 | 固定ページリンク




一考 | 朗読会

 佐々木幹郎さんの詩の私は断片的な読者でしかない。それを今、恥じている。十七日の朗読会はよかった。恥じ入るほどによかったのである。二十歳の頃、種村季弘さんとはじめて出会った時も「水」のはなしに終始した。それは鏡花の文学作品に顕れる「水」だった。
 思潮社の「別冊現代詩手帖第一巻第一号泉鏡花」が刊行されたのは一九七二年一月、編集を手伝ったのはその前年の一年間である。所収の種村さんの鏡花論は水・水・水のオンパレードだった。六九年から七一年にかけて、泉鏡花に託つけて、種村さんから文芸評論のありよう、エッセイの書き方を教わった。役に立たない私なれば、ついぞ身にはつかなかったが、ご教示くださったことを忝なく思っている。
 その「水」や「流れ」のモチーフがそれこそ「流れのまま」に息づいているのが幹郎さんの詩である。引っ掛かっていた疑問、結石のように固まっていた疑問が「水」のひとことで砕かれ流されてゆく。空中をひらひら落ちる木の葉、水中を泳ぐ魚、空を飛ぶ鳥、はたまた帆船に働く風の力、飛行機の翼に働く揚力、暴風によって建物の受ける破壊力、幹郎さんの詩の「野をひらく鍵」は流体にあった、と気付かされたのである。幹郎さんにとって詩は一種の水祝儀、灌頂のようなものであった。朗読によって端緒が開けたと思うのは恥じでもなんでもない。そんなことよりも、幹郎さんの詩をいちから読まねばならない、と脅迫せしめた朗読会に感謝である。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月29日 22:33 | 固定ページリンク




一考 | 海馬注

このところの書き込みにひとこと。「龜鳴屋の表紙」最下段の「龜鳴屋目次へ」をクリック、強力連載の項に河崎徹さんの「イワナ売ります」があります。龜注入りの文章はそのなかです。九本の連載が強力、微力、魅力に三分割されている。知力か腕力かは迷うところだが、ここは素直に後者としておこう。龜注ならぬ海馬注でした。

 http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/index.htm



投稿者: 一考    日時: 2005年11月30日 01:44 | 固定ページリンク




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