遠に投首
(2007-11-25 10:01:06) by   


 オープンが済んで土曜日からは通常の営業がはじまる。十二、三人は来られるかと思っていたが、その半分だった。しかし半分で佳し、中身のあるオープニングだった。松山俊太郎さんを地下鉄の駅へ見送ったが、一分の道程に三十分を費やした。心臓がおかしいとかで歩かれない、五六歩進んでは休むの繰り返しで、揚句は地下鉄の入り口で地べたへ座り込んでの晤語となった。横の手摺りを鉄棒に見立てて子供がはしゃいでいる、その傍らでの喘ぎ。存在の新陳代謝のあまりに見事な演出に応えられなくて言葉が淀む。
 先に帰られた相澤さんね、寂しいのよ、話相手がいなくなっちゃってね・・・主語はどこにあるのかわからないまま・・・末期の水はうまかったね、次は会えるかなあ・・・相澤さんとそれとも私と・・・みなで会いましょう、どこかで、きっと、いつか・・・泣き出しそうになるのを怺え、即製の吃吶を演じる。
 家に暖房がなくってね、でも着物を頂戴したから風邪はひかない・・・次回は足袋をお持ちしましょう・・・君とはずっと昔にお会いしたような・・・実はですぺらではないのですよ、遙か以前に冥草舎でお会いした、と言うか言うまいか思いがたもとおる。そんなことはどうでもよい、そんなことより、いま、いまだけだから。「いまだけ」は横須賀さんの言い種だったっけ、横須賀も種村もあなたもわたしもなにもない、思案に暮れなずんだまますべては滅び同化してゆく、涙すらも。

 手伝ってくださった方から「一考さんが敬語を遣って話すのをはじめて・・・」と。人物や事物にではなく、話題に対して敬意を払っているのです。そう、「カラマーゾフの兄弟」の新訳と米川訳についての議論が一時間も二時間もつづく、ここには相澤啓三さんの時間が在った。過ぎ去りし日々、ドイツ語が跳びかった新宿五丁目、秘かにトマス・マンの宵と名づけた一夜があった。書物を繙くことの意味と怖ろしさを彼は切々と訴える。趣味で本は読まれない、読書は命懸けの為事、滅びへの道行きだと。

 神戸の季村敏夫さんの変わらぬ厚誼に感謝申し上げる、お手伝いくださった鶴留聖代さんと田中香織さんにも。


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