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2005年07月 アーカイブ

りき | 亀鳴屋さんの新刊『馬込の家 室生犀星断章』伊藤人譽著

亀鳴屋さんから新刊告知がでています。
伊藤人誉さんによる犀星についてのエッセイのようです。
詳しい内容は以下のリンクを参照してください。

http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/shinkan/shinkan04.htm



投稿者: りき    日時: 2005年07月03日 20:36 | 固定ページリンク




一考 | DTPについて

 北端あおいさんへ
 返事はこちらで。
 DTP用とお聞きしましたので、そのようにセッティングしました。
 そちらから送られてきたハードディスクにインストールされていたPhotoshopとIllustratorはバージョンアップの上プラグインその他を、Officeはテンプレートを若干補強しました。PageMakerとQuarkXPressは共に飾り罫を2000項目ほど追加しておきました。
 フォントはスーツケース、ポストスクリプト、オープンフォントが使用可能です。
 和文用の124書体をフォントフォルダに収録、そのなかにはヒラギノやイワタも入っています。他に横文字用スーツケースフォントを273書体、ポストスクリプトは433書体添付しました。文字鏡、GT書体2000、広辞苑外字なども別項目で収録していますが、そちらは慣れてからにしてください。
 内田百けんの「けん」等々、第六水準まで完全に出ますが、こちらも慣れてからにしてください。取り敢えず、「Kandata」とT-Time所収の「index.ttz」の使い方を覚えてください、それだけでも第四水準まで出ます。ATOKとEGBRIDGEの辞書は最低限必要な188364項目と現行の辞書では削除されてしまった450項目の熟語も追加登録しました。なお、入力システムの文字制限は解除しています。
 語学辞書、国語辞書、百科辞典の類いはマック版で入手可能なものは全部追加しておきました。
 DTP基礎講座として定評あるものを数種類1.3GBほど入れています、下記のURL共々ご参考に。

 http://www.miraisha.co.jp/mirai/text/pasokongihou.html

 おまけとして、地名・人名辞書とProAtlasやMapFanをはじめ32種類の地図ソフト、先行きを考えてDVD、CDR-RW、iTunesなどのソフトも入れておきました。ところで、ATOK用に限らず、地名辞典や花辞書の類はファイルメーカーで一覧表にしておく方が役に立ちます。例えば、知床の東端に相泊(アイドマリ)という地名があるのですが、泊で検索をかければ、泊の付く全国の地名が出てきます。これが結構、役に立つのです。私は4000種類のモルト・ウィスキーの詳細をファイルメーカーで利用しています。
 Illustratorで装丁ができるようになるのに、半年ほど掛かると思います、頑張ってください。



投稿者: 一考    日時: 2005年07月04日 09:57 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 一考様 ありがたく

一考様。先日はお目にかかれて嬉しく存じました。拙ないわたくしのブログについて、思ひがけず、ありがたいお言葉を賜り、恐縮してをります。そもそもわたくしがブログなるものを始めましたのも、この掲示板で、書き込みをする愉しさを教へて頂いたからでした。いかなることにも先達のあらまほしきことかなと痛感してをります。これからもよろしくお願ひ申し上げます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年07月05日 22:41 | 固定ページリンク




薫子 | ああ、また

 ですぺらの入っているビルの一階の屋号がまた、変わりました。
「かっぽうぎ」という居酒屋さんでしたが、7月11日より「東京やきとり食堂」という
名になるそうです。ううう・・・。また名刺訂正せねば。
表の店構えはほとんど変更なく、コンセプトが変わるらしいです。
コンセプトってなんやねん。ブツブツ。
 一階の店を目印においで下さっている皆様、どうぞお気をつけくださいまし。
ですぺらはまだあります。



投稿者: 薫子    日時: 2005年07月06日 20:10 | 固定ページリンク




如月 | 拙論への初RES

下方に書き込みました拙論『金葉集成立史小考ーー輔仁親王鎮魂の視角から』
に、三重大学人文学部・山田雄司さんから非常に丁寧なRESをいただきました↓。
http://www1.ezbbs.net/27/yonnoji/
こうしてRESをつけていただけると、やはり非常にうれしいです♪
(手元の『段かづら』、先日某放送局の人に渡して全部なくなってしまいまし
た。一考さんになかなかおわたしできなくて、ごめんなさい。)



投稿者: 如月    日時: 2005年07月07日 00:14 | 固定ページリンク




steward | 7月22日は薫子さんのお誕生日!

 mixiでも提案させていただいておりますが、こちらでも。

 7月22日は薫子さんのお誕生日です。薫子さんとお親しい皆様、
当日『ですぺら』に来店し、薫子さんにお祝いの言葉をお伝えに
なりませんか。
 特にパーティー形式はとらず、三々五々集まって、散り散りに
帰っていくゆるい集まりにしたいと存じます。

 ぜひご参加くださるよう、お呼びかけ申し上げます。



投稿者: steward    日時: 2005年07月17日 13:53 | 固定ページリンク




一考 | 山本健吉文学賞

今年の山本健吉文学賞受賞者五名のうち、三名がですぺらのお客さんである。

 詩部門  季村敏夫 『木端微塵』(書肆山田)
 評論部門 加藤郁乎 『市井風流―俳林随筆』(岩波書店)
      宗田安正 『昭和の名句集を読む』(本阿弥書店)

贈呈式は7月22日、神田駿河台の山の上ホテルにて招待客のみ120名で催される。二次会は9時から朝まで当店にて。当日は薫子さんの誕生日でもあり、かなり混乱が予想される。右往左往大歓迎、詩歌句について語りあかしましょう。



投稿者: 一考    日時: 2005年07月21日 00:14 | 固定ページリンク




一考 | いつでもどうぞ

 櫻井さんへ
 先日はありがとうございました。ファームウェアの書き換えやインストールの時にパッチを当てたりファイルに小細工を施し、入る筈のないソフトをインストールするのには馴れてきたのですが、Terminal.appを弄くるのは私にはまったく無理ですね。teTexのソースファイルの展開で触ろうかと思ったのですが、UnixやLinuxの構造が頭に入っていないのですからどうしようもありません。
 お申し越しの件ですが、原盤に含まれているPDFファイルに問題があるらしく、3枚焼きましたが検証が効かず、すべてお釈迦。ハードディスクに移して問題のファイルを修整したところ、焼けるようになりました、インストールも可能です。今日、店へ持っていきますので、ご都合のよい折にどうぞ。
 北端さんのシステム構築で一週間かけて辞書を、さらに一週間かけて不具合なフォントの整理をしたのですが、それが今回役にたちそうです。CD2枚になりますが、Adobeご推薦のフォントならびに関連ソフトを揃えておきました。



投稿者: 一考    日時: 2005年07月21日 07:21 | 固定ページリンク




一考 | 求む

マックの雑誌に添付されたCD「まーぱろむ」の2003年4月から12月までが欲しいのです。お持ちの方、ご連絡いただければ幸いです。所収の「Onlineware Express」を求めているので、コピーでもなんでも結構です。
私が求めるシェアウェアが何月号に掲載されているかが分からないので4月から12月までと記しました。当然、バラでも結構です。急ぎませんので、どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2005年07月23日 18:59 | 固定ページリンク




一考 | 訂正

「2003年4月から12月」と書きましたが、2002年の間違いです。2002年4月から12月までのMac PowerやMac Peopleなどに添付されていた付録のCDです。どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 一考    日時: 2005年07月24日 05:56 | 固定ページリンク




花ハウス | ルーマニアへようこそ

自然が沢山あります ルーマニアへ遊びに来ませんか 物価が安くてのんびりと海外で生活



投稿者: 花ハウス    日時: 2005年07月26日 14:31 | 固定ページリンク




一考 | 「馬込の家(室生犀星断章)」伊藤人誉著

 龜鳴屋から新刊が上梓された、伊藤人誉さんの「馬込の家(室生犀星断章)」である。このところ多忙で紹介が遅れた、勝井隆則さんにお詫び申し上げる。
 「小景異情」に著された猫が首をくくる話や玄関を閉め切って物置きがわりに使うはなしは私にも経験があって、興味深く読ませていただいた。つづく第五章は短いが、犀星の小説の特異性である「執拗な粘り」がうまく活写されている。この「執拗な粘り」にみられる犀星の屈折した女性観にはかねてから興味を抱いている。荷風にとって女性は性的玩具の対象でしかなく、鏡花にとっては信仰の対象でしかなかった。「でしかない」と言わざるを得ないところにひっかかりを覚えるのであって、排泄であろうが信仰であろうが、そこにそれほどの差違があるわけではない。一方、徳田秋声や徳田秋江のような情念や怨恨とのいたずらなクリンチにも疲れを覚える。その点、室生犀星や谷崎潤一郎の屈折といおうか、気質に私はこころ惹かれるのである。
 「馬込の家」の最終章のタイトルに用いられている「女ひと」は犀星の作品のなかでも傑出した一本だが、正・続の「随筆 女ひと」のあとを追って「随筆 硝子の女」が上梓されている。巻末の「消える硝子」の書き出しを紹介したい。

 ガラスの女といふのは、たださう言つただけで硝子のやうな女がゐるとも、ゐないとも言ふ譯ではない、ことばが透明で美しいからさう附けたのである。けれども私はひそかに硝子を透かして見た世界とか、女とかいふ意味も考へてゐたのである。も一つは何時も硝子の壜の中に、ずつと何十年か前の記憶がアルコール漬になつてゐて、見ようとすれば何時でも、そこに記憶の山河があり女の人も見られるふうに考へてゐた。むかしの人はアルコールの中で、まだ生きてゐるとも言はれるのである。このアルコール漬がなかつたら私は小説なぞ書けないのだ、普通の化学実験室なぞとちがひ、私のアルコールの壜も時々新鮮な液体に取りかへられ、漬けたものが変色異常を呈することはなかつた。或日の私はガラスを透かして見た顔に二重の美しさを見附け、ガラスの中に誰かが泳いでゐる閃きを感じたものである。

 この二年後に川端康成の「眠れる美女」が上梓されている。一連の犀星の作品が川端に影響を与えたなどと思いをめぐらしてみるのも愉しいではないか。
 戦時下の馬込の家を舞台にした第八章と第九章は圧巻。「談柄の妙はさすが伊藤さん。資料的な意味もさりながら、読物としてダントツに面白く思った」とは社主勝井さんの弁だが、たっぷりと元手を掛けた資料収集と適度に抑制を効かせた文章との絡みが巧く、犀星に託つけての伊藤さんのイデエの発露の方法論に感心させられた。表現者とは妙なもので、対象がなんであれ、要は対象に託つけて自らのことを著すのである。手に負えない対象を相手にすれば、書き手の寸法が測られてしまう。コンプレックスの不在に立ち会えば、書き手の人目を憚る劣等感や負い目が剥きだしにされてしまう。その辺りにエッセイの妙味がそして怖さがある。
 「俺たちには、これが自分のだという姿なんぞありはしない。お前さんのお好み次第で、お前さんが俺たちにお望みのどんな姿にでもなるのさ」とはハイネのある舞踊劇台本の前書きに登場する悪魔の言い種だが、伊藤人誉さんの書きものにはどうやらそう言った価値観の自在な顛倒がそこらじゅうに仕掛けられているように思う。前述の悪魔を前にして莫迦と思えば自分が莫迦なのであり、思慮深いと思えば取りも直さずそれは自らの思慮深さの証明なのである。すぐれた表現者はそうした魔性を内に秘めている。
 「馬込の家」第十章からの引用、

 私は犀星がじっとものを見ているとき、次第にその中に移入してしまうのではないかと思っている。見られているものが感じているように思われる感じを、自分でも感じているのではなかろうかという気がする。たとえば縁側の日なたにいる猫を観察しているとき、自分を見返している猫の気持ちを感じているのではあるまいか。川でうなぎを捕っている川魚師のことを書いているとき、膝まで水につかったその男の気持ちばかりでなく、石垣の穴にひそんで人間のすることをじっとうかがっているうなぎの気持ちも感じているのではあるまいか。あるいは樹の上でこごえているなめくじの気持ち、ぎんいろの蛇のような女の指の気持ち、張り詰めている氷の気持ちさえ感じているのではあるまいか。

 ここには犀星との対置はなく対峙もない、あるのは共棲であり同化であって、見るものと見られるものと言った二元論がきれいさっぱり欠如しているのである。深沢七郎や島尾敏雄や井伏鱒二のそれと同じくトートロジックな重語法によって、文学の原器的形態が述べられている。さるにても、伊藤人誉とは恐るべき作家である。
 「馬込の家」の「あとがき」には「室生朝子の結婚の裏話や、犀星の父親についての私の疑いや、晩年の犀星をめぐる女たちの話を書き加えた」と著されている。「女ひと」の章が「晩年の犀星をめぐる女たちの話」にあたる。この一章を以てしても、過去余人によって著された犀星論が書き直しを余儀なくされるのは必定である。犀星のファンのひとりとしてまた伊藤人誉さんのファンのひとりとして、本書を産み落された勝井隆則さんに満腔の謝意を表したく思う。

 「馬込の家」は部数を五百五十部に劃っての印行である。頒価は三千二百円。ですぺらに在庫有り、乞うご購読。



投稿者: 一考    日時: 2005年07月29日 04:23 | 固定ページリンク




一考 | 徳田秋江のこと

 昨日、ですぺらで徳田秋江との記述は間違いなのではないかと訊ねられたものですから、一言触れておきます。

 近松秋江(1876―1944) 小説家、評論家。明治9年5月4日、岡山県和気郡藤野村(現在の和気町)の生まれ。本名徳田浩司。初め徳田秋江と号したが、のちに敬慕する近松門左衛門にちなんで改めた。

 通常の文学事典には上記のように記載されているはずです。シルレルの翻訳なども徳田秋江の名で公刊されています。いまでは秋江の名前は知っていても、作品を読まれる方は少ないと思います。それ故、昨日のような誤解が生じるのでしょう。
 秋江といえば「黒髪」と相場が決まっているようですが、より高く評価していただきたいのが評論です。「秋江随筆」「文壇三十年」などがありますが、印象批評を創案した最初のエッセイ集が「文壇無駄話」(明治43年3月)で、明治文学研究の基本図書の一とされています。元版を買わずとも昭和三十年に河出文庫から増補版が上梓されています。元版も追刷りされていますが、文庫版も同年中に五刷まで行き、途中から武者小路実篤の装幀になるカバーが付けられ、本文紙も上質紙に変わりました。
 西園寺公望が催した雨声会や漱石の印税の裏話もさることながら、徳田秋声の作品の称揚にじつに多くの紙数を割いています。秋声の崇拝者であった秋江なればこそ、徳田秋声と書けば徳田秋江と続けるのが当然の成り行きだと思います。
 今は全集が出ていますが、私が二十歳の頃はなにもなく、膨大な量の雑誌を集めました。秋江を読むために雑誌を求めて古書店をかけずり回った日々を思いおこします。なかでも、秋江掲載の雑誌や鏡花作品の初出誌を数百冊、入るたびに神戸へ転送してくださった高橋書店の親父には頭が下がります。その尽力あって、近松秋江や泉鏡花や永井荷風の著作目録や著書目録を何度か拵えました。
 幻想文学35号の巻頭に載せた鏡花著書目録抄が私の書誌的仕事の最後ですが、あの拙稿がいまごろ役立っているようです。もっか鏡花本に挿し絵を施した絵師、刷り師、彫り師たちとその時代を紹介する番組が某テレビ局で作られています。マルセル・デュシャンのときと同じ担当ディレクターが拙宅へなんども来られていますが、鏡花著書目録抄には助けられていると、こちらは機会を下さった東雅夫さんに感謝せねばなりません。



投稿者: 一考    日時: 2005年07月30日 15:32 | 固定ページリンク




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