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2006年10月 アーカイブ

佐藤弓生 | 御礼

こんにちは。
先週、貴店の足穂パーティーにイタガキノブオ氏同伴で伺った者です。
よんどころない事情で、ご挨拶もなく中座してしまい失礼いたしました。

イタガキ氏にはシュオブ「二重の心」の漫画化作品があり、
「種村季弘氏から直筆の回答を受けたことがある」
「矢野目源一訳『吸血鬼』を持っている」
などの武勇伝(?)をたびたびお聞きしていたので、
それなら折を見て渡辺様にお引き合わせしましょうかという話に
なっていました。

イタガキ氏はご自宅にネット環境がないので、当記事の件、
のちほど私からお伝えしておきます。ありがとうございました。
私がなかなか夜遅くまで出られないのですが、イベントのない日にまた、
ゆっくりおうかがいできたらと思います。
その節は、よろしくおねがいいたします。



投稿者: 佐藤弓生    日時: 2006年10月01日 07:17 | 固定ページリンク




一考 | 白い色鉛筆

 佐藤弓生様
 「白い色鉛筆の王国」はよくできた寓話です。寓話ゆえ、いかようにでも読み解くことが可能です。でも、あのようにポリティカルに曲解するとイタガキさんから叱られそうです。イタガキさんに託つけての勝手な書き込みですので、ご勘弁いただきます。
 私は平和主義者ですので、帰属や境界を越えたところで棲息したいと念じています。従って、軍備にも憲法改正にも反対ですし、国連の集団的自衛権にすら異議があります。さらに申せば、国とか、民族、宗教といったものにも否定的見解を持っています。だからこそ、個と個が共存するための「重層的アイデンティティ」のことばかりを考えているのです。そのモチーフが「白い色鉛筆の王国」では一捻りも二ひねりもする形で過不足なく描かれていました。昨今はやりのライト・ノベルのもみなさとは違う、少年の頃にのみ感じられる違和感と失意、そしてそこから生まれる漂泊の悲しみが巧みに表現されていたのです。すぐれた作品とひさびさに新鮮な出会いを得られたことに感謝しています。
 それにしても、一本の白い色鉛筆からあれだけの物語を拵えるイタガキさんの想像力の端正さに感服させられました。よしなにお伝えください。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月03日 00:00 | 固定ページリンク




一考 | 黄金色の階調

 モルト・ウィスキーにはどれぐらいの種類があるのかと、よく尋ねられます。昨今繁く出回るようになったディスティラリー・ボトルならいざ知らず、独立瓶詰業者のボトルは基本的にシングル・カスクすなわち一樽のリミテッド・エディションです。一口で樽といっても、容量も種類も異なります。また、樽は熟成の度に補修されます。使用頻度によって、樽のコンディションはさまざまです。従って、シングル・カスクの世界にあっては樽の数だけのウィスキーが存在します。
 イギリスに自生する二大樹種はセシルオークとコモンオーク、南部から東部の粘土質の土壌に多く生育します。共に古くからワインやコニャックなどの樽材として活躍してきたヨーロピアンオークですが、ウィスキーの熟成には役立ちません。ウィスキーの樽材としてはアメリカ東部に分布するホワイトオークが重宝されます。そして、スコットランドではホワイトオークが採れないがゆえに、スコッチの熟成に新樽が使われることはなかったのです。また、新樽を用いずとも、シェリー樽の中古が潤沢に手に入りました。イギリスは昔からシェリー酒の世界最大の消費地で、かつては樽で輸入し量り売りをしていました。余った空き樽をスコッチ業者が再利用してきたのです。やがて、ウィスキーの生産量が増え、シェリー樽の需要と供給のバランスが崩れてきた時に、業者が目を付けたのがバーボン樽でした。アメリカの国内法ではバーボン・ウィスキーの熟成は新樽であることが義務付けられています。わずか一度の使用で破棄されるのです。第二次世界大戦後、解体された大量のバーボン樽がアメリカからイギリスへ送られるようになりました。
 樽が大きければ大きいほど、ウィスキーはゆっくり熟成され、まろやかさが増します。そこでスコットランドではバーボン樽の再生の際、側板を補って容量を180リットルから250リットルへ拡大します。貯蔵効率を高めると同時に、ウィスキーと樽との接触面積を少なくし、木香の影響を薄めようとの工夫です。その拵え直した樽をホグスヘッドといい、現在もっとも多く出回っています。シェリー樽は500リットル、ほぼ同量のラム酒用の樽がパンチョンで、こちらはたまに出番がやってくるていどです。一六世紀以降はそれらの樽材として通直木理という柾目のホワイトオークが削り出され、樽の形状も少しずつ変化して行きました。使い古してシェリーやバーボンの香味が移らなくなった樽をプレーン・カスクもしくはウィスキー・カスクといい、グレン・ウィスキーの熟成に、やがてはガーデニングにスモーク用のチップにと徹底的に活用されます。
 最近ではシェリーやバーボンの他、ポート、マルサラ、マディラ、ラム、コニャック、アルマニャック、カルバドス、赤白ワインなど、さまざまな樽が熟成に再利用されるようになりました。イアン・マクロード社からはそれらの樽をフィニッシュに用いたモルト・ウィスキーがボトリングされています。わが邦の樽酒は三、四日が限界ですが、スコッチの場合は半年から一年、長いと二年ほど任意の樽で熟成させます。ダブル・ウッドもしくはダブル・マチュアードと同じ意で、「グレンモーレンジ」「バルヴィニー」やディアジオ社の「クラシック・モルト・シリーズ」のダブル・マチュアードなどが識られています。ワインや酒精強化ワインの樽、すなわちセシルオークで最初から最後まで熟成されるとタンニンやリグニンが過剰に溶けだし、香味のバランスが崩れます。フィニッシュにのみ用いるのも職人の知恵や気配りと言えましょう。
 ボトラーのモルト・ウィスキーはカラメルによる着色や低温濾過を施しません。従って、透明感に充ちたつややかな黄金色の階調をもたらすのはタンニン成分の色素であり、その成分を引き出すために欠かせないのが樽の内側の焼き加減です。ウィスキー用の樽は中火で約20分、ブランデーの場合は強火で40分焙煎されます。マノックモア蒸留所のブラックウィスキー「ロッホ・デュー」などは樽の表面が炭化するまで焼かれています。「ロッホ・デュー」は極端な例ですが、良いウィスキーが醸されるか否かはこの加熱処理にかかっていると言っても過言ではないのです。
 いずれにせよ、ウィスキーの香味を決定づけるのは樽のコンディションと熟成庫の所在地の気候風土です。お花畑で熟成されたウィスキーにはフローラルな香りが、森のなかで熟成されたウィスキーにはウッディーもしくはナッティーな香りが、海辺で熟成されたウィスキーには潮の香が強く薫きしめられるのです。さらに、外壁に近いところと中央部、上段に置かれた樽と下段のそれとでは長い年月のあいだに随分と個性が違って行きます。下段のウィスキーは熟成が緩慢になされ、色は淡く、アルコール度数は上段と比してより低くなり、エンジェル・シェア(天使のわけまえ)も高くなります。要するに、穏やかな熟成がなされるわけです。
 樽の数だけのウィスキーが存在すると頭に著しました。それ故、これがウィスキーであるとか、これこそがシングルモルトなどという固定観念は持たない方がよろしいかと思います。酒は生き物です。齢と共に人の性格や好みが変わっていくように、酒も年々歳々香味を微妙に変化させていきます。ボトラーのボトルの醍醐味は違いを違いとして愉しむところにあります。好悪を決めるのは彼の世へ赴いてからでも遅くはありますまい。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月03日 00:21 | 固定ページリンク




一考 | ヒステリーについて

 「黄金色の階調」はかつて料理王国に著したものの改稿である。末尾に固定観念に対する否定的見解を書いたが、思うに、私の死生観やものの考え方は料理の調法や酒の味わい方から多くを学んでいる。例えば、穴子は焼くか蒸すのが一般的だが、刺身だと食べられないのだろうか、試行錯誤の末、洗いが穴子に似合いの調法だと知る。はなしはそこで止まらない、子をまぶすとどうなるのだろうか、あしらいはどうか、醤油は洗いには相応しくないからどうしようかと言った風に、連想ゲームは続く。また、懐石では同じ料理の繰り返しは避けなければならない。材料と調法を求めて、地方を行脚し書物を博捜しなければならない。料理とは間違いなく、一種の漂泊だと思う。
 出生地の都合もあって、回りはやっちゃん、ぽん引き、女衒、娼婦、てきや、おかまといった裏社会のひとたちばかりだった。子供の頃はそれが嫌で、自己形成期への瞋恚を育んだのは福原という色街だったと、いまにして思う。抛り込まれた環境に従順(すなお)に馴染めなかった私はその対局に文学やそれを研究する文学者を置いた。理由はなにもない、なんとなくそう感じたまでのはなしである。
 十代の半ばになってドストエフスキーやカフカやサルトルを読み、やはり物書きや文学者は人生の達人であって、すぐれた人品骨柄の持ち主なのだと、勝手に思い込むようになった。そう信じたが故に、書物の世界へ彷徨い込み、同時にさまざまな詩人、絵描き、小説家などと交流を深めた。
 そして十代後半、いうところの全国区の詩人、文学者、書物研究家、書誌学者などと出遇う。しかるに、「バンビーについて-2」で書いた「鄙劣きわまりないものの考え方を文学だと嘯くような燕石」と最初に出遇ってしまったのである。彼は強度なヒステリー患者だと、後日、生島遼一さんや曽根元吉さんから指摘されたが、ときすでに遅く、手の施しようのない身体症状や解離症状との道行を強いられてしまったのである。ヒポクラテスの時代のヒステリーが子宮の病なら、あれは前立腺の病でなかったかと思う。子分を集めて常時集団ヒステリーの渦中にないと精神的葛藤が処理できない、福原のやっちゃんと同じ「困ったちゃん」そのものであった。
 名前は伏せるが、某英文学者にして著名な書物研究家から「君は美しい書物を造るが中身がどうもねえ」と指弾された。「先生のおっしゃる中身があるものとは古典ですか、だとすれば、それは時代によって変わりますよね」「変わるわけないだろう、第一にどれが古典かを決める権威を有するのは私ぐらいなものだ、私は権威そのものなのだよ」。
 丸山豊が主宰した「母音」時代からの友人で左翼文学の代表選手だった某詩人兼評論家と高木護さんのはなしになった。隣には夙に知られた女流作家もいらした。その隣人曰く「あのひととは血筋が違います」。ちなみに、私は高木護のファンである。
 実名を隠しての書き込みはあまり意味をなさない。咨嗟するところは、物書きや文学者の多くは裏社会のひとたちにはないものを後生大事に携えていた、それは権威と権力であった。権威と権力の裏付けが知識であろうが格闘技であろうが渡世の筋であろうが同じ穴の狢である。神戸の広域暴力団の中枢にいたひと(ほんの一部だが)の方が配慮に闌け、複雑に錯綜したものの考え方を持っていたように思う。
 それやこれやで、近頃、私は物書きや文学者、それと読書家、要するに知識人といわれる人種をほとんど信用しない。知識がそのひとのなかで解体され、追体験され、ものの考え方にまで伝搬されている例があまりにも少ないからである。解体されずにいるのは、前述の精神的葛藤が未処理のまま無意識領域に抑圧されていることになる。

 国家、民族、宗教、言語、知識などが帰属や境界の基いになり、差別や排除のエネルギー源になる。また、
差別意識の生起の要因のひとつに国語教育がある。それは近代国家の成立の過程あるいは以降に登場したものなのだが、ナショナリズムの発生と国家語意識の発揚との関係については別の機会に譲りたい。ここで述べておきたいのは、イギリスで誕生した近代国家との概念は「万人の万人に対する闘争状態」からの脱出を願っての思想原理のひとつであり、国語はそれら思想をひとに伝えるための道具の共有化であり、知識はその道具の有効性を高めるための薬味だったということである。ホッブズからロックを経てルソーに至るまで、消息は同じである。
 複数の国語という時限爆弾を抱えるスイスやベルギーと日本のように公用語と日常の生活言語が重なっているような国では条件が異なる。そして層なるが故であろうか、「八紘一宇」であれ、その逆の「総括」であれ、どうして日本人は右も左も国家主義的発想から遁れられないのか不思議に思う。それともヒステリカルな中でしか日本人は生きられないとでも言うのであろうか。
 このところ、差別と排除について執拗に書くのは、排斥の論理がヒステリー症状ときわめて似ているからである。演技性、自己中心性、情緒不安定性、誇張された言語への依存性等々、陶酔した没我状態と強い虚栄心が綯い交ぜになるところにヒステリー性格の特徴がある。ヒステリー身体症状の典型が疼痛だが、疼痛は風の病ともいう。悪い気がナショナリズムでないことを願うばかりである。
 言葉や知識を自己顕示性の表明から解放するのは、取りも直さず言葉それ自体の開放になる。言葉を国語教育から、さらには帰属や境界という頸木から解き放たなければならない。いつの世にあっても文化は常にネガティブなものの意義を担保する。だからこそ、言葉は常に破戒されなければならない。破戒するとは、作家の主体的創造力の場に引き戻すことに他ならない。そして言葉の暴力的な破戒のなかにしか「主体的創造力」はない。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月05日 11:14 | 固定ページリンク




一考 | バザール

 大磯での村上春樹さんの最初の住居だった建物が売りに出されます。敷地は百坪、価格はお問い合わせください。村上さんから購入なさった方は文化大革命をはじめて報道なさった著名な方です。家屋の売却に先立って、二十一日と二十二日の両日、現地でガレージセールを開催します。大磯の駅から徒歩六分、吉田茂の別荘の横を入って行くのですが、ちょっと分かりにくいと思います。
 アフリカや東南アジアの家具、美術品、民芸品、仮面から食器の他、タイ・シルクのブラウス、シャツ、パンツ、スカート、スカーフ、ショール、ベッドカバー等々、それとシルクの反物が多量にあります。値は衣服で千円から五千円ぐらい、現地価格での放出になります。トラック三台分ですから、夥しい量です。
 興味をお持ちの方はぜひご参加下さい。私は二十二日の午後、車で現地に赴きます。購入希望の方は二名まで同乗可能です。
 大磯・村上春樹との検索で、かなりのサイトが出てきます。そちらに地図も載っていますのでよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月05日 11:53 | 固定ページリンク




一考 | モルト会について

 店での書き込みはともかく、自宅での書き込みは寝惚けているので誤字が多く、管理人には迷惑の掛けっぱなしである。先日も「破壊」を「破戒」と間違えたまま載せてしまいました。まことに相済まぬことでございます。

 今年の三月からモルト会は蒸留所別になりました。アードベッグ12種類、カリラ12種類、ラガヴーリン12種類、ポート・エレン9種類、スプリングバンク12種類、ラフロイグ12種類、タリスカー12種類と続いて、次回十月はハイランド・パーク12種類、次々回はレダイグ9種類です。蒸留所を横断するカスク別のモルト会も計画中です。
 毎回の解説はモルト・ウィスキーに対する私の総決算なので、こちらに掲載しようかと思っております。いずれ纏まればホームページに項目を立てることになるのですが、それまでに細かい修正を施したく思うのです。
 自己顕示欲の強い馬鹿学者の乱入によって、当掲示板を暫時閉鎖したことがございました。その間の2003年7月にもうひとつの掲示板を立ち上げたのですが、私にとっては酒も料理も文学もひとつづきになっていて、分離しようのないものです。従って、これからはウィスキーのことも書き込ませていただきます。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月06日 20:50 | 固定ページリンク




一考 | 曲肱の楽しみ

 西麻布の駐車場を拝借しているので、毎日乃木坂から赤坂まで地下鉄に乗っている。一駅なので乗車時間は二分ほど、従って扉の前で立っている。そしてドアに貼られた漢字検定のチラシを見るのを日々の愉しみにしている。今週のお題のひとつに譲与と剰余があった。
 愉しみにしていると書いたが、漢字が書けるかどうかはどうでもよいのであって、私が興じているのは連想である。日本語は漢字で書かれてしまうとそれまでだが、音だけだとさまざまなアナロジーが働く。アナロジーは,推論,説明,創造などさまざまな認知活動を支えているなどと書き出すと、これは管理人の専門領域に入り込む。昨今のコンピューターシミュレーションにおける抽象的知識(スキーマ)は手におえない。私が嵌まっているのは益体も無い気散じであって親父ギャグの類いである。
 例えば、辻潤は生涯贈与とは縁がなかったが、譲与のみで生計を立てた。バタイユはモースの贈与論から多くを学んだが、ブルトンが辻潤の譲与論からなにかを学べば、あそこまで権威主義に陥らなくても済んだのではなかったか……思うに、私の生活は辻潤のそれであって、ですぺら開店までの暮らし向きをひとことで要約するとヒモということになる……そもそも紐というものは強くて柔軟であらねばならない、そして独立した製品ではなく付属品にすぎない。ところで、私が誰の付属品であったかと言えば、いやいや、付属品が生意気に私などと主辞を用いてはいけない……
 大体このあたりでホームへ電車が辷り込む。そして店へ着くころにはなにを連想したかは忘れてしまっている。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月06日 20:57 | 固定ページリンク




如月 | 四谷シモンの作品が人間と共演

ローマ大学の文化人類学者マッシモ・カネヴァッチさんが先月サンパウロ市(ブラジル)のトゥカ劇場で行った舞踏公演『砂男』で、四谷シモンの人形作品のパネルを使用し、四谷シモン作品と人間のコラボレーションが実現しました↓。
詳細は不明ですが、この公演は、ホフマンの『砂男』とそれにインスパイアされたフロイトの『不気味なもの』を原案とするもので、カネヴァッチ夫人でもあるダンサー、シェイラ・リベイロさんが、四谷シモンの人形を肉体化したかたちで登場し、ホフマンの世界を表現しました。
『砂男』『不気味なもの』というと、日本ではともに種村季弘さんが訳して紹介しており(河出文庫)、周知のように種村さんも四谷シモンの人形の大ファンでした。世界には、似た指向性をもつ人もいるものなのですね。
ちなみに、種村さんはフェティシズムにとても興味をもっていましたが、カネヴァッチさんも視覚的フェティシズムに興味をもっているそうです。
また、カネヴァッチさんは、近日、ローマでも『砂男』公演を行いたい意向のようです。

http://www.simon-yotsuya.net/profil/sandmann.htm



投稿者: 如月    日時: 2006年10月08日 13:25 | 固定ページリンク




如月 | 丸善の「人・形展」

連休、みなさんはどのように過ごされましたか? 私は今日の夕方、丸善丸の内本店の4階ギャラリーで開催されている「人・形(ひとがた)展」へ行ってきました↓。 http://www.nonc.jp/hitogataten/hitogataten.html エコール・ド・シモンのなじみの顔ぶれに加えて、ベテラン、新人入り交じった展覧会で、とてもおもしろかったです。作風が幅広いというのもこの展覧会の特徴でしょうか。この展覧会を企画したドール・フォーラム・ジャパンの小川千惠子さんが、人形展ではなく人・形展だとしたのがよくわかるような気がします。展覧会は10日(火)まで。人形に興味のある方はぜひ。



投稿者: 如月    日時: 2006年10月09日 22:11 | 固定ページリンク




一考 | 瓦版なまず

 moonさんへ
 季村敏夫さん編輯の瓦版なまずが発刊されました。執筆者は安水稔和、杉山平一、宮崎修二朗、林哲夫、扉野良人、港大尋、林宏仁、季村さんと私です。知己が五名、面識のない方が三名、しかしお名前はすべて存じ上げています。moonさんは神戸華僑歴史博物館の林宏仁さんはご存じかも。
 宮崎修二朗さんとはよく飲みました、彼が神戸新聞社にいらした頃のはなしですが。その宮崎さんがわが国のSFの開祖ともいうべき矢野徹について書いています。矢野は魚崎でDPEの店を営んでいたのですが、他にも井上勤や新開地の春秋堂という薬局の倅、横溝正史のことなどを描いています。
 私の方は何回の連載になるのか見当もつきません。「当時、坊主頭の私は俳文堂の主人有川正太郎さん行きつけの茜屋で俳句の講義を三日に一度は聴かされた。茜屋は元町六丁目と五丁目のあいだに在った珈琲店である。新傾向俳句が新傾向風なマンネリズムから脱皮して自由なリズムをとるようになった大正初期の俳諧にはじまり、やがて元禄、寛永、正徳、享保の江戸俳諧へと詼々の晤語は遡って行く。其角、支考、許六、嵐雪よりは去来を、その去来よりは丈草を、暁臺、樗良、几董、月渓よりは青蘿をといった塩梅で、根が天邪鬼だった私の歪んだ性格をさらに助長させ、深化させたのは間違いなく有川さんだった」
 という調子なのですが、芥川龍之介と日夏耿之介が讃歎した上筒井のなつめや書店について書きたいと思っています。大正期は阪急大阪行きの始発駅が上筒井にあり、加えるに一中、高商、関西学院が山側にありました。従って、上筒井商店街にはなつめや書店や白雲堂などが並び、関西有数の古本屋街でした。その界隈のことは関西学院へ通っていた足穂や今東光も著しています。
 神戸の出版文化や古本屋については高橋輝次の著書以外まとまったものはありませんし、その高橋さんも川西和露や野田別天楼、なつめや書店の安井小洒については触れられていません。ぐろりあそさえてや五典書院も大事ですが、五典書院がわが邦の書誌学の方向を決定づけたように、なつめや書店の出版物は江戸俳諧の歴史を、さらにはわが国の文学史の書き換えを余儀なくさせました。どなたか書くひとはいないのかなと思っていたところ、季村さんから連載依頼があったものですからお引き受けしました。私ごときには荷が重過ぎるのですが、なつめや書店から俳文堂に到る系譜について、知っている僅かなことでも書いておけば、きっと若いひとのなかから研究者が出てくると思うのです。

 「なまず」は元町の海文堂に置いてあるそうです。海事の担当者が昔私と一緒に仕事(コーベブックスか)をしていたそうですが、お名前はじめ詳細は分かりません。立ち寄られることがあれば確かめて頂けないでしょうか。ちなみに「なまず」の連絡先は(神戸市長田区東尻池町1-11-4 神港金属)です。あなたのことは伝えておきます。もっとも、尻池のなまずじゃ、油臭くて喰えませんよ。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月11日 00:06 | 固定ページリンク




一考 | 驕子綺唱の跋

  跋
 友よ、詩冊子「孟夏飛霜」の上木を賀ふてから、もう六たび裘葛(葛[第1水準1-19-75]は誤字、つくりは曷が正しい)を易へる。すると、我々の交遊も、もう六年の余になる。この六年間は、私にとって、君を別にしては洵に短く、君を交へては洵に長い。世の常の春秋に満しきれぬ思ひ出が、私の胸に残されてゐるからである。
 君が華かな鹿島立も、ひきつゞく現身(うつそみ)の憂に心を夷(やぶ)り、途次(みちすがら)、更には(さんずい偏に霸)橋驢上の閑日月を得さしめず、この六年間の、君の焦思とでう(をんな偏に堯)悩と憂磋とは、いくたび私の腸を断しめた事だ。そして、君は一度ならず詩藁を火中して、詩文を棄てようとまでした。呼、しかし、友よ、君は詩を忘れることは出来なかった。生命(いのち)にかけて忘れ得なかつたのだ。
 その思ひ出が、うれひ(立心偏に潛・僭のつくり)てはれう(立心偏に摎・樛・膠のつくり)然と私の心を逼脅(おびやか)した思ひ出の狭霧が、次第に霽れて、春闌(た)ける故園(ふるさと)の日光(ひかげ)の様な閑(しづ)かな欣びに腕(かひな)をのべて、君は、君の「驕子綺唱」は、今私の眼晴(まなこ)を煌かに差含(さしぐ)ましめる。
 曩に、「孟夏飛霜」を繙いて、金石の声に耳を欹てた人々は、うち易つた君の詩の相姿(すがた)に愕きの晴(め)をみは(目偏に崢・淨のつくり)るであらう。しかし、だれが知らう、今君が愛妻(はしづま)と向ふ夕餉の明るい燈火(ほかげ)もかつては人生の渦潮(うづしほ)の底(そこひ)に眺めて、蒼りやう(にすい偏に涼のつくり)たる月光(つきかげ)であつたことを。
 友よ、詩霄に天馬(ペガスス)を翔(か)る奔情と、法利賽(パリサイ)の徒と共に生き得ぬ資霊とは、君をして自ら世に乖き、人に孤れ、夙くもけん(め偏に絹のつくり)然として定業を直視せしめた。そして、君の情火が綜ゆる坎か(つち偏に珂のつくり)を灼きつくして、その灰の中から、君が、君の詩が、フエニツクスの如く甦つて来たのだ。茲に私は、君の詩が既に宿命に約束せられた、本然の格調に臻つたことを信ずる。
 嘗て、天狼の冷光に悲哀を矜つた心の傷みが、今、なごやかな幸多い日ざしのなかにも憂れたげな蔭翳(かげ)を落して、君の眼差を曇らすとき、古い夢の奥(おくが)に燎える、始元の霊火が、君の詩魂をして、永劫の寂寥を趁しめる。
 かくて、寥亮の伊吹の、一陣の秋風となつて、詩藁の白きに帰る日まで、友よ、君の稟賦の円熟と共に、君の詩の赴くべき定命を竭さしめよと祈る。
  戊辰夏七月
          龍謄寺 旻

 平井功の「驕子綺唱」に附された龍謄寺旻の跋文である。天才少年と謳われた平井の尖った詩が二十歳をこえて枯淡の域に達してゆく、その辺りの消息と龍謄寺の功への篤い友誼が見て取られる。
 ゆかりやよしみを描くなら他に方法があるだろうにと思う。ここまで強面を張られると、意地でも裏を探りたくなる。探れば内容の乏しさが陽に透かされる。言出し兵衛は私なのでなにも言えないが、このような文章を読むと切なくなってくる。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月16日 22:39 | 固定ページリンク




一考 | 片頭痛

 九月のはじめから片頭痛に悩まされてきた。あまりの痛みにエアーサロンパスをこめかみに塗りつけていたが、どうやら逆効果だったようである。治療に用いられる酒石酸エルゴタミンは血管の拡張を抑制する薬だが、サロンパスは促進させる。
 10月にはいってからは血圧が異常値を示すようになり、目眩いがはげしくなってきた。バッファリンやアスピリンでは手に負えなくなって、今日は朝から検査を繰り返している。主治医の見立てだと片頭痛ではなく、脳卒中の二大疾患の片割れの疑いが濃厚であるそうな。三時からMRIの検査がはじまる。
 一族のほとんどが卒中で死んでいるので、このまま死んだところでそんなものかなと思うだけである。未練や執着はなくはないが、好きな酒や烟草やフェティッシュな下着といった他愛ないものばかりである。
 取るにたりない個人的なことはどうでもよい。久しぶりに主治医と話しておもしろかったのは片頭痛と偏頭痛であった。文字を捏ね回す稼業にあるひとは偏頭痛を好んで用いる。しかし、医学上は片頭痛でなければ困るそうである。どうして困るのかはMRIの後で教えていただこうと思っている。
 主治医は浦和で開業しているが、南浦和に映像フェチの医師がいてCTスキャンからMRIまで、さまざまな電子機器を備えているのである。主治医の友人で都立豊島病院に重度の痔を抱えてエベレストに登頂した医師がいる。その医師から「どうにもならない立派な痔の持ち主」と褒められたときは嬉しかった。そのような部位に陽が当たるのは滅多にないことである。主治医は石割りの達人で、その道では知られたひとである。単純な骨折なら足も腕も指も自分で修理してきたが、臓物は手に負えない。上京後七年のあいだに三度手術していただいた。
 エリザベス・ベニヨンの著書を座右に置くような医師がいる。オタク、マニア、フェチ、どう呼称してもよいのだが、医療機器は高額である。CTスキャンからMRIまでと気楽に書いたが、いずれも数億円の価格帯である。映像フェチの医師と聞かされただけで、背筋がゾクゾクする。どうやら詼諧の検査を楽しめそうである。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月17日 13:41 | 固定ページリンク




高遠弘美 | お見舞申し上げます

一考様。
記事を拝読して吃驚いたしました。
偏頭痛とのことで、さぞかしお辛いことと存じます。
お医者様の処方に従つて、一日も早く恢復なさいますことを切に祈つてをります。
あまりご無理をなさいませぬやうに。わたくし譯予定の「フェチ大全」もまだ緒についてをりません。一考さんにぜひお見せしたい仕事です。どうかご安静第一に、療養専一に。

追記
日本国語大辞典第二版によりますと、偏頭痛は「清原国賢書写本荘子抄」(1530)の用例「偏はかたかたぞ。偏頭痛。正頭痛」とあるくらゐで、現代のお医者様の言とは裏腹に、江戸時代でも「偏頭痛」と表記してゐたやうです。広辞苑には「片頭痛」の表記は載つてゐませんでした。
余計なことですが、言葉を蔑ろにしない一考さんだからこそ、あへて書きつける失礼をお許し下さい。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2006年10月17日 23:53 | 固定ページリンク




一考 | 断層の断想

 MRIのネガを持ってしのざき脳神経外科クリニックから山崎外科泌尿器科診療所へもどった。どうやら造影剤を注入しての新体操はせずに済みそうである。あてがわれた薬はミオナール50?とデパス0.5?、それにトランキライザーの類いである。早いはなしが、筋肉弛緩剤と睡眠薬、言い換えれば、緊張をほぐして睡眠をたっぷり取れということになる。さらに翻訳すれば、肩こりからくる頭痛とめまいだったということになろうか。いずれにせよ、詳細は資料と共に主治医がですぺらへ飲みに来て説明してくださるらしい、かたじけなく思っている。
 MRIは二度目だが、道路工事中のような騒音は相変わらずで、コトコトコトコト・・・ガッキーンガッキーンが十五分ほど続く、まるでSF世界の住人である。CTスキャンはレントゲンだが、MRIは磁気、正確には核磁気共鳴撮影装置である。磁気はX線と比べてほとんど人体に害がない、早晩こちらに切り替えられると思う。90年代半ばからは画像が飛躍的に鮮明になって血管撮影(MRA)も可能になった。脳血管の立体画像も見せていただいたが、物珍しさからか妙な美しさを感じた。よって、五十枚ほどの断層写真をCDに焼いていただくことにした。
 三センチ五ミリの性器を誇示する趣味はないが、自分の脳の断層写真を愛人に見せびらかすのは嗜好にかなう。特に眼球と大脳とが並んだ図には感動させられた。言葉や文字で言い著される思いよりも断層写真により抽象性を覚えたのである。私にとって性とはおそろしく抽象的なものである。断層写真が誘引剤となって性フェロモンを放出するような牝と巡り会ってみたいものである。
 ついでに、CTスキャンも見せていただいたが、島津製作所最新のスパイラルマシーンが鎮座するのに愕かされた。大学病院ならいざしらず、個人診療所が揃えるような種類の機器ではない。さすがに映像フェチといわれるだけのことはある。
 編輯は偏執に通じる。従って、なにごとによらず偏ったものに興味がある。ただし、オタクであれマニアであれフェチであれ、パラノイアやモノマニアにとどまる限り、箸にも棒にも引っ掛からない。一つのことに異常な執着をもつのは結構だが、それが人格の荒廃をきたさなければ、なんのための固執であり妄想なのかと問い質したくなる。一度偏りはじめた障害者の行き先は餓鬼偏執しかない。

 ところで、MRIの主たる目的は脳血管の動脈瘤や脳腫瘍の有無などを調べることにある。簡単な検査で即MRIを撮りましょうと言われれば、患者は臆するものである。主治医と薫子さんとの遣り取りは知るべくもないが、神色自若を粧う私に対する主治医の竹箆だったのかもしれない。

追記
 昨夜、珍しくお客さんがあって以上の書き込みを載せられなかった。今日載せようとしたところ高遠さんのお見舞いがあって、こちらこそ吃驚いたしました。寝てれば癒るといった塩梅だそうです。
 頭のなかに感じる痛みが頭痛なのですが、私のような素人には頭蓋骨の外側にある筋肉、筋膜、動脈、神経などの軟部組織に起因する投射痛との区別がつきません。滅多に痛みを吐露しないので、主治医が気を利かせたのだと解釈しています。
 日葡によると「ヘンノヅツウ」もしくは「へんとうつう」だそうですが、手元の読み本の類いだと「かたずつう」との記載が散見されます。調べる必要がありそうですね。いずれにせよ、チョコレートやチーズの摂取も発作の誘因になるらしく飲み助には困ったものです。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月18日 14:35 | 固定ページリンク




一考 | 大脳の白蒸し

 MRIの断層写真だが、大脳と頭蓋骨のあいだと左脳と右脳とのあいだの前方に白い部分がある。これは大脳の萎縮によって生じた空白部であって、私の大脳は年齢相応の萎縮だそうである。ひとの身体は十四、五歳でピークを迎え、あとは老いさらばえてゆく、大脳の盛りは二十四歳(二十二歳との意見もある)で、あとは死に向かって萎縮が進行してゆく。医学上はそういうことになっている。
 昨日、佐々木幹郎さんとはなしていて、私の脳髄には老化や萎縮はまったく見られないと告げられた。脳外科の医者に訊ねたところ、たまにはそう思い込んでいるひともいる、老化は個人差があって迂闊な発言はできないが、萎縮が顕著に確認できないひとが一千万人にひとりぐらいいるとの話を聞いたことがある、と聴かされた。
 幹郎さんが一千万人にひとりの存在だったら、私は彼の前に跪かなければならない、なにしろ、全国でも十二人しかいない珍種、貴種である。コウノトリか幹郎かといった存在である。昨夜は嫉妬と羨望にせめ苛なまれて熟睡できなかった。

 下腹部の老化と萎縮には自信がある。ここで自信などという言葉を用いれば高遠さんから叱られる。ただ、漱石ではあるまいし、自分の才能や価値を信ずることが必ずしも肯定的でなければならないとは思わない。否定的な自信があってもよさそうなものである。下腹部がものの役に立たないことに自信を持っているのであって、悔しかったらかかってこいと世の女房共に言っておきたい。下腹部の任務や義務は他にもあるのである。
 しかし、脳、それも大脳とくれば、負けてはいられない。しかし、負けている、しかし、負けたくないとの堂々巡りが空が白むまで続けられた。これでは大脳の白蒸しである。
 しばらくは口もききたくないなと思い詰めていたのだが、ふと彼の「オポッサムと豆」を想い起こした。

 頭蓋骨の中で からからと鳴るのは豆粒
 オポッサムは二十五個 スカンクは三十五個
 アライグマは百五個 アカギツネは百九十八個
 コヨーテは三百二十五個 オオカミは四百三十八個

 北アメリカの雪の原野で
 シートンは言う
 アカギツネは救いがたい

 ・・・

 かまどの横で寝続ける十頭
 頭蓋骨の大きさに何の意味がある
 豆が何個入るかなんて

 詩の中にred fox(私のニックネーム)がちゃんと入っているではないか。「小さな豆が百九十八個しか入らない頭蓋骨なんて 何を考えているのか」幹郎さんはそこまでお見通しだった。げに詩人は怖ろしいもの恐いものである。
 詩人をぎゃふんと言わせるには百九十九個目の豆を購入しなければならない。帰りに川越街道の乾物屋に立ち寄らねばならない。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月19日 21:01 | 固定ページリンク




櫻井清彦 | 美の壺


NHKで放送されている「美の壺」です。

ごらん下さい。

http://www.nhk.or.jp/tsubo/archives.html



投稿者: 櫻井清彦    日時: 2006年10月28日 14:36 | 固定ページリンク




一考 | アンチ・オイディプス

 ドゥルーズとガタリの「アンチ・オイディプス」の新訳が河出文庫から上梓された。発売後、わずか一週間で二刷になった。しかも文庫の初刷部数の常識を越えている。
 精神分析や革命の定着はおろか、実存主義も構造主義もなにひとつとして読み解いた哲学者をわが国は持たない。小林秀雄以降、吉本隆明のごく一部を除いて、哲学や文学を語るに価する作家がひとりとして輩出されなかった日本の這辺において、いかように本書が繙かれようとするのか、面妖なはなしである。
 旧訳が開板されたときに、吉本隆明が否定的な書評を綴った他、さしたる反応はなかったように記憶する。その書評にしてからが、家族か社会か、保守か革命か、パラノイアかスキゾフレニーか、オイディプスかアンチ・オイディプスか、といった花田清輝や林達夫的二者択一を一歩も出るものではなかった。(この問題に関しては、家族という「対幻想」の場が意味するものを当掲示板で書き継いできたつもりである。さらに書き込みたいと思っているので、ここではこれ以上は触れない)
 訳者の宇野邦一が「あとがき」のなかで、スラヴォイ・ジジェックの「身体なき器官」を援用しての揶揄は取りも直さず、痛烈な吉本批判になっている。

 シニカルな資本主義は、次々シニカルな思想を生み出すので、「器官なき身体」を「身体なき器官」によって脱構築しようとするような試みも生れてくる。そもそもドゥルーズとガタリにとって、「身体なき器官」は、「器官なき身体」の危険そのものであり、「器官なき身体」と同時に部分対象の群れとして生み出されうるものであった。
  ・・・・・
 人間が身体と自己を切断(去勢)することによってある空虚(非身体)を生み出すことは、そもそも人間が精神であることに他ならない。ユーモアたっぷりに見えて、そういう自分の信念だけは決して笑うことのできないジジェックは、「アンチ・オイディプス」の生成、生産、そして器官なき身体の理論を、ドゥルーズの非身体の哲学を裏切るものとして批判する。これは奇妙な切断といわなくてはならない。

 それこそ、「ユーモアたっぷり」の明解な論理がここにはある。さればこそ、結論もいたって明解である。ドゥルーズは「精神、身体、自然を連続的にとらえるプラグマティズムあるいは一元論の発想を一度も捨てたことはない」、さらに、ドゥルーズにおいては身体の哲学と非身体の哲学がトポロジックに並存してい、いわば「双面をもつ哲学」を提出しているのである、と宇野は指摘する。
 ヘーゲルの法哲学の批判的再検討をさぐる過程でマルクスは「資本論」を著した。同様に、本書で提出される世界史的展望は、包括的に展開されるヘーゲルのそれではなく、むしろ世界史を別のまなざしによって切開し、別の問題を発見しようとする試みなのである。
 私のようにシニカルな人間にとって、「思考の対象を包括するのではなく、思考の姿勢を変えることをうながしたい」との言葉は大きな誡めとなる。まるで混沌や退行からの飛躍を常にうながされているようなものである。そういえば、種村さんも混沌から逃げ回っていらした。
 集団としての紐帯を固めるもろもろの儀式、パターナリズム、アイデンティティ、帰属、境界といった「母殺し」を絶えず繰り返してきた私などは、さしずめアンチ・オイディプスの典型と言えようか。
 土曜日の深夜の氷川台、ひょんな偶然で出遇った宇野さんに、そのアンチ・オイディプスが「アンチ・オイディプス」を碌に読んでこなかった不幸を告白した。このたび贈られた「アンチ・オイディプス」は熟読しなければならない。読書とは家族や性や自我を構成する無数の分子を注視することであり、今までとは別様のそれら分子の結合や共振を見いだし続けることに他ならない。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月30日 23:10 | 固定ページリンク




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