老人ぼけ
(2009-03-31 23:50:41) by   


 渋谷は何度いってもいやな街である。ひといきれに圧倒される。五分もしないうちに気分が悪くなる。人とひととのあいだには然るべき距離が必要である。それが分かっていて出掛ける。山本六三さんの展覧会へ行くのである。渋谷でロクさんの画を観なくても、記憶に深く刻まれているはずである。御影のアトリエから南茨木を経て西神のアトリエまで、機会があるごとに彼の作品を覧てきた。にもかかわらず、どうして行くのだろうか。
 ひとを避けつつ歩いていて迷ってしまう。渋谷と銀座はいつきても迷う、わたしにとっては迷路のような街である。南画廊、南天子、椿、青木、養清堂、番町、シロタ、ガレリア・グラフィカ等々、昔はすっと行けたのに今は迷う。先日はスパンアートギャラリーですら分からなくなってしまった。
 かつては自転車で東京の街を走り回っていた、それが今では決まった途を単車で決まったように走るのが精一杯なのである。赤坂以外の街へ行くときは、赤坂の駐輪場へいつものように単車を放り込んでから地下鉄で出掛ける。それですら乗り換えが必要なときなど、切符の買い方が分からなくなる、どの電車に乗ればよいのかが分からなくなる。揚句、喉が渇いて上気し、咳き込み、落ち着きがなくなる。心臓は早鐘になって手足が震え出し、どうしてよいのか分からなくなる。ひとりではなにも出来なくなる性分なのかもしれない。それとも、単純な老人ぼけなのか。思うに、この種のぼけがはじまったのは平成元年に車の免許証を取得してからではあるまいか。車はひとを気儘にさせる。好きなときに煙草を喫み、好きなときに飲料が飲まれる。四輪だと外気の流入、温度調整も自由である。要は生理状態を好きに保つことが可能なのである。
 ロクさんについて書こうと思いつつ、はなしは脱線する。2003年07月14日の掲示板1.0に「新掲示板に託けて」と題して書いた、しばらくは書くこともあるまい。会場で山本六三展覧会のカタログが売られていた。注文しようかと思いつつ、彼が逝ったのが2001年、その時のロクさんの歳を越えてしまったことに気付いた。いまさら物欲を満足させたところでなんとする、というロクさんの澄んだ声が聞こえた。


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