謝意
(2007-06-16 14:32:06) by   


 なにもはじまらず、なにも終わらなかった。暇を持て余すとはこのことである。ただ、この二週間ほどの間にストレスは解消され、手持ちの悪意が蘇ったように思う。ひとを利用したようで寝覚めがよろしくないが、非常時に至ると、私は姑息な手を時として用いる。
 半端者はどこからも必要とされない、だからこそ逆になにものをも必要としない。それは辻潤から学んだ生活の智慧である。そして私はいつも真剣である。本音と立前との錯綜したかかわりについて掲示板でいくどとなく触れてきた。私には表向きと内向きとのあいだに垣根がない。常に基本的な方針や原則を擬えて生きてきた。従って本音というものを持たない。
 この一箇月、平静さを失い、動もすれば挫けそうになる私を支えてくださったのは、ですぺらのお客であり友人のケケさんである。彼女との晤語は大きな響影を私に与え、そして私の内に小さな改革を孕らせた。ここに記して、満腔の謝意を表したく思う。


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