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2006年04月 アーカイブ

一考 | バックバーの棚卸し

 スコッチ・ブレンデッド、バーボン、アイリッシュ、カナディアン、ブランデー、グラッパ、マール、ジン、ラム等をバックバーから追放しております。店の商品構成をますます特化しようと思っているのです。
 バックバーから落ちたボトルはすべて一杯三百円、管理人の櫻井さんと沖山さんが、もっか高級バーボンとライ・ウィスキーを抱え込んで格闘中です。
 モルト会のために、好きでもない蒸留所のウィスキーを揃えていましたが、そちらも漸次処分していきます。早晩、焼酎や日本酒やカクテル類も追放、管理可能な本数でのモルト・ウィスキー専門店への蝉脱です。どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2006年04月03日 22:08 | 固定ページリンク




一考 | 「三日月」閉店のお知らせです。

 去年の四月十七日、三日月の外山時男さんが急逝されました。三日月の今後を案じておりましたところ、上野直子さんからお手紙を頂戴しました。ここに転載させていただきます。

 ご無沙汰いたしております。ずいぶん春めいてまいりました。
「三日月」閉店のお知らせをお届けいたします。来たる四月二十三日(日)をもちまして、六年間お世話になりましたお店を閉めさせていただくことにいたしました。早いものでもうすぐ一年です。やっと一年です。これまで続けてこられたのも、みなさまのおかげと感謝いたしております。
 以前よりビルの立替が予定されておりましたが、いよいよ本決まりとなりましたので、これを節目に幕引きとしようと思います。「三日月」は外山の眼で成立しておりました。眼差しが店に残っているうちに、おしまいにするのがよかろうと判断いたしました。
 あと一ヶ月あまり、従業員一同、気持ちを引き締めてまいります。お時間がありましたら、春のお散歩がてら、お出かけください。
 末筆になりましたが、どうぞご自愛くださり、穏やかな季節をお迎えください。 

 最後の週は土・日も営業させていただきます。
二十二日(土)、二十三日(日)ともに、十二時から七時までの営業です。
なお、二十二日、二十三日は、通常メニューに少しばかりの変更がある場合もございます。
なにとぞ、ご了承ください。

詳細につきましては 03-3516-6801(店舗)までお問い合わせください。



投稿者: 一考    日時: 2006年04月04日 20:16 | 固定ページリンク




k | 質問です。

はじめまして。初めて書き込みさせて頂きます。
変な質問で申し訳ないのですが、お店にはいわゆるノンアルコールの
飲み物も置いていますのでしょうか(注文可能でしょうか)?
当方飲めないのですが、お店は一度覗いてみたいなあと思っているのですが。
NGでもお返事頂けると幸いです。よろしくお願い致します。



投稿者: k    日時: 2006年04月11日 00:54 | 固定ページリンク




薫子 | kさまへ

 ノンアルコールの飲み物もございます。
ティーソーダ、オレンジジュース、グレープフルーツジュース、烏龍茶などです。
お気軽にお越しください。



投稿者: 薫子    日時: 2006年04月11日 21:25 | 固定ページリンク




一考 | 七十六歳の少年

 昨夜八時過ぎ、谷沢永一さんがですぺらへ来られた。十三年ぶりの邂逅である。最後に酒を酌み交わしたのは一九九三年十二月の末、梅田での浪速書林の忘年会の席だった。中井英夫の葬儀のすぐあとだったので、よく覚えている。席上、谷沢さんの弟子筋と鴎外、漱石のことで議論になり、詰問調になったところで谷沢さんから窘められた。ひとを咎めたり、きびしく問いつめるのは私の好むところではない。ただ、学者になる気など端からなく、教師であるために為方なく学者をやっているような大学人を許せないのである。
 文芸時評ないしは文芸評論では川端康成、小林秀雄、谷沢永一にとどめをさすと私は思っている。深夜を回って一時頃から話はいよいよ佳境に入り、開高健、向井敏、山野博史、冨山房百科文庫の完本茶話を編んだ浦西和彦等々について、夜明けまで談論風発して時の過ぎるのを忘れた。明治大正文学のはなしなど、店ではしたくともできない。欲求不満をはらすに絶好の機会だったと申せば、谷沢さんから叱られるであろうか。
 いままで私が会ったひとのなかで、読書家といえるのは五名しかいない。そのうちのお一人であり、過去二度ほど、仕事をご一緒させていただいた。谷澤さんと私の文脈は異なるものの、本好きの一点では共に人後に落ちない。なによりも、これが文学だなどという固着した観念を持たない。エッセイを著すにみづからの好悪をまず却ける。三段論法の名手であり、そのキャパシティの広さと柔軟さ、すなわち精神の若さには脱帽するしかない。文学史の書き換えに結びつかないエッセイなど書きたくもない、が谷澤さんの口癖である。ですぺらには若者が多いものの、年齢が若いだけでその実体は益体もない爺婆が大半である。爪の垢でも煎じて飲めと言いたくなる。

 フランスで学生のデモがCPEを撤回させたが、わが国では義務教育の教員までもが非常勤となり、ファーストフードや一部のビジネスホテルではアルバイトが店長を務めている。店長がつとまるひとをアルバイトで雇うのが搾取でなければなんなのか。企業も組織もこぞってリストラ狂想曲にうなされている。フランスにはアルバイトという雇用形態はない、終身雇用が当たり前である。そのフランスのようなシステム下で生じる二割の未就業もしくは失業者の比率を日本に当てはめると三割を軽く超える。自由を制限され、格差社会の下流でうごめきながら、怒りを抱かず、髪の毛を逆立てもしない。異質なものを排除する社会に反抗しないような脆弱なひとたちを若者というのであれば、そのような若者などくたばってしまえと思う。ポリティカルなものが即文学とはいえない、しかし、文学とは常にポリティカルな問題を内包している。自意識、他者、マイノリティとマジョリティ等々、いずれもがすぐれてポリティカルな事柄である。そんなはなしを谷澤さんと朝まで繰り返したのである。



投稿者: 一考    日時: 2006年04月11日 21:48 | 固定ページリンク




puhipuhi | >Kさん

某りきさんをはじめとして、よく顔を見せる人の中にも下戸の人が何人もいますので、そんなに気にすることはないと思います。(一方グデグデになって人のコートを着て帰ったり奥さんに迎えにきてもらう人もいるようですが~~誰とは言いませんが~~) 
ノンアルコールだけでは売り上げに貢献できず申し訳ない!、と思うならフード関係を頼むのも手です。お好み焼きとかカツサンドとかがおいしいです。



投稿者: puhipuhi    日時: 2006年04月11日 21:52 | 固定ページリンク




一考 | 「神戸の残り香」成田一徹

 神戸は湊川の生まれである。福原、平野、菊水、夢野から東川崎、築地、和田岬、御崎に至るまで兵庫区で知らない路地はない。兵庫区に限らない、旧神戸市内の道という道はことごとく自転車で走っている。駄菓子屋からお好み焼き屋、居酒屋から女郎屋、喫茶店から外人バー、パン屋からミンチカツ屋、散髪屋から古本屋、仕立て屋から家具店、三井桟橋からメリケン波止場までである。最初は玉子屋にはじまり、郵便局、運送屋等の配送アルバイトを長くつづけたので、否応なしに覚えてしまった。しかし、未曾有の大地震によって神戸の町は崩壊した。従って、私の知る神戸はかつての神戸の残り香でしかない。
 その記憶を洗いざらい絞り出しに来たひとがいる。切り絵をよくする成田一徹さんである。彼とは夢野台高校の同窓生である。もっとも、彼は卒業しているが、私は卒業していない。私は高校を三度転校し、そしてその都度追放された。理由は書かないが、当時の私の仇名は「狂犬」、それだけでお分かりいただけるかと思う。十代の頃は荒れていた、ひとも社会も許すことができず、手当たり次第に叩き壊すといった反抗的な生活だった。煉瓦や鉄パイプは言うにおよばず、刃傷に及んだことも一度や二度ではない。触れれば傷つき、火傷するような熱い日々を送っていたのである。それを彼は知っている、知ったうえでの取材であった。

 子供のころ、築地の中央市場や兵庫港、もしくは和田岬へ行くには新川や兵庫運河の渡し舟に乗らなければならなかった。ゴム長を履き親父に連れられて店の仕入れに、または三菱造船で修理される艦船を見によく行ったものである。その新川に大輪田橋が架かっていた。成田さんは綴る。

 これほど凄みのある生き証人も少ないだろう。
 一九四五年三月十七日の神戸大空襲のときは五百人の命とともに自らも炎に包まれた。生へのかけ橋となるはずが地獄になった。そして一九九五年一月十七日午前五時四十六分、三本の飾り柱が落ち、欄干の一部が壊れた。が、それでも崩れ落ちずに踏ん張って生きていた。
 新川運河に架かる石造りのアーチ橋、大輪田橋である。
 飾り柱の一本はモニュメントとして復元され、二つに割れたもう一本は傍らに置かれた。欄干の黒い焼け跡が消えることはない。
 晴れた日には欄干に深い影ができる。
 齢八十一歳の沈黙の語り部。こいつにはかなわない。

 神戸という街に住んでいたひとたちにはいささかの未練も執着も持たない。ただ、記憶のなかを当てどなく彷徨う神戸の街そのものには怨みもつらみもない。いっそ、記憶という名のかすかな匂いを好ましく思っていると書いておこうか。

「神戸の残り香」成田一徹 切り絵・文
神戸新聞総合出版センター 定価1800円+税



投稿者: 一考    日時: 2006年04月11日 23:01 | 固定ページリンク




ケケ | (無題)

先日の電子レンジのお話どうなりましたか。
新しいのをお買いになりましたでしょうか?

実はうち3つありまして、
特に1つはこの間まで
半年だけ町屋で暮らしていたときに
買って少しだけ使ったもので、
1人モン用の温めのみのものなのですが、
よろしかったら使いませんか?



投稿者: ケケ    日時: 2006年04月14日 14:25 | 固定ページリンク




薫子 | ケケさま

電子レンジは譲っていただくことができました。
快調に稼働中です。
お気遣いありがとうございます。



投稿者: 薫子    日時: 2006年04月16日 10:37 | 固定ページリンク




一考 | 石橋さんと津原さん

 エコール・ド・シモンの石橋まり子さんが津原泰水さんのために道産のボタン海老とイクラをお持ち下さった。相伴にあずかったのは言うまでもない、石橋さんに感謝である。次の日、イクラを白出汁にて五、六回洗い、薄味に改良させていただいた。イクラは北から南まで、醤油と味醂の同割に漬け込むか、もしくは塩漬けで頂戴する。それはそれで冷凍も可能なので、日持ちもするし重宝する。しかし、食するときにはいささか手を加えるべきではないだろうか。白出汁で繰り返し洗うと一粒一粒が離れて、さらさらの食感になる。ただし、一両日しかもたないので、要注意である。
 この調法はイクラに限らない。ホタルイカも目玉を除去したあと、白出汁に漬け込むと滅法おいしくなる。その場合は白出汁にごく少量の薄口醤油と味醂を加える。早いはなしが吸い物に漬けると思っていただければよい。薄口醤油と味醂の量を加減すれば、ナマコ、甘エビ、カニなども美味しく頂ける。今は甘草からわさび菜に至るまで、あしらいには不自由しない。いつもとは異なる食べ方と組み合わせを愉しみたい。
 ボタン海老は身を刺身に、頭は串刺しにして塩焼きで頂戴した。普通は吸い物やスープに使うのだが、ボタン海老の頭は車海老のそれよりも甲殻が薄いので焼けば香ばしさが増す。津原さんはたいそう喜んでいらした。北海道のキャンプ場ではボタン海老やサロマ湖産北海シマ海老をまるごと塩焼きにしてよく酒を飲んだ。そういえば、駿河湾産の桜えびや富山県新湊の焼きしろえびも美味い。たしか、しろえび漁の解禁は四月一日ではなかったか。焼きしろえびを杯に一匹入れ、熱燗を注ぐと日本酒がまろやかになる。富山や石川は山廃が多いので、この飲み方はすこぶる有効である。富山のキャンプ場で、地元のひとから教わった。

 津原さんと海老づくしの徹宵痛飲などさぞや楽しかろうと思う。海老で鯛を釣るというが、鳴門では釣り人はミミイカ、漁師はイカナゴを餌に用いる。なにで人生を釣り上げ、なにを持って人生をオシャカにしたか、津原さんのニヒリズムの基点みたいなものを肴に酒を飲みたいと思う。彼は戦後の焼け跡みたいなひとで、背景がなくてがらんとしている。並列的思索の達人というか、存在それ自体にパンフォーカスなところが強く滲み出ている。それと比して彼の作品には継起的な時間の空間でビクンビクンと跳ねている海老のような趣がある。そしてその交点がまたブツブツに切れている。「一粒一粒が離れて、さらさらの食感」というのが、津原さんの小説を読んだ私の感想であり、ひととなりを知るにおよんで、さらにその感を強くした。手前から奥までピントが合っている、またはピントが合っているように見える、詐欺的ともいえるパンフォーカスな言葉の問題提起をこんなに心躍る思索に展開した人は珍しい。おそらく、そこまで見届けた上での石橋さんの差し入れだったのだと私は信じている。



投稿者: 一考    日時: 2006年04月17日 21:53 | 固定ページリンク




一考 | 国会図書館探訪

 芳賀さんの紹介で知り合ったのだが、国会図書館に知己がいる。とんでもなく偉いひとらしいが、私にとってはじつに気さくな読書人である。先日櫻井さんも同席し、国会図書館を肴に酒を酌み交わした。その折り、連休明けの国会図書館の探訪が決まった。普段は入られないところも含めて、隅から隅まで案内していただくことになった。日時は平日の15時から17時を予定している。参加を望まれる方はご連絡を乞う。
 聞くところによると、蔵書のマイクロ化に要する費用は10億円からせいぜいが20億円。明治・大正期は終了したものの、昭和、それも戦後の仙花紙本のマイクロ化が急がれるとの由。農道と平行する短い高速道路を一本節約すれば済むはなしである。かつては鏡花の、今回は足穂の資料収集でお世話になっっている。探訪のあとは、日本の文化行政の貧弱さについて話し合いたいと思っている。



投稿者: 一考    日時: 2006年04月17日 22:22 | 固定ページリンク




薫子 | ですぺら開業六周年

まさか持つまいと、やっている本人が思っていたのに、丸六年経ちました。
お越しくださる皆様のおかげと感謝しております。
4月27日(木)より5月2日(火)まで感謝デーとして、
「ですぺら」にご来店の際には、グラスワイン1杯とオードブル小皿をサービスさせていただきます。なお、ゴールデンウィーク中の営業はカレンダー通りです。
また、5月6日(土)はすきやきパーティを計画しております。詳細は追ってお知らせします。



投稿者: 薫子    日時: 2006年04月21日 04:38 | 固定ページリンク




一考 | 親と子

 Mさんへ
 沙の上のラブレターはY・Nさん宛に書いたものですから、いささか難解かもしれません。あの二倍ぐらいは書いたのですが、文中でも触れたようにY・Nさんは頭の回転が鋭いひとですからくどい説明は無用です。それで、あのように短くなってしまったのです。
 「人生は茶子味梅のようなものであって、唐土の妻は生み落された不幸である。曾根崎心中にいう『死なず甲斐な目に逢うて』以上でなければ以下でもない。だからこそ、生み落ちてしまった淋しさとの逢瀬が、自分自身の呼吸を取り戻す数寡ない背景となり、羊膜液となる」は確かに端折りすぎています。親子の問題を書いているのは分かるが、「生み落された」と「生み落ちてしまった」との行間が読めないとのご指摘も宜なるかなと思います。
 生み落ちるとの複合動詞を他動詞対自動詞と解釈してもきっとなんの解決にもなりません。それでなくとも、自他の区別は日本語ではかなりやっかいです。まずその前に、個と個もしくは親と子、さらには個と親子といった画一的な見方で私は父と付き合ってきたのではないのです。父が難渋していたように、私自身もいつも頭を抱えてきたのです。
 動詞における語形の屈折とよく似た、図式では割り切れない一種のひずみが、ひととひととのあいだには横たわっています。親子であれ、夫婦であれ、恋人であれ、友であれ、その消息は同じだと推察します。おそらく、およそ通じることはないのではないかと。
 だからこそ、どのような関わり合いがよいのかをお互いが探り合わなければならないのです。他人の事情や心中をあれこれ考え思いやらねばならないのです。親子でありながら、敢えて「他人」と書く、そのような関係を父も私もこころのどこかで求めていたのだろうと思います。どうにもならなくなった時は訪ねてくれ、と父はよく申しておりました。機会は父が死んだ日にやって来ました。そしてその日付で私自身が父に昇格してしまいました。新たな親子問題はまだ端緒についたばかりです。
 「ひずみ」と書きましたが、捩れや撓みは資質のようなもので、暗部を形づくる元素のひとつなのです。そして関わり合いは外交のようなものなのです。例えば、今朝の盧武鉉の特別談話は国家指導者が先頭に立って民族感情を煽っているようなものです。問題を拗らせるだけで、政治家云々の前に、ひととしての未熟さばかりが目に付きます。きっと、私と私の子供もそのような過程を経て育っていくのではないかと思うのです。
 自らの意見の陳述や展開は最終的にはひとを煽ることにしかなりません。好悪を前面に出す怖さもそこにあるように思います。どのワインがうまいとか、どこの店の何々が結構だとか、某作家の作品がよいとか、非難であれ肯定であれ、そのどちらもがひとを煽り焚きつける結果しか生まないと思うのです。それではつまるところ喧嘩にしかなりません。そして諍いを回避するには緘口結舌しかないのかもしれません。
 掲示板の書き込みで、いつも困惑し逡巡うのはそこのところです。どうでもよいこととどうでもよくないことの区分け、それと主張すべきことと箝口すべきことの分別で迷い続けるのです。気後れした時に私が立ち帰るのは「文学はオピニオンとは逆の場に位置する」とのいましめなのです。
 双方が仕事ゆえ、父と私は料理の味付けでしばしば衝突しました。私は神戸生れですが父は東京、味覚が違うは当たり前です。意見を違えるたびに、まったく異なった調烹がどこかにあるのではないだろうかと、試行錯誤を重ねました。いまは顧みられなくなった昔の、または地方の文献をあたり、「この調理法はひどいね、喰えないよ」と苦笑したこともありました。父と喧嘩をするために生れてきたのではなし、といって父を口説くために生れてきたのでもないのです。父を師として育ち、そして遠く離れて行く、すごく順当で真っ当なことがらから存在は暫定であり、生死はのろのろしげにはばかる所もなく繰り返される代謝なのだと覚えるに至ったのです。

 このようなはなしをいくら書いてもあなたへの返事にはなりますまい。生み落されたことに対する怨みを生み落ちてしまったと言い換えるようになるまでの距離が私の読書体験だったとでも言っておきましょうか。ついうっかり生れてしまったのは私の方であって、怨むならそれは親ではなくて自分自身なのだと。自らの迂闊さを兼ねての「ですぺら」ではなかったかと思うのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年04月25日 22:41 | 固定ページリンク




如月 | スパン・アート・ギャラリーでエコール・ド・シモン人形展

連休明けの5月8日(月)から5月20日(土)まで、故種村季弘さんゆかりの画廊であ る東京・銀座のスパン・アート・ギャラリーhttp://www.span-art.co.jp/(中 央区銀座2-2-18西欧ビル1F、TEL=03-5524-3060)で、エコール・ド・シモン人 形展が開催されます。 この展覧会は、毎年三月、新宿・紀伊国屋画廊で開催されている恒例の人形展と は切り口をかえてはじめて企画されたもので、エコール・ド・シモンで学んだ人 たちの多彩な作品をさまざまな人に広く観ていただくことが狙いの新たな試みです。 出展者は、四谷シモンの他、井桁裕子、久保寺裕治、坂口愛子、佐藤公子、 佐藤晋、佐藤久雄、高橋竜男、田原ひろし、土屋ひとみ、刀弥健二、中島清八、 新妻朱彩美、ヒロタサトミ、増記真由子、松山智子、山田恵子、柳川欣之、小沢茂。 紀伊国屋画廊の人形展よりも一歩踏み込んだ個性的で刺激的な作品の出展が予定 されています。 初日(8日)の18:00から20:00まではレセプション・パーティーも予定されてい ます。 大勢の方のご来場をお待ちしております。



投稿者: 如月    日時: 2006年04月30日 22:16 | 固定ページリンク




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