ジャン・ジュネについて一言
(2009-05-29 12:50:20) by   


 鈴木創士さんからメールを頂戴した。掲示板のほうに書くのは照れくさいとか、そういうシャイなところこそ彼にはふさわしい。武内ヒロクニさんは「病気などどこ吹く風といった感じで、元気に画業にいそしんでおられる」とか、わたしにとってはなによりの消息である。山本六三さんが亡くなられてから、おそらく彼しかいないように思う。
 「花のノートルダム」に附せられた鈴木創士さんのあとがきにエドマンド・ホワイトの「ジュネ伝」があった。読むかどうか分からないが、購入してきた。「パサージュ論」とどちらを購うべきか迷った。ベンヤミンの「主題をなくした思想」に興味はあるが、それにしても観念論に近いものはおそらく今後は読まないだろうとジュネに軍配をあげた。
 「ジュネ伝」の巻頭に謝辞というのがあって、「指導的権威」とか「学識の記念碑」といった言葉が散見される。ゲイに権威もないだろうなどと書けば誤解を生む。マイノリティであろうが、マジョリティであろうが文学に「指導的権威」は必要ないとわたしは固く信じている。同じ理由でエライ先生と思しきひとの序文を冠した著書をわたしは小馬鹿にする。ただし、出版社の営業から出た戦略ならなにも云わないが。
 突端から興醒めなことを書いたが、「ジュネ伝」の中味はすこぶる面白い。文中、「聖ジュネ」からの引用が目にとまった。「彼が同性愛者になったのは、泥棒だったからだ。人間は同性愛に生まれついたり、また正常に生れたりするのではない。その経歴の中での事件とそれに対する反応によって、人間はそのどちらかになるのだ。私は断言するが、性的倒錯は生まれる前の選択の結果でもなければ、内分泌の機能不全によるものでもなく、ましてやコンプレックスの受動的で決定的な結果でもない。それは、窒息しそうな子供が見つけ出した一つの出口なのだ」
 微笑ましいといえば微笑ましいが、こういったサルトルの誤解・曲解には度し難いものがある。下巻の49頁からあと、この問題は続く。当然、ジュネは、「一方男色の件では、私は何も知らないのだ。人がそれについて何を知っているというのだろう? セックスをするときに、どうして自分があれこれの体位を選ぶのかという理由を、人は知っているものだろうか? 男色は、ちょうど目の色や足の数のように、私に押し付けられたのだ。まだほんの子供だった頃、私は自分が他の男の子たちに惹きつけられることを意識した。女の人には全く惹かれなかった。私がサルトル的な意味で自分の男色を自由に「決心」し、「選択」したのは、こういった種類の興味を自覚した後のことにすぎない。別の言葉でもっと簡単に言えば、それが社会から非難されるものだということを知っていたので、私は自分を抑えなくてはならなかったのだ」と反論している。
 サルトルは実存主義を標榜する、従って実存が本質に先立つ。その結果、同性愛すらが後天的な選択によるものと解釈する。繰り返すが、ものの世界にあっては本質が実存に、人間の世界にあっては実存が本質に先立つというのがサルトルの思想である。この本質を概念もしくは設計図と解釈しても差し支えはない。要するに、一つのコップが存在するためには事前にコップの概念すなわち用途と設計図が必要ということである。
 サルトルの失敗はものと人間という二元論で世界は割り切れるものではないという一点に帰着する。同性愛者は同性愛者として生まれるのであって、同性愛者として育つのではない。ひとしなみに取り扱うのでなく、世の中にはさまざまな例外があることを認めなければならない。未だに、同性愛に対してサルトルのような暴論を吐くひとが垣間見られるのは残念である。
 鈴木創士さんが著されているバタイユの問題点も、詰るところ、聖性と悪といった二元論に帰着する。バタイユのいう裂け目とはヘーゲル譲りの弁証法的契機と、聖性と悪といった二元論とのあいだに横たわる裂け目だったように思う。ブルトンにしてもその発展の中で矛盾が止揚されるのはともかく、土台となるべき二元論自体が矛盾だらけである。この件に関しては何度も当掲示板で書いているが、もう一度繰り返す。
 高いところと低いところ、昼と夜、現実と想像、そういった境界線を引かれない概念を二項対立の図式で捉えるのは間違いではないかとわたしは思う。元来相克しないものを相克するかのごとく位置づける、その繰り返しのなかに「シュルレアリスム宣言」は成り立っている。
 思想を構築するのは構わないが、その思想からはみ出るものをむりやり押し込めようとしたり、例外を例外として認めないのは問題である。そうした気配りを欠いたもろもろの思索や行為をわたしは権威・権力の行使と呼んでいる。

 かつてモラリーの「ジャン・ジュネ論」 を読んだ折、なるほどこのような読み方もあるのかと感心させられた。モラリーはジュネ自らが脚色し、コクトーやサルトルによって神話化された天才的泥棒作家という伝説を覆す。「彼は死にもの狂いで読み、死にもの狂いで書く。一九四二年以来ではなくて、昔からだ。十三歳で、「ナノ・フロラーヌ」は手記を書き、二十七歳で、彼はそこに音楽が聞こえる数通の手紙を書くが、その音楽はやがて彼を有名にするだろう。以後、本当に囚人となり、独房、遠方の豪邸、近郊の屋根裏部屋もものかは、彼はその先端だけがきらめいている氷山=作品を作成し、それを発表する。友情、旅行、情事、彼にあっては文章表現が一切を決定する」
 ことの是非はともかく、モラリーはたまたま作家になった泥棒ではなく、たまたま泥棒になった作家を強調する。サルトルの「聖ジュネ」とは正反対の立ち位置というべきか、後半の「ジャン・ジュネの架空の日課帳」はボルヘスの「架空の図書館」を想わせて圧巻であった。
 エドマンド・ホワイトはアメリカのゲイ文学を代表する作家のひとりであって、彼自身HIVの保菌者である。そしてリチャード・コーからモラリーに至るまで「聖ジュネ」の書き直しは異国では続けられている。それと比してわが国のジュネ解釈は宇野邦一さんと鈴木創士さんによってはじめられたばかりである。


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